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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

琉歌百控乾柔節流ー1795年((尚薀王)に偏された百節にのせて歌うために選ばれた琉歌集。
1,嘉謝伝風節  あた果報の附す 夢やちゃうん見ぬ 嘉謝手報のつくへ 混と附さ
  朝夕我願や 事々や思ぬ 命果報重幸 あらち給れ

「琉歌百控」にある「嘉謝伝風節」の歌詞「あたガフヌ・・・カジヤディスヌ・・・」の漢字表記。
『南島歌謡大成 Ⅱ』(外間守善 角川書店 1980年)
 p35 「嘉謝伝風節」の掲載がある。それによると表記は、「あた嘉報の附す 夢やちやうん見ぬ 嘉謝手報のつくへ 混(へたと)と附さ」となっている。
『新日本古典文学大系 62』(岩波書店 1997年)
 p392 「嘉謝伝風節」の掲載がある。それによると表記は、「あた嘉報の附す 夢やちやうん見ぬ 嘉謝手報のつくへ 混と附さ」となっている。(レファレンス協同データベース)


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2014年8月29日 沖縄県立博物館・美術館ギャラリー「瀬底正男/津波信久 絵画二人展」


瀬底正男氏と、その作品「砂の道」


津波信久氏と、その作品「囲いの草木」


伊禮芙紗子「ソテツの家族」


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居酒屋ひさみで佐竹さん一行、右から新城栄徳、佐竹利子さん。佐竹さんの父君・佐竹利彦氏は佐竹製作所を「世界のサタケ」に育成された功績だけでなく、ヤシ・ソテツ類植物の収集・分類においても世界的な権威である。/中国の蘇鉄切手

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世界のソテツ(ソテツ亜科1属9種、シダソテツ亜科1属1種、ザミア亜科8属108種)/戦前の沖縄絵葉書(蘇鉄)    nullnull)%<br />
上ー新城栄徳の原風景(粟国島ー至るところにソテツがある) 下ー新城喜一画<br />
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『沖縄毎日新報』1917年10月から真境名安興が「酒前茶後」を連載している。それに麦生・末吉安恭が「蘇鉄と琉球」を書いている。□酒前茶後子の蘇鉄は沖縄の原産かと云って伊藤博士の説を疑われた説は面白く拝見いたしました。しかし猶研究する余地がありはせぬかと私は思います。蘇鉄が沖縄から支那に渡ったと云う説は五雑酢爼に出て居ります「相伝此樹従琉球来種之能辟火患、其葉似凰尾蕉而小」として凰尾蕉とは別にされ番蕉と称して居ります又「将枯時以鉄屑糞之、或以鉄丁釘其根則複活」と書いてあります。慶良間の伝説とは反対になっております。

しかしこれは両方矛盾せぬことになりはすまいか、南方支那には素野生の蘇鉄があったにしても支那の土地は広い交通は不便だから、蘇鉄のあることを知らぬので、琉球から輸入して珍しがったかも知れない、又慶良間の人は(沖縄)本島地方にこれあるを知らずして支那から持ってきて植えたかも知れぬ、或いは南支那の野生のそれでなく琉球から行ったものの種を逆輸入したかも知れぬ兎に角双方に蘇鉄渡来の伝説があるから事実もあったであろう、元来この植物は熱帯植物であるから南国に蕃殖するのは当然である。

2012年5月3・4日は沖縄県立博物館・美術館で田中一村も描いた「ソテツ」と遊ぼう!
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時間13時~16時、随時受付、所要時間35分
参加費 100円 当日先着80人、人数に達したら受付終了
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天理教那覇分教会

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粟国/ソテツ2014-8






粟国小中校の二宮金次郎像と蘇鉄






   

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番屋跡(遠見台)
粟国村で一番高い場所にあり、昔々は番屋遠見台として、異国船が近海を通る時に慶良間諸島にタイマツで告げ首里王府に知らせた場所。












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粟国名所の洞寺のことは末吉門冬も随筆で、「昔一人の僧が、この島に漂着し、件の洞中に自然に削り立った仏像のような、三箇の岩石を発見した。僧はこれを以て、弥陀・薬師・観音だと信じ供養し、自らもこの窟内に寓った」と『土俗と伝説』(1919年)に紹介している。1905年3月、粟国島に来島した菊池幽芳はその紀行文に「平常口にするところのものは即ち蘇鉄の幹より製せる粗悪の澱粉 (略)内地にては犬も食わぬ食物なり」と記し、大阪の乞食のほうが贅沢だという。しかし、島は年中暖かい。今は東京、ニューヨークといった都会の方がホームレスで溢れ、しかも凍てつく冬もある。
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洞寺1967

洞寺2014-8

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洞寺1997
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洞寺1997







洞寺2014-8

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むんじゅる節
わが生まれ島、粟国島を舞台にした映画に「ナビィの恋」がある。宣伝ポスターはこの映画の応援団長の名嘉睦稔が描いている。映画では「十九の春」が歌われていた。この歌は仲宗根幸市によると、日露戦争の頃から大正にかけて流行したラッパ節は、北九州の炭坑に伝播し、与論島出身の石炭運搬労働者に親しまれた。全国的に流行した「ラッパ節」を、与論島出身の人たちが三線で歌い、一部補作され歌い広められたのが「与論ラッパ節」「与論小唄」で、これを与那国島出身の本竹裕助が改作し「十九の春」とした。

新城栄徳の伯父の玉寄貞夫は1983年に元粟国村長の仲里秀雄と共著で『粟国島民謡集』を出した。その刊行前に琉球民謡協会名誉会長の川平朝申氏のところへ伯父を同行し序文を依頼した。川平氏はその場で「このほどバジルホール協会会員の新城栄徳君が粟国民謡研究家の玉寄貞夫氏を伴い来訪し、粟国島民謡集を出版するから1文を章して欲しいと望まれた(略)粟国島の民謡が沖縄全島の舞踊となった『むんじゅる平笠』を讃えて、御祝いの辞といたします」とペンで書いて下さった。

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ソテツの葉は唯一の燃料。下葉を刈り取っているところ

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島の西側にある貯水池

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野良帰り。頭上にはソテツ葉、芋などを載せている。

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石三つのカマド。石三つのカマドにはソテツ葉の燃料が似合う

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貴重な水。井戸は島内に8ヶ所しかない。左右に水タンク(屋号イムイ)


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村役場横の梯梧の大木

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戦後、米軍がつくった横断道路。私にとっての歴史の道とは、粟国島の字東の自宅から村役場の横のデイゴを見ながら通った小学校への道、そしてその先の浜(港)から那覇の泊港に向かう船のことである。

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新城栄徳の生家,水タンクが見える。/馬小屋


2008年1月ー『字浜誌』同編集委員会
          写真/字浜航空写真4、字浜くし組倶楽部、           字浜いり倶楽部、字浜前組共励会集会場、
          現在の海岸のようす、ミナト・海岸のようす、
          ウガンジュ4、ハマ(みなと)5、屋宜大ヤー、
          旧郵便局(1950年建立)、電話開通式、
          旧正月ー山内大ヤ-での祝いの舞い、
          
          大阪粟国村人会30周年記念会員名簿  


粟国港(山田實・撮影)



08/28: 粟国/②

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浦崎春雄作成「粟国民俗地図」











糸洲家の仏壇と当主、下ー当主の祖母と叔母

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08/28: 粟国/①

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平和通り奥の「なるみ堂」で販売中
〒900-0013那覇市牧志3-2-40 電話098-987-5530



2015年9月17日 なるみ堂で左が翁長良明氏、宮城篤正氏

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2014年7月5日~9月3日 那覇市歴史博物館「あの頃の国際通り 国際通り物語Ⅱ」


2014年7月27日 山田實さん、昭和初期の那覇市の模型を見る。

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雑誌『あんとろぽす』は、1946年から1948年にかけて通巻9号まで、山岡書店から出版された雑誌です。
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2014年7月26日~9月7日 とまりん3階「海洋堂フィギュアミュージアム」
ホビーの歴史を変えた世界的模型メーカー・海洋堂の作品4000点が沖縄に上陸!最新のフィギュアからプラモデル、食玩・・・造形の50年史がここにある。
【会期】7月26日(土)~9月7日(日)
【会場】とまりん3階特設会場
【開館時間】午前10時~午後6時

1928年 宮脇修 高知県黒潮町に生まれる。
1943年 宮脇修 15歳の時、中国で敗戦を迎える。
1946年 宮脇修 18歳で日本引き揚げ、マグロ漁船乗組員、広告会社勤務など30余りの職を転々とする。
1957年 宮脇修一 大阪府守口市で生まれる。


1964年 大阪府守口市の京阪土居駅近くに一坪半の模型店「海洋堂」オープン
1967年4月 海洋堂『海洋』VOL1NO2
1968年12月 海洋堂『海洋』№3

1976年 宮脇修一 クジラが好きで東京水産大学に入学

1983年    海洋堂ホビー館『ARTPLA』創刊号





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2014年8月14日『沖縄タイムス』「魚眼レンズー三越最後の個展に寂しさ/新城征孝さん」










2014年8月23日14:00 沖縄県立博物館・美術館コレクションギャラリー3「アーティストトーク/新城征孝」 

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1990年9月『新沖縄文学』尾崎秀樹「画家・宮城与徳」

尾崎秀樹 おざき-ほつき
1928-1999 昭和後期-平成時代の文芸評論家。
昭和3年11月29日台湾台北生まれ。尾崎秀実(ほつみ)の弟。昭和34年「生きているユダ」,38年「ゾルゲ事件」を刊行,兄をうばった事件を追う。その間に大衆文学研究会を設立,41年「大衆文学論」で芸術選奨,平成2年「大衆文学の歴史」で吉川英治文学賞。中国文学に関する著作もおおい。日本ペンクラブ会長もつとめた。平成11年9月21日死去。70歳。台北帝大付属医学専門部中退。→コトバンク

尾崎秀實 英子の墓(多磨墓地)島袋和幸撮影

2009年9月峯島正行『荒野も歩めば径になるーロマンの狩人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社
○1955年11月7日ーゾルゲの命日にゾルゲの墓参/亀山幸三の呼びかけで尾崎秀樹、亀山幸三、川合貞吉、石井花子、神山茂夫、石堂清倫、細川嘉六、長谷川浩、松本三益、中西功などが参加。

川合貞吉 かわい-ていきち
1901-1981 昭和時代の社会運動家。
明治34年9月15日生まれ。昭和3年中国にわたり,上海で日支闘争同盟を組織。尾崎秀実(ほつみ)やゾルゲと知りあい,コミンテルンの情報活動に参加。16年ゾルゲ事件で検挙される。戦後,出獄後は著述活動に専念。昭和56年7月31日死去。79歳。岐阜県出身。明大卒。著作に「ある革命家の回想」など。→コトバンク

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1959年7月『オキナワグラフ』「あなたも狂人になる」
1960年4月『オキナワグラフ』「カラー 春をよぶジュリ馬」
1962年8月『オキナワグラフ』「売り出されたオキナワストリップ」「気狂いに遭えぬ日はなし 那覇の街」 



●関連資料ー1949年12月 『うるま春秋』創刊号

1949年12月 『うるま春秋』創刊号 発行人・池宮城秀意 編集人・仲村渠致良 印刷人・久高唯澤


琉球新報新聞博物館

●関連資料ー1949年2月 『月刊タイムス』創刊号
1949年7月 『月刊タイムス』「第一回沖展をみる」
1949年8月 『月刊タイムス』活字印刷・沖縄タイムス社
1951年7月 『月刊タイムス』□休刊の辞ー月刊タイムスは、今月(7月)號を以て一先ず休刊することになりました。顧みますと本誌の発行は1949年2月、終戦後の出版事情が最も困難を極めた時であった。今日に至る2年有半は随って本誌にとっては苦難の途であり、新聞の発行と軌を一にして終始茨の途を辿って遂いに本號迄に通算30號を数えたわけであります。それにしましても今回休刊の止むなきに至りましたことは最もわれわれの遺憾とするところであり、その點、今迄御愛讀の榮を賜った讀者の皆様に對しては何とも申譯がなく、深くお詫びするしだいであります。本誌が発足するに當ってその編集の方針は飽く迄新聞社の発行になる月刊誌としてふさわしいものにしょうと努力もし、犠牲も覚悟したことは云う迄もありません。しかも微力の致すところ諸設備の不整備、人手不足、加うるに本年初め急激に悪化した用紙事情のため我々として急速に本誌の一時休刊を計る必要に迫られたわけであります。今後は本誌の持つ文化的使命を本紙(沖縄タイムス)に生かし倍旧の力を傾けたいと思います。この點本誌の休刊を最初にして最後の「一粒の麥、地に墜ちずば」たるに外ならぬことを期したいと念ずるものであります。  沖縄タイムス社月刊タイムス編集部

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1939年8月3日 春陽会の鳥海青児①、山川清②、前田藤四郎③、浮島丸で来沖 大嶺政寛が出迎え



鳥海青児
1939年(昭和14)37歳
 1月15日、美川きよと結婚し、新居を麹町区六番町1-5にさだめる。
 3月、第17回春陽会展に《蘇州風景》《塹壕のある風景》《楊子江と漢陽の街》《支那の家》《蘇州風景》《蘇州小景》を出品。
 7月、神戸から那覇、首里、糸満と沖縄旅行。山川清同行。滞在中は春陽会の大嶺政寛の世話をうける。沖縄からかえって数カ月後、二度日の中国旅行で北京、天津、張家口、熱河などへ。
 この頃から日本の古美術の収集をはじめ、まづ初期肉筆浮世絵に興味をもつ。

 *琉球の墓の立派な事は聞いて居たが、そのすばらしさには驚嘆した。日本のどこを歩いても、こんな堂々としたリズムカルな、しかもプラスチックな強い風景には行きあたれない。画家も随分行つて居るはずだが、どうして手をつけないのだらう。(略)内地のお化臭いしめつぽいお塞から推してはまるで想像出来ない。ローマの遺跡にでも立つて居る様な景観であつた。(「琉球風物記」)
 *僕は昨年あたりから、どんな風の吹きまわしか浮世絵にこりだしました。我家の珍宝は今の所これ一つ、これからうんと集めたいと思つて居ります。(《十家十宝録》で初期肉筆寛文舞踊図について、『第十八回春陽会パンフレット』)→「三重県立美術館」


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ちょうかいせいじ【鳥海青児】 1902‐72(明治35‐昭和47)
洋画家。神奈川県平塚市に生まれる。本名正夫。関西大学在学中の1923年,第2回春陽会展に初入選し,三岸好太郎,横堀角次郎らと麓人社を結成して絵画修業にはげむ。岸田劉生の感化をうけて草土社スタイルの土着的な作品を描くが,30年に渡欧し,おもにモロッコ,アルジェリアに滞在,その体験とゴヤの作品に魅了されて画風を一変する。《闘牛》をはじめ滞欧作23点を33年第11回春陽会に出品。その後,38,39年に中国旅行を試み,日本の古美術に対する関心を深め,鑑識眼の高い蒐集家としても知られる。 →コトバンク

山川清
没年月日:1969-11-09
春陽会会員の洋画家山川清は、11月9日腸ヘイソクのため阪大病院で死去した。享年66才。明治36年6月14日大阪市に生まれた。大阪府立北野中学在学中から赤松麟作に石膏デッサンの指導を受け、同中学先輩の佐伯祐三につれられて初めて油絵の道具を買いそろえたという。
4年生2学期から兵庫県西宮市今津町に新設された私立甲陽中学に転校し、同校を卒業した。まもなく美術学校受験のため上京、川端画学校に学んだが病気になり中断し、以後滝の川に画室を建て独学した。大正12年大震災を機に東京を引き払い京都山科に住み周辺の古美術に接する。続いて同14年奈良に転居、仏教美術に親しむ。昭和3年5月渡仏し、同9年帰国後春陽会展に穏健な写実的作品を出品しつづけ昭和23年春陽会会員となった。訳著に「ゆもりすと咄(フランス小咄)」<昭和23年12月、ぴーこっく書房刊>がある。→「東京文化財研究所」

前田藤四郎 まえだ-とうしろう
1904-1990 昭和時代の版画家。
明治37年10月18日生まれ。神戸高商(現神戸大)卒業後,松坂屋宣伝部につとめるかたわら版画を独習。昭和6年大阪で羊土社を結成するなど関西を拠点に活動。14年春陽会賞。32年大阪府芸術賞。リノリウム版,シルクスクリーン,写真製版などを併用し,木版画の領域をひろげた。平成2年5月19日死去。85歳。兵庫県出身。→コトバンク


1982年9月 前田藤四郎『版画家としてースペインで考えたことなど』共同ブレーンセンター/1994年10月 枚方市民ギャラリー「前田藤四郎展」
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2001年3月ー『けーし風』第30号「大阪のなかの沖縄」(屋良朝光、金城馨、諸見里芳美、仲間恵子、玉城利則、崎浜盛喜、伊差川寛、金城良明、金城宗和、金城正樹、我謝実、上地武、當山清朝、大城康代)

1956年7月1日ー大阪市中之島公園で「沖縄土地取上げ反対国民集会」
1956年7月7日ー『琉球新報』「沖縄問題在京郷土人の声ー大浜信泉、神山政良、山之口ばく、比嘉良篤、伊江朝助、尚裕」
1956年7月8日ー『琉球新報』「浅沼社会党書記長ー沖縄の『ハワイ化』阻止」
1956年7月10日ー『琉球新報』「沖縄を守ろうー仙台河北新報発・宮城県庁前広場で沖縄問題解決促進宮城県大会」

1958年8月2日ー『琉球新報』「死の灰 ソ連核実験でふえる」
1958年8月15日ー『琉球新報』「恐るべき放射線の影響ー人類の将来に危険」
1968年1月5日ー『毎日グラフ』「本土の中の沖縄(南風サークル/大城真栄/普久原朝喜/金城良明)」「万国博へ全力投球(岡本太郎「抵抗あるものを」)」
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金城良明氏

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中央が金城良明氏

1971年4月ー『沖縄差別』№1金城良明「大正区で生まれた、2世の声を聞いてほしい」

1971年8月ー『沖縄差別』№2金城良明「沖縄差別とわたし」


写真左から諸見里宗博氏、新城栄徳、金城良明氏

津嘉山政栄
津嘉山政栄さんを検索するも少ない。大阪で沖縄青年運動にも援助をおしまない人であった。大教組の関広延さんと行動を共にしていた。

1968年10月ー『大阪・沖縄県人屋良さんを励ます会ニュ-ス』第号(発行責任者・津嘉山政栄)/
1971年4月『沖縄差別』第1号□津嘉山政栄「大阪沖縄県人会『沖縄県人は訴える』を考える」、伊差川寛「醜い沖縄県人会」
/1971年8月『沖縄差別』第2号□津嘉山政栄「沖縄返還同盟の声明を考える」、金城良明「沖縄差別とわたし」/
1972年9月『解放教育』№15□津嘉山政栄「在阪・沖縄出身者の子弟の教育を考える」/
1976年2月ー全国解放教育研究会『沖縄の解放と教育』明治図書出版□津嘉山政栄「ウチナーンチュとして生きてきて」「在阪・沖縄出身者の子弟の教育を考える」、本村周広「山口重光君『事件』と沖縄差別」

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写真ー1979年・諸見里家で中央がフトシ君、右・コウ


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『琉球新報』2010年12月3日の『京都新聞』新里健記者「取材ノート」に紹介された諸見里芳美さん。


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1972年11月『石の声』№10

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『石の声』№10□諸見里芳美「私と沖縄」/写真右から諸見里芳美さん、新城栄徳(諸見里宗博撮影)



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1957年10月 米国民政府渉外報道局出版課『今日の琉球』第1巻第1号

1957年12月『今日の琉球』□表紙(狛犬)・・・・山田真山

1958年3月、『今日の琉球』表紙(風景)・・・大嶺政寛/10月6日『琉球新報』『総仕上げ急ぐ守礼門ー四百年前の姿を再現/楼門に彩色をする琉大生」/10月16日『琉球新報』「きのう盛大に落成式!感激に涙する老婆も」(琉大生の一人が宮城篤正沖縄県立芸術大学学長)。
1959年2月 『今日の琉球』□表紙(樹木)・・・山田真山
1965年1月、『今日の琉球』(表紙写真・守礼門と琉装の女性)/9月、『守礼の光』「琉球文化財はかく保護されたー守礼門」
1969年12月 第13巻第12号□表紙(ブッソウゲ)・・・宮城健盛
1970年1月 第14巻第1号□表紙(イヌ年)・・・大嶺政寛
□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『今日の琉球』」
1959年1月 米国高等弁務官府『守礼の光』創刊号

1963年2月、『守礼の光』「琉球の文化財ー守礼門」

1964年10月、『守礼の光』「ナンシーさんの墨絵修行」(金城安太郎)

1967年1月、『守礼の光』(表紙・守礼門)/5月,『守礼の光』川平朝申「琉球の結核予防対策」(予防シール守礼門)/7月、『今日の琉球』(表紙・紅型模様の守礼門)

1968年1月、『守礼の光』川平朝清「全住民に奉仕する沖縄放送協会」

1972年5月、『守礼の光』「沖縄返還特別号」(表紙・守礼門)「琉球政府立博物館ー1966年当時のポール・W・キャラウェー高等弁務官の個人的関心と援助で設立された琉球政府立博物館がなかったとしたら、これらの多くは失われたかあるいは忘れ去られてしまったであろう。この美しい時代建築(博物館)は、那覇市の我那覇昇氏の設計、キャラウェー高等弁務官がこのためわざわざ招いた米国内務省の博物館設計の専門家による技術援助で建てられた」

1972年4月 第159号/1972年5月 最終号

□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『守礼の光』」

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