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写真前列左から仲尾次政補、山田實、仲尾次、山田豊、山田有登、その前が山田保、山田昭、山田。後列左が山田實姉の貞子、右が山田實母 1929年10月 山田家の庭で


2013年11月30日13時30分から16時40分 沖縄県立博物館・美術館 講堂「近代琉球の宗教的偉人 仲尾次政隆がのこしたもの」真宗ネットワーク・琉球 
講演・知名定寛「仲尾次政隆」/公演・大工哲弘「仲尾次口説、七月念仏、宮良川節、仲順流れなど」



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講師の神戸女子大学教授・知名定寛氏


2008年5月 知名定寛『琉球仏教史の研究』榕樹書林

写真ー知名定寛氏と榕樹書林・武石和実氏

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 『AERA』2013年11月ー五輪「中止」はないのか?地震、火山、そして原発 7年後、東京で五輪が開かれると信じている。だが、日本は「地震大国」であることを忘れるわけにはいかない。

 2014-安倍晋三首相は8月20日夜、広島市の豪雨被害で救出活動が続く中、静養のため官邸から山梨県鳴沢村の別荘に戻った。土砂災害発生の一報後もゴルフを続けたことに加え、対応の指揮を執るべき首相が東京を離れ再び静養に入ったことに、民主党の海江田万里代表ら野党幹部らから批判の声が上がっている。
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2003年3月 『浦添市立図書館紀要』№14 宮城篤正「鎌倉芳太郎先生の思い出」
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末吉安久(1926年『民族』末吉安恭「沖縄の猿の話」)
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伊波が「沖縄学」を華々しく築いた大正・昭和初期、碩学からの学的影響を素直に認めながらも、県内の多くの知識人が伊波学問への批判、さらに時代への反間を雑誌・新聞等で論じた。新たに研究会等を組織し、自己を研鑽、学的な触発を得ながら時勢の言論をリードした末吉安恭(講師・粟国恭子)・島袋全発(講師・屋嘉比収)ら新聞人・文人、そして多くの教員たち。さらに「沖縄改革の急先鋒」と称された太田朝敷(講師・伊佐真一)の独自の言論活動・・・・・・・・・伊波を通して視た「郷土沖縄」の文化・歴史、近代という時代への問いとは。その言論・思想の意味するものは?。




写真・「この『琉文手帖』の末吉麦門冬特集は新城栄徳さんと、ここに居る伊佐真一さんが共同で作成したものです」と粟国恭子さん。伊佐真一氏、屋嘉比収氏


会場に展示されている『琉文手帖』「末吉麦門冬」「山城正忠」



満員の会場
□1991年1月 伊佐真一編『アール・ブール 人と時代』伊佐牧子
○(略)赤と黒の綱引きは相拮抗しており、それはそれで学問的に大いに議論をすればよいことである。だが、時として世の中にはこうした自由な言論・報道を封じ込めようとする者がいるものである。たとえばその一例、この赤黒論争が新聞紙上や巷間でにぎわっていたころ、沖縄総合事務局開発建設部の村山和義公園調整官から、18名の元委員に宛て、首里城にかかわる発言を統制しようという文書が出されている。その内容は、首里城正殿及び公園に関する出版物の刊行、公演、取材等多岐にわたる「マスコミ等への報道」を「公園調整官を窓口として一本化」するというものであった。これに対して、又吉真三氏と前田氏と前田氏はただちに抗議を行ったが、事の重大さに気づいた当局は6月12日付で、先の文書の廃棄処分するに至った(『琉球新報』1989年7月25日付夕刊)。戦前の大政翼賛会まがいの行為をしたわけであるから当然といえば当然である。(略)

□2009年10月 屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』世織書房
○(略)高良倉吉氏のそのような直接的な政治的役割にかんしてではない。琉球史研究という学問的意匠による非政治的立場を装いながら、きわめて政治的な役割を果たしている、その<政治性>の問題についてである。それは、党派的な主義主張やイデオロギーなどの「政治性」とは位相」を異にした、関係における認識や解釈などの<政治性>の問題である。


2013年9月13日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー大田朝敷」

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第7回 沖縄県知事杯「チュンジー大会」


沖縄の伝統将棋「チュンジー」大会参加者募集。
嬉しい事に、県知事杯で開催出来ることになりました。
見学も大歓迎です。もちろん、参加も。
詳細は下記の通りです。
是非お越しください。

チュンジーはタマを打つ時の勢いある音も聞き応えがあって面白いです。ベテラン勢の対局は迫力があり、音もスピードもすごいものがあります。
また、初心者から大ベテランまでキャリアも年齢も幅広いですよ。(象棋普及会:島袋百恵)


開催日:2013年12月8日(日)
時 間:開場11:00 開始:11:30
場 所:明倫堂【めいりんどう】(那覇市久米2-30-1)
部 門:一般男性の部(棋力等によりA・Sクラスの別有)、一般女性の部、中高生の部、小学生の部

参加費:無料
申込・問合先:久米同進会 (電話:098-866-5733/住所:那覇市久米2-16-9 2F)
主 催:一般社団法人 久米同進会
後 援:沖縄県、一般社団法人 久米崇聖会
協 力:琉球象棋協会、象棋普及会

※会場には駐車場がございませんので、当日は公共交通機関でお越しください。モノレール「県庁前駅」下車、徒歩約15分
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□本巻は「近現代の差別を考え、その克服の道を探る」として赤坂憲雄、川村湊らのよく知られた執筆陣に交じって仲間恵子が「ヤマトゥのなかのウチナーンチュ」、鄭暎惠が「『在日韓国朝鮮人』とは誰か」を発表している。後者は「『在日韓国朝鮮人』を他者化し定義する権限をもつ普遍的な位置などどこにも存在しない」「それでも『在日韓国朝鮮人』と呼ばれるステレオタイプが存在しうるとしたら、その理由は何か」を論じて興味あるが、ここでは触れない。

仲間も同様の趣旨で「ヤマトゥに生きるウチナーンチュを一括りに述べることはできない」「『琉球人』『沖縄人』にどのような意味を与えるのかは、ウチナーンチュ自身が決めることである」と論を簡潔、具体的に展開させている。

評者は旧「沖青友の会」メンバーの大阪ウチナーンチュたちから、沖縄で「沖縄差別を究明しろ」とよく言われるが、沖縄ではヤマトゥンチュは少数派で新聞を見ると「子供がヤマトゥンチュゆえ、小学校でイジメられている」という母親の投書もよく出る。が、何よりウチナーンチュ自身が沖縄差別の象徴の「核基地」にならされている。

ことに大阪では少数派のウチナーンチュの親に生まれた2世、3世はさらに複雑で沖縄のウチナーンチュ(父親はアメリカ人)からも「ウチナーンチュらしくないウチナーンチュ」と無神経に言われる始末である。仲間は関西沖縄文庫を主宰している2世の金城馨と、沖縄関係資料室主宰の故西平守晴を紹介し「ウチナーンチュが築いた資料室が大阪に存在するということは、偶然のことでなく、約百年にわたる在阪ウチナーンチュの歴史になかにおいて必然だったのではないだろうか」「2世の私は、自覚をもって沖縄と向き合うようになってから先人が遺してくれた資料を少しずつ紐解いている途中にある」とし自分探しはこれからも続くとある。
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1977年9月8日『琉球新報』「アシャギー『見直せ麦門冬』と鎌倉氏」

1977年  『国語科通信№36』角川書店□鎌倉芳太郎(重要無形文化財<紅型研究>・玉川大学名誉教授)「首里言葉と那覇言葉ー(略)大正10年といえば、いわゆる大正デモクラシーの興った年で、沖縄でも社会主義運動が起こり、師範学校の教師であった私も、『沖縄タイムス』主筆の末吉麥門冬からマルクスやエンゲルスといったいわゆる赤い本を借りて来て、深夜コッソリ読んで興奮を覚えたりした。それが当時の沖縄の情勢であった。(略)殊に師範学校の教師が内務省の中央集権化の方向に反対するような研究(琉球王国の文化)をやる、そんなことは許されるはずがなかった。ところが、世の中の傾向がデモクラシーの社会運動にゆさぶられている時代であったので、またありがたいことに末吉麦門冬が『沖縄タイムス』でバックアップしてくれたので、私の琉球研究の芽は日一日と育って行った。・・・」

1978-4    『人間国宝シリーズ14 鎌倉芳太郎』講談社

1982-10  鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』岩波書店   
             



1998年    『沖縄県立博物館紀要』第24号□外間正幸、萩尾俊章「沖縄県立博物館草創期における文化財収集とその背景」
 ○1、首里博物館の時代  2、日本本土における文化財収集活動ー(1)1958年の文化財収集ー仲原善忠先生と我部政達氏 (2)1959年における文化財収集活動ー森政三氏、神山政良氏、東恩納寛惇先生 (3)1959年~61年の文化財収集ー鎌倉芳太郎先生 


2003-9     浦添市美術館「今甦る80年前の沖縄~鎌倉芳太郎の撮った遺宝・風物~」沖縄テレビ・琉球新報社


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2003-11


2007年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』第19号/2008年3月『沖縄芸術の科学』第20号




2007年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』第19号□粟国恭子「近代沖縄の芸術研究①-末吉安恭(麦門冬)と鎌倉芳太郎」


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○往年、沖縄の芝居ファンを沸かせた】『大新城誠忠伝』の「チーグー(唖)王」は、尚元王のことで、古典音楽で座開きに歌われる、有名な「かぎやで風節」(御前風)は、忠臣大新城が、尚元王の即位の嬉しさを歌ったのだともいわれています。『中山世譜』蔡温本によれば、尚清王が重篤となったとき、三司官の毛龍○<口+全>(新城親方安基、いわゆる大新城)、和為美(国頭親方景明)、葛可昌(城間親方秀信)を枕元に呼び、世子尚元を立てて、よく補翼せよと遺命して、亡くなりました。果たしてー 尚清王が亡くなると、和為美と葛可昌の二人は尚清王の遺命に背いて、「世子尚元は病弱である。大伊江王子(尚鑑心)こそ、王位に就くべきである」と主張したのです。(与並 岳生 )


池城毛氏
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琉文手帖で末吉安恭を特集したとき、池城毛氏のすべて(残っているもの)の家譜を参考にしたことがある。氏集には、池城、美里、東風平、佐渡山、安里、譜久村、豊見山、末吉、比屋根、新城、眞境名、伊計、豊世嶺、太工廻、嘉陽、宇江城、冨名腰、屋部、上地、内間、徳田、根路銘、冝保、名嘉山、吉永、豊國、大湾、野村、野里、翁長、普久本、浜川、牧志、澤岻、眞志喜、上里、長嶺、嵩原、小波蔵、宮城、粟国、徳松、仲山、手登根、高宮城が見える。

□毛姓池城家
一世 安基 新城親方(アラグスィクウェーカタ) 
童名 小太郎金(シュタルガニ) 唐名 毛龍□
万暦五年丁丑(1577)旧四月二十九日卒 号 雲心
父 何人たるが知らず
母 儀保之大阿武志良礼
妹 名並びに生日忌日伝わらず 金氏具志頭親方能安の室
室 和氏浦添親方景明長女 号桂林
長男 安棟
長女 真鍋樽 すなわち 尚元王の夫人 前之東按司 生日伝わらず 万暦二十四丙申(1596)六月十二日卒 号梅嶺 神主は天界寺に奉安す
次男 安昔 南風掟親雲上→古波蔵家の元祖
外子 宮良親雲上 此の人二女あり 一女は先の大浜親雲上の妻、今の大浜親雲上の祖母なり 二女は八重山大阿母志良礼となる 先の石垣親雲上の妻 今の前石垣親雲上の祖母なり

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2013年11月 来間泰男『グスクと按司ー日本の中世前期と琉球古代』上下 日本経済評論社(〒101-0051 千代田区神田神保町3-2 電話03-3230-1661/FAX03-3265-2993)
○私は、マルクスの資本主義批判の論理と結果に賛同している。だから大学で四〇年間も「経済原論」(マルクス経済学)の講義を担当してきた。その私は、しかし、「その次に社会主義社会が来る」とは考えない。資本主義に未来はないが、社会主義社会というものは、構想どまりで具体像を描き得ないものである。レーニンも、社会主義をめざした革命を主導したものの、社会主義社会を作る出発点にさえ立てなかった。権力を取ってみてはじめて、社会主義という社会、社会主義経済を基礎ににした社会がどのようなものであるか、初めて考えたような節があるのである。
このことは、社会主義の問題に限らない。帝国主義の植民地支配から脱却して、独立を勝ち取った国々も同じ問題に直面した。独立とは権力を取ることであり、政治を自由に運営するものである。植民地支配から脱却したいというのは、当然の要求である。しかし、経済は自由に運営できるものではない。それはマルクスが論証したように「価値法則」によって一人歩きするものである。アダム・スミスの表現では「見えざる手」によって動くということになる。

□著者は本書で沖縄史の時代区分を提案している。~10世紀ー縄文時代(貝塚時代)、11世紀~14世紀ー琉球古代(沖縄古代)、14世紀~16世紀ー琉球中世(琉球王国時代前期)、17世紀~19世紀ー琉球近世(琉球王国時代後期)、、そして沖縄近代(沖縄県時代)、沖縄現代(米軍占領時代、復活沖縄県時代)へと続くというものである。

○おわりにー(略)私は「沖縄史を読み解い」ていて、いくつかの説に疑問を感じて、それぞれにコメントしてきたが、振り返ってみると、安里進に対する疑問が大きな位置を占めていることに気づく。彼がこの時代について多くを語ってきたからでもある。安里はこれをどのように受け止めるのであろうか。「相対立する学説が、学問的な議論を戦わすことは、学問の進歩にとって必要・不可欠のことである。相互批判を通して自他との{自他のー来間}相違点を明確にするとともに、共通の認識を確認し、これを積み上げて学問の発展に貢献することのあるからだ。その意味で、論争は共同作業だと思う」。これは安里が、金武正紀の批判に答えた時の文章の一節である(『地域と文化』第57号、1990年)。安里が今もこの境地に立っていることを切に願う。

安里への批判は、それを容認し、積極的に受け入れてきた高良倉吉らへの批判に通じる。1980年代以降の沖縄史研究をけん引してきた高良は、沖縄の人びとに勇気と希望を与え、その歴史に自信を持たせたといえる。しかし、それは多くの虚構の上に成り立った「歴史」であった。今回もその一端に触れたが、このシリーズの進行に伴って、さらに明らかになっていくことだろう。(略)

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2013年11月19日、本日の地元2紙によると自民党県連は「県外とんでもない」と菅官房長官と石破幹事長に恫喝されたそうである。辺野古を埋め立ててヤンバルの自然を破壊するしか道はないという。国民の側は辺野古阻止へ新訴訟 ジュゴン原告団が米国内で検討している。沖縄県立博物館・美術館に行くと「写真で実感!!沖縄の生物多様性」と題する写真展が開かれていた。沖縄県発行の『生物多様性おきなわ戦略』パンフレットもある。



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2013年9月 尖閣諸島文献資料編纂会(〒902-0068 那覇市大道40番地 FAⅩ098-884-1958)『尖閣研究ー尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告』

尖閣諸島とは
Ⅰ尖閣諸島の漁業概要
Ⅱ聞取り編
1章 沖縄本島地区/2章 宮古島地区/3章 八重山地区/4章 漁場保全、領海警備
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ーなちかしや沖縄戦さ場になとて 世間おまん人(ちゅ)ぬ流す泪ー
この本を祖国日本と沖縄の同胞に捧ぐ
写真ー米軍家族住宅(ずけらん)/日本復帰活動の帰省学生の宣伝隊/これが今なお各地にある小学校校舎である。/第一号線軍用道路/平和を訴える琉球大学生、これがいわゆる琉大事件の発端となった/踏みにじられた稲田に乱立する鉄塔、農民達の訴えをよそに/琉球列島米国民政府長官オグデン少将と握手する琉球政府比嘉任命主席/見るかげもなく破壊された首里高校(旧沖縄一中)/無残にも破壊されたままになっている旧那覇市の廃墟。前方に見える鳥居は波の上神社跡。

悲憤の島オキナワの記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野好夫
○あらゆる意味において、オキナワは日本の縮図だとは、オキナワから帰ったすべての人の口から、わたしの直接聞いた言葉である。物質的生活の極度の困難から、やむなく精神的荒廃にまで追い込まれてゆく大多数の庶民、それらの犠牲の上にのっかって私腹を肥やす一部少数の追随的権力盲者、利権屋、享楽業者、そしてまた火事場稼ぎ組の渡来日本人、-まさしくこれは日本の縮図でなければならぬ。(略)わたしは本書にあって、一人でも多くの日本人が、悲しみの島オキナワの実情と、その県民の熱望とを、自分たちの問題として知ってくれることを、もう一度あらためて心から祈る。

郷土愛の結晶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神山政良・沖縄諸島祖国復帰促進協議会会長
善意の記録として・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沖縄県学生会
○またこの書の刊行に多大な支援を寄せられた宮城聰、神山政良、比嘉春潮、金城朝永の諸先生に感謝いたします。殊に金城先生には玉稿をいただいてお礼申し上げます。なお、この書の監修に当たられた新日本文学会員の霜多正次兄、同じく当間嗣光兄、それに城間得栄兄に感謝します。殊に当間兄には終始御尽力を煩わしました。
第一部
拳銃におののく村/百鬼夜行/琉球王国を夢みる人たち/ひき殺された二少年/琉球古文化財の行方/帰省学生の日記/沖縄の子供たち/売春の町/沖縄基地図/海なき海人

第二部
土地なき民/労働者と労働組合/ドルとB円経済のからくり/琉球大学事件/日本復帰への道
島の歩み(琉球の歴史と文化)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金城朝永
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当間嗣光

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1968年11月 東京沖縄県学生会『祖国なき沖縄』太平出版社/1954年6月 沖縄県学生会編『祖國なき沖縄』日月社


1968年11月 東京沖縄県学生会『祖国なき沖縄』太平出版社
○沖縄百万同胞の苦悩の歴史を知るためにー『祖国なき沖縄』の再刊にあたって・・・・・・・中野好夫
○悲憤の島オキナワの記録ー初版序文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野好夫
○売春の街ー女中からパンパンへ/悪魔のような仲介人/借金のある女が使いやすい/収入は半分わけ/妻はパンパン/夫は居候/パンパン街を育てるもの

○解題『祖国なき沖縄』以後の14年……………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・新里恵二
○『祖国なき沖縄』の再刊にあたってー初版の監修者として…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当間嗣光
○即時祖国復帰をたたかいとるためにーあとがきに代えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東京沖縄県学生会

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写真・上原健次

瑠璃色の海恋う漁夫に似てわれも深き青さの肺にみちくる   喜納かつよ

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2013年9月 『沖縄の軌跡』第107号<南信州狼煙リレー(3)> 島袋和幸〒124-0011葛飾区四つ木4-18-10

□『南信州新聞』[ 2013年 9月 10日 ]
南信州狼煙リレー 諏訪までの24地点結ぶ 
武田信玄が戦国時代にのろし台を配備したとされる飯田下伊那の地域が連携して行う「南信州狼煙(のろし)リレー」は7日午前、根羽村の杣路(そまじ)峠をスタートに、伊那谷の21地点をリレー点火した。2007年に神之峰でのろしを上げて7年。毎年参加地域は増え続けている。ことしは杣路峠での点火を皮切りに、飯田下伊那南部から北部へと12地点で順次のろしを上げ、中川村の人馬形や高遠城跡など上伊那郡につなげた。8日は諏訪市の3地点で点火された。このうち、同市上久堅地域の神之峰はかがり岩付近でのろしを上げた。ことしは上久堅小学校6年生2人が卒業記念として鎧兜(よろいかぶと)を身にまとい着火。午前9時3分に下條村の極楽峠からののろしを確認すると、同6分、児童2人が準備された点火材のわらに着火。スギが勢いよく燃え、煙が高々と空に上った。2人の児童は「鎧兜はちょっと重かったけど、昔の人の気持ちが体験できた」、「着る機会がない鎧兜で、とてもいい経験になった」と話した。信玄は根羽村の杣路峠から甲府までの間にのろし台を数多く配置して、三河の情報を伝達していたとされ、のろし台のあった飯伊の二十数カ所は強く結びついていたという。リレーイベントは、戦国時代の情報伝達網を通じて地域の密接な関係を再現し、郷土学習を重ねながら今後の地域づくりを考えることがねらい。上久堅のろし研究会の塩沢清吾会長は「参加は広がっているが、焦らず気長に続けたい。将来的には山梨県甲府市までつなげることができれば」と話した。




2012年6月29日『東京新聞』


2013年8月11日『東京新聞』
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1990年9月 池宮正治『沖縄の遊行芸 チョンダラーとニンブチャー』ひるぎ社
○現在本島中部を中心にもてはやされているエイサー芸能からは想像もできないが、かつては全く念仏歌も多く保存されていたに違いない。『国頭村の今昔』(1970年)には「エイサーのもとのうた」として、若干風化しているが、比較的長い「継母念仏」が紹介されているし、『島尻郡誌』(1937年)にも、「やいさー歌」として、眞和志村(現那覇市)上間では「親の御恩」がうたわれていたし、南風原村の或字では「継母念仏」、真壁村(現糸満市)でh「親の御恩」など、比較的完全な念仏歌がうたわれていた。古くはこうした念仏歌を霊前で歌って供養するシ―リアスなものであったものが、「打ち晴れ」の部分だけが肥大化するにつれて、信仰もうすれ、念仏歌も漸次忘れられるようになったものと思われる。ただエイサーの念仏歌がチョンダラー(ニンブチャー)の影響と直ちに言えるかどうかは疑問で、チョンダラーたちも含めた形で本土の影響を受けたのかも知れない。しかし、また全く無縁であったとも思えない。エイサーの時に出るおどけはどうであろうか。万才系の芸能の名残りかも知れないのだ。またエイサーの時、瓶を棒でかついで各戸から酒をもらい歩くが、これも乞食と言われたニンブチャー(チュンダラー)の影響と見ることもできる。だがこれも古くさかのぼれば、単なる乞食ではなく、もともと念仏者である自分に喜捨させることにより、罪多き衆生を仏縁につなげ、善根をつませる積極的な意味があったと思われる。後にはいよいよ生活の手段として全くの乞食になったであろうが・・・・・。

チョンダラー(ニンブチャー)たちの祖先の念仏僧たちは、信仰の普及という熱意にもえて、幾代幾度にもわたって、海上の危険をおかし、南海の島々に渡来した。そして、彼らの芸能はさまざまな形で地方に伝播し、民衆の精神生活を支え、芸能を豊かにしてきた。王府が保護した、いわば官製の仏教に比べて、未公認の浄土教の、沖縄へ与えた影響はきわめて大きいと言わねばならぬ。



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2013年11月3日 パシフィックホテル沖縄「沖縄県功労者表彰式」
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山田實さん写真仲間の面々

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受賞者代表挨拶ー山田實さん「(略)長生きしてもっと頑張らないといけない、という意欲が出てきた・・・」

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術館初代館長)。


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1974年12月 『青い海』となきあきら「民謡とわたし」
1976年5月  『青い海』となきあきら「遊びの中のわらべうた」
1976年8月  『青い海』となきあきら「喜劇の王様・小那覇舞天を偲ぶ」

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