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Category: 04-書の森
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当山昌直氏/2018年3月 『沖縄史料編集紀要』第41号 当山昌直・稲福政斉・早瀬千明「戦前の那覇市における鍛冶屋の暮らしの一例ー新たに確認された鍛冶神の絵像についてー」


2019年3月 『沖縄史料編集紀要』第42号 当山昌直「沖縄島国頭村辺野喜の動植物方名とその利用」〇動物方名語彙ー001.じゃこうねずみ 方名:ビツ 分類:リュウキュウジャコウネズミ 聞取:少ない。臭い。猫も食べない。鳴くといいことがあると言われた。/024.やんばるくいな 方名:アガチ 聞取:山にいる鳥類はみんなヤマドゥイといった。アガチといったらこれのことですぐわかる。1回だけ食べたことがあるが、なかなか採れない。辺野喜周囲にもいっぱいいたが最近は減ったような感じ。ダムの周辺に田んぼがあったが、稲を食べに出て来た。

 『貝寄風』新城栄徳「琉球の風 第8回」は2007年11月発行で、オカヤドカリ研究家の当山昌直氏の収集した坂口總一郎資料にふれ、飯倉照平氏との出会いも記した。「麦門冬は随筆に『蘇鉄』が沖縄から中国に渡ったという説は五雑俎に出て居ります。慶良間の伝説とは反対になって居ります。沖縄の地中から蘇鉄の化石でも出れば自生説が確実となります」と麦門冬が文人の視点で書いていることを記した。  

大正12年3月 『沖縄タイムス』莫夢生(末吉麦門冬)「春景雑筆ービーチャー」

3月5日の新聞に「七高教授の日野光次さんは琉球鼠の悪臭は異性を呼ぶ為」記事を見て麥門冬は「ビーチャー」を書いた。
○琉球鼠と呼ぶなら下に必ずビーチャーと添名しなければならぬ。琉球にはビーチャーの外に普通の鼠もいるからである。単に琉球鼠と云ったのでは琉球にはこの悪臭を発する眼の小さい鼠しかいないようで変だ。どこまでも琉球は違っていると人に思わすのも面白くないからである。


1984年8月 池原貞雄・与那城義春・宮城邦治・当山昌直『琉球列島動物図鑑1陸の脊椎動物』「ジャコウネズミ(ビーチャー)」新星図書出版

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 新作「柿を食らう岩獅子」を紹介いたします。税込 ¥9000
この柿を食らうシーサーの姿態に、可笑しみを覚え、下手ながら四首作ってみました。

柿食らう 猛暑にイラつく 岩獅子か

炎天下 柿丸かじり 岩獅子や

 猛暑日に 柿かじりたき 気分かな

 驚破事ぞ 獅子が柿を食っている


年々地球が暑くなっているのか、「今年はとっても暑いですねー」との会話をよく耳にします。その暑さにワジワジした岩獅子が柿にかぶりつく奇想天外なイメージですが、途中、柿の季語は?と調べてみましたら、秋とあり、「ありゃ、しまった」。それもこれも暑さのせいにして「まっ、いいか」。自由律俳句ということにしてスルーします。
   
   末吉陶器工房  098-887-6217
   携帯電話    080-3966-0445
   メールアドレス qqxd9ey9k@theia.ocn.ne.jp

 




 

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お盆前、BOOKS じのんで渡久山朝章『周遊快々 片雲有情』を買う。
2012年3月18日『沖縄タイムス』30面「高江判決を問う(下)比屋根照夫さん『規制の網 戦前を想起』/31面「32軍壕問題で学習会ー鉄血勤皇隊師範隊として壕掘りをさせられた渡久山朝章さん(83)読谷村などが従軍慰安婦について証言した。」
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2013年9月14日『琉球新報』(ジュンク堂那覇店は新聞に書評が出ると、書評本のところに並べるはずだが在庫が無いので並べてない。)

 タイミングよく本ブログで平良リヱ子さんをアップしたばかりでこの評伝の登場である。神様の引き合わせというべきか、ちなみに著者は神主さんでもある。先ず評伝の基礎資料というべき写真が豊富である。これだけでも本書の価値は十分だが何より著者と平良りヱ子さんとの交流が昭和28年12月以来だから驚く。評伝を書くのに平良さん本人以外にこれ以上の適任者は居ないであろう。欠点をいうと、写真のキャプションの誤植が少々あるのと、リヱ子評伝だから当然ではあるがトラブル問題の殆どが平良さん側の肩を持っていることだろうか。ジュンク堂那覇店をのぞくとこの本が無いのでここで紹介する(2013年9月7日現在ー1冊。じのん□TEL:(098)897-7241 )には在庫がある。この本で岡本太郎、本田安次、鎌倉芳太郎など東京での学者・文化人とリヱ子さんとの交流が活写される。


2013年7月ー宮﨑義敬『繚乱の人』展望社(東京都文京区小石川3-1-7 エコービル202 ☎03-3814-1997)



同書よりーサントリー美術館で中央に平良リヱ子、左に森政三①、右に岡本太郎、鎌倉芳太郎,金井喜久子、矢野克子が並ぶ
□①森氏の娘・美和子さん来信「父は結婚が遅く 私は孫といっていい程 年の離れた子ですから中年の頃の父も知りませんが ご指摘下さった人物は父のようでございます。人間国宝の鎌倉芳太郎先生のお話を母にしていました。」


2013年9月22日『琉球新報』宜保榮治郎(元国立劇場常務理事)「綾乱の人ー琉舞の才能 東京で花開く」


宮﨑義敬『繚乱の人』展望社よりーサントリー美術館で中央に平良リヱ子、左に森政三①、右に岡本太郎、鎌倉芳太郎,金井喜久子、矢野克子が並ぶ
□①森氏の娘・美和子さん来信「父は結婚が遅く 私は孫といっていい程 年の離れた子ですから中年の頃の父も知りませんが ご指摘下さった人物は父のようでございます。人間国宝の鎌倉芳太郎先生のお話を母にしていました。」


2015年5月『なのはな』10号 平良リヱ子「病い」
2015年6月19日『産経新聞』平良リヱ子「別れ」
2015年7月『波濤』№260   平良リヱ子「グランドを駆け回る児ら窓越しに眺めておれば心しずまる」「わが詩の掲載されたる朝刊に目を疑いてくりかへし見つ」
2015年8月『波濤』№261  平良リヱ子「リハビリに通う日課も楽しかり加齢の友らと癒しのサロン」「老いの身に孤独のしみいる雨の夜はうからの電話に心癒さる」

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□先ず歌によって彼の性格を想像すると面白い熱烈奔刹那的心熱主義の若い美しい女で彼はあったらしい。気の荒い大胆な粗大朴茂の元始的美人を想像すればやがて彼であらう。恩納の山間に育って山姫の如く天真にして露骨なざっくばらんな豪放な女であったらしく彼は思われる。人為的束縛習慣的桎桔に身を煩はれない自由なる自然児として鳥の如く歌い獣の如く眺ぬ廻る境界に彼は仲間と共にあった。そして其仲間中の代表者として彼は随分権力を振るったであろう。彼は仲間の男女間に尊信と畏怖とを有たれていたであろう。それは紫式部や清少納言が平安時代の宮廷の男女間に尊信と畏怖を維持していた彼らの勢力と同じ勢力であったらう、女じゃと軽蔑されるような世界にあんな偉い女は育たない。

□波の聲もとまれ風の聲もとまれ首里天加那志美御機拝ま ナミヌ クィン トゥマリ カジヌ クィン トゥマリ シュユイティンガナシ ミウンチ ヲゥガマ
の作のあるのも偶然ではない。波の聲も友達の聲の如く彼の耳には響く。それ程彼は自然と親しい、そのかわり又彼は首里天加那を尊崇することの深き忠誠の念に富んだやさしい無邪気な女性でもあったけでども彼の勝気な性質は時に反抗的精神を注溢せしめて
□恩納松下に禁止の牌の建ちゅす戀ひ忍ぶまでの禁止やないさめ ウンナ マツィシタニ チジヌ フェヌ タチュスィ クイシヌブ マディヌ チジヤ ネサミ
などと云って時の内務省を嘲奔したりした。丁度与謝野晶子が文藝取締に就いて今の内務省の処置に不平して妙な歌を作ったのと同じ格である。

□僕は岩野泡鳴氏①の「半獣主義」の中に紹介してあるエマーソン②の自然論を瞥見して或る暗示を与えられた其れにこんな事が云ってある「天才が一たび高尚な情操を潜って叫び出せば山河も鳴動する草木も感泣するこういう力を得てから初めて人心を制服することも出来るまた慰籍することも出来る」云々と僕は恩納なべの名を以て伝誦さるる歌の一々にこの天才の高尚な情操より来る叫びを聞きこれらの歌に山河も鳴動せしめ本草も感泣せしめる底の力を感することが出来る

①岩野泡鳴 【いわの・ほうめい】
生年: 明治6.1.20 (1873) 没年: 大正9.5.9 (1920)
明治大正時代の詩人,作家。本名美衛。他の筆名に白滴子,阿波寺鳴門左衛門など。父直夫は阿波藩蜂須賀家の江戸詰めの直参岩野家の婿養子。母はサト。淡路島の洲本生まれ。洲本小学校,私塾を経て,明治20(1887)年大阪の泰西学館に入学。伝道師にならんとして洗礼を受けるが,21年に父と共に上京し,明治学院に入学。22年専修学校(専修大学)入学,24年には押川方義を頼って仙台神学校(東北学院)に赴き,同校教師になろうとしたが,試験の結果1年に編入させられ,26年まで在籍。27年に帰京,「魂迷月中刃」を発表するがあまり反響はなく,28年竹腰こうと結婚。31年肺結核にかかり,療養をかねて32年に滋賀県大津市に移る。英語教師をしつつ,34年詩集『露じも』を自費出版。35年東京に戻り『明星』に参加して創作活動を展開,36年には『明星』を出て相馬御風らと東京純文社を興して『白百合』を創刊。詩人として活躍するが,39年から小説に主力を注ぎ,「耽溺」(1909)で自然主義作家としての地歩を確立。しかし40年の父の没後,下宿屋を継いでから私生活に問題がおこり,42年樺太で蟹缶詰事業を始め失敗。その後,青踏社の遠藤清子との同棲,再婚,さらに青踏社の蒲原英枝との同棲,2度目の再婚などで世間の注目をあびる。<著作>『復刻版泡鳴全集』全18巻<参考文献>舟橋聖一『岩野泡鳴伝』,伴悦『岩野泡鳴―「五部作」の世界』 (コトバンク)

②ラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson、1803年5月25日 - 1882年4月27日)は、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイスト。無教会主義の先導者。ラルフ・ウォルド・エマーソン、ラルフ・ウォルドー・エマーソン、ラルフ・ワルド・エマソン、とも呼ばれる。 英語では、エマーソンのエにアクセントがあり、エマソン、またはエマスンに近くなる。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに生まれる。 18歳でハーバード大学を卒業し21歳までボストンで教鞭をとる。 その後ハーバード神学校に入学し、伝道資格を取得し、牧師になる。 自由信仰のため教会を追われ渡欧、ワーズワース、カーライルらと交わる。帰国後は個人主義を唱え、アメリカの文化の独自性を主張した。(ウィキペディア)





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ジュンク堂那覇店

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2013年10月29日~11月4日 「第2回 京都展」リウボウ6階

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1990年9月 市制45周年記念『『いしかわ』沖縄県石川市


1926年9月 『琉球年刊歌集』琉球狩社
□山城正忠「序に代へて」/琉球文学会ー山城正忠、世禮国男、松根星舟、狩社同人「琉球年刊歌集発刊之辞」
□當間黙牛/北村白楊/島袋九峯/伊豆味山人/伊竹哀灯/宮里潮洋/國吉瓦百/名嘉元浪村/照屋一男/上里堅蒲/比嘉泣汀/池宮城寂泡/新田矢巣雄/間國三郎/川島涙夢/島袋哀子/漢那浪笛/山里端月/又吉光市路/美津島敏雄/江島寂潮/西平銀鳴/山城正斉/大山潮流/池宮城美登子/星野しげる/小栗美津樹/禿野兵太/新島政之助/小林寂鳥/梅茂薫村/水野蓮子/松根星舟


□国吉真哲翁は1924年4月、山城正忠を会長に、上里春生、伊波普哲、山口三路(貘)らで琉球歌人連盟を発足させた。国吉翁はこのころ、貘と一緒に歌人連盟顧問の麦門冬を訪ねた。同年暮れに麦門冬は急死した。連盟の団結は後に『琉球年刊歌集』として結実した。25年9月の『沖縄教育』(又吉康和編集)は山城正忠が表紙題字、カット(獅子)は山口重三郎である。同年11月、真境名安興が沖縄県立沖縄図書館長に就任したころ、国吉翁は又吉康和の後任の『沖縄教育』編集人となる。又吉は沖縄県海外協会に転じた。海外協会の機関誌『南鵬』には国吉翁の詩歌が載っている。琉球新報連載「むかし沖縄」285回に国吉翁撮影の写真がある。真栄田一郎の墓前で池宮城秀意、瀬長亀次郎、城間得栄、上原美津子が写っている。真哲翁は真栄田一郎が死んだ時、姉の冬子から「弟の死顔でも良いから写真に撮って送ってほしい」との依頼を受け、棺を開け写真を撮った。戦後、瀬長はうるま新報の社長、池宮城はうるま新報専務となる。瀬長と池宮城は沖縄人民党結成に参加する。その人民党誕生の瞬間を国吉翁が記録することになる。

□1897年、今帰仁村に生まれました。本名は小那覇全孝といい、彼の本業は歯科医で、県立二中の第一期卒業生にして日本歯科医大学を卒業した秀才です。愛称を「ブーテン」で呼ばれます。第二次世界大戦の戦後復興の時代に、弟子の照屋林助と村々を回って、「命の御祝事さびら」(生きていることを祝いましょう)と呼びかけ、戦禍の傷が癒えない人々に生きる力と勇気を与えました。沖縄の漫談の祖です。三味線に乗せて世相を風刺する抱腹絶倒の漫談は天歳的です。代表作には「石川小唄」「スーヤーヌパァパァ」「盗ドゥ万才」「百歳の花風」があります。1969年に亡くなりました。享年72歳でした。 →(小那覇舞天 おなはぶーてん / ラジカル・ビスケット)

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宮平敏子



(翁長良明コレクション)


1955年12月11日『沖縄タイムス』佐藤春夫「沖縄舞踊団についてーみやらびは常若」/11月27日『沖縄タイムス』「芸能祭」

12月15日『沖縄タイムス』「文部省主催の芸術祭ー沖縄舞踊が団体入賞」

1933年1月 佐藤春夫作「世はさまざまの話」

青山恵昭 2021-8-31 佐藤春夫は山之口貘がお世話になった等々、沖縄通としても知られていますね。1929年28歳の時、台湾基隆社寮島(現和平島)の琉球人集落を訪ねたことを記した短編随筆「社寮島旅情記」があります。友人2人して舢舨(サンパン)で島へ渡り、琉球料亭で一席をもうけて泡盛を嗜み、三線、琉舞に興じた様子が軽妙に描かれています。湾生として興味深々読みました。


森 桂一モリ ケイイチ
昭和期の洋画家 千葉大学名誉教授;明徳短期大学名誉学長。
生年明治37(1904)年8月10日没年昭和63(1988)年3月16日
出身地岐阜県恵那市 別名号=林人子
学歴〔年〕東京美術学校〔昭和3年〕卒
主な受賞名〔年〕勲三等旭日中綬章〔昭和49年〕
経歴昭和3年帝展初入選。27年から45年まで千葉大教授。50年から56年まで明徳短大学長。美術教育を研究するかたわら、日展委嘱洋画家としても活躍。著書に「美術教育概説」など。→コトバンク


小糸源太郎 こいと-げんたろう
1887-1978 大正-昭和時代の洋画家。
明治20年7月13日生まれ。東京美術学校(現東京芸大)在学中に文展入選,昭和5年,6年に帝展で連続特選となる。官展の審査員,光風会会員として活躍し,29年「春雪」などで芸術院賞。40年文化勲章。昭和53年2月6日死去。90歳。東京出身。作品はほかに「山粧ふ」「繚乱(りょうらん)」など。 →コトバンク

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