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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

○台風の影響もなくヤガン折目無事に執り行われる!
○ヤガン折目:奉納相撲、歌・踊り、カラオケ大会
○アイランダー機(9名乗り)からツインオッター機(19名乗り)へ
○夏休みラジオ体操!
○一括交付金活用:村営塾(アニー塾)開塾
○8月教学連絡会
○8月定例教育委員会議と総合教育会議について
○マブイ込めの異文化初体験:ALTのtiff先生
○お知らせコーナー

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Posted by: ryubun02
南洋群島ー日本の委任統治
第一次世界大戦での敗退によってドイツは海外植民地をすべて失い、連合国であった日本は1922年、ヴェルサイユ条約によって赤道以北の旧ドイツ領ニューギニアの地域を委任統治することとなった(赤道以南の旧ドイツ領ニューギニアの地域はオーストラリアおよびニュージーランドが委任統治)。日本は南洋諸島獲得後、開拓のため南洋庁を置き、国策会社の南洋興発株式会社を設立して島々の開拓、産業の扶植を行った。南洋諸島では時差があり、東部標準時(ヤルート・ポナペ地区)が日本標準時+2時間、中部標準時(トラック・サイパン地区)で日本標準時+1時間、西部標準時(ヤップ・パラオ地区)は日本標準時と同じであった。また、国際連盟脱退後はパラオやマリアナ諸島、トラック諸島は海軍の停泊地として整備し、それらの島には軍人軍属、軍人軍属相手の商売を行う人々が移住した。また、新天地を求めて多くの日本人が移住し、その数は10万人に上った。日本人の子供たちのために学校が開かれ、現地人の子供にも日本語による初等教育を行った。1941年(昭和16年)にはパラオ放送局が開局し、ラジオ放送が開始された。→Wikipedia

 比律賓群島

左から諸隈彌策①(太田興業社長)、木原副領事、内山総領事/鈴木不二男、中村直三郎(大同貿易マニラ支店支配人)、太宰正伍(横浜正金銀行マニラ支店支配人)/澤松守順、森繁吉、宮崎新吉/望月音五郎、森貞蔵、山本鶴次郎

大阪毎日新聞 1935.11.9(昭和10)
本社機マニラ訪問に欣喜雀躍の二万の在留邦人 マニラ本社無線電話 八日
肩身が一層広い思い 比島日本人聯合会長 ①諸隈弥策氏談
本社の日比親善飛行の壮図を前にして本社は八日午後四時四十五分(マニラ時間午後三時四十五分)比島日本人聯合会長諸隈弥策氏と国際電話で談話を交換したが諸隈氏は非常に感激に満ちた口調でつぎのごとく語った
比島コンモンウェルス政府樹立の記念すべき日を卜し大阪毎日東京日日両社が日比両国の親善を目的に空からの祝賀使節を御派遣下さるとの報に接し在留邦人一同はまさに欣喜雀躍し人気は沸くがごときものがあります、二万余の在留邦人を代表しまず貴社の御壮挙に対し衷心から御喜びと御礼を申上げます、今回のこの計画は両国の関係を一層親密にする意味から申しても非常な効果をもたらすでありましょうが、在留邦人としても一層肩身が広く感ぜられるわけであります、フィリッピン政府および日本官憲側としてすでに非常な意気込みのもとにそれぞれ歓迎凖備に着手しているようでありますが在留邦人の民間側として大々的な歓迎凖備に着手しております、飛行機到着の際には多数の在留邦人が挙ってお出迎えするはもちろん邦人小学生、児童も喜んでお迎えする凖備をしております、もう数日のうちに福本親善使節、大蔵飛行士、布施機関士の一行を歓迎申上げることを衷心から喜ぶとともに重ねてフィリッピンの在留邦人一同が非常な感激をもって飛行機到着の日をお待ちしていることを貴社の皆様からお伝えして戴きたいと思います 。→神戸大学図書館

河村雅次郎  三豊中学 、大正3年ー神戸高等商業学校卒 三井物産(豪洲メルボルン支店)、 三井物産(マニラ支店)

左から渡邊薫、大谷純一、筒井新/金ケ江清太郎、村瀬茂、北島庄平/山本亀彦、稲田繁造、上脇辰也/森誠之、永富麻夫、早川豊平


左から田中藤作、松本勝司、古川義三/原瀬宗介、村上忠二、田熊虎太郎/吉田圓茂、大森文樹、高山辰次郎/只隈與三郎、川上武雄、服部龍造


左から愛甲武男、崎谷襄一、村上寅吉/伊藤卯太郎、村田榮一、森長英/龍頭鉄次、仁木眞一、藤井熊太郎/内海安次郎、花田善太郎、高橋利一


左から星篤比古、蒲原廣一、岡崎平治/宮下鶴、西村五郎、拍原達象/宮坂清一、三原文雄、右高剣一/松尾菅平、小林千尋、大本徳太郎

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1990年6月 『新沖縄文学』84号 山城達雄・又吉盛清・新垣安子・我部政明(司会)「座談会・もうひとつの戦争体験―台湾・フィリピン・南陽群島ー」/新垣安子「フィリピンと日本のはざまに生きる人たち」



1991年11月27日~12月1日「マニラ日本人学校訪問ツアー」


2019年啄木忌・茶話会4月13日午前11時~那覇市西・真教寺 新垣安子さん

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2015年7月17日~8月30日 沖縄県立博物館・美術館「深海探検ー海底二万里の世界」


8月18日 入場者2万人達成!!



せんすいてい「ノーチラス号」アトラクション体験 100分待ち

8月30日

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「尾瀬2015-8」





尾瀬の夏風物詩「白い虹」

オゼヌマアザミーアザミ属は、分布域が比較的広いものと極端に狭い地域固有種がある。オゼヌマアザミの分布域は狭く、群馬県、福島県、新潟県にまたがる尾瀬及び同県内の湿地に限られ、尾瀬以外ではごくまれに見られる。基準産地は尾瀬。





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2015年8月11日 県民広場「辺野古新基地建設の断念を求める県民集会」
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慶世村恒任 きよむら-こうにん
1891-1929 大正-昭和時代前期の郷土史家。
明治24年4月21日生まれ。郷里の沖縄県宮古島で代用教員をつとめるかたわら研究をすすめ,昭和2年宮古のはじめての通史「宮古史伝」を刊行した。昭和4年1月19日死去。39歳。沖縄師範中退。著作はほかに「宮古五偉人伝」「宮古民謡集」など。 →コトバンク

1914(大正3)年
10月8日 『琉球新報』清村泉水「宮古女性史ー按司時代以前の女」①
10月11日 『琉球新報』清村泉水「宮古女性史ー戦国時代の女」②
10月12日 『琉球新報』清村泉水「宮古女性史ー在番時代の女」③
10月14日 『琉球新報』清村泉水「宮古女性史ー明治時代の女」④
10月20日 『琉球新報』清村泉水「宮古女性史ー過渡時代」⑤
10月22日 『琉球新報』清村泉水「宮古女性史ー自由時代」⑤ママ

1927年2月 慶世村恒任『宮古史伝』南島史蹟保存会


1927年12月 慶世村恒任『註釈曲譜附 宮古民謡集 第一輯』南島史蹟保存会

1935年6月 慶世村恒任『宮古史伝 復刻版』須藤利一
1955年11月 慶世村恒任『宮古史伝 復刻版』伊志嶺賢二 
○比嘉春潮「序ー宮古史伝は既に二十年来、私の書棚に備えられて研究上すこぶるその恩恵を蒙むり、たびたび学友に示して愛蔵を誇った書の一つである。この書の初版は昭和二年(1927)であるが、数年を経て私は銀座の古書展で初めてこれを発見した。全く偶然で大きな喜びであった。(略)宮古史伝を読む毎に私は沖縄一千年史を連想する。博覧強記の真境名氏があらゆる文献を渉猟し読破して、一千年に亘る資料を胸中に収め、これに序列を与え達意な筆に載せたのがあの沖縄一千年史であらう。研究者はこれを一種の歴史辞典として利用することが出来る。宮古史伝についても同様のことが言へる。(略)この書はたしか昭和十七年の春、須藤利一氏の南島発行所によって台北の吉田書店から僅小部数ながら再版が出て、同好の士に頒けられたと覚えている。

1976年10月 慶世村恒任『宮古史伝 復刻版』吉村玄得

1995年2月 『沖縄タイムス』仲宗根将二「人物列伝 沖縄言論の百年 慶世村恒任」
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1910年5月、河東碧梧桐、岡本月村が来沖、沖縄毎日新聞記者が碧梧桐に「沖縄の俳句界に見るべき句ありや」と問うと「若き人には比較的に見るべきものあり其の中にも麦門冬の如きは将来発展の望みあり」と答えたという。

1908年1月『文庫』麦門冬「垣越えて鶏逃ぐる木の芽かな/乳呑児の母の昼寝を這ひありく/旅旅籠の女幮吊る無口かな/短夜の酒の香臭き畳かな/奪はれて男にうたす砧かな/許されて山雀しばし庭ありき」
1908年4月『文庫』麦門冬「庭の隅古根の椿咲きにけり/院々の晝静かなり鳥交る/恋知らぬ子猫よ来たれ日向ほこ」
1908年6月『文庫』麦門冬「狛犬の眼鼻に梅の落花かな/病癒まし小姓召さるる梅の花/下張りの屏風乾きぬ小六月/葱畑に先生おはす懐手/甘蔗の干殻白き枯野かな/道草にちぎり馴れにし薄かな」
1908年9月13日□麦門冬「糸瓜忌や叱咤に漏れし人ばかり」
1908年9月『文庫』麦門冬「禅単をすべり出づれば夏の月/蝙蝠や傾城老いて里に住む/炎天や騎馬の法師が頬冠り/お給仕の振袖つづく夏座敷/物の怪の落ちて眠りぬ蚊帳の人/佛へは白き桔梗をまいらせん/南山を見る立膝の主人哉/月の方へ蔭の方へと踊りけり/恋さまざま古文殻の紙魚ぞ知る/かしましき傾城共や嘉定喰/面白うわらひ薬やけさの秋/松風の心動きぬ墓参/平新皇河鹿の歌を詠まれけり/蜻蛉飛んで辻説教の供赤し」
1908年8月『文庫』麦門冬「晒女の邊に泳ぐ家鴨かな/夏痩や柱鏡に向ひ立つ/膳椀の漆輝く暑さかな」
1908年11月『文庫』麦門冬「草紅葉蔵と蔵との間かな/力石夜毎に蚯蚓遶り啼く/芋の子の尻にしかれて鳴く蚯蚓/柳ちりて店鎖しけり姨が酒/花葱に八日の月や夕明り/草花を鉢に培ふ姉妹/立ちながら杯を重ぬる濁酒哉/猿酒を盗みに行くや雲深く」
1908年12月『文庫』麦門冬「まめまめしく硯洗ふや小傾城/魂のぬくもりを出る蒲団かな/頭巾脱いで故郷の山に別れけり/蛤になれず雀の飛びにけり/海に入る勧学院の雀かな/落人の跡かぐ犬や枯野原/傾城に物ねだれし夜長かな/うそつきの唇薄き寒さ哉/梅干を碓つく庭の小春かな」
1909年3月『ホトトギス』麦門冬「粥杖や人の妬みに打たれけり」
1909年2月『文庫』麦門冬「屁を放つて空々如たり冬籠/霜の夜を焼鳥すなる翁かな/寒月に着る火鼠の裘/汲みこぼす水一条や冬の月/寒月に身をすぼめ行く女かな/袋して髯を養ふ冬籠り/船に乗す贄の乙女や枯柳/冬木立祠あらはに石寒し」
1909年4月『文庫』麦門冬「松の内を灯しつづけて石燈籠/女郎衆の艶書合せや松の内/水視我が身の上の今年かな/菜畑水鳥のぼる朝かな」
1909年4月『文庫』麦門冬「粥杖のどつと笑ふや打たれけん/打笑ひて粥杖隠し待つ君よ/交りは手毬を替へてつきにけり」
1909年5月『現今俳家人名辞書』(紫芳社)麦門冬「院々の晝静かなり鳥交る/月の方へ蔭の方へと踊りけり」
1909年5月『文庫』麦門冬「湖近く住みて書楼の柳かな/鳳輦を拝する市の柳かな/木蓮に春の簾を半ば巻く/供養すんで撞き出す鐘や夕桜/さを鹿の八つの角振り落しけり/蛇穴を窈窕として出づる哉/小人も君子も春の日永かな/鶯に崖高うして噴井かな/鶯や天の岩戸に谺して/野遊や火縄に焦げる春の草/泥の香をほのかに嬉し田螺汁/打果てて我が畑廣く眺めけり/三畳に夕日さして梨の花」
1909年5月『趣味』麦門冬「春を惜む柱に屋根の重かつし」
1909年5月『ホトトギス』麦門冬「うららかや低き家並の田舎町」
1909年6月『ホトトギス』麦門冬「磯山を焼き下しけり波白し」
1909年7月『ホトトギス』麦門冬「夏百日梁の袋糧やある」
1909年8月『ホトトギス』麦門冬「翡翠や釣人去りし忘れ笠」
1909年8月『趣味』麦門冬「短夜のすさびにやあらん團扇の絵/傘たたむ雫に闇の蛍かな」
1909年9月『趣味』麦門冬「人訪へば留守とばかりや青簾/青簾湖紅いに旭の出づる/山眼前に聳えて暗し青簾」
1909年9月『文庫』麦門冬「摘み残す煙草畑の小雨かな/裏畑や枯木の枝も掛煙草/蝶々や梅に餘寒の羽づくろひ/南天の葉にさめざめと春の雨/春寒う人元服す神の前/御秘蔵の鶏抱き来る小姓哉/鶏の垂尾美し木の芽垣/山佛焼けてふすぶりおはしけり/山焼くる今朝や匂ひの一しきり/燃尽きて夕になりぬ山寒き」
1909年10月『ホトトギス』麦門冬「庫あけて人のあらざる日永かな/露の野に草刈りおはす王子かな」
1909年10月『文庫』麦門冬「釣床の揺るるに人は寝入りけり/碁敵を迎へて涼し箪/すいと立つ竹一本や露重し/露の野に草刈りたまふ王子かな/木犀に玄関先の月夜かな/風の葦物馴れ顔に行々子/風死して黒き林や三日の月/古雛の首ぐらぐらと動き給ふ/爐塞ぎて疎々しさや老夫婦/家康も組する蛙合戦かな/長閑さや大宮人の長尿/づかづかと小男出でて絵踏かな/狂女とて扶掖して来る絵踏かな/野遊や八重垣の妻見つけたり/城外にぬける泉や草萠ゆる/畑打の木に忘れたる茶瓶かな/山の人駕籠舁き馴れて霞かな/屋根草をしもべに取らす日永哉/摘み行けば摘み来る人や春の草/庫々の白きに柳青みけり/鶯の小さき枝をふみ馴れし/昼寝して彼岸の鐘や夢うつつ」

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Posted by: ryubun02
南風原文化センター(沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武257番地 TEL:098-889-7399 FAX:098-889-0529 )は、南風原・沖縄に関する歴史資料や沖縄戦に関する展示,そして移民やむかしの暮らし等の展示を行っています。常設展示のほか企画展や講演会、音楽会、交流会なども行っています。
文化センター運営の基本
1.みんなで創り、みんなを結ぶ/2.学校や地域・他機関の要求や課題に応える/3.足元を深く掘り起こし、世界に広がる
文化センター活動の柱
1.資料の収集・記録保存・調査研究/2.資料・情報の公開と提供/3.歴史・文化の継承と創造/ 4.人と文化の交流

7月31日ー南風原文化センターで写真左から、新城栄徳、平良次子さん(南風原文化センター)、久部良和子さん(沖縄空手会館展示担当)、真喜志康徳氏(沖縄コレクター友の会)、与那城昭広氏(沖縄ブラジルネットアミーゴ会長)

1993年12月 『けーし風』創刊号 平良次子「ものを見る目ー真喜志康徳」


写真左から南風原文化センターの平良次子さん、大城和喜氏。真喜志康徳氏、神坂次郎①氏
①神坂 次郎(こうさか じろう)は、日本の小説家。本名、中西久夫。三田文学会員。社団法人日本ペンクラブ理事。
1927年3月2日、和歌山県和歌山市出身。1943年4月、陸軍航空学校に入校し、鹿児島県知覧特攻基地を経て、航空通信隊員として愛知県小牧飛行基地で任務時に終戦を迎える。終戦に際し、日本陸軍の暗号書等の重要書類を処分する役目を荷った。書類を燃やしながら涙が止めどなく流れたと後に回想している。
戦後、演劇関係の仕事に就き、長谷川伸と知り合い、時代小説を書き始める。1982年、『黒潮の岸辺』にて第2回日本文芸大賞受賞。1987年、『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』で第1回大衆文学研究賞(評伝部門)受賞。1992年の皇太子徳仁親王熊野行啓に際し、自著『熊野御幸』を2時間半に渡って進講。自らの特攻隊員としての体験や、地元和歌山の偉人を取り上げた作品を執筆し ている。→ウィキペディア

芸能/2003年4月28日~5月15日 南風原文化センター「貧しくも楽しい『うちなー芝居』の時代」
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中央ー真喜志康忠優
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2003年4月28日ー南風原文化センター「貧しくも楽しい『ウチナー芝居』の時代」


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