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Category: 04-書の森
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1922(大正11)年
3月30日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<12>ーおもろ双紙の焼失」
3月31日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<14>ー首里城の回禄」
4月1日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<15>ー火災と文献」
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4月2日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<16>ー喜安日記と為朝伝説」
4月4日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<17>ー喜安日記と為朝伝説」
4月5日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<18>ー喜安日記と為朝伝説」
4月7日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<20>ー鎧武者」(『中山世譜』)
4月8日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<21>ー鎧武者」
4月9日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<22>ー鎧武者」
4月11日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<23>ー倭寇と鎧」
4月12日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<24>ー倭寇の兵力」
4月13日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<25>ー倭寇の戦法」
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4月14日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<26>ー古琉球の鎧」
4月15日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<27>ー神話と海寇」
4月17日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<28>ー神遊は神舞」
4月18日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<29>ー詫遊は神舞」(『琉球神道記』)
4月19日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<30>ー詫遊は神舞」
4月21日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<32>ー詫遊は神舞」
4月22日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<33>ー詫遊は神舞」

4月23日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<34>ー琉球の戦舞」/「中央に紹介さるる沖縄の武術ー東京博物館に於いて開かれる文部省主催の運動体育展覧会へ本県より沖縄尚武会長 富名腰義珍氏が準備整え県を介し発送。書も本県一流の青年書家 謝花雲石氏に依頼・・・・」

4月24日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<35>ー唐手の伝来」(『大島筆記』)/「禁止された琉球歌劇が復活の傾向」
4月27日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<37>ー唐手の伝来」
4月28日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<38>ー仕合」/「本県農業の大恩人 甘藷金城を紹介ー龜島有功翁の苦心」
4月29日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<39>ー古琉球の政治」

5月6日   『沖縄朝日新聞』「家扶 伊是名朝睦、内事課長 伊波興庭は老体の故もって辞職、総監督の尚順男は引退。今後は護得久朝惟、会計課長 百名朝敏が尚家家政を掌ることとなる。」
1922年6月 佐藤惣之助(詩人)来沖

1922年6月23日『沖縄タイムス』莫夢生(末吉安恭)「葉隠餘滴ー昔の道路取締」

1922年6月23日『沖縄タイムス』莫夢生「葉隠餘滴ー昔の道路取締」

8月 『日本及日本人』842号 麦生「支那古代の埋葬法」 

8月22日   鎌倉芳太郎、麦門冬の紹介状を持って首里儀保の華國・長嶺宗恭を訪ねる。
1922年9月15日『沖縄タイムス』莫夢生「雨絲風片ー慎思九(中)」

〇新城栄徳ー私は1991年12月『真境名安興全集刊行だより№、1』の「笑古漫筆の魅力」で、笑古漫筆には「久米村例寄帳」から抜き書きが多く貴重であると書いた。麦門冬も本随筆で久米村例寄帳から引用している。道路での子どもの遊び、泊阿嘉物語の放歌者は駄目というのがある。
9月  平良盛吉『沖縄民謡集』(上巻)刊
9月 許田普敦『通俗琉球史』(序文・末吉安恭)



10月15日  『沖縄タイムス』莫夢生「雨絲風片(37)ー琉儒と道教」
10月19日  『沖縄タイムス』莫夢生「雨絲風片(39)ー琉儒と道教」



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1922年  『沖縄タイムス』末吉莫夢「琉球画人伝」(表題は本朝画人傳を念頭に鎌倉芳太郎が付けたもの)を鎌倉が筆記したもの。

11月 富名腰義珍『琉球拳法唐手』(序文・末吉安恭)

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Posted by: ryubun02
1917年(大正6)
1月  『沖縄新公論』創刊
1月  沖縄県立第一中学校学友会『学友會雑誌』第25号□島袋盛範「物理化学の学習に就いて」、安良城盛雄「即位御大典に対する感想」、東恩納寛敷「書/松籟」、宮里栄輝「沖縄の将来」、見里朝慶「日誌の一節」、眞栄田之き「我が家」
1月1日   『琉球新報』鈴木邦義(顔写真)「本県民と国家的観念」、東恩納寛惇「組踊に現れたる組織階級」連載。「大蛇ロオマンスー諸国大蛇物語」(挿絵)。志賀重昴「謹賀新年」

潮座ー懸賞脚本募集(選者 末吉安恭、山田有幹、川崎慶治、又吉康和)

2月  ハワイ沖縄県人同志会結成□常務理事・当山善真、会計・宮里貞寛
3月19日  『琉球新報』「正倉院御物の怪事」
3月20日  『琉球新報』藤島武二「女の顔 私の好きな・・・」
3月21日  『琉球新報』「ペルリに随行した老水夫ー黒船ウアンダリア号の水夫なりしがパトリック、ムアーは本月1日米国シャール養育院に於いて死亡せり年91これにて当時一行中の生残者はポートランドに住むハーデー老人唯一人となれり」
3月26日  『琉球新報』「新女優の初舞台ー中座に於ける多嘉良妙子の音無瀬姫」(写真)
3月27日  『琉球新報』満谷國四郎「女の顔 ー私の好きなー」
4月  『沖縄新公論』末吉麦門冬「画聖自了ーミケランジェロ曰く『予が吾が芸術に妻以上のもの有す』と彼は遂に妻を娶らなかった(略)『是等の人々には祖先もなければ後裔もなし彼等は己ひとりが家系のすべてとなるのである』」
4月2日   『琉球新報』師範旅行生「旅行たより」
4月3日   『琉球新報』東恩納寛惇「修学旅行生及び其の周囲の人々へ」、岡田三郎助「女の顔 私の好きな」
4月5日   『琉球新報』「東町の火事ー両芝居も活動も中止・勇敢な糸満女の活動」
4月13日  『琉球新報』「本県人と米国婦人との結婚ー花婿は今帰仁村生まれの平良幸有(51)」
4月14日  『琉球新報』「寺内評判記ーお里の山口懸でさへ不人気」

4月1日『琉球新報』潮座ー審査発表/2等 上間正雄「史劇・時花唄」(6月21日「汀間と」改題して上演) 3等 瑞慶村智慧「史劇・犠牲者の一族」

4月18日  『琉球新報』梅泉「戯曲 時花唄 3幕5場」連載
4月24日  『琉球新報』「惨ましき露國廃帝の近状」
5月21日  『琉球新報』「尚昌氏夫人百子の方に姫君ご誕生」
5月25日  『琉球新報』「夏の窓飾ー偕楽軒」
6月3日   『琉球新報』「鈴木知事の地方自慢」
6月4日   『琉球新報』「野口英世博士重体」
6月5日   『琉球新報』「哀れ牢獄生活の前皇帝ー痛恨悲惨の境遇に泣くロマノフ皇家の方々」
6月11日   『琉球新報』「首里の孔子講演会ー真境名安興「沖縄に於ける孔子教の沿革」→6月13日『琉球新報』「沖縄に於ける孔子教の沿革」
6月21日   『琉球新報』「方言を使った生徒に罰札ー一中の普通語奨励」
6月22日   『琉球新報』「歯科開業試験に合格したる山城正忠氏は昨日の便船にて帰郷せり」
6月25日   『琉球新報』「文昌茶行(台湾)・林文昌支店久米町に開店」

1917年7月 『日本及日本人』末吉麦門冬「十三七つに就て」 
 膝栗毛輪講第三回中に「お月様いくつ十三七つ」の俗謡の意味に就き諸先生の御意見ありしが、其の意味の尤も明瞭なるは琉球八重山の童謡なるべしと思ふ。この唄の原意は八重山のが保存して居りはせずや、文學士伊波普猷氏の著「古琉球」にも論ぜられ、又八重山測候所の岩崎卓爾氏編「八重山童謡集」等にも出て居る。今「八重山童謡集」を茲に引用して御参考に供すとせむ。
 ○つきのかいしや、や、とぅかみか、みやらび、かいしゃ、や、とうななつ  譯 こは内地にて歌ふ「お月様いくつ十三七ツまだ年若いな・・・・・・・」の原歌なるべし、中央にて意味を失へる歌が西南の孤島にて、その意味を保存せるは注意すべきことなり、琉球群島は宛然古物博物館とも云ふべきか云々
8月  『沖縄新公論』末吉麦門冬「古語と方言に就いて」

9月『沖縄朝日新聞』麥生「不羈と脱心ー異名同人歟」
末吉麦門冬(麦生)「不羈脱心に就いて」□不羈と脱心が異名同人ならん歟と私の書いたのに対し、過日糸満の蓮華院の住持岱嶺和尚より高教を賜ったことを私は深く感謝する。岱嶺和尚も愚説に賛成され、間違い無かろうと云われ更に脱心に就いて語りて曰く「脱心は古波津家から出られた。この古波津が沖縄で算数の名人として有名であった古波津大主を出した家で、脱心は即ち大主の伯父に当たるのである。脱心は其の家の総領であったが、、夙に俗を厭ひ仏道を慕ふて遂に万松院の二世松屋和尚の得度を受けて剃髪したと伝えられている。尚貞王から賜ったという黄色浮織五色の袈裟同色の掛落があって掛落だけは今も私が寺宝として保存している。詩稿その他記録と云っては何も無い。廃藩前までは掛物や巻物などもあって箱一杯色々のものがあったが、悉く虫や鼠に食い散らされて、今日一つも残っていない(略)」と、麦門冬は岱嶺和尚の話を紹介し、矢袋喜一『琉球古代数学』の益氏古波津と諸寺重修記並造改諸僧縁由記の喬氏古波津と合わないのは何故かと疑問を呈している。喬氏だと名乗りは宣であるから、また喬氏は屋宣家だけである。したがって前者が合っている。

9月2日   『琉球新報』「明治大学学生募集」
9月3日   『琉球新報』「波ノ上みはらし(元十八番跡)開店」
9月6日   『琉球新報』「来る20日より若狭町電車通りで開院ー山城歯科医院(山城正忠)」「七福堂(菓子・饅頭)ー辻端道で開店」
9月8日   『琉球新報』「唐美人(石川寅治氏夫人の美術院出品)写真」「一味亭支店(東京てうち生そば、琉球そば)、東古義市場前に開店」「中央大学学生募集」
9月10日  『琉球新報』「秋近し・・・隅田川のほとり 向島白髭より山谷を望むー写真」
9月13日  『琉球新報』「家庭ー珍味お芋料理」「楚南明徳氏葬儀」
9月14日  『琉球新報』「製作室に於ける小杉未醒画伯 写真」
9月18日  『琉球新報』「横山大観氏筆『秋色』院展出品 写真」
9月21日  『琉球新報』「本日より県会議事堂で開催『第四回水産集談会』で講演する岡村博士語る『本県の海草』」
9月23日  『琉球新報』「与謝野鉄幹氏晶子夫人が歌に詠まれた伊波普猷氏と山城正忠氏(9月24日に色紙写真)」
9月24日  『琉球新報』「琉球新報創立第二十五年紀念号」「二十五年前の遊廓ー当時の料理」、山城正忠「薬秘方ーヤマトカナソメ」連載。
9月28日  『琉球新報』「化學工業博覧会開場式 写真」
10月2日  『琉球新報』「飯粒 奇行に富んだ首里の青年歌人摩文仁朝信①が逝いてもう5年・・」
□①一世・大里王子朝亮 二世・大里王子朝彝 三世・新里按司朝隆 四世・大里按司朝頼 五世・大里按司朝卿 六世・大里按司朝宜 七世・摩文仁按司朝祥 八世・摩文仁按司朝健 九世・石原按司朝藩 十世・摩文仁按司朝位 十一世・摩文仁朝信
10月3日  『琉球新報』「東京の暴風被害ー明正塾は幸いにして損害なしと東恩納寛惇氏より護得久朝惟代議士宛電報」「卓上小話ー蔡温と牛肉」
10月4日  『琉球新報』「鈴木邦義『沖縄の開発』(大阪朝日新聞掲載)」
10月5日  『琉球新報』「財界の奇傑ー鈴木商店の金子直吉」卓上小話
10月6日  『琉球新報』「卓上小話ー馬」
10月7日  『琉球新報』「大阪大暴風雨の惨状ー淀川氾濫」「徳之島平天城村土野に大火 370棟を焼く」
10月11日  『琉球新報』「暴風雨概況ー那覇測候所の観測」「暴風雨に弄ばれて運輸丸名護湾に沈没ー船客150名の中50名は助かり死体次々漂流発見」
10月16日  『琉球新報』「高橋琢也氏の主宰せる『國論』沖縄號発行」
10月23日  『琉球新報』「沖縄県立図書館の近況」「潮会の本荘幽蘭と藤川秀奴」
11月23日  『琉球新報』「写真ー県会議事堂」
11月27日  『琉球新報』「写真ー逝ける世界的芸術家佛國ロダン翁」「写真ー聖上陛下の握手を給ひたるハーデー翁」
12月1日  『琉球新報』「初めての女医ー杏フク子女史」
12月7日  『琉球新報』「写真ー退京したるハーデー翁」、山城正忠「歯医者とは」
12月18日  『琉球新報』「和洋あべこべー日本では嫁が姑を怖がるけれども、西洋では夫が姑を嫌がる。/日本では夫の家で結婚の披露をする、西洋では嫁の家でする。/日本では食事中に話をするなと教へ、西洋では盛んに話をせよと教ふ。/日本では立ち食ひを悪い行儀とすれども、西洋では立って食べることをなんとも思はない・・・・」
12月19日  『琉球新報』「小野武夫氏逝去」
12月24日  『琉球新報』「一昨夜の県庁員及記者団大親睦会ー辻花崎で、末吉麥門冬君は内海さんをつかまえて大男会をやろうじゃないかと双肌を抜いて胸を叩く・・・」
12月25日  『琉球新報』「今日は降誕祭ー其の起源」
12月29日  『琉球新報』「新年を待つ・・・雑誌屋の店頭」

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「みどり印刷」ここをクリック
正式名称は 沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議 と呼ばれる。その事務局が主催して毎週月曜日の朝10時からバス3台を借り切り、先着順で、代金は1000円。11時過ぎに辺野古漁港着、カヌー隊の出発を激励し、「へのこテント村」の現地の人達との交流、そして持参した弁当で昼食をとり、キャンプシュワーブ前の座り込みに合流し集会を持ち、3時30分に現地を出発し、4時30分に出発点の県庁前県民広場前に帰ってくるというツアーの情報を得て早速友人4人と供に参加した。
 今回はそのレポートである。
 予定した9月15日は(月)は「敬老の日」の公休日。「公休日なので、普段仕事をしている人達も参加し多人数になるのでは?」とか「こういう催しはリタイアしたシニアが多いので、彼らは当日〈敬老会〉に出席していて案外少ないかも・・・」いろいろな考えが錯綜する中で「とにかく早めに到着すれば間違いない!」という意見に落ち着いて、朝8時30分、みどり印刷前集合。モノレール儀保駅から出発に決定した。
 県民広場とはパレット久茂地向かいの角地の広場で9時10分に到着し、先着は4~5人で先ずは確実にバスに乗れると安堵した。
 中央手前の護岸に囲まれているのが辺野古漁港、中央の菱形の白い部分がキャンプシュワーブの兵舎群、北東から南西に国道329号が横切っていて、北西部に大きく広がる山林部には訓練場や弾薬庫がある。その左下の集落が辺野古。キャンプシュワーブの向こうに広がるのが大浦湾(最深部40~50M)大浦湾の付け根、写真の左奥に沖縄民謡の代表的抒情歌『二見情話(ふたみじょうわ)』の生まれた二見の集落がある。「二見情話」については、あまり知られていない「物語」がある。最終部の附録に外付けする。
10時出発 
県庁前広場出発。壷川→古波蔵→国場→一日橋交差点を左折して北上、那覇インターから沖縄自動車道を一路名護市辺野古を目指した。今年還暦を迎えた僕だが、本島北部の東海岸は今回で3回目ということで何処をどう通ったのかは説明できない。陽光まぶしく、進行方向左手の金武(きん)や恩納(おんな)の山々の稜線が何と優美なのだろう!と溜息をついた。
 車中では、「島ぐるみ会議」のスタッフや各車両に割り当てられた講師による辺野古基地建設の経緯や現在の作業の進捗状況が詳しく説明され、現場到着までの1時間余はまたたく間であった。
 辺野古漁港到着
 バスは先ず辺野古漁港に着いた。漁港の側の浜辺には当日の海上からの監視活動に当たるカヌー隊(当日は12艇)と、漁港脇にあるテント村で泊まり込んでの活動を続ける現地の人々、100人余がすでに集結していた。
 吾ら那覇からの応援組150人の到着が拡声器から告げられると、大きな拍手と歓声が湧き起こった。砂を踏みしめて高ぶる気持ちを久し振りに感じながら、彼らの集団の輪に加わった。

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1994年3月 沖縄県立博物館友の会『博友』第8号 翁長良明「幻の中山通寳を追いかけてー私の古銭夢譚ー」<
〇(略)私が古銭を集め始めたのは、小学校の1年生の時でした。古銭との出会いは、自宅の机の引き出しからみつけた4,5枚の古銭であったと思います。それは、寛永通寳と明治の2銭銅貨、それに昭和のアルミ貨だったと記憶しています。その時手にした古銭を通して、私はある種の感慨を催しました。それ以後、古銭を単なる金以上の別のものとして、興味を持ち、少しずつ集めるようになりました。
 

沖縄コレクター友の会副会長の翁長良明氏は、2008年9月13日~23日まで沖縄市・沖縄こども未来ゾーンのワンダーミュージアムでふるさと園ちゃーがんZOOまつりの一環として「沖縄のお金、世界のお金展」の開催に協力した。
 期間中は、台風による悪天候ではあったものの多くの親子や普段のワンダーミュージアムでは見られない層の人達が多く来場しており、大盛況で終わることができました。
☆「沖縄のお金、世界のお金展」の主なトピックス
9月13日 宜野湾市教育文化課(同市博物館長兼務)和田敬悟氏来場
9月16日 沖縄タイムス朝刊掲載
9月18日 琉球新報朝刊掲載
9月20日 外国人が多く、翁長氏が片言の英語で古銭について説明
9月21日 こども童謡教室の宮城葉子先生が、昔の沖縄のお金について、こどもたちに伝えるため来館
9月21日 同日、NHKニュース放送
☆「沖縄のお金、世界のお金展」について
 ワンダーミュージアムにおいては、那覇市に在住の”古銭・古美術なるみ堂”(TEL:098-987-5530)の翁長良明氏のご協力をいただき、古き時代に思いを馳せる古銭の企画展を開催。
 琉球時代からアメリカ、本土復帰に至る沖縄の歴史の変遷に伴うお金の変化と、それに対比させる形で世界の国々のお金、また世界最古のお金、世界で一番大きいお札、一番重いお金など、翁長氏の貴重なコレクションの中から厳選して企画展を組み立てた。
 お金は時代・歴史を映す鏡であることをこどもたちに伝えると同時に、世界の1年間の軍事費と飢えに苦しむ人々を1年間救う費用を対比させ、お金の大切さ→金銭教育にも視野に入れたものとした。


2013年1月30日ー左から翁長良明氏、不二出版の船橋治氏と細田哲史氏

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2014年10月10日 那覇市歴史博物館「那覇のまつりと10・10空襲」
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5年前に那覇の映画館で「防空演習映画」が上映されている。

1939年11月 平和館で「空襲」上映
○是は単なる防空演習映画ではない!若しソ聯重爆撃機の大編隊に我国が大空襲されたらどうなるか?想像も出来ぬ大空中戦と大惨状が展開する!!●近代科学の粋を集めて展開される空の猛威!戦慄すべきこの現実を直視せよ!物凄い実に物凄い!!一人残らず見る必要ある防空名画!!



2014年9月14日 沖縄県立博物館・美術館 屋外多目的広場「旗頭ガーエー」

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親族に囲まれてー左から山田勉氏、山田さん、宮城さん、、山田實さん、山田さん、山田保氏、敦子さん、桜庭さん


ニッコールクラブ沖縄支部のメンバーと山田實さん


2014年10月14日 自宅で『琉球新報』掲載の新城栄徳の「山城知佳子 新作上映会に寄せて」を読む山田實さん



中国写真誌『文景Lens』編集部から山田實さんに贈られたもの


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Category: 03-所感
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1979年8月 上原生男・新城兵一・松原敏夫『詩・批評』神谷康輝「食慾」