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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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写真左から秋山勝氏、鳥山淳氏、新崎盛暉氏、新城栄徳、屋嘉比収氏、大峰林一氏


左ー秋山勝さん(2016年11月6日死去74歳)が創刊時から関わった雑誌『けーし風』/【中部】米軍普天間飛行場のゲートが、市民の手で次々と封鎖された前代未聞の4日間から1年。現在もゲート前で抗議行動を続ける人々が28日、宜野湾市中央公民館に集まり、オスプレイ配備を撤回させる決意を新たにした。日米両政府は県民の反発に耳を貸さず、24機の配備を完了したばかり。参加者は「粘り強く闘い続けよう」「勝つ方法は諦めないことだ」と気勢を上げた。ゲートが封鎖されたのは、オスプレイ配備を目前に控えた昨年9月27~30日にかけて。座り込む人々を排除しようとする警察との間で衝突も起きた。つえをつきながら参加していた秋山勝さん(71)=那覇市=も、警察のごぼう抜きに抵抗した。


2020年5月 秋山勝遺稿集刊行会『秋山勝 遺稿集』〇2014年10月『けーし風』84号 秋山勝「《報告》オスプレイ強行配備から2年ー続く普天間基地ゲート前闘争・・・大山ゲートで特に金曜日に大勢集まって反対運動への妨害や嫌がらせを繰り返す『オスプレイファンクラブ』『FCP(フェンス・クリーン・プロジェクト)』なる手登根安則という人物を代表とする右翼団体の行動である。これに幸福実現党のメンバーも一部加わり、『週刊新潮』や『桜チャンネル』などネットグループも応援の報道で取り上げ、『米海兵隊政務外交部』なるかつてのCIC(米軍政下の米軍防諜部隊)のような数名の情報部員も歓迎・協力している。・・・」


写真左から屋嘉比収氏、新城栄徳、伊佐眞一氏、宮城晴美さん




沖縄大学図書館「屋嘉比収文庫」

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12/24: 鹿野政直

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鹿野政直氏

鹿野政直 かの-まさなお
1931- 昭和後期-平成時代の日本史学者。
昭和6年8月20日生まれ。45年早大教授。専攻は近現代思想史。西岡虎之助の民衆生活史研究に影響され,民衆思想の展開に注目,女性史,沖縄史,民間学などの研究をすすめる。大阪出身。早大卒。著作に「資本主義形成期の秩序意識」「大正デモクラシーの底流」など。→コトバンク

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1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社


胡屋朝賞(1885年2月29日~1974年5月30日)

1969年10月 『沖縄の百年ー人物編 近代沖縄の人びと』太平出版社□大城立裕「胡屋朝賞」
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2013年5月15日沖縄県立博物館・美術館「平山郁夫展」
写真右から波照間永吉氏、安里進氏、宮城篤正氏、喜久村徳男氏


展覧会案内パンフレット1956~1963
1959年1月 那覇琉米文化会館「琉大美術クラブ絵画展」(永山信春、神山泰治、宮城孝也、平良晃、喜久村徳男、比嘉良仁、山城見信、大城宏捷、安元賢治ほか)/1963年4月 沖縄タイムス社「仲本岳仙日本画展」/1956年5月 第一相互銀行3階「儀間比呂志個人展」/1962年9月 沖縄タイムスホール「故南風原朝光氏追悼の夕」/1963年6月 沖縄タイムスホール「安谷屋正義個展」

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1981年4月 沖縄の雑誌『青い海』


2013年12月14日「第42回沖縄県芸術文化祭」で喜久村徳男氏とその作品「赤い地平線13・80」




2014年6月8日 画廊サエラ「~魂の響き~ 喜久村徳男の小空間」

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Posted by: ryubun02
昇曙夢

2013年12月13日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー昇曙夢」
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昇曙夢
1878-1958 明治-昭和時代のロシア文学者。
明治11年7月17日生まれ。陸軍士官学校教授,のち早大講師。ザイツェフ,クプリーンなど20世紀初頭の作家の作品の翻訳,紹介につとめた。昭和33年11月22日死去。80歳。鹿児島県出身。ニコライ正教神学校卒。本名は直隆。著作に「ロシア・ソヴィエト文学史」,訳書に「六人集」「毒の園」など。→コトバンク

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昇曙夢『奄美大島と大西郷』春陽堂, 1927
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Posted by: ryubun02


1967年1月1日
 『沖縄・小笠原事情』高安重正「『沖縄事情』創刊のころー1959年はじめ、それまで大阪で発行されていた『基地沖縄』を東京に移して発行し宣伝していたが、このような形ではまずいということで、沖縄問題懇談会の機関紙として『沖縄事情』を発行することが決定され、1959年3月に第1号が発行」 

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牧瀬恒二の本

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Posted by: ryubun02

1971年10月 数田雨条『句集・夜光虫』

1915年ー西原村字小波津89で生まれる。
1929年ー高等小学受持訓導の富川盛信より俳句の手ほどきを受く。
1930年ー沖縄県師範学校入学。
1935年ー同校卒業、八重山与那国へ赴任。
1937年ー台湾台北州へ出向 山本孕江主宰「ゆうかり」会員。
1942年ー台湾総督府専売局勤務 「ゆうかり」支部「みなみ句会」創設。
1943年ー興南新聞文芸募集に応募「天」入賞「みんなみに友邦生れて年あらた」
1944年ー応召で香港に赴く 「光洋句会」創設。
1945年ー部隊歌応募当選受賞。
1946年ー復員
1950年ー「みなみ吟社」創設、句誌「みなみ」刊行。
1951年ー沖縄群島政府弘報室勤務 句集『章魚の樹』(装丁。安谷屋正義)発刊。
1952年ー句集『翠巒の島』発刊。
1955年ー千葉県佐倉市南部中学校勤務。
1965年ー文芸出版社発行『愛の俳句集へ』2句採用 「女の唇凍てしままなる訣れかな」「白手袋恋情を断ち女踊る」
1967年ー文芸出版社発行『県の花』へ3位入賞 「花菜風利根の枝川遠光る」
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我如古弥栄(1881年~1943年9月2日)
首里生まれ、仲毛芝居をへて、劇団全盛時代にかかり、1911年、沖縄座で歌劇「泊阿嘉」を初演。その後「八重山行き」「貞女と孝子」「情無情」「普天間権現」「黄色うらんさん」などの歌劇を残した。ハワイ、南洋にも巡業。(大城立裕)

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中央ー我如古弥栄

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1931年 ハワイから帰った我如古弥栄一行

1949年6月 『芝居と映画』6月号□芝居狂言作者年表
我如古弥栄
明治42年2月 泊阿嘉

娘の我如古安子

1962年7月 『芸能マガジン』「人物クローズアップー我如古安子さんの若き日を偲ぶ」

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Posted by: ryubun02

2013年12月 『オキナワグラフ』

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2012年9月11日~沖縄県立博物館・美術館「山田實展ー人と時の往来」②
□1961年10月15日『沖縄タイムス』「生まれかわる『赤木』ー戦火にやかれた首里のハンタン山の赤木が戦後16年ぶりに芽をふいたという。5,6年前、どこかでガジュマルの実をついばんだ小鳥がキミ(赤木)の頂上で羽を休めた覚えがあるだろう。そのフンからガジュマルのタネがころがりおち、やがてそれは発芽したのだ。(略)キミは生まれかわったのだ。若い芽がキミをふみ台にしてのびていく。歴史はひきつがれたのだ、ということを。」

2012年9月18日『沖縄タイムス』魚眼レンズ「写真人生山田さんに学ぶー前原基男さん」
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2005年10月 『ふるさとへの想い竹富島ー前原基男写真集』/2006年10月 『あんやたん沖縄写真貼ー前原基男写真集』

2012年9月29日『琉球新報』「インタビュー山田實氏 企画展『人と時の往来』利き手・大城仁美(美術館学芸員)」

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Posted by: ryubun02

島袋百恵・画「玉城盛重」


1993年4月 矢野輝雄①『新訂増補 沖縄芸能史話』榕樹社〇玉城盛重の曽祖父は尚穆王の冠船(1756)で四つ竹踊りをつとめた首里四公子の1人、玉城盛昭(8世)で、三司官を出す家柄で、9世は盛林である。彼の父盛喜(10世)は、廃藩とともに盛寿、盛政、盛重の3兄弟を芝居に入れたという。
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1988年7月 矢野輝雄②『沖縄舞踊の歴史』築地書館/2001年8月 矢野輝雄③『組踊への招待』琉球新報社
②京大坂の念仏踊りは、時代とともに優美な竹枝(筑子)躍、松躍、花笠踊などがあらわれ、鉦太鼓のリズムを強調する踊りから、歌を聞かせることへの重点が移行する。飾り物を作り、仮装の見せ物を中心に据え、円形を作って踊る。なかでも有名なものは祇園祭で、本来非業の死による霊魂をなぐさめるための御霊信仰に基づくものであったが、盆の習俗と習合して、中世から近世にかけて最盛期を迎える。また慶長九年(1604)八月、豊太閤一周忌に行われた豊国神社の風流踊りは、屏風絵にも残された盛大なもので、祇園祭の中から生まれた風流踊りの集大成ともいうべきものであった。そこでは数百人の踊り子が繰り出し、円陣を作って乱舞する。女性による小町踊りなども生まれ、このような風流踊りの形は、新潟県黒姫の綾子舞や、東京都小河内の鹿島踊り、奈良県大塔の篠原踊りなど各地の芸能に残るところであり、その振りには沖縄の若衆踊りなどに似かよったものも見出せる。

③組踊を一口で説明するとなれば、歌三線(音楽)、唱え(せりふ)、踊り(舞踊)を総合した楽劇ということになろう。

1914年8月 中座で「ムンズル笠」上演

1925年3月 秩父宮、渡欧の途次来沖。中城御殿で組踊「二童敵討」(阿麻和利・玉城盛重、鶴松・嘉手納良芳、亀千代・田島清郷)を見る。

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1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社

1929年10月 伊波普猷『校註 琉球戯曲集』春陽堂□本書の写真には玉城盛重の写真が2枚ある。

1、琉球古劇「二童敵討」阿麻和利に扮したる琉球最後の名優玉城盛重
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2,名優玉城盛重

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玉城盛重「高平良万才」/「伊野波節」
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玉城盛重「阿摩和利」

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□1923年2月24日『沖縄タイムス』田邉尚雄「音楽史上の参考資料ー琉球の琴八橋流 徳川初期のもので今は内地では消滅」
○玉城盛重氏は舞踊の外に八橋流の琴曲も奏せられたが私はここに此の八橋流の琴について一言したいと思ふ、八橋流と云ふのは勿論徳川の初めに京都で八橋検校が開いた箏であって、我が俗箏の開祖である。内地では八橋流は元禄時代に生田流が起こり文化文政時代に江戸で山田流が出たために今では生田や山田に圧倒されて八橋流は全く消えてしまった。然るに琉球には此の八橋流のみが伝わって生田流や山田流はあめり入って居ないのは頗る面白いことであると共に、又内地で滅びたものが琉球に残っていると云ふ点に於いて非常に音楽史上貴重なる材料であると云はなければならぬ。・・・

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中央が玉城盛重(山田有昴所蔵)

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写真集那覇百年のあゆみ/写真番号404/P107/裏書あり/地方文化が軽視、否定された昭和13年頃琉球芸能の抹殺を恐れた人々が、琉球舞踊の大家、玉城盛重の至芸を後世に残すため、その舞踊を16ミリにおさめた。写真は撮影の終わった日の記念撮影。/(1938頃)

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写真前列左より田代タカ子、玉城盛重、根路眼たま子 後列左よりー山田有邦、千原成悟、比嘉良篤


玉城盛重の墓→識名

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12/03: 上江洲久

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Posted by: ryubun02


上江洲智克
政治家。元沖縄県人会兵庫県本部名誉会長。1916年12月1日うまれ、1997年11月20日没。沖縄出身。別名:上江洲久(かみえす ひさし)。社会党に所属し兵庫県議会議員や尼崎市議会副議長を務めた。著書に『天皇制下の沖縄』(三一書房)がある。甥に外務官僚で『国家の罠』著者の佐藤優がいる。→はてなキーワード


写真ー上江洲久(2000年9月『ヤマトゥのなかの沖縄』大阪人権博物館 所収)