Archives

You are currently viewing archive for April 2014
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02




写真ー渡嘉敷唯信
渡嘉敷唯信(1910年~2002年1月17日逝去 二中14期・1928年卒 )「牛と雀」→那覇市『明治・大正生まれの作家たち』
沖縄県立二中(同期に当山堅一、山田有昴)を経て明治学院大学を卒業。独立美術研究所にて修業、小島善太郎に師事。1945年に独立美術会友、49年に自由美術会員、64年に自由美術退会し、70年より80年までの間に3回にわたって海外取材旅行をなす。



1985年3月 米城律・伊藝滋『石川正通追想集』石川澄子□渡ケ敷唯信(石川澄子は姉)「嘉納治五郎を救った話」

新川唯盛

「石垣」

「勝山の港」

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02


null

郷友会会長を離任した上原小一氏と前会長の上江洲裕寿氏

null
新城粟国村長の挨拶

null
ムンジュルー
null

null
写真左からオキジム会長の新里有四郎氏、糸数信一32代郷友会長、新会長の与那城昭広氏

null
写真左が粟国村教育長の伊良皆賢哲氏、粟国幼小中学校校長の島史生氏
null

null
写真左が新里有四郎氏、レストラン宝楽の新城栄豊氏
null




写真右が新里有四郎氏、郷友会副会長の玉寄貞一郎→「沖縄県 ウォーキング協会 応援団の紹介|健康おきなわ21」」


null

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02


宮城久隆「関西の人々」



1960年1月『今日の琉球』弟4巻第1号


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
私はこれより各時代に於ける言葉の、沖縄語と同じく、若しくは似ている所のものを時代順に挙げて、沖縄語は日本語なりと云ふ証拠を示したい。先づ奈良朝時代の言語を代表するものとして、萬葉集から抜き出して見やう「わがききし耳によくにるあしかひのあなへくわかせつとめたふべし」のあなへくは、びっこひくと云ふ意味で、即ち沖縄語のなへぐに當る。「葦北の野坂の浦に船出してみ島にゆかむ波立つなゆめ」のなゆめは現に吾等が日常使用している「あんしなゆみ、かんしなゆみ」のなゆみと同じ意味である。沖縄語に心元ないと云ふことを「くくてるさ」と云ふが其の語源はわからない、茲に萬葉にこれと似た言葉がありはあるが、まだそれが直ちに同一のものであると云ふことは断定が出来ない。「春日山かすみたなびきこころくくてれる月夜に独かもねむ」のこころくくは心憂くの意であると解され、てれるは月夜にかかるものとすれば「こころくくてれる」と「くくてるさ」と一緒にすることは出来ないが、唯こころくくくくくくてるさくくは同一であるとしてもよい。


1923年2月 沖縄県立図書館『図書館報』

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
2004年2月14日ー『沖縄タイムス』新城栄徳「うちなー書の森 人の網⑯」(追記)
□(略)先月は舅・金城宏次の85歳(申年)生年祝が読谷であった。楚辺公民館で合同、自宅では孫20人に囲まれ盛会に終わった。舅の祖父英三は旧藩時代、福建省を往来したことがあり、その父は読谷山間切最後の地頭代としてつとめた。舅の父三平は沖縄県国頭郡各間切島組合立農学校(後の県立農林学校)の2期卒業、同期生に前川亀助、宮城久保、宮里貞寛、中村権五郎らが居た。1期にカキ王と云われた宮城新昌が居る。卒業生が海外雄飛でアメリカやハワイに渡航するなか、三平は読谷で教員をつとめた。地元で信望があったが早逝した。

舅は尋常高等小学校卒業後、上阪。福田自動車の製造工、昭和15年、自動車運転免許を取得。同年に西淀川区で徴兵検査で甲種合格。昭和16年1月10日、熊本西部二十四部隊(輜重兵第六聯隊)自動車隊に入隊し、半年間の教育修了後、東シナ海を経て上海に到着。独立自動車部隊・独立輜重自動車隊、更に輜重兵第二十二聯隊(原第七九三八部隊)に転じた。杭州の西湖近くに駐屯した。尾崎秀樹『西湖のほとり』に「西湖の孤山には乾隆帝の『四庫全書』を納めた文瀾閣があった(略)西湖の地はマルコポーロも足をとめているし、日本の空海もはるばるこの地を訪れている」とある。舅がかの地で戦死していたら20人の孫たちは存在しなかった。
null
西湖

西湖の紹介
null
西湖(せいこ)は、中国浙江省杭州市にある湖。 西湖の自然の島である孤山、西湖を分ける堤の苏堤、白堤、杨公堤、人口の島である小瀛洲、湖心亭、阮公墩、分けられた湖の外湖、西里湖、北里湖、南湖、岳湖、これらをまとめて形状を「一山、三堤、三島、五湖」と称される。2006年に、中国の国家AAAAA級旅行景区に指定される。2004年発行の第五版人民元1元札裏面の図案として、西湖の三潭印月が採用されている。 名称からして都市や山の西にある湖ということで、中国に数ある西湖であるが、単に「西湖」と言えば、この杭州の西湖を指す。その美しさは、古くから多くの詩にうたわれ、絵にも描かれ、詩人?蘇東坡が春秋時代の美女?西施にたとえたほどで、それが西湖の名の由来ともなった。 (→樂遊中国)

null
前列右から2人目が金城宏次

null
戦友たちから金城宏次宛のハガキ

1982年10月11日『琉球新報』「金城宏次さん/わたしの秘蔵品ーラジオ電蓄」

軍歌「戦友」を「支那事変」に従軍した新城慶喜小父(画家の新城兄弟の父)から聴かされたことがある。京都丹後学会のホームページに「歌の作者は真下飛泉、発表は1905年。前年には与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』が出ていた。真下には戦争体験はない。知人から奉天大会戦の悲惨な経験をつぶさに聴いて感動し、この歌を作った」とある。

軍歌が似合う時世になった。森繁久弥の歌う「戦友」を聴きながら記す。亡き戦友への鎮魂」の歌である。満州の「赤い夕日に照らされて/友は野末の石の下」。

2004年3月27日ー『沖縄タイムス』新城栄徳「うちなー書の森 人の網⑲」
□前に舅の戦時中のことを書いたら当時の戦友から、電話があり体験を20分も話してくれた。その翌日2月16日の本紙社会面に「戦争今昔伝えたい」として平良真六氏と宮良作氏の記事があった。そして真六氏の二女・次子さんから「先日、タイムスで新城さんが”軍歌”に触れていた」からと記事にあった真六氏の「回帰」と題する軍歌が送られた。


舅は終戦を経て昭和昭和21年9月、バンコクを出航し浦賀上陸、復員した。帰郷、米駐留軍施設の輸送部隊勤務を経て沖縄バスに勤務。


戦前の嘉手納比謝橋下方


» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
沖縄文化の杜発足に尽力した後田多敦さんが出版舎Muɡen(〒900-0013那覇市牧志1-4-31-2F 電話&fax 098-863-2562)から『琉球の国家祭祀制度ーその変容・解体過程』を刊行した。私は今、ブームというか年中行事的な薩摩侵攻や、琉球処分の話は食傷気味であったので、そういうものとは違う切り口で論を展開しているところに新鮮さがあって読んで違和感がない。『琉文手帖』の年表を引きながら感想を述べてみたい。

1874年の春、伊地知貞馨、駅逓寮真中忠直来琉。7月ー琉球藩事務が外務省から内務省に移される。/75年7月ー内務大丞松田道之、伊地知貞馨、河原田盛美一行70人余来琉。9月ー日本国郵便蒸気汽船会社解散、日本政府は大有丸を琉球藩に下付。/76年7月ー内務大丞木梨精一郎来琉。熊本鎮台分遣隊・警部・巡査ら那覇古波蔵に駐屯。8月ー他府県からの移住の商人50人余、陸軍省派遣の職工138人、女1人。この年に琉球正史『球陽』など書き継ぎ終わる。

1877年9月ー西郷隆盛自刃、西南戦争終わる。10月ー琉球藩裁判事務が大阪上等裁判所に移される。/78年1月ー軍医渡辺重綱来琉。7月ー真宗本山(大教正大谷光勝)小栗憲一を琉球に派遣し門徒の赦免を要求。3月ー圓山仲次(1913年尾花に改姓)兵庫県に生まれる。3月ー松田道之、後藤敬臣ら内務官僚42人、警部巡査160人余、熊本鎮台分遣隊400人を伴い来琉(岡規『琉球出張日誌』、『元大阪市長池上四郎君照影』)。松田道之、首里城にて「廃琉置県」の御達書を手渡す。5月ー鍋島直彬沖縄県令、長崎出身官僚32名で着任。1879年5月ー元琉球藩王尚泰、東海丸で那覇港から上京の途につく。鹿児島琉球館を経て6月に神戸。新潟丸で神戸出港。

本書によれば、明治政府は置県後、権力を掌握すると統治体制(組織や人材)の整理・再編、さらには琉球の国家祭祀の根幹部分を事実上解体し、日本教育の導入を推し進めた。その過程で琉球国の制度で利用可能なものは、多少の問題を抱えたとしても「温存」し、時間をかけながら新しいものに取り替えていった。地方行政機構などがその例として上げられるだろう、としている。また、一方で、琉球特有で個性が強いもの、日本統治と根本的に相容れないものは排除され、多少の混乱があっても新しいものに取り替えた。教育がその一つの事例である、とする。

本書は、琉球国の各所で行われていた祭祀は、琉球社会の共同空間・世界をつくりあげるものだ。家、村落、地域、そして、国。次元は異なっても、祭祀の担い手や場所、おたかべなどをたどれば、祭祀が琉球社会を結びつける紐帯の役割を果たしていたことが分かる。いいかえれば、国家祭祀は琉球社会の一つの時空として結びつける重要な要素であった。(略)琉球国祭祀は過去に確かに存在していた。そして、その記憶がまだ沖縄社会に生きている、とする。これは文学、美術の世界にも当てはまる。


2016年7月 後田多敦『「海邦小国」をめざして「史軸」批評による沖縄「現在史」』出版舎Ⅿugen(〒900-0013 那覇市牧志1-4-31-2F ☎FAX:098-863-2562)

まえがき 「海邦小国」の記憶と現在
 第1章  「海邦小国」をめざして
第2章  「海邦小国」思想の源流
第3章 「海邦小国」を拒むもの 批判論集
     小説「テンペスト」の比喩と歴史像 歴史修正主義批判
     沖縄の批評における「史軸」の重要性 ヤマトに立脚する内外の言説批判
     沖縄とヤマトの歴史は「真逆」である 「冊封儀礼」再現に関する新聞投稿への批判
     「ミスリード」の仕掛け 森宣雄氏の仲井眞知事擁護論批判
     沖縄の歴史文化を否定する動き 二つの住民訴訟の持つ意味
     問われる沖縄の主体性 沖縄の主権を簒奪するヤマトとそれに迎合する沖縄人批判
     「差別」「植民地」をめぐる沖縄知識人の言説 高良倉吉氏批判
第4章 「海邦小国」をめぐる諸相
      (1)沖縄「現在史」
      (2)沖縄人の生きざま

2013年12月27日『琉球新報』「関係者によると、仲井真知事が(辺野古埋め立て)承認を表明する27日の記者会見の発表文や想定問答は、高良倉吉副知事を中心にまとめられている。」

2013/04/28 -アベ 政府は、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」と位置づけ式典を開いた。県民にとって「屈辱の日」とされる4・28に「主権回復」の式典を開くことは「再び沖縄切り捨てを行うものだ」と、県民は怒っているが、仲井眞県政は、その式典に副知事を送り込んだ。○「差別」「植民地」をめぐる沖縄知識人の言説 高良倉吉氏批判)ー副知事だった高良氏は、仲井眞沖縄県知事の名代として式典に参加している。(略)この場の体験は高良氏にとって「差別」を「思い知る場面」ではなかったようだ。氏が歴史家であることを考えれば、これは衝撃的な告白である。/「ミスリード」の仕掛け 森宣雄氏の仲井眞知事擁護論批判(2016年7月 後田多敦『「海邦小国」をめざして「史軸」批評による沖縄「現在史」』出版舎Ⅿugen


1991年4月19日『レキオ』
 
2013年7月 与那原恵『首里城への坂道ー鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』筑摩書房
○あとがきー(略)鎌倉は、末吉麦門冬との出会いが琉球芸術調査のきっかけとなったけれど、私にも琉球史への目を大きくひらかせてくれた恩人がいる。琉球史家の高良倉吉さんで、沖縄に行くたびに泡盛を呑みながら、愉しい「ゆんたく」(おしゃべり)をさせてもらった。

 2016年10月23日『琉球新報』○「大阪沖縄県人連合会 創立70周年記念特集」□本来なら大正区の大正会館で開かれた琉球新報移動編集局フォーラムの参加者(高良倉吉元副知事、嘉手川重義、筋原章博大正区長)に『土人』発言のコメントを取るべきだが、取れないこと(取れない事情あり)を見越して沖縄タイムスが上記のように、「差別発言『許されへん』『土人』大阪府知事対応に関西の声」と大きく社会面で取り上げた、と思われる。兵庫、大阪の県人のコメントが少ない。兵庫は機関紙でやるはずだから、問題は大阪だ。これは新報にも発言させる責任がある。何故なら「沖縄差別は無い」という人物に講演を依頼しているのだから。ま、私も鈍感な性質で差別は感じたことがないが。近日には新報も関西の県人の声を取り上げるかも知らん。県人会は政治的なものには基本的にタッチしないが、ダンマリを決め込むと、関西沖縄文庫の金城馨辺りがどう出るか。

 今はネット時代である。国家公務員などの経歴は検索すればすぐ分かる。□沖縄県警本部長の村田隆(むらた・たかし)は東大卒。1984年警察庁。警視庁第1方面本部長、警察庁国際テロリズム対策課長などを経て、2009年10月から大阪府警刑事部長。50歳。福岡県出身とある。沖縄県警本部長になったのは警察庁国際テロリズム対策課長の経歴が買われたかも知れない。□松井一郎は、競艇場の照明など電気設備の利権を一手に握っている笹川グループの一員 。競艇利権は、松井知事の父親である元府議会議長の松井良夫元府議から引き継いだもの。 父親の良夫元府議会議長は、知る人ぞ知る故笹川良一の直系の子分だった人物 。父親の良夫元府議会議長は笹川良一払い下げの超豪華なキャデラックを乗りまわしていたぞな、もし。

 2016年10月23日『琉球新報』「『人類館』から連綿と 機動隊差別発言」○(略)関西沖縄文庫の金城馨さんは『発言した個人でなく、日本社会が生み出した意識の問題だ』と指摘。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2014年4月16日ー写真左から新城栄徳、麦門冬孫の石垣長敏氏と石垣米子さん
今回、石垣市立八重山博物館所蔵で、八重山白保(真謝)の与人(真仁屋与一)の家・石垣家が所有した知念大工型三線を見に来館したもの。真仁屋は、西表島古見を舞台にした古典音楽「古見の浦節」の作者・大宜見長稔の実家で、同三線は長稔愛用と伝わる。
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
2007年10月、第4回沖縄コレクター友の会合同展示会が9月25日から10月7日まで西原町立図書館で開かれた。会員の照屋重雄コレクションの英字検閲印ハガキが『沖縄タイムス』の9月29日に報道され新たに宮川スミ子さんの集団自決証言も報道された。10月4日の衆院本会議で照屋寛徳議員が宮川証言を紹介していた。重雄氏は前にも琉球処分官の書簡で新聞で話題になったことがある。

照屋重雄さん

合同展の最終日は読谷の義父の米寿祝いがあった。途次、息子の運転で母も連れ合同展を見た。上原会長、翁長副会長、宮城図書館長に息子を紹介した。米寿祝いは読谷「体験王国むら咲むらククルホール」であった。友の会副会長の翁長良明氏は36年間「芸大」近くで、なるみ弁当を営んできたが2007年に車道拡張で立ち退きを迫られ廃業に至った。本人は至って意気軒昂で古美術商の免許も取り第二の人生スタートと張り切っている。10月放送の「なんでも鑑定団」に出演したが10月3日の『沖縄タイムス』ダーヴァにテレビ出演の予告と「戦中のお宝ざっくざっく」と題してコレクションの一部が紹介された。10月5日の『琉球新報』に翁長氏は「戦後の象徴『石川』(東恩納博物館)」を書いた。

 ここで沖縄コレクター友の会の歩みを示す。
 1974年発行の『琉球の文化』第5号の特集は<沖縄戦と終戦直後の生活>であった。掲載の戦後沖縄の写真はハンナ少佐が撮ったもので、少佐の友人ジョージ・H・ケアから博物館研修で渡米中の大城精徳に譲られ沖縄の博物館に収蔵されたものである。

 同誌には画家・大嶺信一の戦後回顧が載って「終戦後の行政の中心地は石川市であったが、当時沖縄最大の人口密集地帯で、バラックやテントの人家がまるでカスパの街のようにひしめきあっていた」と記し続けて「諮詢委員会が東恩納に軍政府の下に設立され、志喜屋孝信氏を長として多くの部が作られ、その中に文化部があって故当山正堅を部長として、官費の芸能団が組織され、官費の画家が誕生して、荒んだ戦後の人心に慰安を与えた。軍政府の文化部担当将校がハンナ少佐で、理解の深い人であったらしく、大城皓也、山元恵一、金城安太郎の3氏が毎日出勤して絵画に専念」と記した。

  2002年2月、会員の真喜志康徳氏が南風原文化センターで「真喜志康徳の世界展」を開いた。5月には会員の上原実氏が糸満中央図書館で復帰30周年特別記念展として「上原実コレクションに見る沖縄の人々と祖国復帰」を開いた。同月、リュウボウ沖縄広告協会創立20周年記念事業「沖縄の広告展」には会員5名がコレクションを出品した。2003年に会員の伊禮吉信氏が運営する諸見民芸館で「懐かしのガラスビン展」が開かれた。

 2004年8月、会員の翁長良明氏が宜野湾市立博物館で「世界のお金展」、沖縄県立博物館で友の会の第一回合同展「沖縄歴史を綴る秘宝展」、壷屋焼物博物館で翁長氏出品の「沖縄の酒器・沖縄の古陶コレクション」が相前後して開かれた。2005年5月、新城栄徳、上原実出品「琉球弧の雑誌展」が沖縄タイムスロビーで開かれた。6月、諸見民芸館で「あの時、あのころ、なつかしのレコード展」、8月には西原町立図書館で第二回の合同展「コレクター収集資料展」、10月に琉球新報本社で真栄城勇、上原実出品「号外に見る沖縄戦後60年」が開かれた。

 2006年2月、宜野湾市立博物館で伊禮吉信出品「パッチーの世界」、8月の宜野湾市立博物館の「あわもり展」には会員5名が出品した。9月には沖縄市立郷土博物館で第三回の合同展「私のコレクション」を開催した。12月、名護市立中央公民館で翁長氏の講演「私のコレクション」があった。

 沖縄コレクター友の会の新城栄徳は、1988年の緑林堂書店発行『琉球弧文献目録』No.6に「沖縄出版文化史ノート」を書き諸見里朝鴻、佐々木笑受郎、宮田倉太の顔写真も入れた。緑林堂店主の武石和実さんの紹介で新城は、古書店の業界誌『彷書月刊』(1990年2月)に「沖縄に来た画家たち」、「全国古書店案内65沖縄那覇・宜野湾」を2006年5月に書いた。後の古書店紹介では、古美術・観宝堂(TEL:098-863-0583)と諸見民芸館(TEL:098-932-0028)も取り上げた。諸見民芸館館長の伊禮吉信さんは沖縄コレクター友の会のメンバーである。

 2007年のコレクター友の会の例会に県立芸大の粟国恭子さん、浦添市美術館の岡本亜紀さんが参加し「沖縄の金細工展実行委員会」にコレクター友の会も参加を要請された。8月、浦添市美術館での「沖縄の金細工ー失われようとするわざ・その輝き」に会員有志が出品した。

 沖縄コレクター友の会副会長の翁長良明氏は、2008年9月13日~23日まで沖縄市・沖縄こども未来ゾーンのワンダーミュージアムでふるさと園ちゃーがんZOOまつりの一環として「沖縄のお金、世界のお金展」の開催に協力した。翁長氏は首里の雨乞森にあったテレビ塔を持っている。無論、鉄骨全部の保存となると部屋いっぱいになる。肝要な部分と、写真、内部文書を所蔵している。それらのモノは生きた沖縄放送史の証言者ともなっている。翁長氏は戦時中の伝単(宣伝謀略ビラ)や、『ウルマ新報』創刊号を始めとして、新聞人の手書きの原稿(伊江朝助、池宮城秀意)、内部文書などを所蔵している。

 那覇市の平和通りから壷屋焼物通りに抜ける界隈は古美術なるみ堂や、成美堂(TEL:098-862-0041)、琉球文化屋(TEl:090-9656-6155)などが集まっている。旧グランドオリオン通りに沖縄コレクター友の会の仲里康秀さんが「しんあいでんき」(TEL:090-3322-9908)を開いた・古いラジオ、カメラ、時計や戦前の沖縄風景写真が並んでいる。仲里さんに関して新城栄徳が2004年3月の『沖縄タイムス』・「うちなー書の森 人の網」に書いた。「先月、沖縄コレクター友の会ドゥシ真喜志康徳氏と共に南風原町の仲里康秀氏宅へ遊びに行った。古いジュークボックスなどに囲まれた部屋で1968年の『知念高校卒業アルバム』を見た。恩師の当間一郎、山内昌尚、饒平名浩太郎、津留健二。卒業生の物理・放送・無線クラブの仲里康秀、社会クラブ大城和喜、上江洲安昌、宮平実、高嶺朝誠らの諸氏の顔が並ぶ」。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
null
沖縄コレクター友の会


南風原レストラン「沖縄コレクター友の会例会」
眞喜志康徳(郷土歴史研究会眞玉会)ー南風原町字与那覇79 ℡889-4261
null
『オキナワグラフ』2009年8月号

会長兼事務局
上原実ー糸満市西崎1-33-6 ℡090-1941-5268
null
『オキナワグラフ』2008年9月号

会員
伊禮吉信(諸見民芸館館長)ー沖縄市諸見里3-11-10 ℡090-9789-9289
与儀達憲(壺屋焼物博物館友の会会長)ー那覇市古島1-5-6 ℡090-4470-3738
和田正義(古文書収集家)ー那覇市上間344-1-804 ℡831-6257
□2009年12月8日『琉球新報』高良由加利「松田道之の書簡発見/那覇市の和田正義さん、1872年『滋賀新聞』も」







2010年8月25日『琉球新報』高良由加利「はと笛ー『人とモノの物語 沖縄コレクター友の会会員コレクション展』が24日、那覇市立壺屋焼物博物館で始まった。-」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
null
東京ディズニーランド入り口で息子とさやかーTDR東京ディズニーランドは、オリエンタルランド(OLC)が米ウォルト・ディズニー側と“ライセンス契約”を結び、運営している。
null
国際科学技術博覧会 で息子とさやか
茨城県で開催された国際博覧会。開催期間は1985年3月17日から9月16日。入場者数は2033万4727人。「科学万博」とも。テーマは「人間・居住・環境と科学技術」。→コトバンク
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 著者の三十年間にわたる博物学の巨人と称われた南方熊楠への取材と資料渉猟のなかで明らかにされた、沖縄の民俗学の異才、末吉安恭の存在。南方熊楠が強い興味を示し、また海の彼方から反骨の熊楠に熱い眼差しを向けていた末吉安恭その人の、知られざる人生に光をあてる。
null

神坂次郎の本(文庫本)

神坂次郎
2005年2月13日『琉球新報』新城栄徳(書評)ー神坂次郎『南方熊楠の宇宙』(四季社)/今や、世界遺産「熊野」の顔ともなった和歌山在住の作家・神坂次郎さんから特急便で本書が送られてきた。そして「啓、ずいぶん長い時間がかかりましたが、ようやく、ほんとうにようやく『安恭さんの本』が出来ました。まず最初の一冊を新城さんに献じます」の文もそえられ、かつ、感極まられたのか「待ち待ちし麦門冬の花咲きにけり/次郎(印)」と揮ごう社主催の講演で麦門冬・末吉安恭を紹介された。


出版した『南方熊楠の宇宙: 末吉安恭との交流』四季社と、熊楠直筆の手紙を持つ神坂さん
 
null      



» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
null
1914年正月『琉球新報』広告

福禄寿は中国では南極老人という。いつも杖を手に持ち、腰には瓢箪、しばしば白い鶴、ときには亀を従えて、道教での理想の姿となっている。滝沢馬琴『椿説弓張月』の北斎挿絵には「球陽福禄寿」が登場する。寿老人も中国では同じく南極老人と言われた。序に京都に「都七福神」、神戸に「西国七福神」巡りがあるが七メンバーに定着したのは江戸後期と言われている。七福神のうち恵比須だけが日本固有の神だが、これとて夷、戎、蛭子とも書くように、海の向こうからやってきた荒神だ。大黒天は室町の頃から恵比須と一対になり、家を守る神として祀られた。大黒は円満温厚な福相とはうらはらに出自はインド・ヒンドゥ教の破壊を司る大変恐ろしい神マハーカーラである。毘沙門天もヒンドゥ教の神でヴァイシュラヴァナという軍神だ。布袋尊は宇治萬福寺天王殿に鎮座する布袋が有名だが、中国の後梁時代に実在した僧と考えられ、且つ弥勒菩薩の化身とも言われている。弁財天は奈良時代に8本の腕を持って伝来、本来はヒンドゥ教の水(河)の神、サラスヴァティであった。

null
null

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

京都・西本願寺で遊ぶ息子(麦門冬没後50年。老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ると、老婆に子供(一寸法師)が生まれたというお伽噺がある住吉大社近くの病院で息子は生まれた。)

null
nullnull
明日香で遊ぶ息子ー1972年、発掘調査によって美しい壁画がみいだされ、有名になった高松塚古墳である。明日香村平田にある。


null
明石市立天文科学館で遊ぶ息子

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1980年6月 大田政作『歴史の証言ー米占領統治下における沖縄の歩み』力富書房
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02




2014年4月10日 武石和実氏

新城栄徳(平良次子さん・撮影)



Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

右が金城あけみ
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02


撮影・山田實

『オキナワグラフ』
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02


山川岩美氏(右)と新城栄徳


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

中央ー平敷慶秀氏
.



2012年9月25日~10月7日 青砂工芸館「琉球藍染工房展」

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02





「関東大震災。虐殺事件」2014年4月20日13時~17時 若狭公民館 ℡098-917-3446 どなたでも自由参加

null

1923年9月1日ー関東大震災ー東京という<日本の近代>が瓦解


□1992年10月ー毎日グラフ別冊『関東大震災69年』毎日新聞社

□当時の人口1175万人(現在4000万人)
・マグニチュード:7.9(阪神大震災:7.3)
・死者、行方不明:104,619人(阪神大震災:5,502人)
・家屋被害   :296,206戸(阪神大震災:100,282棟)
関東大震災の死者の多くは、火炎流による焼死者で、たった一箇所で死者3万8千人とも、4万4千人とも言われる焼死者を出したのが、当時の本所区横網町(現在の墨田区の一部)にあった本所区被服廠跡。2万430坪の敷地の中で火炎流にのみこまれて死亡したのです。また、上の表を見ると家屋の損害も、地震による倒壊よりも火災による焼失が圧倒的に多いのが分かります。つまり、火災被害が関東大震災の大きな特徴なのです。 (→住まいの水先案内人)


□2009年9月ー島袋和幸「沖縄の軌跡№65ー<検見川事件>秋田県人・藤井金蔵、三重県人・真弓二郎、沖縄・儀間次助3県人の殺害事件の真相」



04/08: 曹氏③

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
null
大宗 慶白ー慶京ー慶均ー慶隆
三世 慶均 瀬底親雲上ー1645年 本国中絵図ト為リ薩州ヨリ鬼塚源太左衛門殿 遠武軍介殿 大脇民部左ヱ門殿 簗瀬清右ヱ門殿 渡来ノ時案内者ト為リ東氏当山親雲上政左、李氏長嶺親雲上由恒筆者ト為リテ勤ム





Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1966年『現代沖縄人物三千人』沖縄タイムス社

1993年5月1日 『おきなわの声』第161号 新垣淑明「散歩道/虎頭山周辺①」
1993年6月15日 『おきなわの声』第162号 新垣淑明「散歩道/虎頭山周辺②」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1966年『現代沖縄人物三千人』沖縄タイムス社「高里良恭」

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
墓前で先祖を供養する清明(シーミー)




クワディーサーとは和名ではコバテイシやモモタマナという樹木。うるま市屋慶名には「屋慶名クワディーサー」という有名な民謡があるのでそれをマンホールのモチーフにしたのではないかと思われる。→「DEEokinawa」


null
1953年4月5日に慶福翁が門中総代として神御清明祭で次のように祭文を読み上げている。「曹氏第11代 島袋慶福 謹んで墓前に於いて呈します。(略)平敷慶隆様が検地のため粟国島に御出張になり同地御滞在中(約半ケ年)に粟国にも御子供が出来て現在でも大へん子孫繁昌してをるように聞きます。・・・」


平敷慶隆
1972年11月 外間守善『おもろ語辞書』角川書店

1982年9月 池宮正治『近世沖縄の肖像 上 文学者・芸能者列伝』「平敷慶隆」

1983年5月 『沖縄大百科事典』池宮正治「平敷慶隆ー実務的官僚としてもすぐれ、本土文芸の教養もあり、書も達者だったことがわかる。1702年には内裏言葉并女官糺中取に任ぜられ、『混効験集』や『女官御双紙』の編集に関与した。」

1993年2月 『真境名安興全集 第三巻』「備忘録(昭和6年)/28、曹氏の墓の副葬品ー曹氏浦添筑登之慶白の墓の副葬品に短刀と『カミサシ』とあったようであるが、『カミサシ』は『イチュビガ』金にて茎は銀であったと、その裔孫(島袋慶福)の人の話である。家譜によると此人は尚清王時代に唐船改奉行となって唐に渡られたことがあるけれども年代は伝わらない。36才で死んだようである。又この人の子孫に内裏言葉の編纂にたずさわった人がある。」

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1950年6月 雑誌『おきなわ』高嶺明達「南島風土記に奇すー東恩納先生は又『自分は最後の沖縄人を以て自ら任ずる者である』と云われた。私も亦沖縄人、而も善かれ悪しかれ最も日本化した沖縄人を秘かに任ずる者である。先生に云わせれば、そんなのは沖縄人でないと云われるかも知れないが。自分のことを申し上げ過ぎて恐縮だが、私は那覇の久米村で生まれた・・・」

1952年11月 高嶺明達『太平洋の孤児 米国統治下の琉球』沖縄通商
null


高嶺明達

高嶺明達 (たかみね・めいたつ)
1898~1966(明治31.8.22~昭和41.11.8) 官吏。旧姓・楚南。那覇市久米生まれ。東京帝大卒後、商工省入り。軍需省総務局長など歴任。戦後、B級戦犯で公職追放。復帰前の沖縄と政府のパイプ役を果たす。→沖縄コンパクト事典
妻・芳子は岸本賀昌の娘


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02




Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1987年3月 『新沖縄文学』第71号「特集ー島尾敏雄と沖縄」
1989年9月 『新沖縄文学』第81号「特集ー奄美から見た沖縄」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



テープカット左から萌子さん、安里進氏、木下晋氏、上原徹氏、平良知二氏


左から翁長邦子さん、粟国恭子さん、宮城篤正氏、波照間永吉氏

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「仲村隆夫」

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「翁長良保」




1939年1月15日『大阪球陽新報』翁長日ねもす「近詠」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「早野参造」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「金城時男」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「上原仁太郎」

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1959年5月 『オキナワグラフ』

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「八幡一郎」


1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』「八幡一郎」

1978年ー神山政良氏カジマヤー祝で、左から八幡一郎、松本三益、金城唯温、島清

1988年6月15日 『おきなわの声』第103号 新崎盛敏「八幡一郎さんを偲んで」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「與儀美登」


1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「與儀實久」


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1959年5月 『オキナワグラフ』


1966年『現代沖縄人物三千人』沖縄タイムス社