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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
  
「くろねこの短語」2019年1月3日-(前略)それはともかく、紀伊国屋書店が売文芸人の百田シェンシェイと有本香のサイン本に欣喜雀躍のツイートして呆れられている。節操のカケラもなくなっちまったんだなあ。田辺茂一が草葉の陰で泣いてるぞ!!◆あけましておめでとうございます。本日、百田尚樹先生、有本 香先生にご来店いただき、『日本国紀』および『「日本国紀」の副読本』にサインを入れていただきました。元旦からありがとうございます!サイン本お取り置きは2階売場☎︎03-3354-5702で承っております。 — 紀伊國屋書店 新宿本店 (@KinoShinjuku) 2019年1月
 ◆総理(新制成蹊高等学校出身)!今夜もごちそう様!‏2018.2.02(金)18:58~21:07-ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町内「OASIS GARDEN」にて、後藤高志西武ホールディングス社長(新制成蹊高等学校出身)様、高井昌史紀國屋書店社長(成蹊大学政治経済学部)様らと総理はご会食なされました。


2018年5月5日『沖縄の軌跡』第188号《静子さん・志多伯克進を語る》 編集発行人・島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)

志多伯克進「酒禮門」新宿・歌舞伎町
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上ー志多伯克進(1908年2月~1979年3月14日)写真ウラに「1936年6月、ある同志のカメラに向いてー志賀進」と記されている。


1956年 四原則貫徹・県民代表として本土渡航の瀬長亀次郎沖縄人民党書記長を羽田空港で出迎える松本三益(瀬長の右)、志多伯克進(瀬長の左)/1967年11月 新宿・酒礼門で「瀬長亀次郎歓迎会」中央に瀬長亀次郎、その左が松本三益、右隣りに比嘉春潮

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1959年10月ー東京沖縄県人会会場の廊下で、貘、伊波南哲、霜多正次、当間嗣光、平良真英、新崎盛敏(東京沖縄県人会3代会長)、金城唯温、「志多伯」「おもろ」「紅型」など泡盛屋のオヤジ、紅一点の山口一子


□1960年10月『オキナワグラフ』ー新宿の人気男「志多伯のおやじ」新宿コマ劇場の横丁にある”コマ小路”というバー街に、この春から異様な門構えのアワモリ酒亭ができてなかなか繁昌している。
屋号は「酒礼門」。勿論”守礼之門”をモジッてつけたもので、故伊江朝助男爵が名付の親だということだが、ゲン語学者の石川正通先生にいわすと、その語イはー酒の友こそ真の友 礼を守りて盃酌めば 門は大道無門にてーだそうだ。
 店構えが異様なら、ここの主人もまた変わり種。志多伯克進という名前からしてコクのよい銘酒を思わせるが、無類の好々爺で、ジュクの酒徒からは”シタハクのオヤジ”と愛称されている。
目マユがこく長く、デップリ太って、みるからにアワモリ天国のエビス様とう感じ、いつあっても、赤ら顔に満面笑みをたたえてさも愉快そうに話し出す。どんな酒癖の悪いインマヤーでもすぐなついてくる。
しかし、このオヤジが庶民の街で名物オヤジとしたわれているのは、ただこの人がお人好しだということばかりではなさそうだ。この人には往年の社会運動の体験から得た”庶民哲学”とジュクのヨタ公共をまかす位の”度胸”が備わっている。愛すべき志士だ。このスジ金の入ったところがまた魅力となって学生や労働者たちに好かれるのだろう。
 この人の哲学というのは、先ず人間は平等だということ、第2に貧乏人を蔑まず金持を恐れないこと、第3に真心を以って事に当たること、だそうだが、これはやはり戦前の社会運動時代に豚バコにブチ込まれたり、法廷に立たされた苦闘の中から生まれたものに違いない。非常に正義感が強い人で、終戦直後、新宿のテキヤ安田組を向こうに廻して空手で打ち負かしたという武勇伝は有名だが、いまでもヨタ公同志の決闘に”流血を避けるため”顔をかすこともあるという。
 都内の泡盛屋は大小入れて40軒を数えるといわれるが、この総元締格が志多伯のオヤジさんである。泡盛屋の歴史は古く、昭和12年に若い奥さんと大塚駅前で「デーゴ」を開いたのが始り、それからまもなく本所深川の「泡泉」に移った。新宿駅西口に乗り込んだのは終戦直後。ヤミ屋の横行する焼跡で「志多伯」の赤チョウチンを下げ、カッポウ衣に前カケをしめてジュウジュウ鳥焼きとアワモリのサービスに励むかたわら、西口の開拓にも力を注いで今日の繁華街を築きあげた。独得な風貌と誰にも好かれる人柄と親身の世話焼きで忽ち西口の人気オヤジとなり、つい最近まで飲食組合の会長にまつりあげられていた。
 『オヤジもトウトウ成り上がったかー』東口に酒礼門を開いたとき西口店のナジミがこう歎いた。お座敷酒亭より西口の番台でバタバタニコニコしていた方がオヤジらしい、ということだろうが、しかしオヤジの庶民性はどこへ行っても消えうせない。むしろ新しい酒礼門こそ庶民の酒亭だ。そこには南の芸術がある。文化がある、ラフティを食べ、アワモリを酌みながら踊りをみる。<しかもフトコロの心配もない、なければオヤジに話せばわかるのだー。あなたふと讃酒之仁義ありという 酒礼門にて酔い泣かんかも(石川正通)

 私の17歳は、東京・新宿歌舞伎町の大衆割烹・勇駒新館で働いていた。勇駒本店隣に鮒忠①もあった。当時、新宿は副都心と称していた。現在は伏魔殿と謂われた都庁があるので都心であろうか。新宿は個人の存在など歯牙にもかけない喧噪で無味乾燥なビルが林立する巨大歓楽街であった。夕刻、新宿駅から仕事を終えたサラリーマンが歌舞伎町に大量に弾き出され勇駒新館はたちまち地下、2階も満杯になる。仕事が終わり寮に帰ると朝霧が立ち込めゴミが散乱する早朝の静寂は何とも言えない退廃的な雰囲気であった。職場には学費を稼がなければならない大学生バイト(早稲田が多かった)が5人も居たのでヒマな学生の政治運動やスポーツには興味も関心も無かった。沖縄出身に元出版社に居たという神里氏、いつも朝にヌンチャクの稽古をしていた。王城(喫茶)にも入口に沖縄出身の用心棒が居て、「困っていることがあれば相談に来い」と言ってくれた。
     
当時の新宿歌舞伎町(真鍋博1968年12月)
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当時の新宿駅東口

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歌舞伎町の大衆割烹・勇駒本店 

1977年8月 桜井華子『東京の味Ⅲ』保育社「いそ料理 勇駒」
①根本忠雄(ねもと ただお、1913年 - 1988年)が1946年9月1日に同年9月1日、浅草千束に川魚料理の店「鮒忠」創業。川魚の捕れない冬場のメニューとして、進駐軍向けの鶏肉(ブロイラー)を串焼きにした「焼き鳥」の販売を開始。焼き鳥を大衆へ大々的に販売することを始めたのは日本初と言われ、「焼き鳥の父」と呼ばれたという。根本忠雄『年商十五億のやきとり商法―鮒忠立志伝』 柴田書店 (1965年)『鮒忠の江戸ッ子商法』 東京経済 (1972年)→Wikipedia。現在、勇駒はネット上出てこないが、鮒忠はもう老舗となって三代目が卸、ケータリング、レストランの3事業をネットも活用し引き継いでいる。

 勇駒新館の支配人は漫画家さいとう・たかお似の出っぷりとした人で読書人。週に一回は紀伊國屋本店に雑誌や本を買いに行かされた。もちろん私も本屋は大好きだから喜んで行った。紀伊國屋本店には名物社長の田辺茂一がいたが見たことはない。この年は、「夢の島」の蠅騒動、ベ平連、河野一郎・江戸川乱歩・谷崎潤一郎・高見順らの死去、横井英樹襲撃で東京を震撼させた安藤組の安藤昇が映画俳優として登場したのが週刊誌を賑わしていた。店にはヤクザの長老も常連で来る。その一人(若いころはドス○○)が「近くで安藤昇のロケがあったのだが奴は小柄だからいかに大きく見せるかで周囲が悩んでいた」という。これを聞いて思い出したのが、以前、錦糸町のボウリング場で美川憲一が雑誌の取材でボールを投げるポーズをしていた。誌面では見事にストライクとなっていた。何事でも演出は必要だと思った。集団就職での上京の目的のひとつに、神田の古書街に通うことがあった。新宿は夜の街で前衛的な文化(サブカルチャー)の街で芸術文学の分野も幻想、終末、刹那・頽廃なものであふれていた。安藤昇のレコード「新宿無情」[1965]も出ていたが今ではYouTubeで聴くことができる。『月刊専門料理』の創刊は、1966年11月、この創刊号も勇駒新館の事務所で見た。


右に新宿コマ劇場
〇新宿コマ劇場とは、東京都新宿区歌舞伎町一丁目にあり、1956年12月28日から2008年12月31日まで株式会社コマ・スタジアムによって運営されていた劇場である。「演歌の殿堂」として広く認知され、数々のミュージカル作品も上演された。コマ劇や新コマとも言う。/1956年(昭和31年)2月にコマ・スタジアムが設立。大阪・梅田にあった梅田コマ・スタジアム(梅田コマ劇場の前身)の姉妹劇場として当劇場が建設され、同年12月28日に開場した。開場当初は「新宿コマ・スタジアム」と呼称していた。阪急・東宝グループの創始者である小林一三が抱いた「新しい国民演劇(新歌舞伎)の殿堂を作る」という理念に基づいて創設し歌舞伎町の地名のもととなった。客席数2,088席は首都圏で最大級であった。→ ウィキ
〇2011年7月11日、東宝が新宿コマ劇場及び新宿東宝会館の跡地に複合インテリジェントビル「新宿東宝ビル」を建設することを発表した。地上31階地下1階建て、高さ130メートル、延べ床面積55,390平方メートル、1階と2階に飲食店、3階から6階にTOHOシネマズが運営するIMAXシアターを導入して12スクリーン約2500席の都内最大級シネマコンプレックス「TOHOシネマズ新宿」、9階から31階に藤田観光が運営する約1030室のホテル「ホテルグレイスリー新宿」などが入居し、2015年4月17日に開業した。コマ劇場の中核だった演劇場は収益性が低いとして入居が見送られた。 → ウィキ

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新宿・勇駒新館でー左に座っているのが新城栄徳、柴田マネジャー。柴田マネジャーに早稲田の学生がバイトさせてくれという、即採用。/新宿コマ劇場近くには琉球泡盛屋が数軒あった。志多伯克進、「志多伯のおやじ」という新宿名物的人物も居たが見たことはない。当時は未成年だから覗くだけで、新橋の沖縄料理屋には「沖縄そば」を食べにいったことがある。新宿の南風②は1974年にオヤジさんに『青い海』を贈呈しユンタクした。
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1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物」
 ②『琉球新報』2015年3月7日 新宿歌舞伎町で67年 沖縄料理店「南風」閉店ー【東京】創業67年を数え、東京の沖縄料理店で草分け的存在の新宿歌舞伎町の「南風(なんぷう)」が今月末で閉店することになった。店主の前田清美さん(68)は「体力的にきつくなって、継ぐ人もいない。引き際だと思う」と話す。沖縄出身者の心のよりどころだった老舗が消えることになる。南風は戦後の焼け野原だった新宿で前田さんの両親の嘉手納知春さん(本部町出身)、幸子さん(大宜味村出身)夫妻が始めた。苦労して沖縄の食材を得、三線の名手だった知春さんが民謡で客をもてなした。
 一度離れると容易には帰れなかった米統治下の沖縄。沖縄出身者は遠い故郷を思い、南風に通った。知春さんは苦学する若者に食事をさせ、終電後はたびたび店に泊め、「始まりも終わりもない店」と呼ばれた。店の2階に住んでいた清美さん姉弟は朝、寝ている酔客をまたいで登校したという。学生時代から60年、南風に通う渡久山長輝東京沖縄県人会長は「おやじから三線を習い、土間で寝たこともある。多くの沖縄人(ウチナーンチュ)の慰めとなっただった」と懐かしむ。清美さんは嘉手納清美として歌手や女優として活躍した後、82年に店主となった。バブルのころは地上げ屋の標的にもなったが店を守り続け、浮き沈みの激しい歌舞伎町の中で、老舗の一つだ。清美さんは「毎晩、お客さんが島唄を大合唱し、カチャーシーを舞った。沖縄人が楽しんでくれたから67年も続けられた」と話した。
 柴田マネジャーは秋田の人、生真面目な人で未熟な人生観の持ち主の私を色々と注意してくれた。自宅にも連れて行かれ、マネジャーの痩躯にくらべふっくらとした色白の奥様の手料理を御馳走になった。寮の相棒に熊本出身の23歳の青年が居た。小柄だが休みの日にはコマ劇場の前などでプレイガールをお茶に誘い旅館に行き、その女性との一夜をこと細かく手帳に記していた。今だったら一流のホストになっていたが、私はそれでよく性病を移されなかったものだと感心した。店には茨城出身の威勢のいい2歳年上の子も居た。彼は駐車中の車を弄り人身事故を起こしその賠償金を払うため働いているという。また別の相棒に長崎出身の同じ年頃の子も居た。彼は年に似合わず、木の根っこを入手、磨きあげオブジェにして楽しむ人物であったが、繊細ゆえ「ゴールデン街」の人となった。後に柴田マネジャーは高円寺で焼鳥屋「秋田料理・鳥海」を開いた。


 



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1976年1月 沖縄の雑誌『青い海』新春号 通巻49号 瀬長良直「三越60年と私の沖縄」


1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社

1938年6月 『球陽ー百人百言集』大阪球陽新報
瀬長良直
1892~1977(明治25.1.1~昭和52.4.22) 実業家。那覇市首里汀良町生まれ。三越百貨店常務、二幸専務を経て相談役。沖縄協会理事、沖縄振興開発審議会委員などを務める。→沖縄コンパクト事典

瀬長佳奈

1953年ー戦災校舎復興募金運動のため上京した沖縄教職員、PTAを迎えてー写真前列左から比嘉良篤、島清、仲本盛行、仲宗根玄愷、大浜信泉、東恩納寛惇、崎浜秀主、神山政良、高嶺明達。2列目左から伊元富爾、冨名腰義英、瀬長佳奈、豊田精三。後列左から与儀美登、石堂哲男、沢田朝序、新崎盛敏、喜屋武真栄、比嘉秀盛、屋良朝苗、牧志シズ、仲原善忠、仲吉良光、吉田嗣延。→1987年8月 東京沖縄県人会『三十周年記念誌』


1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「金城時男」

1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』

1965年1月ー左から太田直治、比嘉良明、松本三益、喜久村絜秀。後列左から上地栄、宮原邦男
1994年7月15日 『おきなわの声』第175号 松本三益「比嘉良明氏を偲んで」

1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「上原仁太郎」
1952年7月 雑誌『おきなわ』上原仁太郎「ダバオ開拓の恩人 大城孝蔵氏を偲ぶ」

1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「八幡一郎」
1950年7月 雑誌『おきなわ』八幡(仲井間)一郎「島尻の昔話」

1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』「八幡一郎」

1978年ー神山政良氏カジマヤー祝で、左から八幡一郎、松本三益、金城唯温、島清
1988年6月15日 『おきなわの声』第103号 新崎盛敏「八幡一郎さんを偲んで」

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1950年4月 『おきなわ』創刊号
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1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「金井喜久子」
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1954年7月 金井喜久子『琉球の民謡』音楽之友社

川平朝建/金井喜久子
1944年3月20日午後6時「金井喜久子交響作品発表会 並びに琉球古典音楽と舞踊の夕」日比谷公会堂
1951年4月ー川平朝建『琉球歌謡集』
1951年7月ー川平朝建「最新那覇市地図」
1954年7月3日ー『沖縄新聞』川平朝建「辻街の追懐」①

1956年11月14日ー『琉球新報』「死亡広告ー川平朝建、療養中の処11月11日12時20分死去致しました。告別式は首里博物館入口自宅に於いて相営みます。  妻 川平イシヲ/母 川平オミト/長男 川平朝雄/次男 川平朝□/長女 友寄道子/孫 下地春男/孫 下地春次/妹 多嘉良カナ/妹 金井喜久子/親戚代表 川平朝敏/伊江朝幹/川平朝申/金井げん四郎/来間泰一/友人代表 当間清弘/小牧薫」

昭和59年4月ー金井喜久子『愛のトゥバルマーある歌姫の物語』

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1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』「漢那憲和」

1909年4月4日ーワイパフ在住沖縄県人連合による漢那大尉歓迎会が本願寺附属小学校において開催、嘉手苅林永が開会の辞
、大井開教使、森田栄、清水通弁諸氏の祝辞。本願寺附属音楽隊の演奏、唐手踊などが演じられた。6日には望月での歓迎会、琉球節、琉球踊、唐手が演じられた。

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1910年1月22日『琉球新報』「漢那憲和少佐及び夫人」(写真は別のもの)

1921年
3月6日ー『琉球新報』「中城湾ご仮泊に関し警保局長より県へ公電あり御上陸は不明なるも」
3月6日ー東宮(昭和天皇)来沖

3月7日ー『琉球新報』「此れ眞に千載一隅の栄誉!東宮殿下昨日中城湾に御仮泊 御上陸御自ら民情を御視察遊ばさる」

6月11日ー『沖縄日日新聞』「大正劇場ー立志鑑・那覇ッ児神奈」(漢那憲和がモデル)
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1927年8月1日ー漢那憲和海軍少将、令嬢幸子同伴で春洋丸で来布


写真ー1923年12月16日 尚家前庭にて前列左から銘苅正太郎、神山政良、漢那憲和、下国良之助、嵩原安宜。後列左から一人おいて千原成吾、仲宗根玄愷、東恩納寛惇




2005年1月 『世界』中野利子「漢那憲和のこと」

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2020年4月 『うるまネシア』第23号<特集・首里城炎上と復旧ー可視化された現状と問われる未来への道程ー>21世紀同人会/真栄平房昭「廃城と祭神ー首里城の神社創設と為朝伝承についてー」/大田静男「ノーンネーンシガマシ」/大城冝武「首里城哀歌」/後田多敦「首里城の権利をめぐる近現代史ー首里城正殿などの炎上は不幸ではあったが、その衝撃が多くの人々の心に火をつけたようにも思う。陶芸家の末吉安允氏が、『第一尚氏の天山陵復元を』と新聞で提案していた・・・・・」

 K・N 4-25 首里城火災(令和元年10月31日未明に発生、正殿と北殿、南殿が全焼した)。しかしマスコミの興奮もすごかったですね。30年前には「ハリボテ」とか首里城などなど批判や揶揄していた文化人たちも、我先にとコメントや「首里城は沖縄の魂!」とか一気に王朝史観に雪崩れ込んでいる雰囲気にへキヘキしますね。現実に起こっていることは把握しておく必要があります。軍事化を進める国策・自衛隊配備推進の研究者が、着々と沖国大や琉球大学に赴任するということは、退職までの約 30 年は軍事化工作は保障されていくことになります。マスコミやアカデミズムの「高学歴・専門家幻想」がもたらす沖縄の未來はー。考えてほしいものです 。玉城知事が招集した「万国津梁会議」基地問題について議論を交わす5人の委員は…ジョージワシ ントン大学のマイク・モチヅキ、沖縄国際大学の野添文彬准教授、東アジア共同体研究所の孫崎享、 国際地政学研究所の柳沢協二さん、琉球大学の山本章子。この委員の選定についてテーマに詳しい有識者という。その中3人が(防衛大学元教員・日本防衛学会の孫崎、野添・山本夫婦)日本防衛学会 (HPで会内容は確認ください)に集う研究者である。沖縄の人々は、日本防衛学会の性格を十分に 理解していない。八重山・宮古地域に自衛隊基地(軍事化)が建設され隊員配備されて、「防衛」の名 の下に基地建設が進んでいる。

 「JIJI.COM」4-29 【ニューヨーク時事】米ジョンズ・ホプキンス大学システム科学工学センター(CSSE)の集計によると、米国の新型コロナウイルス感染者(累計)が28日(日本時間29日)、100万人を超えた。米国は死者、感染者とも世界最多。世界の感染者は約310万人で、米国が3分の1を占め、次に多いスペイン(約23万人)の4倍を超える。世界の死者は21万6000人以上。米国は5万8300人を超え、米メディアによると、ベトナム戦争での米国人の死者5万8220人を上回った。イタリア約2万7000人、スペイン、フランスがそれぞれ約2万4000人と続き、依然欧米に集中している。


2020年5月 俳句同人誌『天荒』66号 編集・発行人 野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536
<編集後記>◆令和になってから不都合な出来事が続く。昨年の10月31日、沖縄のシンボルであった首里城が焼けた。加えて、豚熱(CSF)が県内の養豚場で広がり1万2381頭が殺処分された。4月に入り漸く終息した。一方、中国湖北省武漢で発生した新型コロナウィルスは世界中で猛威を振るっている・・・。/PCR(ウィルス感染症検査)は希望しても受けられない。軽症者は自宅待機を要請される。マスクも店頭から消え、必要な人が買えない。世界ではオーバーシュート(感染爆発)が起こっている。トランプ大統領やマクロン大統領は「これは戦争だ」と言った。ミサイルや核兵器、原発などの核の開発には金力を注いできたが、医学や医療は軽視されてきた。

 「AERAdot」4/28( 古賀茂明「東京五輪で繰り返される安倍総理の嘘」〈週刊朝日〉ー今、私が一番心配なのは、今秋から来春にかけて、政府と東京都が、またコロナ対策より五輪というモードに逆戻りして、取り返しのつかない事態を招くのではないかということだ。それを避けるためにも、今すぐに、「五輪中止」を勇気をもって決定すべきだ。そうすれば、延期のための追加コスト3千億円超の資金で多くの弱者が救われる。五輪は幻となるが、「呪われた五輪」になるよりはるかにましだろう。



 斎藤 陽子(Walnut, California)4-27日本時間  コロナウィルス拡散防止で、自宅待機令が出て今日で何と39日目になりますが、こんなに長い日々を静かに耐えている自分を褒めてあげたいです。ロスアンゼルスの今日の気温は35℃、完全な真夏ですが、海に行きたい誘惑にもかられますが、全てのロスアンゼルスのビーチは閉鎖状態で立ち入り禁止中です。1週間前までは気温20℃と肌寒かったのですが、急に温かくなり郊外の一戸建ての多い私の住んで居る地帯では、通常時よりも自宅待機中の方が、人々は庭木や植木の花々を買い求めています。温かくなって人々はこんな状況下、開店が許されているホームセンターの園芸セクションで、植木や花々を買い求めて、在宅生活のマンネリから幾らか変化を求めて、庭いじりなどをしているのでしょう。また、スーパーではビールの次にワインやシャンペンが、通常より売れるようで、外食ができないので人々は「家飲み」専門に買い込んでいる様です。
 先日はカリフォルニアのワインの里、ナッパバレーの写真を見て頂きましたが、ナッパバレーにはワイン製造の他に変わったところでは、ナッパに隣接するソノマに在るKOEBEL社の、スパークリン・カリフォルニア・シャンペンの製造会社があります。この会社のシャンペンはホワイトハウスでも使用されているので、高価かと思われますが、意外とお徳用価格で大瓶が600円~800円と、1本1000円もしないのです。現在はこの会社はシャンペンを90%製造し、その他ブランデー、ウィスキー等を作っています。KORBEL社は1882年に操業開始し、最初に製造していたブランデー蒸留用の建物は今は使用されていませんが、工場の一角に記念史跡として保存されています。(最初の写真)

この辺りは近くの太平洋沿岸から発生する、冷たい霧がロシアン・リバー沿いを流れて、この内陸に伝わり流れ込み、そのため朝夕の気温差が激しく、ブドウ作りのお天気には恵まれた地帯で、上質のシャンペン生産に適したブドウの産地でもあります。KORBEL社のシャンパンはフランス・シャンパン製法と同じく瓶内2次発酵製法で、常時20度ほどの蔵で2年間ほど寝かせ、スパークリン・カリフォルニア・シャンパンが出来上がります。社員がシャンパンの製造方法を丁寧に説明をしてくれます。KORBEL社のシャンペンはホワイト・ハウスの公式シャンペンとして使われ、オバマ大統領の就任昼食会に、このこの会社のシャンペンが使用され、その就任式実況中継のおかげで、このKORBEL社のシャンペンが、とたんに世界的に知名度が上がったと言われています。KORBEL社内を見た後は、試飲ルームで5種類ほどのシャンペンを振舞われましたが、昼間から飲むシャンペンは酔いの周りも早く、すっかり出来上がってしまいました。


2020年4月23日『しんぶん赤旗』/ 「くろねこの短語」2020年4月25日「熱が出たら4日間自宅待機とは言っていない」・・・在宅死者が出たから責任逃れの言い訳始めた専門家会議の厚顔!!。

  「くろねこの短語」2020年4月27日ーコロナ・パニックの真っ最中に実施された衆議院の静岡補選は、35%にも届かない低投票率で自民党候補が勝利。N国党が野党統一候補と同姓同名の候補を立てたりして、露骨な選挙妨害を仕掛けたことで話題となったが、終わってみればこの有様だ。低投票率は緊急事態宣言による外出自粛をうまく利用されたと言えなくもないが、それでも野党の得票数に目の前が暗くなる(略)「セクハラ行為」以外にも、この視察では自民党議員の約束破りが問題なっていて、「5名までなら受け入れ可能」という「Colabo(コラボ)」側の意向を無視して、議員とその関係者を含めて10数人で押しかけたうえに、断りもなく写真を撮りまくったりするなどの乱暴狼藉を働きましたとさ。
 コロナ・パニックの中で、議員自らが大人数で「3密」状態をつくったってのも問題になっているようで、当然のごとく「Colabo(コラボ)」からは抗議文が出されたんだね。でもって、プロレス崩れの馳君は、ホームページに「いきなり大勢の男性が若年少女支援の現場に参集した事に多大な不安感と不愉快な思いをさせた事となり、おわびします」ってまるで他人事のような謝罪文を載せたそうだ。ところが、「Colabo(コラボ)」には「謝罪どころか、一切連絡もありません」ってんだから、あまりにも舐めとります。
 そもそも、コロナ・パニックの最中に視察だなんて、不要不急の最たるものじゃないのか。そこにもってきて、心に傷をもつ少女への「セクハラ行為」なんだから、しっかりと記者会見したうえで謝罪、そして議員辞職しやがれ、ってなもんです。ちなみに、トラブルを引き起こしたのは、馳君の他、阿部俊子、鈴木隼人、井出庸生、朝日健太郎のシェンシェイ方で、視察の模様をSNSなんかにアップしているってさ。自粛自粛で生活もままならない一般大衆労働者諸君を尻目に、税金で食ってる奴らがいい気なものです。

斎藤 陽子(Walnut, California)4-26日本時間 カリフォルニアの罰則も伴う外出禁止令が出て、38日目を迎えました。きょう土曜日の正午には往年の歌手トニー・ベネットが、新型コロナウイルスの最前線で戦う医療関係の人たちに敬意を示して、サンフランシスコの地元コーラスグループと協力し、サンフランシスコで一斉に「I left my heart in San Francisco」を合唱をしようと呼びかけています。自宅待機中の人も窓から顔をだして合唱に参加するようにと呼び掛けています。1ヵ月以上も続いている、カリフォルニの自宅待機で疲れている人々も、この粋な企画に喜んで参加することでしょう。昨日のロスアンゼルスは急に37℃と高い気温を記録し、本物の夏日を迎えましたが、きっと今日も暑くなることでしょう。
 日本はいよいよゴールデンウィーク(GW)を迎えたようですが、今年のGWはコロナウィルスの拡散から、恒例の民族大移動を自粛して、自宅に留まるようにとの政府からの要請ですが、それでも沖縄へは2万人の他県の人が渡航予定との予報で、コロナウィルス感染の危機的な状況下、地元沖縄では深刻に困っているようです。どうか心ある常識のある方は、今からでも遅くはありません、平常時とは違いますので、沖縄行きのキャンセルをして戴きたいと願います。沖縄の青い海と美味しい豚料理、人情味の有るおもてなしは、来年も同じく待っております。
 カリフォルニアでは6ヵ月ほど前から、プラスチック公害から幾らかでもプラスチックを削減しようと、スーパーマーケットのレジ袋を廃止し、各自がマイ・ションピングバックという買い物袋持参の運動が軌道に乗っていました。そんな矢先、コロナウィルスの問題が起きて、各自が持っている買い物袋が、ウィルスの汚染源になる可能性も有り得るとのことで、3日前から各スーパーでは従来のプラスチックのレジ袋に(ただし10¢、10円を加算し)切り替えています。コロナウィルスに買い物袋まで、左右往生させられている始末です。


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2020年4月 金子豊・編『岸本英夫事典および書誌ーその生涯と素顔をふり返るー』


2013年11月 金子豊・編『松山王子 尚順 全文集』榕樹書林


2013年12月11日『沖縄タイムス』


2015年6月 金子 豊 編『岸本英夫図書館関係著作集ー大学図書館のあるべき姿を求めてー』/写真・岸本英夫

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金子豊氏の著作

金子豊氏から近著がおくられてきた。金子氏は琉球大学図書館の事務長や武庫川女子大学の図書館長を歴任された方で、私との出会いは,金子氏が尚順資料を求める中、古巣(琉大)の知人たちから私を紹介されたようである。2009年5月にその成果である『尚順拾遺集』がおくられた。金子氏から最初におくられた著書は『大学図書館の近代化をめざして・その行方ー元東京大学附属図書館長・岸本英夫図書館関係論集・記録ノート』である。本書によれば岸本英夫(1903年6月~1964年1月)は宗教学・社会学者の岸本武太の子として兵庫県明石で誕生している。東京帝国大学を経て1930年にハーバード大学大学院入学。1947年に東京帝国大学文学部教授、1960年に東京大学附属図書館長就任となっている。

今回の『田辺広先生全著作目録ー卒寿記念』の田辺広も1952年に東京大学附属図書館に就職し、整理課長を経て千葉大学や一橋大学、富士大学の図書館や教授をつとめている。『二人の東京大学附属図書館長を顧みる』は、東京大学附属図書館長の岸本英夫、伊藤四十二の図書館関係論文などの業績を紹介。


2018年1月 金子豊編『「新・死を見つめる心」の世界ー岸本英夫の癌闘病著作を読むー』

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□金子豊 〒261-0004千葉市美浜区高洲4-12-4-801

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神保町・お茶の水 神保町古書店街:日本一の古書店街として名高い神保町。靖国通りを駿河台下交差点から西へ向かうと、およそ130店もの古書店が建ち並び、中には美術、武道、洋書、料理、など一つのジャンルの本を専門に扱う店も。そんな神保町を代表する書店や、古書店をきっかけに発展していった喫茶店、カレー屋も併せてご紹介します。
駅から徒歩2分の場所にあるのが、創業大正7年の歴史を誇る「矢口書店」。ここは映画や演劇、戯曲、シナリオにまつわる古本を中心に扱う古書店です。棚に並ぶのは、古くからの名作や最近発表されたものまで、幅広い年代の作品を取り扱っています。中でも、人気の品は1950年代から1960年代の映画パンフレットなんだそう。

1983年10月「神田古書店地図帖」/毎日新聞発行の『アミューズ』1999年、よく古本屋を特集する。
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 東京文学の散歩道/日本近代文学館/東京都近代文学博物館
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 1995年12月27日『琉球新報』「戦後50年 日本文学の軌跡」

 
グラビア・カメラでちょっと・ひとめぐり/オフセット・省線・私鉄・遠距離バス交通図
戦後の東京の風俗について・・・大宅壮一/戦後の東京の服装について・・・伊藤道郎/東京女と関西女について・・・山本嘉次郎/東京弁と関西弁について・・・野元菊雄/五十年前の思出ばなし
見物の東京 A・一般コース B・盛り場と裏通り・どん底の街・さんや デッドエンドの街・たかばし


 アメリカの東京基地・・・佐々宇賛丸/東京周辺のアメリカの軍事基地と工場早わかり
娯楽の東京ー映画館/スポーツ場/劇場・寄席/競輪・競馬場/ストリップ/ダンスホール
女の東京ーバーキャバレーと女給のチップ/温泉マークの内幕と活用法/待合と芸者あそび入門/赤線区域の泊り方ー花の吉原から田園調布迄のシマ案内/青線区域のさがし方ーパンパン遊び・処女でも啞でもお好み次第



1956年9月 『別冊知性・現代の裏窓ー日本のブラック・メモ』河出書房(河出孝雄)◇船越義英「沖縄ーこの踏みにじられたものー売られ行く島オキナーワ!極東唯一の原爆基地オキナーワ!」◇三木淳「東京の裏窓ー超望遠カメラで捉えた都会の素顔」◇ギャンブル報国精神万才!競輪、競馬、パチンコ、宝くじーなどとならべてくると、日本ほどバクチで明け暮れている国はちょっと世界に例がないような気になる。ことに競馬、競輪、宝くじなどというのが何れも堂々と官営、公営されているなど、どうしてもモナコとまではゆかなくとも、少なくとも日本全体が、かつての上海、香港なみな植民地都市にでもなったのではないかという気がしてくる。(原四郎)

 河出書房新社 1886年(明治19年)に河出靜一郎(1857年 - 1936年)によって岐阜の「成美堂書店」の東京支店として日本橋に設立されたのが始まりである。当時は教科書や学習参考書を中心に出版していたが、農学関係書の刊行が次第に増えていった。 1933年(昭和8年)に2代目(靜一郎の女婿)の河出孝雄(1901年 - 1965年)が河出書房に改称し、文芸書や思想書を中心に刊行するようになった。1944年(昭和19年)には改造社より文芸雑誌『文藝』を買い取った。1945年(昭和20年)の東京大空襲で被災し、千代田区神田小川町に移転する。 1950年(昭和25年)に刊行した笠信太郎『ものの見方について』がベストセラーとなる。
 1954年(昭和29年)に創業70周年記念企画として総合雑誌『現代生活』の創刊を公告するも、立ち上げの資金を編集スタッフに持ち逃げされた。『現代生活』は『知性』という名で創刊するが、これが遠因となって1957年(昭和32年)に経営破綻、新たに河出書房新社を創設し再建された。同年3月には女性週刊誌の先駆けである『週刊女性』を創刊していたが、倒産に伴い、4号で休刊。同年8月に同誌の編集・発行権を主婦と生活社へ譲渡した。 1965年(昭和40年)、河出孝雄が死去し、河出朋久(1938年 - )が3代目社長となる。1967年(昭和42年)に会社更生法を申請し再度倒産、再建され中島隆之が社長となる。1968年(昭和43年)12月、吉本隆明の『共同幻想論』を刊行する。 1977年(昭和52年)に品川区東大井から新宿区住吉町に移転し、清水勝が社長となる。2年後に千駄ヶ谷に移転し現在に至る。旧社は登記のみ残し休眠状態だったが、2000年(平成12年)から東大井で営業再開した。2007年(平成19年)、新社と業務提携、販売契約を締結した。 →ウィキ


1953年2月 宮本顕治『宮本百合子集』河出書房/1988年3月 澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』中公文庫

河出文庫(澁澤龍彦、稲垣足穂)・河出新書/神保町、本郷、早稲田の古本街はよく行ったが、そこは静のイメージがある。仕事場は新宿歌舞伎町。その周辺ではアンダーグラウンド(1960年代後半に起こった、商業性を無視した前衛的・実験的な芸術運動)や派手な極彩色を用いたデザイン「サイケ調」も流行っていたので、相まってシュールレアリスムとかダダの芸術の本を読んでいた。

2002年3月 澁澤龍彦『旅のモザイク』河出文庫/2012年6月 藤原新也『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』河出文庫

 私は1964年に錦糸町駅ビルの本屋で、サド裁判の被告で著名な澁澤龍彦の『夢の宇宙誌』を買った。その本で南方熊楠(末吉麦門冬)、稲垣足穂、日夏耿之介を知る。澁澤龍彦に会おうと思ったのは、テレビで千円雑誌『血と薔薇』発行が報じられたからである。5日後、鎌倉に澁澤を訪ねたのは1968年の10月9日であった。年配の女性がお茶を持ってきてくれたり応対してくれた。(同年、澁澤は夫人・矢川澄子と別れたばかりであったから母堂であろう。)そのうち2楷からトックリシャツ姿でパイプを持った澁澤が応接間の椅子に座り、甲高く透き通る声でいろいろ話をしてくれた。「京都に行く機会があれば稲垣足穂さんに是非会うといい。子どものような純粋な精神の持ち主だ」「沖縄出身の友人に彫刻家が居る」とか、発禁本の話もしてくれた。澁澤は1987年8月5日、59歳で亡くなった。

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1929年4月 『郷土雑誌 沖縄』 神山宗勲『悪魔』編集発行・座安盛徳/沖縄社鹿児島市上荒田1770のノ2

 新城栄徳 2020-4-15 私の敬愛する編集者に上間常道氏が居た。氏は大阪生まれの今帰仁2世。東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、その発売元の河出書房新社に無試験で入社。『ドストエーフスキー全集』『トルストイ全集』などを編集する。復帰を機に沖縄に移住。出版社などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。私は河出書房の話は聞いたかもしれないが記憶にない。

新城栄徳と上間常道氏の共同作業『沖縄美術全集』「年表」/『沖縄近代文芸作品集』/『琉球弧の雑誌展』

社会主義の実験
 1920年ーボリショイ劇場前でのレーニン演説の写真、右にトロッキーとカーメネフが居る
 写真ー1938年、メキシコにてトロッキー、ブルトン
トロッキー○1917年のロシア十月革命における指導者の1人であり、ウラジーミル・レーニンに次ぐ中央委員会の一員であった。赤軍の創設者および指揮官として、ソビエト連邦の初期の頃には外務人民委員(外相)として外交問題を担当。ソ連共産党政治局員の1人でもあった。→ウィキ
カーメネフ○レーニンの死後、ジノヴィエフと組んで1925年秋から「新しい反対派」の指導者となる。第14回党大会では、スターリンの「一国社会主義」に反対し、共産党に「首領(ウォシチ)」はいらないと主張した。→ウィキ
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 アラビアのロンドンーいちおうロンドンについても触れておいたほうがいいかもしれない。前に法的権利擁護委員会のムハンマド・マスアリーがロンドンに逃げたという話を紹介した。なぜ彼らはロンドンに逃げるのか。実はロンドンというのはイスラーム原理主義の組織という点ではある意味、中東以上に重要な場所なのである。ロンドンには文字どおり数え切れないほどのイスラーム系組織が存在している。インド系、パキスタン系、バングラデシュ系といった旧インド帝国領のムスリムおよびそこからの移住者が中心だが、アラブ諸国からも多数の移住者、亡命者を受け入れている。とくに湾岸やエジプト、スーダンなどはかつての宗主国ということもあり、観光客を含め、膨大な人数をイギリスに送り込んでいる。そのためロンドンなどには、アラブ人街とでも呼べるような中東度のきわめて高い地域が出現してきている。
 そうしたところではアラブ料理屋、アラビア語の本屋が建ちならび、不動産屋でもアラビア語の案内が幅を利かす。イギリスではアラビア語の日刊紙だけで少なくとも5紙存在する。それだけアラブ人口が多いということであろう。問題なのはこうした連中がロンドンを中心に反政府活動を展開することであろう。もちろんここでいう反政府とは反イギリスではない。反サウジアラビアであり、反エジプトであり、反バハレーンの反政府活動なのである。幸か不幸かイギリスにおいてはそれぞれの本国ではけっして享受できない自由がある。彼らは欧米的な人権で守られながら、自由に情報を得、自由に情報を流すことができる。→」2011年 保坂修司『 新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』朝日選書

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ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard, 1884年6月27日 - 1962年10月16日)は、フランスの哲学者・科学哲学者。科学的知識の獲得の方法について考察した。また、詩的想像力の研究にも多くの業績を残した。

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 斎藤 陽子(Walnut, California)4-19日本時間【思い出のアルバム】3月19日に罰則も伴う外出禁止令が出て、きょうで31日目になりますが、耐えている日々が長くなり、いささか疲れ気味です。来る日も来る日もコロナウィルスの話題ばかりの毎日、いい加減気分も滅入っていますが、皆さまは大丈夫でしょうか。たまにはアメリカの雄大な景色を眺めて、気晴らしをしてみたいと思います。これまで三度ほど訪れた、アメリカらしい壮大な景色のモニュメントバレー(Monument Valley)をご紹介しましょう。モニュメント・バレーは、ユタ州南部からアリゾナ北部にかける広大な敷地にあり、ここはアメリカ国立公園が運営しているのでなく、珍しくナバホ・インディアンが、直接管理している公園です。感心するのは広告など一切なく、あくまでも自然環境を重視した景観は、観光客を満足させてくれます。
 19世紀半ばには、ナバホ・インディアンは白人の略奪や迫害などにあった悲しい歴史があります。ナバホの聖地として、アメリカン・ナバホ・インディアン居留地として、ナバホ・インディアンが学校やホテルなども自主運営をして、この地からの観光や映画ロケ費などを収入源にし、インディアンの聖地として守って、景観を崩さないように自然環境保全には随分神経を使っていることが伺えます。その景観は日本では見ることのできない広大な特異な景色で、一度は観光をお勧めしますが、ゆっくり撮影旅行を目的とするなら、一日では時間が足りない広さです。
 ネイティブ・アメリカンインディアンのナバホ族が管轄するこの場所は、時おりナバホ族が現代版カーボーイのいで立ちで、馬に乗って巡回していました。ここからの眺めは、西部劇『駅馬車』やOK牧場の決闘などを描いた『荒野の決闘』などを作った、西部劇の大御所映画監督ジョン・フォードがこよなく愛した場所で、この展望地はジョン・フォード・ポイントの名前がついています。馬に乗ったナバホ・インディアンの姿は、映画撮影が行われているかのような錯覚に落ちます。

 60年前の高校時代、今はもう無くなった那覇国際通りの国映館で、西部劇映画を観るのが唯一の楽しみでしたが、ジョン・ウェイン主演の奇兵隊とインディアンとの攻防戦の映画などは、この地が定番ロケ地です。モニュメント・バレーを単車を乗って懸け抜ける人々は、60年代の映画『イージーライダー』以来、ほとんどが60歳から70歳と熟年の世代、10人以上の集団で気合が入っていました。この何処までも長い長い一本径をドライブする時には、谷村新司の「昴」の曲がこの風景に似合い、ここへ来るといつもこのCDをかけています。アメリカの大自然の雄大な場所として、わたしの最も好きな所です。なおモニュメント・バレーに観光で行くのであれば、春か秋をお勧めします。真夏は50度近い灼熱状態になり、人出も多く余り感心しません。

 「沖縄タイムス」4-21 沖縄防衛局は20日、「必要な作業を実施した上で、引き続き工事を中断する」と発表した。期間は不明。進行中の土砂の積み下ろし作業や重機の撤収作業までは継続し、その後は工事を中断する。汚濁防止膜の維持管理などは業者が継続するという。/K・T 4-19 余りにも全てが後手後手でしたね。PCR検査の手順は勿論、その前にオリンピック開催と習近平国家主席の国賓来日にこだわり過ぎた結果だと思います。日本国民の人命第一を真っ先に考えて欲しかったです。中国依存の経済が生んだ結果が戦渦の元ですね。/ 琉球弧ピースネット 宮古島出張の陸自隊員感染 「強行」式典後に確認 接触4人を自宅待機濃厚接触した隊員はなんと自宅や自室待機だった。7日に陽性確認されたなら5日の式典に出席していた可能性もある。フランス出張した熊本の隊員をサポートしていた4名なら発足式典に出席していたとみるべきだろう。5日から2週間は19日本日である。この間は厳戒態勢でなければならないのに、訓練も工事の出入りも普通に行われていた。検問所でさえマスクをせずに出入りする市民との接触を続けていた。この人たち本当に大丈夫か、自分たちが感染源になる可能性を全く考え無しに行動している。/真子4-18 コロナや災害の時のことを考えると水道って絶対に民営化してはいけないんだと気付かされます。

 「沖縄タイムス」4-13 玉城デニー知事は13日午後3時に記者会見し、県内で新たに7人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。うち2人は石垣市在住で、県内で初めて離島での感染確認となる。石垣市で感染が確認されたのは同市在住で、飲食業勤務の20代男性、職業確認中の60代女性の2人。県関係の感染者は計73人となった。→14日 77人/15日 87人/16日 沖縄で初の死者(15日、70代) 感染は計94人に 新型コロナウイルス /「琉球新報」4-16 防衛省沖縄防衛局は16日、名護市辺野古で新基地工事に従事する名護市内の60代男性1人が、新型コロナウイルスに感染したと明らかにした。工事の受注業者から連絡があった。/「目取真俊ブログ」4-16 それにしてもだ、市民には行動の自粛を呼びかけながら、新基地建設工事を続けている安倍政権への怒りが込み上げてくる。この工事のためにどれだけ多くの人が、外出して人との接触をせざるを得ないか。新型コロナウィルスの感染爆発を専門家が指摘する中で、どれだけの人が危険にさらされているか。この工事は災害対策、復興のための工事ではない。即座に中断すべきだ。/「琉球新報」4-17【東京】河野太郎防衛相は17日の記者会見で、 名護市辺野古の新基地建設の工事関係者が新型コロナウイルスに感染したことについて、工事を続ける方針に影響はないとの考えを示した。沖縄県の玉城デニー知事は作業中止を求めている。/4-17 計102人となった。「琉球新報」17日午前、那覇市の那覇空港を管理する大阪航空局那覇空港事務所に、管制から「自衛隊機が滑走路に誤侵入した」との報告が入った。/4-18 計111人。

 斎藤 陽子(Walnut, California)4-17日本時間 コロナウィルスに対して「今はまだその時期ではない」と、のらりくらりとしていた安倍政権も、遂に遅すぎる7都道府県に緊急事態宣言を出した後、ついに昨日は全国対象とした緊急事態宣言を発令したようですが、安倍政権はやっと本気で危機感を持ってきだしたという言うことでしょうか。こちらカリフォルニアは罰則を伴う外出禁止29日目を迎えました。コロナウイルスの援助、救済、経済的安全保障法による、1人あたり1,200ドル、1人の子供あたり500ドルも、昨日から支払われ始めています。偶然にも時を同じくして、日本では73%の国民が「評価しない」という、首相からの全世帯に2枚ずつ布マスクが、郵送され出したようで、これにかかったお金が約466億円とは随分と無駄づかいをしたものです。マスク2枚では国民も納得しないことを知ったのか、昨日は安倍首相は国民1人一律10万円の現金を給付する方向へと決めたようですが、コロナの脅威が押し寄せる危機感の中、急遽 緊急事態宣言を全国規模にしたり、10万円の一律金給付の決断など、遅れを取る後手後手の日本国の行政が、不思議でなりません。
 
 南カリフォルニアの気温は26℃、夜は12℃ほどになり、南カリフォルニアの初夏はビワ(枇杷 loquat ) の季節です。毎年できるビワの実は80%は先客の小鳥や3匹ほどの常連のリスが宴会を開いています。週末にどうにか小鳥たちが残したビワを収穫して、味わってみましたが、まるで砂糖菓子を食べているかと思えるほど、糖度が高くとても甘いビワです。ビワは日本には古代に持ち込まれたと考えられており、主に本州南部や四国や九州に分布し、長崎、鹿児島ではビワ専門の生産農家が多く見られます。インドなどにも古くから伝わり、ビワは「大薬王樹」と呼ばれ、民間療薬として親しまれて、ビワやビワの葉を用いた様々な療法が生まれています。また中国系移民がハワイに持ち込んだほか、日本からイスラエルやブラジルに広まったと言われています。トルコやレバノン・ギリシャ・イタリア南部・スペイン・フランス南・アフリカ北部などでも広く栽培されている果物だと言います。日本では梅雨のころに実がなる様ですが、こちら南カリフォルニアでは初夏の今の時期、収穫が可能です。昔から果物の収穫は定植して 桃栗三年 柿八年 ビワは早くて十三年と言われています。



  「くろねこの短語」2020年4月15日ー自粛要請の東京都の広報がやたらテレビで流れ、そのたびにぼったくりバーのチーママ小池君の演説を見せ付けられるのだが、これって税金使った選挙運動じゃないのか。それはともかく、衆議院議員の歳費を向こう1年間の期限付きで2割カットするそうだ。ベラボーな歳費を懐に入れてるくせに、休業補償や生活補償はケチりやがってという怨嗟の声に、これはヤバイと思ったんだろうね。
 こういうのは誰に言われるまでもなく、自ら率先して実行するからこそ意味があるのであって、いまさら感はハンパありません。だいたい、2割ってのがセコイ。国会議員ってのは、歳費以外にもボーナスはもちろん、何に使ったのかを公開・報告する義務のない文書交通費(月額100万円)や立法事務費(月額65万円)なんかがあるんだから、2割カットなんて痛くも痒くもないだろう。(以下略)

 斎藤 陽子(Walnut, California)4-14日本時間 新型コロナウィルスが勢いを増して日常生活に忍び寄り出し、今や皆さんも対岸の火とかたずけられない、緊張の毎日だと思います。罰則も伴う外出禁止令が出て27日目を迎えた、南カリフォルニアは24℃と快適な気温です。日本では人と人の接触機会を「最大八割減らす」よう求めた安倍晋三首相の発言ですが、繁華街の営業は今だに続いていて、企業も休業閉鎖をせず、人々が街や駅を行き交っているニュースなどを見て驚いています。飲食店などの休業要請は何らかの金銭的な補償をしなかれば、言い出せない安倍政権ですが、いまだに飲食店や居酒屋などは時間は制限はしているようですが、営業をしているのが実情では、人の流れは八割減ることなど不可能でしょう。この八割減が人との接触を減らし、コロナウィルスを撲滅するカギとなると言われています。
 カリフォルニアではテーブルに座っての飲食は全てのレストランで出来なくなり、テイクアウトのみが許可されています。ファーストフードのマクドナルなどやスターバックスさえも、店内の椅子やテーブルを取り払い、テイクアウトのみの営業です。ましてや居酒屋風のスナック店やバーなどは開業停止となっています。これまで余り好感が持ってないトランプ大統領でしたが、全アメリカの人々に、一律成人には1人13万円未成年には1人5万円をあげるから、外出しないでいてくれと初期段階で要請し、アメリカ全国民に支払う心意気はアッパレでもあり、国民は金額の良し悪しの不平も意見も言わず、アメリカ国民は27日目の今日まで、素直に従っています。会社も即日閉鎖を余儀なくされた各企業に対しての保証制度も、着々と打ちだして、おカネで解決できることは実行するという、アメリカの現実主義はこう言う緊急時に生きてくるようです。
 休業補償金を出せず休業を強制できない、安倍政権のフトコロ具合の都合も有るのでしょうが、安倍政権は何らかの手を打たなければ、医療現場の崩壊は目に見えて起こり、コロナ患者の増え方の歯止めが、効かなくなることを心配しております。晴天の火曜日を迎えた南カリフォルニアは、はるかメキシコからやって来たツバメが玄関の軒下に3つも巣を作り飛び交い、孵化したばかりの幼いツバメのさえずりが、春を感じさせてくれます。

 わが家の庭には今ヒルザキツキミソウ(Pinkladies)の花が、いま満開を迎えています。この花はアメリカ、メキシコが原産とのこと、あまり水をやらない方がいい様で、乾燥した条件を好む花とのこと、水をやらなくても健気に満開を迎えています。毎年夏を迎えるたびに思い出したように芽を出し、タタミ1畳ほど増殖し庭のインベーダーのようですが、空き地の庭を埋めてくれて、可愛い花を咲かせてくれる姿は大歓迎です。


 大濱 聡 4-12 ■10日、米軍普天間飛行場で格納庫の消化システムが作動、泡消化剤が放出され基地外に漏出。それには発がん性が指摘される有機フッ素化合物の一種PFOSを含んでいるという。翌11日には、宜野湾市街地に拡散したことが確認された。■嘉手納基地のある嘉手納町では、県が実施した河川・井戸の水質調査で、全25地点のうち21地点から米国環境保護庁が設定する生涯健康勧告値を上回るPFAS(有機フッ素化合物)が検出された(3.26『琉球新報』)。■NHKが情報公開で入手した米軍の報告書で、2018年1月に普天間基地でオスプレイの整備中に約1㎘の燃料が流出する事故が起きていたが、2年以上も日本側に伝えていなかったという。専門家は「情報共有・通報を米側に義務づけない限りは、どのように体制づくりをしても情報が共有されないままだと思う」として、日米地位協定の見直しが必要だと訴えている。■そんな中、嘉手納基地所属の空軍兵2人が新型コロナウイルスに感染したことが判明したが、地位協定に基づいて米軍は日本の検疫を受けなくてもいいことになっている。県は「日米地位協定の壁」と指摘している。
〇Shoko Oshiro この垂れ流しの補償って米軍してくれるのでしょうか。いっつもあいまいにされている気がします。これで健康への影響が出た場合も含めて日米両政府がどう考えているか知りたいです。。。(コロナ対策で忙しいは理由になりませんもんね!)
 〇屋良 朝博 4月16日 発がん性のある有機フッ素化合物・PFOS PFOAが入った泡消火剤。昨年12月にも普天間飛行場で流出事故があった。米軍は民間地に流出していないと日本政府に伝えていたが、真っ赤なウソだった。日米両政府は地位協定を補完する「環境補足協定」を結び、環境事故の通知、現地調査ができる制度をつくった。しかしまるで役立たずの協定だった。米国は自国の基地周辺のPFOS,PFOA汚染除去を徹底する方針だ。アジアの同盟国にはそれは及ばないのだろうか。日本は主権意識が希薄なのか?

「くろねこの短語」2020年4月12日ー(前略)森友・加計学園疑獄や桜を見る会疑惑では、「こんな時にモリ・カケ・桜かよ」って抜かす輩がいたけど、だったらいまこそ「こんな時に改憲か」って言ってみやがれ・・・ってなもんです。でもって、こんなときに改憲だけでなく、なんと「年金を受け取り始める年齢を75歳まで繰り下げ可能にするための年金改革関連法案」が14日から審議入りするってさ。緊急事態でこんなクソ法案を審議するって、究極のクルクルパーですね。どうせするなら、国会議員の歳費削減でも審議してみやがれ。 
  改憲をチラつかせてみたり、規制強化を口にしてみたり、そんなペテン政権の動きに敏感に反応したんだろう。警察がパトロール強化する中、歌舞伎町で特殊警棒を装備した警察官が市民にプレッシャーかけ始めたってね。外出自粛を促すだけなら、特殊警棒なんかいらないわけで、何のための予行演習しているか・・・想像逞しくなる日曜の朝である。


 「日刊スポーツ」4-12 ▽経済ジャーナリスト荻原博子さん 466億円もかけて布マスク2枚で世間をずっこけさせたばかりなのに、この動画。あなたはルイ16世かと言いたくなる。安倍さんも安倍さんの周りにいる官邸官僚もずれまくっている。

 「くろねこの短語」2020年4月11日ー(前略)もっとも、ぼったくりバーのチーママ小池君も、そうほめたものではなくて、やってることすべてが夏の都知事選を視野に入れた人気取りでもある。2週間前まではオリンピック開催にかまけて、コロナの「コ」の字もこやつの口から出たことはありませんでしたからね。
 そんな中、可哀相なのは緊急事態宣言を受けていち早く営業自粛を打ち出していた百貨店だ。なんと、休業要請の対象からはずされただけでなく、経産省に呼び出されて「なんて勝手なことをしてくれるんだ」って説教食らったってね。意味わかりませんよ、ったく。さらに、「3密」のリスクが最も高い満員電車については、「電車内では声を出して話す人が少なく、鉄道各社が窓を開けるなどの措置を実施しているため、3条件すべてに該当するわけではない」って専門家会議が対象外のお墨付きを与える始末だ。
 こんな緩い緊急事態ってのが、世界のどこにあるってんだ。緊急事態宣言した意味がこれではまったくないんだが、ひょっとしたらペテン政権は日本がパンデミックになるのを待ってるんじゃないか。そして、その暁には「緊急事態条項」の必要性を声高に叫んで、危機感に苛まれた世論を一気に改憲に向けて誘導しようって寸法なんじゃないのか。自民党の憲法改正推進本部は昨日、「新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえた緊急事態対応の在り方を協議」したそうだ。いやあ、危ない、危ない。ひょっとしたらひょっとすることになります。

 「スポニチ」4-11 タレントのビートたけし(73)が11日、TBS「新・情報7daysニュースキャスター」に生出演し、政府の新型コロナウイルスの対策に対して怒りをあらわにした。まず、国会議員に対し「半分金返せよ。自分たちはハイヤーとかで移動して安全だもん。自粛してくださいって、強制的でなくて捕まえるとかでも何でもない。自分たちで率先して、ああします、こうしますってやっていけばいいのに…なんだか人任せで」とまくしたてた。安住紳一郎アナウンサー(46)が海外では政治家が議員報酬を返上するという情報もあると紹介すると、たけしは「金返せよ!なんだかよく分かんねえのいっぱいいるのに」と怒りを見せて繰り返した。また、安倍晋三首相がこの日、緊急事態宣言を出した7都府県の全事業者に対し、平時の出勤者を最低7割は減らすよう求め、全国で接客を伴う飲食店の出入りをやめてほしいと要請したが、これに対しても「なんでやったらダメだと言えないんだ。補償があるからかな。あと、お金配るのも全員に30万円払って、あとで税務署の申告の時に取り返せばいいのに」などと熱を込めて語っていた。ℍ/B クラブやキャバクラがクラスターの元凶になるなんて事は、専門家の意見を聞くまでもなく、素人だって分かる事だ。どうしてこの政府は、当たり前の事を決断するのにも、こんなに時間を掛けるのか。/4-11ソフトバンク孫正義社長は「米国ではコロナとの戦いで国立感染研究所長ファウチ博士に陣頭指揮を委ねている。なぜ日本では経済再生担当大臣に指揮させてるのかなぁ...」とツイート。続けて「しかも休業補償を渋って接触8割減が徹底出来ないでいる」。


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 『琉球新報』2016年9月27日「ひやみかち大阪<上>」○「私たちは自分たちの手で自分を、兄弟・姉妹を守る」。沖縄の若者たち(がじゅまるの会①)約250人が立ち上がった。若者たちは「根底に沖縄差別がある」と考えた。(略)第一回沖縄青年の祭りから42年。名勝替えした「エイサー祭り」は大正区内外から延べ約2万人集める一大イベントにまで成長した。県人たちへの差別への苦悩と、差別をはねのけようと打って出た若者らの思いに共感が広がっている。



「がじゅまるの会」資料
1975年9月14日ーパーランクーの音が大阪大正区に鳴り響く
1977年10月『青い海』67号 「大阪の空にエイサーのリズムが響きわたるー第三回沖縄青年祭り。9月15日、尼埼市。18日、大正区千島グラウンドで山端立昌大阪沖縄連合会副会長挨拶、東京ゆうなの会、愛知沖縄青年会のあいさつ、彫刻家・金城実もあいさつ。見物の人も含めて約150人が参加」「儀間比呂志展、沖縄物産センターで開かる」 
1978年6月『青い海』74号 永峰真名「苦悩を乗り越える沖縄青年たちーIさん問題とがじゅまるの会ー」/儀間比呂志、安谷屋長也、金城順亮、浦添正光、島袋純子「<座談会>地域に根ざした児童文化を」

エイサー会場で走りまわるフトシ君(今のFutoshiの片鱗? )とコウ君


Rabu Barroco[パフォーマンスアートフェスティバル2019の連帯]一緒にいる人: Juan Pablo Martirez、Chumpon Apisuk、Graciela Ovejero Postigo、Warattaya Chaisin、Prashasti Wilujeng Putri、Futoshi Moromizato/Boyet De Mesa休む時間だけど, まずグルーピー 友達: Futoshi Moromizato、Boyet De Mesa????

2019-9 Randy Valiente一緒にいる人: Boyet De Mesa、Rica Reyes-dela Cruz


2019-9 沖縄は友達と沖縄ミルクティーを味わう.Mv Munoz Prashasti Wilujeng Putri Warattaya Chaisin Mark Stephen Artillero Angelo Chua

 1978年10月 雑誌『青い海』77号 「那覇市八汐荘ホール 賑わった出版祝賀会”鳥類館〟儀間比呂志『七がつエイサー』『りゅうとにわとり』、新川明『新南島風土記』、川満信一『沖縄・根からの問い』3氏を展示して大騒ぎ。豊川善一、北島角子、高江洲義寛、幸喜良秀、海勢頭豊、南条喜久子、森田吉子、玉城秀子、嶋袋浩(福木詮)ら参加」「パーランク高らかにー第四回沖縄青少年の祭り」

1986年4月 『小説推理』津野創一「響け!パーランクー」

2004年9月 儀間比呂志『おきなわのえほん エイサーガーエー』ルック

「第30回記念エイサー祭り」会場の儀間さん。金城馨と談笑
2018年9月1日ー嘉陽夫妻、儀間比呂志展を鑑賞

写真ーミュージアムショップ「ゆいむい」 で池宮城啓子さん、嘉陽宗博氏/左から金城美奈子さん、仲原穣氏、嘉陽宗博氏


1978年7月 儀間比呂志『七がつエイサー』福音館書店

1970年9月 大江健三郎『沖縄ノート』岩波書店 儀間比呂志「挿絵カット」

1971年11月 『青い海』8号 宜保栄治郎「沖縄のエイサーー勇壮なパーランクーの響き」


1997年11月 宜保榮治郎『エイサー 沖縄の盆踊り』那覇出版社/1998年3月 沖縄市企画部平和文化振興課『エイサー360°ー歴史と現在ー』沖縄全島エイサーまつり実行委員会

2018年11月21日ー儀間比呂志展で、ひろみ/2019年2月 ギャラリー象で、妙子さん、あけみ

2001年3月ー『けーし風』第30号「大阪のなかの沖縄」(屋良朝光、金城馨、諸見里芳美、仲間恵子、玉城利則、崎浜盛喜、伊差川寛、金城良明、金城宗和、金城正樹、我謝実、上地武、當山清朝、大城康代)

1956年7月1日ー大阪市中之島公園で「沖縄土地取上げ反対国民集会」
1956年7月7日ー『琉球新報』「沖縄問題在京郷土人の声ー大浜信泉、神山政良、山之口ばく、比嘉良篤、伊江朝助、尚裕」
1956年7月8日ー『琉球新報』「浅沼社会党書記長ー沖縄の『ハワイ化』阻止」
1956年7月10日ー『琉球新報』「沖縄を守ろうー仙台河北新報発・宮城県庁前広場で沖縄問題解決促進宮城県大会」

1958年8月2日ー『琉球新報』「死の灰 ソ連核実験でふえる」
1958年8月15日ー『琉球新報』「恐るべき放射線の影響ー人類の将来に危険」
1968年1月5日ー『毎日グラフ』「本土の中の沖縄(南風サークル/大城真栄/普久原朝喜/金城良明)」「万国博へ全力投球(岡本太郎「抵抗あるものを」)」
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金城良明氏

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中央が金城良明氏

1971年4月ー『沖縄差別』№1金城良明「大正区で生まれた、2世の声を聞いてほしい」

1971年8月ー『沖縄差別』№2金城良明「沖縄差別とわたし」


写真左から諸見里宗博氏、新城栄徳、金城良明氏

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 「JIJI,COM」4-9 国内で確認された新型コロナウイルス感染者の累計が9日、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗船者を除き5000人を超えた。
東京都内では、1日当たりの最多を更新する181人の感染が確認された。9日はこのほか、山形、福井、兵庫各県など、東京以外で計90人を超える新たな感染者が判明。北海道では、70代の女性患者が死亡した。/「KYODO」4-8 政府の緊急事態宣言から一夜明けた8日朝。大阪市の商業施設や店舗などには「臨時休業」と書かれた紙が張られ、街は一層自粛ムード。宣言後も通勤は許されるため、マスク姿の会社員らはせわしなく勤め先に足を運んだが、その数は格段に減っていた。一方「どこ吹く風」と、パチンコ店前には列をなす人たちの姿もあった。/ 「沖縄タイムス」4-8 玉城知事は、来県自粛について「観光をリーディング産業とする沖縄県において、渡航自粛要請が本県に及ぼす影響は決して小さいものではないが、何よりも沖縄県民の命と健康を守ることが最優先だ」と述べ、理解を求めた。一方、転勤などでやむを得ず来県する人には、到着後2週間の健康観察を行うとともに、その間の外出や人との接触を控えるよう求めた。9日ー県関係の感染者確認は計43人となった。

 M・T 令和コロナ4-7 緊急事態で政権延命を策してはだめですよ アベマスクちゃん 小池ちゃん
 「日刊スポーツ」4-7 緊急事態宣言とともに都内のターミナル駅や空港から「東京脱出」が増えた。JR新宿駅に直結する日本最大級の高速バスターミナル「バスタ新宿」は7日、利用客であふれ、高速バス乗り場には大型キャリーバッグや荷物を手にした人が目立った。

 斎藤 陽子(Walnut, California)4-7日本時間 安倍首相はやっと7日の今日には緊急事態宣言を表明する様子ですが、その判断力の遅さに呆れるばかりでおります。日本在の孫は昨日ピカピカの一年生の入学式を迎えたとのこと、今日からは自粛在宅の一年生です。とんでもない時に人生の門出を迎え、可哀そうでもありますが、艱難を克服する強い人になって欲しいです。外出禁止が言い渡されたカリフォルニアは19日目を迎えていますが、毎日が日曜日のような日々が続いて、もうじき3週間近くになりますが、懸念する暴動なども無く、カリフォルニア住民は皆さん静かに耐えています。

 いま南カリフォルニアの裏山にも春がやって来て、自生しているウチワサボテンの開花時です。誰にも見られることを期待していない野生の花ですが、なんと綺麗なことでしょう。10月になると、このサボテンの花が実となる時期になり、メキシコ系のスーパーでも、サボテンの実が売りに出されていて、メキシコではトウナ(tuna)と呼ばれています。コロンブスがアメリカから持ち帰り、南イタリア、スペイン、モロッコなどでも果物として食べられているといいます。ウチワサボテンの実にはアントシオンというカロチンの10倍の抗酸化作用があって、老化防止作用があると言われています。初めてスーパーで見かけた時には、こういうのがスーパーの商品になっているのが不思議でしたが、メキシコ系の人々には好物の果物として、サラダに入れたりジュースやジャムや絞ってテキーラに入れたりと利用するようです。
 また、このウチワサボテンの名の通り、ウチワのような葉は刺を取った物がメキシコ系スーパーでは山積みになって売っていて、この葉は表の薄皮をむき丸ごとステーキのように油で炒めて食べたりサラダにするようです。南カリフォルニアからメキシコにかけて、溢れる太陽を浴びてこのサボテンは野生として自生繁殖しており、メキシコ人にとって常時手に入る、もっとも身近な植物なのです。この花を見ると私の好きな財津和夫の♪サボテンの花♪の曲を思い出します。

  
 「海鳴りの島から」4-6 (辺野古新基地はコロナ騒ぎのなかでも粛々と進む)午後2時28分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。この日2回目のK9護岸ではランプウェイ台船の入れ替えが行われていた。明日7日に安倍首相が新型コロナウィルスの感染拡大に対し、緊急事態宣言を発令するようだ。同時に不要不急の工事の最たるものである辺野古新基地建設をすぐに中止しろや。莫大な予算を浪費する余裕など、これからの日本経済にはないはずだ。辺野古の海・大浦湾を破壊する金を生活困窮者の救済に充てろ。それこそ重要緊急の政策だ。

 「NHKニュース」4-6 警視庁の武蔵野警察署の警察官が5日、新型コロナウイルスに感染したことが確認されました。警視庁は、一緒に勤務していた署員ら70人余りを自宅待機とする一方、警察署の機能を維持するため、本部からおよそ30人を派遣し、パトロールなどにあたることにしています。/4-5 新型コロナウイルスの感染が確認されたのは、大阪市にある大阪拘置所に勤務する40代の男性刑務官です。法務省によりますと、この刑務官は今月2日に発熱などの症状のため医療機関を受診してPCR検査を受け、その後、自宅で静養していましたが、5日、陽性と確認されたということです。拘置所や刑務所などの矯正施設で感染が確認されたのは初めてです。/「産経新聞」4-5 陸上自衛隊は5日、沖縄県宮古島市に新設されたミサイル部隊の編成完結行事を宮古島駐屯地で行った。中国軍による攻撃を想定し、地対空、地対艦ミサイルを置く。同駐屯地には昨年3月に警備部隊を配備しており、ミサイル部隊と合わせて約700人規模で運用する。

 「琉球新報」4-4 那覇市は4日、同市松尾の第一牧志公設市場を2週間程度、臨時休業することを決めた。この日、市場内の店舗に勤務する40代女性従業員の感染が確認されたことを受けての措置。女性従業員は3月26日に発熱した。27日には体調不良を訴え休んでいたが、26日以前は勤務していたという。那覇市は市場の消毒などをする方針。市場内では85の飲食店や鮮魚店、精肉店などが営業していた。

  S・S4-5 防衛局が辺野古6工事打ち切り!!! 。防衛局は軟弱地盤の埋め立て計画の中止を認めざるをえなくなりました。中止となった6工事は軟弱地盤に掛かる部分で、これまでの埋め立て箇所ではありません。今の埋め立て工事は中止の対象ではないため継続すると思います。


2020年4月『月刊琉球』№75 琉球館〒903-0801 那覇市首里末吉町1-154-102 ☎098-943-6945/FAX098-943-6947  
下地ヒロユキ「表紙絵」/宮良麻奈美「第3回石垣市平得大俣地域への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票義務付け訴訟 意見陳述」/大城冝武「風刺画からみるアメリカ統治下の琉球の世相㉔」/しもじけいこ「宮古IN 様変わりした島の風景/観光・自衛隊・県議選ー世の中は、時に想像を遥かに超える出来事が起きるものだと思った。宮古バブルと揶揄されるほど絶好調だった観光は、新型コロナというウィルスの出現でいとも簡単に中断された・・・」/島袋マカト陽子「東京琉球館便り65-スズメの学校 休校の学校 具志頭王子之墓」


2020年4月『オキナワグラフ』<特集・笑えアミーゴ!-四月馬鹿十三撰->(表紙・仲松健雄)第698号

 「TBSニュース」4-3 アメリカの新型コロナウイルスの感染拡大をめぐって、西海岸カリフォルニア州は死者数・感染者数を東海岸ニューヨーク州に比べて10分の1以下に抑えています。アメリカの専門家は「東京が手遅れにならないように」と警鐘を鳴らしています。アメリカで感染拡大が最も深刻なニューヨーク州の死者数は2373人に。一方、全米最大の人口を抱えるカリフォルニア州での死者は203人です。「カリフォルニアがニューヨークよりも早く決断をしたことが大きな要因です」(カリフォルニア大学バークレー校 シュワルツバーグ教授)/M・H4-3 これだけ非常事態宣言待望論が盛り上がって、安倍がピークの辺りで宣言を出すと大衆はシビれます。アドレナリン出ます。コントロールされたがってる。支配を望む大衆が勝手に盛り上がってまとまっていくのをみているのでしょう。/アヘにしてみれば、「思い通りに進んでるな」、と喜ぶわけです。実際にアヘは非常事態宣言を出すか分かりませんが、日本の中に混乱状況、パニック状況を作れればそれである程度の目的が達成されます。そんな状況になれば、自分たちの様々な疑惑、犯罪は隠蔽され、国会でそれらの疑惑を追求しようという野党に批判の目が向くことになります。こんな非常事態に何でそんなこと言ってるんだ、何考えてるんだ野党の奴ら!、となりますから。そして、そんな危機的状況下では政府が国民をコントロールしやすくなるんです。

 斎藤 陽子(Walnut, California)4-3日本時間 安倍首相の今年のエイプリール・フールは、新型コロナウィルスの猛威の中を生き抜くためのマスクを、国民一住所当たり2枚支給することだそうです。これがエイプリールフールでなければ、一国の長が頭を抱えて考えたにしては随分幼稚な発案で、日本もしょぼい国になったものです。昨日の東京都のコロナ罹患者は97人と、急にその人数は多くなり、罹患者には医療関係者も多い様で、感染爆発も時間の問題だと思います。マスクなど暢気に配布している場合じゃなく、東京都は足りなくなってゆくベットを、迅速に前倒しで増やさなくてはなりません。ロスアンゼルスでは迫りくる感染爆発に備えて、病院船の利用、数軒のホテルの借り切り、巨大コンベンションセンターを診療病院に改設し、迅速に前倒しして準備しております。
 あまり好きではないトランプ米国大統領ですが、3月6日には新型コロナウイルス対策用に83億ドルの緊急補正予算法を成立させて、迅速な行動には好感がもてます。可決された83億ドルの予算のうち、大きな額を占める項目では、ワクチンなどの研究・開発費用(30億ドル以上)、連邦・州・自治体の公共衛生機関への財政支援(22億ドル)などが含まれ、ビジネス支援に関しても新型コロナウイルス拡大により、資金的損害を受けた中小企業などへの低利融資に10億ドルを充てるとしています。また、4億3,500万ドルを外国の医療機関への支援として計上しています。
 自宅監禁状態15日を迎えるアメリカですが、すでに500億ドル(約5兆4000億円)の巨大予算を連邦資金から用立てて、今月27日までにはアメリカ住民一人当たり、12万円を支給すると財務長官は発表しており、なにわともあれ、しょぼいマスク2枚支給ではないことに安堵しています。
 自宅立てこもりは既に15日となりましたが、コロナウイルスからの自宅待機で、3月21日までの米国での酒の売り上げが55%増加したといいます。昨年の同時期と比較して75%増加し、ワインの売上は66%増、ビールの売上は42%増で、人々は自宅待機をし社会的に距離を置いている間、「家呑み」専門となりアルコールを摂取量が多くなったようです。また購買方法もオンラインでの傾向が多くなり、オンラインのアルコール販売は24%増加してるといいます。酒の神バッカスの女王と自称する、ウワバミとしては充分な時間有る、この暇な夜を飲まずにはおれません。
 立てこもり生活で唯一相棒の、我が伴侶はお酒の呑めない体質で、もっぱら私一人で家呑みを楽しんで居ますが、5年前6本ほどTSさんから頂いた、根付きの「島らっきょう」がカリフォルニアの太陽の恵みを受けて、畳二帖ほどの広さに増えました。沖縄料理では酒のつまみの定番の「島らっきょう」をカリフォルニアで収穫し、我が家の食卓を飾りました。島らっきょうはお酒の飲めない福島出身の主人も「イケル!」と好評です。5月中までは自宅待機が続くようで、こうなったら、ひたすら「家呑み」を楽しむ時間とします。


2020年4月2日 連れ合いのヨガ会がコロナのため今月末まで中止になったので、久しぶりに首里へ出かけた。崇元寺、安里かいわい。首里の末吉安允さんの車で第一尚家の天山陵跡を見る。首里城正殿を模した首里劇場の表にある。龍潭から焼けた首里城を初めて見る。


 斎藤 陽子(Walnut, California) 4-2日本時間【思い出のアルバム】千鳥が淵での桜鑑賞-7年前の2014年4月1日 東京は昨日の強風はどこへやら、晴天に恵まれた桜が丁度満開の、最高のお花見日よりです。沖縄から東京に出張中の、新垣義將さんから「千鳥が淵へお花見に行きませんか」との突然のお電話を受け、谷口幸子さんとご一緒に、なんと55年ぶりかのお花見ができました。これまでお花見シーズンの頃に日本を訪れても,タイミングが良くなく、お花の満開時に恵まれたことがない身でしたが、今回は花のお江戸での、最高の桜鑑賞でした。

 東京でも桜の名所 千鳥が淵の、その壮大な桜の咲きっぷりに感激しました。遠く国会議事堂も眺められます。お誘いくださった、新垣義將さんに感謝です。千鳥が淵での桜鑑賞のあとは、神田の新垣 進様(オールビジネスリンク 代表取締役)の会社を訪問し、皆さんとイタリア料理を頂いた後、新垣社長の会社の会議室で、写真後方左の藤木勇人さん(朝ドラ「ちゅらさん」に出演、方言指導など)に、藤木さん担当のラジオ番組(ラジオ沖縄)放送のインタビューを受けました。新垣社長お邪魔いたしました。

 斎藤 陽子(Walnut, California) 4-1日本時間 弥生三月も今日で終わりです。南カリフォルニアの気温は23℃、初夏を迎えたように温かく、庭のレモンの花は満開を迎え、庭中にレモンの甘い香りを放ち、ミツバチの羽音が聴こえてきます。柑橘類の品種の中でも最も大きな品種といわれている、ポメロ(Pomelo)この写真に写っているものは、1,750gの重さです。この様な大きさのポメロが、いま我が家の裏庭の木に10個ほど、生後間もない乳児の頭ほどの大きさの実が、それこそ枝が折れるのではないかと思えるほど、たわわに実っています。あまりの大きさにレモンと対比するために並べて写してみました。原産はマレー半島、別名、中国では晩白柚(バンペイユ)と呼ぶようで、中国のお正月(旧正月)には、豊かな大きいな果実は福を呼ぶという縁起物として貴重な扱いを受け、新年の訪問先の手土産に、大きなポメロを持参して贈り物とするならわしがあると言います。中身は果汁が少なめで、ナツミカンのような味がします。皮は砂糖漬け菓子を作るようで、日本で改良された物に、文旦、ザボンなどがあります。
 
 27日、カリフォルニア州のロサンゼルス港に、石油タンカーから転用された、全長272メートル、病床1000病床に加えて、手術室12室やコンピュータ断層撮影(CT)装置など、充実した医療能力を備えているといいます病院船が接岸されました。これは新型コロナウイルス感染者以外の患者を受け入れて、陸上の医療施設の負担を減らすための目的で、新型コロナウイルス感染者の急増により同州では今後6~10週間で5万床が必要になるとの見通しを示し、病院船マーシーは大きな力になると述べています。26日まででロサンゼルスでは400人以上の新規感染者と9人の死亡が報告されていますが、ニューヨークのような、感染爆発 状態にならなる前に、先手を打って前倒しでコロナウィウルス蔓延まえに、準備を進めています。カリフォルニア州ではこれまでに4000人以上の感染が確認され、うち90人が死亡しています。

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