「東京琉球泡盛商一覧」(1933年3月5日ー大宜味朝徳『南島』第三号)
麹町区
飯田町1の9-嵩原安智/丸の内丸ビル2階264-恩河朝健
神田区
淡路町2の15-宮城清/錦町3の16-鵜木清治/北神保町17-二幸商店/松富町1-前里宗恭/五軒町35-亀島靖治/鍋町201-比嘉林繁/美土代町1の2-加納太三次/今川小路1の1-瀬長カナ/榮町2-儀間偸/西小川町2の5-吉岡宏/北神保町17-高島喜代治
日本橋区
鉄砲町24(眞人園)-山田眞山/蠣殻町(うるま)ー松山清之丞
京橋区
槇町3の5龍宮園ー宜保友厚/八丁堀4の2-渋谷三郎/八丁堀3の6-嘉手苅信世/月島通り1の7-新垣清次郎/湊町1の6南国屋ー伊藤辰巳/湊町1の3の3-入江藤五郎□「私は琉球泡盛を取り扱ってから30余年になるが、(略)何といっても泡盛の黄金時代は明治30年ごろから明治38,9年の日露戦争直後の頃であった。日露戦争の時には泡盛を火薬の原料にすると云うので僕は海江田の代人として三萬圓の保証金を陸軍に供託して泡盛を陸軍に納入したのであるが其のときは容器が不足し阪神から酒樽を買い集めて沖縄に送りそれに泡盛を詰め込んで直航船で輸送したものである。火薬の原料であるから色とか香には頓着なく45度の度さえあればどしどし納入出来たものであるから愉快なものであった。(略)泡盛が今日の如く盛大になったことは鹿児島商人の力もあづかって大きい。初め東京に鹿児島の商人の手を経て売り込んだもので、鹿児島の商人は沖縄の酒造家に米を供給し其の代償に酒を受け取っていたので応でも之を売り捌かねばならぬので、盛んに宣伝したものであった」/新富町2ー田島清
芝区
新橋7の2-北浦未次郎/琴平町31-宮城邦英/金杉町4の10-田里丕顕/浜松町2の2-小堀幾志/浜松町市電停留所前ー未廣屋泡盛店/浜松町13の7-根路銘安昌/札ノ辻市電終点際ー宇崎市蔵
麻布区
龍土町32-森川清次郎
小石川区
江戸川町1春海ー宮城新保/新諏訪町1-有岡豊次郎/柳町11うるまー渡邉亀吉/大塚坂下町187三喜ー坂本トヨ/音羽町1の8-石川甚太郎
本郷区
駒込蓬莱町5-大宜味朝徳/駒込千馱木町218-山口光輝/台町2-漢那朝常/駒込曙町17-本部朝基/元町ー太田洋酒店/根津八重垣町20三金ー關ハル/真砂町37-和田榮次郎
下谷区
金杉下町105-亀島商店/竹町131-崎原嘉子/上車坂2-三島支店/御徒町1の56-松永美三/竹町12-儀間新/谷中初音町4の187-松島泡盛店/上根岸58-王冠泡盛店
浅草区
東仲町7-道政清次郎/北清島町25-小泉元松/七軒町2-外間則榮/山谷4の5-國吉眞善/千束3の146-三島支店/吉原裏門前ー佐原屋洋酒店/向柳原町1の11-小笠原ヒロ子/田中町72沖縄屋-矢賀宗友/新谷町12-スタンド呑樂/松清町4-寺田庄一

本所区
松井町2の1-平敷安用/亀澤町3の1ー川原田歳雄/緑町274-浦崎政永/江東橋町1の4寶屋ー久馬清光/吾妻橋2の1-宇辰重直/石原町4の26-小關信四郎
深川区
安宅町7電本1235-川村禎二/牡丹町3の11-新垣商店/東森下町40-山田利喜造/東森下町109-崎山喜昌/石島町163-平良幸盛/永代町1の10-屋宜盛繁
豊島区
巣鴨町2の34-金城時男/駒込6の535-山川喜蔵/駒込市電車庫下うるまー原口三次/巣鴨町3丁目ー増田屋泡盛店/池袋891-越中屋ー清水安次郎/駒込ー北島藤光
品川区
大井権現町3724-砂川泰教/東大崎居木橋際うるまー玉川庄右衛門
澁谷区
幡ケ谷本町679-仲本宗厚
中野区
打越25-上里参治
板橋区
清水町163-石川静子
淀橋区
東大久保290-河村高矩 /戸塚町3丁目うるまー杉本信夫/百人町うるまー北島三代吉/目黒区上目黒2の1963-照屋林仁
足立区
千住中居町6-小島金康
荒川区
南千住2の78-小林友次郎/北千住本町2の5-山盛泡盛店/南千住町2の76-鈴木長吉/日暮里旭町2の92-折原由太郎
瀧ノ川区
田端町380-八藤勅山/西ヶ原694-島田正義
荏原区
戸越350-大久保志郎
江戸川区
小松川2の60-今井清松/小岩町1の1288-三島支店

nullnull

nullnull

nullnull

nullnull