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しまくとぅばプロジェクト2018 しまくとぅば鼎談/座談「南米んじ 琉球(るーちゅー)しまくとぅばー ちゃー なとー
2018年10月14日 14:00~17:00 沖縄県立博物館 講座室「しまくとぅばプロジェクト2018 しまくとぅば鼎談/座談「南米んじ 琉球(るーちゅー)しまくとぅばー ちゃー なとーが?」
 これまで沖縄の近代思想(伊佐眞一氏)、経済と文化(屋嘉宗彦氏)、写真(比嘉豊光氏)について、「しまくとぅば」で論じてきた鼎談シリーズの6回目。
沖縄の「しまくとぅば」は、沖縄・琉球に広がる島じまの言葉です。しかし、それを話しているのは、何も私たち琉球弧に住んでいる人たちばかりではなく、生活の言語としている人たちが、遠く南米にもたくさんいます。沖縄から移民で行った地で、しっかりと根づいています。
今回は、これまで何度もブラジルやアルゼンチンに行って、沖縄からの移民一世だけでなく、そこで生まれ育った二世・三世・四世の人たちと家族同様の付き合いをしてきた大城和喜氏をゲストに迎え、故郷を離れた外国の地で、琉球諸語がいま、どうなっているのかを知ることで、私たち沖縄・琉球におけるしまくとぅばの未来のありようを見つめる機会とします。(※むる しまくとぅばしっ 話し さびーん)

基調講話:「うちなーんちゅぬ 暮らし とぅ 言葉」 大城 和喜 氏(南風原町文化協会 会長)
座談:大城 和喜 氏、伊佐 眞一 氏(沖縄近現代史家)、比嘉 豊光 氏(写真家)、屋嘉 宗彦 氏(法政大学 名誉教授)

比嘉豊光氏(写真家)

大城和喜氏、(南風原町文化協会会長)伊佐眞一氏/左から屋嘉宗彦氏(法政大学名誉教授)、伊佐眞一氏、大城和喜氏、比嘉豊光氏


2018年10月14日『沖縄タイムス』伊佐眞一「歴史を刻んだ沖縄人ー太田朝敷」

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9-29 昼の我が家の屋上/安里川
9月29日ー5時前のネットで台風24号は名護市の北西約50kmを北北東に移動中とある。那覇は昼から風が収まり自転車に乗っている人や歩いている人もいた。今6時そろそろ風も強くなると思う。気象庁は29日、マリアナ諸島沖で午後3時、台風25号が発生したと発表した。勢力を強めながら北西に進む見通しで、10月4日以降に沖縄へ接近する可能性がある。

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  「くろねこの短語」2018年10月13日-沖縄の民意には抗えなかったということなのだろう。オール沖縄・玉城君の知事就任早々に、初老の小学生・ペテン総理は面談して対話ムードを演出しましたとさ。ようするに、単なるセレモニーなわけで、それが証拠に面談におけるペテン総理は役人が用意したカンペを横目で見ながら、「今後とも、県民の皆様のお気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減について、軽減に向けて、ひとつひとつ着実に、結果を出していきたいと考えております」 だとさ。そこには誠意のカケラも見て取ることはできません。しかも、この男は、冒頭でこんなことも言っている。「(辺野古移設を)これまで進めてきた政府の立場は変わらない」
これのどこが「県民の皆様のお気持ちに寄り添」うことになるんだ。そもそも、普天間返還と辺野古新基地建設はセットではない。ペテン政権は、それをあたかも普天間移転の見返りとしての辺野古新基地建設であるかのようにお得意の「印象操作」してるんだね。
 ところで、九州電力が電力の需給オーバーでブラックアウトの恐れがあるから太陽光発電を制御するってさ。馬鹿だねえ。自然エネルギーで電力は足りているってことなんだから、だったら原発再稼働しなけりゃよかったじゃん。馬鹿馬鹿しいにも程があるとはこのことか。最後に、豊洲は開業早々に渋滞だターレーの事故だと大騒ぎ。なかでも、凄まじいのが,溢れ出た汚水だ。どうやら、排水管の大きさに問題があるようなんだが、食品扱う市場で一番やっちゃいけないことだろう。渋滞や事故の元となった動線の問題と相まって、ぼったくりバーのチーママ・小池君の無策・無能のツケが、案の定、回ってきたってことだ。豊洲はこれからもトラブルが続くことは間違いない。最悪は、いまだに染み出してきている地下の汚染だね。何ひとつ解決しないまま開場した責任は、いったい誰が取るというんだろう。

 「くろねこの短語」2018年10月4日-凄いなんてものじゃない。なんと東京オリンピックの経費が3兆円だとさ。そもそもは3000億円程度のコンパクトな大会というのが売り文句だったんじゃないのか。それがどこをどうしたらこんなベラボーな金額になるんだろうねえ。
・五輪経費 膨らむ恐れ 国すでに8011億円支出 ・オリンピックの運営費はなぜ当初予算の何十倍にもなるのか
 でもって、安倍ポンコツ内閣のオリンピック担当大臣ってのが、これまた札付きのボンクラときてんだからたまったもんじゃありません。「放射能汚染されたごみの焼却灰を『人の住めなくなった福島に置けばいい』」って暴言吐いてイエローカード突きつけられたというスネにキズ持つ御仁で、失言を怖れた官邸から「国会答弁は棒読みでもいい」って注文つけられたっていうくらいだから、そのボンクラさは国が認めてるってわけだ。
 だからってことなんだろう、オリンピック担当大臣が任されているサイバーセキュリティ基本法改正案について、「桜田氏の国会での答弁はない方がいい」って声が上がって別の閣僚への変更を検討してるってさ。だったら、ハナっから大臣にしなけりゃいいだけの話で、いかにポンコツ内閣が箸にも棒にもかからない輩の掃き溜めかってのがよくわかるというものだ。大臣就任の記者会見では原稿すらロクな読めないんだから、「教育勅語を現代風にアレンジ」の文科大臣に続いて失言・暴言で顰蹙買うのはこやつで決まりです。・桜田五輪相の答弁、官邸が不安視 法案担当の変更を検討
 ところで、何をいまさらって感がなきにしもあらずなんだが、東京上空の制空権はアメリカが握っているっことが改めてバレちゃいました。なんでも、「東京オリンピック・パラリンピックに向けて、羽田空港の国際便の発着便を増やすための新たな飛行ルートをめぐって、日本とアメリカの間の調整が難航し、運用できないおそれが生じていることがわかりました」とさ。ようするに、オスプレイ配備したばかりの横田基地上空をちょっとでもかすめて民間航空機が飛ぶんじゃねえ、ってアメリカがクレームつけたってわけだ。それに文句のひとつも言えないペテン政権なんだから、なにが「日本を取り戻す」だ。「戦後レジームからの脱却」が聞いて呆れますよ。 「東京には空が無い」と智恵子は言ったそうだが、洒落にもなりませんよ、ったく!!

 「くろねこの短語」2018年10月4日-ヘッポコ内閣と犯罪者優遇の党内人事にクレームの嵐。なかでも、ひょっとこ麻生とあっせん利得の布袋頭・甘利君に批難が殺到しているようで、なんと選対委員長としての甘利起用については地元の市民団体から自民党本部に抗議書が出された。「(党として)最低限の矜持を持たないことを示した」という指摘はごもっとも。検察が不起訴にしたからって金銭授受があったのは事実だし、何より説明するって大見得切ってたんだから、早いとこ説明責任果たしやがれ。自民党あて抗議書
 ところで、トランプに「『交渉しようとしないならあなたの国からの車にものすごい関税をかける』と言った。そうしたら日本は『すぐに交渉を始めたい』と言ってきた」とバラされちゃったあげくのTAG(物品貿易協定)なんたが、日米共同声明には「TAG」なんて表記がないどころか、「物品、またサービスを含むその他重要分野における日米貿易協定」(在日米国大使館訳)となってるってね。つまり、これってアッパレなほどの日米FTAってことの証明なんだね。それを初老の小学生・ペ゛テン総理はわざわさ「TAG」なんて造語までして「包括的なFTAではない」って喚いてるんだから、どこまで往生際が悪いんだか。
 こういう言葉による誤魔化しってのはペテン政権では常態化しているわけで、言葉では誤魔化しきれないものにはデータ改竄もお手の物なんだから、こんなのが正当な政権って言えるのだろうか。こういう事実をTVのニュースってのはまったくスルーしちゃうんだよね。沖縄知事選のことはほったらかしで、脱走犯がどこで何してたとか相撲取りの内ゲバは面白おかしくリポートしてるのと同じで、ようするにペテン政権にとってまずい「事実」は徹底的に隠蔽しようってことなんだね。メディアとしての「最低限の矜持」すら持ち合わせてないんだもの、そりゃあ自民党という「国難」を糾弾するなんてことは出来ようはずもありません・・・なんてこったいの今日この頃なのだ。

 「くろねこの短語」2018年10月3日-全員野球とは意地悪く言えば、ようするにエースも4番もいない、箸にも棒にもかからない選手の寄せ集めってことなんだね。高校野球だったら、それでもみんなで力を合わせて戦うことに意味があるんだろうが、政治の世界でベンチで野次飛ばしてたやつまで登用しちゃお仕舞いよ。 こんなんだもの、田崎スシローにすら「一番出来の悪い内閣」ってdisられちゃうのも無理はないというもので、叩けばホコリのひとつやふたつは出てくるようや奴らばかりですからね。「在庫一掃、閉店セール内閣」野党が改造後の顔ぶれ批判
 でもって、文科相に就任した柴山昌彦が早速やってくれた。この御仁は、「同性婚制度化は少子化に拍車にかかる」とトンチンカンな放言して顰蹙買った過去があるんだが、昨日の就任会見で教育勅語について「アレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている」とのたまってくれちゃいました。さらに、閣外とはいえ、総裁特別補佐で復権を図る網タイツのゴスロリ・稲田君が、「「ミサイル防衛で1発目のミサイルを撃ち落とし、2発目(が撃たれる)までに敵基地を反撃する能力を持っていない状況でいいのか」って吠えたってね。こんな軍事オンチが防衛大臣やってたことが、いまさらながらに恐ろしい。
 こういう場末の動物園みたいな内閣改造、党役員人事を伝えるメディアが、これまた大ボケかましてくれてるんだからリンダ困っちゃうのだ。テレビ朝日なんか片山さつきが認証式に何を着ていくかで悩んでいる愚にもつかない様子を嬉々として垂れ流しているんだもの、おいおい、売れないタレントのお家拝見じゃないっての。聞くところによれば、NHKもこれと同じ報道してたそうだ。もう、言葉もありません。生活保護叩きの鬼嫁・片山きつきが過去にどんな発言していたか。そんなことにはまったく触れもせずに、これだもの。もう、言葉もありません。というわけで、生活保護叩きの鬼嫁・片山さつきのツイートを改めてご一読あれ。こんなのが大臣ですから、末は博士か大臣かどころか、世も末ってなもんです。

 「NEWSポストセブン」(小学館が運営する日本のニュースサイト。2010年9月30日に開設された) 10月2日ー(略)第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社がどうあるべきかを考えるとして、第1回の会議には、小堀宮司以下、ナンバー2である権宮司など職員10人が出席したことが当日の議事録に残されている。その会議の場で、靖国神社のトップである小堀宮司から、驚くべき発言が飛び出した。「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
 さらに発言は、代替わりで次の天皇となる皇太子夫妻にも向けられた。「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」

 『日刊スポーツ』9月24日ー東京都の小池百合子知事は23日、沖縄県知事選(9月30日投開票)で自民党が支援する新人候補を応援するため、同県浦添市で街頭演説した。

2018年9月15日『しんぶん赤旗』「佐喜眞氏、『私も日本会議に加盟している一人』2012年6月27日の議会定例会で答弁」


→ウィンザー通信

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3代目山口組内弘田組副組長のところに、現・6代目山口組の司組長の名がある。
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髙山 清司/菱心会理事長。(たかやま きよし、1947年9月5日 - )は、六代目山口組若頭兼中部ブロック長、二代目弘道会会長、二代目髙山組総裁(初代組長)、旧弘田組若頭補佐.



2017/5/19  サイゾー特別編集班 『烈侠外伝~秘蔵写真で振り返る加茂田組と昭和裏面史 』 /関連資料 

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三代目山口組内大平組舎弟古川組沖縄支部→2017-6『週刊実話』「神戸山口組現役幹部(古川恵一二代目古川組長)が怒りの激白ーインタビューは尼崎市内の琉真会本部で行われた。」

橋下市長の実父がヤクザというのが『週刊朝日』で報じられていたが、1990年代の大阪市内は市民レベルを反映しヤクザ事務所が彼方此方に有った。橋下ドクサイ市長が新聞記者にトヤカク書かれる筋合いは無い。
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屋良朝信 やら・とものぶ 川崎沖縄県人会会員。1949年川崎市川崎区生まれ。両親に連れられ幼い頃から沖縄を訪れる。学生運動が盛んだった10代の終わり頃、在籍した都内の明治大では休講が続いた。作家・小田実さんの著書の影響を受けて休学、「何でも見てやろう」とバックパッカーの旅に出た。北欧や英国の街角で、ギターを抱えて日本の歌を歌った。1年間で復学。卒業後、沖縄や欧州、アジアの安宿を泊まり歩く旅を30歳近くまで続けた。旅の途中、親交を深めた日本人の尺八奏者とも楽曲を制作した。その後、出版社や電子部品メーカー勤務などを経験。退職後は沖縄出身者やその子孫を応援する。

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「私設文学資料室」主宰・新城良一氏、右が屋良朝信氏/沖縄県立博物館・美術館入口の民家前
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沖縄県立博物館・美術館館長室で右が田名真之館長/左から豊見山愛さん、屋良朝信氏、亀海史明氏

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渡口万年筆店で右が渡口彦邦氏、屋良朝信氏/那覇市民ギャラリーで左から屋良朝信氏、伊佐真一氏、高良憲義氏

屋良朝信「富士瓦斯紡績工場」
 川崎は江戸時代には 東海道の宿場の一つとして賑わったが,1872(明治5)年に 新橋-横浜間の鉄道が敷設されて、川崎駅ができるや駅周辺の都市化が急速に進んだ。
明治後期,現在の京浜急行・大師線が開業し多摩川の南岸沿いに工場が建設される。以降、京浜工業地帯の中核となった。
明治初期から大正にかけて建設された主要な工場群;
・1908(明治41)年 東京電気 (後の東芝)・1909(明治42)年 日本蓄音器 (後の日本コロンビア)・1911(明治44)年 東京製線 (後の三菱電線)・1912(明治45)年 日本鋼管 (後のJFE)・1914(大正3)年 富士瓦斯紡績
-関東大震災-
沖縄県出身者は大正初期から紡績工場などへの出稼ぎのため川崎にわたり、親類縁者を呼び寄せた。23年の関東大震災で多くの県人が被災した。特に富士瓦斯紡績川崎工場では沖縄からの出稼ぎ労働者から72人の死傷者を出したという。被災県人を支援しようと震災翌年結成されたのが川崎沖縄県人会だった。初代会長は那覇市出身の玉那覇有盛氏。会員は千人ほどで、多くは富士瓦斯紡績の女工たちだったという。沖縄戦の後は、混乱の中で沖縄に戻れない県人や復員兵らの受け皿となり、琉球芸能を催して慰めとした。「川崎の沖縄県人70年の歩み」で、照屋元義氏(川崎沖縄県人会理事-当時-)は「県人の皆さんが集まり、踊りを練習して、お互い沖縄を忍びながら過ごした」と記している。→2017-6 旅の記憶 〜遊民雑記〜 tomoyaraのblog


1986年7月「川崎の男女共同社会をすすめる会 会報ー吉見周子『川崎の男女共同社会をめざして』」第5号/1985年2月4日『琉球新報』「大震災で散った”沖縄女工たち 〟犠牲者の名簿 川崎市の吉見周子山脇短大講師が発見」「富士瓦斯紡績川崎工場関東大震災時琉球列島出身犠牲者一覧」

仲田ウト 明37,8,5 戸主名 朝政 七女 年齢19 名護村世富慶37 入社 大11,9,18 所属 撚糸科  

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10/08: 崔承喜

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崔承喜
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1936年10月22日ー沖縄新聞社の招待で崔承喜一行(10名)、開城丸で来沖。

1936年8月ー日本民俗協会『日本民俗』第13号□琉球古典芸能の印象ー杉浦非水「大阪第五回内国勧業博覧会で琉球踊りをみた」、山崎紫紅、森律子、上司小剣、東儀和太郎、田辺尚雄「玉城盛重、新垣松含の15年前にみた。年老いた今日ー」、兼常清佐、村山知義、、邦正美、深井史郎、伊庭孝、岡元信吉、土岐善麿

崔承喜□私が琉球舞踊に接したのは、これが最初でありますが、それが非常に優れた民俗舞踊であることに大きな尊さを覚えたとともに、それらは私の舞踊の研究の上に、最近に於いて最も得ることの多かったものであったことを喜びます。
幾分新しく様式化されて演ぜられたように思われる「天川踊り」や「鳩間節」等の作品に最も大きな感銘をもったのでありますが、この様な民俗舞踊に於ける優れた手法は、私達に取って摂取さるべき多くのものを保持して居るように思われます。
私はこれらの琉球舞踊の中で、取り入れらるべきものを取入れんとして、此頃新作のレパートリの或る種のものに試みつつありますが、琉球舞踊を見た時に強く感じましたことは、それが朝鮮の民俗舞踊やシャムの民俗舞踊に類似して居る手法を多く包含して居るように感ぜられたことです。殊に上半身の動きー肩の動きや腕の動きは、朝鮮舞踊によく似ていますし、廻り方に於ける足の動きや手首の動きは、シャム舞踊に似てはいないかと思われました。
「組踊」に於ける様式上の特殊性も、朝鮮の民俗舞踊の中で残されている代表的なものである「山臺劇」等に見いだされるようなものに共通したものをもって居るように感じました。勿論、琉球舞踊にしましても、支那、シャム、朝鮮等の舞踊にしましても、東洋の舞踊に独自な、様式上の多くの類似性をもつことは当然なことでありませう。
このような琉球のもつ優れた民俗舞踊が有能なる舞踊家の手に依って、新たに様式化され、そしてそれが成長して行く日には世界に出して誇り得るものさえももつであろうとさえ思われると共に、この様な舞踊の伝統が何故、私達舞踊家に取って左程注目されていないかと思うのであります。スペイン舞踊等に対する関心も勿論必要でありますが、このような私達の手近にある民俗舞踊への関心も、もっと重要なものではないでしょうか。
この様な東洋の民俗舞踊を研究し、それを基礎として行く時には、東洋風舞踊と洋風舞踊との距離は、私達東洋人の踊る洋風舞踊である限りに於いて、もっと縮めることが出来るだろうと思います。この様な方向は私としまして自己の舞踊の一つの方向にしたいと努めつつありますが、いづれにしましても、今度の琉球舞踊に接し得ましてことは、舞踊を専門とする私達にとりまして大きな幸福でありましたし、この様な豊かな舞踊の伝統をもつ琉球に対しまして朝鮮を故郷とする私としましては、一種の羨望さえ感じました。(1936・6・7)


平成12年12月ー『南涛文学』第16号□牧港篤三「崔承喜の踊りー(略)私は崔承喜の踊る舞台を観た 戦前、那覇市内にあった映画館(平和館)で妖艶な踊り姿を観たのである 水着のような黒い服を着た彼女は 舞台の上で観客をとりこにした」


1936年10月(2004年5月『梨園の名優 新垣松含の世界』から)


本荘幽蘭

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1908年9月4日~14日ー沖縄美術運動の夜明・丹青協会第一回絵画展覧会

出品者 山口瑞雨(沖縄師範学校教諭心得)、岸畑久吉(沖縄県立中学校教諭心得)、國友朝次郎(首里区立工業徒弟学校助教諭 日本画ー四條派 岡田玉翠に学ぶ)、長嶺華國、比嘉華山、兼城恵園、川平恵昌、渡嘉敷唯選、金城唯貞、大湾政正、神山元享、親泊英繁、玉城次郎、国吉真義(刑務所職員)

 瑞雨・山口辰吉はその名が示すごとく1868年(明治元年/戊辰)10月21日に生まれた。辰は、十二支の中で唯一「実在しない生き物」で、これは、或る種のカリスマ性の要因となると云われている。





1912年2月ー太平洋画会の吉田博、石川寅治、中川八郎と丹青協会ー真ん中の柱の中列右が瑞雨。瑞雨の上が瑞雨の息子の山口清。左端が比嘉崋山、右へ一人おいて兼城昌興

1908年、沖縄最初の美術団体「丹青協会」が結成されその会長に瑞雨が就いた。11年、2年かがりの「程順則肖像図」の模写が完成。12年の1月、太平洋画会の吉田博、中川八郎、石川寅治が沖縄写生旅行のときの写真には瑞雨や丹青協会メンバーが写っている。

私は山口米庵のひ孫で、善丸と申します。 昨年 12月7日に父 順造が92歳で他界し、山口家のことは今私が記録を残さなければ子孫には皆目わからずじまいになりかねないと、初代、米庵について調べたところ、琉文21に沖縄時代の記録を見ることが出来ました。心より感謝申し上げます。山口家の墓は都営多磨霊園にあります。初代、米庵 瑞雨院米庵智堂居士。 以来代々が埋葬されています。 30年前に母が亡くなった時、墓には地下室が無く、お骨壷を直に埋めていましたが、すべてのお骨壷を掘りあげて一箇所に収納出来るように改修しました。その時、米庵の骨壷はすごく小さいものしか有りませんでした。 なお、家に残っている米庵の掛け軸の写真を添付いたします。

写真左から山口善丸氏、島袋和幸氏

  




山口瑞雨次女 山口まさ(明治29年9月2日生まれ。大正9年6月21日 浅草にて海上晴①と婚姻)

1959年10月12日『琉球新報』□40年ぶりに帰郷 天崇教の海上さんーもと新劇女優で、そのかみの文豪坪内逍遥博士の愛弟子だったという海上美乃さん(62)=首里当蔵出身=が、11日午後4時 泊入港の沖縄丸で帰郷した。海上さんは19歳の時上京、大正10年ごろ旧姓山口真瑳の名で新劇入りしてから坪内逍遥のもとに「人間親鸞」でデビューした人で日本画家山口瑞雨夫人(ママ)である。現在、東京で新宗連東京都支部副会長などをつとめ、もっぱら天崇教の普及活動に余生をささげているという。海上さんは沖縄は40年ぶりで、この日は女学校時代の同級生の千原繁子さん(女医)ら多数が出迎え、再会を喜びあっていた。→1933年5月『沖縄県立第一高等女学校同窓会』に1913年 第10回卒業生に林まさ 旧姓 山口 東京市中野/第12回卒業生に千原繁子 旧姓 渡嘉敷 那覇市上之蔵1ノ18千原医院。

①海上晴
1894年(明治27年)、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれる。旧制・早稲田実業学校(現在の早稲田大学系属早稲田実業学校高等部)を中途退学したが、早稲田大学の坪内逍遥に入門し、文学を学ぶ。島村抱月、沢田正二郎ら演劇人と親交を結び、新劇の世界に入る。「創生劇」を主宰、日比谷野外音楽堂で公演を行った。1920年(大正9年)、日活向島撮影所の革新運動に参加し、同撮影所第三部が製作した田中栄三監督の『朝日さす前』に主演する。以降、同部の消滅まで出演をつづけた。関東大震災以降の1925年(大正14年)、兵庫県西宮市の東亜キネマ甲陽撮影所で映画出演する。1928年(昭和3年)6月、加藤精一、佐々木積とともに帝国劇場専属俳優となる。

1936年(昭和11年)、お告げを受け、天崇教を創立する[1]。教祖としての名は「海上晴帆」である。第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)に宗教法人登録を行う。1952年(昭和27年)、黒澤明監督の『生きる』で映画界に復帰、以降、東宝作品を中心に出演する。初期の岡本喜八監督作品の常連で、体格がよく貫禄のある役どころが多かった。→林幹 - Wikipedia
1905年4月『琉球教育』第106号「中頭郡女子研究会ー本年1月中頭郡に遊戯唱歌塗板画の講習会開会せし以来女子は遊戯唱歌に男子は塗板画に興味を起こし且つ教授上に大に必要を感じ引続き有志者の集会を企画し男子は首里山口瑞雨氏宅に女子は宜野湾間切普天間に毎月集合して研究怠らず・・・」

1910年4月6日『沖縄毎日新聞』「丹青協会批評会ー去る3日第10回の作品批評会を若狭町クラブに会するも日本画の山口瑞雨を筆頭として董園、比嘉華山、国吉沖山、義村竹斉、洋画の関屋敬治、親泊、渡嘉敷唯選、松島、山城、中村の面々・・・・」

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1912年2月ー太平洋画会の石川寅治、中川八郎、吉田博と丹青協会


1912年2月15日 沖縄県庁倹徳館で太平洋画会・石川寅治、吉田博、中川八郎の「琉球写生画展覧会」油絵60余点、水彩画20数点 

中川八郎 なかがわ-はちろう
1877-1922 明治-大正時代の洋画家。
明治10年12月2日生まれ。松原三五郎,小山正太郎にまなぶ。風景画を得意とし,文展と帝展の審査員をつとめた。明治34年太平洋画会の創立に参加。大正11年8月3日死去。46歳。愛媛県出身。作品に「北国の冬」「高原の花」「夏の朝」など。 →コトバンク


中川八郎「琉球の刳船」

中川八郎「琉球の山原船」
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1912年3月『みづゑ』86号 中川八郎「沖縄土産」

吉田博 よしだ-ひろし
1876-1950 明治-昭和時代の洋画家,版画家。
明治9年9月19日生まれ。田村宗立(そうりゅう)に師事,のち小山正太郎の不同舎にまなぶ。明治32年中川八郎と渡米,翌年パリへわたる。34年帰国して中川らと太平洋画会を創立し,文展,帝展で活躍,山岳や渓谷の風景画で知られる。大正9年から木版画を制作。戦後,太平洋画会会長。昭和25年4月5日死去。73歳。福岡県出身。旧姓は上田。 →コトバンク


吉田博「崇元寺前」

吉田博「泉崎橋」

吉田博「糸満町市場」

吉田博「首里の市場」

吉田博「糸満町の刳船」

吉田博「雪崎から波上宮」

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「茶わん」は陶芸愛好家向けの専門誌で、創刊は昭和六年三月。編集発行人は秦秀雄となっているが、実務は小野賢一郎がとりしきっていた。秦に代わって昭和七年五月号から編集発行人として遠藤敏夫の名がクレジットされる。編集部は芝区三田功運町六番地、聖坂を登り切った辺りにあった。(会津信吾「蘭郁二郎の生涯」)



1941年8月『文学建設』蘭郁二郎「琉球ある記」
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1971年10月 蘭郁二郎『地底大陸』桃源社

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蘭郁二郎 らん-いくじろう 1913-1944 昭和時代前期の小説家。
大正2年9月2日生まれ。「探偵文学」同人となりミステリーをかくが,科学冒険小説に転じ,SF小説の先駆者のひとりとなった。海軍報道班員として台湾にわたり,昭和19年1月5日飛行機事故で死去。32歳。東京出身。東京高工卒。本名は遠藤敏夫。著作に「地図にない島」「地底大陸」など。→コトバンク

1935年10月30日 阿部金剛、昭和会館参観

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□1893年7月『歌舞伎新報』「琉球芝居ー沖縄県琉球には昔より音楽師と称えて一種の歌舞を演奏するもの士族の間に伝えられ居たるところ去る明治22年中いづれも俳優の鑑札を受けて我が役者の如きものとなり其の組5組もあるよしにてこのたび其の一組が大阪角の芝居へ乗り込むことに決定し既に去る2日を以って那覇港を解覧し本日ごろは遅くも到着したる手筈なるがー」


「琉球国演劇」の横断幕があるのが角座。下が角座で配られたもの nullnull
□沖縄芝居ー明治26年に大阪・京都・名古屋で公演
1991年1月、池宮正治琉大教授と電話での話で大阪の新聞で沖縄関係を調べているとの話をすると、それなら芸能、特に渡嘉敷守良の芝居も心がけて見てくれと示唆された。それで見当をつけて中之島図書館で大阪朝日新聞、大阪毎日新聞を、京都府総合資料館で日出新聞、名古屋では扶桑新聞をめくると次々と沖縄芝居の記事が出てきた。国会図書館にも行き雑誌も見た。



1982年1月3版 那覇市『写真集・那覇百年のあゆみ』(琉球処分百年記念出版)

1919年ー京都都踊りで琉球太鼓踊り
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(略)沖縄の歴史を研究している新城栄徳氏(琉文手帖主宰)が、京都府立総合資料館で発見した大正8年の日出新聞(現在の京都新聞)に掲載されているもの。




上ー1995年1月19日『琉球新報』「人気あった琉球の太鼓踊りー大正8年 京都の都おどりで」/下はその時の絵葉書、左が巴紋の幕の前で万国旗をかざす踊子たち。右が太鼓踊り
□1919年3月12日『日出新聞』「都踊ー『今紫四季栄』平和踊・御越わん、里前御扶齎したぼれエイヤヨヌ平和の日(ひゃるがひー)ー」


1919年9月14日ー『沖縄時事新報』


1920年5月 『地方行政』小林次郎「沖縄の特殊行政」



1925年11月『沖縄タイムス』

1932年
●山里永吉の戯曲「那覇四町昔気質」が琉球新報に掲載されたのは昭和7年3月で、山里はその後記で「この戯曲は多分13日から大正劇場で上演されると思うが、考えて見ると大正劇場に拙作『首里城明け渡し』が上演されたのが一昨年の今頃、ちょうど衆議院の選挙が終わった当座だったと覚えている。それから昨年の正月が『宜湾朝保の死』、今度の『那覇四町昔気質』と共に尚泰王三戯曲がここに完成した」と述べている。

1929年11月 那覇の平和館で「先駆者時代」上映□原題: The Pioneer Scout 製作国: アメリカ 製作年: 1928 配給: パラマウント支社


1930年10月『沖縄朝日新聞』
1930年11月 那覇の平和館で①「百年後の世界(原名メトロポリス)」/「江戸城総攻メ」上映
①『メトロポリス』(Metropolis)は、フリッツ・ラング監督によって1926年(大正15年)製作、1927年に公開されたモノクロサイレント映画で、ヴァイマル共和政時代に製作されたドイツ映画である。
製作時から100年後のディストピア未来都市を描いたこの映画は、以降多数のSF作品に多大な影響を与え、世界初のSF映画とされる『月世界旅行』が示した「映画におけるサイエンス・フィクション」の可能性を飛躍的に向上させたSF映画黎明期の傑作とされている。SF映画に必要な要素が全てちりばめられており「SF映画の原点にして頂点」と称される。→ウィキペディア
□1985年2月 那覇の国映館で「メトロポリス」上映


1930年11月『沖縄朝日新聞』

1935年

旭館


平和館


1936年11月


1937年6月 那覇の旭館で「世界の終り」上映


1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「久高長秀」

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