津波古政正(東国興 1816年8月21日~1877年)

null
2010年8月5日、昼、ジュンク堂那覇店に名城政次郎氏が居られた。那覇市歴史博物館で名城氏の曽祖父(名城政快)の死亡広告を偶々目にしてその話をしたらコピーを依頼された。早速、那覇市歴史博物館でコピーしFAXで送った。私は2003年11月22日『沖縄タイムス』「うちなー書の森 人の網⑪」に名城政快の息子・政成について、名城政成は1893年9月15日午前9時30分、那覇港からの球陽丸で沖縄県尋常師範学校の九州修学旅行に大城彦五郎、名嘉元貞一、親泊朝擢と共に政成も参加している。政成は那覇尋常高等小学校で教鞭を執ったあと台湾に渡り10数年、教育界で奔走。その後に那覇の甲辰小学校校長に就任。政成の長男・政雄は1918年に沖縄県立一中を卒業、同窓に大城俊彦(大城彦五郎長男、医師)、武元朝朗、富川盛蒲(医師)、当間重民らがいる。名城政雄は政成の影響もあって台湾で教師を勤め戦後、那覇区教育委員、那覇尚学塾長の傍ら週刊『新琉球』を発行した。2男の政次郎氏は台湾で生まれた。甲子園で優勝した沖縄尚学高等学校の校長として著名である。

1984年ごろ沖縄の図書館史を調べていた。その過程で那覇市安里の具志堅政冶氏(沖縄タイムス相談役)を知ることになる。具志堅氏は大正9年4月、当山正堅の紹介で沖縄図書館に助手として採用された。この図書館勤務は大正14年の春まで続いた。伊波普猷館長が退職し上京するとき伊波の紹介で当真嗣合の沖縄朝日新聞に入社。具志堅氏には『紙ハブ小のたわ言』(1982年1月)の著書がある。その中の「東姓もんちゅう物語」で尚泰王の国師だった東国興・津波古政正を紹介、また「東姓小宗名城一門系図」に書かれた序文も収録している。2冊目の『続・紙ハブ小のたわ言』(1985年10月)では「東姓の始祖」と題し漢那憲和(海軍少将)も東姓と紹介している。