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1983年 沖縄の雑誌『青い海』<特集/ザ・ハブー君は毒蛇ハブを知らない!>4月号 №121 吉田朝啓「ハブとウチナーンチュ」



1983年6月 沖縄の雑誌『青い海』<特集/拡げよう緑のオキナワ!>№124 吉田朝啓「心豊かなふるさとづくり」




慶田城健二「磁気コンパスのゆくえー復帰12年目、10年目のときと比べ、マスコミの扱いは『復帰』に関する限りぐーんとトーンダウンした感があるが、今になって沖縄に米軍基地ある限り完全な復帰はありえないことを示す事件が表面化した。米軍がベトナム戦争当時使っていた放射能物質内臓の磁気コンパス(羅針盤)が多量に民間地域に出回っていたことが判明ー。」

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□1995年10月 松本ツル『回想と随想』

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表紙画・新垣安雄


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2008年5月 那覇市民ギャラリー「福沢一郎 挿絵原画展」
1963年から月刊誌『太陽』平凡社に掲載された記事の挿絵として福沢一郎が描いた34点を展示

福沢一郎ふくざわいちろう
[生]1898.1.18. 群馬,富岡[没]1992.10.16. 東京
洋画家。 1918年に東京大学文学部に入学したが,彫刻に興味をいだき退学,朝倉文夫の弟子となった。 23年『酔漢』で帝展初入選。 24年フランスに渡りヨーロッパ各地の古典絵画を見て回るうちに絵画への転向を決意した。 →コトバンク


2010年11月 板橋区立美術館『福沢一郎絵画研究所ー進め!日本のシュルレアリスム』
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若狭のレストラン宝楽で、従兄の玉寄貞一郎が副会長になったのもあって粟国郷友会新年会に参加した。
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会場のレストラン宝楽


開会に先立ち、おくなわプロジェクト推進協議会・沖縄タイムス主催「ふるさと元気応援企画」の一環として、2月13日~15日タイムスビルで開かれる「沖縄の奥、島の奥 おくなわの観光。物産と芸能フェアー粟国。渡名喜・南大東・北大東・多良間」の宣伝で、挨拶する沖縄タイムス社経営企画室の銘苅達夫室長(右)、小林剛主任。




幕開け「かぎやで風」伊佐ミサ子、天久清子





「民謡ショー」照喜名徹










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伊高浩昭ージャーナリスト。東京都出身。1967年からラテンアメリカ(ラ米)全域を取材。元共同通信記者。2005年から立教大学ラテンアメリカ研究所「現代ラ米情勢」担当講師。ラ米、スペイン、沖縄、南アなどについての著書多数。最新の著書は『ラ米取材帖』(2010年ラティーナ社)。最新の翻訳書は『フィデル・カストロ みずから語る革命家人生』(上下、2011年岩波書店)。→「伊高浩昭ブログ」

1986年10月 伊高浩昭『沖縄アイデンティティー』マルジュ社
○10、沖縄のマスメディアー新沖縄文学/雑誌は、タイムス刊行の季刊『新沖縄文学』と、青い海出版社の月刊(年10回)『青い海』が有力である。新沖縄文学は文学雑誌として発足したが、いまでは「文化と思想の総合誌」と銘打つ総合雑誌となっている。43、44両号では「八〇年代・沖縄は生き残れるか」という興味深い特集を組んだ。当時の編集者は、かつての反復帰論者として名高い新川明だった。新沖縄文学は『朝日ジャーナル』と『世界』の性格を合わせもったような思想誌である。『青い海』は「沖縄の郷土月刊誌」と形容通り、豊かな沖縄の自然、民俗、社会などのテーマをやさしい文章で綴る「市民誌」である。沖縄の文化人は、タイムス、新報両紙の文化面で主張するように、、新沖縄文学、青い海両誌を重要な活動の場にしている。両紙と両誌は「沖縄の良心」を守るため苦悩している。

○11、琉球処分 沖縄語 共通語ー沖縄国会に爆竹/1971年10月19日午後の衆議院本会議で首相佐藤栄作が所信表明演説をしていたとき、超満員の傍聴席で突然、爆竹が鳴り、煙がたちこめた。そしてビラが舞った。その場でつかまった男性二人、女性一人の三人は、いずれも沖縄出身で、「沖縄青年同盟」を名乗った。小さな、ガリ版刷りのビラには、「沖縄青年同盟行動隊」の名で、次のような文章があった。「すべての在日沖縄人よ、団結して決起せよ。沖縄は明治以来、ドレイ的な扱いをされてきた。沖縄返還協定は、沖縄を併合しようとするものである。いまこそ勇気を持って立ち上がれ。祖国への幻想を捨てよ。解放への道は、日本大和への反逆と米帝との闘いである」 爆竹事件裁判/爆竹事件の裁判は、72年2月16日、東京地裁で始まった。検察は、真久田正(22)、本村紀夫(23)、島添久子(21)の沖縄出身の三被告を、「建造物侵入」と「威力業務妨害」で起訴していた。(略) 

○14、三三回忌後の人びと/浦崎康華

2001年4月 伊高浩昭『双頭の沖縄 アイデンティティーの危機』現代企画室
○「沖縄イニシアティブ」論争ー高良倉吉らの登場は以前から予感されたものだったが、日本の思想的先兵と沖縄の内側に明確な姿を現し、沖縄の一層の日本同化を促すため沖縄のアイデンティティーを壊しつくり変えていこうとしはじめたところが、以前にはなかった現象だ。(略)高良は、大城立裕らとともに沖縄海洋博の理念作りに参画したり、首里城復元に歴史家として関与したり、「琉球の風」というNHK大河ドラマの歴史考証をしたりしているが、これらの仕事を実績として強調している。大田県政時代には保守陣営の知事候補の1人だとうわさされ、稲嶺恵一が知事選に出馬するころから稲嶺のブレーンになっていた。(略)高良倉吉は、安保支持と歴史見直し主義を掲げ政府と強調する立場を明確にしたことで、自ら学者生命に見切りをつけたかに見える。

2002年11月 伊高浩昭『沖縄ー孤高への招待』海風書房

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安良城盛昭氏の著書はこれまで『幕藩体制社会の成立と構造』(1964年)、『太閤検地と石高制』などを読んだことある。数学の本を読んでいるようで拾い読みだった。私ら団塊の世代は理論好きだが騙されやすいタイプと言われている。それを警戒している訳ではないが、私は物事を深く追求しない性質、ましてや写真とか図が無い本は余程のことがないかぎり読まないことにしている。そのせいか最近の全共闘・社会党崩れの「弁護士」仙石官房長官や「市民派」管総理の口先の屁理屈は受けつけない性質になっている。

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1980年11月24日ー豊中市立婦人会館で開かれた南島史学会第9回研究大会。右手前2人目が安良城盛昭氏と牧野清氏、左端が喜舎場一隆氏同日、受付の永峰眞名さんに安良城盛昭氏を確認してもらう。大会終了後、安良城氏を都島の沖縄関係資料室まで案内。色々と歓談する。資料室で自著を見つけた安良城氏が本代を払いそれに署名献本した。このとき以来、理論嫌いな私でも沖縄出身の理論家については、これ傾聴に努めることにした。
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01/12: 大西照雄

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6月19日午後3時過ぎに名護市の北部地区医師会病院で膵臓ガンのため亡くなられた。70歳。自宅は名護市大北3-8-20.普天間飛行場の県内移設反対を貫き、反対運動の中心的存在であった。20日の沖縄タイムスによれば、死の商人的存在の安部首相が沖縄戦没者追悼式に参列するという。しかも、仲井真カジノチジと普天間移設で会談するという。



2005年10月 大西照雄『愚直 辺野古からの問い』なんよう文庫

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大西照雄氏の著作

2000年10月22日『琉球新報』新城栄徳(書評)ー大西照雄『啄木と沖縄』(あけぼの印刷)/著者は高校教師で社会科を教えているという。現実妥協で県民に背を向ける輩が多数を占めるアブナイ状況の中、著者は高校教師の身で「五感をゆさぶる授業の模索」などと称し環境問題や平和運動に奔走している人物である。本書はヤラなくても良い多忙の中での『私の教育日誌ー学園に愛とロマンを求めて』『「沖縄の太陽」物語』に続く著書である。

本書は今は亡き国吉真哲翁についてふれている。翁は大宜味や本部で小学校代用教員を経て「琉球新報」記者、戦後」は「琉球放送」報道部長、「沖縄啄木同好会」会長などをつとめたジャーナリストで、翁の自宅は別名「国吉大学」とも称され私は最後の「生徒」の一人であった。本書に翁の戦前の詩が紹介されているが、それより古い詩「風景短章」が『南鵬』(大正15年12月)に友人の山之口貘の詩とともに載っている。

真哲翁が『沖縄教育』の編集人のときに文化人類学者で早稲田大学教授の西村真次が来沖し名嘉地宗直宅に投宿中を訪ねて人類学上の話、芸術観や石川啄木の話を3時間も聞いている。西村が東京朝日新聞社会部で社説や政治記事を書いていたときに啄木は校正係として入って来た。その出会いを西村は改造社の『短歌研究』(昭和11年)に「啄木君の憶ひ出」を記し自分宛の啄木の手紙の写真を載せている。著者にとっては皮肉になるが稲嶺沖縄知事は西村の外孫にあたる。

歌人・山城正忠は国吉真哲翁の文学の師でもあるが啄木の文学仲間でもあった。その縁で啄木の墓参りに沖縄朝日新聞の特派員として北海道へ赴く。その旅程は大正15年7月18日の午後5時に台北丸で出帆、乗客に湧上聾人も居た。20日には紀淡海峡上にあって翌日の5時すぎには神戸着、三宮駅を7時7分発で金沢に向かい午後の5時すぎには金沢に着いている。いま分かるのはこれだけである。本書は啄木と北国の人物たちを通して沖縄と北国の連帯を考える好著となっている。

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1925年4月8日『沖縄朝日新聞』「普選の歌」

1926年2月3日『沖縄朝日新聞』狂犬生「歌壇漫語」
わたしは沖縄青年同盟を結成すべく1926年(大正15年)2月ごろ沖縄に帰郷した。沖縄県民は天皇制政府の植民地支配と本土の独占資本、寄留商人(本土から移住した商人)に収奪され、低賃金と失業におびやかされていた。沖縄青年同盟は京阪神で出稼ぎにいき、労働組合に参加した経験のある進歩的労働者と社会主義的傾向の山田有幹①、渡久地政馮、東恩納寛敷ら新聞記者、教員、事務職員を中心に1926年(大正15年)3月14日 那覇市公会堂で創立大会を開催した。公会堂の座席は満員になるほどの盛況であった。(略)同盟の創立大会に屋部憲氏が「さまよへる琉球人」の掲載された『中央公論』3月号を持参し、大会の決議による抗議の必要を提案された。大会運営委員会は全員賛成したので緊急動議として屋部憲氏が提案し、満場一致で採択された。抗議文は新役員に一任された。新聞記者の東恩納寛敷氏が原案を起草し新聞記者の渡久地政馮氏宅で10名位の起草委員会が討議して決定した。わたしも最後まで参加し、それを広津和郎氏②に送る手はずまで助言した。


1926年4月22日『沖縄朝日新聞』「男師旅行通信」


1926年5月13日『沖縄朝日新聞』「北海タイムスー沖縄県民の半数は北海道に住移せしめよ/之れが沖縄救済の根本策」

1929年8月9日『琉球新報』
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写真、山田有幹夫妻を囲んで左から浦崎康華、松本三益
山田有幹 やまだ-ゆうかん
1888-1975 大正-昭和時代の社会運動家。
明治21年1月20日生まれ。那覇区役所に勤務。大正10年那覇市会議員となり,無産派議員として活動。15年沖縄青年同盟を結成,昭和3年労農党那覇支部を設立,同年三・一五事件で逮捕される。戦後は沖縄民政府社会事業部長などをつとめた。昭和50年10月11日死去。87歳。沖縄県出身。沖縄中学卒。 →コトバンク

②広津和郎
ひろつかずお[生]1891.12.5. 東京[没]1968.9.21. 熱海
小説家。広津柳浪の次男。 1913年早稲田大学英文科卒業。在学中,葛西善蔵らと『奇蹟』を創刊。評論活動を経て小説に転じ,大学卒業後半年間就職した経験に基づく『神経病時代』 (1917) が出世作となった。 →コトバンク


1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』

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2015年1月7日~3月18日 那覇市歴史博物館「年の始めの錦絵展 Part2 ~琉球でみる江戸文化の華~」


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1988-2-19『週刊レキオ』/新城栄徳と沖縄タイムス出版部の共編による『沖縄近代文芸作品集』
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「アルバム 麦門冬と正忠ー近代沖縄文壇の二大山脈ー」5


新城栄徳 解説「山城正忠」「末吉麦門冬」



□この本で唯一写真が無かった摩文仁朝信が2013年、野々村孝男氏によって発掘された。


『沖縄近代文芸作品集』の書評ー松本三益/岡本恵徳


1994年3月 松本三益『自叙』(非売品)
○山城正忠さんと第一回普選 忘れがたい人びとー沖縄近代文芸作品集を読んでー沖縄近代文芸作品集が「新沖縄文学91別冊」として沖縄タイムス社から発行された。私たちの目にふれない作品がたくさん掲載されている。巻頭にはめずらしい写真が収録され、先輩、親しかった方々、面識のある知人が20人近いのでなつかしい思いで読んでいる。とくに目を引くのは第一次世界大戦後の大正デモクラシーの影響を受けたと思われる社会主義者、進歩的な人々がこんな作品を書いていたのかと意外の感を深くしている。当時は、共産主義と無政府主義の同居時代で、共産主義者も無政府主義者の大杉栄も世間では「社会主義者」と呼んでいた。これらの人々のなかには変節して反動反共になったり、脱落した人もいるが、敗戦後は共産党員として活動している人もすくなくない。とくに近代史研究家の新城栄徳氏が参加して発掘し、紹介している「略年表」は貴重な資料だと思う。これらの人びとの中で忘れがたいエピソードを紹介したい。

1928年、最初の普通選挙に沖縄から無産者新聞記者の井之口正雄氏が立候補した。立候補の供託金は2千円だった。みんなが努力したが、立候補締め切り一週間近くなっても3百円不足した。しかたなく、山城正忠氏(書家・歌人)に頼んで夫人に内緒で3百円を借りた。票が足りなくて供託金を没収されると困るので、正忠さんは開票結果を知るため、選挙本部の大工組合事務所と琉球新聞社を深夜まで往復された。一週間の選挙運動であったが、那覇市では漢那憲和少将につぐ2位となり、供託金は没収されなかった。正忠氏の笑顔がいまも忘れられない。

そんな経験を教訓に、2回目の供託金は東京で調達することになり、八幡一郎氏にハワイへ募金運動にいって貰った。それを目当てにして「戦旗」に山田有幹氏の立候補を発表した。そのために山田さんは、選挙中検挙された。そこで獄中非合法候補となり、私は選挙オルグとして帰郷した。結果は六百四十四票獲得し、福岡県から立候補した徳田球一氏より上位だった。しかし、共産党の得票は途中、発表禁止になったので正確な数字はいまもわからない。


2003年5月 岡本恵徳・高橋敏夫 編『沖縄文学選ー日本文学のエッジからの問い』勉誠出版

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1876年12月 王命により向徳宏、林世忠、林世功ら清へ密航

1879年旧8月 蔡大鼎、林世功、毛精長ら北京へ陳情に向かう  

1880年11月20日 林世功、中国の態度に憤慨自害する。

松本三益
1904年(明治37年)2月20日、那覇市松山町2丁目57番地に生まれる。父正栄(本家の三男 林氏十世)、母ウトの長男、系図によれば林氏久米三十六姓、旧姓真栄田。八世。林世功は武装力による琉球処分に抗議し、明治13年旧10月20日北京で自決した。

1913年11月15日  林氏三十三年祭 久米平安座(大宗諱□芾 八世・世爵 美里郡大村渠地頭職 名称は松本)氏方ー眞栄田正隆は同氏を代表し来会者を歓待、遺墨書等を展観せしめ供物を配った。岸本代議士、知花朝章、仲吉朝助、伊波普猷文学士及び3新聞記者が来会した。

1913年11月16日『琉球新報』「故林世功追悼詩歌(1)伊江朝眞、兼島景福、仲濱政摸」
1913年11月17日『琉球新報』「故林世功追悼詩歌(2)伊是名朝睦、仲里朝衡」
1913年11月18日『琉球新報』「故林世功追悼詩歌(3)高相杰、名嘉山大昌」

1913年11月19日『琉球新報』「故林世功追悼詩歌(4)琉歌ー湧川朝升、高江洲昌壮、和歌ー山里永昌、屋嘉部政呈」

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松本三益資料

伊波普猷『沖縄歴史物語』null
『沖縄歴史物語』には東京版(左・1947年)とハワイ版(右・1948年)がある。東京版とハワイ版は、本文、小序、凡例、内容、写真などすべて同じものであるが、ハワイ版に総ルビがつけられていることと、附録が、東京版一篇に対してハワイ版が三篇であること、ハワイ版に玉代勢法雲による『後記』がついていることの三点の違いがみられる。本書は1928年の秋から翌年の春にかけ、ハワイおよび北米在住の沖縄人のために講演漫遊したときのテキスト『沖縄は何処へ』を参照して執筆したものである。(平凡社『伊波普猷全集』第二巻)/なほ明治13年の10月20日に、志士林世功が北京で自殺したのも清朝を動かすに与つて力があった、と伝へられているが、その当否は暫くおき、当時の思潮を窺ふたよりにもと、左に彼の自決して経緯を略述することにしよう。林世功(名城里之子親雲上、普通、官生新垣といふ)は久米村の人で、25歳の時官生科に及第し、北京の国子監に学び、明治7年業を卒へて帰国し、世子の時侍講にまでなつた人だが、明治9年の末、(略)時世の詩が2首ある。古来忠孝幾人生、憂国思家巳五年、一死猶期存社稷、高堂専頼弟兄賢。廿年定省半違親、自認乾坤一罪人、老涙憶児雙白髪、又聞噩耗更傷神。


1925年4月8日『沖縄朝日新聞』「普選の歌」

1926年2月3日『沖縄朝日新聞』狂犬生「歌壇漫語」

1994年3月 松本三益『自叙』「沖縄青年同盟結成と活動」
 わたしは沖縄青年同盟を結成すべく1926年(大正15年)2月ごろ沖縄に帰郷した。沖縄県民は天皇制政府の植民地支配と本土の独占資本、寄留商人(本土から移住した商人)に収奪され、低賃金と失業におびやかされていた。沖縄青年同盟は京阪神で出稼ぎにいき、労働組合に参加した経験のある進歩的労働者と社会主義的傾向の山田有幹①、渡久地政馮、東恩納寛敷ら新聞記者、教員、事務職員を中心に1926年(大正15年)3月14日 那覇市公会堂で創立大会を開催した。公会堂の座席は満員になるほどの盛況であった。(略)同盟の創立大会に屋部憲氏が「さまよへる琉球人」の掲載された『中央公論』3月号を持参し、大会の決議による抗議の必要を提案された。大会運営委員会は全員賛成したので緊急動議として屋部憲氏が提案し、満場一致で採択された。抗議文は新役員に一任された。新聞記者の東恩納寛敷氏が原案を起草し新聞記者の渡久地政馮氏宅で10名位の起草委員会が討議して決定した。わたしも最後まで参加し、それを広津和郎氏②に送る手はずまで助言した。


1926年4月22日『沖縄朝日新聞』「男師旅行通信」


1926年5月13日『沖縄朝日新聞』「北海タイムスー沖縄県民の半数は北海道に住移せしめよ/之れが沖縄救済の根本策」

1929年8月9日『琉球新報』
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写真、山田有幹夫妻を囲んで左から浦崎康華、松本三益
山田有幹 やまだ-ゆうかん
1888-1975 大正-昭和時代の社会運動家。
明治21年1月20日生まれ。那覇区役所に勤務。大正10年那覇市会議員となり,無産派議員として活動。15年沖縄青年同盟を結成,昭和3年労農党那覇支部を設立,同年三・一五事件で逮捕される。戦後は沖縄民政府社会事業部長などをつとめた。昭和50年10月11日死去。87歳。沖縄県出身。沖縄中学卒。 →コトバンク

②広津和郎
ひろつかずお[生]1891.12.5. 東京[没]1968.9.21. 熱海
小説家。広津柳浪の次男。 1913年早稲田大学英文科卒業。在学中,葛西善蔵らと『奇蹟』を創刊。評論活動を経て小説に転じ,大学卒業後半年間就職した経験に基づく『神経病時代』 (1917) が出世作となった。 →コトバンク


1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』

2013年5月 琉球館 月刊情報『琉球通信』(㈱)Ryukyu企画 
(㈱)Ryukyu企画 〒901-2226宜野湾市嘉数4-17-16 ☎098-943-6945

沖縄青年同盟
 
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1947年12月ー『前衛』徳田球一「産業復興の二つの道」、松本三益「農民運動の現段階」」


1998年7月20日『しんぶん赤旗』

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雑誌『おきなわ』第2号に「ハガキ回答ー出郷の日」に宮城聡と共にレッドパージ①直前の松本三益の回答がある「1、大正10年4月頃/1、多分大球丸/1、出稼のため/1、とにかく勉強したい/失業少年」。

雑誌『おきなわ』第3号には松本の親族の真栄田勝朗「琉球芝居の思い出(中座の巻)」が載っている。私は註に「著に『琉球芝居物語』(青磁社、1981)。戦前、大阪で『大阪球陽新報』発行、伊波冬子は妹」と記した。

①レッドパージ(red purge)ー1950年5月3日、マッカーサーは日本共産党の非合法化を示唆し、5月30日には皇居前広場において日本共産党指揮下の大衆と占領軍が衝突(人民広場事件)、6月6日に徳田球一ほか日本共産党中央委員24人、及び機関紙「アカハタ」幹部といわれた人物を公職追放、アカハタを停刊処分にした。同年7月には9人の共産党幹部について団体等規正令に基づく政府の出頭命令を拒否したとして団体等規正令違反容疑で逮捕状が出た(逮捕状が出た9人の共産党幹部は地下潜行し、一部は中国に亡命した)。こうした流れのなかで、7月以降はGHQの勧告及び、9月の日本政府の閣議決定により、報道機関や官公庁や教育機関や大企業などでも共産系の追放(退職)が行われていった(なお、銀行業界では共産系の追放が最小限度に留まった例や、大学では共産系の追放が殆ど行われなかった例もあった)。

当時の日本共産党は1月のコミンフォルム批判(平和革命論を否定)により、徳田を中心とする「所感派」と宮本顕治を中心とする「国際派」に分裂した状態だったこともあり、組織的な抵抗もほとんどみられなかった。この間の6月25日には朝鮮戦争が勃発し、「共産主義の脅威」が公然と語られるようになった。→ウィキペディア

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◇渡嘉敷島に行き「集団自決」の現場を視察する機会を得た。慰霊碑の説明文を読むと軍命による「強制集団死」は殉国美談に書き換えられていた。◇知事選に続き、衆議院選において沖縄四選挙区で自公候補が惨敗、辺野古新基地反対を掲げた四候補が全員当選した。渡嘉敷島の票に注目したが、自公候補が多数を占めていた。この島は、いつ、国の罠から自由になるのであろうか。(武蕉)


2014年1月 俳句同人誌『天荒』47号 野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536 定価800円(消費税込)

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2014年1月4日 沖縄県立博物館・美術館 上運天研成氏とおもちゃの会ピノキオ「トコトコ歩くひつじのおもちゃづくり」

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自宅(泊)屋上のソテツ


2014年月11月30日『新報小中学生新聞ーりゅうPON!』島袋百恵 絵「琉球の測量技術」


2014年月10月5日『新報小中学生新聞ーりゅうPON!』島袋百恵 絵「壺屋焼」

2014年7月 倉成多郎『壺屋焼入門』ボーダーインク


2014年6月14日ー写真左から岡本亜紀さん(浦添美術館)、粟国恭子さん(沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員)、倉成多郎氏(壺屋焼物博物館)、新城栄徳

諸見民芸館創立40周年記念 収蔵名品展ポスター

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沖縄県立博物館・美術館エントランスホール 沖縄県立芸術大学琉球芸能専攻学生有志「新春の舞」


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