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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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これは、今年の2月に書いた「暮らしの中のフォルム」の最後部に載せた予告編「織り柄の進化」の発展型である。2月から半年余り5号に亘って色々書き連ねてきたが、そのテーマを忘れていたのではなかった。

暮らしの中のフォルム
 3月に書いた「暮らしの中のフオルム(シーサー編)」の取材の為にカメラを持って街へ出るまで「織物」の事や、まして「織り柄」の事など、全く関心が無かったし、その知識も全く無かった。たまたま当蔵大通りの,左側の写真のビルのベランダの柵が目に飛び込んできた。 「ナンダコリャ!」写真でいうポジとネガの連続模様、その斬新なデザインが心に残った。しかもそれが沖縄伝統の織り柄のデザインを建築に転用するという新しい発想に喝采を浴びせたい気持ちの高まりを覚えたのだった。「そういえば、もう一つあったぞ!」とウチの墓近くの、瑞泉酒造裏手の崎山ハイツにある建物を思いだし、それもカメラに納めた(右の写真)これも同じ柄だが、色が付いたペンキ塗装である。ともに八重山のミンサー織りの柄であると知ったのは後日である。

 この記事の冒頭にも書いたが「織物」や「織り柄」には全く興味を持たなかった僕だが「織物・織り柄」という切り口というか「視座」を持ってしまった以上「将来それに係わる事物に必ず出会うだろう」という、すごく悠長かつ楽観的な蓋然性(がいぜんせい)を信じて、このテーマは脇にほっておいたのだ。ところが、やっぱり「奴はやって来たのだ!」前触れもなく!

 南風原町は「かすりの里」を標榜していて、町には「琉球かすり会館(琉球絣事業協同組合」があり、本部・照屋・喜屋武の各集落はそのメッカとなっている。さらに本部には「かすりロード」という散歩道があり、歩道に施された文様を頼りにたどっていくと、織物工房、織機制作所,湯のし屋(火のし、がアイロンなので湯の熱で絣はシワを伸ばすのか?)その他関連職の工場があったり、ビーマという柄の最小単位の図柄が名前と説明文とともにあちこちの塀や壁に据え付けてある。
 そんな、不思議な空間に旅にでた。今号はその報告である。

絣の現状について
 絣は現在でも日本各地で織られており、洋服、ネクタイ、鞄、タペストリーと装飾やその他小物にも利用されているが、生産に手間がかかるため、割高であるにもかかわらず、もともと普段着の素材のため高級品とは見なされず、需要は伸びていない。いずれも少数の織元が細々と生産するに留まっている・・・・・。とある。
 現代の「ブランド指向」とは対局にあるのであろう『絣』は時代遅れなのかもしれない。『絣』との出会いは僕にとって新鮮なものであった。そういう『絣』を織り続ける人達が居る事を心強くおもった次第。
 現在の僕もビジネスとは程遠い「生業」「稼業」の世界に生きているのだが、生き生きと仕事を続け、平凡な日々を積み重ね、それでいて「平凡」の中に埋もれず「平凡」の中の変化を見極めるシャープな感性を忘れない事・・・・それでいいのだ!・・・・・というのも今回の収穫かな??と思っている。


 

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那覇市立神原中学校の敷地内では、ガーブ川沿いに美しいトックリキワタが立ち並んでいる。

1980~90年代にかけて、故天野鉄夫先生宅の庭に育つトックリキワタは特に「天野株」と呼ばれ、満開時には樹冠がピンク色に染まりかなり有名だった。見ごろになると、新聞紙上にもと紹介され話題になった。そのことも影響してか徐々に植木市で苗が売られるようになり、瞬く間に沖縄中にひろがり、熱帯花木ブームの火付け役になった。→沖縄県森林緑地課

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城岳小学校の通り

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楚辺界隈

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辺野古新基地NO

2013年10月 森宣雄・鳥山淳編著『「島ぐるみ闘争」はどう準備されたか』不二出版

□小林淳子さんから本書が送られてきた。本書は加藤哲郎・森宣雄・鳥山淳・國場幸太郎編『戦後初期沖縄解放運動資料集』(全3巻、不二出版、2004-05年)のDVD版の別冊として刊行されたもの、という。私も「琉文21」で沖縄人民党機関紙『人民』を入れ始めたばかりで、本書は表面に出ない非公開の資料を使っているので参考にしたい。ところで、副題の「沖縄が目指す<あま世>への道」の経緯で伊波普猷の絶筆で残した<あま世>うんぬんとあって、伊波が戦後の発言したと勘違いされる恐れがあるので少しくふれておく。1933年1月、琉球新報主催「航空大ページェント」で瀬長島上空を関口飛行士操縦の複葉機から色白の美人・宮森美代子嬢がパラシュートで飛び降りる。それを万余の沖縄県民が見物という新報記事を東京で見た伊波が自身のロサンゼルス上空を飛んだ感動と重ね合わし「おもろ・飛行機」と題し「・・・紫の綾雲、おし分けて出ぢへたる、ふへの鳥の舞ひ、如何し来る鳥が、常世の大ぬしの御使者は有らにゃ、・・・大和世は物事変て、殊に工学のひろましや、珍しや算知らぬー沖縄御間切心一つならば、苦世す甘世なさめ。直り世は実に是からど始まる」とよんだ。<あま世>の初出はこれである。

本書の編者・鳥山淳氏は琉球新報社から2007年に発行された『不屈 瀬長亀次郎日記』の解説者でもあるが、同書には国場幸太郎氏の「あの瞬間 元人民党幹部 国場幸太郎」、内村千尋さんの「国場幸太郎さんの思い出」も載っている。少し話はそれたが、本書は国場幸太郎 著「沖縄の人びとの歩みー戦世から占領下のくらしと抵抗」も柱となっていて貴重な証言となっている。特に「CIC(米軍諜報部隊)との対決ー拉致と拷問」は圧巻で「民主主義」「自由の国」と自称するアメリカの軍隊の本質が暴露されている。今現在のオキナワは日米防衛利権(安保)の上で動かされている。昨今の「秘密保護法案」なるものがその象徴的な動きだ。つまりが日米密約、公安警察、原発の暴露・追及が「犯罪」になる法案だ。とにかく何が秘密なのかも秘密といったフザケタ法案だ。こういった法案を盾に国民を弾圧した戦前の特高警察が先ず頭に浮かぶが、戦後はCICがその役割を担っていた。その遺伝子は下記のように今も生きているようだ。

10月27日『琉球新報』社説□広がる盗聴疑惑 凋落する大国の傲りと焦りー米国情報機関の国家安全保障局(NSA)が外国の指導者35人の電話を盗聴していた、と英紙ガーディアンが報じた。米中央情報局(CIA)の元職員から提供された機密文書の内容だ。ドイツのメルケル首相への盗聴疑惑が浮上したばかりであり、それ以外の国の指導者への盗聴も十分に類推できる。フランスでは7千万件以上の通話やメールの傍受があったと報じられ、欧州連合(EU)は米国への反発と不信を募らせている。ドイツやフランスは米国に事情説明を求め、再発防止策を協議する意向だ。米オバマ政権はこの事態を深刻に受け止め、誠意ある説明と改善策を示す必要がある。(略)こう見ると、一連の盗聴活動はテロ防止というより、政治や経済などの分野で情報を集め、外交上優位に立ちたいとの思惑が働いている。デフォルト(債務不履行)危機に見られるように、政治、経済、外交などあらゆる分野で国際社会における米国の威信は揺らいでいる。やみくもな盗聴活動には、これまでは黙っていても入ってきた情報が、威信低下に伴い集まりにくくなっているという事情もあるのではないか。凋落(ちょうらく)する大国の傲(おご)りと焦りを見る思いだ。「指導者35人」に日本の首相も入っている可能性が高い。米国内の日本大使館が盗聴対象になっていたことは既に明らかだ。日本政府も各国同様、厳しい態度で臨むべきだ。特定秘密保護法を制定し、あれこれ理由を付けて「国家の秘密」を保護しても、盗聴を許しては国益は守れない。まさか米国に限っては盗聴を認める、というわけではあるまい。ここでも従属姿勢を見せれば、日本の威信も失墜する。


2013年12月14日『沖縄タイムス』納富香織「読書ー森宣雄・鳥山淳編著『「島ぐるみ闘争」はどう準備されたか』不二出版」

10/25: 浮世絵①

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歌川(安藤)広重「東海道五十三次ー赤阪」/浄泉寺を訪ねると銀杏の集荷と葉っぱの清掃をしていた祖父江住職と話をする機会があった。正法寺にも大蘇鉄があったこと、大橋屋の中庭にあった大蘇鉄がなぜ道路拡張に支障があるのか疑問だという話を向けると「旅籠屋の清須屋(後に廃業)、村木屋(後に新城へ移転)にも蘇鉄があった」となぜか大蘇鉄がそこかしこにあったようなのだ。安藤広重は赤坂宿には泊まっていないとか聞いたが、安藤広重にとって当時賑わっていた赤坂宿の旅籠、飯盛女と大蘇鉄は、切っても切れない題材だったのだろう。(→温泉マニアの巡浴紀行)





豊原国周 とよはら-くにちか
1835-1900 幕末-明治時代の浮世絵師。
天保(てんぽう)6年6月5日生まれ。豊原周信(ちかのぶ),初代歌川国貞にまなぶ。役者絵とくに大首絵(おおくびえ)にすぐれた。83回ひっこし,妻も40回以上かえたという奇行の持ち主。門人に橋本周延(ちかのぶ)がいる。明治33年7月1日死去。66歳。江戸出身。本姓は荒川。通称は八十八。別号に一鶯斎,華蝶楼。(→コトバンク)


『月岡芳年ー衝撃の絵師』(新人物往来社2011・6) 
□妙国寺境内の大蘇鉄(そてつ)は国指定の天然記念物(1924年12月9日指定)である。樹齢1100年余と云う。織田信長は、その権力を以って、天正7年、この蘇鉄を安土城に移植させた。しかし、毎夜「堺妙國寺に帰ろう」と怪しげな声に、信長は激怒し士卒に命じ蘇鉄を切りつけたところ、鮮血切口より流れ悶絶の様は恰も大蛇の如く、さしもの信長も怖れ即座に妙國寺に返したと言う。枯れ死寸前の蘇鉄を、哀れにおもわれた日珖上人は法華経一千部を誦したところ、夢枕に、人面蛇身神が現れ「報恩のため、女には産みの苦しみを和らげ、苦難には災厄を逃れ、乏しき者には福寿を授ける」と三つの誓願をした。御堂を建て、守護神宇賀徳正竜神として祀られています。(ウィキペディア)

月岡芳年【つきおか・よしとし】
生年: 天保10.3.17 (1839.4.30)
没年: 明治25.6.9 (1892)
幕末明治期の浮世絵師。本姓吉岡,俗称米次郎。画号に玉桜,大蘇,魁斎などがある。住居は江戸の中橋,南金六町,本所藤代町など。歌川国芳に師事し,また葛飾北斎,菊池容斎にも私淑したと伝える。嘉永6(1853)年の錦絵初作を皮切りに,武者・役者・美人の錦絵を陸続と発表,また血みどろ絵と呼ばれる残酷な描写の錦絵も周辺絵師と競作した。明治以降は新聞錦絵や新聞・小説の挿絵なども盛んに描くかたわら,上下二枚続きなど新趣向の版画を上梓した。精神に異常をきたし,病没したと伝える。なお,門人からは近代美人画家の雄①を多数輩出した。(→コトバンク) ①芳年の弟子の年方からは鏑木清方、伊東深水を経て岩田専太郎や志村立美らの画家が育っている。同じく弟子の右田年英からは鰭﨑英朋や河合英忠、伊藤彦造が育ち、鰭﨑の弟子には神保朋世もいる。→『月岡芳年ー衝撃の絵師』(新人物往来社2011・6) 



『琉球新報百年史』

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10/21: 西村菊雄

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1931年7月ー左から許田重友、大嶺政寛、山田有昴、西村菊雄、具志堅以徳、城間、新垣、大城貞盛、大嶺政敏



1936年11月6日~9日 「沖縄日報主催「沖縄洋画展」那覇市公会堂

1936年11月18日 辞令 具志堅以徳、西村菊雄 沖縄県雇・沖縄県工業指導所勤務

書斎の具志堅以徳


西村菊雄・作品ー不屈館所蔵
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糸洲安恒の墓。正面右手に「糸洲安恒先生顕彰碑」が建つ


松村宗棍も眠る武氏墓


 花城家(花城長茂)の墓、その造りは、内部にアーチ型の石室を有する亀甲型の墓であり、琉球の文化を今に伝える貴重な建造物あった。道元年間より以前(西暦千七百九十年・西暦千八百年頃)琉球王より拝領し、以来第二次世界大戦の中で最も激しい地上戦が行われた真嘉比に存していたにも拘わらず、破壊されることなく二百年余の年月を経過し現在(平成十四年五月)に至ったものである。しかし、真嘉比古島地区に区画整理事業計画が策定され、花城家の墓も其の取り壊しを那覇市から求められた。
 那覇市からの取り壊しの要求に対し、由緒ある花城家の墓を残すよう十年余に渡り交渉を続けたが入れられず、平成十四年四月に其の取り壊しに同意し、此処に新たな墓を建立した。花城家の墓には、初代真和志村村長であり、明治三十八年に初めて空手の文字を世に顕し、現在の「空手」の隆盛の基礎を築いた、花城のバッサイの創案者、拳聖と称された花城長茂(西暦千八百六十九年ー西暦千九百四十五年)の遺骨も納められている。            平成十四年五月一日記            花城長允

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題字揮毫・東大寺清水公俊師

○売笑の起源と遊女の変遷 娼婦の元祖は巫女である
○芸妓の揺籃とその成長 三味線伝来を画期として独立すー(略)茲に正親町院の文禄年間、琉球から蛇皮線が伝来し、それが堺の琵琶法師の工夫で本手、破手などの組歌が出来、次第にはやり出して小唄、地唄、長唄などが盛んに流行するようになると、従来ただ色だけを売っていた遊女の間にもこれを唄うものを生じ、又私娼の間にも堪能なるものが出来て、遂に三味線という芸だけで独立する女が出来ました。

○公娼制度の濫觴と遊廓の発達 豊太閤は遊廓開基の大恩人ーそれが一の営業として公認された形になったのは、鎌倉時代の『遊裙別當』(足利時代には『傾城局』)といふのが其の濫觴であり、更に一歩前進して公娼を保護し、且つこれを取締まるために遊廓を公許するようになったのは豊公の英断に出でたのであります。豊臣秀吉が天下を平定してから、京都に初めて柳町遊廓(後の島原遊廓)が新設されました。以後ー奈良・木辻、駿河府中、大阪瓢箪町(後の新町廓)などが出来た。・・・江戸吉原遊廓、大阪松島遊廓、大阪飛田遊廓、兵庫の遊廓

○遊里と社寺ー祭礼と遊女ー(略)琉球辻の遊廓の開祖は浦添王子の妃であると伝えられ、その命日である旧正月廿日には『廿日正月』又は『尾類馬ずりうま』と言って廓内の名妓が総出になり、花魁道中のような行列絵巻が繰りひろげられます。

平良盛吉(1890年8月28日~1977年6月28日)
羽地村に生まれる。沖縄県立一中を中退し沖縄毎日新聞記者。記者の傍ら、琉球史、琉球古典音楽を研究。羽衣、羽生、平氏、野の人というペンネームで論文、随筆を新聞、雑誌に発表。

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2013年10月14日『沖縄タイムス』『琉球新報』「那覇大綱挽」



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久茂地小学校の生徒たち・下は久茂地小学校
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写真・真栄田静子さん

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沖縄ブラジル協会「ミス琉装」□国際貿易学を学ぶ大学生の比嘉ジュリアナさん(23)=3世、ヴィラ・カロン支部

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本日は10・10空襲から69年ー『琉球新報』に「戦前の那覇 街並み模型で復元へ」とある。担当の那覇市歴史博物館の喜納大作さん(29)は「那覇は王国時代から歴史を積み重ね、近代はレトロモダンな街並みがあった。だが10・10空襲であっという間に消えてしまった。こんなにひどいことはない。絶対繰り返してはいけない」との談話もあった。




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1972年11月『別冊経済評論』「日本のアウトサイダー」
桐生悠々(むのたけじ)/宮武外骨(青地晨)/伊藤晴雨(石子順造)/高橋鐵(竹中労)/沢田例外(森長英三郎)/安田徳太郎(安田一郎)/田中正造(田村紀雄)/菊池貫平(井出孫六)/山口武秀(いいだもも)/北浦千太郎(しまねきよし)/古田大次郎(小松隆二)/平塚らいてぅ(柴田道子)/高群逸枝(河野信子)/長谷川テル(澤地久枝)/宮崎滔天(上村希美雄)/橘撲(髙橋徹)/西田税(松本健一)/謝花昇(大田昌秀)/南方熊楠(飯倉照平)/出口王仁三郎(小沢信男)/山岸巳代蔵(水津彦雄)/尾崎放哉(清水邦夫)/添田唖蝉坊(荒瀬豊)/辻潤(朝比奈誼)/稲垣足穂(折目博子)/天龍(秋山清)/淡谷のり子(加太こうじ)/谷川康太郎(猪野健治)

1974年1月『伝統と現代』「日本フォークロアの先駆者」
田代安定(三木健)/笹森儀助(植松明石)/岩崎卓爾(谷真介)/鳥居龍蔵(小野隆祥)/佐々木喜善(菊池照雄)/柳田国男(牧田茂)/折口信夫(村井紀)/早川孝太郎(野口武徳)/筑土鈴寛(藤井貞和)/中山太郎(阿部正路)/南方熊楠(飯倉照平)/渋沢敬三(宮本馨太郎)/金田一京助(浅井亨)/知里真志保(藤本英夫)/伊波普猷(新里金福)/喜捨場永珣(牧野清)/石田英一郎(松谷敏雄)/菅江真澄(石上玄一郎)/近藤富蔵(浅沼良次)





「発禁本」資料  
現代筆禍文献大年表
明治28年3月     沖縄県私立教育会雑誌(沖縄県 安井宗明)
明治33年10月    沖縄青年会会報(渡久地政瑚)
大正5年         沖縄民報6月15日第677号
大正10年2月     不穏印刷物2枚「沖縄庶民会創立委員発行」
大正13年11月    沖縄タイムス「11月13日14日亘る難波大助に係る不敬事件判決言渡に関する記事」
大正14年5月      地方行政5月号 神山宗勲「燃え立つ心」

 1978年、桃源社発行の酒井潔『愛の魔術』に澁澤龍彦が解説で「酒井潔は堅苦しい学者ではなく、何よりもまず、面白く語って読者を楽しませようとする、根っからのエンターティナーがあった。それは本書をお読みになれば、誰にでも十分に納得のいくことであろう。明治の南方熊楠ほどのスケールの大きさは望むべくもないが、彼自身も南方に傾倒していたように、その方向の雑学精神の系統をひく人物であったことは間違いあるまい」と書いている。

麦門冬ー熊楠ー岩田準一ー乱歩
1931年6月には竹久夢二が元北米の邦人新聞記者・翁久充の企画で、サンフランシスコに入り、1年余にわたり米国に滞在し、ロスを中心に展示会や在米見聞記「I CAME I SAW」の題で新聞連載、スケッチ旅行などをしている。アワビ漁で成功した小谷源之助はポイント・ロボスの海岸に来客用の別荘を建て芸術家や文人、政治家らを宿泊させていた。夢二研究家の鶴谷壽(神戸女子大教授)が夢二と宮城与徳(画家・ゾルゲ事件に連座)が小谷家の方と一緒に写っている写真を発表している。夢二は翁と新聞社のストのことで喧嘩別れをし、気の合う若い与徳としばらく一緒に生活しながら絵を描いていたようである。夢二は翌年の10月にはヨーロッパへと足をのばし、欧州各地を渡り歩き、ドイツの邦人グループと一緒になってユダヤ人救済運動に関わっている。彼は平民社の幸徳秋水とも交流し、医師の安田徳太郎とのつながりもある。彼の反戦のコマ絵をみると、夢二の美人画はもの悲しい憂いにみち、放浪とロマンを追い続けた夢二の後ろ姿に重なる。(大城良治)


夢二の弟子に岩田準一が居る。□岩田準一 いわた-じゅんいち 1900-1945 昭和時代前期の挿絵画家,民俗研究家。明治33年3月19日生まれ。中学時代から竹久夢二と親交をもつ。江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」「鏡地獄」などに挿絵をかく。郷里三重県志摩地方の民俗伝承の研究や,男色の研究でも知られ,南方熊楠(みなかた-くまぐす)との往復書簡がある。昭和20年2月14日死去。46歳。文化学院卒。旧姓は宮瀬。著作に「志摩のはしりかね」など。(コトバンク)□→「岩田準一と乱歩・夢二館(鳥羽みなとまち文学館」(.所在地〒517-0011三重県鳥羽市鳥羽2丁目 交通アクセス鳥羽駅から徒歩で10分 ..お問合わせ0599-25-2751) .

2013年10月 飯倉照平『南方熊楠の説話学』勉誠出版



本書『南方熊楠の説話学』にも、「『南方熊楠全集』の校訂をおわって」と題して「平凡社の池田敏雄さんが、そのころまだ代々木駅の近くにあった中国の会の事務所へたずねて来てくれたのは、たしか1969年のはじめごろ{正しくは4月}であったと思う。乾元社版の『南方熊楠全集』に手を加えて出したいが、誤植も少なくないと思われるので目を通してほしいこと、さらに引用されている漢文を読み下し文に直し、全体の表記も読みやすくしたいので手伝ってもらえないか、というのが用件であった。戦争中に『民俗台湾』という雑誌の編集をしていた池田さんから、わたしは中国の昔話や民俗学の本を借りたことがある。また、わたしが以前によその出版社で校正の仕事をしていたことも、依頼されたきっかけの一つになっていたかもしれない。」と「『南方熊楠全集』の校訂に携わるきっかけを書かれておられる。

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2012年10月『熊楠WORKS』№40に飯倉照平さんが「『漫画』好きの伊東忠太」を記され中に「筆者は、平凡社の『南方熊楠』全集の校訂にたずさわる前に、前後10年近く歴史の復習を旨とする雑誌『中国』の編集を手伝っていた時期がある。」と、かつて私も愛読していた『中国』との関わりについてもふれておられる。同号には考古学者・森浩一氏の第22回南方熊楠賞授賞式も載っていた。

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宮城保武氏、金城規克氏、小橋川肇氏


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沖縄の雑誌『青い海』
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1987年7月 大城立裕『私の仏教平和論ー戦争を抑止する英知をもとめて』佼成出版社
○教科書については、文部省の検定姿勢に見られるように愛国心の涵養を過度に意識することを警めなければならない。今日愛国心のことを熱心に説く側が、国民の現状に何を恐れてているのかは、かならずしも明瞭でないが、国防の危機に備えてのことであるとすれば、それこそ危険であろう。
○国家秘密保護法も、不安を先取りしての企画である。その不安が絶対にないとは言えないだろうが、私がいま心配しているのは、法律が成立したあとひとり歩きすることである。そのとき運用者の支配欲に迎えられて、横暴をはたらく恐れがある。今日のように情報を盗む技術が発達し、加えて管理されることに抵抗を失っている時代には、とくにその恐れが大きい。
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