緑林古書目録

2003年7月12日『沖縄タイムス』新城栄徳「うちなー 書の森 人の網①」
「大宅壮一と沖縄」を話題に歓談
私は1971年の初め、西平守晴主宰する大阪・沖縄関係資料室で本格的に資料収集に取り組んだ。そのときの手引きが沖縄タイムス紙上に連載された崎原恒新「沖縄地方文学史」と新城安善「郷土のドギュメントを探る」で、それは知的好奇心を十分に満足させるものであった。以来、大阪・中之島図書館で新聞のマイクロフィルムや雑誌から「ウチナー」に関連する記事、広告を抜き出すことが習慣になった。

そこから分かったことを88年4月、緑林堂『琉球弧文献目録』6号に諸見里朝鴻、佐々木笑受郎、宮田倉太の顔写真を付けて「沖縄出版文化史ノート(戦前篇)」として、6月に『新沖縄文学』76号に「近代沖縄の新聞人群像」として発表した。これらを基に活字文化と人物を主にして話を展開していきたい。

資料室の西平守晴さんは石垣出身でいとこに西平守栄南西印刷社長がいたので印刷所に団体記念誌、機関紙・誌などをもらいに行った。その同郷の津野創一氏の『青い海』創刊に私も参加した。経緯については『沖縄を深く知る事典』に記してあるので割愛する。私は84年に『琉文手帖』で、「文人・末吉麦門冬」を特集した。86年、石垣市の旧家に嫁いでいる麦門冬の娘・石垣初枝さんの誘いをうけ初めて八重山に遊ぶ。この時は上江洲儀正氏がいろいろと案内してくれ竹富島まで行った。


左から石垣繁氏、比嘉政夫氏、武石和実氏