06/28: 世相ジャパン 2026

大濱 聡·月23日
■石川文洋さん(報道写真家)が本日(23日)未明、悪性リンパ腫のため長野県内の病院で亡くなられた。88歳。
■半年前あたりから、具合を悪くされて入院中、外部やメディアからの接触もNGとの情報を耳にしていましたが、訃報にはショックと悲しい思いを抱くばかりです。
■7年前、宗谷岬~那覇間「3,500キロ日本縦断歩き旅」の途中の〝嘉手納みちの駅〟から北谷町の宿泊先のホテルまでの約8キロを同行し、夜に居酒屋で杯を重ねたことが思い出されます。
■40年余のご厚誼に感謝し、心からご冥福をお祈りいたします。合掌。

8月21日 『日本経済新聞』




8月15日 パレット市民劇場「琉球の歴史文化と首里城」
☆後田多敦神奈川大学教授/小那覇安剛新聞記者/上里直司那覇市市会議員/大田朝章大龍柱を考える会代表 コーディネート・崎浜靖沖縄国際大學教授 総合司会・呉屋初子
〇後田多敦さん、崎浜靖さん
〇高良勉さん、海勢頭豊さん

大濱 聡■8.15、那覇で開催のシンポジウム「琉球の歴史文化と首里城」(主催・同実行委員会)へ。
相対向きか正面向きかで意見が対立している大龍柱や(技術検討委の判断で暫定的に相対向きに設置されたが)、国の所有になっている首里城の県への移管問題などが議論された。
■後田多敦神奈川大学教授(近著『首里城の大龍柱 向きをめぐる史実と政治』)によれば、「1877年に撮影された正面向きの写真や歴史研究によって正面向きに確定している。それを相対向きにしたのは政治の問題だ」という。
大正末期に「沖縄神社」が創設されると、正殿は拝殿とされ、大龍柱も相対向きに改竄、今回の復元で3度目の改竄だ、それらは日本の琉球・沖縄対策、同化の手段として利用されていると主張している。
■移管問題については、2012年の「復帰40周年記念式典」で野田首相(民主党)が「平成30年(2018年)度をめどに沖縄県へ移譲することとし……」と県への移譲を明言している。歴史にifはないが、民主党政権が続いていれば首里城は沖縄県の所有になっていたかもしれない。



8月11日午前、ユンタンの孫たちと沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)で遊ぶ、金城美奈子さん。ジュンク堂書店で文具、ジュンク堂の森本浩平さん

大濱 聡 ·8
ー10 ■8.9「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」における鈴木史朗市長の長崎平和宣言。「核抑止論は、極めて危うい。核兵器は『必要悪』ではなく『絶対悪』であり、人類と核兵器は決して共存できない、と」■長崎勤務時代の4年間、式典会場で生中継に立ち会ったが、これまでの中でもかなり踏み込んだ表現ではないだろうか。■「『平和の原点は、人間(ひと)の痛みがわかる心を持つこと』これは吉田さん(被爆者・故人――引用者注)が被爆体験を語るとき、いつも伝えていた言葉です。相手の立場や苦しみに心を寄せ、分かり合おうと努力することは、対立や衝突を避けるための大事な一歩となります。それが人と人、国と国、それぞれの場面で信頼を育み友好関係を築く礎になるのです」
■しかし、悲しいかな、沖縄、広島、長崎の声は何年かかっても日本政府には届かない。なぜ国は当事者、現地の訴えに応えないのだろうか。


7月23日、古美術なるみ堂の翁長良明さんに同行して沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)へ遊びに


7月1日、第70回(2026年度)沖縄タイムス賞の贈呈式と祝賀会(ザ・ナハテラス)。西村貞雄さんを囲んで

2026.8.8 沖縄タイムス
06/25: 世相ジャパン 2026
06/21: ニシムイの美術村




父の日 6ー21 父の日/ニシムイで孫と遊ぶ、末吉陶房ー末吉安允氏
ヒデの沖縄日誌 2017-10 ニシムイ/末吉陶房ー末吉安允氏、ヒデ
1996年3月 『新生美術』11号 「座談会・ニシムイの美術村あれこれ」星「仲嶺康輝さんの話やその記録では、昭和初期の東京の下落合には、有名な画家たちのアトリエがあって、その中に愛順さんは美校時代、一軒家のアトリエを借りていたそうですね。・・・」
1948年 アクトン少佐、松岡政保、山田真山、屋部憲、名渡山愛順ー首里ニシムイ建設で米軍部長をまじえて話しあう松岡工務部長→1979年3月『沖縄戦後史 アメリカ世の10年』月刊沖縄社
2016年1月 沖縄県立博物館・美術館『ニシムイ 太陽のキャンバス』
2015年6月13日~2016年3月13日 沖縄県立博物館・美術館「ニシムイ 太陽のキャンバス」



写真ー金城安太郎氏と石垣さん親子(末吉麦門冬娘)

右から新城栄徳、金城安太郎氏、ハンナ博士
県立博物館・美術館×県立図書館 コラボ企画「ニシムイ展 太陽のキャンバス」関連展示、『金城安太郎』琉文手帖1号もあった。
2016年2月2日~2月7日 那覇市民ギャラリー「那覇市収蔵品展ーニシムイ関連と那覇市出身作家」


1984年頃、私は沖縄の近代美術史に関心があって、金城安太郎さんや、具志堅以徳さんに聞き書きをしていた。その時に浦崎彦志氏がニシムイについて調査していることは知っていた。当方は現代美術には関心が薄かったので、画廊などで浦崎氏に会っても余り会話はしなかった。それでも少しは雑談で彫刻などの話は記憶に残っている。本書には写真が多用しているので、写真・現代美術史ともなっている。惜しむらくはキャプションの無いのが多い。これは沖縄県立美術館の学芸員の宿題になっている。
2015年6月 浦崎彦志・仲井間憲児『わが心の美術村 にしむい 幻の西森美術館』浦崎彦志
写真左から画家の久場とよさん、画家の金城安太郎氏、芭蕉布の平良敏子さん、著者で医者・画家の浦崎彦志氏、画家の城間喜宏氏



2024-11-15
06/08: 世相ジャパン 2026









6月7日 若狭公民館「第63回 粟国郷友会定期総会」舞踊/上原としえさん、糸数君江さん(玉城流扇寿会)、伊佐和子さん。ゲスト/坂井浩二那覇市議会議長

大濱 聡 ·6-7
■東京沖縄県人会が創立70周年を迎え、6日にホテルニューオータニ東京で記念式典&祝賀会が開催された。会員数が千人を突破したという。まことにめでたい。おめでとうございます。
私も3度の東京勤務(15年)で末席を汚していた時期があった。
■1980年、県人会が初めて取り組んだ第1回沖縄フェスティバル「‘80沖縄でーびる 討論・芸能・映像の11時間」は沖縄から取材に出向き、11時間の要所をロケ、ダイジェストを放送した。
東京転勤になっていた1982年の第2回は、スタッフとして舞台進行を担った。
■創立30周年(1986年)の記念誌に一文(「東京で沖縄を見つめていたころ」)を書かせてもらったこともいい記念になっている(拙著『我が内なる沖縄、そして日本~ある放送人が見つめた昭和・平成史~』所収)。あれから40年……。
■100年目指して、ますますのご発展を祈念しています。





仲松 健雄 ·一般社団法人東京沖縄県人会創立70周年記念 第70回定時総会・記念式典・祝賀を、6月6日にホテルニューオータニ東京「芙蓉の間」で開催????約400名の方々にご参加いただき、大盛況でした.






