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第7回戦後沖縄研究コロキウムー終戦~<復帰>前後を中心にー 
 *企画:「戦後の沖縄社会と女性への視座―その手から産まれたもの・技術史の課題ー」
 *期日:2017年5月14日(日)午後2時~5時 
 *会場:南風原文化センター(沖縄県南風原町)
 *内容:講師)
   ・「戦後沖縄の技術史の課題―時代の技術ー」粟国恭子(近現代文化史・沖縄県立芸術大学非常勤講師)
・「ミシンと『復興』」謝花直美(沖縄戦後史・沖縄タイムス編集委員)
   ・「戦後南風原のモノづくりと女性」平良次子(学芸:南風原文化センター職員)
   ・コーディネーター:秋山道宏(社会学・沖縄戦後史、沖縄国際大学非常勤講師)



   
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仲里好孝氏「会長あいさつ」


議案審議


激励会ー左から仲里好孝会長、伊良皆賢哲氏、上原小一氏

激励会ー伊良皆賢哲氏/上原小一氏



糸数信一氏「乾杯の音頭」







左が末吉保朝先生と末吉良治氏/末吉保朝先生と伊良皆賢哲氏

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○右側下の天牛新一郎のハガキに「今度長い間御贔屓に相成りました道頓堀角座前の天牛新一郎書店が家主さんの一身上の都合で立ち退く事になりました。誠に残念でございますが、9月15日を持ちまして閉店させて頂きます。これから孫の高志の周防町店を手伝ってやろうと思っております。私もこの11月で88歳になりますが、お蔭さまでまだまだ元気でございますので、活躍いたしたいと思っております。」と記されている。その傍に、『中央公論』1980年12月の「お辞儀の天牛ー70年つづける古書店主ー」として天牛さんの1日が写真で紹介されている。○阪急古書のまち(はんきゅうこしょのまち)は、大阪市北区にある、阪急電鉄の高架下を利用した古書店街。古書店街ではあるが、美術品を扱う店や紀伊国屋書店の楽譜等を専門に扱う店などもある。


○そごう心斎橋本店ー大阪府大阪市中央区にあるショッピングセンター。1935年から2000年まであった「そごう大阪店」の閉店後、2005年に「そごう心斎橋本店」としてリニューアルオープン、2009年に閉店。建物は同年改装後に「大丸心斎橋店・北館」として開店した。 →コトバンク

○神戸・三宮の商業複合ビル「サンパル」にある古書街「サンパル古書のまち」で、唯一営業を続けていた「ロードス書房」が8月末で閉店する。県内の郷土史資料を中心に集め、長く歴史研究者らに愛されてきたが、ビルの衰退や店主の病気などのため退店を決意。阪神・淡路大震災を乗り越え、約30年続いた個性派古書街が姿を消す。古書のまちは1986年に8店舗でスタート。それぞれ和本や文芸書、全集、雑誌など異なる分野の専門書をゆっくり探せる空間だったが、経営不振や後継者不在で徐々に撤退が進んだ。→神戸新聞2013-8-3



関西の書店

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〇書物は出会った時に迷ってはいけないー横山重『書物捜索』/古文献を発掘し学界に提供する学風ー滝本誠一『日本経済大典』/学問の豪傑が勢揃いした時代の京都大学ー神田喜一郎『敦煌学五十年』/大学教授の身で国宝三点重文六点を蒐めたー内藤湖南/近世書誌学の基礎を築いたー水谷不倒/大学教授の職責ー藤村作/全国に響いた浪華の文化人ー木村蒹葭堂/人名録を愛好した近世人の志向ー諸家人名江戸方角分/西鶴は作家であり編集者であり企画者であったー森銑三『西鶴と西鶴本』/わが国の料理人は技術を公開して共同で進歩したー川上行蔵『料理文献解題』/日本一充実した古典籍図録ー反町茂雄『弘文荘善本図録』/古書価の変遷にあらわれた時代の嗜好ー水谷不倒『明治大正古書価之研究』/際限なく広範囲におよんだ蒐書家ー市島春城/研究資料の充実に徹した世界的コレクションーモリソンと東洋文庫/伊藤仁斎は日本に真正な学問の基礎を作ったー『童子間』/著作者の学問内容を呑みこんだ上での書誌学ー中村幸彦『古義堂文庫目録』/世界で最も醒めていた思考者の辛辣ー山片蟠桃『夢の代』/閨閥によって人事が決まる東京帝大ー大塚虎雄『学界異聞』/東大は日本文化の家元であるから国民を下に見て君臨するー『出身学校別現代紳士録』/主題を定めて書籍蒐集は精神衛生によいー社史についての文献一覧/図書館の参考事務は無意味であるー植村長三郎『図書館学・書誌学事典』/漢方は日本において再編成し直し高度になったー小曾戸洋『日本漢方典籍辞典』/遊んでばかり働くより儲けた骨董眼ー渡辺虹衣『骨董太平記』/仏教辞典を見分けるコツー岩本裕『日本仏教語辞典』/辞書は使い方で思わぬことを教えてくれるー薩摩辞書/文部省からも民間からも大出版が出たー杉村武『近代日本大出版事業史』/群書類従の欠を補う史籍集覧ー近藤瓶城/昔は博識謙虚なコワイ好事家がいたー三村竹清『本之話』/古典研究の究極は注釈であるー『徒然草諸抄大成』/日本近代書誌学の伝統と未来ー天野敬太郎『河上肇博士文献志』/このような時代に適した企画を見習って欲しいー『現代知性全集』/報恩に献身した出版事業ー野依秀市/雪嶺が古書展で買物をすると予定額にピタリであったー三宅美代子『雪嶺の思ひ出』

〇役に立たない本を使いこなして役に立たせる法ー増田渉『雑書雑談』/考証学の伝統を守って研究を維持する人々ー関良一『日本近代詩講義』/藝術というものは全く個人的な我れを標準とするー『脇本楽之軒の小伝と追憶』/日本人は如何なる方法によって納得させうるかー御成敗式目/大坂夏の陣のさなかに出た本ー『大坂物語』/水戸黄門ー『大日本史』/歴史は真実でありえないことを考証したー富永仲基『出定後語』/大石は人の情念に訴え感動させる劇を演出したー『仮名手本忠臣蔵』/日本史の斬新な時代区分ー伊達千広『大勢三転考』/福沢が書かざるをえなかった理由ー『瘦我慢の説』/伊藤博文が明治史の主役となった理由ー植松孝昭『明治史伝』/官僚制の形成まで明治政府の朝令暮改-星一『官吏学摘要』/徳富蘇峰の思想が形成された時ー『第十九世紀日本ノ青年及其教育』/大正四年各界名士を解剖するー『張子の虎』/給与の出し方にも心遣いが必要とされていたー前田一『サラリーマン物語』/江戸時代は全国が物産の競争をしていたー『江戸時代人づくり風土記』/出世名声のための戦働きは忠に非ずー『古典大系 日本の指導理念』/文化は容易に変わらないが組織は急速に変動するー『日本の組織』金融も生産も激流に乗って構造変化しているのに、官僚帝国だけは、いまだに世襲が行われている現状を、労政協の『天下り白書』があきらかにしている/明治初年の新聞記者は社会的スターであったー『新聞記者奇行伝』/実力があって野心がなければ人を動かすのは容易であるー鵜崎鷺城『当世策士伝』/語学力の不足は小中学での国語教育軽視に拠るー向軍治『八当集』/事業家を描く伝記の名作ー岡野養之助『村山竜平伝』/日本の社会政策に模範を示した先見力ー『関市長小伝』/国家総動員計画の発端と進行ー石川準吉『国家総動員史』/昭和史の政治に関与した現場証人ー『岩淵辰雄選集』/政治家後援会が刊行した学術書ー下村治『経済成長実現のために』/戦後は誠心巧緻のコラムが時代を照らしたー『時のうごき』/進駐軍を相手にひるまず闘うー石橋湛山の弁駁と資料/明治最初の文士録ー『現代文学者小伝』/アカデミズムを凌いだ独創ー折口信夫『口訳万葉集』/気迫を欠けば漢文は読めないー田岡嶺雲『和訳漢文叢書』/明治文壇を展望した唯一の評判記ー吉田香雨『当世作者評判記』

〇作家は妬まれおとしめられるー尾崎紅葉/二葉亭の翻訳短篇が明治文学の神経に響いたー高松茅村『明治文学言文一致』/代作者助作者加筆者が想定される時代ー東海散士『佳人之奇遇』/俗界を下に見て校風論争ー第一高等学校『文藝部』/ヴァレリー全集ー佐藤正昭/日本で一番大きい豪華版ー寿岳文章編『ヰルヤム・ブレイク書誌』天野敬太郎は昭和22年という早い時期に、「目録の時代を経て今や索引の時代に進んでいる」と喝破した。その索引も人名や書名に非ず、事項索引でなければならぬのである/江戸川乱歩はまた評論家でもあったー『悪人志願』/『智恵子』の生まれた土壌と環境ー室生犀星『我が愛する詩人の伝記』/近代文藝家三百七十五名の研究資料叢書ー昭和女子大学『近代文学研究叢書』/書誌の目で見るー堀口大学『月下の一群』/『田舎教師』のモデルの詩集ー小林秀三遺稿/雑誌『近代文学』発刊時の決意と苦労ー『近代文学』発刊挨拶状/若き日の山本周五郎が耽読した唯一の本ーストリンドベリー『青巻』/思いこんだらとことんやる人たちー斎藤昌三『三十六人の好色家』/エロ・グロ・ナンセンスー『匂へる園』ほか/ウソをつかない限定本ー集古洞人編『奇書輯覧』/自分を売りこむためには何事につけても手練手管が必要であるー相馬健作『文壇太平記』/同時代の誠実な観察者ー小牧近江『プロレタリア文学手引』/悪口は人とのつき合いに不可欠のエチケットであるー河盛好蔵『人とつき合う法』/日本人の性情が洗練されるよう願った作家ー大仏次郎『帰郷』/早稲田の人材が背伸びして文藝百科を作ったー『文藝百科全書』/短歌とその注釈が響き合って豊かな感動を呼ぶー吉野秀雄『鹿鳴集歌解』/シェークスピア全集推敲転々ー坪内逍遥/芭蕉にお近づきになるためならこの一冊ー柴田宵曲『芭蕉言行録』/日本人は悪評を軽率に信じ易いー田口掬汀『文壇照魔境』/文士のゴジップを集めたら本になる時代ー『文壇失敗談』/何よりも先ず古本屋を利用すべきであるー田中菊雄『現代読書法』カズオ書店、津田喜代獅、天牛書店の尾上政太郎、広島の黒木書店が元町へ/書誌学の新次元ー宮崎芳三ほか『日本における英国小説研究書誌』/軽評論家と呼ばれて意地を見せたー『十返肇著作集』/批評を論理と錯覚する文壇を訂すー『北原武夫文学全集』/作家に推参してその肝を味わって堪能する批評ー開高健『人とこの世界』/小林秀雄が人をたぶらかす手口を解剖するー向井敏『文章読本』/徹底的な批判は必要であるが余裕を忘れてはならないー三好十郎『斬られの仙太』
谷沢永一『書物耽溺 』(講談社) 2002/08

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2004年6月30日ー川西能勢口駅から蔵書家・谷沢永一氏の自宅に行く。沖縄から来たということで何か警戒されていたようで話をすると快くサインしてくれた。近くにフローレンス ナイチンゲール(救苦観世音)像がある。

谷沢永一 たにざわ-えいいち
1929-2011 昭和後期-平成時代の書誌学者,文芸評論家。
昭和4年6月27日生まれ。関西大在学中から同人雑誌「えんぴつ」を主宰し,開高健(たけし),向井敏(さとし)らと知りあう。昭和44年から平成3年まで母校の教授。近代文学の分析と論評,書誌研究で知られ,昭和55年「完本―紙つぶて」でサントリー学芸賞。平成16年「文豪たちの大喧嘩」で読売文学賞。平成23年3月8日死去。81歳。大阪出身。著作はほかに「谷沢永一書誌学研叢」「書物耽溺」など。(→コトバンク)

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2006「トンビの目のパノラマ地図」
○我が琉文菴は近鉄奈良線の布施駅近く(上の赤丸・東大阪市)にある。奈良公園や、唐招提寺・薬師寺、大和文華館(山口宗季の花鳥図、座間味庸昌の人物画が所蔵されている)、近鉄資料室や大阪ミナミ(道頓堀)に出るのに便利である。奈良はシルクロードの終点と言われているが、1977年発行の辛島昇①編『インド入門』に「日本人のシルクロード好きは、毎秋奈良でひらかれる正倉院展にどっと人があつまる事情と軌を一にしたものである」とし「むかし大東亜共栄圏という日本を扇の要においたひろい意味での文化圏を捏造した国粋主義に通じる」とする。奈良は東大寺の大仏や興福寺の五重塔、阿修羅像でも知られ世界遺産でもある。

奈良近鉄駅ビル3・4階に歴史・観光の展示館「なら奈良館」(旧・奈良歴史教室)


源平争乱によって焼失した東大寺を、重源はその資金を広く寄付にあおいで各地をまわる勧進上人となって、宋人陳和卿の協力を得て再建にあたりました。そのとき採用されたのが、大仏様の建築様式で、大陸的な雄大さ、豪放な力強さを特色するもので、この東大寺南大門が代表的遺構です。

国宝・銅造盧舎那仏坐像/重文・如意輪観音坐像

大仏殿にある広目天像  多聞天像 

小説家して有名な森鴎外は、大正6年に帝室博物館の総長に任命され、東京・京都・奈良の帝室博物館を統括する要職でした。大正7年から10年まで、秋になると鴎外は正倉院宝庫の開封に立ち合うため奈良を訪れており、滞在中の宿舎はこの場所にありました。

①辛島昇 からしま-のぼる
1933- 昭和後期-平成時代の南アジア史学者,インド史学者。
昭和8年4月24日生まれ。専門は南アジア史。昭和50年東大教授。のち大正大教授。平成15年「History and Society in South India:The Cholas to Vijiayanagar(南インドの歴史と社会─チョーラ朝からビジャヤナガル王国へ)」で学士院賞。19年文化功労者。東京出身。東大卒。著作に「インド入門」など。→コトバンク

 2006年5月13日ー午後は、近鉄丹波橋で降りて、御香宮神社に行く。名水「御香水」が境内にある。この神社には京都市天然記念物のソテツがあり、その実は「延命厄除そてつ守」になっている。鳥せい本店側では名水「白菊水」、月桂冠大倉記念館では名水「さかみづ」を飲んだ。同時に昼間からきき酒で顔が赤くなった。

御香宮神社
近鉄奈良駅西口を出て地下道を通って近鉄高天ビルに出て歩道を西の方に歩くと直ぐ通称「山の寺」という看板が見える。奧まったところに「葵」の紋を打った山門が建っているところが浄土宗降魔山「念仏寺」である。門をくぐると降魔山と記された燈篭がある。その傍らに蘇鉄。1614年(慶長19年)11月15日徳川家康が大阪冬の陣の折、木津の戦いで真田幸村の軍勢に敗れ、奈良へ逃げ延び、この地の小字山の寺に至って、桶屋の棺桶の中に隠れ、九死に一生を得た。その後に、家康が豊臣方を破って、天下が治まった、1622年(元和8年)徳川家康の末弟で当時伏見城代を務めていた松平隠岐守定勝が、ここ油坂・漢国町を買い受け、袋中上人を開山として諸堂を建立したのが、山の寺「念仏寺」の始めである。

浄土宗降魔山「念仏寺」

〇御香宮神社は徳川家と深い関わりがある。徳川家康が豊臣秀吉のあとをうけ伏見城で天下の政事をとったおり、尾張、紀伊、水戸の御三家の藩祖と、秀忠の娘千姫はこの伏見で誕生している。御香宮を産土神として特別な崇敬を払っている。御香宮の神門は1622年に水戸中納言頼房(水戸光圀の父)が伏見城大手門を寄進したものと言われている。
□御香宮神社は江戸末期の慶応4年(1868)正月に勃発した「伏見・鳥羽の戦」では、吉井孝助率ら官軍(薩摩藩など)の屯所となった。片や幕府軍は大手筋通りを隔てた南側200mほど離れた伏見奉行所に陣(伝習隊、会津藩、桑名藩、新撰組などが)を構えた。大砲・鉄砲などの弾が激しく飛び交ったが、御香宮は幸いにして戦火には免れている。官軍の屯所となった境内には「明治維新伏見の戦跡」の石碑がある。□→1983年9月ー山本眞嗣著・水野克比古撮影『京都伏見歴史紀行』山川出版社

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[時事通信] 4/25-今村雅弘復興相は25日夕、東京都内のホテルで開かれた自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災について「(発生場所が)東北で、地方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると莫大(ばくだい)な、甚大な被害があった」と述べた。

 「くろねこの短語」4月25日ー このところのトランプにお追従するかのような北朝鮮への挑発を見ていると、ヘルマン・ゲーリングの言葉がふと頭をよぎる。「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心がないと批判すればいいい」

 「くろねこの短語」4月23日ー「安倍晋三記念小学校」疑獄に新ネタが出てきたようで、なんと森友学園の系列保育園を運営する社会福祉法人の発起人に、網タイツの防衛大臣・稲田君の旦那の名前が見つかったそうだ。ここまでくると「朋ちゃん知らないもん」ではすみませんね。ていうか、どんだけ嘘つきなんだよってことで、政治家というよりも人として失格だね。こんなのをいつまでも防衛大臣の椅子に座らせておくペテン総理の愚鈍さにも辟易なんだが、ようするにみんなグルってことなんだね。ペテン総理、私人の嫁、稲田夫婦、大阪のチンピラ知事・松井が徒党を組んでの共謀罪ということで、今日のところはお後がよろしいようで。

 「くろねこの短語」4月17日ーそんなことより、またしてもお馬鹿な大臣が暴言吐いたってね。なんでも、山本幸三とかいう地方創生大臣が地方の観光振興がうまくいかない理由として、「一番のがんは文化学芸員。この連中を一掃しないと駄目」ってのたまったそうだ。凄いよね。地方の活性化がうまくいかない原因が学芸員だなんて、どうやったらそんな思考回路になるんだろう。これ゛ゃあ。痴呆創生大臣だろう。大英博物館は学芸員を辞めさせたから成功したって言ってるようなんだが、そんなデータがどこかにあるのか?。そもそも、この発言で問題なのは、自分がよく知りもしない仕事に対しての敬意が欠けていることなんだね。だから口調そのものもヤクザまがいなものになっちまう。「この連中を一掃しないと・・・」なんて、まるで暴力団撲滅運動みたいですからね。




京都絵葉書ー戦前

 『京都新聞』4月19日ー政府の観光振興を進める上で「一番のがんは文化学芸員」とした山本幸三地方創生担当相①の発言に、批判が高まっている。山本氏は発言を撤回し、謝罪したが、18日には再び二条城(京都市中京区)の英語の案内表記を「不十分」と批判した。多くの文化財が集積する京都の博物館の学芸員からは「最も大切な仕事は文化財の保護」「保存と活用のバランスを考えながら地道に取り組んでいる」と、学芸員の仕事に理解を求める意見が相次いだ。
 ①山本幸三地方創生担当相(日本会議国会議員懇談会/1973年7月 米国コーネル大学経営大学院に留学、MBA取得。1981年7月米国ハーバード大学国際問題研究所客員研究員、日米関係プログラム)2012年3月5日の衆議院予算委員会において、自見庄三郎金融担当大臣(当時)に対し、証券取引等監視委員会による強制捜査の手法を批判する趣旨の質疑を行った。その前年9月、山本が代表取締役を務める「ブルー・エコノミー・ホールディングス」②に5千万円の資金を提供していた金融業者、及び日興コーディアル証券の元執行役員がインサイダー容疑で証券取引等監視委員会の強制捜査を受け、その3ヶ月後に逮捕されており、山本の国会質問に対して「私的な利害関係者のために国会の場で質問した」「証券取引等監視委員会への圧力ではないか」等の指摘が週刊文春による報道でなされた。
②商号:株式会社ブルーエコノミー・ホールディングス 本店:(東京都千代田区麹町五丁目3番地・麹町秋山ビルディング7階) 会社成立の年月日:平成22年3月11日
目的ー当会社は,次の業務を営む国内外の会社を支配及び管理することを目的とする。
(1)金融商品取引法に規定する金融商品取引業務
(2)銀行法に規定する銀行業及び信託業法に規定する信託業務
(3)投資助言・代理業及び投資運用業務
(4)その他の金融サービス及びそれに付帯又は関連する業務
(5)不動産業及びそれに付帯又は関連する業務
(6)国内特許・実用新案及び意匠・商標その他知的財産権全般及び
   それに付帯又は関連する業務
(7)農業経営及びそれに付帯又は関連する業務
(8)前各号に附帯又は関連する業務
役員ー山本幸三(自民党衆議院議員)/愛知和男(元衆議院議員)/グンター・パウリ(NPO法人ゼリ・ジャパン特別顧問)

 龍谷大龍谷ミュージアム(下京区)の石川知彦副館長(57)は学芸員の仕事は博物館法で定められているとして「一般には展覧会やシンポジウムなどが知られるが、最も大切なのは文化財の保護であり、調査研究だ。貴重な文化財をわれわれの代でつぶすわけにはいかない」と指摘する。山本氏の発言には「観光への安易な活用ばかりを強調する発言にがっかりした。京都の人はもっと怒ってもいい」と批判した。
 亀岡市文化資料館(京都府亀岡市)の黒川孝宏館長(62)は「文化財は現在の人だけのものではない。500年、千年と守られてきた文化財を、私たちが同じように引き継いでいかなければならない」と強調。「国が定めた基準の範囲内でアイデアを出し、公開の努力をしている。国の方針として矛盾している」とあきれる。「地方都市の学芸員は、市指定や未指定の文化財でも、地域の貴重な文化として将来に残そうと地道に取り組んでいる。地方創生を考えるなら、そういう活動にも目を向けるべきだ」と注文を付けた。
 京都文化博物館(中京区)の森脇清隆主任学芸員(55)は、今回の発言に「もうかるなら文化もただ消費すればいい、という発想を感じる」といい、「これまで守られてきた文化財が、観光目的のために切り売りされ、傷ついたり失われては、将来に対して非常に恥ずかしい」と危ぶむ。文博では、子どもや外国人らを対象に、どのような展示やワークショップが望ましいかを日々模索しているという。「学芸員に観光の視点がないわけではない。文化財の保存と活用のバランスをとりながら頑張る学芸員たちの取り組みをむしろ、応援してほしい」と訴えた。

『毎日新聞』4月20日ー山本氏は3月9日の参院内閣委員会で、2012年のロンドン五輪で観光を盛り上げるため、大英博物館で大規模改装が行われたと説明。「一番抵抗したのが学芸員で、そのときは観光マインドがない学芸員は全部くびにした」と語った。山本氏は今月16日の滋賀県での地方創生に関するセミナーでも同様の発言をしていた。これについて、大英博物館の広報担当者は「事実誤認」と否定し、「大英博物館は観光のためにスタッフを解雇したことも根本的な建物改装をしたこともない」と強調した。

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写真右から、新城栄徳氏、新城栄市氏、新城あけみ、新城喜一氏、左端は不詳
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 月刊『CAPA』 2017年4月号』「名作誕生とその時代 沖縄の戦後復興を記録 山田實『こどもたちのオキナワ1955-1965』」

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新しい日本のために――発刊のことば
古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生れかわつた日本には新しい国の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸国と交りをあつくすること。
新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであつて、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
わが国が生れかわつてよい国となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
新憲法が大たん率直に「われわれはもう戦争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであつて、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない。
新憲法の施行に際し、本会がこの冊子を刊行したのもこの主旨からである。
昭和二十二年五月三日 憲法普及会会長 芦田 均


◇もう戦争はしない
私たち日本国民はもう二度と再び戦争をしないと誓つた。(第九条)
これは新憲法の最も大きな特色であつて、これほどはつきり平和主義を明かにした憲法は世界にもその例がない。
私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束したのである。わが国の歴史をふりかえつてみると、いままでの日本は武力によつて国家の運命をのばそうという誤つた道にふみ迷つてゐた。殊に近年は政治の実権を握つていた者たちが、この目的を達するために国民生活を犠牲にして軍備を大きくし、ついに太平洋戦争のような無謀な戦いをいどんだ。その結果は世界の平和と文化を破壊するのみであつた。しかし太平洋戦争の敗戦は私たちを正しい道へ案内してくれる機会となつたのである。
新憲法ですべての軍備を自らふりすてた日本は今後「もう戦争をしない」と誓うばかりではたりない。進んで芸術や科学や平和産業などによつて、文化国家として世界の一等国になるように努めなければならない。それが私たち国民の持つ大きな義務であり、心からの希望である。
世界のすべての国民は平和を愛し、二度と戦争の起らぬことを望んでいる。私たちは世界にさきがけて「戦争をしない」という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに「戦争のない世界」をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり、私たちの誓いでなければならない。


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1943年1月 今野賢三『前田正名』新潮社出版/1973年1月 祖田修『前田正名』吉川弘文館

前田正名  生年:嘉永3.3.12(1850.4.23) 没年:大正10.8.11(1921)
明治前期の経済官僚,地方産業振興運動指導者。鹿児島藩医前田善安の6男。慶応年間(1865~68)長崎留学,明治2(1869)年フランスに渡り,フランス農商務省で行財政を学び,10年に内務省御用掛として帰国。のち「大隈財政」下の大蔵省にあって直輸出論を提唱,大隈ブレーンのひとりとなる。14年農商務・大蔵大書記官となり欧州経済事情調査に出張。16年帰国後は品川弥二郎らと組み経済政策を構想,17年3月より農商務省で『興業意見』編纂に取り組み,8月未定稿30巻を完成,「松方財政」を批判し,殖産興業資金の追加供給による強力な産業保護主義を主張して松方正義大蔵卿と対立した。このため内容の大幅変更を余儀なくされた『興業意見』の刊行となった。18年7月より不況下の地方に出張し,勤勉,節倹,貯蓄の「三要点」を強調して農民の自力更生を説くが,同年12月非職。21年山梨県知事を経て22年農商務省工務局長,農務局長に復帰,23年農商務次官,元老院議官,貴族院勅選議員となるが,政府中枢の政策に同調できず官界を去り,25年以降地方産業振興運動を指導。地方実業団体,全国農事会を系統組織化,政府,議会にそれら団体の要求を建議する活動を行った。30年代には農村調査計画である町村是運動に挺身したが,晩年は不遇に終わった。<参考文献>祖田修『前田正名』,同『地方産業の思想と運動』 →コトバンク参照

1894年4月16日『大阪毎日新聞』「五品(織物、陶磁器、金属器、製紙器、雑貨)大会の開会式は、いよいよ昨日を以て京都府庁に開かれたり。会頭に前田正名『京都は我が国の美術工芸に取りて保姆の地位に在り。すなわち美術工芸上、京都は決して京都人の私有にあらず。日本人の京都なること、正名確信して疑わざる所なり。』」
1894年4月16日 前田正名(京都祇園清々館 五種大会出張所)→奈良原繁沖縄県知事
「拝啓陳ハ今回開設ノ五品大会ヘ 御懸下ヨリ當業者参会相成候儀ハ各業者ノ熱心ニ因ル 儀ニモ可有之候得共全ク御庁ニ於テ非常ニ御尽力被下候 結果ト深ク感謝之至リニ奉存候尚報告書ハ追テ差上可申候先ハ不取敢御禮申上度如此ニ御座候敬具」→那覇市歴史博物館「横内家文書」

1894年4月17日『大阪毎日新聞』「五品(織物、陶磁器、金属器、製紙器、雑貨)大会閉会式 五品大会は五二(織物、彫刻を追加)会と改称し閉会・・・」

1913年5月25日『琉球新報』「本日来県の前田翁ー其産業に関する意見」
1913年5月26日『琉球新報』「前田翁来着ー旅装解かずして講演会に臨む。鹿児島に生まれながら今日まで当地を訪ふに至らざりしは深く之を謝す・・・」「前田翁一行」
1913年5月26日『沖縄毎日新聞』「前田翁一行の人名ー貴族院議員前田正名▲金剛寺住職暉峻普瑞▲陸軍中佐花田仲之助▲鹿児島商業会議所書記長安田武彦▲鹿児島郵船会社書記長坂元徳二▲実業家小牧藤兵衛▲仝慶田政太郎▲岡崎商業会議所常務議員千田千太郎▲実業家加藤敬太郎▲社会教育者志方楽山▲実業家大山幸太郎」
1913年5月27日『琉球新報』「真教寺 本社主催 講演会/前田正名翁、暉峻普瑞師、花田中佐、志方楽山氏」
1913年5月28日『琉球新報』「前田翁の講話」「一昨晩の前田翁歓迎会」 
1913年5月28日『沖縄毎日新聞』「前田翁一行の歓迎会」
1913年5月29日『琉球新報』「前田翁本日出発」
1913年6月3日『沖縄毎日新聞』「前田翁の一歩園」
1913年6月8日『沖縄毎日新聞』高里次郎「前田翁一行より得たる教訓(上)」
1913年6月10日『沖縄毎日新聞』高里次郎「前田翁一行より得たる教訓(下)」

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