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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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1938年ー饒平名トヨさん他
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1957年4月27日『沖縄新聞』「働く婦人像ー薬剤師 長田とよさん」


久場とよ/表紙絵 1960年2月『今日の琉球』28号「てまり」

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山田實 撮影「久場とよ」

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写真左から、久場とよさん、新城栄徳、宮城保武氏

写真左から、洲鎌朝夫氏、久場とよさん、新城栄徳

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写真前列左から新城栄徳、グシ宮城セツさん、大見謝文さん。後列左から仲里依子さん、久場とよさん

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写真右から平良次子さん、久場とよさん、由井晶子さん、新城栄徳


2013年7月2日~7日 那覇市民ギャラリー「第31回 核も基地もない緑の沖縄を! 沖縄平和美術展」
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左が久場とよ「紀子像」


久場とよさん、新城栄徳(2013年8月6日・沖縄県立博物館・美術館でー豊見山愛さん撮影)



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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
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真喜志康忠・上間初枝琉舞道場で真喜志康忠優(左)に山之口貘の思い出を聞く新城栄徳
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1996年11月19日ー國吉眞哲翁告別式で芝憲子さんと話す真喜志康忠優

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2003年5月 眞喜志康忠宅で、右から平良リエ子さん、平良次子さん、康忠優、眞喜志康徳さん(撮影・新城栄徳)。

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写真右ー真喜志康忠優(左)、新城栄徳/浜比嘉島・あまみこ神の足跡を訪ねて(真喜志康徳・撮影)

1910年4月『スバル』落紅・末吉安恭「親の親の遠つ親より伝へたるこの血冷すな阿摩彌久の裔」

Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
新城栄徳「琉文(資料室運動)の軌跡」①
私は1983年7月の『琉球新報』の「落ち穂」に資料室運動を書いた。真喜志康忠氏の『沖縄芝居50年』に、17歳の大阪時代と昭和37年の関西公演のときの同氏の回想がある。その中に同氏が関西公演の折、京都の河井寛次郎宅に招かれた写真に、わが「資料室運動」の先達、西平守晴(現、大阪保育事業団常務理事)も写っている。西平は私に『八重山で真喜志さんの芝居を見たとき、舞台から芝居を演じながら観客席の私を見つけ、舞台が終わると連絡してきた』と真喜志氏のことを語った。
西平守晴は、1955年6月に大阪都島区の自宅に沖縄関係資料室を設けた。その頃の琉球新報関西支局には石野朝季が居た。石野は57年の琉球新報に「関西の沖縄地帯」「商都に生きる」(儀間比呂志、島晴美、宮城良凌、比嘉正子)、「集団就職の第一陣」で関西の沖縄事情を報告している。津野創一が琉球新報関西支局に赴任したのは61年で、西平と同郷(八重山)で親交を結ぶ。64年6月、西平は琉球結核予防対策資金造成のための「第二回関西沖縄芸能祭」を編成企画し成功に終わった。

琉球芸能
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(上)1998年 粟国島「むんじゅる節之碑」の前で、中央が伯父・玉寄貞夫(撮影・新城栄徳)

(中)1999年2月 沖縄県立博物館で、左から新城安善氏、新城栄徳、當間一郎館長

(下)2003年5月 眞喜志康忠宅で、左から平良リエ子さん、康忠さん。後左、新城栄徳、眞喜志康徳さん(撮影・平良次子)。


1967年暮れ、大阪沖縄連帯の会(デイゴの会)準備会が出来、翌年3月に結成された。島袋俊一、奥間錫、津野創一、下門清行、嘉陽宗博らが参加した。69年には沖青友の会が大阪城公園で発足した。同年、私は、大阪の梅田地下街でデイゴの会のポスターを目にして同会の事務所を訪ねた。「沖縄出身は居ないか」と言うと嘉陽宗博が連絡をうけてやってきた。その日は茨木市の四畳半もない嘉陽のアパートに泊まり青年運動について語った。後に嘉陽は大阪市港区に転居。そのアパートで『毎日新聞』「本土のなかの沖縄ー私設沖縄文庫」を読み沖縄関係資料室を知る。資料室を訪ね西平守晴と「資料室運動」で意気投合する。やがて西平から『津野君が沖縄の雑誌を創るというので応援してくれ』と津野氏を知る。□→沖青友の会/『月刊青い海』

1972年『青い海』2月号に沖縄関係資料室が紹介され私の発言「沖縄のいぶき、臭いのあるもの、すべてを(沖縄の)集収する。この小さな部屋に沖縄を凝集させる」を載せ新城栄徳君の抱負であるとする。だが、すべての沖縄資料を資料室に集めるということは限界がある。そこで関西にある公共機関(図書館・博物館)の沖縄関係所蔵資料の目録をヒマがあるとつくっていった。

大阪府立中之島図書館には、伊波普猷の著書は『古琉球』をはじめ、戦前のものだけでも18冊、大城立裕の著書は14冊ある。新聞は琉球新報、沖縄タイムスの両支社に10年分はある。沖縄県大阪事務所は前田朝助所長、次長の協力を得て主要な資料のリストはつくった。物産展のポスターなどの資料は豊富である。青い海大阪支社には県人会、郷友会発行の会誌、名簿資料がある。宝塚歌劇団にも沖縄芸能の録音、8ミリの所蔵300点がある。民博、日本工芸館にも沖縄民芸が豊富にある。

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
次第に寒くなってきました。今年もあとわずかです。
風邪などひかぬようお過ごしください。

 沖縄県庁の表札 
 来年は沖縄返還から四十年。新生沖縄県の発足に際しそのシンボルとして現在の輝石安山岩の沖縄県庁の表札が設置された。その表札の文字を揮毫したのは、今は亡き謝花雲石翁である。尚順、山城正忠とともに沖縄昭和の三筆と言われ、その正忠をして日本の五指に入ると畏敬させた雲石翁は、無欲一徹、九十三歳の生涯をひたすら書道研鑚に邁進した沖縄の誇る書道家である。
 揮毫を依頼した琉球政府最後の文書課長の故照屋栄一氏は、門札に雲石翁の雅号記載を進言所望した。ところが雲石翁は「沖縄県庁の表札は沖縄県民の合作だ」と言って聞き入れなかったと語っている。沖縄県復活は米軍の圧政にひるまず闘った県民みんなの努力の成果だからというのがその理由だ。そして、翁自らの思いを「葉和凄雨」の言葉に託したという。「葉は凄雨に和す―沖縄の木のように暴風雨は吹くにまかせよ。ひどい雨もやがて止み、雨に洗われた緑葉はまた輝く。復帰によってまた違った豪雨になろうが、その試練を沖縄の成長の糧にしよう」との意である。斎戒沐浴して一気に書いたという雲石翁の文字を、照屋課長は「石に彫ってみると、荒々しいというか、沖縄がこれからの荒波を乗り切る若さが表現されている」と評している。
 昨今の日本政府の問答無用とばかりの沖縄への対応を見るにつけ、沖縄県庁の表札にまつわるこうした事などをあらためて思い起こすのである。
(沖縄タイムス 茶飲み話 2011.12.10 掲載)


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



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12/12: 比嘉華山

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1912年2月ー太平洋画会の吉田博、石川寅治、中川八郎と丹青協会
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比嘉華山

写真・中央ー比嘉華山
比嘉華山作品






鹿児島で沖縄物産を扱う息子のために書いた絵

1903年ー大阪で開催された第五回内国勧業博覧会美術館に出品したもの


沖縄県献上衝立図(絵葉書)/上の原画

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比嘉華山

写真・中央に比嘉華山








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Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
1959年1月、『守礼の光』が創刊され守礼門が写真で紹介された。6月に宮森小学校にジェット機墜落、大惨事となった。東京の新聞雑誌は大きく報じた。このとき比嘉春潮は第三回沖縄タイムス賞受賞のため帰省中であった。8月には東京で沖縄記者会が設けられ、伊波普猷未亡人・冬子が帰沖した。11月1日、沖縄テレビがNEC日本電気の技術で誕生した。開局祝賀パーティは中継された。出席したのは當間主席、具志頭社長、安里立法院議長、国場組社長、崎山沖縄グラフ社長らであった。同年末の新聞は「街に映るテレビブーム」などと報じた。

1960年1月の『守礼の光』に外間清が「茶の間で見る世界ー沖縄テレビの話」を書いている。安里慶之助『放送余聞~草創期のラジオ・テレビ』に拠ると、ウチナー芝居が初めてテレビで放送されたのが1959年12月21日の劇団与座の時代劇「片割れ心中」で、あけぼの劇場からのナマ中継であったという。だがウチナー芝居はすぐスタジオ製作に切り替わった。7月、ラジオ沖縄が開局。開局記念に大伸座による「首里城明け渡し」が放送された。その舞台は『オキナワグラフ』8月号で紹介された。60年現在、私設のラジオ有線放送社は那覇に16社、地方に32社、ほかに公営の有線放送は10ヶ所にあった。

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1981年4月 福井県立美術館「堀田清治 大回顧展」
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昭和53年6月『美の沖縄』琉球新報社

□1941年11月来沖ー堀田清治(日展参与・新槐樹社代表)
堀田清治 ほった-せいじ
1898-1984 大正-昭和時代の洋画家。
明治31年12月6日生まれ。東京で高間惣七にまなび,大正11年故郷福井の北荘画会の創立にくわわる。15年帝展初入選。昭和8年「炭坑夫」で特選。33年新槐樹社を創立。はじめははたらく人々を,のちに「磨崖不動」など仏像をおおくかいた。昭和59年2月17日死去。85歳。福井中学卒。(→コトバンク)

沖縄県立図書館に堀田清治画伯の「磨崖威徳明王」F150号が展示されている。画伯は戦前1941年の沖縄取材をもとに守礼門などを戦後に描いている。



Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

左からー御徳盆、花瓶台、貝摺台附食籠