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写真左から上地兼恵氏、國吉貴奈さん、平良知二氏、金城美奈子さん、新里正次氏

2013年2月8日~4月14日 沖縄県立博物館・美術館「マリー・アントワネット物語展」
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フランス革命ー王政からギロチン恐怖政治へ
フランス革命とは、極右学者で何かと物議を醸している中川八洋筑波大教授『正統の哲学・異端の思想ー「人権」「平等」「民主」の禍毒』(徳間書店1996)によると、「フランス革命という歴史(歴史上の行動)がなければ、マルクス・レーニン主義を構築する狂った発想も勇気ももちえなかったそのことにおいて、フランス革命とは、この『悪魔の宗教』創造における役割はとてつもなく大きいというより、フランス革命こそその原点であり源流の礎である。」と言い切っている。マリー・アントワネットフアンの私としてはこの意見だけには同調する。

 本城靖久・渡部雄吉『紀行フランス革命200年』(新潮社1989年5月)に「1792年の対オーストリア宣戦布告に始まり1815年のワーテルローの敗北で終る戦争と革命の時代に、200万人のフランス人が生命を失った。1789年当時のフランスの総人口が二千六百万だから、大変な損失である。おかげでそれまで覇権国であったフランスは、イギリスにとって換られてしまった。」「1793年、革命裁判所は93年3月に国民公会によって創設された。93年10月3日、国民公会はマリー‐アントワネット 王妃の裁判の開始を決定した。そして16日の朝4時、外国と共謀して共和国に反逆を企てたとして死刑(ギロチン)の判決が下された。この裁判を指揮したのは冷血漢といわれた検事のフーキエ・タンヴィル。(略)この検事は政変から」5日目に逮捕、大虐殺の責任を問われて死刑の判決。裁判官6人のうち3人と出廷した証人のうちの14人はギロチンにかけられている。そして3人の証人は横死しており、陪審員12人のうち革命を生きのびたのはたったの3人である。」とある。

関連し連想するのがアメリカの南北戦争である。1852年、黒人奴隷の惨状をストウ夫人が『アンクル・トムの小屋』で描いた。聖書に次ぐベストセラーになり南北戦争の発端をつくった。戦争は、お互いにあらゆる国力を投入したことから、南北戦争は世界で最初の総力戦のひとつだった。最終的な動員兵力は北軍が156万人、南軍が90万人[7]に達した。両軍合わせて62万人(北軍36万人、南軍26万人)もの死者を出し、これはアメリカがこれ以降、今日まで体験している戦役史上、最悪の死者数である。(ウィキペディア)

アメリカ兵士の主な戦死者
独立戦争・・・・・・・1万2千人
第一次世界大戦・・11万2千人
第二次世界大戦・・32万2千人
朝鮮戦争・・・・・・・・5万4千人
ヴェトナム戦争・・・・5万8千人

マリー‐アントワネット 【Marie-Antoinette】
[1755~1793]フランス王ルイ16世の妃。マリア=テレジアの四女。浪費癖と無思慮な行動で民衆の反感を買い、フランス革命の際、国外逃亡を企てたが失敗し、革命の敵として処刑された。(→コトバンク)



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