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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
麦門冬・末吉安恭旧蔵の『中山世譜』(写本)には麦門冬が家譜などから引用した毛筆の記述がある。妃居仁のところには「尚宣威王之女」、尚維衡には「童名思徳金」とある。

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H24年11月21日『粟国村教育委員会便り』〒901-3702 粟国村字東580 ℡098-988-2449

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イシンヂチ大ヤー(我が家の本家)
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関連写真

「民家」

「葬具」

琉球政府の博物館に神里金達(ガイヤー)伯父が1968年にタカヤーマ(釣り用おもり)、ウーチバーイ(烏賊針)、ナーマチ(縄巻き)、海フジョウ(煙草入)、クルバシャー(畑砕土具)、ターラ(俵)、ユクティ(槌)2個、タンナーワヤー(蘇鉄実割台)、フタディル(蓋かご)、ムンジャラサバチ(麦わら櫛)を寄贈している。今も沖縄県立博物館・美術館にある。
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マハナの断崖

イキントゥガー/エーガーグスク


ウフェージ/内嶺善徳氏


ハンタおばさん、江、さやか


左から粟国郷友会23代会長・屋宜宗篤氏、新城栄徳


写真前右、2013年5月ー屋宜宗徳先生(粟国郷友会23代会長)、山城勝行氏(粟国郷友会19代会長)、後右、仲里正雄氏、比嘉律子さん、新城栄徳




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フェリーあぐに船上にて、左から平良知二氏、平良昭隆氏、新城栄徳(中村愛撮影)
11月15日、文化の杜、博物館・美術館の職員と同行し粟国島へ行った。久場政彦氏、平良知二氏、中村さん,琉球物流の平良氏と同行し粟国村教育委員会に行き伊良皆賢哲教育長と談。博物館の崎原さんが那覇に帰るというので見送りしながら序に車で村内の古墓や番屋塚、番屋原広場の上空に米軍用機2機が思いやり予算で爆音を轟かし飛んでいた。そういえば学校近くにオスプレイ反対の旗が並んでいた。洞寺公園の鍾乳洞、「むんじゅる節之碑」らを見学した。久場氏には実家(母方、父方)を案内した。

11月16日、番屋塚で日の出写真を撮る。ここは粟国村で一番高い海抜96mの高台にあって昔、番屋遠見台として異国船が近海を通るときに慶良間諸島にタイマツで告げ首里王府に知らせた場所。粟国村指定の史跡となっている。後、西を通りながら観音堂を見て、ヲコノ御嶽、砂浜で遊ぶ。粟国村離島振興総合センターに行くと、大濵さん、千明さん、白保館長が着いていた。9時すぎ「第5回 沖縄県立博物館・美術館移動展ⅰn粟国」のテープカット、白保台一館長、村長代理、平良社長、伊良皆賢哲教育長が参加した。博物館の千春さんが那覇からフェリーで着いた。伊良皆賢哲教育長案内のクルマで粟国港へ白保氏、平良氏と同行。海上は穏やかでアッというまに那覇泊に着いた。




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那覇市中核市移行記念
那覇市歴史博物館・那覇市教育委員会文化財課共同企画展
「那覇の神社・寺院 ~先祖が拝んだ神・仏~」

□平成17年12月『貝寄風』通巻258号
新城栄徳「琉球の風ー(略)私と熊野との関係を述べる。1964年4月、私は集団就職で白雲丸に乗船し那覇港から上京。途中、暴風で船は和歌山の串本に避難したのが熊野との出会いである。熊野そのものの熊楠、その熊楠が書いた文から私は麦門冬・末吉安恭を日比谷図書館で知ることになる。69年2月に南方熊楠記念館を訪ねる。この年の夏、京都の料理屋の慰安旅行で紀伊勝浦で遊び熊野那智大社を参拝。75年10月、満一歳の息子(江)を連れ高野山(金剛峰寺)に遊んだ。1993年9月、新宮市を訪ね、徐福の墓、神倉神社、佐藤春夫記念館は休館だった。熊野速玉大社を参拝。新宮図書館で熊野特集『熊野誌』37号を入手、中瀬喜陽さんは「南方熊楠・母すみの日記」を書かれていた。旧知の元沖縄都ホテル社長で熊野人の桑原守也さんが「私の熊野ショックー古道・熊楠・沖縄」と題し「南西諸島の島々に熊野分社が10社もあるのは潮流による文化の交流によるためであろうが、那智からの渡海上人といわれた日秀上人は琉球王朝の帰依をうけ又、京都三条駅前の法林寺の住職となった袋中上人は、有名な琉球神道記を残している。浄土宗の流布がこの地に熊野信仰を広めたものであろう」と書かれている。桑原さんとは近鉄資料室、袋中上人の墓、京都の古書展などに親子同様に同行したが、今は亡い。

佐藤春夫記念館□佐藤春夫は、明治25年(1892年)、現在の新宮市に生まれました。代表作「殉情詩集」「秋刀魚の歌」はじめ、あらゆるジャンルにわたる著作を遺しています。熊野速玉大社境内にある記念館は、昭和2年(1927年)に西村伊作の弟、大石七分の設計で建てられた佐藤春夫の邸宅を移築したもので、自筆原稿や生活用具等が展示されています。
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11月5日 リブロリウボウでマーティン・ファクラー(ニューヨーク・タイムズ東京支局長)『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』双葉新書を買った。中に「記者クラブを拠点にする日本人の記者は、市長や市職員、多くの住民がまだ暮らしているにもかかわらず、南相馬市から逃げ出してしまった。普段は記者クラブを拠点として役所の情報を独占しているのに、最も肝心なときに取材を放り出してしまったのだ。メディアを使って情報を発信する手段を失った桜井市長は、ユーチューブという新しいメディアを利用することにした。記者やカメラマンの手を借りることなく、自らがニュースの発信者としてチャンネルを開いたのだ。ユーチューブの映像は世界を駆けめぐり、ニューヨーク・タイムズの記者である私が突然アポイントなしで取材に訪れた。新メディアであるユーチューブの映像を追いかける形で、紙の新聞であるニューヨーク・タイムズが桜井市長の声を報じた。さらにウェブ版のニューヨーク・タイムズによって、紙の新聞を手にしない世界中の人々が南相馬市の現状を知った。」

「田中角栄総理を失脚させたFCCJ(The Foringn Correspondents' Club of Japan )-ロッキード事件をめぐる金脈問題が露見し、田中角栄総理が失脚したのは、立花隆氏の調査報道によると認識されていることが多い。それは間違いではないが、もうひとつ、FCCJ」での記者会見が関係している。あの記者会見は、記者クラブメディアの限界が露呈したエポックメイキングな出来事でもあった。(略)日本の記者クラブメディアが突っこめない質問を、外国人記者がぶつけた。それがきっかけとなり、ようやく記者クラブメディアにも火がついて田中角栄を追い込んだー。」「先ほど述べたように、日本の新聞は貧困問題や人種差別といった社会問題を記事に取り上げたがらない。地味なテーマは、読者の耳目を惹きつけにくいという事情もあるのだろう。だがこうした問題にこそ、この国が抱える病巣があると考え、日本の市民団体や弁護士を招き、日本のマスコミが取り上げないテーマについて記者会見の場で存分に語ってもらうこともある。」

「2011年3月11日、日本は東日本大震災と福島第一原発の事故によって『第二の敗戦』を迎えた。1945年8月15日の『第一の敗戦』では、GHQが日本に民主主義を与えた。日本人自身が、自分たちの力で民主主義を獲得したわけではない。日本とは対照的に、韓国や台湾は自分たちの手で民主主義を作り上げた経験がある。軍事政権と戦った歴史がある。自分たちの力で勝ち取った記憶があるから、民主主義の大切さや価値を皮膚感覚でわかっている。アメリカにもフランスにも同様の歴史がある。こうした国では市民社会がいまでも強く、メディアによる権力チェックも厳しい。民主主義が脅かされるような事態が到来すれば、市民もメディアも一丸となって立ち上がる。(略)日本の有権者はどこか受け身だ。国に、お上に任せていれば、平和な世のなかが築かれると人々は信じている。記者クラブメディアが長らく存在していたのは、国民がそれを無意識のうちに認めていたからだとも言える。」

「地方紙のこそ大きなチャンスがあるーこれからの日本では、地方の新聞にこそ大きなチャンスがある。牢固とした組織に閉じこもる朝日新聞や読売新聞、日本経済新聞などの”メガ新聞社”は、残念ながら新聞業界のチャレンジャーになることは難しいだろう。むしろ、地方紙が業界を変え、読者を増やす可能性を秘めている。(略)河北新報や琉球新報はその地方のニュースに重点をおき、東京に拠点を置く東京新聞が政治のニュースに力を入れるといった大胆な棲み分けをしてもいい。ストレートニュースは、共同通信や時事通信のような通信社に任せてしまう。全国紙が手がけない長期にわたる調査記事を地方紙が書き、新しいネットメディアを通じて全国に発信すれば、他の地域に住む新たな読者が生まれるはずだ。」

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1970年10月 栗原達男『写真報告 オキナワ1961~1970』朝日新聞社(山田實所蔵)


山田實様 勉様   2012、10、25
沖縄へ1961年2月~3月と2ヶ月近い
旅をした写真に、その後朝日の出版写真部で
6年間勤めた後で辞め、1968年から沖縄へ
数回来てまとめました、本土復帰前の
沖縄の「写真報告」です。
自分の本の中で一番いとおしい内容です。
山田さんにお目にかかれたのも1961年2月でした。
           感謝をこめて
                   栗原達男

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