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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
那覇市歴史博物館で写真家・山田實さんのギャラリー講座「𤘩宮城昇の生きた時代」があった。写真家・𤘩宮城昇は1906年7月14日に那覇上之蔵で生まれ、1945年1月27日に東京空襲で戦死した。講師の山田さんは話を始めるにあたって本26日は沖縄戦が始まったとし、戦没者(沖縄人15万人、日本兵9万人、アメリカ兵1万2千人)や東日本大地震で亡くなられた方々への黙とうで講座は始まった。山田さんは酷寒のシベリヤで強制重労働をさせられた体験を持つ。日本にアメリカ中型爆撃機B25の16機が1942年4月18日、東京、名古屋などの都市に爆弾を落とし死者45人出したのを皮切りに、1944年の10,10那覇大空襲は668人が犠牲。敗戦までアメリカ無差別大量殺戮が続き全国で76万人の国民が犠牲になった。










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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

沖縄の近代教育130年
 今年は沖縄のいくつかの小学校で、創立130年記念事業があるようだ。1881年(明治14年)沖縄に小学校が設置された。日本の教育制度は1872年(明治5年)8月3日の学制発布で始まったが、沖縄はそれから9年の遅れだ。沖縄の統合は1879年(明治12年)3月27日の廃藩置県令によるが、それは廃琉置県という近代日本国家初の植民地の獲得であったといえる。中国との朝貢関係にあった沖縄では士族たちの抵抗もあり、入学拒否もあった。1880年(明治13年)には、アメリカのグラント元大統領の斡旋で、琉球列島を分割して、南島(宮古八重山)は清国に、沖縄本島(中島)以北は日本に帰属させるとの分島改約案で妥結したが、清国の都合で締結にいたらず、沖縄の統合は日清戦争での日本の勝利により決着する。それまでは沖縄では旧慣温存政策がとられた。しかし、教育は急がれた。日本国民としての意識醸成、教化、風俗改良などが統合には必要だったわけだ。それは沖縄の歴史・文化を否定する流れでもあった。以来、方言札、三線や琉歌のなど琉球芸能への偏見と蔑視政策が続き、人類館事件に至った。異国情緒あふれる島・沖縄のイメージは戦後まで続いた。沖縄の近代教育は、まず学校で沖縄の子どもたちに劣等意識、卑屈さを育てることとなった。歴史家比嘉春潮は、教員時代に「沖縄人に沖縄の歴史を教えるのは危険だ」と聞いたと伝えている。日ロ戦争を経て昭和の日中戦争のころ、中国系の後裔の久米村出身の若者が「チャンコロ、チャンコロ」といって中国を馬鹿にしたら、長老が「ワッターウヤファーウジどぅやんどう(私たちの祖先だぞ)」とたしなめたという笑えぬ話もある。沖縄の近代教育はいわる皇民化教育と総括されているが、にもかかわらずその結末が、沖縄戦中の日本軍による虐殺や自決強要があり、戦後27年間の米軍統治下への分離となった歴史も忘れてはなるまい。
現在では、沖縄ブームともいえるほどに沖縄の人気が高い。三線の日、しまくとぅばの日の条例化など、沖縄差別や異民族視されることをむしろ地域個性として強調するまでになっている。その底流にあるのは、米軍統治や日米両政府に抗して自らの力で歴史を克服し成長してきたことへの自覚自負、自決権への意志である。それを沖縄のマグマという人もいる。沖縄の近代教育は、こうした苦闘の歴史にこそ意味がある。小学校創立130年記念を単なる祝賀行事に終わらせることなく、こうした底の深い沖縄の教育史を振り返り、共有する機会ともしたいものだ。


3月11日、東北太平洋で震度9,0の大地震が発生、未曾有の大災害をもたらした。1000年に一度のプレートの崩落による大地震と大津波。その名称は今なおまちまちだが、テレビや新聞が伝えるのは、実に身震いがするほどの惨状だ。少し前のニュージランドの地震での留学生たちの犠牲に心ふるわせていたばかりなのに、相次ぐ悲惨な報道を見ながら、私たち夫婦は体調を崩してしまった。
今なお被害の実態は明らかではない。死者・行方不明者は3万人を超え、被災者は35万人。避難所にいる方々、今なお孤立している方もいる。生存率は72時間を超えると激減するといわれるが、無情にも寒波や降雪も続いている。余震も継続し被災者には心休まる暇もないだろう、心労も疲労も極限にある。それに加えて福島原発事故の不安が続く。無事だった沖縄にいて、ご冥福と復旧をひたすら祈ることしかできないのは心苦しいばかりだ。
しかし、この震災には、当事者や自治体などの必死な救援活動とともに、実に多くのボランティアや国外からの支援がある。フランスでは「私たちも日本人だ」という連帯の言葉があった。アメリカでも「頑張れ日本、あきらめるな」・「よき友」、オバマ米大統領やイギリス首脳は「あなたと共にいる」、中国は「加油」、韓国、ロシアもそれぞれに応援してくれている。国際政治のいろいろな問題を抱え、対応もままならない日本。しかし、災害についての関係諸国の支援には、人間としての温かい思いが伝わってくる。実にありがたいことだ。それは、災害にうちひしがれている人々への大きな勇気、希望、慰めでもある。
しかし、それだけではない、なぜかそこには未来を感じさせ勇気がでるものがある。災害を通じて、人間が人間としての共通の痛みや感情、絆を一段と深めている。このことは、大げさになるが、人類の連帯感、人類の未来への希望を感じるのだ。「人間は美しい、人間が人間であるかぎり」との言葉もある。
それが次の地球市民の姿でありたいと思う。


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Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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新聞紙上で文藝評論を展開している平敷武蕉氏から『非世界』が贈られてきた。平敷氏は『天荒』の同人でもある。

□『非世界』〒904-2161沖縄市字古謝1044☎FAX098-934-2006平敷武蕉
□『天荒』〒904-0105沖縄県中頭郡北谷町字吉原726-11☎FAX098-936-2536野ざらし延男

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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3月23日ー放射能騒ぎの東京から奥間政作氏が大震災前からの予定していた帰省で帰沖。3時すぎ那覇市歴史博物館で志村学芸員と共に会った。そして写真家の山田實氏のところに寄った。平和通りの古美術なるみ堂に寄ると店主の翁長良明氏、画家の新城喜一氏が居られた。六時前に沖縄文化の杜で金城さん、謝花さん、仲里さん、國吉さんと会う。元琉大教授の西村貞雄氏も居られた。奥間氏は2006年7月に早稲田大学で開催された「沖縄の壺体 國吉清尚」展にも関わったこともある。後、私の家を案内した。

03/13: 知念栄喜

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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1970年4月ー知念栄喜『詩集みやらび』仮面社/1997年7月ー写真中央・知念栄喜氏、左・飽浦敏さん、右・新城栄徳

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1970年12月19日『サンデーおきなわ』「沖縄人国記ー詩人・知念栄喜」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1940年2月14日『沖縄日報』「本県初の女運転手」


1940年2月29日『沖縄日報』「垣花の石油倉庫発火」
Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
 ニュージーランド地震も治まらないうちに今日も那覇市歴史博物館のテレビ(16時半)で津波警報のテロップが流れていた。続いて東北大地震のニュース。博物館を出ると『沖縄タイムス』『琉球新報』の大地震の号外が配られている。

11日、文化の杜に行くと、金城さんが岡本太郎の件で今日東京に出張しているという(結局用事は出来なかった)。テレビでは東京の大混乱状況を報じた。午後2時20分に石原慎太郎東京都知事が知事選に出馬すると云った30分後に東北・関東大地震が発生している。現実の大問題で歴史的文化的な「琉球学」は暫し休止しないといけなくなった。かわり中古古書店で科学雑誌を買い「地球学」を総括する

12日、『沖縄タイムス』『琉球新報』も全紙面的に「震度7 大津波」「宮城震度7 大津波」を報じていた。那覇市歴史博物館で輝広志氏が渡辺美季さんは元気という。町や村が壊滅したところもある。今日の5時ごろのNHK、民放の記者会見で枝野官房長官が福島第一原発の放射能漏れにかなり割いて事務的に話し、被害状況については少なかった。あろうことか国民・マスコミには文句をつけていた。続いて原子力安全・保安院という者が「あのあのー、えー」とか奥歯に物が挟まった言い方で、放射能漏れを枝野長官とは食い違う会見をしていた。またカン首相がヘリコプターで被災地と福島原発も視察している状況をテレビで流れていた。事は緊急を要する、呑気に党首会談をする暇など無いはずだ。直ちに被災地の現場近くで臨時の総理官邸を設け被災者救援の陣頭指揮に立ちリーダーシップを発揮すると思ったが所詮無理な注文であった。

13日、『沖縄タイムス』は「死者・不明1800人ー宮城1万人安否つかめず」「福島原発炉心溶解ー避難した3人被ばく」、『琉球新報』は「死亡・不明1800人超ー1万人連絡取れず」「福島原発の建屋爆発」と大きな見出し。この沖縄の新聞は東日本の地元紙と間違うほど今日も全紙面的に東日本大震災の記事で埋め尽くされていた。テレビも全局が1日中大震災のニュース。問題はテレビが全局が同時にカン内閣の政府発表を垂れ流していることだ。

14日、昨晩からのテレビを見ると、被災者情報より東電原発のニュースばかりが目立った。思うのはカン内閣の総理以下、枝野官房長官、原子力安全・保安院も東電の代弁ばかりで使い走り役に終始、テレビの評論家も原子力発電肯定者ばかりであった。先日のカン総理の被災地視察には原発事故も態態見ていた。本日は内閣と一体で、いきなり停電だという。避難所の被災者は「隣町のパチンコやのネオンはこうこうとしているのに何故わたしたちが停電で不安な目に会わなければならないのか」と発言。この停電の責任は誰が取るのか。例のタカ派石原東京知事も影が薄いがどうしているか。翌日の『沖縄タイムス』『琉球新報』にタカ派石原都知事が「『津波は天罰だ』」と発言したとある。テレビは本日からコマーシャルが流れている。

15日、『沖縄タイムス』は「核燃料が全露出」、『琉球新報』は「核燃料が完全露出」。新報・タイムスによれば、佐藤雄平・福島県知事が「東電・国は責任を持て」と強く要望したという。福島原発のメンテナンス会社社長の名嘉幸輝氏は伊是名村出身で「社員の疲労は限界だ」という。福島第一原発協力会社の社員・安田慶人氏も沖縄出身で地震のときは作業中で辛うじて非難したという。地震・津波から5日目だというのに食料、毛布、飲料水が届かない。届けるための車両のガソリンが無い。無い無いづくしでカン内閣の危機管理の無さここ極まるであった。そのくせ東電原発本社の対策本部は政治主導にしたという。

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02


2011年3月11日『沖縄タイムス』「魚眼レンズー山田實さん、𤘩宮城昇の力量を再評価」

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

1933年12月ー東恩納寛惇は一中時代の同級生の比嘉盛珍(元内務省土木技師)、島袋慶福(陸軍少尉)、漢那憲英(海外協会)、崎浜秀主(商校長)、糸数青盛(那覇市税務課)、及び旧友の照屋那覇市長、島袋二高女校長、志喜屋二中校長、胡屋一中校長、當間那覇市助役、城間恒淳、千原成悟、山田有登、古波倉博士、新嘉喜倫篤らの諸氏と、久米蔡氏堂に立ち寄り仲良くカメラに収まって後、波の上医院のよ平名さんの案内で那覇でも1,2位を争うという自慢のよ平名家の庭で談話に耽った。


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Category: 04-書の森
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Category: 99-未分類
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