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古典音楽同好会「幕開け」



新城清弘「独唱」


宮城能舞「御歳日の唄」








伊良皆賢哲・教育長、右が新城岳祐・吟士正師範

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与那城昭広「会長挨拶」




新城静喜「来賓祝辞」




上原小一「乾杯の音頭」

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翁長那覇市長「挨拶」

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現代歌劇・愛の雨傘
1933年(昭和8)に、眞楽座の役者・上間昌成が創作し、大正劇場で初演した。前・中・後編の三部作。


1934年4月 那覇の眞楽座で「愛の雨傘(一名 赤い目の兎)」上演、新曲かたれ節(上間昌成作詞、多嘉良朝成作曲)挿入。


1940年2月 那覇の眞楽座で「愛の雨傘」上演






1988年11月18日『琉球新報』「舞台の顔ー北島角子(父は上間昌成)」


舞台美術・新城栄徳
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2014年10月11日『琉球新報』新城栄徳「山城知佳子 新作上映会に寄せて」
 2007年に沖縄県立美術館が博物館と同じ建物に開館した。その開館記念展図録『沖縄文化の軌跡1872-2007』に、私は「麦門冬の果たした役割」を書いたが、山城知佳子は出品作家として紹介されていた。また図録には鈴木勝雄が「映像と沖縄のダイアローグ」を書いている。鈴木はこの記念展と連動するように翌年、東京国立近代美術館で「沖縄・プリズム」展を開催、その図録には比嘉豊光らと共に山城も紹介されていた。
 山城は今回のドキュメンタリー映画「うちなー芝居 舞台の美術」では60年以上も裏方としてうちなー芝居を支えてきた新城栄徳を追っている。うちなーの舞台美術の始まりは、沖縄の新聞を明治期から捲って『沖縄芝居とその周辺』という著に結実させた名古屋の大野道雄によれば「幕の使用が確認できる最初の記述は明治33年3月の『琉球新報』『矯風会の演劇を見る』という記事である。(略)まだ幕があがらない。理由は役者が大道具方や小道具方を兼ねており、しかも素人だから手際が悪く『故に幕の長びくのも当然なればあへてとがめず』と幕の使用にふれている。」と舞台美術にも触れている。戦後うちなーの舞台美術については製作者の草分けでもある新城の兄・喜一も18日のトークショーに参加するので当事者としての証言が聞けると思う。
 18日には「現代歌劇・愛の雨傘」も上演される。愛の雨傘(一名 赤い目の兎)は1933年に真楽座の上間昌成が創作し、大正劇場で初演した。同時に上間作詞、多嘉良朝成作曲「新曲かたれ節」も挿入され唄とともに人気を呼んだ。「愛の雨傘」の唄は戦前のレコード(唄三味線・多嘉良朝成、多嘉良カナ子)解説によれば「美代子『庄さんやあらに実に気の毒ゆ、今ぬョーなりゆちや、庄さんよ、くりや我身ぬおばさんが、北海道にめんせーしが、札幌生りの白兎我身に送くて・・』この兎が愛の雨傘の別名ともなっている。
                                                                   新城栄徳(「琉文」主宰) 




2012年9月 アジアの女性アーティスト展実行委員会『アジアをつなぐー境界に生きる女たち』沖縄県立博物館・美術館
山城知佳子は、米軍基地や第二次世界大戦中の沖縄戦といった沖縄固有の主題を、墓庭*や美しい海などを舞台に、映像や写真など多様なメディアを用いて作品制作します。

山城知佳子さん、新城栄徳


2014年9月14日ー写真左から新城栄徳、金城美奈子さん、山城知佳子さん、画家の新城栄徳氏


2014年9月14日ー浦添市図書館前の蘇鉄

2017年10月31日『しんぶん赤旗』「ひとー沖縄の歴史や現状を表現する美術家 山城知佳子さん」




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2013年9月23日~28日 那覇市民ギャラリー「桑江良健絵画展」







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那覇市歴史博物館所蔵
□「王姓門中会ホームページ・王姓門中会トップ」
久米村王姓大宗家之墓碑
久米村王姓始祖王立思(一五五一~一六〇〇)は中國福建省漳州府龍渓縣の出身。萬暦十九年(一五九一)久米村入籍、通事・官船舎人の役職をもって首里王府に仕え、使節一行として度々、旅役にあり、福州にて病没。墓陵は王府より御拝領、久米村地内に築かれた。大宗が國場家となった開祖は第三世王明佐國場親方である。彼も高齢の身を押して紫金大夫の旅役にあって山東東昌府で没した。四百年の大宗の墓は沖縄戦で破壊された。戦後の都市区画整理で移動を余儀なくされ現在は識名のこの地に安らいだ。ここに歴史の事実を銘記し、久しく子々孫々に物語り伝える。久米村 王 姓 槐 王 会 平成十二年(二〇〇〇)四月吉日 建立

2004年3月 久米村王姓門中槐王会『久米村王姓門中(槐王会) 資料5 遥かなる旅路 漳州に祖先を訪ねて2』






2001年3月『久米村 王姓門中(槐王会)資料四』下中央の史料「資料は、新城栄徳氏が沖縄県公文書館所蔵の文書群から、発見し、提供されたものである。」

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シンポジウム「消滅危機方言の持続的継承活動を考えるー地域・学校における取組」で宮里朝光氏(沖縄語普及協議会会長・しまくとぅばプロジェクトメンバー)「開会のあいさつ」

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09/17: 上里勲

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1917年5月

1927年5月 那覇の平和館で「デグラスの海賊」上映
ダグラスの海賊
1926年製作のアメリカ映画。原題《The Black Pirate》。ダグラス・フェアバンクス主演の海賊活劇。監督:アルバート・パーカー、共演:ビリー・ダウ、アンダース・ランドルフほか。→コトバンク


1937年6月 那覇の平和館で「踊る海賊」上映
踊る海賊
原題: Dancing Pirate  製作国: アメリカ  製作年: 1936  配給: RKOラジオ映画
「虚栄の市(1935)」に次ぐパイオニア総天然色映画で、「クカラチャ」のロイド・コリガン監督、舞踏家チャールズ・コリンスと「邪神島」「クカラチャ」のステフィ・デューナが主演する。原作はエマ・リンゼイ・スクァイア作の小説で、「虚栄の市(1935)」のフランシス・エドワーズ・ファラゴーと「青春万歳」のレイ・ハリスが共同脚色した。色彩デザインは「虚栄の市(1935)」のロバート・E・ジョーンズ、撮影はウィリアム・V・スコールの担任。助演者は「巨星ジーグフェルド」のフランク・モーガンを始め、「ロバータ」のルイ・アルバーニ及びヴィクター・ヴァルコニ、「当り屋勘太」のジャック・ラルー、「邪神島」のミッチェル・ルイス等の面々である。→アマゾンコム

1939年8月 那覇の旭館で「暗黒街の弾痕」上映

『暗黒街の弾痕』(あんこくがいのだんこん、原題・英語: You Only Live Once)は、1937年に製作・公開されたアメリカ合衆国の映画である。(撮影は1936年)。オーストリア出身フリッツ・ラング監督の渡米2作目の映画であり、シルヴィア・シドニーとヘンリー・フォンダが主演した。→ウィキペディア


1939年9月 那覇の旭館で「平原児」上映
パラマウント 1936年製作、 監督セシル・B・デミル、 ゲイリー・クーパー、 ジーン・アーサー出演
ゲイリー・クーパー1901年5月7日出身地アメリカ/モンタナ州ヘレナ
略歴ー本名はFrank James Cooper。今なお多くのファンに愛されるハリウッド黄金時代を代表するビック・スター。両親がイギリス人であるということから9歳で渡英。父の故郷で3年間教育を受けた後、アメリカに戻りアイオワ州のグリネル大学で美術を専攻。新聞社でマンガを描いていた時期もあるとか。大学を中退後、父を頼りにLAに渡った時に、友人の勧めで映画のエキストラとして活動を開始。26年、サミュエル・ゴールドウィンのオーディションにより「夢想の楽園」で大役をうける。後はハリウッド大作スターとして数多くの作品に出演。41年「ヨーク軍曹」、53年「真昼の決闘」でアカデミー主演男優賞。61年にはアカデミー名誉賞を得る。しかし同年、前立腺ガンによりこの世を去った。33年、サンドラ・ショーと結婚。一女あり。→ヤフージャパン映画

1939年10月 那覇の旭館で「マルコポーロの冒険」上映

1939年11月 那覇の平和館で「海の魂」上映

1940年9月  那覇の旭館で「支那の夜」上映

東宝の看板スター・長谷川一夫と満洲映画協会(満映)の看板スター・李香蘭との共演による「大陸三部作」(『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』)の2作目。渡辺はま子の歌う「支那の夜」がヒットしていたことから、東宝映画(現在の東宝)が映画化を企画し、中華電影公司の上海ロケの撮影協力を得て制作された。→ウィキペディア
山口淑子 やまぐち-よしこ
1920- 昭和-平成時代の女優,政治家。
大正9年2月12日中国奉天(現瀋陽)生まれ。昭和13年満映にはいり,李香蘭(り-こうらん)の名でデビュー。「白蘭の歌」「支那の夜」などの映画に出演,劇中主題歌もうたって人気をえた。21年帰国して改名,「暁の脱走」などの映画に出演,歌手としても「夜来香(イエライシヤン)」をヒットさせた。33年引退。49年参議院議員(当選3回,自民党)。北京の翊教女学院卒。結婚して姓は大鷹。→コトバンク

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1940年7月 珊瑚座で「大新城誠忠傳」上演



1940年9月 那覇の眞楽座で「実傳 大新城奮起録」上演


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ミュージアムショップ「ゆいむい」
博物館・美術館の収蔵品をもとにしたオリジナルグッズ(ポストカード・クリアファイル等)や伝統工芸品の販売、常設展・企画展の図録その他多数の書籍を取り揃えております。 ぜひご利用ください。


営業時間 09:00-18:00
休館日  毎週月曜日(ただし、月曜日が祝日または振替休日となる場合は翌日)
電話:098-941-0749 FAX:098-941-0884


2014年3月28日 星雅彦(元沖縄文化協会長)夫妻と池宮城さん
ミュージアムショップ「ゆいむい」

ひより「ゆいむい」で遊ぶ




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森於菟 もり-おと
1890-1967 大正-昭和時代の解剖学者,随筆家。
明治23年9月13日生まれ。森鴎外の長男。東京帝大助教授をへて台北帝大教授となり,解剖学を担当。のち東邦大医学部長などをつとめた。「解剖台に凭(よ)りて」「森鴎外」「父親としての鴎外」などの著作がある。昭和42年12月21日死去。77歳。東京出身。東京帝大卒。→コトバンク
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刀剣・諸道具・御輿・山車・和船・かつらといった様々な古き良き日本伝統の品物を全国各地の職人を尋ね歩いて製作依頼し、また蒐集したミニチュアコレクション。工芸品とも呼べる品々から、選りすぐった逸品ばかりを紹介!江戸の風物や諸職人の心意気を情緒溢れる文章で紹介する今清水氏の随想は、ミニチュア世界の奥行きを広げ日本の在りし日の姿を髣髴とさせる。





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ミルクウンケー(琉球語 うちなーぐち)直訳すれば「弥勒様のお迎え」とすればいいのだろうか?今年は8月17日(日)午後4時30分、赤田首里殿内(アカタスンドゥンチ)跡の赤田クラブから弥勒様御一行がお出ましになる、僕もバイクに飛び乗り駆けつけた。「ミルクウンケー」については『沖縄タイムス大百科』から以下転載する。

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化生といわれる中国唐代の禅僧、布袋和尚(ほていおしょう)が、七福神の一つとして京都の祭礼の行列〈風流〉に登場したのは室町時代といわれる。
 首里では350年程前、石川門中の祖、求道 〈ぐどう〉長老により、赤田首里殿内に弥勒面が祀られ、7月14日に泰安所を開き、16日に門中を中心に道ジュネー(行列)があった。赤田マチグチ(赤田市場口、今のウフカクジャー交差点から南に100メートル足らずの路肩一帯は赤田市の跡で沖縄戦まで、食肉、豆腐、野菜、雑穀など、主として食料品の相対売り市場であった。←久手堅憲夫著『首里の地名』より)突き当たり右に直角に曲がるあたりに舞台を設け、その中央に面や胴、衣装一式を安置し、まわりには弥勒御愛子(ミルクウミングヮ、ミルクングヮ)が並び大香炉に香を焚き、東に向かって(←ここ重要)世界風
ユガフ、豊作、健康を祈願した後、祭主の本家、大石川(ウフイシチャー、首里石川の宗家)の家長が面と作り物の胴をつけ、ドゥジン・袴をつけ胸をはだけて大団扇(うちわ)で豊年を招き寄せながら、舞台をしずしずと一周する。

 弥勒面は戦災で焼失したが、平成6年に復元された。 行列は高張提灯一対を持ち、先頭に警護役、弥勒、路次楽隊(ろじがくたい)、ミルクングヮ、赤田の村人の順に、首里殿内跡の赤田クラブを出発して、弥勒節を歌い、且つ奏でながら赤田マチグチに向かう。(赤田市のない今では、赤田クラブの庭に舞台を設え、赤田クラブを出て赤田町の外周を1時間ほどかけて、マチマーイ(街廻り)をした後、クラブの舞台でのウトゥイムチとなる。  転載ここまで。( )の解説は筆者。 

 通り沿いには大人に混じって小さな子を抱いた人や、ベビーカーの赤ちゃんが詰めかけ弥勒の団扇の洗礼を待ち受けていた。2~3歳くらいの子等は弥勒様の大きな顔にビックリして泣き出したり、逃げだす子もいて、見ていて楽しい。今回見ていて、「時代だよなぁ~」と思ったのは、ペットの犬や猫を抱いて待ち受ける人達がいたことだ。でも心優しい吾ら弥勒加那志(ミルクガナシー〈ガナシーは尊称〉は人畜の分け隔てなく、その福の風を送るのでした。

 ミルクのゆったりとした行列が移動するにつれて、笑顔や歓声の波が移って行く、それがやがて赤田町全体を包み込んでいく・・・・・極楽浄土の風が吹いているんだ!この光景を見ながら僕は例によって「俺は今、天の御国にいる!」と呟いたのだった。


ミルクングヮと チャンチャンと ピーラルラー
 ミルクングヮはンカジバタ(百足旗)ムカデの足のようなヒラヒラの付いた三角旗を持っている。保育園児から小学校中学年(3~4年生)の児童からなる。僕のオヤジも2回でたと言っていた。(左写真)路次楽隊の端のメガネをかけた女子中学生が持っているのが「チャンチャン」中華シンバルと名付けておく。 (写真右) 主旋律を奏でるピーラルラー(確かにそのような音色がするが、チャンチャンといい、このピーラルラーといい、琉球の先人達の音色をそのままに、その楽器の名称にするセンスには笑っちゃうのだ)ピーラルラーはチャルメラともいうらしい。思わずインスタントラーメンの外装に描かれた屋台のオジサンを思い出した。「夜鳴きソバ屋」のない沖縄でも、あの「ソラシーラソ・ソラシラソラー」の旋律を思い出す。 チャルメラとあの旋律については面白いので調べて『番外編』を後付けする。

ウトゥイムチ
  赤田町を一周して赤田クラブに帰ってくると、クラブの庭に設えたバンクと呼ばれるステージでのウトゥイムチ(ミルク様への お・も・て・な・し タイムです)歌や踊り、空手の演武などで、ミルク様と下界の衆生との年に一度の邂逅(かいこう)を供に歓び、その幸せを皆で分かち合うのです。直会(なおらい)、沖縄でいうウサンデーです。喜びも悲しみも、そして食べ物も供に分かち合い戴く、そしてその歓びを確認していく事はとても大切な事です・・・・ここをクリック


弥勒菩薩と布袋さん
 今回、友人の一人と「赤田のミルクウンケー」の話しをしている中、「あれは、弥勒菩薩ではなく、布袋さんだぜ!」と意見が一致した。10歳を過ぎた頃から(もの心の付いた頃)から、ミルクの話は父から何度となく聴かされてきたが、布袋だの弥勒だのという話題になった事は無く石川門中でも「肥満体のジーチャンイコール 「ミルク様」と言う考えが固定化されているのだと思う。(ミルク様悪口じゃないのですゴメンナサイ!) とても新鮮な気付きであった。

 弥勒菩薩といえば、京都広隆寺の半跏思惟像(はんかしいぞう)が有名である。(写真左、郵便切手にもなった)。修学旅行で半跏思惟像に初めて出会った時は、その美しさ、静けさに、しばし、動くのもためらわれた記憶がある。それにしても大きなお腹で明るく、豪放磊落な熱血漢、たくさんの子供たちを引き連れて旅をしていた布袋さんと、慈愛に満ちて思慮深そうな弥勒菩薩ではイメージのギャップは甚だしい。

 そこで、この謎を解明しようと弥勒菩薩と布袋さんとの関係をネットで調べてみた。
 インドで生まれ、中国を経て日本に伝来した仏教は、その時代や地域と複雑に絡み合い、変化し、日本の神仏習合まで併せると、とても僕のような凡人には他人に説明などできないと思い知った。そこで、おもいきりハショリ、平ベッタク云えば。弥勒菩薩が一般の衆生を救済する時には垂迹して(本地垂迹説の垂迹)布袋さんの姿を借りて人間世界に現れる化生としての布袋さん・・・というところに辿りついた。布袋和尚は800年代後半に生まれ、916年に没した実在の禅僧である。(神とキリストの関係に少し似ている。)
 弥勒菩薩が七福神の一人となった今、そのご利益は、夢を育て、人格を磨き、円満な家庭を築いて、金運を招福するということで、慈恵(いつくしみ)と和合の神様、予知と金運の神様として信仰されているようである。
 そういえば、七福神のなかの紅一点、弁財天も龍潭の東に、天女橋とともに弁財天堂として県民に親しまれている。

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2014年9月『粟国村教育委員会便り』 〒901-3702 粟国村字東580


粟国村教育委員会 刊行物





あぐに資料①
 




あぐに資料②

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