Archives

You are currently viewing archive for May 2011
Category: 03-所感
Posted by: ryubun02

 今年は沖縄のいくつかの小学校で、創立130年記念事業があるようだ。1881年(明治14年)沖縄に小学校が設置された。日本の教育制度は1872年(明治5年)8月3日の学制発布で始まったが、沖縄はそれから9年の遅れだ。沖縄の統合は1879年(明治12年)3月27日の廃藩置県令によるが、それは廃琉置県という近代日本国家初の植民地の獲得であったといえる。中国との朝貢関係にあった沖縄では士族たちの抵抗もあり、入学拒否もあった。

1880年(明治13年)には、アメリカのグラント元大統領の斡旋で、琉球列島を分割して、南島(宮古八重山)は清国に、沖縄本島(中島)以北は日本に帰属させるとの分島改約案で妥結したが、清国の都合で締結にいたらず、沖縄の統合は日清戦争での日本の勝利により決着する。それまでは沖縄では旧慣温存政策がとられた。しかし、教育は急がれた。日本国民としての意識醸成、教化、風俗改良などが統合には必要だったわけだ。それは沖縄の歴史・文化を否定する流れでもあった。以来、方言札、三線や琉歌のなど琉球芸能への偏見と蔑視政策が続き、人類館事件に至った。異国情緒あふれる島・沖縄のイメージは戦後まで続いた。

沖縄の近代教育は、まず学校で沖縄の子どもたちに劣等意識、卑屈さを育てることとなった。歴史家比嘉春潮は、教員時代に「沖縄人に沖縄の歴史を教えるのは危険だ」と聞いたと伝えている。日露戦争を経て昭和の日中戦争のころ、中国系の後裔の久米村出身の若者が「チャンコロ、チャンコロ」といって中国を馬鹿にしたら、長老が「ワッターウヤファーウジどぅやんどう(私たちの祖先だぞ)」とたしなめたという笑えぬ話もある。

沖縄の近代教育はいわる皇民化教育と総括されているが、にもかかわらずその結末が、沖縄戦中の日本軍による虐殺や自決強要があり、戦後27年間の米軍統治下への分離となった歴史も忘れてはなるまい。現在では、沖縄ブームともいえるほどに沖縄の人気が高い。三線の日、しまくとぅばの日の条例化など、沖縄差別や異民族視されることをむしろ地域個性として強調するまでになっている。その底流にあるのは、米軍統治や日米両政府に抗して自らの力で歴史を克服し成長してきたことへの自覚自負、自決権への意志である。それを沖縄のマグマという人もいる。沖縄の近代教育は、こうした苦闘の歴史にこそ意味がある。小学校創立130年記念を単なる祝賀行事に終わらせることなく、こうした底の深い沖縄の教育史を振り返り、共有する機会ともしたいものだ。




Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
孫以上に接した島袋慶福翁
有力な一門の後に「家譜」記録の無い百姓(無系)のわが門中についてふれるのは気が引けるが、先の戦争で士族の「家譜」資料も大方消滅したので事情は同じだ。わが門中のことは『沖縄を深く知る事典』にも書いてあるので簡単にふれる。中学生のころ、近所に島袋慶福翁が居られ会話した。

島袋翁は1900年に沖縄県中学校を卒業、同窓に東恩納寛惇、漢那憲英などが居た。翁が1953年、神御清明祭の墓前で曹氏門中総代として読み上げた祭文の中に「曹氏4代、前平敷親雲上慶隆様が24歳の時検地のため粟国島に御出張になり同地御滞在中(約半年)に粟国にも御子供が出来て現在でも大へん子孫繁盛しておるように聞きます」とある。

島袋翁は私がその同門だと分かると孫以上に親しく接してくれた。私の祖父蒲はヤンバル船の船頭で那覇港から山原へ日用品を運び、帰りは材木やタムンを積んできた。父三郎は三重城近くで生まれた。55年前の今日、私は粟国島でゲンカラーオバーによって取り上げられこの世に出た。『沖縄タイムス』と同じ年になった。
Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
№23[2011年5月12日] 「直ちに影響があるとは?」
東日本大震災・福島原発災害から2カ月。この間ショック続きで心身ともに調子が悪い。被災者のことを考えると何ともだらしないことだと自戒するが、同じような方は全国にも多いのではないか。これまでも毎朝の仏壇の御茶湯は欠かさないようにしてきたが、今は復旧復興、原発災害の収束を真剣に願う日々が続いている。安全や平穏を祈るという心はこういうことだったのかと改めて思ったりしている。しかし、原発災害は深刻だ。何よりも放射能に関する情報公開が、細切れで、これまで見たこともない数字記号、専門用語など素人にはわかりづらい。記者会見での危険度についての説明がなく、一番肝心な点についての情報がない。

報道機関も何をしているのか、政府や東電の受け売りばかり、この点についての明快な報道がない。「直ちに影響がある状況ではない」という官房長官の表現などは、専門家によると「直ちに影響がある」というのは「放射能で焼け死ぬ」ということらしいから恐れ入る。放射能被曝の影響は、放射線の強度と被曝の時間、細胞の成長時期、個人の肉体的条件など、何年か経過してガンになったりするものだ。そうなら、将来を含めて安全だとか、大丈夫ということではないといけない。事態の深刻さを小さく見せようとする、責任回避の政治的表現らしいが、何という政府かと思う。また、政府の言う安全基準は国際的にみて非常識なものらしい。特に放射能の影響を受けやすい胎児、幼児、児童の安全確保は何にもまして重要だ。この基準を検討した内閣参与が、学者として、また自分のヒューマニズムからして許せないと抗議辞任した。

官房長官は研究者間の意見の違いだと言い訳をしていたが、辞任した研究者のいうのが国際基準だというから、自ら任命した参与の意見を無視したことになる。政治は事故や災害から国民の生命財産を守ることが最優先の責務だが、どういう料簡なのだろう。政権としての責任感がマヒしてしまったのか。その結果、政府や東電の情報操作が国民の不安につながり、ひいては国際的な不信を誘発して、国内外での風評被害を拡大してしまっている。放射能は、空気や潮流に乗って地球全体に拡散するもので、国際社会ひいては人類の未来を決定づける世界共通の問題で、当事国一国の災害の問題にとどまらない。ましてや一東電という会社の経営存続、一政権・内閣の存続の問題でもない。日本の政治のおかしさを思うと、不安は増すばかりで体調も悪化しそうだ。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
「脱清人」の子供たち

昨年、母校の粟国小中学校に中国産の石像「金次郎像」が寄贈されたという。戦前あった金次郎像は1937年に設置されたものだ。私は金次郎といえば本屋「安木屋」の軒先にあった像を思い浮かべる。沖縄尚学高校ロビーの金次郎像は35年に明視堂の山下悳三が那覇市内の8小学校に寄贈したものの一つであろう。山下は17年にも真教寺幼稚園児に飛行機などの玩具80個を贈っている。なお悳三の子息・山下育三氏は那覇市で老舗「鶴丸弁当」を経営している。

金次郎こと二宮尊徳はペリー来琉の3年後に70歳で亡くなった。尊徳の高弟・富田高慶が尊徳伝をまとめ『報徳記』とし天皇に献上され宮内省から刊行された。尊徳のもう一人の高弟に岡田良一郎がいる。その息子・岡田良平が文部大臣になり学校教科書に尊徳教材が増えることになる。明治神宮宝物館の尊徳像の作者は岡崎雪声という。1910年10月の『萬朝報』に二宮尊徳幼児の像とし「岡崎雪声氏は我邦10大徳教家の尊徳銅像を5百体に限り35圓で銀座生秀館より配布」とある。

岡田良平の実弟・一木喜徳郎は1894年に旧慣調査と人心動向の調査で来沖。その「取調書」に「藩政復旧ノ論徒タリ而シテ彼等黒党頑固党開化党ノ3派ニ分レ」と記して脱清者の一人として浦添朝忠を挙げる。新聞に「浦添朝憙直筆の扁額が見つかる」の記事があった。沖縄県立博物館の入口にある浦添朝憙書の扁額「徳馨」は平山敏治郎大阪市立博物館長が仲介役となって大阪天満宮から寄贈されたものだ。

浦添朝憙40歳のときの子が前記の浦添朝忠だ。朝忠は清国から帰ると奈良原知事を自宅に招き沖縄料理で懐柔。1910年の沖縄県立沖縄図書館の開館に際し蔵書『資治通鑑』『源氏物語』ほか七百冊を寄贈。首里の「孔子廟」存続にもつくした。義村朝義も清国福州で病没した父・朝明の蔵書八百冊を寄贈している。同じく中国で客死した幸地朝常の息子・朝瑞も中国から帰沖し「尚財閥」の商社「丸一」の支配人として沖縄実業界で活躍した。

沖縄県立沖縄図書館の1913年のころの二宮尊徳関連蔵書を見ると、修身及教訓のところに留岡幸助『二宮翁と諸家』、富田高慶『報徳記』、吉田宇之助『報徳記続編・済民記』、斎藤高行『二宮先生語録』などが見える。ちなみに図書館の蔵書印は「沖縄県立沖縄図書館」から「沖縄県立沖縄図書館之印」と変わり、昭和になって少し大きくなる。前出浦添朝忠の蔵書印は「浦添御殿」「壮猶堂」、義村は「義村御殿」「雲淵堂」などが捺している。
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
nullnull

2002年ー沖縄県産本の集い(琉球朝日放送キャスター・三上智恵さん、中村一枝さん、島袋彩子さん)/写真左からRBCアナウンサー島袋彩子さん、新城栄徳、中村一枝さん(『琉球新報』「南風」にエッセイを連載中)


 彼(仲井眞知事)はなにも、ひとり勝手に知事になったのではない。2006年には34万7303人が、2010年には33万5708人が、彼に票を入れているのだ。(略)そんな人物を選んでしまう見る目のなさについては、有権者の落ち度としか言いようがない。それはそのまま、この国を戦争に向けて転がしていく総理(アベ)を選び出してしまう日本国民の浅はかさと同じである。残念ながら、有権者の民度に見合う政治家しか選挙に当選しない。

 「大城敬人にいつも言うの。ダイナマイト持ってこいって、何するの、文さん?ダイナマイトでも腰に巻いて政府の前に行ったほうがいいんじゃないかって」これは映画の中での島袋文子おばあの台詞だ。/私は辺野古の海から天に向けて立ちのぼっていく龍のかたちをした雲を見た。文子おばあも、自分を乗せて天高く駆けていく龍を見たと話していた。
2015年6月 三上智恵『戦場ぬ止みー辺野古・高江からの祈り』大月書店 

» Read More