昭和初期の美術文学の団体や戦争協力については責任ある立場の人物なら、当然に戦争責任の一端はあるだろう。敗戦後は「一億総懺悔」という言葉があったようだが最近は死語になっているようだ。2007年の沖縄戦の集団自決を巡る教科書問題、2003年の東京都教育委員会の日の丸・君が代通達、2011年の大阪府の日の丸・君が代条例らが続出、現在は日米両政府でオキナワに新基地を押し付け、衆院本会議では戦争法案が審議入りしている。もはや「戦争責任」は死語と化している。1945年7月26日のボツダム宣言に「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである」と述べられているが、現在はアメリカが社会主義国顔負けの軍国主義でオキナワの自由と民主主義を弾圧、日本との密約で世界征服に乗り出すようである。そこで、私も気をよくし昭和初期の文人たちを紹介する。

1934年1月1日『南島』弟9号 石川正通「比嘉俊成を語る 琉友素描・その1」
  (略)潤一郎対春夫の諸相は不思議にも俊成対正通のそれに似通って居る。幸田露伴の如き老大家はさておき、今の文壇の中堅大家のうちで最も漢学の素養の深いのは志賀直哉、谷崎潤一郎、佐藤春夫の3人である。死んだ芥川龍之介も死んだ末吉麦門冬のやうによく漢文が読めた。沖縄には真境名図書館長や京都の崎山先生のやうな漢学の大家が居られる。

1934年8月1日『南島』弟13号 石川正通「友の首途を祝して故郷を語る=武元朝朗・国吉休微 両君を叱咤する=」
 朝朗君、休微君 御互に鉄砲丸の様に御無沙汰を続けて居たね、不精は吾々にとっては遺伝なんだからせいぜい筆不精の限りを尽して居る事が先祖に忠なる所以かも知れない。(略)最近出た某書店の百科辞典を引いて見たが、おもろ、蔡温、程順則、尚泰侯等も出て居ない。澤田正二郎、田健次郎等は写真まで出て居る。土田杏村が第二の萬葉集と言った『おもろ』も国語国文学校の士にすら全般的に知れ亘って居ない。沖縄はまだまだ紹介しなければならない、風物も文化も県人が思って居るほど知られていない、いい気になっては駄目だ、それにつけても人物の欲しさよ。君達は君達の方面で第一人者に成ってくれ、自愛自重せよ、頼む。