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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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写真ー1989年6月1日、泊の自宅で民政府の表示板をバックにして國吉眞哲翁/1991年1月30日『琉球新報』


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新城栄徳「公同会運動」
1991年9月9日『琉球新報』「『公同会運動』に新事実ー新城栄徳さんは『今まで公同会運動は1897年を中心にとらえられていた。しかし、その2年前の新聞記事が見つかったことで1895年、97年それぞれの歴史的事実が明らかになり、歴史を新たな視点でとらえることができる』と、強調。さらに『この運動は、大田朝敷に代表される当時の琉球新報同人と、国民新聞、大阪朝日新聞などの通信員だった佐々木笑受郎の情報戦争の側面も持っていたのではないか』と指摘している。」(仲西真希記者)

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1937年10月の『月刊琉球』の葉書回答に山田有登の返事がある。「子供たちの名をお尋ねですが、夫々生まれた土地とも関係します。長女は石川県金沢市で宿し三州田原町の生まれ、女は貞操が第一と貞子、長男は三河武士家内の里が勝の通り名ゆえ有勝。次女は兵庫県鳴尾生まれ信子、次男も鳴尾で10月生まれ宅の前が一面稲田が實っていたので實。三男は城崎温泉近くの竹野鉱山で9月生まれ、田舎は豊年満作なりしゆえ豊。四男は竹野で宿し博々たる海を越え沖縄での初児。五男は大正14年2月純沖縄産で昭としたら次年が昭和となり偶然でした。六男は保、よく保つように」と記されている。

長女貞は一高女卒業で、那覇泉崎の旧家・仲尾次家の二男に嫁ぎ、その子孫は東京に男4人、女3人が居る。豊は精神科の医者で、戦争中は軍医、ニューギニア戦線で2回も乗っていた軍艦が沈没させられ無事だった。戦後は名古屋医大、国立の病院に勤めた。昭は戦前、那覇の自宅で柳宗悦、棟方志功を見た。またビルマ戦線での生き残りだ。戦後は中学校の教諭をつとめた。昭氏の詩集『老人戯画』に「ふるさとの那覇の人混みを歩きながら/わたしは独りユーラシア大陸のことを考えていた/友らはみんな死んで/わたしばかりが避難したのか/林立するビル群には少年の日のかけらもなく/迷路のような市場の辻を/わずかにつむじ風が動いて消えた」と戦争を引きずっている。

保は歯医者で兄のバトラー歯科医院につとめた。長女に山田美保子が居る。その兄・山田有勝は同人誌『カルト・ブランシュ』を1938年に創刊した。稲垣足穂(注2)はその第14号に「あべこべになった世界に就いて」を書いた。足穂に原稿を依頼したのが編集発行人の山田有勝である。有勝は詩集『残照』で「我が家の明治大正期の古い本は既に色あせ 古い辞書の皮革はボロボロとなる/岩本修蔵さんのロイドメガネ イナガキタルホさんの鼻メガネ」と足穂が出てくる。また過ぎた日と題し「六十三年前の思い出 阪神電車の鳴尾駅を降りて 右へつきあたり 左へ折れて 一町先の左側 白壁の四軒長屋 その端のガチョウが二羽いた家」が山田實さんの出生地である。

いながきたるほ【稲垣足穂】
1900‐77(明治33‐昭和52)
プランクの量子定数の発見とともに大阪に生まれ,少年期の飛行機幻想をそのまま70余年の孤高の日々にもちこんだ異色作家。10代後半に構想をまとめたという代表作《一千一秒物語》(1923)や,日本文学大賞受賞作の《少年愛の美学》(1968)にみられる〈人間をオブジェとして扱う手法〉は,タルホ・コスモロジーと言われる宇宙論的郷愁とあいまって,全作品に共通する特徴である。都市の幾何学,飛行精神,人工模型,英国ダンディズム,男色趣味,謡曲の幻想世界,物理学的審美主義,ヒンドゥーイズム,キネティックな手法,月光感覚などを駆使した作品群は,世界文芸史上にも類がない。(→コトバンク)


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写真左から山田晋氏、太田治子さん(桜庭氏、教員時代の教え子)、山田實氏の弟・桜庭昭氏ー1968年
◎はじめまして。桜庭暁子と申します。桜庭昭の娘です。この度は、琉文21に父のことを紹介して戴きまして
ありがとうございました。父も喜んでおりました。山田勉氏(従兄)から連絡を受け知りました。實伯父がいつまでも元気でいることを願っております。
これからもどうぞよろしくお願い致します。(2012-3-27)


太田治子 おおた-はるこ
1947- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和22年11月12日生まれ。太宰治(だざい-おさむ)と太田静子の娘。結婚して高木姓となる。高校2年のとき手記「十七歳のノート」を発表。昭和61年亡母を追想した小説「心映えの記」で坪田譲治文学賞。神奈川県出身。明治学院大卒。著作はほかに「石の花」「恋する手」「母の万年筆」「私のヨーロッパ美術紀行」など。(→コトバンク)


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東松照明写真集発刊の集いー前列左から2人目が山田實氏,]3人目・東松照明氏

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□そんなら母系家族制度とは、どんな社会であるかと云うに、これに対する答を得るにはモルガンの古代社会論を若しくはない。モルガンの「古代社会論」は今私も之を読んでいないが、エンゲルスの「家族私有財産及國家の起源」と云う書に引いた分だけでも母系時代が如何なる社会状態であったかと云う一般は知らるるのである。其の家族制度という章中に下の一節がある。(以下略)

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写真左から新城栄徳、黒田恭正氏


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かわいぎょくどう【川合玉堂】「長閑」
1873‐1957(明治6‐昭和32)
日本画家。愛知県木曾川町に生まれる。本名芳三郎。別号偶庵。1887年京都に出て望月玉泉,続いて幸野楳嶺に師事。その後,橋本雅邦の《竜虎図》に感動,96年上京してその門に入る。狩野派を学び,岡倉天心,雅邦を指導者とする日本絵画協会に出品し,しだいに注目される。1907年東京府勧業博覧会出品の《二日月》が好評を博し,第1回文展以降審査員となる。四条派の親しみやすい即物的作風と,狩野派の折り目正しい品格を合わせた画境を開き,第2次大戦前の日本のどこにでも見られる風景と生活を主題とした。(→コトバンク)


比嘉崋山「臼アラサー」

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去年の年9月25日、京都教育文化センターで「琉球民謡伝統協会京都支部三周年芸能発表会」があった。その舞台で見たかんじの会長さんが、本日のパレットくもじ前で「第16回 大民謡祭」での舞台に登場していた。あとで名刺を頂くと新崎松秀氏とあり「ジャンボ三線」ともあった。




写真ー1933年12月に東恩納寛惇が安南および福建より持ち帰った三味線、昭和会館に寄贈した。(1)ヤマト、(2)琉球、(3)安南、(4)安南