2015年7月22日~8月31日 古代出雲歴史博物館「琉球王国ー東アジア交流の盛華」琉球王国のすべてが出雲に集結

出雲/島根県と沖縄

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前列左から前田所長、當間次長、兵庫県人会婦人部ー大城一史の作品を背景に

沖縄県大阪事務所は前田所長、當間次長のとき(1980年)島根県ビルから大阪駅前第3ビルに移転してきた。だから梅田に行くと島根県事務所もよく寄るが、島根(出雲)はまだ行ったことがない。熊野は熊野本宮大社だけが残っている。1937年7月の『月刊琉球』に沖縄県総務部長の清水谷徹が「王仁三郎を捕ふ」というのを書き「元来、島根県は松江市は有力な大本教の地盤で、その大本教松江分院なるものが、また素晴らしく豪奢なものであった。面白いことには、その隣りが皮肉にも島根県警察部長官舎で、当時私が住んでいた訳である。」と述べている。私は最近、千田稔『華族総覧』講談社を愛読しているが、島根県・亀井家を見ると「王政復古以後、議定、神祇局副知事となり、同局判事に大国隆正を登用した。まさに津和野藩主主従が宗教行政を握ったかであり、廃仏毀釈で神道国教化政策を推進した。(略)亀井家では西周が亀井玆明の養育を担い、森林太郎も同世代として玆明と交流した。日清戦争が勃発すると、亀井玆明は祖先玆矩が琉球守として外征の大志を抱いたことに触発され、従軍写真家として中国に赴く。のちに『明治廿七八年戦役写真貼』を皇室に献本した。」とある。



○森鴎外記念館もりおうがいきねんかん 島根県津和野町町田イ238 電話番号 0856-72-3210
営業時間 9時~16時45分  定休日 12月~3月中旬の月曜(祝日の場合は翌日)
料金 入館600円(森鴎外旧宅の見学料含む)  アクセス JR津和野駅→石見交通バス鴎外旧居・長野行きで7分、バス停:鴎外旧居前下車、徒歩3分
森鴎外旧宅に隣接して立つ記念館。軍医であり、文学者でもあった鴎外の生涯を、遺品や直筆の原稿、ハイビジョン映像などで紹介している。鴎外は、幼くして『論語』や『孟子』を学び、天才少年の誉れ高かった。7歳から2年間、養老館で学び、10歳で上京し、その後、鴎外は陸軍軍医となり総監に就任。そのかたわら『舞姫』『山椒大夫』『阿部一族』など多くの小説を著した。鴎外が妻や子どもたちに宛てた書簡や、日記も展示。

○安部榮四郎記念館ー〒690-2102 島根県八束郡八雲村東岩坂1754 ☎FAⅩ(0852)54-1745
安部栄四郎 あべ-えいしろう
1902-1984 昭和時代の和紙製作家。
明治35年1月14日生まれ。出雲国(いずものくに)製紙伝習所で修業し,家業の和紙づくりにはげむ。昭和6年柳宗悦(むねよし)と出あい民芸運動に参加,雁皮紙(がんぴし)の特色をいかした出雲民芸紙を創作。43年人間国宝。昭和59年12月18日死去。82歳。島根県出身。著作に「出雲民芸紙譜」「和紙三昧(ざんまい)」など。(コトバンク)




安藤三蔵(仁義社)

平成4年12月「第125回国会予算委員会」
○北村哲男君 別の質問に移りますが、証人は地元島根県の右翼団体尊皇塾仁義社というものを知っておられますでしょうか。あるいはそこの代表者の安藤三蔵という方を知っておられますでしょうか。
○証人(竹下登君) 安藤三蔵さんは亡くなられた方でございますが、北方四島、特に島根県は竹島問題がございますので、それのキャンペーンをたびたびやっておられた団体であり、そしてその要望書を一日内閣のときか何かに、私から渡してもらえぬかというようなお話があったことを覚えております。
○北村哲男君 もう一点ですが、その安藤さんの団体に対して竹下事務所から相当の援助がなされておった、あるいは会費、協賛金のようなものが出されておった、あるいはその安藤さんの一家に対して酒屋の免許を与えるとかという便宜を図られたとか、そういう親しい関係、あるいは逆に、安藤さんは竹下親衛隊と言われたぐらい竹下さんの立場をお守りになっておった右翼団体であるというふうなことを御存じでしょうか。
○証人(竹下登君) 安藤さん、仁義社というのは、私は、右翼団体という言葉が適切であるかどうか別といたしまして、国家主義、民主主義を標榜する政治結社の一つであるという認識はあります。が、それに対して私が特別な援助をするとかいう立場にはなかったというふうに思います。