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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1981年6月 雑誌『青い海』104号 宮里朝光「沖縄の人名由来記」

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◇1990年8月 『沖縄タイムス』宮里朝光「万国津梁の鐘一鐘銘の読み・解釈」(翁長新聞スクラップ)


2018年8月 宮里朝光『知られざる琉球の歴史文化』御茶屋御殿復元期成会


ひやみかせー!しまくとぅば/宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称・万国津梁の鐘)の銘」
首里城北殿の階段 大龍柱は正面を向いている。
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旧博物館玄関の万国津梁の鐘


宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称 万国津梁の鐘)の銘 」沖縄語訳
琉球国は(りゅーちゅーくこー)、南(ふぇ)ぬ海(うみ)んかいある良景色(ゐーちしち)ぬ島(しま)やん。景色(ちしち)ぬ良(ゆ)たさしぇー北(にし)んかいある朝鮮(こーれー)とぅ比(くら)びらりーん。

中国(とー)とー上(うぃー)ぬ顎(あぐ)とぅ下(しちゃ)ぬ顎とぅぬ関係(かかわい)ぬぐとぅ日本(やまとぅ)とー唇(しば)とぅ歯(はー)とぅぬ関係ぬぐとぅ互(たげー)に助(たし)きてぃ栄(さか)ゆる国(くに)やん。くぬ二(たー)ちぬ国ぬ間(いぇーじゃ)んかいある水(みじ)ぬ湧(わ)ちゅるぐとぅ栄(さけー)てぃ行(い)ちゅる仙人(しんにん)ぬ御住所(うしめーじゅ)んかいないる優(すぐ)りとーる島やん。

国々(くにぐに)ぬ欲(ふ)さする物資(むぬ)船んかい載(ぬ)してぃ行(っん)じ満足(ちょーぢょー)しみてぃ戦争(いくさ)する心(くくる)止(とぅ)みらするぐとぅ平和(てーふぃー)ぬ仲立(なかだち)ちそーん。珍(みじら)しい物(むぬん)宝物(たからぬむん)御物城(うむぬぐしく)んかい蓄(たく)うぇーてぃ注文(あちれー)ぬあれー持(む)っち行ちゅるぐとぅそーん。土地(じー)ん人(っちゆ)ん優りとーくとぅ、遠(かー)まぬ中国日本ぬぐとぅ情(なさ)きっし国治(をぅさ)みとーん。

あんし、我王殿下(わーおーぬしーめー)大世主(うふゆぬぬし)、庚寅(かにーとぅら)ぬ年(とぅし)に御降誕(うしでぃり)みしょうち、唐名(からな)、尚泰久王(しょうたいきゅうおう)んち御名付(うなぢき)みしょうち、王位(をーぬぅくれー)、御天(うてぃん)ぬ御神(うかみ)から御授(うさじ)かみしょうち、国民(うまんちゅ)優りとーるくぬ土地をぅてぃ育(すだ)てぃみしぇーん。

仏教(ふとぅきぬうしー)広(ふぃ)るがらち、くぬ世(ゆー)をぅてぃ受(う)きたる御恩(ぐうん)、御恩返(ぐうんけーし)みしぇーるたみに新(みー)くに巨鐘(うふがに)造(ちゅく)みしょーち、くぬ国ぬ首里城(うぐしく)ぬ上之御庭(うぃーぬうなー)んかい掛(さ)ぎみしょーち日夜(ゆるふぃる)鳴(な)らしみしぇーん。

法(うちてぃ)中国ぬ夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)・手本(てぃふん)にっし定(さだ)み、周ぬ国ぬ文王(ぶんのう)とぅ武王(ぶおう)ぬ御考(うかんげー)えーぬごとぅ武器(いくさどーぐ)あちみてぃ蔵(くら)んかい収(をぅさ)みてぃ戦争(いくさ)ぬねーん平和な世にっし、くりから生(つん)まりーる王ぬ達(ちゃー)んかい教(ならー)しみしぇーん。下は(しちゃー)、くぬ世(ゆー)をぅてぃ戦争ぬたみに苦(くる)しどーる国民(しむじむ)救(すく)てぃ。上は(うぃーや)永久(いちまでぃん)王位ぬ尊厳(うすりをぅがまりーる)ぐとぅ神願(かみぅにげー)みしぇーん。

勅(うぃーし)拝(をぅが)でぃ相国寺(しょーくくじ)ぬ住職(ちょーろー、長老)渓隠安潜(けいいんあんせん)、御銘(みがち)求(いら)でぃうさぎやびたん。

須弥山(しゅみせん)ぬ南表(ふぇーむてぃ)なかい、情(なさ)き深(ぶか)さる島ぬあん。我王殿下(わおぬしーめー)ぬ現(っんじ)みしょち、苦労(くろー)そーる衆生(っちゅ)助(たし)きんち、解脱(ふとぅきくくる)になみしょーち、くぬ華鐘(ちゅらがに)鳴(な)らしみしぇーん。国中(くにじゅー)んかい響(とぅどう)ちーねー、御主(うしゅ)ぬ御声(みくぃ)んち皆(んな)が聞(ち)ち、乱世(みだりゆ)ぬ夢(いみ)むる覚(さ)まち、神ぬ褒みゆる誠持ち、堯舜(ぎょうしゅん)天子(てぃんし)ぬ世(ゆー)ぬぐとぅに、平和(てーふぃー)な世になち続(ちぢ)かしゅん。

□宮里朝光(NPО沖縄語普及協議会会長)ー〒903-0803 那覇市首里平良町2丁目139番地 電話098-884-9698

宮里朝光(沖縄方言普及協議会会長)ー那覇市首里平良町2-139 ℡884-9698

『オキナワグラフ』2007年3月号「私の宝もの」


しまくとぅばプロジェクト
宮里朝光先生としまくとぅばで読む銘文「万国津梁の鐘」
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宮里朝光氏と平良知二氏


那覇市歴史博物館事務所ー古文書購読会、前列3人目が渡慶次朝裕氏(1925年3月28日生まれ)/渡慶次朝裕氏の書斎


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那覇市歴史博物館事務所ー古文書購読会2021年

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1948年7月ーうるま新報社、那覇市三区に新築移転

1950年   仲地米子、うるま新報記者
1951年3月 外間政彰、琉球契約学生として上智大学入学→4月 外間政彰、早稲田大学新聞学科
         この年、『琉球学生新聞』、日月社『祖国なき沖縄』に関わる
     
1951年9月ー『うるま新報』を『琉球新報』と改題

1954年2月ー御成橋通りに社屋完成/6月ー琉球新報写真展、特選に山田實「光と影」
1955年9月ー比嘉春潮宅で「沖縄歴史研究会」がはじまり外間政彰も参加

1963年9月ー山形屋で琉球新報主催「私の愛蔵品展」/9月28日ー『琉球新報』「関西で活躍する沖縄の人たち」

1965年1月ー琉球新報社、那覇市下泉に新社屋
1965年5月ー『沖縄の婦人』第1号 発行所「沖縄の婦人」社/発行人・外間米子





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 東京千代田区丸の内は、明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになった。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられた。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、三菱ヶ原と呼ばれた。1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになった。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中する。→ウィキ


三菱広報委員会『マンスリー”みつびし〟』
三菱グループ - 三菱財閥を前身とするグループ。 三菱商事/三菱UFJフィナンシャル・グループ 三菱東京UFJ銀行/三菱重工業 - 下記はその関連会社。 三菱自動車工業/三菱ふそうトラック・バス - 現在はドイツ・ダイムラーの子会社であるが、三菱各社も出資している。/三菱電機

三菱商事○貿易仲介を中心とした口銭を稼ぐビジネスが中心であったが、藤野忠次郎が社長に就任した1970年代より資源開発への直接投資(天然ガスや原料炭)を手掛けるようになり、1980年代には菱食(現 三菱食品)などの食料流通などのバリューチェーンの構築を展開、1990年代に入り、コンビニエンスチェーンローソンを通じた消費者マーケットの開拓など、川上から川下までの領域にわたっての投資や経営参画を通じて収益を上げる体質変化を遂げ、収益拡大を続けている。三菱金曜会及び三菱広報委員会の会員企業である。→ウィキ

三菱電機株式会社(みつびしでんき、英: Mitsubishi Electric Corporation)は、日本の総合電機メーカーである。重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、日新電機、ダイヘン、東光高岳)の一角。また、大手重電3社(日立製作所、東芝、三菱電機)の一角でもある。

1951年4月1日 - 戦争により中断していたウェスティングハウス・エレクトリックとの技術提携が復活。8月にはWABCO社との提携も再開。/1958年 - 三菱電機が中核となり三菱グループ25社で三菱原子力工業を設立。/1960年 - トランジスタ式コンピュータMELCOM 1101を発表。

防衛機器○誘導機器 - 鎌倉製作所:防衛省関連の製品としてミサイルを製造している。戦闘機用の中距離空対空ミサイルで、ライセンス生産ではレイセオンのスパローミサイル (AIM-7F) 、自社開発では99式空対空誘導弾 (AAM-4) 、地対空ミサイルでは03式中距離地対空誘導弾 (SAM-4) がある。他にパトリオットミサイルやイージス艦に搭載されるシステムやJ/FPS-5(通称「ガメラレーダー)等、TMD関連の業務も行っている。

防衛省は三菱電機が電子システム事業がミサイル設計や衛星関連などの契約料金を水増し請求したことに関して、2012年1月27日に指名停止処分とした。なお、同省以外にも内閣衛星情報センター、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構、独立行政法人 情報通信研究機構、総務省のそれぞれから指名停止、または競争参加資格停止の措置を受けていたが、返納金を納め2016年現在全て解除されている。→ウィキ

株式会社三菱総合研究所(みつびしそうごうけんきゅうしょ)○東京都千代田区永田町二丁目10番3号に本社を置く、日本のシンクタンク、システム開発会社でシステムインテグレーター(ユーザー系)。略称は、MRIまたは三菱総研。市場規模が大きいITソリューション事業の拡大方針を明確にしており、ITソリューション事業部門の拡大、システム開発会社であるダイヤモンドコンピューターサービス(2016年現在の三菱総研DCS)の連結子会社化、三菱UFJフィナンシャル・グループとの業務提携などの施策をとっている。連結売上高・純利益の半分以上を、三菱総研DCSが占める。。→ウィキ

○コンピュータ博物館は,日本の歴史的コンピュータとその開発に携わった人々に関する史料を集めたバーチャル博物館です.1956年にわが国最初の電子計算機FUJICとETL Mark IIIが作られてから半世紀が過ぎましたが,この間に作られた多くのコンピュータの写真と解説を始めとして関連史料多数が掲載されています.「温故知新」といいますが,これらの史料から将来へのヒントを得ていただければ幸いです.→情報処理学会
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2019年9月22日 JAおきなわ真和志 農協ホール「粟国郷友会/第50回 敬老会」


あぐに/2016年9月25日 JA真和志農協ホール「粟国郷友会/第47回 敬老会」②

右ー左から玉寄貞一郎副会長、与那城昭広・前会長、山内宏幸副会長



左ー末吉良治粟国村教育長「挨拶」

左ー仲里好孝郷友会会長/与那城昭広・前会長



左ー浜川政敏「ギター曲」〇2021年7月11日那覇市議選立候補


右ー濱川栄優・粟国小中学校校長「挨拶」


右ー濱川栄優・粟国小中学校校長飛び入りでカチャーシー

右ー玉寄盛和郷友会副会長「閉会の言葉」


母と、我が恩師/お土産「粟国の黒糖」「粟国特産もちきび」

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会場のJAおきなわ真和志/会場受付


玉寄貞一郎郷友会副会長「開会の言葉」/仲里好孝郷友会会長「会長挨拶」


新城静喜粟国村長「来賓祝辞」







左ー糸数清・隆清群座長「遊びちじゅや」


写真右から糸数清氏、真喜志康徳氏、新城栄徳

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1991年5月 『地理』「特集・アジア系アメリカ人」古今書院

1991年4月 ディビッド・E・カプラン/アレック・デュブロ 松井道男『ヤクザ』第三書館
2006年7月 『ヤクザが消滅しない理由 江戸時代から今日までヤクザビジネスの正体』デイビッド・E.カプラン/著 アレック・デュブロ/著 松井道男/訳 坂井純子/訳
内容説明
米国「ノンフィクション書籍調査報道者&編集者賞」の前作から17年。江戸時代から現代までのヤクザをタテ糸とし、アメリカと日本の政・官・業のヨコ糸が織りなす一大絵巻。
目次
第1部 ヤクザはいつ、なぜ、どのようにして生まれたのか(高貴なるヤクザイメージはどこから来たのか)
第2部 児玉誉士夫が暗躍した時代に何が起こったのか(ヤクザを元気づけたアメリカの占領時代;手を結ぶ右翼とヤクザ ほか)
第3部 ますます複雑化した「犯罪組織」は日本社会とどうからんでいったのか(発展し続ける犯罪組織;日本的構造腐敗の実態を解明する ほか)
第4部 海外で何を起こしてきたのか…そして、いまは(拡大する「性貿易」、「麻薬取引」;世界の古い市場、新しい市場 ほか)
著者紹介
カプラン,デイビッド・E.[カプラン,デイビッドE.][Kaplan,David E.]
アメリカ人ジャーナリスト。アメリカ3大週刊誌の一つ『USニュース&ワールド・レポート』の記者。組織犯罪、テロ問題の第一人者
デュブロ,アレック[デュブロ,アレック][Dubro,Alec]
アメリカ人フリージャーナリスト。元全米作家組合会長。組織犯罪問題の権威者。日米戦後史の米機密文書アナリストとして日本の月刊誌、週刊誌にも日米戦後史の記事を多数寄稿している

松井道男[マツイミチオ]
国際ジャーナリスト、米機密文書アナリストとして月刊誌、週刊誌に国際情報の記事を書いている
坂井純子[サカイスミコ]

1999年1月 『映画秘宝・地獄のアメリカ』洋泉社

2000年2月 『Esquire』
2000年11月7日~19日 那覇市民ギャラリー「帰米二世画家 小橋川秀男ー永久少年の夢と生涯」(沖縄県主催)

2001年3月 琉球大学法文学部『アメリカ統治と戦後沖縄ー異文化の衝撃ー』
2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系グループによってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室に侵入し、パイロットを殺害した後、自ら操縦して、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク・マンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた。航空機が使用された史上最大規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えた。その後、アメリカ軍は報復としてアフガニスタン紛争、イラク戦争を行った。→ウィキペディア

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超高層ビルが林立するニューヨーク市。100万棟以上の建物の重みで、同市全体がゆっくりと沈んでいることがわかった。米地質学者のグループが衛星等を活用して調査した。同市のマンハッタン地区の地層は、硬い岩盤とされているが、市全体では多様な地層が入り混じっており、市全体の建物の沈下を平均すると年1~2mmの沈下になるという。要因としては超高層ビルを含む膨大な建物の重みによる人為の影響が大きいとしている。研究者たちは、都市建設による人為的な地盤沈下は、人為の要因による気候変動の加速が引き起こす海面上昇、洪水増大の影響と連動して、都市の自然災害を加速させると指摘している。→2023年5月18日 サイエンス


2002年11月 ブルーガイド海外版出版部『わがまま歩き⑫ニューヨーク』実業之日本社
 
2003年  21世紀沖縄公論刊行室『ペリー琉球6日間の旅物語と150年後の今物語』

 中国南部の広東省を起源とした重症な非定型性肺炎の世界的規模の集団発生が、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)の呼称で報告され、これが新型のコロナウイルスが原因であることが突き止められた。わが国においては、同年4月に新感染症に、ウイルス が特定された6月に指定感染症に指定され、2003年11月5日より感染症法の改正に伴い、第一類感染症としての報告が義務づけられるようになった。前回 の集団発生は2002年11月16日の中国の症例に始まり、台湾の症例を最後に、2003年7月5日にWHOによって終息宣言が出されたが、32の地域と 国にわたり8,000人を超える症例が報告された。→NIID国立感染症研究所

2003年、米海軍は米領プエルトリコの本島東側に位置するビエケス島の爆撃演習場を閉鎖。1940年代以降、米国海軍は、爆撃演習場としてビエケス島の4分の3を使用し続けました。これにより、島は不発弾や様々な廃棄物によって高度に汚染されました。10年以上が経った現在でも、爆撃演習による汚染問題は深刻で多数の住民に重金属その他の有害物質の体内蓄積があることや、高い癌発生率が
報告されている。→「ビエケス島の米海軍基地閉鎖から学ぶ~基地返還と汚染除去~」2016年6月3日(金)午後6時半~9時 テンブスホール(那覇市牧志3-2-10)
小泉進次郎、2004年(平成16年)に関東学院大学経済学部を卒業後、アメリカ合衆国のコロンビア大学大学院に留学。コロンビア大ではジェラルド・カーティスに師事して、2006年(平成18年)に政治学の修士号を取得した。その後、アメリカ合衆国の戦略国際問題研究所非常勤研究員を経て2007年(平成19年)に帰国。→ウィキ
2004年2月  ハーバード大学の学生だったMark Zuckerberg(マーク・ザッカーバーグ)が、学生同士のコミュニティとしてFacebook設立。その後、スタンフォード大学、コロンビア大学、エール大学に拡大した。2006年以降に一般にも公開され利用者が拡大した。日本語版は2008年5月に公開されている。
2012年ナスダックに上場。
2004年8月 東京都・北硫黄島に夜間訓練中の米軍偵察機が墜落、乗員4人が死亡/沖縄県の沖縄国際大学構内に米軍ヘリコプターが墜落
2005年1月 神奈川県南東の海上で米軍戦闘攻撃機が空母への着艦訓練中に海中に転落
2005年2月15日   PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらがカリフォルニア州サンマテオでYouTube(ユーチューブ)を設立した。→ウィキペディア
2005年6月加藤・Á・圭子  『ニューヨーク イラスト徹底ガイド』メイツ出版
イラストー「エンパイア・ステート・ビルディング」「自由の女神」「メトロポリタン美術館」「ニューヨーク近代美術館」「アメリカ自然史博物館」「グッゲンハイム美術館」「チャイナタウン」「セントラルパーク」「グランドセントラル駅」
アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー/山岡洋一訳『富の未来』(講談社2006年)に「『グローバル化』ほど、世界中で憎しみと議論の的になる言葉は少ない。そして、これほど偽善的に使われる言葉は少ない。これほど幼稚な使われ方をしている言葉も少ない。反グローバル化の論者の多くにとって、ほんとうの憎しみの対象は、世界全体の自由主義経済の総本山、アメリカである」とする。また、アメリカ元国際開発庁副長官の「悪徳が美徳よりもはるかにグローバル化が進んでいる」の言葉も紹介する。同書はインターネットについて「無害ではあっても、検証されておらず、真実でない知識が大量に蓄積している」とし、「生きている知識と死んだ知識(死知識)をあわせた人類の知識基盤全体のなかで、自然科学と呼ぶ小さな部分ほど、過去数世紀に人類の平均寿命、食物、健康、富の向上に大きく寄与したものはない」と強調。そして、宗教(狂信的環境保護運動)や、ニューエイジ運動などの神秘主義を売り物にする連中、ポストモダン思想を批判する。一方で自己批判は自然科学の核心部分である、とする。本書は末尾をヘレン・ケラー「悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたこともない」の言葉でむすんでいる。
2006年1月6日『しんぶん赤旗』横須賀 周辺住民「またか」/米空母キティホーク乗組員による日本人女性殺害事件が起きた現場は、神奈川県横須賀市の京浜急行・横須賀中央駅に近い商店街「米が浜通」の雑居ビルでした。周辺の住民からは「またか」「米兵であっても日本で起こした犯罪なんだから、早く容疑者を日本に渡し、国内法で対処してほしい」という声があがっています。現場は横須賀中央駅から徒歩五分。飲食店などが並ぶ駅前商店街と並行する裏通りに面した雑居ビル入り口の踊り場でした。踊り場は縦横それぞれ二・五メートルにも満たない狭さ。住民によると、被害者の女性は、顔面などをかなり殴られた状態で倒れ、血が流れていました。現場周辺では、数年から十数年前にも男性が米兵に殴られけがを負う暴行事件があったといいます。
2006年11月 朝日新聞社『戦争責任と追悼ー歴史と向き合う1』海外からみる目
○ジョン・ダワー氏に聞くー『戦争』は総括できたのですか「東京裁判が『勝者の裁き』であったのは、事実です。日本もドイツも、空襲で民間人を殺した罪を問われませんでした。それは、連合国側も空襲をしていたからです。また、米国の原爆投下は裁かれませんでした。・・・」「戦争責任は、東京裁判の問題よりも、もっと大きな問題なのです。しかし、東京裁判の問題は、そうした責任をあいまいにしてしまったことです。米国は占領を円滑に進めるために昭和天皇を利用しようとして、追訴しなかった。当時の日本の保守派の間ですら、天皇免責はおかしいとする意見がありました。天皇の名の下に行われた戦争で、天皇が免責されたら、戦争責任をどう考えたらよいのかわからなくなります」

Hulu 設立:2007年3月
Huluは、アメリカカリフォルニア州ロサンゼルスに本拠地を置く動画配信サービス。Huluとは中国語で大事なものを入れる入れ物であるひょうたんを意味する「葫芦」とインタラクティブに記録することを意味する「互录」とにちなむ。Wikipedia
2007年4月16日、米バージニア(Virginia)州ブラックスバーグ(Blacksburg)のバージニア工科大学(Virginia Tech)で、韓国出身の学生(23)が銃を乱射し、32人を殺害。容疑者は自殺。【翻訳編集】 AFPBB News
アメリカ合衆国のミネソタ州セントポールとミネアポリス間のミシシッピ川にかかっていた州間高速道路35W号線のミシシッピ川橋は、 2007年8月1日に崩落し車両60台以上が巻き込まれ、9名が死亡、4名が行方不明、100名以上の負傷者を出しました 。(いちらん屋)

2009年1月 『移動と表現ー変容する身体・言語・文化』沖縄県立博物館・美術館 
有馬哲夫『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』平凡社→アメリカ公文書館から発掘された新資料を交え、昭和史の知らざれる一面に光をあてた」意欲作
2009年10月『エコノミスト』石川幸憲「米国メディア危機ーリストラ、廃刊、破綻 新聞は生き残れるか」/津山恵子「テレビ局の逆襲ー全番組をインターネットで流せ 台風の目となる『HuIu』①(略)これは、テレビというメディアにこだわる時代の終焉を物語っているともいえる。米視聴者はむしろ、HuIuなどインターネットによる配信が、テレビに『革新』をもたらしていると感じている。」
 2009年1月26日『朝日新聞』小原篤□「パトリック・マッグーハン①が死んだ!」 16日の朝、新聞を開いて思わず声を上げました。ダレソレ?というのが大方の反応かもしれません。弊紙に短く載った訃報では「刑事コロンボ」の出演・演出歴に触れたのみでしたが、伝説のカルトドラマ「プリズナーNo.6」を作り、主演した人であります。(略) 全体主義対自由の闘い、東西冷戦下の強迫観念の反映、官僚主義や管理社会への批判といった見方をされるようですが、主人公の素性や辞職理由や敵の正体など核心部分を「空白」にした寓話なので、いかようにも解釈が可能で古びることはありません。「村」に満足し「外」に出ようとも思わない呆けた顔の住人に目を転じれば、現代に生きる我々の似姿に思えます。ネットや携帯といった万能感を満たすものに囲まれ、あらゆる欲望に対応して先回りした商品が用意され、自由に振る舞っているようで特定の選択肢に誘導されている、そんな生活は王様のようで実は奴隷なのではないか?個人の手に負えないほど複雑で巨大なシステムの「外」へ出ることは可能なのか?それは果たして「自由」と言えるのか?なあんてことをモヤモヤと考えさせるのですー。(略)
①1928.3.19 - 生まれ: アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク アストリア。2009.1.13, アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンタモニカで死去.両親がアイルランド人で、7歳の時帰国。ライトクリフ大学に学ぶ。アマチュア演劇に興味を持ち、舞台監督としてシェフィールド・レパートリー劇団に参加。その後、俳優に転じ、同劇団に4年在籍。1955年ロンドンのガーリック劇場で注目され、同年「The Vise」でテレビデビュー。「颱風圏」で映画デビューを果たす。’65年からのテレビ・シリーズ「秘密諜報員ジョン・ドレーク」の主役と’67年からの「プリズナー」のNo.6役で知られ、カルト・テレビ的な人気を得ている役者で、演出も務める。その後も悪役が多い。→コトバンク
 2009年11月発行の政論雑誌『沖縄世論』(閣文社・那覇市首里末吉町3-72-12電話098-886-0777)に新城栄徳が「沖縄美術運動の黎明ー『大アメリカ展』の実現を」を書いている。曰く「筆者は中学時代、地元紙によって反米(嫌米)意識が植えられた結果、関西に住着くようになった。そしてアメリカに対する知識は英語も含めて無知に等しい。最近はアメリカを知りたいという欲求も芽生えた。1950年西宮市で「アメリカ博覧会」が開かれ、野外パノラマなどが設置され産業や生活が紹介された。千葉のディズニーランドを例に採るまでもなく、基地などを通じてアメリカ消費文明は沖縄・日本文化に染み付いている。沖縄県立博物館・美術館で総合的な『大アメリカ展』の開催を実現してほしい」とする。
2009年11月5日、米テキサス(Texas)州フォートフッド(Fort Hood)の陸軍基地で、軍に所属する精神科医のニダル・マリク・ハサン(Nidal Malik Hasan)死刑囚が銃を乱射。13人が死亡、42人が負傷。同死刑囚は事件後、警察に身柄を拘束された。米国の軍事基地内で発生した同様の事件としては過去最悪となった。【翻訳編集】 AFPBB News
 アメリカは中国と何らかの密約があるのか知らないが、日中間で全面戦争が起きた場合を想定しても、アメリカは関知しないようだ。だから北朝鮮はともかくとして、尖閣諸島の問題にも何ら米軍は抑止力にもならないことは次の記事をみても分かる。  

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 『毎日新聞』2016年9月23日□税金はバランス良く使われているのか。2017年度予算の概算要求で、防衛費が過去最高になった。(略)日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのは分かる。けれども一方で、国内には貧困や格差拡大など克服すべき問題も山積しているのだが−−。

 まず、この10年間の防衛費の推移を見てほしい。12年12月に誕生した第2次安倍晋三政権が、予算を編成した13年度以降は増え続け、17年度の概算要求段階では過去最高の5兆1685億円(16年度当初予算比2・3%増)となった。 軍事問題や安全保障に詳しいジャーナリスト、前田哲男さんは防衛費の伸びをどう見ているのか。 「大型兵器の調達が増えています。米が開発した1機173億円の滞空型無人機『グローバルホーク』の取得が代表例。日米同盟の強化を掲げる安倍政権が誕生してから、制服組の意向が予算に反映されやすくなっているようです。まさに『防衛版アベノミクス』と言っていいでしょう」

 防衛装備品は13年12月に定めた「中期防衛力整備計画」に基づき導入され、14〜18年度の5年間で必要額は24兆6700億円程度とされている。そこで、17年度予算で購入予定の主な防衛装備品を一覧表にまとめた。目が飛び出しそうな金額が並ぶ。厳しい国際情勢を考えると、「防衛力の整備は待ったなし」とも思えるが、前田さんら有識者は、必ずしも優先順位の高い装備品ばかりではないと批判する。順番に見ていこう。 「グローバルホーク」はレーダーに映りにくい約1万8000メートルの上空から地上を偵察できる。防衛省は「事態が緊迫した際に継続的な警戒監視を行うことが可能」などと必要性を強調するが、前田さんは「日本の専守防衛の観点からは疑問。弾道ミサイル発射の兆候などを把握するのに有効だが、敵基地の先制攻撃が必要だとの議論になりかねない」と首をかしげる。

 沖縄県・尖閣諸島など離島が他国に占領される場合に備え、防衛省は米国製の水陸両用車(AAV7)11両を84億円で購入する予定だ。だが、「どのような場面で使うのでしょうか」と、前田さんの査定は相変わらず厳しい。 現実問題として、中国の正規軍が尖閣諸島を占領することは「日米同盟を相手にした最悪の愚策」で考えにくいという。仮に正規軍が占領した後、日本がAAV7などを使って奪還しようとすると、米国を巻き込んだ日中の全面戦争に突入するリスクが高まる。武装状況にもよるが、漁師や民兵などが離島に上陸しようとするケースは、原則として海上保安庁の出番だ。

 軍事ジャーナリストの世良光弘さんは、AAV7の性能面を疑問視する。「水上での最高速度が時速13キロと遅く、上陸時に敵から狙い撃ちされます。サンゴ礁を乗り越える機能もついておらず、米海兵隊も使いたがりません」。同省は米海兵隊をモデルに「水陸機動団」(仮称)を新編する方針だ。その柱のAAV7について同省は「諸外国の類似品と比較して速度が遅いということはない。サンゴ礁が状況によって障害になりうると認識しているが、サンゴ礁を避けた運用は可能だ」と反論する。

 
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 中央日報日本語版2019- 7/29(月) -「朝鮮人強制徴用はナチス・ドイツのホロコーストに違わないことだ。日本企業に賠償を命令した韓国大法院(最高裁)の判決はあまりにも当然だ」日本の著名な脱核専門家であり、作家である広瀬隆さんが最近韓日間紛争の原因とされる強制徴用賠償問題についてこのように主張した。24日、時事週刊誌「週刊朝日」に掲載したオンラインコラムを通じてだ。彼はコラムで「日帝が犯した朝鮮人強制徴用は奴隷制に当たるものであり、重大な人権侵害で、ナチス・ドイツがユダヤ人をアウシュヴィッツ強制収容所に送りこんだのと何ら違わない」と書いた。1965年韓日請求権協定の時、強制徴用賠償問題などすべてのことが解決済みという安倍政権の主張もつじつまの合わない主張だと批判した。
広瀬さんは「1965年日本が韓国に支払った金は経済協力であり、(強制徴用などに対する)賠償金ではない」と主張した。「協定によって韓国に支払った金は経済協力資金だ」(椎名悦三郎元外相)「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではないい」(柳井俊二元外務省条約局長)などの発言がこれを裏付けているということだ。彼は「それでも安倍政権が日本企業に『賠償金を払うな』と指導してきた。それはおかしいと批判すべきテレビ報道界が、あべこべに率先して韓国批判をスタートしたわけ」として「当時、強制労働被害者に対する個人補償を定めずに日韓国交正常化の条約を結んだ韓国の大統領・朴正熙(パク・チョンヒ)にも非がある」と主張した。


1965年5月 鈴木幸夫『閨閥ー結婚で固められる日本の支配者集団』光文社


広瀬 隆「ナチス」
 

広瀬 隆『持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち』
広瀬隆の本

広瀬隆 ひろせ-たかし
1943- 昭和後期-平成時代のノンフィクション作家。
昭和18年1月24日生まれ。医学書の翻訳にたずさわりながら,反原発運動にとりくむ。昭和56年「東京に原発を!」で注目される。つづいて「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」「危険な話」など,資料を駆使して事実にせまる作品を発表し,原発論争をまきおこした。東京出身。早大卒。著作はほかに『赤い楯』など。→コトバンク
 ◇広瀬隆ー苦しいことは人生の糧になる
私が会社を辞めたのは、ちょうどオイルショックの時代でした。それでも平気で生きました。今の若い人はもっと大胆に生きていいと思いますよ。大企業にいたって、人生は他人の命令を受けるためにあるのじゃない。メインストリートばかり歩かなくともいいんです。人生は裏道が面白いんですから。
 今はそういう考えの人が、生きづらい時代なのかな。孤独に苛まれ、苦しむこともあるかと思います。でも、苦しいことは人生の糧になります。苦労を重ねると、自然に哲学が深まっていく。いろんなことに疑問を持ち、自分の頭で考えるようになるからです。苦労していない人の話は、ちっとも面白くないですよ。
 お金を貯めるより、知恵を貯めたほうがいい。人生哲学を持って生きている人ほど、強いものはありません。孤独にならないんです。そうやって知恵を豊かにして生き延びていれば、きっといつか花開く時がくる。すぐにはこないですよ。でも、きっとくる。そう思って生きていくのが、人生の醍醐味ですよ。

1987年11月 アーマンド ハマー① (著), 広瀬 隆 (翻訳) 『ドクター・ハマー―私はなぜ米ソ首脳を動かすのか 』 ①美術品収集家としても世界的に知られており、ソ連との貿易をしていたころより本格的に収集を始め、主にロマノフ王朝時代のロシアをはじめとするヨーロッパの絵画や彫刻などを収集する傍ら、1930年代にはニューヨーク州マンハッタンに画廊をオープンするなど、趣味と実益を兼ねたビジネスを行っていた。また、後にオクシデンタル・ペトロリウムの本社があるカリフォルニア州ロサンゼルスにアーマンド・ハマー美術館を設立している。→Wikipedia

1991年11月 広瀬隆『赤い楯 ロスチャイルドの謎㊤』集英社□ペリー提督が今日の沖縄、当時の琉球那覇に姿を現わしたのは、この結婚からわずか四年後のことであった。ペリーはそこから小笠原諸島を経て浦賀までやってくると、軍艦”たった四隻で夜も眠れぬ”恐怖を日本人に与え、和親条約の調印にこぎつけたのである。(オーガスト・)ベルモントの結婚相手キャロラインこそ、このペリー提督の娘であった。しかもペリー提督の兄オリヴァー・ハザード・ペリーは、イギリスを敵として戦ったアメリカ海軍の英雄誉高く、アメリカでは、”わが国のペリー提督”と言えばこの兄を指すほどの存在であった。ロスチャイルド家はこの英雄一族をパートナーに取りこむと、さらに閨閥を広げるよう、ベルモントに強く指示を与えた。

2011年6月 広瀬隆『象の背中で焚火をすれば』NHK出版□あらゆる経済通が、「日本の財政赤字を解消しないと、大変な事態になる。もはや限界だ」と叫んでいる中で起こっている出来事が、”公的資金の導入”による金融界の救済である。そも、公的資金とは、奇怪な言葉ではないか。「的」とは、「・・・・・らしい」の意だが、いま国民に無断で使用されている公的資金とは、税金やその予備軍の日銀特別融資のことであるから、公的ではない。まぎれもなく「公金」であるのだから、はっきり公金と言いたまえ、税金などを盗めば、公金着服と言うではないか。


1993年12月 大薗友和『アジアを読む地図』講談社/2002年11月 大薗友和『世界のタブーが解る本』小学館 大薗友和ージャーナリスト。1952年生まれ。同志社大学経済学部卒。『週刊文春』『選択』記者を経て独立、大薗事務所設立。経済・産業と中国・アジアが専門。91年に著わした『一目でわかる企業系列と業界地図』が内外の反響を呼ぶベストセラーに(英語、中国語、ハングル語に翻訳)。93年の『アジアを読む地図』(講談社)は全国学校図書館選定図書に指定される。

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○(略)和田清博士の説に拠りますと明の洪武5年(1372)に琉球(流求)招撫を命ぜられた楊載なるものが、その琉球は台湾であることを意識してをりながら、この慓悍な蛮人の拠ってゐる危険な島を避けて故らに人情温雅な今の琉球(即ち中山國)に到り、その王を誘って明廷に入朝せしめ、之を琉球王なりとしてその使命を果たしたやうに見せかけたのに拠るのであらうといふことであります。・・・

石田幹之助 生年明治24(1891)年12月28日 没年昭和49(1974)年5月25日
出生地千葉県千葉市
主な受賞名〔年〕フランス政府アカデミー勲章〔昭和35年〕,紫綬褒章〔昭和39年〕
経歴大正5年東京帝大卒業後、中国に留学。留学中、東洋学関係の文献蒐集家モリソンを知り、その日本誘致を行ない(岩崎家が購入)、その文献整理に当って、モリソン文庫(現・東洋文庫)の基礎を築く。6年〜昭和9年同文庫主事。傍ら日大教授、国学院大学教授を歴任。20年東方学会設立にあたって理事となり、機関誌「東方学」の編集に従事した。48年同学会会長。著書に「長安の春」(昭16)をはじめ、「欧人の支那研究」「南海に関する支那史料」「唐史叢鈔」「東亜文化史叢考」、「石田幹之助著作集」(六興出版)などがある。→コトバンク

1974年7月15日『日本古書通信』第363号「石田幹之助氏・岩佐東一郎氏の死」
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 「日本にとって沖縄とは何か」
 一見、他愛もない問いを、たびたび浴びせられると、はたと考え込んでしまう。突きつめると「軍事基地の島」としか思い浮かばない。しかも、70余年にわたり、他国の軍隊が鎮座し、島中に立入禁止の金網を張りめぐらせた日常風景。これも「日本」なのかと。

 日本政府が沖縄を「軍事の要塞」「戦略拠点」と位置づけていることは、8月2日に閣議報告された『2016年版・防衛白書』に明記された。
 軍事的に沖縄の地理的優位性を強調し、曰く「朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い位置にあり、戦略的に重要性を有す」と説く。
 さらに中国との位置関係からも「戦略的に重要な目標」とし、尖閣諸島の領有権をめぐる有事事態を想定している。
 8月4日に就任した稲田朋美防衛大臣は、防衛白書を踏まえた上で「地理的な優位性を有する沖縄に優れた機動性、即応性を持ち、幅広い任務に対応可能な海兵隊を駐留することは日米同盟の抑止力を構成する上で大変重要な要素」と、具体的に言及した。
 では、政府が金科玉条とする「地理的優位性と抑止力」は、果たして正当性があり、理屈にかなったものなのか。安倍政権の唱える日米同盟を疑うこともなく支持する国民層には「沖縄に基地があって当然」又は「よそ事」と無関心を決め込んでいるように見える。

 かつて「太平洋のキーストーン」として、米軍が沖縄基地を自由使用し、地理的優位性を謳歌した時代があった。これは冷戦時代の遺物であって、ソ連崩壊に伴い、戦略的役割は終わっているはず。日本政府はそんなことにお構いなく、日米同盟の下に、復帰後も無理矢理、この路線を踏襲し続けた。
 しかも、新たに北朝鮮、中国を名指しして、脅威論を振りかざし、沖縄基地の地理的優位性と抑止力を「延命」させようと目論んでいるのだ。妖怪の如く実態はつかみどころがない。
 日米の元政府高官や軍事専門家筋からは、早くから沖縄基地の「地理的優位性」には疑問符が投げかけられてきた。近年の軍事技術の変革によって、戦略拠点であったはずの沖縄が、敵国からのミサイルの射程内に入ったこと、基地を集中させるリスクがあまりにも大きいとし、地理的優位どころか、ぜい弱性、危険性でさえ指摘する。
 しかも、海兵隊が抑止力として、沖縄に居座らなければならない理由は無い—ということが常識にさえなっているのだ。

 殆どの沖縄県民は。沖縄が「軍事の要塞」として、有事に戦渦に巻き込まれることを最も恐れる。70余年前の沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らない」「二度と戦争はいやだ」「捨て石にされたくない」が骨身にしみている。
 辺野古や高江の新基地建設に反対し、絶えず基地整理縮小を叫ぶ人々の心根はそこにある。「辺野古が唯一」「地理的優位性」「抑止力」とは相容れられないのだ。

 国は今、一気に強権を発動し、「アメとムチ」の植民地的手段を講じながら、圧倒的な沖縄県民の民意を押し潰しにかかっている。
 辺野古新基地について、国と県は和解策に基づく協議を重ねてきた。ところが7月22日、国は一方的に翁長県知事を相手に「違法確認訴訟」を福岡高裁那覇支部に起こした。協議よりも裁判で早目に決着をつけ、辺野古の工事に着手しようとの意図が見え隠れする。「裁判では国が勝つ」との皮算用があってのこと。しかも、同時に陸上部分の工事再開も通告したのである。
 国の強権ぶりは、同日に名護市辺野古と東村高江のヘリパット工事再開の「二面作戦」に出たことで頂点に達した。何と山原(ヤンバル)の山林地帯に、全国から動員された屈強な警察機動隊員500人が出現し、工事反対の区民や支援団体の人たちを、問答無用で強制排除した。
 二年間も阻止されてきた6カ所(うち2カ所は完成済み)の工事は、またたく間に機動隊や防衛局に見守られ再開された。その際、県道への金網の設置、テント小屋の撤去、木の伐採、検問など、法的な手続きも示さぬまま、暴力的に強行された。「まるで戒厳令だ」「国の暴力」と抗議団から悲鳴が出るほど、異様な光景だった。

 「県民に寄り添う」と、安倍首相、菅官房長官はじめ政府サイドは絶えず繰り返してきたが、ついに180度転換し「基地と振興策はリンクする」と、本音を露呈した。
 県民の民意がどこにあろうと「国には従え」を強要する姿勢である。リンク論とは、言葉をかえれば「辺野古を認めなければ、振興予算を削る」ということだ。翁長県政からの保守勢力の離反、アメとムチによる世論の分断を狙った巧妙な手との見方がある。
 たて続けの政府の強硬手段には、さすがの翁長知事も「これでは自治が死ぬ」と、せいいっぱいの抵抗を示した。
 全国から見れば、沖縄は絶対的少数者である。県民の民意は圧倒的に辺野古新基地反対だが、どこまで全国の人々に共鳴してもらえるか。基地・安保が沖縄だけの問題でないことは言うまでもない。
「沖縄のような少数者の意見を尊重し、吸い上げることができなければ、真の民主主義国家とは言えない」20年も前に、ニュースキャスターの筑紫哲也さん(故人)が警鐘を鳴らし続けていたことを思い起こした。

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(上)1998年7月、琉球新報ホールで。左から宮里昭也氏(元琉球新報社長)、新城栄徳、高嶺朝一氏(現琉球新報社長)、新川明氏(元沖縄タイムス社長)/(中)2003年9月、琉球新報ホールで、左から船越義彰氏、山之口泉さん、大城立裕氏、石野朝季氏。撮影・新城栄徳。/(下)2003年6月、喜如嘉ゆかりの人たちと、左から平良次子さん、大山哲氏、伊佐眞一氏、福地曠昭氏、新城栄徳。

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1984年9月24日『琉球新報』「私の研究ー照屋榮一」(この人の一連の”仕事〟を指して「資料マニアの極致」と言った者<新城栄徳>がいる。)


1998年9月2日『沖縄タイムス』照屋榮一「文化県政か基地県政か」



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写真左から照屋榮一氏、新城栄徳

○「台風16号ー与那国島では17日10:06に東南東の風66.8m/s、波照間島では08:29に南の風41.2m/sの最大瞬間風速を観測しています。与那国島は台風の目の中に入ったとみられる」のニュースを聞きながら記す。

1984年8月ー照屋栄一『沖縄行政機構変遷史』
照屋栄一氏は1932年11月4日に南米ペルーで生まれている。1979年に『沖縄行政機構の変遷』<資料編>、82年に『沖縄行政機構変遷史料』(沖縄復帰10周年記念)を出している。後著は沖縄タイムス出版文化賞。私は首里の当間諭氏から、その友人である照屋氏の話を聞いて、沖縄県庁に照屋氏を訪ね『沖縄行政機構の変遷』<資料編>を頂いたのが最初の出逢いである。

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照屋榮一氏の著作

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1959年10月 『琉球大学 経済研究』第一号 琉球大学文理学部経済学科
琉球に於ける租税問題に就いて・・・・・・・・・・・久場政彦①
琉球の生活水準・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・稲泉 薫
琉球の労働政策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・砂川恵勝
琉球経済と貿易・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山城新好
B円下の琉球貨幣経済・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平 恒次
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○B円制度は今や歴史となった。戦後琉球のあらゆる生活部門に、重要な足跡を残しながら、あらゆる歴史のるつぼである過去の中へ消えて行った。B円制度はは軍事占領の一つの道具としての軍票制度であったけれども、貨幣制度として機能する限り、貨幣経済の一般的法則を反映した筈であって、小論はこの様な機能的見地から、B円下の経済現象のもつ合法則性を探求しようと試るものである。
①久場政彦

1996年5月 久場政彦『20世紀の黄昏ー社会・経済評論/随筆集』
〇まえがきー自然及び社会秩序の破壊と混乱が加速してきている20世紀の黄昏の昨今、新世紀への明るい展望が見えにくくなり、斉藤茂吉の詠歌     なげかへばものみな暗し東に出づる星さえ明からなくに
の愁嘆の情が切実に感じられてならない。われわれは今人間活動の限界の基本理念に立ち帰って反省し行動すべきだと痛感する。
○新世紀へのアプローチー人類が地球の大気圏へのアクセスに成功した20世紀は科学技術の革新が驚異的なスピードで進ちょくし、コンピューターの演算速度はナノ秒(10億分の1秒)の域に達し、さらに多くの先端技術を応用すれば多くの未知が解析可能になり、過去のどの世紀よりも卓越した人知の成果を産出しているとおう歌されている。しかし世紀末の昨今、大気汚染や地球環境破壊の急速な拡大、人口の急増、先進諸国における景気後退、民族的宗教的対立による局地紛争の頻発と激化という暗い流れが土石流のような勢いで渦巻いている。

1995年8月 『戦後沖縄経済の軌跡ー脱基地・自立経済を求めてー」

元県振興開発審議会会長などを務めた元琉球大教授の久場政彦(くば・まさひこ)氏が26日午前4時25分、血胸のため那覇市内の病院で死去した。90歳。那覇市首里出身。自宅は那覇市楚辺1の1の45。告別式は28日午後2時半から4時、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館(守礼)で。喪主は妻とよさん。久場氏は琉球大教授、沖縄振興開発金融公庫副理事長、沖縄国際大教授などを歴任。県振興開発審議会会長も務めた。沖縄経済学会顧問。著書に「琉球の財政・基地と沖縄経済」「戦後沖縄経済の軌跡」など多数ある。(2010年9月28日『琉球新報』)


1964年9月 『経済論集』第1号 琉球大学経済研究所(1962年1月設立)
発刊に際して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久場政彦・琉球大学経済研究所所長
沖縄における農業協同組合・・・・・・・・・・・・山里敏康  1-60
沖縄の所得分布について・・・・・・・・・・・・・・山内盛弘  62-102 
コレラの地域的(琉球)汚染による経済諸量の変化に関する一考察・・・・・・・・・・103

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1974年1月 雑誌『青い海』29号 比嘉春潮「この頃のことなど」

2006年9月『比嘉春潮顕彰』/2006年2月『篤学の沖縄研究者 比嘉春潮』

1945年8月、国吉真哲・宮里栄輝・源武雄が早く帰還できるよう「県人会」結成を相談。宮里栄輝、熊本沖縄県人会長になる。/女子挺身隊救済で尼崎沖縄県人会結成。
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1945年 9月、松本三益が比嘉春潮を訪ね、伊波普猷を代表に推し「沖縄人連盟」結成を相談。比嘉春潮宅で、左端松本ツル、中央・伊波普猷、右隣りへ冬子夫人、比嘉春潮、松本三益
11月11日、沖縄人連盟創立総会。総務委員・伊波普猷(代表)、大浜信泉、比屋根安定、比嘉春潮、永丘智太郎
11月26日、関西沖縄人連盟創立大会。代表・豊川忠進、兼島景毅、井之口政雄  参加・良元村(のち宝塚)、神崎川、城東、泉州、堺、和歌山       の県人会


1945年12月6日『自由沖縄』第1号(編集・比嘉春潮)/1947年2月20日『自由沖縄』(城間得栄・編)、1947年12月25日『自由沖縄』(上原永盛・編)

1945年12月9日ー東京神田教育会館で「引揚民救済沖縄県人大会」、伊波普猷が沖縄人聯盟代表として「無謀な戦争の為に国民はあるいはたおれ、あるいは傷つきー」と演説した。

1946年8月5日沖縄人聯盟九州本部『自由沖縄 九州版』(大嶺政和・編)、1948年2月15日『自由沖縄 大阪版』(城間盛雄・編)


1947年
8月19日ー『朝日新聞』「伊波普猷氏(沖縄人連盟会長)13日午後2時杉並区西田町1ノ566比嘉氏方でノウイッ血で死去、73歳、沖縄出身者の言語、民俗学者、おもろ研究の権威であった」、8月22日『自由沖縄』「先覚!今は亡し」(伊波普猷追悼特集)、9月26日『うるま新報』「われ等の先覚伊波氏逝く」

比嘉春潮と沖縄文化協会
1947年12月に柳宗悦氏がその駒場の民芸館で沖縄民芸展覧会を開催した時、宮良氏に連絡があって沖縄文化記念講演会を一緒に開くこととなり、「沖縄語と日本語の関係」(宮良当壮)、「沖縄の歴史と文化」(東恩納寛惇)の講演があった。この時柳氏から文化協会の講演会を定期的開く提唱があり、その斡旋を宮良氏がすることになった。1948年の4月から毎日第一土曜日に民芸館で講演会を開いた。9月、沖縄連盟から離れて独自の沖縄文化協会に改組。比嘉春潮、仲原善忠、島袋源七、金城朝永、宮良当壮の5人が運営委員となり、仮事務所を比嘉春潮の所に置いて発足した。

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この新しい沖縄文化協会が出来ると私(比嘉春潮)は自ら進んで、会報『沖縄文化』の編集、印刷、頒布を引受け、その第一号を1948年11月1日に出した。『沖縄文化』はタブロイド半截判4頁、誌名に「沖縄文化協会会報」の肩書を加え、毎月1日発行とした。内容は会の主張・研究ものに文化ニュース(又は文化だより)等を載せた。→沖縄文化協会『沖縄文化叢論』(法政大学出版局1970年5月)

沖縄文化協会の人びとー右から仲原善忠、伊波南哲、比嘉春潮、宮良当荘、金城朝永、志多伯克進、東恩納寛惇、神村朝堅、柳悦孝

我部政男教授から頂いた『沖縄文化』資料


2007年3月 沖縄県『史料編集室紀要』納富香織「比嘉春潮論への覚書」/我部政男「比嘉春潮先生著作ノート」

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1979年6月『青い海』84号 「5・15 住吉東から旅立ちー金城実『戦争と人間』全国キャラバン」

2013年2月 『歴史評論』黒川みどり「大阪人権博物館と橋下市政」
 (略)木津川計「たこ焼き、吉本興業、タイガースだけで大阪が評価されるのは残念。誇るべき文化の蓄えがなくなれば、大阪の『格』はもっと低くなるだろう」。リバティの展示の対象は、橋下市長が構想するようなナショナリズムを背景とした歴史観のもとでは真っ先に捨象されてしまうであろうことは明らかだが、そのような歴史観に根ざさずとも、まさしくマイノリティであるがゆえに往々にして歴史認識から欠落してしまいがちである。しかも、リバティの原点でもあった部落問題が、一方で人権一般に解消され、差別はなくなっていないにもかかわらず問題は消し去られようとしているとき、リバティの存在はいっそう重要性を増す。差別はなくならければならない。しかし、差別を内包してきた社会の歴史は消し去れない。そればかりか、そのことを見据えることによって、明るい未来を切り開く糧としなければならない。


金城実の著作資料


2013年2月17日ー沖縄県立図書館で彫刻家・金城実さん/国際通りで金城さんを見かけるが、カバンにベレー帽、後姿は儀間比呂志さんとそっくりだ。見かけに騙されてはいけない、演説をさせたら獅子吼如しだ。

2016年10月23日『沖縄タイムス』「差別発言『許されへん』『土人』大阪府知事対応に関西の声」「『土人』発言 彫刻家・金城実さんー大阪知事は権力による事件という視点も見落としている。公務員と一般市民を対等に扱って『売り言葉に買い言葉』と言い、報道に『メディアが鬼畜生のようにたたく』と被害者のような表現を使う。・・・」


2016年10月23日『琉球新報』○沖縄防衛局、高江にレンタカー放置 2台2ヵ月半、79万円ー工事を監視している市民によると、レンタカーは当初、テントへの入り口をふさぐ格好で縦列に2台駐車していた。テントへの通路を確保するため市民らは1台をずらして移動した。(略)防衛局は「7月に工事用道路として沖縄森林管理署から使用許可を得た敷地や周辺で、工事用道路としての使用が可能となった後に速やかに道路として使用できるよう駐車した」と説明した。テントで座り込みに参加している市民らからは「全く動かさず置いているだけなのに、払い続けているレンタカー代もずっと税金で賄われている。名護署は市民の車を撤去するなら、防衛局の車も撤去すべきではないか」との声も上がっている。

2016年9月6日~11日 那覇市民ギャラリー「大西忠保写真展 沖縄ー裏街の記憶ー」

大西杏子さん


2016年9月6日~11日 那覇市民ギャラリー「大西忠保写真展 沖縄ー裏街の記憶ー」




彫刻家・金城実
2013年7月 大西忠保写真記録Ⅱ『金城実 100メートル彫刻 「戦争と人間」』PHOTOS舎

大西忠保(1947年3月 東京渋谷生まれー2012年5月25日 永眠)1965年 明治大学商学部入学。同大学カメラクラブへ入部。

写真で見る 迫力の反戦彫刻 明治大駿河台キャンパスで写真展(東京新聞2015-5)
沖縄戦の悲劇が描かれた巨大彫刻「戦争と人間」を題材にした写真展が、千代田区の明治大駿河台キャンパスで開かれている。撮影したのは、写真家の故・大西忠保(ただやす)さん。大西さんの妻で、展示を企画した杏子(きょうこ)さん(67)=渋谷区=は「夫が反戦平和への願いを込めた作品。今も米軍基地問題に揺れる沖縄を応援したい」と話している。「戦争と人間」は、反戦活動を続ける沖縄県在住の彫刻家金城実さんが、十年がかりで完成させた全長百メートルの連作。地上戦が展開された沖縄戦の悲劇や、銃剣とブルドーザーによる米軍の土地接収、抵抗する人々をレリーフや彫像で表現した。
 原爆が投下された広島や沖縄をテーマに撮影を重ねていた大西さんに、金城さんが撮影を依頼。二〇〇七年、大西さんは病を押して長時間の野外撮影に臨み、作品が持つ怒りや悲しみを浮き彫りにした。三年前に六十五歳で亡くなったが、戦後七十年を機に、母校の明治大カメラクラブや友人の協力で、今回の写真展が実現。アカデミーコモン一階の会場に五十点を展示した。福島と沖縄から日本を考える「おらがふるさとを返せ」と題した金城さん制作の木彫も出品されている。二十三日には金城さんも来場し、「自分の手を離れて大西さんの作品になった」と語って才能を惜しんだという。杏子さんは「沖縄の七十年は苦難の歴史だった。沖縄を愛した夫の写真を通じ、思いを寄せてもらえれば」と話している。

 「ANNニュース」2020-3-28 東京都で新たに新型コロナウイルスへ感染者が60人以上確認された。半分近くが東京・台東区の永寿総合病院の関係者だということだ。都内では3日連続で40人台の感染が確認されているが、初めて60人台の感染確認となり、1日の感染確認としては最多を更新した。

 「中日スポーツ」2020-3-28 フリーアナウンサーの久米宏(75)が28日、自身がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」(土曜午後1時)で、新型コロナウイルスによる感染拡大防止のため、東京都の小池百合子知事が出した週末の不要不急の外出自粛要請に、物申した。
 この日、「今日出掛ける時に、自分は不要不急かどうか、どうしようかなと思ってね」と冗談交じりに話した久米。都内の感染者が40人を越えたことやスーパーマーケットが混乱した状況は、「皆さんお気づきでしょうが、東京オリンピックの延期がほぼ正式に発表された直後から、すべて始まったんです」と解説。
 そして「つまり、東京オリンピックの開催に関する東京の街のイメージダウンに関する情報は、それまでめいっぱい抑えてきた。で、延期が決まった瞬間、何でもかんでも発表して、まぁ感染者の数字なんてねぇどうでもコントロールできますから。最後が合えばいいんですから。これはねぇ、東京のイメージダウンになる情報はなるべく発信しないようにしようという意思が働いて、延期が発表されるまで抑えられていたんじゃないかという邪推ではない、これはかなり確信をもって、情報のコントロールがされていたんじゃないかなぁと思います」と続けた。その背景には、「予定通り東京オリンピックは開催するんだって言い続けた人がいるんです、何人か」とも。

 三上智恵 2020-3-28 ・・・それはさておき、母も熱が出て背中が痛みだしコロナの検査を受けたいというものの内科と保健所にたらいまわしの挙句門前払い。白井さんの疑問はごく当然の疑問です一方で私たちは家族を含め多分コロナだと思って自己免疫力を上げつつ両親の看病をし万が一に備えて準備する以外になんの手立てもない全く無力な一国民です。

 白井 聡 2020-3-28 ヤフーが検閲を始めたぜ。ヤフーニュースのオーサーコメント欄で、阪神藤浪のコロナ感染に言及したコメント、すごい勢いで「参考になる」のクリックが来てたんだが、突然削除され、こんなメールが来てた。
 白井聡様 お世話になっております。Yahoo!ニュース個人編集の○○です。オーサーコメントにつきましては先ほどご案内したとおりですが、先ほど投稿くださいました『阪神 コロナ感染判明 藤浪同僚2選手は伊藤隼と長坂 14日に12人で食事会』へのコメントにつきまして、ご確認のお願いです。「体調不良が続いているのに保健所に検査を断られた」という声がいまだに渦巻いているからといって、野球選手は「上級国民」なので、特別扱いで検査に回されたということなのか?日本がパンデミックに陥った場合、「一般庶民の若者を見捨てて、上級国民の高齢者を助ける」ということが起こらないか?まで言及するのは、論拠や事実証明が不十分な憶測で、ユーザーの不安をむやみにあおる内容といえます。またトリアージに関しては医療の専門領域といえ、ご発信範囲を外れております。以上などから、編集部としてはオーサーコメントとしては不適切とみなし、削除させていただきます。


 国吉 多美子 2020-3-21  3月18日、彫刻家金城実さんの読谷村のアトリエで、金城実さん沖縄タイムス芸術選奨功労賞受賞と三上智恵さん「証言沖縄スパイ戦史」出版を祝う読谷の会が催されました。大勢の方々が駆けつけ、賑やかで暖かな、お二人のお人柄そのもの楽しい集いでした。千葉からドキュメンタリー作家、ジャーナリストの森口豁さんも駆けつけてくださり、また、旅芸人のパーフォ―マンスもあり、心に残る一夜でした。

大濱 聡 2020-3-20
■3月18日、新型コロナウイルス騒動の中、粛々と「金城実さん 沖縄タイムス芸術選奨 美術部門 功労賞受賞&三上智恵さん『証言 沖縄スパイ戦史』出版を祝う読谷の会」を、お二人が住む読谷村で開催。■金城さんの贈呈式・祝賀会は本来なら先月22日に行われる予定でしたが、イベント自粛の関係で順延されています。■三上さんの著書は、2018年7月公開の映画「沖縄スパイ戦史」(2018年 第92回キネマ旬報ベスト・テン 文化映画第一位、2019年度文化庁映画賞優秀賞 他)を基に10年にわたる取材の成果をまとめたもので、新書としては760ページという重量感ある大著です。本日(19日)、電子版も発売されました。■会には金城さんの盟友であり、かつての森口ドキュメンタリー塾の三上さんの師匠でもある森口 豁氏(ジャーナリスト)がわざわざ千葉から駆けつけ、お二人を祝福、激励されました。遠く今帰仁村や糸満、那覇などから想定を超える40人の金城、三上ファンが参加、夜遅くまで大いに盛り上がりました。



大濱聡 2019-10-15

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2020-8-31 大濱聡 徳田友子『残波岬に立つ男 山内徳信』沖縄タイムス社

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2020-9-1 大濱聡

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Posted by: ryubun02

左から東風平汀鳥、麦門冬、國吉朝秀、末吉安慶、名護朝扶、不詳

清盛ー入道は襟かき合しかき合しなるやうにせよと清盛腹で云ひ
正行ー正行は其の時遺言思い出し怨敵の使者に正行禮を述べ
師直(四条畷)ー師直はたった一ど声名乗あげ
舜天王ー尊敦も外へ出づれば琉球語

道鏡ー三度まで目まぜをしたが感通寺


道鏡どうきょう[生]? [没]宝亀3(772).下野
奈良時代末期の法相宗の僧。義淵の弟子。その本貫は河内国志紀郡弓削 (ゆげ) 。そのためか弓削道鏡と呼ばれる。初め葛木山で修業,のち東大寺に入り,天平宝字5 (761) 年保良宮 (ほらのみや) で孝謙上皇の病気を癒やして以来信任され,少僧都となり,同8年恵美押勝 (藤原仲麻呂 ) 失脚後は仏教政治をしき,翌年太政大臣禅師,天平神護2 (766) 年法王となった。 →コトバンク

養老ー孝行な子が酔ざめの水を汲み一杯は息子も呑んで顔赤め
大公望ー文王が来るとあはてて釣る真似し
竹林七賢ー七賢のどの先生と薮医が来
白楽天ー門前の婆も到頭うるさがり


伯夷叔斉ー周の天下采邑の民二人ありしばらくと伯夷叔斉右左り冥途へば譲り合はぬで伴に行き

伯夷・叔斉はくい・しゅくせいBo Yi Shu Qi
中国,殷周交代期 (前 1100頃) に現れた賢人の兄弟。孤竹国 (河北省?) の公子。父が弟の叔斉を世継ぎにしたが,叔斉は兄の伯夷に譲ろうとし,ついに2人とも位を捨て去った。彼らは周の文王を慕って,その地に行ったところ,武王の伐殷の役にあい,これを不仁な行いとして武王に諫言した。 →コトバンク
浦島ー浦島は尻まくりしてヒヨイと乗り

李太白ー出来が悪い詩白ふでふと詠じ
○李白りはくLi Bo
[生]長安1(701) [没]宝応1(762).当塗
中国,盛唐の詩人。字,太白。号,青蓮居士。若い頃は任侠を好み,四川を振出しに,江南,山東,山西を遊歴。 42歳のとき長安に出て賀知章らに推挙されて翰林供奉 (ぐぶ) となったが,高力士に憎まれてまもなく追われ,また放浪生活に入り,その間,杜甫とともに旅をしたこともある。 →コトバンク

頼朝ー頼朝は生まれながらに大頭
俊寛ー泣きやん 俊寛砂に文字を書き
熊谷ー熊谷は涙片手に首抱へ
羽衣ー天人のモデル口では話されず
謙信ー謙信のピカピカやんで夕立し
信玄ー信玄は膏薬張って出陣し
牛若ー牛若は母の乳房に歯形入れ
寒山拾得ー拾得が掃けば寒山尻を据え
竹取の翁ー胞桶に翁は火吹竹を入れ人形が這入って居ると初手思ひ
桃太郎ー黍団子鬼も一つと頂戴し犬猿雉の人員検査三ですみ土産物配られるやうなものもなし<



1972年10月 那覇市主催「前進座/平家女護島・俊寛」

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僧俊寛の墓;平家転覆の陰謀が暴露し、喜界島に流罪された俊寛僧都は、赦免されることなく、この地に滅びました。坊主前(ボウズンメイ)と呼ぶこの地に墓があり、島の人々や観光客の供える花や線香は絶えません。→喜界町

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Posted by: ryubun02
 きょうは71年前にアジア・太平洋戦争が終結した日である。いや、8月15日だろうとの指摘もあるかもしれない。日本では8・15がお決まりだが、国際標準では大日本帝国が戦艦ミズーリ号で連合国に降伏調印をした9月2日が終戦の日だ

▼米・仏など旧連合国の対日戦勝記念日(VJデー)は9月2日。旧ソ連や中国は9月3日。例外的に韓国、北朝鮮、英国が8月15日だ
▼なぜ8・15が表に出てきたか。佐藤卓己著「八月十五日の神話」に詳しい。1945年8月10日未明の御前会議でポツダム宣言受諾が決まり、日本放送協会と同盟通信社が海外に伝えた。国際的に重要な正式受諾は14日。15日は天皇が国民向けにラジオ放送した日でしかない
▼戦後数年間は全国紙で「9・2降伏記念日」が報じられていたが、55年ごろから「8・15終戦の日」報道が定着したという
▼8月15日が公式に終戦記念日となったのは、戦後18年たった63年5月、池田内閣での閣議決定だ。この年から毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われるようになった。「降伏」の屈辱から目を背け、記憶の選択と忘却が進んだ。「敗戦」を「終戦」にすり替えた意識とも重なる
▼8・15は国民にとって都合よく後付けでつくられた日と言えようか。自国中心主義から離れて、歴史を冷静に多角的に見直す。それが、いつか来た道を防ぐことにもつながる。

沖縄タイムス 2016年9月2日<米軍ヘリパッド>警察車両で作業員輸送 市民反発
 沖縄県東村高江周辺の米軍北部訓練場ヘリパッド(ヘリ着陸帯)建設工事に関連して2日午前、警察車両が作業員約20人を同基地N1ゲート前まで輸送した。建設工事に反対する複数の市民が確認した。市民は「警察の業務は警備であり、作業員の輸送ではないはずだ」と反発している。市民らによると、警察車両での輸送は初めて。県道70号沿いで東村高江のN1ゲートから北側に4キロほど、国頭村安波の県営農地開発事業整備地入り口周辺で、市民らが道路に車両を止め、作業員の車での移動を阻止。機動隊員に守られながら市民の間を通り抜けた後、乗車したとみられる。

琉球新報 2016年9月2日<社説>辺野古IUCN勧告 日本政府は従うべきだ
 国際自然保護連合(IUCN)が日本自然保護協会など国内の非政府組織6団体が共同提出した辺野古新基地建設に伴う外来生物対策を求める勧告案を賛成多数で採択した。勧告は、辺野古新基地建設が「埋め立て資材に混入して運ばれる外来種に対し経路をつくることになる」と指摘。日本政府に埋め立て土砂に混入する外来種の早期発見方法の確立などを求め、米政府には外来種を防ぐ適切な方法を取ることを要請している。辺野古新基地建設に伴う埋め立てに高いハードルを課すことで、事実上、建設断念を日米両政府に迫ったと言っていい。(略)

 勧告に強制力はないにしても、外務省と環境省がIUCNメンバーに名を連ねる日本政府には勧告に従う義務と責任がある。IUCNが日本政府に対し、過去3度行ったジュゴン保護勧告のように、意に沿わないからといって無視するようでは、国際社会から信用を失うことになる。日本は2010年の生物多様性条約第10回締約国会議で議長国を務め、生物多様性保全に関する国際的な目標「愛知ターゲット」を取りまとめた。20年までに少なくとも陸地の17%、海の10%を保護区にすることや、絶滅危惧種の絶滅がなくなることなどが「愛知ターゲット」には盛り込まれている。政府は本来、保護区となるべき新基地建設予定海域を埋め立てる愚を犯してはならない。環境省は、辺野古沖を含む沖縄本島中北部沿岸を生物多様性の観点から重要度の高い海域に指定している。

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Posted by: ryubun02
大阪企業家ミュージアム

 地下鉄堺筋本町駅近くに大阪企業家ミュージアムがあって文献資料や映像ライブラリーが充実している。解説に「携帯電話やインターネットの普及などによる情報化が急速に進みました。また、関西国際空港が開設し海外との結びつきもより強いものとなりました。一方で海外生産の増加による産業の空洞化や、少子化による人口の減少、環境問題など難しい課題も生まれています」とある。ライブラリーで三島康雄『造船王・川崎正蔵の生涯』同文館を見る。沖縄で教員をしていた山本実彦にも『川崎正蔵』の著がある。川崎は、1869年から薩摩藩下屋敷跡の砂糖会社に勤めていた。1875年、川崎は琉球藩の貢糖を大阪まで運送し販売する役目を大蔵省から命ぜられ、自己所有の龍王丸、龍田丸、布引丸で回漕を行ないその管理のため東京と大阪を往復した。大阪江戸堀にあった川崎の大阪邸には松方正義、西郷従道、中井弘らがよく宿泊した。川崎は支那宋元の古画コレクターで、1870年に神戸の邸内に美術館を設けた。親交のあった伊藤博文が「長春閣」と命名した。

○大阪企業家ミュージアムは、大阪市中央区本町にある博物館。大阪で活躍した企業家をテーマとしており、大阪商工会議所創立120周年を記念して開設された。 ウィキペディア

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1961年9月 『小林一三翁の追想』同編纂委員会
 私は1964年、16歳のとき錦糸町駅近くの機械工場で働いていた。無論、寮も近くにあったので駅ビルの本屋はよく行った。駅ビル近くに小林一三①ゆかりの江東楽天地もあったが覗いたことはない。駅ビル界隈は懐かしい場所である。最近はテレビで全国の、全世界の事件が瞬時に報じられる。ネットでは色んな場所の映像もウンザリするほど出てくるが、復帰記念日の2016年5月15日ー東京都墨田区江東橋のビルに午後6時45分ころ、墨田区江東橋3丁目のJR錦糸町駅近くのビルに、練馬区に住む無職の男(83)の運転していた車がビル1階にあるカラオケ店の入り口付近に突っ込み、付近にある別のビルで警備員をしていた男性(45)をはねた。警視庁本所署によると、男の車は百貨店の駐車場を出る際、周囲の安全確認のため停車させようとした駐車場の警備員の男性をはねて、車のボンネットに乗せたまま道幅約20mの国道を横断して、向かいビルのエレベーターホールに突っ込み止まった。と、テレビ画面で錦糸町駅界隈を報じていた。
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阪急ラガールカード
①小林一三記念館
逸翁美術館(いつおうびじゅつかん)は、大阪府池田市にある美術館。設置者は財団法人逸翁美術館。阪急電鉄・阪急阪神東宝グループの創業者小林一三の旧邸「雅俗山荘」を当初の展示場として1957年に開館した。館名の「逸翁」は小林一三の雅号である。収蔵品の基礎は小林一三の5000点に及ぶ個人コレクションで、重要文化財15件、重要美術品認定物件19件を含む。特に与謝蕪村・呉春・円山四条派のコレクションは名高い。また、旧美術館の建物も1937年に建築された住宅建築である。旧美術館の正門は現豊能町の庄屋で江戸時代後期に建設されたものを1936年に移築したものである。2008年4月からしばらく休館し、2009年10月に阪急学園池田文庫のとなりの用地に新築移転された。旧美術館の本館である小林一三旧邸「雅俗山荘」は「小林一三記念館」として2010年4月22日に再公開された。
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小林一三が知人に宛てた息子の結婚式のお礼の手紙(所蔵・琉文)
東京楽天地 とうきょうらくてんち
 興行会社および不動産会社。東宝系。 1937年小林一三により江東楽天地として設立,同年江東劇場と本所映画館をオープン。 52年浅草楽天地を合併。 56年楽天地天然温泉会館をオープン。 61年現社名に変更。→コトバンク


コクヨ株式会社は、文房具やオフィス家具、事務機器を製造・販売する会社。ブランドメッセージは「ひらめき はかどり ここちよさ」。またCMなどで「コクヨのヨコク」も用いられる。代表的な商品には、1975年(昭和50年)から2014年(平成26年)の39年間で累計約26億冊を出荷した「Campus(キャンパス)ノート」などがある。IT化の昨今でも広く使われているものに会計帳簿がある。独立系の企業だが、株主として三井住友銀行の資本が入っている。→ウィキ
○地下鉄を利用するときは何時も新深江駅から乗る。その駅に隣接しているのがコクヨ本社である。その隣には「大阪ショ―ルーム」があって、いろんなコクヨ製品が展示してある。

 2008年5月ー粟国島の実家隣りの與那太郎さんの遺族を門真市に訪ねた。子息も故人になったようである。門真市立歴史資料館を見学すると、常設展に「『幣原家』の足跡を訪ねて」があった。幣原喜重郎は第44代内閣総理大臣で「日本国憲法改正草案要綱」を発表し現代日本の礎を築いた。兄の坦は1899年に『南島沿革史論』という沖縄通史を発表。28年、台北帝国大学総長。晩年は門真で過ごした。東恩納寛惇とも親交があった。駅近くに松下電器歴史館も見学。先日、東成区大成を歩いていたら「松下幸之助起業の地」の表示があったので見学した。福島区大開には松下電器創業の家跡がある。守口市にはSANYO MUSEUMがある。

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