nullnull

写真ー左が田名宗相(父・宗經、童名・真太郎/唐名・梅宏昌、室・貝氏渡嘉敷唯法の娘/後室・岸本賀昌の母の姉)/梅氏系図

太上感応篇大意/喜舎場盛元撰

 本資料は、周鼎臣によって編纂された中国の勧善書を集めた福建版敬信録の『太上感応篇』を祖本に、琉球の喜舎場盛元が抜粋して和訳し(1831年序)、魏氏運天常行の書を元に田名宗経・宗相父子よって1858年に刻字、版行されたもの。『太上感応篇』は中国でもっとも代表的な勧善書で、密かに善行をつめば自己や子孫に果報を招き、悪行をすれば早死するなどの儒教的善行の勧めを説く。琉球へは19世紀初頭に伝来したといわれ、跋文によれば、撰者喜舎場は広く流布させることを意図していたが、書写の煩によって普及が芳しくなかったため、田名宗経・宗相父子によって刊行されたとその経緯が記されている。刻字・版行を行った田名父子は首里王府時代を代表する彫刻家として知られている。  →琉大附属図書館


1963年に卓氏久田家一門が発行した『卓姓家譜』がある。中の六世友恵のところに「1756年12月、絵師となり親雲上の位に任ぜらる。1758年12月、絵師の交代期限だが絵師がいないと差し支えるから仲里筑登之と延期になった。」また友恵の長男七世友兄のところに「1780年2月4日、絵師となり筑登之座敷に任ぜらる。1781年12月、絵師期限交代の延期を命ぜらる。1787年8月22日、奉 憲令 皇上御筆□[古稀天子之宝ー海邦濟美]御額金 金+希 繪(額の枠に金の模様絵の図案)夙夜励心力公務全竣1796年11月、久田筑登之友兄には此の程尚穆様尚哲様の御肖像画をはじめ尚円王様以来の御肖像画の御扣として二通を描き上げ相納め致したことで御褒美(上布一疋)。」

関連
□1980年3月『沖縄県史料 尾崎三良/岩村通俊 沖縄関係史料』「尾崎三良ー琉球行日誌 明治15年8月12日 中山世土/輯瑞球陽/永祚瀛壖/海邦濟美/海表恭藩/同文式化/屏翰東南/弼服海隅/瀛嶠藩 以上但沖縄志其他ノ書ニ見エス依テ殊ニ之ヲ記ス」

□1995年8月 沖縄テレビ放送編『よみがえる戦前の沖縄』沖縄出版「148㌻ー忠順可嘉(尚真王即位三年 大明成化十五年 明第9代の成化皇帝より賜る)」→『中山世譜巻六』「遺老傳云。忠順可嘉。四字匾額。此時賜之.。」