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Category: 04-書の森
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2008年8月『月刊広告批評』328号□梅佳代「meets うちなーのじいちゃんさま 山田實 屋良文雄 治谷文夫」マドラ出版

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梅佳代さんと山田實さん/2010年『SWITCH』「HY 今日、また、繋がる想い」(写真/山田實、垂見健吾  文/川口美保)スイッチ・パブリッシング(東京都港区西麻布)HYと山田實さん



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1900年10月20日ー『東京人類学会雑誌』加藤三吾「沖縄の『オガミ』并に『オモロ』双紙に就て」
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写真左からー新城栄徳、上間常道氏、山田實さんの旧知の大城立裕氏、石野朝季氏、岡本惠徳氏、奥が喜納勝代さん。



2011年2月15日~20日ー日本中国友好協会60周年記念企画「漫画展ー中国からの引き揚げ~少年たちの記憶」沖縄県立博物館・美術館



2011年1月26日『琉球新報』
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太陽(太郎)の塔の前でポーズする新城さやか

□イザイホー・1924年9月ー『沖縄教育』又吉康和「久高島印象記ーそれは婦女の貞操を神の名に依って検査することである。即ち12年目毎、即ち午歳の8月10日から3日間厳粛に施行される、此の儀式をイザイホーと称して居る。」/1930年8月8日『沖縄朝日新聞』豊平良顕「憧れの離島訪問(4)ー『イザイホー』!それは世界何処探したって無い珍無類の奇習である。」/1936年9月30日『大阪朝日新聞』島袋源一郎「久高島の奇習 午年に貞操試験」


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写真ー鈴木勝雄氏(左)、新城栄徳

 『琉球新報』2008年12月22日ー1872年の琉球藩設置から今日までの沖縄の近現代に注目し、沖縄出身の作家と日本から沖縄に向かった作家を織り交ぜ、それぞれの想像力の軌跡をたどりながら未来の創造活動を展望する展覧会「沖縄・プリズム 1872―2008」(東京国立近代美術館)が21日に閉幕した。同展を企画した同美術館主任研究員の鈴木勝雄氏に話を聞いた。
(聞き手・小那覇安剛)
   ◇   ◇
 ―会期中の反応は。
 観客は時間をかけ、丹念に作品と資料を見てくれた。あまり紹介されることのなかった近現代の沖縄に関心を持つ人が来場しているという印象だ。
 沖縄からの反応も、近現代に真正面から向き合った試みであり、作家の表現行為を通して日本、沖縄の近現代があぶり出されたとする評価が多かった。一方、写真・映像作品の多さに対し、絵画・彫刻の点数を増やせなかったのかという声、1960年代から70年代の画家が落ちているという感想、反応がいくつかあった。
 ―展示会の企画意図とは。
 これまでの展覧会は近世以前の琉球王朝の美術工芸が中心であったのに対し、近現代の沖縄が表現をつくり出す源泉・磁場であったもかかわらず、そこに目を向けた展覧会は存在しなかった。沖縄の近現代が見えてこないことへの違和感が「沖縄・プリズム」の最初の動機となった。
 沖縄に引き寄せられ、表現を紡ぎ出した作家は多い。沖縄の作家もいる。両者が相互に影響し、刺激し合い、時には衝突するという相互性に注目することで展覧会ができるのでは、という思いを抱いた。沖縄と本土の作家を分け隔てることなく、両者のダイアローグ(対話)、影響関係、衝突、摩擦に注目して展覧会をつくっていこうとした。
 ―展覧会において、ヤマト対沖縄という構図をどうとらえたか。
 この展覧会は沖縄が日本の版図に編入されたところからスタートしている。近現代に注目すると、ヤマトと沖縄の政治的関係の中で、視覚的表現の過程にも視線が持つ権力関係がどうしても介在してくる。ともするとヤマト側の視線で沖縄を占有していく力の作用を持つことがあると思う。ヤマト対沖縄という構図は、沖縄の現実を把握するためには有効な構図だ。
 一方、過去にアプローチする場合、ヤマト対沖縄という構図を意識しながらも、作家個人の想像力に目を向けて、時代の制約・限界と可能性を確かめていくことも必要ではないか。この構図がなくなるわけではないが、それだけでは語り尽くせないニュアンスを生み出していく個人の想像力の可能性を意識し、沖縄から生み出された表現の過去と現在、あるいは未来を見ていこうというのが、この展覧会での私なりのスタンスだ。
 ヤマト対沖縄の対立構図が展示会全体を貫いているというのも一つの見方ではあるが、それを意識しながらも、この構図を超え出る個人の想像力への期待、信頼を提示したつもりだ。沖縄に向けられたまなざしを反省することを含めて、百数十年という近現代の歴史を受け止めながら、なおかつ表現行為が新しい展望を切り開いていく可能性について、観客も考えてくれたと思う。
 ―沖縄を「癒やしの島」とするヤマト側の視線に対する沖縄側の反発もある。
 沖縄に対し、癒やしのイメージしか求めないような傾向があるかもしれないが、今回の展示会で選んだ作家は、近代という時代に対峙(たいじ)しようという意思を持った人が多いと思う。沖縄の風土が持っている魅力は当然ある。が、それだけではない。
 沖縄の歴史や日本との関係、そこで出逢った人間関係の総体が沖縄に磁場を生んでいる。本土から沖縄に向かった作家は、対立構図の中で自分に何ができるかを考えざるを得ない。自分のヤマト性を考え抜いた上で作品をつくりたいと思う作家がいた。そうやって人が出会う場所だということが沖縄のポテンシャルだ。
 確かに本土からの視線のなかには、沖縄を消費しようという部分がある。しかし、この展覧会で紹介されている作品すべてが、沖縄を消費的なまなざしで見ているわけではないだろう。
 ―批判的に語られがちな「エキゾチシズム」(異国趣味)にも着目した。
 ある種の差異があるから表現は生まれてくる。「違いがある」ことが認識を狭める方向に形づくってしまうことがネガティブなエキゾチシズムだとするならば、違いがあるからこそ、作家にその場所に向かい、全身をかけていくというのは、ポジティブなエキゾチシズムの有様ではないか。
 ヤマト対沖縄という構図の中で、本土が持つネガティブな部分は批判的に検証しなければならない。しかし、ポジティブな部分もある。外来者が沖縄と摩擦を生みながら、それでも表現を紡ぎ出す可能性は確保しておきたい。展示会で、それをどういう形で言えばいいのか悩んだ。非常にきわどい論議だが、お互いの違いを認識した上で、その違いの中に新たな表現の可能性を発見していくことにかけるしかないと思った。       
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Posted by: ryubun02
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左『琉球大観』(表紙・石野隆)/1916年4月『南島の自然と人』(表紙・山田真山)三笑堂書店

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