「実録プロジェクト 沖縄抗争篇Ⅱ 893XX」(2004ハッピーナインAZABU)
近くのビデオ屋さんで100円で購入。清水宏次朗、いとうまい子がレポーターで沖縄やくざ戦争の生き証人(金城正雄、花城松一、中村實、糸数幸昌)にインタビューしている。現在の旭琉会の代紋の真中に琉の字をいれて、沖縄連合旭琉会の代紋としているのは面白い。

null
写真中央・又吉世喜

1950年10月14日『うるま新報』「12日、本部町伊豆見出身RTBカンパンガード住込の喜舎場朝信(28)らが那覇区の旅館美島荘にて女給の横山菊江(21 名瀬出身)と冗談から口論となり、喜舎場が暴力で菊江をショック死させる。」
1961年 コザ派、又吉世喜を家から連れ出し、西原飛行場で全治2か月の重傷を負わす
1962年1月 又吉世喜、多和田真山(29)ら3人を監禁し「那覇派につけ」と強要

1963年3月『月刊沖縄』「殺し屋に殺された暴力団」

1964年 コザ派、山原派と泡瀬派に分裂
1965年2月 泡瀬派の喜屋武盛一が山原派の上原秀吉に太腿を刺される 


1965年9月4日『琉球新報』「組織暴力」(1)~9月21日(15)9月5日(2)沖縄ヤクザー発生は敗戦ー戦果ーヤミ市

1974年11月ー『稲川会碑文谷一家襲名披露御芳名録』には沖縄関係は東亜友愛事業組合の常任理事の宜保俊夫だけ載っている。
null
null
null
1975年6月ー『四代目中政組襲名披露御芳名録』/これには、沖縄地区特別後援者御芳名として沖縄連合旭琉会(仲本善忠会長)が載っている。副会長は具志向盛、上間善一、理事長が又吉世喜、理事は多和田真山(元仲里昌和の配下で極南会の安富副会長刺殺)、翁長良幸、羽地勲、現在の沖縄ヤクザ界のドン富永清旭琉會会長は34人目、最後から2人目に理事として載っている。
1976年10月 大阪市大正区南恩加島の愛人宅で沖縄連合旭琉会会長の仲本善忠(49)が逮捕される。


髙山 清司/菱心会理事長。(たかやま きよし、1947年9月5日 - )は、六代目山口組若頭兼中部ブロック長、二代目弘道会会長、二代目髙山組総裁(初代組長)、旧弘田組若頭補佐.


3代目山口組内弘田組副組長のところに、現・6代目山口組の司組長の名がある。/1976年12月 山口組系大平組内上原組が那覇市安謝に代紋を掲げる 

1976年12月9日 『沖縄タイムス』

null
1978年 大島幸夫『沖縄ヤクザ戦争』(ルポルタージュ叢書11)晩声社

2代目旭琉会
多和田真山会長、理事長・座安久市、本部長・羽地勲、組織委員長・仲程光男、風紀委員長・新屋秀雄、幹事長・富永清、事務局長・金城正雄、理事・具志向盛、上間善一(以下略)/同時期の奄美には小桜一家奄美支部があった。支部長・上村隼人、若頭・太島忍
1987年
3代目旭琉会
翁長良宏会長、理事長・富永清富永一家総長、副会長・照屋正吉照屋一家総長、副会長・座安久市座安一家総長、本部長・仲程光男丸長一家総長、幹事長・上里忠盛上里一家総長、島袋為夫島袋一家総長、金城春男金城一家総長、泉操辻一家総長、新屋秀雄新和一家総長、伊波義雄伊波一家総長、与那嶺清嗣沖嶺一家総長、志慶真盛繁錦志一家総長、上原正孝2代目新天一家総長、呉屋栄信丸良一家総長、又吉茂夫誠義党総裁(以下略)
null
null
三代目山口組内大平組舎弟古川組沖縄支部→2017-6『週刊実話』「神戸山口組現役幹部(古川恵一二代目古川組長)が怒りの激白ーインタビューは尼崎市内の琉真会本部で行われた。」


旭琉会
2011年11月ー北谷町の上江洲丈二南洲一家総長宅で「旭琉會」発足
富永清会長、花城松一会長代行、上里忠盛理事長、高江洲良吉副会長、志多伯幸仁副会長、上江洲丈二本部長(以下略)、別格として最高顧問の羽地功功揚一家総長。

沖縄連合旭琉会代紋/バッジ

1981年7月4日ー神戸灘区篠原本町の田岡邸で「五分兄弟盃」
2012年12月27日『週刊実話』山平重樹「旭龍ー沖縄ヤクザ統一への道」
□次の瞬間、2人が目のあたりにしたのは、床に仰向けに倒れた新城喜史の頭に、ヒットマンが止めの銃弾2発を撃ちこんだ直後の光景だった。「ヤロ!!」富永清と上里忠盛が逃げようとする陽島に躍りかかった。上里が陽島の上着の袖口を掴んだが、陽島は上里にも一発銃弾を見舞った。この夜5発目となる銃弾は上里の左肩を貫通、上里は「ううっ」とうめいて、その場に頽れた。そのまま駆けだして逃げようと陽島を、富永も必死に追いかけた。
沖縄連合旭琉会の新城喜史理事長を射殺したヒットマンの日島稔の証言「1メートル四方ぐらいの柱に隠れていたら新城理事長が歩いて来た。2発撃つと、ひとりがテーブルから追いかけてきたので肩を撃った。撃たれた男は上里忠盛現理事長であった。」佐野本によると日島は重傷を負わせた上里現理事長から『ミノルは元気でやっているらしいな。頑張るように言うときよ』と人づてに励まされていたという。

○2014年8月13日、リブロの沖縄コーナーをのぞくと山平重樹『旭龍 沖縄ヤクザ統一への軌跡ー富永清・伝』幻冬舎が積まれてあった。以前『週刊実話』に連載したものだ。著者の書いたものを自宅の本棚から探すと、1987年9月『任侠』(野村秋介・推薦)ピラミッド社、1999年1月『残侠 会津小鉄・図越利一の半生』(猪野健治・解説)双葉社があった。『任侠』に「琉球の覇者/富永清」があるから著者は以前から富永会長とは親しいようだ。三代目旭琉会の側からは前出のビデオがそうであるし、本書は沖縄旭琉会の側から見た沖縄ヤクザを描いたもので、本書の末尾に「富永の本当の闘いこそ、これからなのだったー。」と書いているようにまさにこれからである。山口組3代目は病魔と兵庫県警の熾烈な追及で跡目を決めかねていたし、稲川会、会津小鉄は実子が跡目を継いだが病死した。

 旭琉會の富永清(とみなが・きよし)会長が2019年7月12日午後3時45分ごろ、沖縄本島中部の病院で死去した。

null


「従軍慰安婦」資料
1978年1月 石原昌家『虐殺の島ー皇軍と臣民の末路』晩聲社
1982年9月  大島幸夫『沖縄の日本軍』新泉社
1984年12月 沖縄エッセイストクラブ『群星』山川泰邦「従軍慰安婦狩り出しの裏話」
1986年6月 福地曠昭『哀号・朝鮮人の沖縄戦』月刊沖縄社

1994年12月 高崎隆治『100冊が語る「慰安所」・男のホンネ』梨の木舎
□この本は、本来この国の政府が調査研究すべきことを、私が代って行なった結果である。ここに集めた戦争体験者たちの記述はいかにも重い。解説や註を書きながら、同じ戦争体験者の一人として次第に気が滅入ってくるのを、私はどうにも払いのけようがなかった。おそらく著者たちは、書きにくいことを書く時の通例として、途中何度もペンを置き考え込んだであろう。私は著者たちの戦場の真実を伝えようとする態度とその勇気に心から敬意を表したいと思う。

1987年7月  海野福寿・権内卓『恨ー朝鮮人軍夫の沖縄戦』河出書房