1971年5月22日『サンデーおきなわ』
□カメラルポー西平久子さんが大阪で保育園長にー関西沖縄関係資料室など、社会奉仕活動家として知られる西平守晴氏(大阪市都島区都島本通り5ノ23)の夫人、久子さんが、大阪にできた公設民営の保育園長に就任した。

4月19日、開園式をすませ現在百人の幼児を収容しているこの池島保育園は大阪保育事業団が施設を作り久子さんが園長として運営していく公設民営という新しいケースのもので各方面から注目をあびている。

久子さんは首里の出身で、満州育ち。昭和23年引揚げてから大阪に永住。この間関西主婦連比嘉正子会長の都島保育園で保母を続けてきた幼児教育のベテランで、関係者からその手腕が大いに期待されている。

開園式には大阪政界人、教育関係者など多数が列席、新しいケースに挑む久子園長を激励したが、東京からかけつけた西銘順治衆議院議員も「沖縄の幼児教育は本土より遅れているが、沖縄出身の西平久子さんが、大勢の中から選ばれて園長に就任したことは、沖縄の保育事業に一灯をともすことにもなり心強い」とお祝いの言葉を述べた。

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写真ー左・息子と西平久子さん、佳央さん

1989年12月6日『琉球新報』
□西平守晴(大阪・沖縄関係資料室主宰)ー落ち穂・秘めた可能性ー日ごろプロ野球にはあまり関心も興味ももっていない私でしたが、さる26日のプロ野球のドラフト会議には熱い思いでその成り行きをみていたものです。と言うのは新日鉄堺の野茂英雄投手の指名があると聞いたからでした。高校野球の大阪府予選で完全試合を記録したり、卒業後新日鉄堺の社会人野球でメキメキと腕をあげ、昨年7月のソウル五輪では日本代表チームのエースとして活躍した野茂英雄君の成長ぶりをわがことの様に見守ってきたものです。

ソウル五輪から帰国したある日「英雄です」と言って訪ねてきてくれ、オリンピックの銀メダルを私達老夫婦に喜んでもらおうという彼の優しい心遣いがうれしく感動したものでした。その彼が今や身長185㌢、体重85㌔の偉丈夫に成長し150㌔の剛速球投手の実力はついにドラフト会議で史上初の八球団が競い合って一位指名をしたと言うことをみて涙が出る程うれしく思ったものです。しかし、そのことよりも彼の記者会見であの謙虚な態度と素直な発言をみて、よくここまで成長してくれたものと保育者冥利にひたりながらうれしく思ったものです。

そもそも野茂英雄君とは池島保育園(園長西平久子)の第四期(昭和50年)の卒園児で彼の幼児期の保育にかかわってきたのですが、特別に目立つような児でもなく、ただ素直で気のやさしい児であったことが印象にあるのみです。この児のどこにこのようなすばらしい可能性が秘められていたのか今でも思いあたる節もないのですが、ただ何事も辛抱づよく最後までやりとげる根性が野球選手として彼を成長させたものだと思うのみです。

今日も保育園の園庭では黄声でしゃぎまわる園児たちの姿をみていると、この児たちもみんな素晴らしい可能性を秘めながら一日一日を成長していくのだと思うと、これからもこの児らの可能性を信じ、そして大切に「心づくりと体づくり」にはげんでいかねばと思う日々です。