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Category: 04-書の森
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1918年(大正7)
1月1日『琉球新報』伊波普猷「盛島親方とロイド・ヂヨーヂ」「長嶺華國翁談ー馬の名人(盛島親方)」「盛島親方の肖像と手跡」
1月5日 那覇西町の偕楽軒で「貝類同好会」発足□本会は会員相互の気脈を通じ貝類に関する智識の交換、研究又は利用方法を講究するを以て目的とす/本会の事務所は那覇区東町3丁目沖縄県水産組合内に置く

1月10日『琉球新報』上間草秋「琉歌かるた」連載
1月24日『琉球新報』「芝居改革論」
2月12日 東京日本橋区本町三丁目ー南方熊楠殿①、末吉安恭書簡・沖縄首里区儀保町四ノ八□「拝啓 先生の御執筆の十二支伝説は古今東西に渡りて御渉猟のこととて毎年面白く拝読いたし候(略)琉球にも馬に関する伝説、少なからず候に付、茲に小生の存知の分を記録に出でたるものは原文の候、然らざるは、簡単に記述いたし候間、御採択なされ候はば幸甚に候、失礼には候へど、御ねがひいたし度きこと沢山これあり候につき御住所御知らせ下さるまじくや・・」→『球陽』『琉球国旧記』引用②「南方熊楠の『馬に関する民俗と伝説』を受けて『松屋筆記』の引用」
2月25日『琉球新報』「写真ー比律賓の麻山」(高江洲氏寄贈の写真 本社製版)
2月28日『琉球新報』「写真ーお庭拝見ー仲尾次政昆氏」
3月  那覇西本町2-31で松屋活版所開業
3月1日『琉球新報』「写真ーお庭拝見ー山城高興氏」
3月2日  浪花節雷右衛門一行「乃木将軍、水戸黄門、大石妻子別」那覇・浜崎旅館
3月2日『琉球新報』真佐雄「詩人末吉安持」連載
3月9日 和歌山県田辺町中屋敷町三十六ー南方熊楠殿③、末吉安恭書簡・沖縄首里区儀保町四ノ八□「又琉球の娼妓にも往々この種のものあり、不毛の渾名を附せられ居り候者を伝聞致し候。不毛のことをカハラケ的に何と云うや、長らく其の名存せざる候。小生も純粋の琉球人なれど存ぜず候(略)首里付近の墓は前述の如く(樹木鬱蒼たれども、那覇付近の墓は樹木少し、多くは不毛なり。故に婦人のこれなきものを称し那覇墓(ナーハバーカー)となすもの・・・」→南方熊楠の『太陽』『日本及日本人』論文、『遺老説伝』の引用
3月9日『琉球新報』「写真ーお庭拝見ー饒平名紀順氏」
3月10日『琉球新報』「写真ーお庭拝見ー泉崎大湾家」
3月11日『琉球新報』「写真ーお庭拝見ー上ノ倉山里家」
3月13日 沖縄県立第一中学校 第30回卒業式 君が代唱歌、山口校長の勅語捧読、卒業証書授与、浪花節の余興□卒業生/武元朝朗、大城俊彦、名城政雄、富川盛蒲、見里朝慶、東恩納寛敷、阿波根朝松、名護朝扶(麦門冬の義弟)、松田賀哲・・・・・
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3月 那覇の帝國館で「Civilizationシビリゼーション」(和名・文明)上映
トーマス・インス監督、1916年、アメリカ。映画に分業制を導入したと評される監督。


3月20日『琉球新報』

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1922(大正11)年
3月31日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<14>ー首里城の回禄」
4月1日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<15>ー火災と文献」
4月2日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<16>ー喜安日記と為朝伝説」
4月4日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<17>ー喜安日記と為朝伝説」
4月5日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<18>ー喜安日記と為朝伝説」
4月7日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<20>ー鎧武者」(『中山世譜』)
4月8日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<21>ー鎧武者」
4月9日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<22>ー鎧武者」
4月11日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<23>ー倭寇と鎧」
4月12日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<24>ー倭寇の兵力」
4月13日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<25>ー倭寇の戦法」
4月14日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<26>ー古琉球の鎧」
4月15日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<27>ー神話と海寇」
4月17日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<28>ー神遊は神舞」
4月18日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<29>ー詫遊は神舞」(『琉球神道記』)
4月19日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<30>ー詫遊は神舞」
4月21日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<32>ー詫遊は神舞」
4月22日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<33>ー詫遊は神舞」

1922年4月22日『沖縄タイムス』莫夢生(末吉安恭)「陽春雑筆ー詫遊は神舞」
○(略)今日の演劇舞踊の起源は神前にて足ふみとどろかし神懸りして舞ふ神舞であることは、各民族に共通するものであるからだ。歌舞伎の元祖といはるる出雲の阿国ももとは巫女であったと云ふのである。巫女から歌舞伎の生まれたのは卵から鶏の生まれたそれに近いものではなかろうか。而して神事と舞踊との関係が最も著しく現れているものは琉球のものであるから日本の古代を研究するにも、琉球 他のものが参考になると同じく又其の舞踊も大切な研究資料ではあるまいかと思ふのである。

4月23日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<34>ー琉球の戦舞」/「中央に紹介さるる沖縄の武術ー東京博物館に於いて開かれる文部省主催の運動体育展覧会へ本県より沖縄尚武会長 富名腰義珍氏が準備整え県を介し発送。書も本県一流の青年書家 謝花雲石氏に依頼・・・・」
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1922年4月23日『沖縄タイムス』莫夢生(末吉安恭)「陽春雑筆ー琉球の戰舞」
○(略)かやうな軍歌をうたひつつ戦舞を踊ったのは如何に勇ましかったことだろう。フィジィ土人の戰爭踊は手に自然の丸棒を持ち一人の音頭取あり多数の者がそれに従ふて踊り出すやうで、八重山の赤蜂軍のそれを偲ばすさうである。戦舞はアフリカのバリー種族にも行はれ、又サイパン土人もこれをなすと云ふことである。

4月24日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<35>ー唐手の伝来」(『大島筆記』)/「禁止された琉球歌劇が復活の傾向」
4月27日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<37>ー唐手の伝来」
4月28日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<38>ー仕合」/「本県農業の大恩人 甘藷金城を紹介ー龜島有功翁の苦心」
4月29日  『沖縄タイムス』莫夢生「陽春雑筆<39>ー古琉球の政治」

5月6日   『沖縄朝日新聞』「家扶 伊是名朝睦、内事課長 伊波興庭は老体の故もって辞職、総監督の尚順男は引退。今後は護得久朝惟、会計課長 百名朝敏が尚家家政を掌ることとなる。」
1922年6月 佐藤惣之助(詩人)来沖

1922年6月23日『沖縄タイムス』莫夢生(末吉安恭)「葉隠餘滴ー昔の道路取締」

1922年6月23日『沖縄タイムス』莫夢生「葉隠餘滴ー昔の道路取締」

8月 『日本及日本人』842号 麦生「支那古代の埋葬法」 

8月22日   鎌倉芳太郎、麦門冬の紹介状を持って首里儀保の華國・長嶺宗恭を訪ねる。
1922年9月15日『沖縄タイムス』莫夢生「雨絲風片ー慎思九(中)」

〇新城栄徳ー私は1991年12月『真境名安興全集刊行だより№、1』の「笑古漫筆の魅力」で、笑古漫筆には「久米村例寄帳」から抜き書きが多く貴重であると書いた。麦門冬も本随筆で久米村例寄帳から引用している。道路での子どもの遊び、泊阿嘉物語の放歌者は駄目というのがある。
9月  平良盛吉『沖縄民謡集』(上巻)刊
9月 許田普敦『通俗琉球史』(序文・末吉安恭)



10月15日  『沖縄タイムス』莫夢生「雨絲風片(37)ー琉儒と道教」
10月19日  『沖縄タイムス』莫夢生「雨絲風片(39)ー琉儒と道教」



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1922年  『沖縄タイムス』末吉莫夢「琉球画人伝」(表題は本朝画人傳を念頭に鎌倉芳太郎が付けたもの)を鎌倉が筆記したもの。

11月 富名腰義珍『琉球拳法唐手』(序文・末吉安恭)

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1917年(大正6)
1月  『沖縄新公論』創刊
1月  沖縄県立第一中学校学友会『学友會雑誌』第25号□島袋盛範「物理化学の学習に就いて」、安良城盛雄「即位御大典に対する感想」、東恩納寛敷「書/松籟」、宮里栄輝「沖縄の将来」、見里朝慶「日誌の一節」、眞栄田之き「我が家」
1月1日   『琉球新報』鈴木邦義(顔写真)「本県民と国家的観念」、東恩納寛惇「組踊に現れたる組織階級」連載。「大蛇ロオマンスー諸国大蛇物語」(挿絵)。志賀重昴「謹賀新年」

潮座ー懸賞脚本募集(選者 末吉安恭、山田有幹、川崎慶治、又吉康和)

2月  ハワイ沖縄県人同志会結成□常務理事・当山善真、会計・宮里貞寛
3月19日  『琉球新報』「正倉院御物の怪事」
3月20日  『琉球新報』藤島武二「女の顔 私の好きな・・・」
3月21日  『琉球新報』「ペルリに随行した老水夫ー黒船ウアンダリア号の水夫なりしがパトリック、ムアーは本月1日米国シャール養育院に於いて死亡せり年91これにて当時一行中の生残者はポートランドに住むハーデー老人唯一人となれり」
3月26日  『琉球新報』「新女優の初舞台ー中座に於ける多嘉良妙子の音無瀬姫」(写真)
3月27日  『琉球新報』満谷國四郎「女の顔 ー私の好きなー」
4月  『沖縄新公論』末吉麦門冬「画聖自了ーミケランジェロ曰く『予が吾が芸術に妻以上のもの有す』と彼は遂に妻を娶らなかった(略)『是等の人々には祖先もなければ後裔もなし彼等は己ひとりが家系のすべてとなるのである』」
4月2日   『琉球新報』師範旅行生「旅行たより」
4月3日   『琉球新報』東恩納寛惇「修学旅行生及び其の周囲の人々へ」、岡田三郎助「女の顔 私の好きな」
4月5日   『琉球新報』「東町の火事ー両芝居も活動も中止・勇敢な糸満女の活動」
4月13日  『琉球新報』「本県人と米国婦人との結婚ー花婿は今帰仁村生まれの平良幸有(51)」
4月14日  『琉球新報』「寺内評判記ーお里の山口懸でさへ不人気」

4月1日『琉球新報』潮座ー審査発表/2等 上間正雄「史劇・時花唄」(6月21日「汀間と」改題して上演) 3等 瑞慶村智慧「史劇・犠牲者の一族」

4月18日  『琉球新報』梅泉「戯曲 時花唄 3幕5場」連載
4月24日  『琉球新報』「惨ましき露國廃帝の近状」
5月21日  『琉球新報』「尚昌氏夫人百子の方に姫君ご誕生」
5月25日  『琉球新報』「夏の窓飾ー偕楽軒」
6月3日   『琉球新報』「鈴木知事の地方自慢」
6月4日   『琉球新報』「野口英世博士重体」
6月5日   『琉球新報』「哀れ牢獄生活の前皇帝ー痛恨悲惨の境遇に泣くロマノフ皇家の方々」
6月11日   『琉球新報』「首里の孔子講演会ー真境名安興「沖縄に於ける孔子教の沿革」→6月13日『琉球新報』「沖縄に於ける孔子教の沿革」
6月21日   『琉球新報』「方言を使った生徒に罰札ー一中の普通語奨励」
6月22日   『琉球新報』「歯科開業試験に合格したる山城正忠氏は昨日の便船にて帰郷せり」
6月25日   『琉球新報』「文昌茶行(台湾)・林文昌支店久米町に開店」

1917年7月 『日本及日本人』末吉麦門冬「十三七つに就て」 
 膝栗毛輪講第三回中に「お月様いくつ十三七つ」の俗謡の意味に就き諸先生の御意見ありしが、其の意味の尤も明瞭なるは琉球八重山の童謡なるべしと思ふ。この唄の原意は八重山のが保存して居りはせずや、文學士伊波普猷氏の著「古琉球」にも論ぜられ、又八重山測候所の岩崎卓爾氏編「八重山童謡集」等にも出て居る。今「八重山童謡集」を茲に引用して御参考に供すとせむ。
 ○つきのかいしや、や、とぅかみか、みやらび、かいしゃ、や、とうななつ  譯 こは内地にて歌ふ「お月様いくつ十三七ツまだ年若いな・・・・・・・」の原歌なるべし、中央にて意味を失へる歌が西南の孤島にて、その意味を保存せるは注意すべきことなり、琉球群島は宛然古物博物館とも云ふべきか云々


8月  『沖縄新公論』末吉麦門冬「古語と方言に就いて」
9月2日   『琉球新報』「明治大学学生募集」
9月3日   『琉球新報』「波ノ上みはらし(元十八番跡)開店」
9月6日   『琉球新報』「来る20日より若狭町電車通りで開院ー山城歯科医院(山城正忠)」「七福堂(菓子・饅頭)ー辻端道で開店」
9月8日   『琉球新報』「唐美人(石川寅治氏夫人の美術院出品)写真」「一味亭支店(東京てうち生そば、琉球そば)、東古義市場前に開店」「中央大学学生募集」
9月10日  『琉球新報』「秋近し・・・隅田川のほとり 向島白髭より山谷を望むー写真」
9月13日  『琉球新報』「家庭ー珍味お芋料理」「楚南明徳氏葬儀」
9月14日  『琉球新報』「製作室に於ける小杉未醒画伯 写真」
9月18日  『琉球新報』「横山大観氏筆『秋色』院展出品 写真」
9月21日  『琉球新報』「本日より県会議事堂で開催『第四回水産集談会』で講演する岡村博士語る『本県の海草』」
9月23日  『琉球新報』「与謝野鉄幹氏晶子夫人が歌に詠まれた伊波普猷氏と山城正忠氏(9月24日に色紙写真)」
9月24日  『琉球新報』「琉球新報創立第二十五年紀念号」「二十五年前の遊廓ー当時の料理」、山城正忠「薬秘方ーヤマトカナソメ」連載。
9月28日  『琉球新報』「化學工業博覧会開場式 写真」
10月2日  『琉球新報』「飯粒 奇行に富んだ首里の青年歌人摩文仁朝信①が逝いてもう5年・・」
□①一世・大里王子朝亮 二世・大里王子朝彝 三世・新里按司朝隆 四世・大里按司朝頼 五世・大里按司朝卿 六世・大里按司朝宜 七世・摩文仁按司朝祥 八世・摩文仁按司朝健 九世・石原按司朝藩 十世・摩文仁按司朝位 十一世・摩文仁朝信
10月3日  『琉球新報』「東京の暴風被害ー明正塾は幸いにして損害なしと東恩納寛惇氏より護得久朝惟代議士宛電報」「卓上小話ー蔡温と牛肉」
10月4日  『琉球新報』「鈴木邦義『沖縄の開発』(大阪朝日新聞掲載)」
10月5日  『琉球新報』「財界の奇傑ー鈴木商店の金子直吉」卓上小話
10月6日  『琉球新報』「卓上小話ー馬」
10月7日  『琉球新報』「大阪大暴風雨の惨状ー淀川氾濫」「徳之島平天城村土野に大火 370棟を焼く」
10月11日  『琉球新報』「暴風雨概況ー那覇測候所の観測」「暴風雨に弄ばれて運輸丸名護湾に沈没ー船客150名の中50名は助かり死体次々漂流発見」
10月16日  『琉球新報』「高橋琢也氏の主宰せる『國論』沖縄號発行」
10月23日  『琉球新報』「沖縄県立図書館の近況」「潮会の本荘幽蘭と藤川秀奴」
11月23日  『琉球新報』「写真ー県会議事堂」
11月27日  『琉球新報』「写真ー逝ける世界的芸術家佛國ロダン翁」「写真ー聖上陛下の握手を給ひたるハーデー翁」
12月1日  『琉球新報』「初めての女医ー杏フク子女史」
12月7日  『琉球新報』「写真ー退京したるハーデー翁」、山城正忠「歯医者とは」
12月18日  『琉球新報』「和洋あべこべー日本では嫁が姑を怖がるけれども、西洋では夫が姑を嫌がる。/日本では夫の家で結婚の披露をする、西洋では嫁の家でする。/日本では食事中に話をするなと教へ、西洋では盛んに話をせよと教ふ。/日本では立ち食ひを悪い行儀とすれども、西洋では立って食べることをなんとも思はない・・・・」
12月19日  『琉球新報』「小野武夫氏逝去」
12月24日  『琉球新報』「一昨夜の県庁員及記者団大親睦会ー辻花崎で、末吉麥門冬君は内海さんをつかまえて大男会をやろうじゃないかと双肌を抜いて胸を叩く・・・」
12月25日  『琉球新報』「今日は降誕祭ー其の起源」
12月29日  『琉球新報』「新年を待つ・・・雑誌屋の店頭」

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沖縄の新聞①
2008年11月9日「新聞資料研究会」琉球新報新聞博物館
琉球新報本社には新聞博物館(http://ryukyushimpo.jp/info/page-129.html ) (2005年4月開館)がある。その機関紙『あめく通信』9号(2008年)に新聞収集家として著名な羽島知之氏の琉球新報での講演「新聞と私ー新聞収集研究60年」と、羽島氏が新聞博物館に寄贈した新聞原紙の目録が載っている。2008年11月9日に新聞博物館で「新聞資料研究会第19回大会」があった。会長の羽島氏以下15人が県外から参加した。沖縄側から岡田館長、新聞研究家の下地智子さん、沖縄コレクター友の会から会長の上原実、副会長の翁長良明、新城栄徳が参加した。新城は羽島会長から『スタンプマガジン』(2008年10月)を恵まれた。同誌には羽島会長の「号外コレクションが語る近現代史」が連載されている。なお横浜にある日本新聞博物館には羽島コレクションが10万点収蔵されている。

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左から、上原実(沖縄コレクター友の会会長)、羽島知之(新聞資料研究会会長)、新城栄徳(沖縄コレクター友の会)、翁長良明(沖縄コレクター友の会副会長)。□→琉文手帖通信①

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1936年11月8日『沖縄日報』「物故新聞人36氏の慰霊祭」


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1922年4月17日『沖縄タイムス』莫夢生(末吉安恭)「陽春雑筆ー神遊は神舞」
○此の程私は上里春生君が書かれた希臘舞曲論を同君から見せて貰った・・・


1929年10月に東京の春陽堂から発行された『校註琉球戯曲集』には末吉安恭(莫夢生)の「組踊談叢」「組踊小言」が収録されていることは夙に知られている。この組踊談の初出は1924年の11月3日『沖縄タイムス』からである。

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莫夢生「組踊談叢」「組踊小言」ー沖縄タイムス紙上では「組踊小言」は11月21日まで連載された。末吉は25日には水死している。おそらくまた題を変え組踊談を述べるつもりであっただろう。

〇1924年11月4日の「組踊談叢」に麦門冬は「今は故人となった書家の仲田朝棟」とあるが、これは朝株である。1907年4月の『琉球新報』に本県書家の1人として仲田朝株とある。1912年2月の新聞の死亡広告に友人として伊江朝助の名もある。朝助は戦後の1953年7月大阪『球陽新報』に七流老人名で「狂歌のやりとりー男色で有名な仲田朝株・・・」を書いている。

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正式名称は 沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議 と呼ばれる。その事務局が主催して毎週月曜日の朝10時からバス3台を借り切り、先着順で、代金は1000円。11時過ぎに辺野古漁港着、カヌー隊の出発を激励し、「へのこテント村」の現地の人達との交流、そして持参した弁当で昼食をとり、キャンプシュワーブ前の座り込みに合流し集会を持ち、3時30分に現地を出発し、4時30分に出発点の県庁前県民広場前に帰ってくるというツアーの情報を得て早速友人4人と供に参加した。
 今回はそのレポートである。
 予定した9月15日は(月)は「敬老の日」の公休日。「公休日なので、普段仕事をしている人達も参加し多人数になるのでは?」とか「こういう催しはリタイアしたシニアが多いので、彼らは当日〈敬老会〉に出席していて案外少ないかも・・・」いろいろな考えが錯綜する中で「とにかく早めに到着すれば間違いない!」という意見に落ち着いて、朝8時30分、みどり印刷前集合。モノレール儀保駅から出発に決定した。
 県民広場とはパレット久茂地向かいの角地の広場で9時10分に到着し、先着は4~5人で先ずは確実にバスに乗れると安堵した。
 中央手前の護岸に囲まれているのが辺野古漁港、中央の菱形の白い部分がキャンプシュワーブの兵舎群、北東から南西に国道329号が横切っていて、北西部に大きく広がる山林部には訓練場や弾薬庫がある。その左下の集落が辺野古。キャンプシュワーブの向こうに広がるのが大浦湾(最深部40~50M)大浦湾の付け根、写真の左奥に沖縄民謡の代表的抒情歌『二見情話(ふたみじょうわ)』の生まれた二見の集落がある。「二見情話」については、あまり知られていない「物語」がある。最終部の附録に外付けする。
10時出発 
県庁前広場出発。壷川→古波蔵→国場→一日橋交差点を左折して北上、那覇インターから沖縄自動車道を一路名護市辺野古を目指した。今年還暦を迎えた僕だが、本島北部の東海岸は今回で3回目ということで何処をどう通ったのかは説明できない。陽光まぶしく、進行方向左手の金武(きん)や恩納(おんな)の山々の稜線が何と優美なのだろう!と溜息をついた。
 車中では、「島ぐるみ会議」のスタッフや各車両に割り当てられた講師による辺野古基地建設の経緯や現在の作業の進捗状況が詳しく説明され、現場到着までの1時間余はまたたく間であった。
 辺野古漁港到着
 バスは先ず辺野古漁港に着いた。漁港の側の浜辺には当日の海上からの監視活動に当たるカヌー隊(当日は12艇)と、漁港脇にあるテント村で泊まり込んでの活動を続ける現地の人々、100人余がすでに集結していた。
 吾ら那覇からの応援組150人の到着が拡声器から告げられると、大きな拍手と歓声が湧き起こった。砂を踏みしめて高ぶる気持ちを久し振りに感じながら、彼らの集団の輪に加わった。

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1994年3月 沖縄県立博物館友の会『博友』第8号 翁長良明「幻の中山通寳を追いかけてー私の古銭夢譚ー」<
〇(略)私が古銭を集め始めたのは、小学校の1年生の時でした。古銭との出会いは、自宅の机の引き出しからみつけた4,5枚の古銭であったと思います。それは、寛永通寳と明治の2銭銅貨、それに昭和のアルミ貨だったと記憶しています。その時手にした古銭を通して、私はある種の感慨を催しました。それ以後、古銭を単なる金以上の別のものとして、興味を持ち、少しずつ集めるようになりました。
 

沖縄コレクター友の会副会長の翁長良明氏は、2008年9月13日~23日まで沖縄市・沖縄こども未来ゾーンのワンダーミュージアムでふるさと園ちゃーがんZOOまつりの一環として「沖縄のお金、世界のお金展」の開催に協力した。
 期間中は、台風による悪天候ではあったものの多くの親子や普段のワンダーミュージアムでは見られない層の人達が多く来場しており、大盛況で終わることができました。
☆「沖縄のお金、世界のお金展」の主なトピックス
9月13日 宜野湾市教育文化課(同市博物館長兼務)和田敬悟氏来場
9月16日 沖縄タイムス朝刊掲載
9月18日 琉球新報朝刊掲載
9月20日 外国人が多く、翁長氏が片言の英語で古銭について説明
9月21日 こども童謡教室の宮城葉子先生が、昔の沖縄のお金について、こどもたちに伝えるため来館
9月21日 同日、NHKニュース放送
☆「沖縄のお金、世界のお金展」について
 ワンダーミュージアムにおいては、那覇市に在住の”古銭・古美術なるみ堂”(TEL:098-987-5530)の翁長良明氏のご協力をいただき、古き時代に思いを馳せる古銭の企画展を開催。
 琉球時代からアメリカ、本土復帰に至る沖縄の歴史の変遷に伴うお金の変化と、それに対比させる形で世界の国々のお金、また世界最古のお金、世界で一番大きいお札、一番重いお金など、翁長氏の貴重なコレクションの中から厳選して企画展を組み立てた。
 お金は時代・歴史を映す鏡であることをこどもたちに伝えると同時に、世界の1年間の軍事費と飢えに苦しむ人々を1年間救う費用を対比させ、お金の大切さ→金銭教育にも視野に入れたものとした。


2013年1月30日ー左から翁長良明氏、不二出版の船橋治氏と細田哲史氏


2015年9月9日ー左から翁長良明氏、新里彩さん

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2014年10月10日 那覇市歴史博物館「那覇のまつりと10・10空襲」
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5年前に那覇の映画館で「防空演習映画」が上映されている。

1939年11月 平和館で「空襲」上映
○是は単なる防空演習映画ではない!若しソ聯重爆撃機の大編隊に我国が大空襲されたらどうなるか?想像も出来ぬ大空中戦と大惨状が展開する!!●近代科学の粋を集めて展開される空の猛威!戦慄すべきこの現実を直視せよ!物凄い実に物凄い!!一人残らず見る必要ある防空名画!!


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舞台美術ワークショップ作品を前にー左から新城栄徳氏、右端が島袋さん


制作者:島袋百恵、大城友嘉、国吉春香、ネマスミレ


左から新城喜一氏、新城栄徳氏


左から新城喜一氏、新城栄徳氏、山城知佳子さん

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1919年ー京都都踊りで琉球太鼓踊り
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(略)沖縄の歴史を研究している新城栄徳氏(琉文手帖主宰)が、京都府立総合資料館で発見した大正8年の日出新聞(現在の京都新聞)に掲載されているもの。




上ー1995年1月19日『琉球新報』「人気あった琉球の太鼓踊りー大正8年 京都の都おどりで」/下はその時の絵葉書、左が巴紋の幕の前で万国旗をかざす踊子たち。右が太鼓踊り
□1919年3月12日『日出新聞』「都踊ー『今紫四季栄』平和踊・御越わん、里前御扶齎したぼれエイヤヨヌ平和の日(ひゃるがひー)ー」


1919年9月14日ー『沖縄時事新報』


1920年5月 『地方行政』小林次郎「沖縄の特殊行政」



1925年11月『沖縄タイムス』


1932年
●山里永吉の戯曲「那覇四町昔気質」が琉球新報に掲載されたのは昭和7年3月で、山里はその後記で「この戯曲は多分13日から大正劇場で上演されると思うが、考えて見ると大正劇場に拙作『首里城明け渡し』が上演されたのが一昨年の今頃、ちょうど衆議院の選挙が終わった当座だったと覚えている。それから昨年の正月が『宜湾朝保の死』、今度の『那覇四町昔気質』と共に尚泰王三戯曲がここに完成した」と述べている。

1929年11月 那覇の平和館で「先駆者時代」上映□原題: The Pioneer Scout 製作国: アメリカ 製作年: 1928 配給: パラマウント支社


1930年10月『沖縄朝日新聞』
1930年11月 那覇の平和館で①「百年後の世界(原名メトロポリス)」/「江戸城総攻メ」上映
①『メトロポリス』(Metropolis)は、フリッツ・ラング監督によって1926年(大正15年)製作、1927年に公開されたモノクロサイレント映画で、ヴァイマル共和政時代に製作されたドイツ映画である。
製作時から100年後のディストピア未来都市を描いたこの映画は、以降多数のSF作品に多大な影響を与え、世界初のSF映画とされる『月世界旅行』が示した「映画におけるサイエンス・フィクション」の可能性を飛躍的に向上させたSF映画黎明期の傑作とされている。SF映画に必要な要素が全てちりばめられており「SF映画の原点にして頂点」と称される。→ウィキペディア
□1985年2月 那覇の国映館で「メトロポリス」上映


1930年11月『沖縄朝日新聞』

1935年

旭館


平和館




1936年11月


1937年6月 那覇の旭館で「世界の終り」上映


1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社「久高長秀」

1938年2月 那覇の旭館で「巨人コーレム」上映□『巨人ゴーレム』(きょじんゴーレム、Le Golem)は、1936年にチェコで制作されたモンスター・ホラー映画。→ウィキペディア

1938年3月、那覇の旭館で漫画祭、パラマウント映画「ポパイの快投手」「ポパイの動物園荒らし」上映
1938年3月 那覇の平和館で「禁男の家」上映□『禁男の家』( きんだんのいえ、原題: Club de femmes )は、1936年に製作されたフランス映画。1956年に『乙女の館』という作品で再映画化されている。→ウィキペディア

1938年5月 那覇の平和館で「プラーグの大学生」上映□1937, プラーグの大学生, 独(アルツール・ロビンソン/アドルフ・ウォールブリュック、ドロテア・ウイーク).
1939年6月『沖縄日報』 『透明人間』(THE INVISIBLE MAN:1933年、ジェイムズ・ホエール①)
①ジェイムズ・ホエール(James Whale, 1889年7月22日 - 1957年5月29日)は、イギリス出身の映画監督。ホラー映画の制作でよく知られており、代表作は『透明人間』、『フランケンシュタイン』、『フランケンシュタインの花嫁』など。→ウィキペディア
映画 [編集])→ウィキペディア
『透明人間現わる』(1949年、大映、安達伸生・円谷英二特撮)
『透明人間』(1954年、東宝、小田基義・円谷英二特撮)
『透明人間と蝿男』(1957年、大映、村山三男・的場徹特撮


1939年8月21日『沖縄日報』


テニアンの朝日劇場ー1940年 この年、儀間比呂志が南洋群島へ渡り、テニアンに落ち着き、芝居小屋「朝日劇場」の球陽座で大道具などの仕事をしながら生活する。



1940年1月


1940年2月 那覇の旭館で「ロイドのエジプト博士」上映
○ハロルド・クレイトン・ロイド・シニア(Harold Clayton Lloyd, Sr., 1893年4月20日 - 1971年3月8日)は、アメリカ合衆国のコメディアン。1920年代を主に活躍したサイレント映画の大スターで、日本ではチャーリー・チャップリンやバスター・キートンと並ぶ「世界の三大喜劇王」と呼ぶことが多い。→ウィキペディア



1941年 大阪えびす座で護佐丸を演ずる大宜見朝良、大宜見小太郎、宇根伸三郎

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親族に囲まれてー左から山田勉氏、山田さん、宮城さん、、山田實さん、山田さん、山田保氏、敦子さん、桜庭さん


ニッコールクラブ沖縄支部のメンバーと山田實さん


2014年10月14日 自宅で『琉球新報』掲載の新城栄徳の「山城知佳子 新作上映会に寄せて」を読む山田實さん



中国写真誌『文景Lens』編集部から山田實さんに贈られたもの


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2007年に沖縄県立美術館が博物館と同じ建物に開館した。その開館記念展図録『沖縄文化の軌跡1872-2007』に、私は「麦門冬の果たした役割」を書いたが、山城知佳子は出品作家として紹介されていた。また図録には鈴木勝雄が「映像と沖縄のダイアローグ」を書いている。鈴木はこの記念展と連動するように翌年、東京国立近代美術館で「沖縄・プリズム」展を開催、その図録には比嘉豊光らと共に山城も紹介されていた。
 
山城は今回のドキュメンタリー映画「うちなー芝居 舞台の美術」では60年以上も裏方としてうちなー芝居を支えてきた新城栄徳を追っている。うちなーの舞台美術の始まりは、沖縄の新聞を明治期から捲って『沖縄芝居とその周辺』という著に結実させた名古屋の大野道雄によれば「幕の使用が確認できる最初の記述は明治33年3月の『琉球新報』『矯風会の演劇を見る』という記事である。(略)まだ幕があがらない。理由は役者が大道具方や小道具方を兼ねており、しかも素人だから手際が悪く『故に幕の長びくのも当然なればあへてとがめず』と幕の使用にふれている。」と舞台美術にも触れている。戦後うちなーの舞台美術については製作者の草分けでもある新城の兄・喜一も18日のトークショーに参加するので当事者としての証言が聞けると思う。
 
18日には「現代歌劇・愛の雨傘」も上演される。愛の雨傘(一名 赤い目の兎)は1933年に真楽座の上間昌成が創作し、大正劇場で初演した。同時に上間作詞、多嘉良朝成作曲「新曲かたれ節」も挿入され唄とともに人気を呼んだ。「愛の雨傘」の唄は戦前のレコード(唄三味線・多嘉良朝成、多嘉良カナ子)解説によれば「美代子『庄さんやあらに実に気の毒ゆ、今ぬョーなりゆちや、庄さんよ、くりや我身ぬおばさんが、北海道にめんせーしが、札幌生りの白兎我身に送くて・・』この兎が愛の雨傘の別名ともなっている。
                                                                   新城栄徳(「琉文」主宰) 





2012年9月 アジアの女性アーティスト展実行委員会『アジアをつなぐー境界に生きる女たち』沖縄県立博物館・美術館
山城知佳子は、米軍基地や第二次世界大戦中の沖縄戦といった沖縄固有の主題を、墓庭*や美しい海などを舞台に、映像や写真など多様なメディアを用いて作品制作します。

山城知佳子さん、新城栄徳


2014年9月14日ー写真左から新城栄徳、金城美奈子さん、山城知佳子さん、画家の新城栄徳氏


2014年9月14日ー浦添市図書館前の蘇鉄
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沖縄の新聞を明治期から捲って『沖縄芝居とその周辺』に結実させたのが名古屋の大野道雄氏。同書に幕の使用のところで「幕の使用が確認できる最初の記述は明治三十三年三月の『琉球新報』『矯風会の演劇を見る』という記事である。(略)まだ幕があがらない。理由は役者が大道具方や小道具方を兼ねており、しかも素人だから手際が悪く『故に幕の長びくのも当然なればあへてとがめず』」と大道具にもふれている。

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1927年5月 那覇の平和館で「デグラスの海賊」上映
ダグラスの海賊
1926年製作のアメリカ映画。原題《The Black Pirate》。ダグラス・フェアバンクス主演の海賊活劇。監督:アルバート・パーカー、共演:ビリー・ダウ、アンダース・ランドルフほか。→コトバンク


1937年6月 那覇の平和館で「踊る海賊」上映
踊る海賊
原題: Dancing Pirate  製作国: アメリカ  製作年: 1936  配給: RKOラジオ映画
「虚栄の市(1935)」に次ぐパイオニア総天然色映画で、「クカラチャ」のロイド・コリガン監督、舞踏家チャールズ・コリンスと「邪神島」「クカラチャ」のステフィ・デューナが主演する。原作はエマ・リンゼイ・スクァイア作の小説で、「虚栄の市(1935)」のフランシス・エドワーズ・ファラゴーと「青春万歳」のレイ・ハリスが共同脚色した。色彩デザインは「虚栄の市(1935)」のロバート・E・ジョーンズ、撮影はウィリアム・V・スコールの担任。助演者は「巨星ジーグフェルド」のフランク・モーガンを始め、「ロバータ」のルイ・アルバーニ及びヴィクター・ヴァルコニ、「当り屋勘太」のジャック・ラルー、「邪神島」のミッチェル・ルイス等の面々である。→アマゾンコム

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2014年7月 倉成多郎『壺屋焼入門』ボーダーインク


2014年6月14日ー写真左から岡本亜紀さん(浦添美術館)、粟国恭子さん(沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員)、倉成多郎氏(壺屋焼物博物館)、新城栄徳

諸見民芸館創立40周年記念 収蔵名品展ポスター
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1979年8月 上原生男・新城兵一・松原敏夫『詩・批評』神谷康輝「食慾」