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1981年9月 沖縄の雑誌『青い海』106号 西里喜行「琉中友好を考えるー沖縄・中国交流史をふまえて」

2018年2月23日 かりゆしアーバンリゾート・ナハ「第35回東恩納寛惇賞 西里喜行氏 贈呈式 祝賀会」



真栄里泰山氏/玉城流煌扇会 舞踊「加那よー天川」


八重山舞踊勤王流あやねの会 舞踊「鷲ぬ鳥節」 / 左より山里純一氏、上里賢一氏、宮城修氏

池宮正治氏・勝子夫人 大城将保氏、大城学氏、真栄里泰山氏/池宮正治氏・勝子夫人 大城学氏、真栄里泰山氏、新城栄徳


新城栄徳、西里喜行氏/左から久部良和子さん、高良由加利さん、伊佐眞一氏、宮城修氏

右から西里喜行氏、小野まさ子さん、前田舟子さん/右から大浜郁子さん、西里喜行氏、真栄里泰山氏


来間泰男氏、普久原均氏
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島袋全発は、1930年8月に世界社の饒平名智太郎や南島研究会同人の比嘉時君洞、渡口政興、原義人、金城朝永らの協力を得て『那覇変遷記』を刊行。全発は自序に「即、那覇はもと中山の真和志間切の一部落たる港畔の一寒村であったのが、長虹堤築かれ那覇どまりと呼ばれた。港湾の繁昌につれて、若狭町を凌ぎ漸次拡張して那覇四町となり、近世に至り、又その邑落の起源を異にする久米村、泊を併せ、牧志・垣の花を呑み、逆に昔の真和志一円を包含するの概があり、之を一面から日へば那覇発展記であり反面から観れば真和志縮小記となる」と記している。東恩納寛惇は戦後に発行した『南島風土記』で「ツジは方語頂上の義なりと云う事、既に島袋全発氏の提唱する所で、伊波普猷氏亦これに賛同している」と書いている。

 
左から初版、1966年4月ー琉球史料研究会、1998年4月ー沖縄タイムス社

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2018年3月17日~4月10日 南風原文化センター「儀間比呂志1周忌追悼特別展 絵本『ツルとタケシ』原画展」

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豊里友行氏と写真家の土田若菜さん/豊里友行[辺野古]
Foto Space Reago 2018.2.15-2.21「豊里友行写真展 オキナワンブルー」

2018年2月19日ー豊里友行氏と写真家の山田勉氏/豊里友行[彫刻家・金城実]

2017年12月2日 ジュンク堂那覇店「トークイベント 豊里友行×仲里効『沖縄を撮る』ということ」

2017年10月 豊里友行写真集『南風の根 ふぇー 沖縄1995-2017』沖縄書房

仲里効氏(左)と豊里友行さん/仲里効氏(左)豊里友行さん

豊里友行さん(右)、森本浩平ジュンク堂那覇店長


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土田杏村 つちだ-きょうそん
1891-1934 大正-昭和時代前期の思想家,評論家。佐渡郡新穂村(現佐渡市新穂)に生まれる。
明治24年1月15日生まれ。土田麦僊(ばくせん)の弟。田中王堂,西田幾多郎(きたろう)にまなぶ。日本文化学院をつくり,長野,新潟の自由大学運動を援助する。マルクス主義批判の立場をとり河上肇(はじめ)と論争した。昭和9年4月25日死去。44歳。新潟県出身。京都帝大卒。本名は茂(つとむ)。著作に「文明思潮と新哲学」など。
【格言など】歴史の進展は自由でもあれば,また必然でもある(「人間論」)→コトバンク



1921年7月22日ー土田杏村、バートランド・ラッセルと都ホテルで会談。22日ー杏村、ラッセルを知恩院などを案内。24日、杏村、東上するラッセルを京都駅で見送る。

1925年5月ー土田杏村『自由教育論』内外出版。6月ー『自由大学雑誌』土田杏村「社会史学の方法論に於ける二大先覚者」


1929年10月ー土田杏村『草煙心境』第一書房
豚の膀胱
私の前に一つの幻想が浮かぶ。一年のどん詰りだ。内地なら寒くって仕方のない時だが、ここは琉球だから寒さで不自由をする必要はない。お正月の餅を搗く音がどの家からも聞こえて来る、-というと大変都合はよいけれども、琉球では肉を吉事に使い、餅を凶事に使うから、餅搗きの音などはどこからも聞こえはしない。

子供が数人駆けてきた。見ると銘々が同じ恰好の空気袋を持っている。提灯のようにも見えるが、その作りは断じて紙ではない。が、またゴム毬にしては、少しぢぢむさいところのその色を怪しむ。
  「俺いらの家のはこれだよ。
  「俺いらのはこれさ。
  「やい俺いらのが一番でっかいや。
なるほどその子供の持っている袋は、おそらくは乳なしで育ったこの子の不自然にでっかい頭よりも、もっと大きい恰好をしている。そこで子供は余程ご機嫌で、袋の首のところをしっかり握り、刀のような具合に身構えてほかの子供の袋とポンポン打ち合い、更に高く頭の上へそれをさし上げては、「萬歳!」と叫んだのである。ほかの子供は見るからに打ち萎れ、またその空気袋の空気もいつの間にかだいぶ漏れたと見えて、袋は皺だらけになり拳の上へ倒れかけた。

この空気袋は一体なにか。ここまでしゃべってさて話を落とすとしたら余っぽど間が抜ける。標題にちゃんと「豚の膀胱」と書いて置いた。それにしても子供が、豚の膀胱のような詰まらないものを誇り合う心理だけは、文明人の我々にちょっと解せない。が、古琉球では豚を飼養したからとてそれを皆んな食うわけではない。豚は他へ売る商品であって、自家で食う食料ではないのだ。ただ一年に僅か一度の例外、それがこの大晦日の豚屠りだ。屠られた豚の肉の大部分は鹽漬けにされ、その大事な「予算」の中から次年度の体力が小出しに生み出される。大きい豚を惜しげもなく屠る家が富んだ家なのはいうまでもない。


1931年11月ー土田杏村『道徳改造論』第一書房null

1932年7月ー土田杏村『文学理論』第一書房

1949年5月ー土田杏村『唯物史観の根本批判』富士書店

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1982年10月 宮城栄昌『琉球使者の江戸上り』第一書房○琉球王国で江戸上りまたは江戸立ちというのは、将軍の襲職時(代替わり時)に慶賀使(賀慶使)を、国王の襲職時(即位時)に謝恩使(恩謝使)を江戸に派遣することであった。1609年(慶長14)薩摩の侵略を受けて敗北した結果強要されたもので、襲職・襲封時に「城下之盟」を新たにする儀礼であった。その点では中国への慶賀使・進貢使、薩摩への上国使とならんで、琉球王国の独立維持にかかわる重大な外交事項であった。


宮城栄昌の本


1987年2月 横山學『琉球国使節渡来の研究』吉川弘文館


1996年6月3日『沖縄タイムス』「江戸上り・史跡探索の旅」



2006年10月  福山市鞆の浦歴史民俗資料館『知られざる琉球使節~国際都市・鞆の浦~』

2009年10月 沖縄県立博物館・美術館『薩摩の琉球侵攻四〇〇年 琉球使節、江戸へ行く!~琉球慶賀使・謝恩使一行2、000キロの旅絵巻~』
●展示構成
 プロローグ 琉球使節のすがた~ガイドブックに描かれた使節たち
今回の展示の主役となる、琉球から江戸へ派遣された琉球使節のようすについて、大和で出版されたガイドブックに描かれた使節たちの絵を展示します。

第1章 琉球使節の旅
1609年の薩摩による琉球侵攻以降、薩摩の支配下に置かれた琉球は、薩摩藩主に伴われて徳川将軍への使節派遣を行いました。使節の目的は、徳川将軍や琉球国王の代替わりに対するあいさつを行うことでした。琉球から約2,000!)にわたる江戸への長旅では、宿や馬の提供や見物人など使節を迎える様々な人々がいました。一方、使節の中には長旅の途中で亡くなる者もいました。ここでは、琉球使節たちの旅をたどり、それに関わる各地のすがたを紹介します。

第2章 琉球使節、将軍と会う
江戸に到着した後、琉球使節たちは旅の最大の目的である徳川将軍への謁見に臨みました。江戸城には演奏隊による路次楽を奏でながら行列を組んで登城し、将軍へのあいさつを行います。また使節は江戸滞在中、当初は日光東照宮、のちには上野東照宮への参拝を行っていました。
    
第3章 「江戸上り」へのまなざし
約1年にわたる琉球使節たちの旅では、琉球から将軍や大和の各地に贈答品を贈り、文化的な交流や情報交換を行いながら、「異国」・「文化的に優れた」琉球の存在をアピールしていました。一方、大和の各地では琉球使節たちへの関心は高く、そのことは使節に関する様々な書物の出版や、知識人たちの琉球や中国に関する情報収集などに如実に現れています。ここでは、琉球使節の江戸参府をめぐって、琉球側と大和側の視点を紹介します。


第4章 小国家・琉球王国の戦略~自立を模索して~
江戸へ派遣した琉球使節を送り出した琉球王国は、薩摩や幕府および中国との関係を保ちつつ、自らの立場の維持を図る一方、大和や中国の文化情報を受容しながら、独自の琉球文化を形成していきました。ここでは、大国にとりまかれながらも、政治的・文化的な戦略から自国の生き残りを図った琉球のすがたを紹介します。


鄭元偉(鄭嘉訓次子/1842年の儀衛正・伊計親雲上)

向邦棟(真壁里之子朝賀/1842年の楽童子)

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2018年2月1日『沖縄の軌跡』第180号 編集発行人・島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)


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 「くろねこの短語」2018年2月25日ーアメリカ軍のF16戦闘機が青森県の小川原湖に燃料タンクを不法投棄した事件で、なんとまあ日本の防衛大臣がわざわざ青森まで足を運んで漁業補償を約束したってね。自衛隊がしでかしたことならいざしらず、これってアメリカ軍が引き起こした事件だよね。どこに日本が尻拭いする理由があるってんだ。しかも、不法投棄された燃料タンクの回収には自衛隊が汗かいてるんだねよね。これじゃあ、自衛隊はアメリカ軍の下請けだ。
 腹立たしいのはそれだけじゃない。本来ならアメリカ軍の最高責任者が直接謝罪すべきなのに、またくその気配すらないってんだから、まるで属国扱いってことだ。沖縄でどんな無法者ぶりを発揮しようと、強硬な攻撃ひとつしないペテン政権の、これが成れの果てなんだね。
 このまま行くと、もし北朝鮮とアメリカの間でドンパチ始まったら、自衛隊はアメリカ軍の先兵として朝鮮半島へ駆けつけることになりますよ。日本版海兵隊なんてのが組織されようとしているのなんか、明らかにそうした状況を予測しているからこそに違いない。
 トランプが北朝鮮への「過去最大の制裁」とやらをぶち上げ、「もし制裁がうまくいかなければ、第2段階に行くしかない。第2段階はかなり厳しいものになるかもしれない。世界にとって、とてもとても不幸なものになるかもしれない」なんて喚き出しているのも嫌な予感がする。
 アメリカの高校で起きた銃乱射事件にからんで「丸腰の教師を武装させる」というトランプの発想ってのは、つまるところ日本へ軍事力強化を突きつける政策と同じセンスなんだね。ペテン総理が集団的自衛権行使容認という解釈改憲をしたのも、9条の「戦争放棄」の精神を形骸化させようと憲法改悪にしゃかりきなのも、すべてはアメリカさんのご意向を受けてのことなのだ。
 CIAのエードェントだった爺さんからのアメポチをしっかり受け継いだペテン総理が権力の座に居座る限り、この国はアメリカの52番目の州どころか単なる特別自治区としていいようにされるってわけだ。
 自民党支持者はそろそろ目を覚まさないと、あなたの子や孫がアメリカの戦争に駆り出されることになりますよ。

 「くろねこの短語」2018年2月24日ー大臣は「廃棄した」と蛙の面になんとやらで、官僚は「ロッカーを探したけど見つからなかった」とケンもホロロだった裁量労働制をめぐる調査原票が、なんと厚労省の地下室からダンボール32箱分も出てきたってんだから、恐れ入谷の鬼子母神とはこのことだ。(略)
  このデータ捏造疑惑ってのは、ひと昔前だった政権が吹っ飛ぶほどの大スキャンダルなんだよね。それがいまひとつ大きなうねりとならないのは、やっぱり行き着くところはメディアの報道の仕方にあるのは間違いない。TVのニュース観てても迫力ないもんねえ。もっとも、そんなことはいまに始まったことではないのは百も承知だけど、だからと言ってニヒリズムに陥ってしまうのも考えものだ。一般大衆労働者諸君の諦観が醸し出すニヒリズムってのは、最終的には権力を利することになりますからね。
 でもって、裁量労働制のデータ捏造を追及する野党に対して、「誹謗中傷だ!」って喚く自民党のクズ議員がいるってね。北海道から比例で当選した魔の三回生のひとり、渡部孝一とやらがその御仁とか。こやつの名前はしっかりと覚えておこう。
 ところで、裁量労働制のデータ捏造ですっかり影が薄くなっちまった森友学園疑獄なんだが、週刊文春がイッパツかましてくれたようだ。なんでも、国税庁が差し押さえた土地をシュレッダー佐川君が相場よりも安く手に入れ、1億円の新居を構えていたってさ。法律的には何の問題もないってんだが、こんなうまい話は一般大衆労働者諸君とは無縁のことなんだから、怨嗟の声が澎湃として湧き上がってくるのは間違いない。そうなると、ますます逃げ場を失うわけで、シュレッダー佐川くんの命運も風前の灯・・・になることを切に願う土曜の朝であった。

 「くろねこの短語」2018年2月22日ー(前略)「廃棄した」ってシュレッダー佐川君が言い募っていた森友学園との交渉記録がいまになってどんどん見つかっているのと同じ構図です。ようするに、ペテン政権ってのは、政治家と官僚がグルになって、国民を騙すための様々な戦術を駆使しているってわけだ。
 裁量労働制について言えば、ここまで捏造と疑われるデータが存在する以上は、まずは廃案にして、すべてゼロから始めることですね。それを1年延期なんてことで誤魔化そうとしているんだから、国民も舐められたものだ。ペテン総理の昨夜の酒食の友は読売のナベツネだったようで、おそらく今後の世論操作を相談したんでしょうね。妄想だけどさ。
 ところで、20日の国会で、ペテン総理は私人の嫁と森友学園との関わりについてこんな答弁をしとります。「私の妻(昭恵)が森友学園の国有地について関わっていたのは『貸付』の段階でありまして…『売買』の話には関わってないのですから、そもそも根本がまったく違うのです」
おいおい、「売買」には関与してないけど「貸付」の段階では関わっていたってんだから、これって自白しちゃってるよね。語るに落ちましたね。それにしても、こんな重要な答弁を新聞・TVはスルーしてるんだから、これじゃあ背走するペテン総理の背中を押してるようなもんですよ、ったく!!

 「くろねこの短語」2018年2月19日ー(前略)現行犯逮捕ではさすがに揉み消すこともできず、さあ、どうするどうする、ってなもんです。・世耕経産相の政策秘書、タクシー運転手殴った疑いで逮捕 ところで、この事件について、「専守防衛は厳しい、先に攻撃した方が圧倒的に有利」というペテン総理の国会答弁を身を持って体現したんじゃないかというコメントがあったのには笑えた。
 この国会答弁については泉谷しげるのコラムでの発言にからめて15日のエントリーで紹介したんだけど、もう少しニュースなるかと思ったら、新聞・TVはけっこうスルーしてるんだよね。でも、もし日本が先制攻撃したら、その瞬間に国連の「敵国条項」が発動されて軍事的制裁を受けることになってるんだよね。日本ってのは国連ではいまだに敗戦国なんであって、「先制攻撃」なんて言ってられる立場じゃないってことを、誰か言ってやれ。
週のはじめに考える 「専守防衛」変質への憂い 話が飛んでしまいましたが、ゲッペルス気取りの世耕君の政策秘書の暴行事件は、ペテン総理を頭とする自民党の腐れ外道どもの思い上がりの象徴みたいなものだということで、お後がよろしいようで。


『しんぶん赤旗』2018年2月17日/2月19日

 「くろねこの短語」2018年2月18日ー(前略)そんな若人の偉業を政治利用しようと、やっぱりペテン総理は羽生君に電話してたってね。それをまたTVが垂れ流し、ペテン総理の「やってる感」演出に一役買ってるんだから情けないったらありゃあしない。この男は、自衛隊の戦闘ヘリが直撃した被害家族に電話したか。優生保護法で避妊を強制されたひとたちに謝罪の電話をしたか。つまりはそういうことだ。
 ところで、籠池前理事長の自宅が強制的に競売にかけられるって話は15日のエントリーで紹介したんだが、なんで長期拘留中で裁判すら始まっていない中で裁判所がこんな理不尽な決定をしたのか・・・そのことがどうも喉につっかえてたんだけど、こんなツイートを見つけて、「なるほど」と膝を打ったのであった。籠池夫妻の住居が競売に付されようとしている件について。注意喚起をしておく。長期拘留を続ける条件の一つとして「住居がないこと」が明記されている。競売に付されて自宅がなくなれば、籠池夫妻の住居が無くなる。そうなると、被疑者拘留延長の要件ができてしまうのではないか?
 そうなんだよね、「住所不定」「罪証隠滅のおそれ」「逃亡のおそれ」の3つが勾留理由の3条件なんだよね。いずれ籠池夫妻の長期にわたる不当拘留が政治問題化しかねないってんで、そうした動きに先手を打つ意味でいまのうちに自宅を競売にかけて住所不定にしてしまおうってわけだ。妄想かもしれない。でも、そう考えれば、このタイミングでの自宅競売っていう司法の判断も頷けるんだね。国会で平然と嘘つく奴らたもの、このくらいの企みはあったとしても不思議じゃない今日この頃なのだ。

「くろねこの短語」2018年2月16日ーオリンピックオリンピックオリンピックオリンピック・・・新聞・TVは明らかに恣意的に国会隠ししてますね。昨日だって、森友学園疑獄で新たな音声データが共産党によって公表されたってのに、TVのニュースでは森友の「も」の字も報道しないんだから、もうジャーナリズムとしての誇りや矜持のカケラもありません。
 裁量労働制の調査データの捏造疑惑だって、ペテン総理が答弁撤回して謝罪したってことは伝えるんだけど、こうした鉛筆舐め舐めのデータ捏造ってのはこの政権の常套手段ってことにまで踏み込まない。
 実質GDPが28年ぶりの長期成長ってのが2、3日前にニュースになっていたが、GDPの計算方式を変更したおかげってことにはまったく触れないんだね。これだって、裁量労働制のデータ捏造と似たようなもんで、自分たちの都合のいいように計算の仕方や数字を操作した結果なのだ。
 どうしてそこを突っ込まないという新聞・TVに対する歯がゆさは、おそらく一般対象労働者諸君の多くが抱いているに違いない。それがまた政治不信につながっていることに、新聞・TVはことの他無頓着なんだね。
 昨日の東京新聞『こちら特報部』で、ペテン総理が朝日新聞批判を喚いていることについてリポートしてたんだが、「異様な首相発言 なせ批判少ない」という見出しを掲げていた。記事中には、「そんな常識外れの首相なら、国民から『おかしい』の大合唱が上がっていいはずだが、現実にはそうはなっていない」って、読みようによっては「国民の無関心」を暗に批判しているんだね。

「くろねこの短語」2018年2月15日ー新聞・TVは北朝鮮応援団の異様さをことさら強調してニュースに仕立てているんだが、その昔の東京オリンピックにおける柔道や女子バレーボールへの日本人の熱狂ぶりも似たようなものだったと思う今日この頃。
 そんなことより、不当な長期拘留を課されている籠池前理事長の自宅が強制競売されるそうだ。自由を奪った上に私有財産まで没収しようってわけか。証人喚問に応じて、堂々と持論を述べた結果がこれかい。片や、首謀者のひとりであるペテン総理の私人の嫁は相も変わらず総理夫人の立場を謳歌し、隠蔽工作に加担したシュレッダー佐川君はひょっとこ麻生にガードされて安穏と国税庁長官の椅子にふんぞり返っている。(略)
 それなのに公明党がこの問題ではやたら守りに入っているのはどうしてなんだろうと考えてみると、どうやら公明党幹部の息子が一枚噛んでいるんじゃないかという疑問が浮かび上がってくるんだね。森友学園疑獄が露見した当初に既に名前が上がっていたから、ああそう言えばと記憶が甦ってくる方もいるに違いない。具体的に言えば、ペテン総理は大阪のTV番組に出演した折に、この公明党幹部が経営する料理屋で会合を開いている。そこには金融機関に勤める幹部の息子も同席して、森友学園への融資を決めた・・・のではないかという噂が根強くあるんだね。これこそが公明党が森友学園疑獄に沈黙する理由とするなら、そりゃあシュレッダー佐川君の国会招致を拒むわけです。

 「くろねこの短語」2018年2月14日ー しかしまあ、下品な国会、下衆な政治屋だらけの国になったものだ。魚は頭から腐るというが、総理大臣が平気でいちメディアを国会でdisりまくるんだから、これはもう常軌を逸してます。国会だけでなく、facebookにも朝日憎しの書き込みをしてるんだが、スピッツ一太君あたりが代筆してるのかと思ってたら、なんと自ら「哀れですね。朝日らしい言い訳。予想通りでした」って書き込んでいたってね。こうなったら、朝日新聞は、徹底してしてペテン総理と戦うべきだろう。他の新聞・TVも他人事としてスルーしている場合じゃありませんよ。ジャーナリズムとしての誇りと矜持をかけて、この稀代のうつけ者を一丸となって糾弾すべきなのだ。
 新聞・TVがそうした動きをする素振りさえ見せないから、余計に増長しているってことも忘れてはいけない。森友学園疑獄にまつわる文書について、国会で舐め腐った答弁できるのも、新聞・TVがオリンピックでカモフラージュしちゃってるからなのだ。昨日も国会では、ひょっとこ麻生がとんでもない答弁しているんだね。年金男・長妻君が公表された文書は「誰が見ても交渉記録だ」って詰め寄ったら、ひょっとこ麻生は「あくまで法律相談であって面会記録ではない」だとさ。またしても言葉遊びでかわそうって寸法だ。

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2018年2月沖縄県立博物館・美術館横の新城良一氏を訪ねる。昨年は骨折で入院していたという。



1994年12月 地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(この地域は江戸の頃から文人が住まい、後に鴎外や漱石などの文豪が居を構え、東大や芸大が近い関係上、多くの作家や芸術家が過ごした街である。)其の四十一 谷根千工房


夏目漱石の留学辞令書(複製)を持つ良一氏


「1929年1月『漱石写真帖』 松岡譲1891-1969 編 第一書房」を持つ良一氏
夏目漱石資料


1916年12月11日『琉球新報』


松岡映丘と漱石「草枕」・絵卷を見る

「熊本『草枕』MAP」

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山入端つるー13歳のとき、姉たちが行っている辻に売られていった。




〇三木健「解題・近代沖縄おんなの生きざま」
関東で琉球芸能を普及ー疎開先での生活を切りあげ、東京に出ることにした。そのとき、つるの頭にひらめいたのは、やはり芸能のことであった。千葉から東京墨田区の平川橋に一戸を求めて住んだが、芸能の打ち合わせなどで川崎に出向くことが多くなり、居を同地に移す。1948年(昭和23)頃のことだ。

川崎や鶴見には戦前沖縄から工場労働者として出稼ぎに来た2,3千人がそのまま住みつき、一つの集落をなしていた。そこでは沖縄芸能も盛んだった。川崎における琉球芸能の歴史は、昭和2年に、阿波連本啓が「阿波連郷土舞踊同好会」の看板を掲げ、県出身者を集めてはじめたのが嚆矢といわれている。

戦後になって米須清仁らが中心となり、それに鹿児島に疎開していた野村流師範の池宮喜輝、舞踊の大家渡嘉敷守良らが加わり隆盛をみる。つるも渡嘉敷守良や池宮喜輝の両師範から古典を仕込まれた。つるは乞われて地方をつとめた。川崎沖縄芸能研究会が結成されたのもそのころのことである。

1948年3月、読売ホールで平良リエ子、児玉清子のコンビによる芸能公演が3日間にわたって開かれたときも、つるは地方をつとめた。(略)マッカーサー夫人の主催する会に招かれて、児玉清子の踊りの地方をつとめたことも忘れられない。また西崎流舞踊家元の西崎緑は渡嘉敷守良に弟子入りしていたが、琉舞を歌舞伎座で舞ったときも、つるが地方をつとめた。西崎はまたつるのよき理解者であった。

とにかくそのころは地方はほとんどおらず、つるは西へ東へと多忙な日々をおくる。こうした活動が認められ、つるは川崎市文化協会から感謝状をもらっている。沖縄芸能は全国でもめずらしく、1952年(昭和27)に川崎沖縄芸能研究会が川崎市の無形文化財に指定され、1954年には神奈川県が県の無形文化財に指定した。つるたちの活動が大きな支えとなっていた。


1957年ー山入端つる 東京新橋に琉球料理「颱風」開店

寛惇はつるの「三味線放浪記」を書いたあと、「このつぎは萬栄兄さんのことを書こうね。そして二つまとめて本にしようね」と話していたが、萬栄のことを少し書きかけたころに亡くなったのである。

□東恩納寛惇は1950年に、真栄田勝朗『琉球芝居物語』に序文を書いている。□さきに渡嘉敷唯錦君の辻情話が出た時に私は依頼によってひと通りその原稿に目を通した。ことごとく吾々の知見の及ばざる世界の噺ではあったが、吾々の同時代の社会生活の一面である以上、よかれあしかれ、誰かが引受けて記録しておかねばならないであろうと考えながら、せめては表題だけでも『青芝巷談』として見てはと提案したが、遂に採用されなかった。但し、序文だけは畠ちがいという理由で御免蒙りたい意中を先方で察して遠慮して呉れた。今度、真栄田君が芝居噺を書くと聞かされて、大方辻情話の姉妹篇であろうと考えていた。廻って来た原稿を一読すると、姉妹らしき処もあり、従姉妹らしき処もあり、血のつながりのある事だけは争えないが、それにしても、何処か知らぬ気質の違った点が見受けられた。(略)すべて臭い物には蓋をするがよい。蓋さえしっかりしておけば自然に消滅する。(略)然るに最後の結語に沖縄芸能の保存が古典劇と代表的舞踊とに重点を置くべき事、役者の教養を高むるべき事などを提唱した見識にすべてを見直し得難い風俗史料として江湖に推薦する。


□2014年1月25日昼ー高槻の平良リヱ子さん宅から息子が電話をしてきた。あけみと息子が遊びに行ったようである。平良さんも電話で「あけみさん、児玉清子さんに似ている」と言われた。帰りに、お土産(舞扇など)いっぱい貰ったという。あけみは山入端つるさんも訪問看護で会ったことがある。 

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