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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 斎藤 陽子(Walnut, California) 2021-1ー8 8日から東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県に「緊急事態宣言」を発令すると決定した日に、東京都は1日のコロナ感染が、大晦日の最多ピーク時の、2倍の2400人以上と爆発的感染者を1日に記録したとの衝撃のニュースです。1日に2400人以上もの感染者を受け入れる、東京都の医療現場はどうなっているか心配は尽きないです。かたやアメリカは6日 バイデン米次期大統領の大統領選での当選を正式に認定する手続きが行われていた連邦議会議事堂内に、トランプ大統領を支持する人々が暴徒と化し侵入し、議員らが避難する異常事態となって、4人の死者も出てアメリカ歴史に残こる最悪の日でした。審議は6日午後に始まりましたが、トランプ氏の支持者が暴動化し、議会議事堂に乱入した事件で、約6時間にわたって中断しましたが、7日未明に大統領選で各州の選挙人の投票結果を確認する作業を終え、これにより民主党のバイデン次期大統領の勝利が決まり、共和党のトランプ大統領の敗北が正式に確定しました。バイデン氏は、1月20日に行われる就任式で正式に大統領の座に就きます。
 トランプ大統領をめぐっては、デモ隊の議事堂突入に先立って、支持者らをあおったことや、大統領選での敗北は大規模な不正によるものだとの根拠のない主張など数々の不可解な言動をし、大統領としての職務遂行能力を疑問視する声が上がっています。トランプ支持者が暴動を起こしアメリカ連邦議会を一時占拠したことを1月6日、オバマ前大統領が公式ツイターに載せた声明文の中で、今回の暴動は「法に則った選挙結果に対して、根拠のない嘘をつき続けた現職大統領によって煽られた」と、トランプ大統領を強く非難しています。また「わが国にとって大いなる不名誉と恥として歴史に刻まれるだろう」と警告しています。同じ趣旨の声明文はブッシュ前大統領、クリントン前大統領も出しています。
 トランプ支持者の品格の無い連邦議会議事堂に侵入暴動行動には歯止めがきかず、アメリカデンモクラシーが地に落ちて、まるで政治倫理後進国の暴徒が議会へ乱入する様で、テレビ放映で見ていると、なんともこの国に居るのが恥ずかしく悲しく感じたものです。そんな中でジヨージア州の選挙で、民主党2議席を獲得し、これで議会の「ねじれ現象」も回避でき安堵してます。冬の花の少ない庭の植木鉢にシャコバサボテンの花が開花しだしました。ブラジルの高山地帯である「オルガン山脈」が原産のシャコバサボテンはクリスマスの頃に咲くので別名「クリスマスカクタス」とも言われていますが、クリスマスに咲かず、やっとお正月に咲いてくれました。
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 「くろねこの短語」2021年1月8日 緊急事態宣言の記者会見をライブで観ていたんだが、いやあ、最後の間抜けな一言で食事中だったのに吹いちまうところだった。曰く、「これまで、国民の皆さんのご協力に感謝を申し上げるとともに、今一度、ご協力を賜りますことを、お願いして、私からの挨拶とさせて頂きます」お前は、宴会の来賓か。オリンピックについても、「ワクチンで国民の雰囲気が変わる」ってのたまってくれちゃって、そんな緊張感の欠けた記者会見を、さらにズッコケさせてくれたのが記者連中だ。なんとまあ、幹事社だけでなくどつもこいつも事前に質問通告していたようで、特高顔のカス総理はすべての質問にペーパーに目を落としながら答えやがりました。こんなんだから、「更問」なんてあるわけがなく、特定給付金などの質問には結局答えず仕舞い。記者連中もそれで良しとしてるんだから、もう記者会見なんて言葉は使わずに、報告会でいいんじゃないか。(以下略)

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 2021年1月6日 新年の挨拶も兼ねて平和通り奥の古美術なるみ堂(携帯090-3793-8179)に干支の置物を買いに行った。日枝神社、竹細工「吉備牛」を入手。もうお互い数え73だね、というとオリオンビール瓶のフタを取り出して数秒のうちに6個曲げてしまった。さすが若いころはボディビルダー、指導もやっていただけはある。私もやってみたが1個両手でも無理だった。

 「くろねこの短語」2021年1月6日  いやはや、凄い話だ。何がって、時短拒否した店は、店名を晒して罰金だそうだ。土建政治の二階君なんか「罰則が目的ではないが、罰則もあるという気合を掛ける」とさ。ヤクザ顔負けの言い草だ。んなことより、手厚い補償をちゃんと議論するのが筋だろう。
 罰則ってのは、すなわち私権の制限に繋がることなんだから、極めて慎重でなくてはいけない。なぜなら、権力ってのは、自らに都合のいいように法律を運用しかねないからだ。たとえば、国旗・国歌法なんかその典型なんだね。「強制はしない」って言っておきながら、いつのまにか教育の現場では国旗・国歌に楯突く教師は平気で処分されてますからね。飲食店にとっては「時短」や「休業要請」ってのは死活問題なんだよね。ラッシャー木村じゃないんだから「耐えて燃えろ」なんてことはできないのだ。耐えてるうちに野垂れ死にしちゃいますよ。これはもう、政治によるいじめですね。
 でもって、土建政治の二階君は、オリンピックについてもこんなクソ発言してます。「開催しないということのお考えを聞いてみたいぐらいだ」「自民党として開催促進の決議をしても良いくらいに思っている」ああ、いくらでも聞かせてやるから、ツラア出しやがれ、ってなもんです。こんな薄汚い老害政治屋に牛耳られているんだから、自民党も落ちたものだ。この爺さんのツラ見るたびに、腐臭が漂ってくる今日この頃なのだ。→盛田隆 毎日約50人死亡。累計死者3725人というコロナ禍で「スポーツ振興は国民の健康にもつながる」って一体何うんざりしている顔さらに「自民党として開催促進の決議をしても良い」には認知機能の衰えた老人に特有な全能感がある。恐ろしい

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 2021年1月5日14時、小雨のなか那覇市立牧志駅前ほしぞら図書館まで散歩。帰途マックスバリュ牧志で買物
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   中の橋/牧志長虹橋から中之橋方面/崇元寺橋/左がマックスバリュ牧志
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  蔡温橋から崇元寺橋方面/モノレール牧志駅界隈/安里三差路方面/那覇市立牧志駅前ほしぞら図書館
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 モノレール牧志駅界隈

 「くろねこの短語」2021年12月5日 (前略)つまり、「Go To トラベル」「Go To イート」は大失敗って言ってるようなものなんだが、「経路不明の感染源の多くは飲食」という根拠はどこにあるんだろう。「Go To トラベル」で感染者が増えたというエビデンスはない、って言い募っていたんだから、飲食が発生源というエビデンスを示してみやがれ。さらに、それを指摘している専門家ってのはどこのどいつか名を名乗れ、ってなもんです。でも、飲食店は目の敵にするくせに、「映画館や劇場などの施設は入場制限に含めない方向で考えている」ってんだから、7日にも発令される「緊急事態宣言」ってのはザルってことだ。
 飲食店いじめはフリップ小池君も積極的で、「要請に応じない店に対しては、コロナ対策の特別措置法45条に基づき『店名公表も活用し、感染拡大を何としても抑えていく』と表明」しましたとさ。パチンコいじめに突っ走ったイソジン吉村君をつい思い出しちまった。

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 大濱 聡 1月2日■2021.1.1〈核・気候・コロナ 文明への問いの波頭に立つ〉長崎原爆資料館の入り口に、「長崎からのメッセージ」が掲げられたのは昨年4月10日のことだった。……核兵器、環境問題、新型コロナウイルス……世界規模の問題に立ち向かう時に必要なこと その根っこは、同じだと思います。自分が当事者だと自覚すること。人を思いやること。結末を想像すること。そして行動に移すこと。

 2021年1月2日3時半、ジュンク堂まで散歩
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我が家のまえの通り、正面は泊小学校方面、息子と娘の母校。さらに上にいくと沖縄県立博物館・美術館/中之橋
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 我が母校ー那覇市立前島小学校(2014年久茂地小と統合し那覇市立那覇小学校)/前島中公園にある泊塩田之跡碑。その隣には梵字炉(ふんじろ)
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モノレール美栄橋駅界隈/ジュンク堂書店

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 「くろねこの短語」2020年12月25日 嘘をつくことが習い性となっているペテン師・シンゾーの釈明会見は、実に白々しいものだった。笑っちまったのが、「私が知らない中で行われていた」って若干言い淀みながら口にした瞬間に目が泳いだことだ。心の闇ってのは隠せないものなんだね。「秘書が~、秘書が~」の言い訳の中でも、その白眉が次の発言だ。桜を見る会前夜祭会費補填の原資を問われて、「私の預金から下ろしたものだ。食費や会合費、交通費、宿泊費などの支出一般について事務所に請求書が来て、支払いを行うが、手持ち資金として事務所に私が預けているものの中から支出をした」
 かみ砕いて言えば、「財布を渡していた秘書が勝手に使い込んだ」ってことだろう。自分の知らないところで何年にもわたって数百万円の使途不明金が出ているのにまったく気づかないような間抜けな人間が政治家になっちゃいかんだろう。ましてや、総理大臣だなんて・・・。民間企業なら、使い込んだ本人を懲戒免職の上で、背任横領で刑事告発して、返金も要求するものなんだよね。それなのに、略式起訴で罰金くらった公設秘書は、何事もなく辞職されましたとさ。でもって、ペテン師・ンゾーはとくれば、「動議的責任は痛感」しつつも、何の責任も取らないってんだから、これで幕引きしようったってそうは問屋が卸しませんよ。検察審査会もあることだし、まだまだ二の矢三の矢で追い詰めてやるから覚悟しやがれ。

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 「くろねこの短語」2020年12月24日 どうやら、明日にもペテン師・シンゾーの国会招致があるようで、自民党は議院運営委員会での釈明を計画してるってね。これに対して、立憲民主のトッポ・ジージョ安住君は「安倍氏による国会での説明が早期に実現するならば、野党が求める予算委への招致にこだわらず柔軟に対応する姿勢を示した」ってさ。バカじゃなかろか。そもそも、国会で118回も虚偽答弁をした男なんだから、偽証罪が適用される証人喚問でなければ「秘書が~秘書が~」って虚つきまくるに決まってるんだね。もし、立憲民主が予算委員会ではなく議院運営委員会への招致で引き下がったら、もはや野党第1党としての存在意義はありませんね。ヤメ検のエロ髭・若狭君や「ひるおび」のあの八代君でさえ「証人喚問という法的制裁がある所で行うべき」とペテン師・シンゾーには厳しい意見を吐いてるくらいなんだから、言いたい放題の釈明でシャンシャンってなったら、今度は何色のペンキが検察庁の看板にぶちまけられるのだろう・・・なんてことを期待しちまう今日この頃なのだ。/ネット上「生まれた年に自分の年齢(経過年数)を足すので現在の年(2020)になるのは当然のこと」が飛び交っている。

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 最近、母の死亡で色々と必要があって戸籍謄本を20数年ぶりに取り寄せてみた。妻が祖母の名前がトートメーと違っていると言う。なるほど、違っている。私としては当然にカマになっていると気にしなかったが、元他人であった妻だから気づいたのだろう。役場も勝手に改名して、何らかの問題があれば損害賠償を要求せねばならないと思うが、害はないようだ。
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 我が家の三脚蟾蜍はなるみ堂の開店の時頂いた。/なるみ堂の三本足のカエル 三脚蟾蜍(せんじょ) 三脚蟾蜍はお金を集めるために三本足になったといわれ,天災を予知する力を持つ霊獣もしくは神。大変に縁起の良い福の神とされ「青蛙将軍」、「金華将軍」などとも呼ばれる。道教徒の間で特に信仰されていた。清の蒲松齢の小説『聊斎志異』にも登場する。日本では青蛙神を題材に岡本綺堂が『青蛙堂鬼談』を執筆し、彼の養子の岡本経一が創立した出版社は青蛙神にあやかって「青蛙房」と命名されている。

 「くろねこの短語」2020年12月22日 日本医師会が「医療緊急事態宣言」を発表する中、ぼったくりバーのチーママ小池君が緊急記者会見というから何話すのかと思ったら、「心をひとつに国難を乗り越えましょう」だとさ。そして、医療従事者に対して「小中学生に感謝の手紙を送ることを呼び掛けたい。この時期ですから年賀状ですね」ときたもんだ。いやはやです。もっと凄いのが、特高顔のカス総理で、「新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京で五輪・パラリンピックを」ってイベントで挨拶したってね。イギリスではコロナ変異種でロックアウトだってのに、この男はそうした世界の状況ってのをまったく理解してないんだね。
 さらに、夜にはTBS『NEWS23』に出演して、相も変わらずカンペに目をやりながら愚にもつかないことをタラタラとくっちゃべったそうだ。星:桜を見る会、菅さんは当時、官房長官として安倍総理に諫言しようとは思われなかった?国会で総理の答弁(前夜祭の費用補填はしていない)を正しいと言われていた菅さんご自身の責任は?菅:桜を見る会は昔からやってることだし、新宿御苑は広いから、人がいっぱい来たらいいなと思っていただけ。私は今でも総理は正しいと思ってますから。小川:最後に総理、国民が安心して将来に希望が持てるようなメッセージをご自身の言葉で。菅:ワクチン。ワクチン。そのためにワクチン。ワクチンで人類がコロナに勝った証としてのオリンピックを開けるように。ワクチンでコロナのなかった時代に戻れるように。論評するのも馬鹿馬鹿しくなってくる。



 《終わらない「コザ暴動」》東アジア共同体研究所O氏が「コザより強力な希望! 本を読む 14 『沖縄と国家』(辺見庸 目取真俊―角川新書)」と題し、末尾に〇目取真俊の「希望」とまではいかないが、少しマイルドな選択を考えてみよう。街に出た米兵を狙って自動車でひき逃げ、基地に入りこんで宿舎を焼き討ち、男性兵士に斬りつけ、女性兵士は強姦、これを執拗に行えば(米兵が毎年のように沖縄人に対して行っているように)必ず米軍基地は無くなるだろう。幕末の外国人打ち払い、「攘夷」の再現だ。部分的に実現したのが、コザ暴動だ。ご存じのように米兵の車約80台が焼かれ、交番も基地内の建物も燃え上がった。見物のおばあが、アメ車から立ち上る炎をバックに両手をあげてカチャーシーを舞っている映像を見たことがある。めでたい時には欠かせぬ踊りだ。この事件はちょうど50年前の今日、12月20日の未明に起きた。

 私の場合、コザ暴動は京都鳴滝音戸山の沖縄学生が借りている農家、木が生い茂って川が流れている静寂な環境。いつもそこでゴロゴロしていた。そこに同志社大学生の山口浤一さんの婚約者が帰省していた沖縄での「コザ暴動」を興奮な口調で話していた。
 1977年、伊佐千尋氏が『逆転』を新潮社から出し、1978年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1977年12月『青い海』68号に「”執念〝が書いたベストセラー はみ出し人生が『逆転』したとき」と伊佐氏がインタビューを受けている。この号には本多勝一「近づき難い沖縄」、森口豁「どぅちゅいむにぃノートX黄色い新聞紙」も載っている。1981年9月、伊佐氏は潮出版社から『炎上 沖縄コザ事件』が発刊。写真ー1986年9月『炎上 沖縄コザ事件』文春文庫

 「くろねこの短語」2020年12月17日 (前略)特高顔のカス総理にとっても、地検特捜部にとっても、「やてる感」を強く印象づけられるし、ペテン師・シンゾーにとっても年末のドサクサに閉会中審査で禊がすんじまえば、年明けの通常国会で追及されることもなくなりますからね。「三方一両損」どころか「三方一両得」ってことも夢じゃない。独裁体制確立のために、特高顔のカス総理がペテン師・シンゾーを生贄として差し出して、事情聴取→議員辞職or逮捕ってシナリオを描いていたら・・・なんて妄想をしたいところだが、しょせんは顔も頭も貧相な自称苦労人の小物には無理な相談か。


菅の連夜の酒宴

 「くろねこの短語」2020年12月17日 政治家が謝罪する時にバカのひとつ覚えで「誤解を招いたら」って言うんだが、こようするに「お前らが勘違いしただけだ」って言ってるようなもので、いわば受け手である国民を舐めてるってことだ。そんな言い草を、高級ステーキ店の忘年会を糾弾された特高顔のカス総理が、臆面もなく口にしやがりました。これって、「誤解を招いた」ことは反省するけど、「忘年会」についてはどうでもいいって態度なんだね。こんなんだもの、その舌の根も乾かないうちに、読売新聞幹部、日本テレビ幹部、そして田崎スシローと会食するわけだ。忘年会が問題になった15日の夜にも、フジテレビ会長や東京オリ・パラ組織委員会理事と会食してるようで、もはやタガが外れちゃって制御不能のノータリンってことだ。早いところ総理の座から引きずり降ろさないと、大変なことになりますよ。
 ところで、ネトウヨ的体質でつとに名高いDHCが公式ウェブサイトに在日コリアンに対する差別的メッセージを掲載して炎上している。メディアにとってはスポンサーでもあるから、これまではDHCのヘイト体質に沈黙を守ってきたんだろうが、今回もまたスルーするつもりなのだろうか。これはもう、犯罪だと思うけどねえ。

  「くろねこの短語」2020年12月16日 特高顔のカス総理が「マスク会食」を呼びかけた11月20日の夜に芸者とノーマスクで会食していたとTBS『報道特集』にスッパ抜かれて、加計のポチ・みのたけ萩生田君が大恥かいたと思ってたら、なんと特高顔のカス総理も似たようなことやらかしてくれちゃいましたとさ。
・萩生田文科相が芸者遊びにノーマスク会食、菅首相がマスク会食呼びかけた日に… 石田純一や手越を叩いたワイドショーはなぜ沈黙?
 なんでも、「Go To トラベル」停止を発表した14日の夜に、銀座の高級ステーキ店で土建政治の二階君の他、「プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長、俳優の杉良太郎氏、政治評論家の森田実氏、タレントのみのもんた氏、林幹雄幹事長代理も同席」して、会食したんだとか。
 14日の夜というタイミングもふざけた話なんだが、そもそも「会食は控えるように」ってのが感染拡大を避けるための政府方針だったんだよね。でもって、「GoTo イート」では「原則4人以下」ってのが決まりだったはずだ。ああ、それなのに、この様だもの、こんな暇があるなら記者会見開いて国民にちゃんと説明しやがれ、ってなもんです。「腐れ外道」ってのはこういう輩のことを言うんでしょうね。

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Posted by: ryubun02
 伊波普猷「おもろ・飛行機ー沖縄御間切心一つならば、苦世す甘世なさめ。直り世は実に是からど始まる」
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伊波普猷
 1929年2月ー伊波普猷、山城亀雄飛行士が操縦する飛行機でロサンゼルス上空を飛ぶ。カリフォルニア各地を巡遊、宮城与徳、屋部憲伝らと交流。
8月ー『科学画報』13巻2号□伊波普猷「布哇の自然と人」、伊波普猷、帰沖(折口信夫と同行予定が折口体調不良のため伊波一人の帰沖となった)。10日ー真境名安興と共催で「琉球古典劇研究座談会」、19日『琉球新報』伊波普猷「孟蘭盆の新意義」、25日ー『琉球新報』伊波普猷「五ツ組の用語と詩形」、30日ー伊波普猷、上里朝秀ら台中丸で帰京(途次、喜界島で講演)。11月23日ー京浜沖縄県学生会秋季総会で「方言に現れたる土俗」と題し講演

 伊波普猷のよく知られた言説に「・・・さて、沖縄の帰属問題は、近く開かれる講和会議で決定されるが、沖縄人はそ
れまでに、それに関する希望を述べる自由を有するとしても、現在の世界情勢から推すと、自分の運命を自分で決定することの出来ない境遇におかれてゐることを知らなければならない。彼等はその子孫に対して斯くありたいと希望することは出来ても、斯くあるべしと命令すること出来ないはずだ。といふのは、廃藩置県後僅々七十年間における人心の変化を見ても、うなづかれよう。否、伝統さへも他の伝統にすげかへられることを覚悟しておく必要がある。すべては後に来たる者の意志にに委ねるほか道がない。それはともあれ、どんな政治の下に生活した時、沖縄人は幸福になれるかといふ問題は、沖縄史の範囲外にあるがゆゑに、それには一切触れないことにして、ここにはただ地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人は『にが世』から開放されて、『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る、との一言を附記して筆を擱く。」(1947年11月『沖縄歴史物語』沖縄青年同盟)がある。

沖縄歴史物語(右がハワイ版)


<あま世>の言葉は、1933年1月15日、琉球新報主催「航空大ページェント」で瀬長島上空を関口飛行士操縦の複葉機から色白の美人・宮森美代子嬢がパラシュートで飛び降りる。それを万余の沖縄県民が見物という新報記事を東京で見た伊波が自身のロサンゼルス上空を飛んだ感動と重ね合わし「おもろ・飛行機」と題し「・・・紫の綾雲、おし分けて出ぢへたる、ふへの鳥の舞ひ、如何し来る鳥が、常世の大ぬしの御使者は有らにゃ、・・・大和世は物事変て、殊に工学のひろましや、珍しや算知らぬー沖縄御間切心一つならば、苦世す甘世なさめ。直り世は実に是からど始まる」とよんだことが初出である。
 異国船研究も、やはり沖縄学(伊波の学問を沖縄学と称したのは折口信夫)の礎を築いた伊波普猷に立ち戻らないといけない。『東恩納寛惇全集』「伊波君の想出」に寛惇は「日清役の頃か、伊波君が在京沖縄青年会雑誌に『爛額雑記』とか云った表題の随筆で、ヴィクトリヤの僧正の琉球訪問記を紹介した。(略)伊波君が『ヴィクトリヤの僧正』を取上げたのは、琉球語聖書の著者ベッテルハイムや、通事板良敷等に興味を有ったからであったらしい」と記している。1904年6月、伊波は鳥居龍蔵の沖縄調査に同行し横浜から尚家の汽船で帰省。鳥居は伊波宅に投宿。伊波は鳥居を沖縄各地に案内、記念にチェンバレンの『琉球文典』を鳥居より贈られる。

飛び安里研究会
1913年11月 素人飛行家、渡辺又一、勢理客鍋(佐敷村出身)両氏は渡辺氏の作成に係わるカーチス式複葉飛行機の滑走を試みるべく、両氏は数日前よりこれが組立に従事し、いよいよ飛行の当日は、先ず渡辺氏が滑走を試みたる後、勢理客氏又滑走を試みる筈にて行く行くは渡辺氏の飛行機に、勢理客氏の所有にかかるインジン(機関)を据えつけ、佐村氏の監督の下に天晴れ飛行家とならんとの決心を抱き居りたり。然るにピンカム知事は、これら飛行家の苦心を無視し、ハワイ軍区長官カーター少将の命によれりとて、遂に飛行を差し止むるに至りたり。『新聞にみるハワイの沖縄人90年』比嘉武信/編著 1990/10/01 若夏社


 台風7号が接近中の6月30日 なは市民活動支援センター 飛び安里研究会「沖縄の花火師〔飛び安里〕世界で最も早く空を飛んだ」

島袋和幸氏、島袋宗一氏

島袋宗一氏

1943年9月 月刊『文化沖縄』新垣源蔵「琉球の火術雑考」 
○「頂姓系図」支流(越来村字越来の安里家の系図)によると、この内の一人安里筑登之は、安里家六世の祖安里周英と云ふ者で、この人の父が周當で、有名な火花師である。沖縄で始めて焰硝製出に成功した人である。宮里良保氏の発表された飛行機の発明者も、安里周祥でなくこの周當だと自分は考へている。何故なら周祥はこの人の四男であり、系図には事跡は明らかでない。・・・
1943年10月 月刊『文化沖縄』与那国善三「飛び安里の話」 

琉球の「飛び安里」を世界に紹介した宮里良保

自動車の知識(誠文堂十銭文庫 33) 宮里良保 著
宮里の本や資料については島袋和幸に問い合わせてください。〒124-0011東京都葛飾区四つ木4-18-10 ☎03-3695-9276 島袋携帯090-4920-6952

2015年6月 島袋恒政・島袋和幸『鳥人・飛び安里考』大和印刷(電話 03-3862-3236)定価・送料共1000円
発行ー『沖縄の軌跡』発行人・島袋和幸(〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)
島袋和幸「沖縄の鳥人<飛び安里・花火師>」
 沖縄の鳥人<飛び安里・花火師ヒハナジ>は、ことに沖縄では偉人と言われている。それは、約二百年前に<飛行>、つまり空を飛ぶ事について試行錯誤していた可能性があるからだ。その<飛び安里>について、彼が研究したであろう<飛ぶ>という事と、<沖縄の偉人>としてのロマンから、飛び安里について多くの方々が新聞や雑誌。書物などで言及されている。一方マスコミで取り上げられたことも数多いのである。しかし、こうした取り組みの中にあって、決定的な文献が無いとか、実際に飛んだ<飛び安里>とは一体誰なのかとか、又、飛んだ場所等についても諸説があったりで、実際には多くの方々を巻き込んで議論が尽きないのである。
 こうした中で島袋恒政氏は、「二百年前の初飛翔/コンピューターで性能解明へ」(『沖縄タイムス』昭和62年2月14日)、「<跳び安里>のロマン再び/資料から模型製作/二百年前に精巧な設計」」(『沖縄タイムス』昭和62年5月10日)という新聞記事になる、<想像図>を国立国会図書館で発見している。それは約30年も前のことで、これ以降、地元新聞紙上や雑誌などで盛んに取り上げられた。その後も、同氏は各種資料や書物に真実を求めて追求してきた。安里家の遺族関係者や、貴重な証言、珍しい資料などが埋もれてしまう前に記録しておきたいという強い思いがある。
 私は、約20年前に<飛び安里>研究に緒をつけた『科学画報』の記者、宮里良保について人となりを記録していた。さらに、15年前ほど前から民間航空の始祖である奈良原三次(奈良原繁沖縄県知事の嗣子)についても記録を行っていた。そして、いがいにも沖縄人の飛行機研究者が明治・大正期の早い時期から多かった事を知る。こうした事情等を島袋恒政氏の<飛び安里>についての博識な知識と、資料の記録をお手伝いしたいと思った次第である。

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Posted by: ryubun02
 浅野健一 2020-12-4 79日ぶりの菅首相の官邸での記者会見が6時から行われた。内閣記者会主催。NHKテレビの中継で見た。質問者のほとんどが内閣記者会常勤幹事社19社の記者たちで、緊張感が全くなかった。パンケーキ朝食会、オフレコ懇談会、グループインタビューで馴染みのLap Dog(愛玩犬、対語はWatch Dog)記者ばかりだから、菅氏も記者たちをなめている。安倍前首相の会見よりもっと閉鎖的で、首相の講演会のようだった。とても、自由で開かれた国の会見とは思えなかった。司会の山田真貴子内閣広報官は自分の名前を言わず、会見の開始を宣言。山田氏は9月16日の菅首相就任会見(30分)、外遊先のジャカルタ会見(26分)で司会をしたが、名前を名乗っていない。質問する記者には「社名と名前」をと要請しているのに、自分は役職、氏名を言わない。 
 朝日新聞、東京新聞(中日)、西日本新聞は指名されなかった。(略)
 私は菅首相、官邸報道室(広報室)、山田広報官邸に質問書を何度も送っているが、ファックスしか分からない。報道室は昨年11月以降、私の取材依頼書に回答しない。キシャクラブメディア以外のジャーナリストを無視する官邸報道室を糾弾する。安倍晋三政権の報道統制の縦割り、既得権益、あしき前例を踏襲し、さらに菅義偉流に改悪した記者会見だった。間違いなく、戦後日本の最悪の首相記者会見だった。 コロナ禍が深刻化し、政治と金の疑獄事件が相次ぐ中、こんな茶番劇の記者会見をやっていていいのかと思う、内閣記者会などすべてのキシャクラブを廃止し、広報センターを設置する以外に、ジャーナリズムの創成はない。

 「図書館へ行ってみよう - 琉球大学附属図書館」www.lib.u-ryukyu.ac.jp › biblio › bib36-1 › html初代学長、志喜屋孝信氏の退官を機に、その業績を記念するため新図書館ビルの建設を計画し、建設費を集めるため宝くじを発売したこと、1955年に完成した、当時としては最大の5階建ての図書館ビルは、翌年、火事で4階、5階部分を焼失 」
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1956年9月3日『沖縄タイムス』「琉大志喜屋図書館焼く」/1990年6月『琉大風土記 開学40年の足跡』沖縄タイムス社〇1956年9月3日午前9時頃、図書館4階にあるミシガン派遣団教官室より出火、4,5階は全焼、辛うじて3階は類焼は免れた。図書3000冊余が消失して、被害総額は千数百万円にのぼった。火災後、篤志家の寄付があり、火災保険金と一般見舞金及び琉球政府補助金等により翌年の7月には消失した4、5階部分は完全復旧した。出火の原因は漏電であり、当時はハシゴ消防車がなく、4階まで放水が届きかねて消火に手間取り5階まで延焼したといわれている。火災は軍民消防隊員の協力で2時間以内に鎮火した。伊波普猷文庫など貴重な図書館の蔵書は幸い難をまぬがれたが、4,5階にあった文理、教育学部各教授室の貴重な地図類や教官の多年の研究資料、学術資料が消失した。復旧まで1カ月を要した。→『琉球大学五十年史』
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琉球大学附属図書館報『びぶりお』

1956年9月14日、グランドオリオンで「スタリオン街道」(1947年製作/アメリカ原題:Stallion Road配給:セントラル)「凸凹カウボーイの巻」のアレックス・ゴットリーブが製作、脚本家出身のジェームズ・V・カーンが監督した1947年度作品。脚本は「ジョルスン物語」のスティーブン・ロングストリート、撮影は「王子と運ちゃん」のアーサー・エディソン、音楽はレオ・F・フォーブステインの担当。「恋の乱戦」のロナルド・レーガン、「夜も昼も」のアレクシス・スミス、「仮面の男(1944)」のザカリー・スコットの3人が主演し、ペギー・ヌードセン、ハリー・ダヴェンポートが助演している。→映画.COM

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 写真中央が山田勉氏、後列左から3人目が新城栄徳
1990年8月24日 ゆうな荘「山田勉『沖縄の図書館と図書館人』出版祝賀会」
○昭和60年4月より、図書館に部課長制が敷かれ、組織の強化とサービス体制の改善・整備が一段と進められた。それと共に業務の省力化、合理化に向けて見直しを図り、今日に至っている。初代事務部長に九大から前田正三氏、整理課長に尾崎一雄氏が阪大から着任、閲覧課長に当館の山田勉氏が昇任し、業務の電算化を推進することになった。又、昭和60年9月に閲覧課に図書館専門員が認められ、医学部分館に配置された。昭和61年1月より東京大学文献情報センター(現学術情報センター)と接続、これまでのカード目録作成に終止符が打たれ、目録業務の省力化が飛躍的に進み、本学図書館の電算化時代の幕開けとなった。→琉球大学附属図書館のあゆみ

前は沖縄県立博物館は歩いては行けなかったが、今は歩いて直ぐである。少し前までは沖縄県立図書館も歩いて行ったが、数え70になると東陽バスで行くのが増えた。平成30年12月15日(土)午後2時に図書館はモノレール旭橋駅と直結して開館するという。私にとって都合は良いが、旧図書館近くに住んでいた國吉さんは不便になるという。

 2018-12-14-辺野古んかい ちゅー んじゃびたん。埋め立て承認さる 仲井真とぅ 高良ぬ 腐りウチナー。くねーだ タイムスぬ文化欄かい 高良が 書ちょーたしが、タイムスぬ記者ん うぬ あたいるやさやー。護国神社ぬ ちゅん タイムスんかい 書ちょーたしが、うりがどぅ 図書館じ 講演すんなー? 


2000年10月 「沖縄の図書館」編集委員会(代表・伊藤松彦、喜納勝代、国吉綾子、島袋正敏、玉寄長信、中村誠司、本郷清次郎、森田牧子、山田勉)『沖縄の図書館 戦後55年の軌跡』教育史料出版会
沖縄の図書館【目次】
栗原均「戦後沖縄図書館人の澎湃たる熱い志を学びたい」3/大田昌秀「21世紀にむけて知の大道を拓くー沖縄の図書館の歩みに寄せて」7/伊藤松彦「序 知の自立へー戦後沖縄の図書館55年の軌跡を求めて」17
【1】占領下の図書館
山田勉「衣食の飢えと心の飢えと」32/伊藤松彦「琉米文化会館の光と影」39/漢那憲治「米軍占領下の沖縄からの一米国留学生の”個人的な回想〟」46/玉城盛松「琉球政府立図書館ー中央図書館を中心として」57/宮城剛助「琉球政府立立法院図書館の沿革ーその果たした役割」76/本郷清次郎「沖縄の大学図書館ー琉球大学附属図書館を中心に」84/平良朝子「回想の琉球政府立医学図書館」99/島元巌「不死鳥のごとく蘇るー沖縄の戦後教育と学校図書館」106/山田勉「沖縄へ本を贈る運動」110/山田勉「沖縄図書館協会結成へ」117/外間米子「コラム・初めての子ども文庫ー松尾児童文庫」122/伊藤松彦「コラム・知る人ぞ知る那覇の私立図書館ー沖縄人文図書館(喜久川宏)」123
【Ⅱ】復帰で拓く文化の回路
佐久本全「公共図書館にみる本土格差への挑戦」128/伊藝弘子「市立那覇文化センターのこと」134/喜納勝代「まち・むらに広がる文庫と図書館活動」136/松島弘明「『まちの文庫 むらの図書室』の三カ年」143/山城光重「沖縄県立図書館新館のビジョン」145/名護正輝「浦添市立図書館登場のインパクト」152/平湯文夫「沖縄の図書館人たちとの20年ーその極めて私的なかかわりの一端をそのままに」161
【Ⅲ】平和の樹を植え育てる図書館
<北部>大城道子「名護の『こんな図書館をつくろうよ会』から『<図書館友の会>をつくろうよ会』まで」176/<中部>玉寄長信「具志川市の図書館活動」190/金城清子「コザ市琉米親善センターは沖縄市立図書館の先駆け」203/山川裕美子「サークル活動の拠点としての宜野湾市民図書館」207/生沢淳子「石川市における公共図書館の歩み」210/親田浩美「勝連町立図書館」217/饒平名洋子「学校図書館情報化へのスタート」221/<南部>山内一美「豊見城村立図書館中央図書館の歩み」230/儀間良子「心地よい図書館を目指してー知念村立図書館」235/<宮古>砂川幸夫「県立図書館宮古分館など」240/東風平紀子「平良市立図書館のあゆみ」247/上原みち子「平良市に新しい図書館をつくろう会」249/宮里トヨ子・高江洲洋子「宮古の学校図書館」251/<八重山>潮平俊「石垣市立図書館づくりにかかわってーバス文庫からの出発」257/与儀文子「竹富町学校図書館の現状と課題」263
【Ⅳ】文化を束ね広げる
上間常道「戦後沖縄の出版事情」268/武石和実「復帰以降の古書業界と古本屋私史」293
【資料】
新城安善「沖縄の書誌(解題)」303、「沖縄県図書館年表」317、「沖縄県の図書館等一覧」307
伊藤松彦「あとがき」325/「執筆者一覧」331


写真右からー大城宗清氏、伊藤松彦氏、新城栄徳/2000年11月5日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評/『沖縄の図書館』戦後55年の状況をパック」
〇私が沖縄図書館協会に特別会員B「沖縄関係資料室(大阪)」として入会したのが1974年であった。そのころは大城宗清氏と山田勉氏が囲碁を打っておられた中に割り込んでも大阪から来たということで歓迎してもらったもので、大城氏にはその編著『戦後沖縄の文献解題』に署名してもらったりさまざま面倒をおかけしたと思うが記憶にない。
 山田氏には琉大図書館の郷土資料を職員並みに扱わせてもらったり、同志・伊佐眞一を引き合わせてもらった。この図書館人脈の延長で新城安善、宮城剛助、仲西盛秀、富島壮英らの諸氏を知った。
 復帰のころ、私は大城精徳氏の『琉球の文化』誌を手伝っていた。大城氏は首里高の社会科の教師も務められ、雑誌『青い海』を創刊した津野創一氏も教え子であった。琉球政府立博物館にもながく居られ、私はその博物館人脈の延長で宮城篤正氏を知ることになる。宮城氏が博物館を辞められて浦添市で図書館設立準備の忙しい中を訪ねると、わざわざ図書館敷地に案内され構想を語ってくれた。


 前述の交流の結果として、大阪に居ながら沖縄資料がどこにあるかが分かるように手元には県内の図書館の資料案内や目録類がそろった。古本屋からは上野図書館『琉球文献目録稿』、成城大学民俗学『南島文献資料目録』などを入手し補強もしている。県立図書館の展示目録『沖縄学の萌芽展』『八十年の歩み展』には資料協力者として私の名前も出ている。本書も居ながらにして沖縄図書館界とそれを取り巻く戦後五十五年の状況が分かるようにパックされ活用しがいがある。
 昨今、手軽に「知」を連発する痴の中にあって、大田昌秀氏の本書に寄せた「21世紀にむけて知の大道を拓く」は、コピー機がない時代に新聞を一枚一枚めくって記事をノ⋯トに写し沖縄の新聞史をまとめた大田氏の体験で、本書に花を添えるとともに依頼した編集委員会(図書館人)の見識をも示している。

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