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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1913年1月1日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉安恭)「俳諧 牛の國」
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1914年1月3日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉安恭)「俳諧 牛の國俳諧」「毎日二句」

1914年1月5日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉安恭)「続俳諧 牛の国」「毎日二句」
1914年1月7日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉安恭)「続俳諧 牛の国」「毎日二句」


1913年2月8日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟」
1913年2月11日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟ー章魚ゆでて爺は風呂を上けり」
1913年2月13日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟ー火事」
1913年2月15日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟ー火事 山火事」

1913年2月19日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟ー詠史 猪早太」

1913年2月20日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟ー居候」

1913年2月26日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟ー泥濘」




1913年3月2日『沖縄毎日新聞』獏族「川柳 車上偶吟ー巫女」




1913年3月5日『沖縄毎日新聞』玉代勢法雲「病室より」①

1913年3月6日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉麦門冬)「俳句に現はれたる巫女(1)」
○時節柄沖縄のユタとは少し異なれども本土の巫女一名神子それも我俳諧の畑に出てたるものを一寸紹介して見よう。序に注釈まで附け加えて置く

河内路や東風吹き送る巫女が袖       蕪村
河内路と云ふと何だか暖かい野道を連想する一望尽きざる長い道が通って所々にポッチリと菜の花が咲きこぼれている。野川の薄氷も漸う融けかかり一体の空気が裕ったりと落着いた気分で道行く人の足の歩みも自づと緩りになるこの背景を前にして芝居なら花道から白衣の長い袖をひるがえして若い巫女が東風に吹き送られて出て来る袖がひらひら裳裾がほらほら丁度土蜘の狂言に出る巫女のやうな装ひであらう薩張りした清い感じのする句振りである作者蕪村は巫女が好きだったと見えて此外にも二三種作ってある。

1913年3月7日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉麦門冬)「俳句に現はれたる巫女(2)」
○春風や廻廊下る巫女か袖         満米
今しも神楽堂で神すずしめの朝神楽が終わり古香人を襲ふて幽然たる社殿を廻りて更に続く廻廊を小忌衣の袖長う垂れシュツシュツと衣すれの音して下り来るみこの姿は端厳なるかなかかる時けにや彼女は人間の物にあらず白鳩のやうな神の使いのやうな思ひに人をして振り仰いて恍惚たらしむ春風吹いて普き洛陽の天地この境にこの景あり。

1913年3月8日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉麦門冬)「俳句に現はれたる巫女(3)」
○巫女町によき衣すます卯月かな      蕪村
卯月は旧暦の四月初夏の候である目に青葉山ほととぎす初鰹は江戸趣味であるがこれは京都の方邊の閑静なとある町この界隈はミコの住家が多いのでミコ町の称もある位夜は卯の花月夜にホゾンカケタカ杜鵑の聲も聞こえる所であろう。夜半亭蕪村●日この町をブラリと通りのけようとして兎ある門に逢着した卯の花の垣越しにフト見入るれば此処がミコの家であって丁度一人の女が着物を洗濯してまさに竿に通す所であったそれが清い感じのする綺麗な衣であった主の齢は五十許り打見にはまだ若い卯月の一日場所俳味津々として尽きず遂に村翁薬籠の物となった。



1913年7月5日『沖縄毎日新聞』南村「禁煙日誌ー煙草を吸い始めたのは確か16才の頃であったと記憶する・・・」
1913年7月8日『沖縄毎日新聞』南村「禁煙日誌ー中学での昼食時間は僕等喫煙党の最も楽しい1時間であった・・・」

1913年7月9日『沖縄毎日新聞』南村「禁煙日誌」
1913年7月10日『沖縄毎日新聞』南村「禁煙日誌」
1913年7月23日『琉球新報』松濤「菊栽培法に就いて」(1)
1913年7月24日『琉球新報』松濤「菊栽培法に就いて」(2)
1913年7月25日『琉球新報』松檮濤「菊栽培法に就いて」(3)


1913年7月27日『琉球新報』松濤「菊栽培法に就いて」(4)
1913年7月29日『琉球新報』松濤「菊栽培法に就いて」(5)
1913年8月1日『琉球新報』松檮濤「菊栽培法に就いて」(6)
1913年8月5日『琉球新報』松濤「菊栽培法に就いて」(7)
1913年8月6日『琉球新報』松濤「菊栽培法に就いて」(8)
1913年8月8日『琉球新報』松濤「菊栽培法に就いて」(9)

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 1914年11月 同人誌『五人』末吉麦門冬「芭蕉の恋ー(略)彼等二人の間に男色の関係のあったといふことは今日から見る程不自然なものではない。鎌倉以来我国には衆道といふことが武家間には非常に盛んであった。足利義政公は  常盤山とはにはさかずいはいはつつじ/春の日数をたづねてもとへ  云々と云はれた。南浦文集に昔々物語を引いて曰く  昔は衆道といふ事有て一四五六、七八の男に生まれ付よきは勿論大躰の生付にても念者といふもの持たぬ若衆は一人もなし。云々(以下略)」


写真前列右から池宮城積宝、山口全恭、渡久地政憑、野村安茂。後列右から末吉麦門冬、嘉手川重利、當眞嗣合、屋嘉宗恭、仲吉良光

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末吉麦門冬

左から真境名安興、伊波普猷、末吉麦門冬(末吉安久画)

石川正通□先輩追慕ー布袋腹に酒杯乗せて踊りたる麦門冬の珍芸懐ふ

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
最近、東京の島袋和幸氏から近著『沖縄の軌跡ー沖縄烽火のネッワーク』が贈られてきた。島袋氏が最初に書いた『青い海』(1983年6月)の「沖縄烽火考」も収録されている。私は『青い海』で島袋氏を知り東京に会いにいった。1975年9月29日、東京で沖縄史を記録する会が発足した。81年5月、機関誌『沖縄民衆史を歩くー記録と発掘』が創刊された。82年1月発行『沖縄民衆史を歩く』第2号に島袋氏は「沖縄烽火考」を書き、書評『むらの輝ける日々』も書いている。82年9月発行の第3号に氏は「戦後沖縄史研究の手引書」を書いている。
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1983年11月、島袋和幸宅を事務局に沖縄民衆史の会機関誌『沖縄民衆史』の第1号が発行された。島袋氏は「上里春生のこと」を書いている。島袋氏は85年1月から個人紙『沖縄の軌跡』を発行するようになる。『沖縄民衆史』第2号は85年3月発行で島袋氏は「南洋の足跡ー沖縄県人の生きた島」を書いている。同号に『琉文手帖』の広告がある。第3号の発行は86年3月、私が提供した人類館事件の写真が表紙に用いられ、島袋氏は「人類館事件と中国」を書いている。同号にも『琉文手帖』の広告が載っている。86年12月発行の『沖縄民衆史』第4号に島袋氏は「苦難の上京美酒『泡盛』」を書いている。

1986年、このころ島袋氏は故郷・伊江島と沖縄島との架橋運動も展開している。氏の故郷関連の著作でまとまったものに1985年発行の『浮亀山物語』がある。2009年11月には『伊江島人(チュ)ミーチリサンダーの一生』を発刊。1996年1月、氏は永年の宮里良保、安元実発、佐々木笑受郎の調査(聞き書き)をまとめ『沖縄・ある編集者の記録』を出している。これは沖縄の新聞書評で新川明、伊佐真一が取り上げた。2000年4月に弁護士・前島清三郎のことをまとめ『琉球の事件』を出版。これは鹿児島の山下欣一氏にも送った。01年には詩人・上里春生、国頭三奇人らをまとめ『沖縄・山原の二才達』を出版。

2007年1月、島袋氏は『沖縄タイムス』の唐獅子を担当、聞き書きボランティアについてj書いた。葛飾区の聞き書きボランティアの会の一員として3月には『ボランティアのための聞き書きの手引き』を出した。今回は新たに「沖縄・烽火ネットワーク連絡会」(〒124-0011東京都葛飾区四つ木4-18-10 電話03-3695-9276 携帯090-4920-6952)を立ち上げている。

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