上記の砂川さんが宮古出身の詩人を紹介していたので、『サンデーおきなわ』1971年11月6日に紹介されていた垣花秀武氏を思い出した。氏は沖縄二世であるが、同紙で「私の方法じゃあ、核燃料はできるけど、人類を破滅に導く原水爆は絶対にできない」と言いきる国際的な原子物理学の権威である。また「正直にいって私の意識の中には、沖縄というイメージはなかった。自然科学者の宿命というか、私たちは未来だけを見つめる。生まれや人種なんかどうだっていい。私はそう思っていた。だが一昨年、生まれて初めて沖縄を訪れたとき美しいと思った。空から島をながめて先ず、ギリシャのクレタ島を思い出した。父が師範学校を追われて(学生運動で、ちなみに大浜信泉はラブ・レター事件で退校)以来、半世紀ぶりに垣花の人間が帰ったというのに、だれもが暖かった。」と発言している。氏の略歴は、一高から昭和19年、東大理学部卒。戦時中は仁科博士のもとに理研で湯川秀樹、朝永振一郎らと原子物理学を研究した。戦後は東大助手をへて、量子科学でウィーン大学客員教授、ストックホルム工科大学教授、アメリカのアイオワ大学原子力研究所などに招かれる。

垣花秀武 かきはな-ひでたけ
1920- 昭和-平成時代の核化学者。
大正9年6月8日生まれ。昭和33年東京工業大教授となり,52年から国際原子力機関次長もつとめる。55年名大教授,同大プラズマ研究所長。のち上智大教授。ウランの新濃縮法や海水からのウラン採取法を開発。またキリスト教思想を研究する。日本海水学会会長。東京出身。東京帝大卒。著作に「エネルギー資源」「奇会―新井白石とシドティ」など。(→コトバンク)

2011年4月 ジョージ・W・ブッシュ/伏見威蕃『決断のとき』日本経済新聞出版社
□江主席は慇懃に話を聞いていたが、北朝鮮は自分の問題ではなくアメリカの問題だと告げた。「北朝鮮に影響力を行使するのは、いたって込み入ったことなのですよ」といった。数カ月間、なんの進展もなかったので、べつの方向から説得することにした。2003年1月、北朝鮮に核兵器開発をつづけさせれば、日本ーアジアにおける中国の歴史的な競争相手(ライバル)ーが核兵器を開発するのを止められなくなると、江沢民主席を説いた。「おたがいに核兵器競争が起こらないように協力する立場にありますよ」私はそういった。


2012年1月 「NHKスペシャル」取材班『”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実』光文社
□垣花秀武氏は戦時中、理化学研究所の仁科芳雄博士のもとで、原爆製造研究(通称「二号研究」)に携わっていたことでも知られ、戦後は核物理学者として、ウランの濃縮法に関する研究などを手がけたほか、(日本人として始めて)IAEA=国際原子力機関の副事務局長(1977~80年)も務めている。垣花氏は、内閣調査室の研究の中で「技術的には可能であるが、(核は)持つべきではない」と主張したという。


2012年10月22日『琉球新報』社説□被爆国として矛盾だー相矛盾する態度を続けていれば、いずれ国際社会から相手にされなくなる。16カ国が国連に提出した核兵器の非合法化を促す声明案に対し、日本政府が署名を拒否したことが分かった。声明案は核兵器の非人道性を強調する内容だ。日本は19年連続で核兵器廃絶決議案を国連に提出している。それなのに、核兵器の非合法化は認められないというのは明らかに矛盾だ。今からでも遅くない。むしろ率先して署名し、非合法化の波を強力に広げる努力をしてほしい。日本政府が署名を拒否したのは、「米国の『核の傘』の下にいるという政策と整合性が取れないから」だという。
(略) 
そもそも米ロ英仏中など、既に核を持つ国々が「自国は持っていてもよいが、新たに別の国が保有し始めるのは許さない」と主張するのは論理的に破綻している。現に核を保有する国がある以上、新たに自らも核を持とうとする国が登場するのは避けがたい。核保有を非合法化しなければ、究極的には核の拡散防止は不可能なはずだ。核廃絶を決議しようというのならなおさらだ。声明に背を向ける米国の姿勢もおかしい。オバマ大統領は「核なき世界」を提唱したのではなかったか。「具体的な措置を取る」という自らの発言にほおかむりを続けるのは無責任すぎる。言うまでもなく米国は最初の核開発国で、実際に兵器として使った唯一の国だ。特別の責任があるはずだが、国際的に高まる核軍縮の機運に同調するどころか、むしろ「抵抗勢力」になっているようにすら見える。一刻も早く今の姿勢を転換し、「核なき世界」の提唱を有言実行してほしい。