与那覇勢頭豊見親逗留旧跡碑】(よなはせどとみおやとうりゅうきゅせきひ)所在地:上之屋201
与那覇勢頭豊見親は、1390年、宮古の人ではじめて中山に服属した人で、それによって宮古の首長に任じられました。
 ところが言葉(方言)が通じないので、一緒につれてきた部下達の中から20人を選んで学ばせました。彼らは3年で言葉が通じるようになり、国王への貢物を自ら納めることができ、宮古に帰る時には王城内で送別の宴を賜ったといわれています。
 豊見親の部下で高真佐利屋(たかまさりや)という者がいて、故郷が遠く離れているので望郷の念にかられ、毎夜泊の後方にあった火立屋(ヒータティヤー)に登ってアヤグを歌ったりしたので、村の人たちはこの地を高真佐利屋原(たかまさりやばる)と呼んだといいます。碑には、「その後屋敷跡は人手に渡ったので、与那覇の子孫がこの地を買い求めて記念碑を建て、礼拝の場所にするため白川氏正統14世恵政が上国の時、1767年、この碑を建てた」と記されています。(オキナワン ネイチャー BOY)