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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1981年6月 雑誌『青い海』104号 宮里朝光「沖縄の人名由来記」

ひやみかせー!しまくとぅば/宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称・万国津梁の鐘)の銘」
首里城北殿の階段 大龍柱は正面を向いている。
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旧博物館玄関の万国津梁の鐘


宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称 万国津梁の鐘)の銘 」沖縄語訳
琉球国は(りゅーちゅーくこー)、南(ふぇ)ぬ海(うみ)んかいある良景色(ゐーちしち)ぬ島(しま)やん。景色(ちしち)ぬ良(ゆ)たさしぇー北(にし)んかいある朝鮮(こーれー)とぅ比(くら)びらりーん。

中国(とー)とー上(うぃー)ぬ顎(あぐ)とぅ下(しちゃ)ぬ顎とぅぬ関係(かかわい)ぬぐとぅ日本(やまとぅ)とー唇(しば)とぅ歯(はー)とぅぬ関係ぬぐとぅ互(たげー)に助(たし)きてぃ栄(さか)ゆる国(くに)やん。くぬ二(たー)ちぬ国ぬ間(いぇーじゃ)んかいある水(みじ)ぬ湧(わ)ちゅるぐとぅ栄(さけー)てぃ行(い)ちゅる仙人(しんにん)ぬ御住所(うしめーじゅ)んかいないる優(すぐ)りとーる島やん。

国々(くにぐに)ぬ欲(ふ)さする物資(むぬ)船んかい載(ぬ)してぃ行(っん)じ満足(ちょーぢょー)しみてぃ戦争(いくさ)する心(くくる)止(とぅ)みらするぐとぅ平和(てーふぃー)ぬ仲立(なかだち)ちそーん。珍(みじら)しい物(むぬん)宝物(たからぬむん)御物城(うむぬぐしく)んかい蓄(たく)うぇーてぃ注文(あちれー)ぬあれー持(む)っち行ちゅるぐとぅそーん。土地(じー)ん人(っちゆ)ん優りとーくとぅ、遠(かー)まぬ中国日本ぬぐとぅ情(なさ)きっし国治(をぅさ)みとーん。

あんし、我王殿下(わーおーぬしーめー)大世主(うふゆぬぬし)、庚寅(かにーとぅら)ぬ年(とぅし)に御降誕(うしでぃり)みしょうち、唐名(からな)、尚泰久王(しょうたいきゅうおう)んち御名付(うなぢき)みしょうち、王位(をーぬぅくれー)、御天(うてぃん)ぬ御神(うかみ)から御授(うさじ)かみしょうち、国民(うまんちゅ)優りとーるくぬ土地をぅてぃ育(すだ)てぃみしぇーん。

仏教(ふとぅきぬうしー)広(ふぃ)るがらち、くぬ世(ゆー)をぅてぃ受(う)きたる御恩(ぐうん)、御恩返(ぐうんけーし)みしぇーるたみに新(みー)くに巨鐘(うふがに)造(ちゅく)みしょーち、くぬ国ぬ首里城(うぐしく)ぬ上之御庭(うぃーぬうなー)んかい掛(さ)ぎみしょーち日夜(ゆるふぃる)鳴(な)らしみしぇーん。

法(うちてぃ)中国ぬ夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)・手本(てぃふん)にっし定(さだ)み、周ぬ国ぬ文王(ぶんのう)とぅ武王(ぶおう)ぬ御考(うかんげー)えーぬごとぅ武器(いくさどーぐ)あちみてぃ蔵(くら)んかい収(をぅさ)みてぃ戦争(いくさ)ぬねーん平和な世にっし、くりから生(つん)まりーる王ぬ達(ちゃー)んかい教(ならー)しみしぇーん。下は(しちゃー)、くぬ世(ゆー)をぅてぃ戦争ぬたみに苦(くる)しどーる国民(しむじむ)救(すく)てぃ。上は(うぃーや)永久(いちまでぃん)王位ぬ尊厳(うすりをぅがまりーる)ぐとぅ神願(かみぅにげー)みしぇーん。

勅(うぃーし)拝(をぅが)でぃ相国寺(しょーくくじ)ぬ住職(ちょーろー、長老)渓隠安潜(けいいんあんせん)、御銘(みがち)求(いら)でぃうさぎやびたん。

須弥山(しゅみせん)ぬ南表(ふぇーむてぃ)なかい、情(なさ)き深(ぶか)さる島ぬあん。我王殿下(わおぬしーめー)ぬ現(っんじ)みしょち、苦労(くろー)そーる衆生(っちゅ)助(たし)きんち、解脱(ふとぅきくくる)になみしょーち、くぬ華鐘(ちゅらがに)鳴(な)らしみしぇーん。国中(くにじゅー)んかい響(とぅどう)ちーねー、御主(うしゅ)ぬ御声(みくぃ)んち皆(んな)が聞(ち)ち、乱世(みだりゆ)ぬ夢(いみ)むる覚(さ)まち、神ぬ褒みゆる誠持ち、堯舜(ぎょうしゅん)天子(てぃんし)ぬ世(ゆー)ぬぐとぅに、平和(てーふぃー)な世になち続(ちぢ)かしゅん。

□宮里朝光(NPО沖縄語普及協議会会長)ー〒903-0803 那覇市首里平良町2丁目139番地 電話098-884-9698

宮里朝光(沖縄方言普及協議会会長)ー那覇市首里平良町2-139 ℡884-9698

『オキナワグラフ』2007年3月号「私の宝もの」


しまくとぅばプロジェクト
宮里朝光先生としまくとぅばで読む銘文「万国津梁の鐘」
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宮里朝光氏と平良知二氏
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Posted by: ryubun02
 東京の島袋和幸氏は嘗て「山谷」をルポしていたが、私も住んでいた大阪市住之江区の近くにも「釜ヶ崎」があったので、よく子供を連れて遊びに行った。その息子が今は新年、そこで「沖縄そば」の炊き出しを行っている。1970年代、大阪はあちこちヤクザの事務所で溢れていた。最近でもハシモト大阪市長を人気者にした島田紳助と山口組のハシモト弘文極心連合会会長との親交が暴露されたのは記憶に新しい。この大阪市長がヤクザ問題に触れないのは目に見えている。

関西ヤクザ社会の歩み
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3代目山口組内弘田組副組長のところに、現・6代目山口組の司組長の名がある。
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髙山 清司/菱心会理事長。(たかやま きよし、1947年9月5日 - )は、六代目山口組若頭兼中部ブロック長、二代目弘道会会長、二代目髙山組総裁(初代組長)、旧弘田組若頭補佐.

橋下市長の実父がヤクザというのが『週刊朝日』で報じられていたが、1990年代の大阪市内は市民レベルを反映しヤクザ事務所が彼方此方に有った。橋下ドクサイ市長が新聞記者にトヤカク書かれる筋合い無い。
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Posted by: ryubun02
  
○郷友会全体に、二世たちの参加状況が極端に悪くこのままの状態が続けば郷友会組織はどうなるのだろう、という危惧がある。(略)現状はどの郷友会も10年先の会の行方を心配している。(略)民俗芸能の継承、会誌、機関紙の発行を通じて郷友会と深く関わっている青年もおり、これら青年の夢を育て、郷友会を育成するのは、現在郷友会を背負っている一世会員の責任かもしれない。

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1948年7月ーうるま新報社、那覇市三区に新築移転

1950年   仲地米子、うるま新報記者
1951年3月 外間政彰、琉球契約学生として上智大学入学→4月 外間政彰、早稲田大学新聞学科
         この年、『琉球学生新聞』、日月社『祖国なき沖縄』に関わる
     
1951年9月ー『うるま新報』を『琉球新報』と改題

1954年2月ー御成橋通りに社屋完成/6月ー琉球新報写真展、特選に山田實「光と影」
1955年9月ー比嘉春潮宅で「沖縄歴史研究会」がはじまり外間政彰も参加

1963年9月ー山形屋で琉球新報主催「私の愛蔵品展」/9月28日ー『琉球新報』「関西で活躍する沖縄の人たち」

1965年1月ー琉球新報社、那覇市下泉に新社屋
1965年5月ー『沖縄の婦人』第1号 発行所「沖縄の婦人」社/発行人・外間米子





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『和漢三才図会』「龍蛇部」
和漢三才図会 わかんさんさいずえ
江戸時代中期の図説百科事典。『倭漢三才図会略』ともいう。寺島良安編纂。 105巻。正徳2 (1712) 年成立。中国の『三才図会』に範をとり,和漢古今の事物を天文,人物,器物,地理などに分類し,図入り漢文体で解説している。 →コトバンク


1951年5月『南方熊楠全集』1 十二支考(1)乾元社
○龍の起源と発達ー1867年版ゴルトチッヘルの希伯拉鬼神誌に、聖書に所謂龍は雲雨暴風を蛇とし、畏敬せしより起こると解た。亜喇伯人マスーヂー等の書に見る海蛇(聖書の龍と同根)は、其記載旋風が海水を捲上る顕象たる事明白で、其を我国でも龍巻と云ひ、八雲の立つ同様下から立ち上がるから龍をタツと訓み、乃ち旋風や龍巻を龍と云たと誰かから聞いた。・・・・

1979年12月 吉野裕子『ものと人間の歴史 32 蛇』法政大学出版局
○たとえば隣国中国の天地開闢の創世神は、伏犠・女媧の陰陽神であったが、この二神の神像は人間蛇身の兄弟神で、しかもその尾を互いにからませあっているから」夫婦関係を示している。要するに中国の祖神は蛇なのである。この蛇の夫婦神は劫初の洪水をのがれ、天の裂け目をつくろって平和をもたらし子孫をのこして栄え、人間の祖となったのである。このように蛇は人間の祖先にまでたかめられるのに対し、キリスト教では、性を人類の祖先に教えた蛇は諸悪の源、原罪をつくったものとして邪悪の権化と見なされ、多くの聖画の構図にみられるように天使の足は永劫に蛇を踏みつづけている。 出雲大社竜蛇神図


1982年7月号『遊』「龍の美術誌」




2002年4月 土屋禮一『龍の本』ビジョン企画出版社

2015年3月 秦恒平『湖(うみ)の本 123 繪とせとら日本』「龍蛇の問題ー『龍の研究』といった本があるかどうか、無くはあるまいが、まだ目にしたことがない。にもかかわらず、『龍』に関心をもってきた。干支の『辰』も、関心に含まれてはいる。しかし根ざした思いとしてはあくまで『龍』である。と同時に、龍頭蛇尾ともいう。根はひとつで、おもむくところ、必然『蛇』にも注意せざるをえない。現実問題として、『龍』の問題は余儀なくむしろ『蛇』を介して思案せざるをえない。・・・」

伝説の地(共興地区東小笹) 
 名主は、龍神(りゅうじん)を深く信仰していたので、毎日海岸に出てお祈りをしていた。ある日のこと、いつものようにお祈りをしていると龍神が現れ、「日頃、お前の信心深いのには実に感心している。今日は龍宮城(りゅうぐじょう)へ招待しよう。私の後について来なさい」と言った。信仰厚い名主は、招かれるままに龍神の後をついて行った。青い瓦、朱塗(しゅぬ)りの柱、美しい彫りもので飾った回廊(かいろう)、今まで見たことのない、宮殿であった。珍しい飲み物や食べ物、それにすばらしい音楽、美しい踊り。名主は、龍神から手厚い持て成しを受けた。何もかもが夢を見ているようで、いつの間にか、数日がたってしまった。→千葉県匝瑳市

2016年1月8日 若狭の龍神






1992年6月『新生美術』10号
山里永吉×浦崎永錫□古きよき美術放談ー浦崎「ぼくが絵が好きになったのは、小さいころ若狭町の漆器屋の大見謝さんという人が、ランとかタケだとかを実に美しく、どんどん描いているのをうっとり見とれていたもので、それが一つの刺激になったのだと思うネ。」 山里「若狭町といえばそのころ沖縄の芸術家の出身地で絵をかく人には若狭町出身者が実に多いんだ。比嘉華山、金城南海、親泊英繁、西銘生楽、渡嘉敷衣川、野津久保、渡嘉敷唯仁、それに浦崎永錫がそうだろう。古くは有名な彫刻家・田名宗経もそうだし、若狭町は芸術家の輩出する町だネ。これは若狭町、漆器の影響だと思うな。」  浦崎「そうか、田名宗経も若狭町出身か、初耳だ。漆器の刺激と、それに景色がいいことだろう。夕方になると、おとなも子供もいっぱい若狭町灣小に出て夕日に見とれていたものだ。・・・・・」 

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Posted by: ryubun02
 東京千代田区丸の内は、明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになった。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられた。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、三菱ヶ原と呼ばれた。1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになった。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中する。→ウィキ


三菱広報委員会『マンスリー”みつびし〟』
三菱グループ - 三菱財閥を前身とするグループ。 三菱商事/三菱UFJフィナンシャル・グループ 三菱東京UFJ銀行/三菱重工業 - 下記はその関連会社。 三菱自動車工業/三菱ふそうトラック・バス - 現在はドイツ・ダイムラーの子会社であるが、三菱各社も出資している。/三菱電機

三菱商事○貿易仲介を中心とした口銭を稼ぐビジネスが中心であったが、藤野忠次郎が社長に就任した1970年代より資源開発への直接投資(天然ガスや原料炭)を手掛けるようになり、1980年代には菱食(現 三菱食品)などの食料流通などのバリューチェーンの構築を展開、1990年代に入り、コンビニエンスチェーンローソンを通じた消費者マーケットの開拓など、川上から川下までの領域にわたっての投資や経営参画を通じて収益を上げる体質変化を遂げ、収益拡大を続けている。三菱金曜会及び三菱広報委員会の会員企業である。→ウィキ

三菱電機株式会社(みつびしでんき、英: Mitsubishi Electric Corporation)は、日本の総合電機メーカーである。重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、日新電機、ダイヘン、東光高岳)の一角。また、大手重電3社(日立製作所、東芝、三菱電機)の一角でもある。

1951年4月1日 - 戦争により中断していたウェスティングハウス・エレクトリックとの技術提携が復活。8月にはWABCO社との提携も再開。/1958年 - 三菱電機が中核となり三菱グループ25社で三菱原子力工業を設立。/1960年 - トランジスタ式コンピュータMELCOM 1101を発表。

防衛機器○誘導機器 - 鎌倉製作所:防衛省関連の製品としてミサイルを製造している。戦闘機用の中距離空対空ミサイルで、ライセンス生産ではレイセオンのスパローミサイル (AIM-7F) 、自社開発では99式空対空誘導弾 (AAM-4) 、地対空ミサイルでは03式中距離地対空誘導弾 (SAM-4) がある。他にパトリオットミサイルやイージス艦に搭載されるシステムやJ/FPS-5(通称「ガメラレーダー)等、TMD関連の業務も行っている。

防衛省は三菱電機が電子システム事業がミサイル設計や衛星関連などの契約料金を水増し請求したことに関して、2012年1月27日に指名停止処分とした。なお、同省以外にも内閣衛星情報センター、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構、独立行政法人 情報通信研究機構、総務省のそれぞれから指名停止、または競争参加資格停止の措置を受けていたが、返納金を納め2016年現在全て解除されている。→ウィキ

株式会社三菱総合研究所(みつびしそうごうけんきゅうしょ)○東京都千代田区永田町二丁目10番3号に本社を置く、日本のシンクタンク、システム開発会社でシステムインテグレーター(ユーザー系)。略称は、MRIまたは三菱総研。市場規模が大きいITソリューション事業の拡大方針を明確にしており、ITソリューション事業部門の拡大、システム開発会社であるダイヤモンドコンピューターサービス(2016年現在の三菱総研DCS)の連結子会社化、三菱UFJフィナンシャル・グループとの業務提携などの施策をとっている。連結売上高・純利益の半分以上を、三菱総研DCSが占める。。→ウィキ

○コンピュータ博物館は,日本の歴史的コンピュータとその開発に携わった人々に関する史料を集めたバーチャル博物館です.1956年にわが国最初の電子計算機FUJICとETL Mark IIIが作られてから半世紀が過ぎましたが,この間に作られた多くのコンピュータの写真と解説を始めとして関連史料多数が掲載されています.「温故知新」といいますが,これらの史料から将来へのヒントを得ていただければ幸いです.→情報処理学会
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 運玉森は71年前、沖縄戦で焼き尽くされました。 運玉森は(北海道の部隊が守備をしていましたが多くの人が戦死しました。 「北海道の塔」は西原町字翁長にあります。沖縄戦で首里の32軍の司令部を中心に北に向かい西のウイング(翼)がシュガーローフ(新都心)であり、東のウイング(翼)が吾が運玉森だったのです。

 20年前、山火事で戦後何度目かの火事がありました。僕が38歳の頃でした。「かわいそうにな~」 と思うならばもう一度、木を植えよう! という、 平凡、且つ非凡な考えが芽生えました。沖縄の在来の木々7~8種を植えました。5年計画で1200本の植樹を敢行しました。 西原と与那原の少年・少女達と・・・ 僕の力強い友人達・・・。最終年には「運玉植林隊」は120人にもなりました子ども達の父母が参加したからです・・・


右ー左が石川和男氏

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右ー左から玉寄貞一郎副会長、与那城昭広・前会長、山内宏幸副会長



左ー末吉良治粟国村教育長「挨拶」

左ー仲里好孝郷友会会長/与那城昭広・前会長



左ー浜川政敏「ギター曲」


右ー濱川栄優・粟国小中学校校長「挨拶」


右ー濱川栄優・粟国小中学校校長飛び入りでカチャーシー

右ー玉寄盛和郷友会副会長「閉会の言葉」


母と、我が恩師/お土産「粟国の黒糖」「粟国特産もちきび」
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会場のJAおきなわ真和志/会場受付


玉寄貞一郎郷友会副会長「開会の言葉」/仲里好孝郷友会会長「会長挨拶」


新城静喜粟国村長「来賓祝辞」







左ー糸数清・隆清群座長「遊びちじゅや」


写真右から糸数清氏、真喜志康徳氏、新城栄徳

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 アメリカは中国と何らかの密約があるのか知らないが、日中間で全面戦争が起きた場合を想定しても、アメリカは関知しないようだ。だから北朝鮮はともかくとして、尖閣諸島の問題にも何ら米軍は抑止力にもならないことは次の記事をみても分かる。  

「JBpress 10月11日」□米国・ワシントンのインターネット新聞「ワシントン・フリー・ビーコン」は10月7日、「ペンタゴン(米国防総省)が将来の日本の核兵器と対中戦争について研究」という見出しの記事を掲載した。この報道をスクープしたのは、米国の軍事戦略を専門とするビル・ガーツ記者である。ガーツ記者は、国防総省の「相対評価局(ONA)」が今年6月にワシントンで開催した「核作戦とその意味」と題する研究集会の報告書の主な内容を伝えていた。

 ONAは国防長官に直結する研究調査機関で、米国にとって10年以上の単位で長期的な脅威となりうる諸外国の軍事動向や、同盟国を含めた米国側陣営に対する脅威への対応策について研究することを主任務としている。同新聞の報道によると、ONAがこの種の研究に取り組んだ背景には以下のような要因がある。
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(1)米国は同盟諸国に対して「拡大核抑止」(核の傘)を誓約してきた。しかし、オバマ大統領が「核なき世界」や「核先制不使用」政策を掲げることで、その制約への信頼が失われている。その結果、同盟国の間で核武装論が徐々に高まりつつある。
(2)オバマ政権が米国の核戦力を進化・改良させないのに対し、中国やロシアは核戦力の近代化を進めており、米側の抑止力が相対的に弱くなった。
(3)北朝鮮が核武装を完了させ、イランも10年後には核兵器開発が確実だとみられるようになった。

 この研究結果は、ONAが委託した民主党系の民間防衛シンクタンク「長期展望戦略グループ」によって報告書としてまとめられた。同報告書によると、日本の目の前には核武装という選択肢があるという。その主な理由は、「中国や北朝鮮による日本への核攻撃や核威嚇に対する米国の核安全保障が弱くなり、やがて、中国や北朝鮮を抑止するには不十分になる・・・・

 ・日本政府は一度決定を下せば、現在の原子力技術や宇宙開発技術、巡航ミサイル、潜水艦の技術を基に、10年以内に核兵器を完成させることが可能である。(略)安倍政権も認めているように、日本の現行憲法は核兵器保有を禁じてはいない。米国としてもこの点を重視する必要がある。さらに同報告書は、日本と中国が尖閣諸島の領有権をめぐって争い、場合によっては日中戦争へと発展する危険性があることを指摘する・・・・

 ・日中間で全面戦争が起きた場合、日本は地上配備、あるいは潜水艦発射の核ミサイルにより中国に最大で死者3000万人の被害をもたらす破壊能力を保持するにいたる。・中国側は現状でも日本に核攻撃をかけて死者3400万人の被害を与える能力がある。この死者は日本の総人口の27%であり、日本は国家絶滅の危機に瀕することとなる。・・・・・

 米ワシントン州バーリントンのショッピングモールで8月23日夜、銃乱射事件があり、地元警察によると、4人が死亡した。容疑者は警察がモールに到着する前に逃走しており、行方を追っている。州警察は銃を持って黒いシャツを着たヒスパニック系とみられる容疑者の男の写真を公開した。モールから歩いて離れていく様子が目撃されているという。(朝日新聞デジタル)

8月14日、米ウィスコンシン州のミルウォーキーで13日、警察官が拳銃を向けてきた黒人の男を射殺したことに抗議する人々が暴徒化し、店舗や警察車両が放火される騒ぎとなった。


  レームダックと化したアメリカ黒人大統領オバマ。皮肉にも上右の白人女性が黒人の人権を擁護「この国が間違っている」と健康的な発言。黒人差別は今に始まったことではないが、アメリカはガタガタだ。人種差別主義者の大統領が誕生しそうなアメリカの現状。そのアメリカに忠誠を誓う、同盟国(属国)日本のアベとその防衛官僚の卑屈な態度に付けこんで、またもやアメリカ軍は次のようにおちょくっている。 【AFP=時事】米空軍は19日、1機5億ドル(約510億円)の次世代戦略爆撃機B21の名称を、第2次世界大戦(World War II)中に日本を攻撃した爆撃機部隊にちなんで「レイダー(Raider)」とすると発表した。だとさぁ、うんとこしょ♪。東京大空襲の責任者で、戦後は「日本占領は百年続く」(現実にそうなりそうだが)と嘯いたカーチス・ルメイに、勲一等旭日章を授与した日本のトラウマ。カーチス・ルメイ少将に万歳だ。

『東京新聞』2016年9月24日 
【ニューヨーク共同】米南部ノースカロライナ州シャーロットで20日、黒人男性キース・スコットさん(43)が警察官に射殺された事件で、遺族が23日、当時の状況を撮影した動画を公開した。スコットさんの妻が「撃たないで」と懇願している。米メディアによると、映像は妻ラケイアさんが携帯電話で撮影し、約2分半の長さ。CNNテレビなどで放送された映像には、ラケイアさんが夫に「車から出なさい」と呼び掛けた後、警察官に「撃たないで」と繰り返し叫ぶ声と、数発の銃声などが収められている。

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1968年7月『電通66年』チラシ「電通社史編集委員会委員長・坂本英男ー不備な社史配布に当たって」


2001年7月『電通100年史』

○株式会社電通は、東京都港区東新橋一丁目、「汐留シオサイト」に本社を置く、日本最大の売上高の広告代理店である。代表取締役社長は石井直。 ウィキペディア

『東京新聞』 2016年10月7日
 広告大手の電通に勤めていた高橋まつりさん=当時(24)=が昨年12月に自殺したのは、直前に残業時間が大幅に増えたのが原因だとして、三田労働基準監督署(東京)が労災認定していたことが7日、分かった。遺族代理人の弁護士が明らかにした。川人氏によると、高橋さんは東大卒業後の昨年4月、電通に入社し、インターネット広告などを担当した。本採用となった10月以降、業務が増加し、11月上旬にはうつ病を発症したとみられる。12月25日、東京都内の社宅から投身自殺した。労基署は発症前1カ月の残業時間は月約105時間に達したと認定。2カ月前の約40時間から倍増していた。

『毎日新聞 』9月24日<電通>業界トップでなぜ「不適切(不正)請求」は起きたのか
 国内広告代理店最大手の電通は23日、同社グループのデジタル広告サービスで、未掲載なのに広告主に料金を請求したり、広告主に送る実績リポートに事実と異なる虚偽の記載をしたりするなど、不正・不適切な取引があったと発表した。(略)

 同社が今回、不適切な請求を行った広告主にはトヨタ自動車なども含まれる。広告業界はデジタルシフトを急いでいるが、新しいデジタル広告は、広告主からみると、仕組みがわかりにくいところも多い。業界トップの電通でこうした問題事例が発覚したことで、企業のデジタル広告全体への不信感が広がる可能性もある。電通は同日、中本祥一副社長らが東京証券取引所で記者会見し、社内調査の詳細を明らかにした。それによると、今回、不適切な請求が行われたのは主に「運用型デジタル広告」と呼ばれる新しい分野。最新技術を使い、ポータルサイトや検索エンジン、SNS、アド(広告)ネットワーク向けに、性別、年齢、興味・関心を絞ったオーディエンス(読者)に配信できる。電通では2010年ごろから急増してきたという。(略)

 電通によると、成長分野のデジタル広告は目標設定が高い一方、社内に仕事の質的な変化への認識が足りず、担当する人員の「質・量が十分ではない」状況だった。また、専門性が高いため、担当外からの管理監督の目が届きにくいという面もあった。中本副社長は「(デジタル広告分野は)ミスが起こりやすい領域。管理体制の不十分さが問題を引き起こした一因」「現場へのプレッシャー含めて、十分な配慮をしなければならなかった」と述べた。今回の問題の責任については「人為的なミスを含めて特定個人というよりも業務を統括するマネジメント、経営の問題」と結論づけた。電通は今年7月、デジタル専門子会社「電通デジタル」を設立するなど積極的にデジタル化に乗り出している。だが、同子会社の母体となった「ネクステッジ電通」も今回の不適切な業務に関わっていた。


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 『毎日新聞』2016年9月23日□税金はバランス良く使われているのか。2017年度予算の概算要求で、防衛費が過去最高になった。(略)日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのは分かる。けれども一方で、国内には貧困や格差拡大など克服すべき問題も山積しているのだが−−。

 まず、この10年間の防衛費の推移を見てほしい。12年12月に誕生した第2次安倍晋三政権が、予算を編成した13年度以降は増え続け、17年度の概算要求段階では過去最高の5兆1685億円(16年度当初予算比2・3%増)となった。 軍事問題や安全保障に詳しいジャーナリスト、前田哲男さんは防衛費の伸びをどう見ているのか。 「大型兵器の調達が増えています。米が開発した1機173億円の滞空型無人機『グローバルホーク』の取得が代表例。日米同盟の強化を掲げる安倍政権が誕生してから、制服組の意向が予算に反映されやすくなっているようです。まさに『防衛版アベノミクス』と言っていいでしょう」

 防衛装備品は13年12月に定めた「中期防衛力整備計画」に基づき導入され、14〜18年度の5年間で必要額は24兆6700億円程度とされている。そこで、17年度予算で購入予定の主な防衛装備品を一覧表にまとめた。目が飛び出しそうな金額が並ぶ。厳しい国際情勢を考えると、「防衛力の整備は待ったなし」とも思えるが、前田さんら有識者は、必ずしも優先順位の高い装備品ばかりではないと批判する。順番に見ていこう。 「グローバルホーク」はレーダーに映りにくい約1万8000メートルの上空から地上を偵察できる。防衛省は「事態が緊迫した際に継続的な警戒監視を行うことが可能」などと必要性を強調するが、前田さんは「日本の専守防衛の観点からは疑問。弾道ミサイル発射の兆候などを把握するのに有効だが、敵基地の先制攻撃が必要だとの議論になりかねない」と首をかしげる。

 沖縄県・尖閣諸島など離島が他国に占領される場合に備え、防衛省は米国製の水陸両用車(AAV7)11両を84億円で購入する予定だ。だが、「どのような場面で使うのでしょうか」と、前田さんの査定は相変わらず厳しい。 現実問題として、中国の正規軍が尖閣諸島を占領することは「日米同盟を相手にした最悪の愚策」で考えにくいという。仮に正規軍が占領した後、日本がAAV7などを使って奪還しようとすると、米国を巻き込んだ日中の全面戦争に突入するリスクが高まる。武装状況にもよるが、漁師や民兵などが離島に上陸しようとするケースは、原則として海上保安庁の出番だ。

 軍事ジャーナリストの世良光弘さんは、AAV7の性能面を疑問視する。「水上での最高速度が時速13キロと遅く、上陸時に敵から狙い撃ちされます。サンゴ礁を乗り越える機能もついておらず、米海兵隊も使いたがりません」。同省は米海兵隊をモデルに「水陸機動団」(仮称)を新編する方針だ。その柱のAAV7について同省は「諸外国の類似品と比較して速度が遅いということはない。サンゴ礁が状況によって障害になりうると認識しているが、サンゴ礁を避けた運用は可能だ」と反論する。

 『沖縄タイムス』2016年9月23日□国際自然保護連合(IUCN)主催の第6回世界自然保護会議の取材でハワイを訪れた。大型ハリケーンが接近していたが、オバマ大統領がやってくるというので島には歓迎ムードが漂っていた。米首都ワシントンから遠く離れた南の島の開放的な雰囲気のなかで、オバマ氏の側近らと話をする機会を得た。

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2016年9月 来間泰男『それからの琉球王国 日本の戦国・織豊期と琉球中世後期』(シリーズ 沖縄史を読み解く)上・下 日本経済評論社(〒101-0051 千代田区神田神保町3-2 ☎03-3230-1661 FAX03-3265-2993)

2016年9月 来間泰男『それからの琉球王国 日本の戦国・織豊期と琉球中世後期』(シリーズ 沖縄史を読み解く)上 日本経済評論社
○はじめに シリーズの完結
1 稲作の起源・伝来と”海上の道〟上・下
2 <流求国><南島>ー古代の日本史と沖縄史 
3 グスクと按司ー日本の中世前期と琉球古代 上・下
4 琉球王国の成立ー日本の中世後期と琉球中世前期 上・下
5 それからの琉球王国 日本の戦国・織豊期と琉球中世後期 上・下

沖縄史についていえば、かなり積極的に検討し、私見を提起してきた。
①日本列島への稲作の伝来は、沖縄を通る「海上の道」などではけっしてなく、明らかに朝鮮半島を経由している。
②関連して、「照葉樹林」の欺瞞性にも思い至った。
③八世紀の隋書に出てくる「流求国」で当時の琉球を語ることはできない。
④古代日本の律令国家が「南島」と位置づけた南島の島々には、沖縄諸島は含まれていない。
⑤琉球王国が成立する以前、あるいはそのころ現れてくるグスクは、戦いのための城郭・城砦ではない。
⑥そのグスクと対応して、按司を武士と取り違えてはならない。沖縄史には、その後も武士は生まれなかった。
⑦琉球王国は、沖縄史の成熟の延長線上に生まれたのではなく、むしろほとんどまったく成熟することのなかった状況で、ようやく原始社会から脱出し始めた段階で、中国で建国されたばかりの「明」が、自らの必要から琉球を国家に仕立て上げたのである。それは倭寇の跳梁する時代の落とし子であった。
⑧沖縄への稲作の伝来・定着はこのころのことで、それまでも繰り返し伝来してきてはいただろうが、それが温帯系の品種であったために、亜熱帯の沖縄諸島には定着できなかった。定着できる南方系の品種は、九州からではなく、むしろ中国大陸から伝わったであろう。
⑨こうして成立した琉球王国は、人によって「大交易時代」と称されるような局面があったものの、その時代は長く続くことはなかった。


2013年12月19日 『基地で働く』出版と「平和・協同ジャーナリスト基金賞」奨励賞受賞祝賀会 写真・会場の沖縄タイムス本社ー左が来間泰男氏、元琉球新報社長・高嶺朝一氏

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広瀬 隆「ナチス」

 

広瀬 隆『持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち』

広瀬隆の本
広瀬隆 ひろせ-たかし
1943- 昭和後期-平成時代のノンフィクション作家。
昭和18年1月24日生まれ。医学書の翻訳にたずさわりながら,反原発運動にとりくむ。昭和56年「東京に原発を!」で注目される。つづいて「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」「危険な話」など,資料を駆使して事実にせまる作品を発表し,原発論争をまきおこした。東京出身。早大卒。著作はほかに『赤い楯』など。→コトバンク

1987年11月 アーマンド ハマー① (著), 広瀬 隆 (翻訳) 『ドクター・ハマー―私はなぜ米ソ首脳を動かすのか 』 ①美術品収集家としても世界的に知られており、ソ連との貿易をしていたころより本格的に収集を始め、主にロマノフ王朝時代のロシアをはじめとするヨーロッパの絵画や彫刻などを収集する傍ら、1930年代にはニューヨーク州マンハッタンに画廊をオープンするなど、趣味と実益を兼ねたビジネスを行っていた。また、後にオクシデンタル・ペトロリウムの本社があるカリフォルニア州ロサンゼルスにアーマンド・ハマー美術館を設立している。→Wikipedia

1991年11月 広瀬隆『赤い楯 ロスチャイルドの謎㊤』集英社□ペリー提督が今日の沖縄、当時の琉球那覇に姿を現わしたのは、この結婚からわずか四年後のことであった。ペリーはそこから小笠原諸島を経て浦賀までやってくると、軍艦”たった四隻で夜も眠れぬ”恐怖を日本人に与え、和親条約の調印にこぎつけたのである。(オーガスト・)ベルモントの結婚相手キャロラインこそ、このペリー提督の娘であった。しかもペリー提督の兄オリヴァー・ハザード・ペリーは、イギリスを敵として戦ったアメリカ海軍の英雄誉高く、アメリカでは、”わが国のペリー提督”と言えばこの兄を指すほどの存在であった。ロスチャイルド家はこの英雄一族をパートナーに取りこむと、さらに閨閥を広げるよう、ベルモントに強く指示を与えた。

2011年6月 広瀬隆『象の背中で焚火をすれば』NHK出版□あらゆる経済通が、「日本の財政赤字を解消しないと、大変な事態になる。もはや限界だ」と叫んでいる中で起こっている出来事が、”公的資金の導入”による金融界の救済である。そも、公的資金とは、奇怪な言葉ではないか。「的」とは、「・・・・・らしい」の意だが、いま国民に無断で使用されている公的資金とは、税金やその予備軍の日銀特別融資のことであるから、公的ではない。まぎれもなく「公金」であるのだから、はっきり公金と言いたまえ、税金などを盗めば、公金着服と言うではないか。



1993年12月 大薗友和『アジアを読む地図』講談社/2002年11月 大薗友和『世界のタブーが解る本』小学館 大薗友和ージャーナリスト。1952年生まれ。同志社大学経済学部卒。『週刊文春』『選択』記者を経て独立、大薗事務所設立。経済・産業と中国・アジアが専門。91年に著わした『一目でわかる企業系列と業界地図』が内外の反響を呼ぶベストセラーに(英語、中国語、ハングル語に翻訳)。93年の『アジアを読む地図』(講談社)は全国学校図書館選定図書に指定される。


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宮里朝光氏□開会の挨拶ー百浦添御殿と言うすばらしい固有名詞があるのに首里城正殿とヤマトゥは言う。識名御殿も識名園と云い世界遺産にも識名園と登録している。


照屋義実氏「『しまくとぅばの日』条例制定当時の状況とその背景を語る」



狩俣繁久氏/比嘉豊光氏「『しまくとぅばの日』条例制定10年までの歩み」


比嘉座ぬ比嘉陽花さん一人芝居「カンポーヌクェーヌクサー」□この比嘉さん、老いぼれネトウヨがよく取り上げて批判しているが、それだけ注目されているということだ。本人にしてみれば有難迷惑だろう。


平成ぬ頑固党総裁・宮里朝光氏
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1993年3月27日『琉球新報』「首里城正殿の大龍柱/大龍柱を考える会(宮里朝光会長)『やっぱり正面向き』」



写真左から安慶名達也氏、當山奈那さん(沖縄国際大学、沖縄大学非常勤講師)、親川志奈子さん(しまくとぅば連絡協議会事務局長)、比嘉陽花さん


新城栄徳、照屋義実氏/比嘉陽花さん、新城栄徳


安慶名達也氏「しまくとぅばを教育&エンターテイメントの観点から沖縄文化を次世代へ継承していく舞台や人材プログラムを企画・運営」。以下はそのメンバー





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1971年ー万博も終わり静けさを取り戻した京都。大阪の沖青友の会機関誌『石の声』8号の装丁デザインを考えていた。河原町の書店で松岡正剛編集の『遊』創刊号(1971年9月)を見た。伏見桃山で会ったばかりの稲垣足穂の文章もあった。その表紙デザインを『石の声』の表紙に取り入れたのは言うまでもない。以来、松岡正剛の名前はついて回ることになるが、肝心の編集だけは身につかなかった。本ブログを見ても解るように元もと整理は苦手である。

タテ組の初稿ゲラになった「千夜千冊」は、ヨコ組だったウェブ「千夜千冊」以上の編集魂をかきたてるらしい。書き換えに近いほど手を加えた上で、加読性を高めリズムをつけるために句読点・改行を微細にうごかしていく。「見開き2ページの中の漢字の配分や画数まで気になる」のだという。「ウェブの千夜千冊が雑木林なら、書籍の千夜千冊は密林だ」。「千夜千冊」の彫琢の日々はまだまだ続く。
取材中も赤ペンを放さないセイゴオ(カメラマンはAERAの戸澤裕司さん)→「セイゴオちゃんねる・2006-1-27」

 上の方の中央に見えるのは潮出版社の1975年『タルホ事典』である。

松岡正剛が関わった雑誌・本

□松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年(昭和19年)1月25日 - )は、日本の編集者、著述家、日本文化研究者。編集工学を提唱。京都市出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。現在、株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長、連志連衆會理事。妻は、かつて稲垣足穂の本などに幻想的な絵をよせた、画家のまりの・るうにい。→ウィキ

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○(略)和田清博士の説に拠りますと明の洪武5年(1372)に琉球(流求)招撫を命ぜられた楊載なるものが、その琉球は台湾であることを意識してをりながら、この慓悍な蛮人の拠ってゐる危険な島を避けて故らに人情温雅な今の琉球(即ち中山國)に到り、その王を誘って明廷に入朝せしめ、之を琉球王なりとしてその使命を果たしたやうに見せかけたのに拠るのであらうといふことであります。・・・

石田幹之助 生年明治24(1891)年12月28日 没年昭和49(1974)年5月25日
出生地千葉県千葉市
主な受賞名〔年〕フランス政府アカデミー勲章〔昭和35年〕,紫綬褒章〔昭和39年〕
経歴大正5年東京帝大卒業後、中国に留学。留学中、東洋学関係の文献蒐集家モリソンを知り、その日本誘致を行ない(岩崎家が購入)、その文献整理に当って、モリソン文庫(現・東洋文庫)の基礎を築く。6年〜昭和9年同文庫主事。傍ら日大教授、国学院大学教授を歴任。20年東方学会設立にあたって理事となり、機関誌「東方学」の編集に従事した。48年同学会会長。著書に「長安の春」(昭16)をはじめ、「欧人の支那研究」「南海に関する支那史料」「唐史叢鈔」「東亜文化史叢考」、「石田幹之助著作集」(六興出版)などがある。→コトバンク

1974年7月15日『日本古書通信』第363号「石田幹之助氏・岩佐東一郎氏の死」
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 「日本にとって沖縄とは何か」
 一見、他愛もない問いを、たびたび浴びせられると、はたと考え込んでしまう。突きつめると「軍事基地の島」としか思い浮かばない。しかも、70余年にわたり、他国の軍隊が鎮座し、島中に立入禁止の金網を張りめぐらせた日常風景。これも「日本」なのかと。

 日本政府が沖縄を「軍事の要塞」「戦略拠点」と位置づけていることは、8月2日に閣議報告された『2016年版・防衛白書』に明記された。
 軍事的に沖縄の地理的優位性を強調し、曰く「朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い位置にあり、戦略的に重要性を有す」と説く。
 さらに中国との位置関係からも「戦略的に重要な目標」とし、尖閣諸島の領有権をめぐる有事事態を想定している。
 8月4日に就任した稲田朋美防衛大臣は、防衛白書を踏まえた上で「地理的な優位性を有する沖縄に優れた機動性、即応性を持ち、幅広い任務に対応可能な海兵隊を駐留することは日米同盟の抑止力を構成する上で大変重要な要素」と、具体的に言及した。
 では、政府が金科玉条とする「地理的優位性と抑止力」は、果たして正当性があり、理屈にかなったものなのか。安倍政権の唱える日米同盟を疑うこともなく支持する国民層には「沖縄に基地があって当然」又は「よそ事」と無関心を決め込んでいるように見える。

 かつて「太平洋のキーストーン」として、米軍が沖縄基地を自由使用し、地理的優位性を謳歌した時代があった。これは冷戦時代の遺物であって、ソ連崩壊に伴い、戦略的役割は終わっているはず。日本政府はそんなことにお構いなく、日米同盟の下に、復帰後も無理矢理、この路線を踏襲し続けた。
 しかも、新たに北朝鮮、中国を名指しして、脅威論を振りかざし、沖縄基地の地理的優位性と抑止力を「延命」させようと目論んでいるのだ。妖怪の如く実態はつかみどころがない。
 日米の元政府高官や軍事専門家筋からは、早くから沖縄基地の「地理的優位性」には疑問符が投げかけられてきた。近年の軍事技術の変革によって、戦略拠点であったはずの沖縄が、敵国からのミサイルの射程内に入ったこと、基地を集中させるリスクがあまりにも大きいとし、地理的優位どころか、ぜい弱性、危険性でさえ指摘する。
 しかも、海兵隊が抑止力として、沖縄に居座らなければならない理由は無い—ということが常識にさえなっているのだ。

 殆どの沖縄県民は。沖縄が「軍事の要塞」として、有事に戦渦に巻き込まれることを最も恐れる。70余年前の沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らない」「二度と戦争はいやだ」「捨て石にされたくない」が骨身にしみている。
 辺野古や高江の新基地建設に反対し、絶えず基地整理縮小を叫ぶ人々の心根はそこにある。「辺野古が唯一」「地理的優位性」「抑止力」とは相容れられないのだ。

 国は今、一気に強権を発動し、「アメとムチ」の植民地的手段を講じながら、圧倒的な沖縄県民の民意を押し潰しにかかっている。
 辺野古新基地について、国と県は和解策に基づく協議を重ねてきた。ところが7月22日、国は一方的に翁長県知事を相手に「違法確認訴訟」を福岡高裁那覇支部に起こした。協議よりも裁判で早目に決着をつけ、辺野古の工事に着手しようとの意図が見え隠れする。「裁判では国が勝つ」との皮算用があってのこと。しかも、同時に陸上部分の工事再開も通告したのである。
 国の強権ぶりは、同日に名護市辺野古と東村高江のヘリパット工事再開の「二面作戦」に出たことで頂点に達した。何と山原(ヤンバル)の山林地帯に、全国から動員された屈強な警察機動隊員500人が出現し、工事反対の区民や支援団体の人たちを、問答無用で強制排除した。
 二年間も阻止されてきた6カ所(うち2カ所は完成済み)の工事は、またたく間に機動隊や防衛局に見守られ再開された。その際、県道への金網の設置、テント小屋の撤去、木の伐採、検問など、法的な手続きも示さぬまま、暴力的に強行された。「まるで戒厳令だ」「国の暴力」と抗議団から悲鳴が出るほど、異様な光景だった。

 「県民に寄り添う」と、安倍首相、菅官房長官はじめ政府サイドは絶えず繰り返してきたが、ついに180度転換し「基地と振興策はリンクする」と、本音を露呈した。
 県民の民意がどこにあろうと「国には従え」を強要する姿勢である。リンク論とは、言葉をかえれば「辺野古を認めなければ、振興予算を削る」ということだ。翁長県政からの保守勢力の離反、アメとムチによる世論の分断を狙った巧妙な手との見方がある。
 たて続けの政府の強硬手段には、さすがの翁長知事も「これでは自治が死ぬ」と、せいいっぱいの抵抗を示した。
 全国から見れば、沖縄は絶対的少数者である。県民の民意は圧倒的に辺野古新基地反対だが、どこまで全国の人々に共鳴してもらえるか。基地・安保が沖縄だけの問題でないことは言うまでもない。
「沖縄のような少数者の意見を尊重し、吸い上げることができなければ、真の民主主義国家とは言えない」20年も前に、ニュースキャスターの筑紫哲也さん(故人)が警鐘を鳴らし続けていたことを思い起こした。

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(上)1998年7月、琉球新報ホールで。左から宮里昭也氏(元琉球新報社長)、新城栄徳、高嶺朝一氏(現琉球新報社長)、新川明氏(元沖縄タイムス社長)/(中)2003年9月、琉球新報ホールで、左から船越義彰氏、山之口泉さん、大城立裕氏、石野朝季氏。撮影・新城栄徳。/(下)2003年6月、喜如嘉ゆかりの人たちと、左から平良次子さん、大山哲氏、伊佐眞一氏、福地曠昭氏、新城栄徳。

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講師の玉那覇英人氏と彫刻作品「海と月の橋」「風薫る」
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1975年2月 沖縄の雑誌『青い海』40号 「沖縄の食べもの文化考」

1980年7月 沖縄の雑誌『青い海』94号 「豚の特集ー豚にまつわるユニークな民俗・文化論の数々」


2005年4月 平川宗隆『豚国・おきなわ』那覇出版社/2015年3月 比嘉理麻『沖縄の人とブター産業社会における人と動物の民俗誌』京都大学学術出版会

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写真ー1997年5月、小玉正任氏と新城栄徳。小玉正任『史料が語る琉球と沖縄』毎日新聞社にサインしてもらった後に撮る。


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写真ー京都(大石橋の東にある陶化小学校の校庭)・大阪(住吉大社)にある石敢當。右端のこの写真は旅館の前にあった石敢當、現在は御津八幡宮にある。心斎橋駅の南西、御堂筋と西横堀に挟まれた西心斎橋のうち、御津公園(通称、三角公園→グーグル画像「アメリカ村三角公園」)を中心にアメリカ村と言われる。近くの御津八幡宮(祭神・応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)の左側狛犬の傍にソテツ、梅石筆「石敢當」(→画像グーグル・ヤフー)入り口付近に建っている。


2016年9月13日『琉球新報』
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1984年9月24日『琉球新報』「私の研究ー照屋榮一」(この人の一連の”仕事〟を指して「資料マニアの極致」と言った者<新城栄徳>がいる。)


1998年9月2日『沖縄タイムス』照屋榮一「文化県政か基地県政か」



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写真左から照屋榮一氏、新城栄徳

○「台風16号ー与那国島では17日10:06に東南東の風66.8m/s、波照間島では08:29に南の風41.2m/sの最大瞬間風速を観測しています。与那国島は台風の目の中に入ったとみられる」のニュースを聞きながら記す。

1984年8月ー照屋栄一『沖縄行政機構変遷史』
照屋栄一氏は1932年11月4日に南米ペルーで生まれている。1979年に『沖縄行政機構の変遷』<資料編>、82年に『沖縄行政機構変遷史料』(沖縄復帰10周年記念)を出している。後著は沖縄タイムス出版文化賞。私は首里の当間諭氏から、その友人である照屋氏の話を聞いて、沖縄県庁に照屋氏を訪ね『沖縄行政機構の変遷』<資料編>を頂いたのが最初の出逢いである。

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1959年10月 『琉球大学 経済研究』第一号 琉球大学文理学部経済学科
琉球に於ける租税問題に就いて・・・・・・・・・・・久場政彦①
琉球の生活水準・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・稲泉 薫
琉球の労働政策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・砂川恵勝
琉球経済と貿易・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山城新好
B円下の琉球貨幣経済・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平 恒次
○B円制度は今や歴史となった。戦後琉球のあらゆる生活部門に、重要な足跡を残しながら、あらゆる歴史のるつぼである過去の中へ消えて行った。B円制度はは軍事占領の一つの道具としての軍票制度であったけれども、貨幣制度として機能する限り、貨幣経済の一般的法則を反映した筈であって、小論はこの様な機能的見地から、B円下の経済現象のもつ合法則性を探求しようと試るものである。
①久場政彦

1996年5月 久場政彦『20世紀の黄昏ー社会・経済評論/随筆集』
〇まえがきー自然及び社会秩序の破壊と混乱が加速してきている20世紀の黄昏の昨今、新世紀への明るい展望が見えにくくなり、斉藤茂吉の詠歌     なげかへばものみな暗し東に出づる星さえ明からなくに
の愁嘆の情が切実に感じられてならない。われわれは今人間活動の限界の基本理念に立ち帰って反省し行動すべきだと痛感する。
○新世紀へのアプローチー人類が地球の大気圏へのアクセスに成功した20世紀は科学技術の革新が驚異的なスピードで進ちょくし、コンピューターの演算速度はナノ秒(10億分の1秒)の域に達し、さらに多くの先端技術を応用すれば多くの未知が解析可能になり、過去のどの世紀よりも卓越した人知の成果を産出しているとおう歌されている。しかし世紀末の昨今、大気汚染や地球環境破壊の急速な拡大、人口の急増、先進諸国における景気後退、民族的宗教的対立による局地紛争の頻発と激化という暗い流れが土石流のような勢いで渦巻いている。

1995年8月 『戦後沖縄経済の軌跡ー脱基地・自立経済を求めてー」

元県振興開発審議会会長などを務めた元琉球大教授の久場政彦(くば・まさひこ)氏が26日午前4時25分、血胸のため那覇市内の病院で死去した。90歳。那覇市首里出身。自宅は那覇市楚辺1の1の45。告別式は28日午後2時半から4時、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館(守礼)で。喪主は妻とよさん。久場氏は琉球大教授、沖縄振興開発金融公庫副理事長、沖縄国際大教授などを歴任。県振興開発審議会会長も務めた。沖縄経済学会顧問。著書に「琉球の財政・基地と沖縄経済」「戦後沖縄経済の軌跡」など多数ある。(2010年9月28日『琉球新報』)


1964年9月 『経済論集』第1号 琉球大学経済研究所(1962年1月設立)
発刊に際して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久場政彦・琉球大学経済研究所所長
沖縄における農業協同組合・・・・・・・・・・・・山里敏康  1-60
沖縄の所得分布について・・・・・・・・・・・・・・山内盛弘  62-102 
コレラの地域的(琉球)汚染による経済諸量の変化に関する一考察・・・・・・・・・・103

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 「沖縄戦改竄」を仲井真カジノチジは「沖縄戦整理」だと強弁している。県議会で前田政明議員が「(文言の復活は)検討委員会も全会一致で認めている県民の良識だ。知事の良識は、県民の願いを踏みにじる判断だ」と批判すると、知事は「御冗談を」と惚けてみせた。過日消費税を国民に押し付けるドングリ総理が意味もなく、アメリカに対しアリバイ作りのため来沖したが、そのときカジノ沖縄チジはお節介にも「国はガレキ置き場を沖縄は交通費の問題で対象外にしているが沖縄も是非候補地に」とオベンチャラをのたもうた。まず考えないといけないのは東北の地元がいやがるものを何を好き好んでカジノチジはよっぽっどお人良しだ。それより東電の恩恵に浴しているテンバツ都チジの居る東京や、大阪市長独裁で決められる関空にでも持っていくべきだ。

沖縄にはアメリカ軍、自衛隊の戦闘機、軍用機からの汚染物質も撒き散らされ、なおかつ日常的に自動車、バイクの排気ガス、家庭に充満する殺虫剤、薬品ら化学物質、読谷村のように産業廃棄物トラブルもあり、米軍基地の有害物質も前に問題になった。これ以上有害物質を持ちこむな!。なによりも地元が嫌がるものを輸送費を使って沖縄くんだりまで運ばないといけないのか理解に苦しむ。多くの自治体は核のゴミが拡散され日本中が核のゴミにつつまれることを懸念する。国や東電は当初から原発は「トイレのないマンション」と言われていたのを忘れたふりしトボケルナ!。汚染されてなければ当然に地元が復興資源として活用するだろう。


写真資料解説ー『沖縄戦版画集』の儀間比呂志さんは沖縄戦の実態をあますところなく描いている。同じ久米蔡氏とはいえ、沖縄戦を学ぼうとしない仲井眞チジとは月とスッポンだ。儀間さんも南洋群島テニアン島にいたが、右下の新聞スクラップ/サイパンで日本軍にスパイとして殺された安元実発は沖縄戦研究家の大田昌秀さんの縁戚にあたる。

上部の2番目/1976年2月ー佐木隆三『証言記録 沖縄住民虐殺ー日兵逆殺と米軍犯罪』新人物往来社□「日本兵が子どもを毒殺し、母親を慰安婦あつかいした」「食糧よこさぬ、と沖縄人を撲殺した日本兵」「<日兵逆殺>の墓標が証言する新垣弓太郎・タガ子夫妻のこと」「日本兵による国頭郡の住民虐殺」「渡嘉敷島(329人)と座間味島(52人)の日本軍命令の集団自決」
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1981年11月 『ダカーポ』創刊号○ダカーポは現代ジャーナリズムの索引の役目を果たします/専門誌、ミニコミ誌、PR誌などの中には、そのままにしておいては惜しい貴重な情報がたくさん含まれています。それらの情報を積極的に発掘、魅力を伝える。/夕刊フジ・日刊ゲンダイ、このようなメディアの個性の違いを楽しむ。


2004年6月 『ダカーポ』「いま、新聞がおもしろい!」
2007年12月『ダカーポ』「中国新世紀」/「このままじゃ、雑誌はダメになるー頑張れ!雑誌 頑張れ!『週刊現代』」○新聞は”社会の木鐸〟を忘れて、記者クラブ経由で官製情報の垂れ流し。広告収入に依存したテレビ局は、視聴率競争に明け暮れて週刊誌の後追い。(略)生々しさは週刊誌の現場が一番持っているかもしれない。かつて朝日新聞の深代惇郎さんや読売新聞の本田靖春さんがいた頃の、古き良き時代の社会部のようなDNAの尾っぽは、週刊誌に流れ込んでいるんじゃないかな。公権力の情報操作が巧みになったいまこそ、その公権力のウソを看破するのは週刊誌しかない。


1945年 - 凡人社創立、11月に雑誌「平凡」を創刊
1954年 - 「平凡出版株式会社」に組織変更
1955年 - 「平凡」発行部数140万部を突破
1959年 - 「週刊平凡」創刊。
1960年 - 「週刊平凡」100万部突破
1964年 - 「平凡パンチ」創刊。若者向けの雑誌として一世を風靡する。
1965年 - 「平凡パンチデラックス」(隔月刊)創刊。
1966年 - 「平凡パンチ」100万部突破。
1968年 - 「ポケットパンチOh!」(月刊)創刊。
1970年 - 「an・an」創刊。大型女性誌としてスタート。フランスの「エル ELLE」誌と提携した。集英社の「non-no」とともに人気雑誌となる。
1974年 - 「スタア」(月刊)創刊。
1976年 - 「ポパイ」創刊 "Magazine for City Boys"というサブタイトルでスタート。男性週刊誌のさきがけといわれる。
1977年 - 「クロワッサン」創刊。ニューファミリー生活誌として創刊。
1980年 - 「ブルータス」創刊。「男として生きる術を心得た、あらゆる男たちのために」が合言葉であった。



1981年 - 「ダカーポ」創刊。「現代」が3時間でわかる情報誌としてスタートした。
1982年 - 「エル・ジャポン」創刊。「Olive」創刊。"Magazine for Romantic Girls"というサブタイトルを使用した。
1983年 - 会社名を「株式会社マガジンハウス」(〒104-8003東京都中央区銀座3丁目13-10)に変更。ニュージャーナリズム誌「鳩よ!」創刊。→ウィキ

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2006年9月『比嘉春潮顕彰』/2006年2月『篤学の沖縄研究者 比嘉春潮』


我部政男教授から頂いた『沖縄文化』資料


2007年3月 沖縄県『史料編集室紀要』納富香織「比嘉春潮論への覚書」/我部政男「比嘉春潮先生著作ノート」

比嘉春潮と沖縄文化協会
1947年12月に柳宗悦氏がその駒場の民芸館で沖縄民芸展覧会を開催した時、宮良氏に連絡があって沖縄文化記念講演会を一緒に開くこととなり、「沖縄語と日本語の関係」(宮良当壮)、「沖縄の歴史と文化」(東恩納寛惇)の講演があった。この時柳氏から文化協会の講演会を定期的開く提唱があり、その斡旋を宮良氏がすることになった。1948年の4月から毎日第一土曜日に民芸館で講演会を開いた。9月、沖縄連盟から離れて独自の沖縄文化協会に改組。比嘉春潮、仲原善忠、島袋源七、金城朝永、宮良当壮の5人が運営委員となり、仮事務所を比嘉春潮の所に置いて発足した。

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この新しい沖縄文化協会が出来ると私(比嘉春潮)は自ら進んで、会報『沖縄文化』の編集、印刷、頒布を引受け、その第一号を1948年11月1日に出した。『沖縄文化』はタブロイド半截判4頁、誌名に「沖縄文化協会会報」の肩書を加え、毎月1日発行とした。内容は会の主張・研究ものに文化ニュース(又は文化だより)等を載せた。→沖縄文化協会『沖縄文化叢論』(法政大学出版局1970年5月)

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09/14: 資料目録

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1983年9月14日『琉球新報』新城栄徳「資料室運動」
○すべての沖縄資料を「資料室」に集めるということは限界があり、無理である。そこで関西の主要な機関の所蔵資料の目録をヒマがあると作っていった。大阪府立中之島図書館には、伊波普猷の著書は明治44年『琉球人種論』をはじめ、戦前のものだけでも18冊、大城立裕氏の著書は14冊ある。新聞は琉球新報、沖縄タイムスの両支社に過去10年分はある。沖縄県大坂事務所は前田朝助所長、次長さんの協力を得て所蔵資料を作ったが、物産展の資料は豊富である。青い海大坂支社は、県人会、郷友会発行の会誌、名簿などがある。宝塚歌劇団は沖縄芸能の録音、8ミリの目録には300点もの資料がある。民博、日本工芸館も沖縄資料がある。



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琉球朝日放送 2016年9月6日「リポートなぜ?英国軍が米軍施設で訓練」
 毎日激しい訓練が行われている県内のアメリカ軍施設で去年、イギリスの軍隊が訓練していたことがわかりました。私たちにほとんど知らされていないフェンスの向こうの闇に迫ります。
16-09-06-q01この日、東村高江を訪ねたのはフリージャーナリストのジョン・ミッチェルさん。ミッチェルさんは情報公開制度を利用しイギリス政府から重要な情報を手に入れていました。ジョン・ミッチェルさん「イギリス政府が開示した文書から2015年にイギリス海兵隊とアメリカ軍が沖縄でジャングルトレーニングや射撃訓練をしていたことがわかりました。」これはベトナム戦争さなかの1962年に北部訓練場で撮影された映像です。アメリカ軍は訓練場の中にベトナム集落を再現し訓練をしていました。当時、キャンプハンセンに駐留していた元海兵隊員は次のように話します。

Q+リポート なぜ?英国軍が米軍施設で訓練
 ドン・ヒースコートさん「ヘリコプターが着陸し、海兵隊員が降りて、銃撃しながらベトナム村に向かいます。黒い服を来たベトコンと戦って仲間を救出したらゲームオーバーというわけです。」さらにヒースコートさんはこの一帯で化学兵器・枯れ葉剤が使われていたことも証言しています。ドン・ヒースコートさん「1000ガロンのタンクがあって、そのうち200ガロンから300ガロンを、2、3回に分けて丁寧に散布して、キャンプハンセンに戻りました。」アメリカ軍が県民の知らないところで繰り返していた危険な訓練。今回のスクープは訓練場がアメリカだけではなく同盟国の軍隊にも使われていたことを浮き彫りにしています。ミッチェルさんは沖縄が世界中の軍隊が自由に使える訓練場にされてしまうのではと心配しています。

ジョン・ミッチェルさん「アメリカ軍は「視察」と称して外国の軍隊を頻繁に招いています。自分たちの訓練を見せているだけだと言っていますが、イギリスは「視察」ではなく「訓練」していると認めているのです。」この報道を受け照屋寛徳衆議院議員は政府の見解を質しました。

Q+リポート なぜ?英国軍が米軍施設で訓練
しかし政府は在日アメリカ軍施設をアメリカ以外の外国の軍隊が使うことについて「日米安全保障条約の許容する範囲内のものであるか否かについては、個々の事案にそくして判断されるべき」と含みを持たせる回答を行っています。ジョン・ミッチェルさん「ヘリパッドが完成したらアメリカ軍は、ここは素晴らしい所だと言いながら、外国の軍隊に売り込むでしょう。色々な国の軍隊が沖縄で訓練するのです。そこでも課題となるのが日米地位協定、私たちはここで、どんな訓練が行われるのか知ることもできないのです。」


2016-9-7琉球朝日放送「リポート 元アメリカ兵が見た高江」 
アメリカ軍ヘリパッド建設計画をめぐり、高江では「豊かな自然と、静かな生活を守りたい」と、連日、多くの人々が抗議行動を展開してます。その場所を訪れたアメリカ人がいました。彼らは沖縄での駐留し、戦争にも趣いた元アメリカ兵でした。彼らの目に今の高江はどのように写ったのでしょうか。森の静けさを割く、叫び声。人々が体を張ってでも止めようとしているのは、ヘリパッド建設のために運び込まれる大量の土砂や資材です。この日、強制排除された人々の中に、アメリカ人たちの姿がありました。ウィル・グリフィンさん(31)。アフガニスタン、イラクに派兵された元陸軍兵。

グリフィンさん「We are here to support you anyway that we can. 」(沖縄のみなさんを支援するために来ました。)国際平和団体、「ベテランズ・フォー・ピース(平和を求める元軍人の会)」。メンバーは、みな、ベトナム戦争やイラク戦争などの第一線で戦った元アメリカ兵たちです。メンバーのひとり、マイク・ヘインズさん(40)。かつて県内のアメリカ軍基地に駐留する海兵隊員の一人でした。ヘインズさん「The Japanese policemen I definitely I can see their eyes little bit of myself. When I was young, 19 years old corpo stationed in Camp Foster, just taking orders, and not questioning these orders. 」(若い警察官たちを見ていたら昔の自分を思い出します。キャンプフォスター所属の19歳の海兵隊員だった頃は、疑問もなく命令に従っていました。)

カリフォルニア州。サンディエゴ。アメリカ最大規模の海軍基地を抱えるこの街に、マイク・ヘインズさんは暮らしています。ヘインズさん「Over here, kind of a part of our life, a part of our culture, a part of our patriotism, And we were taught that support our troops. 」(アメリカ人にとって軍隊は生活、文化、愛国心の一部です。軍隊を支持するのは当然だと教えられて育つのですから。)至るところに「ヒーロー」として掲げられた、戦場に行った若者たちの姿。ショッピングセンターの一角など、人々が集まる場所に置かれたアメリカ軍の採用所。この国の暮らしの中に、当たりまえのように軍隊の存在があります。アメリカ西南部、ジョージア州で生まれ育ったヘインズさんは、18歳の時「国を守りたい」という愛国心から、海兵隊に入隊しました。

ヘインズさん「You take little baby steps, and you say, one shot one kill. One shot one kill. So this is constantly fed into our minds. So yes, by the time of 13 weeks boot camp, either one month Marine combat training, or two months school of infantry training, we are ready to kill on command. 」("ワンショット・ワンキル(一撃一殺)"と声を上げながら訓練する度に、頭に刷り込まれていくんです。13週間の新兵訓練を終える頃には命令で人を殺せる兵士に仕上がっていた。)そして、海兵隊の特別部隊として2003年に派兵された、イラク侵攻ではテロリスト掃討作戦の第一線に送られました。しかし・・・ヘインズさん「And explosions were gone off and door was open, we run in and sweep the rooms, and most of the time, they were just families. it was just a family…」(イラクでは家のドアを突き破り、銃口を向けながら家宅捜索しました。ほとんどの場合住んでいたのは普通の家族でした。)ヘインズさん「We were essentially terrorizing the people, even though we were supposed to be fighting terrorism. 」("テロとの戦い"のために派兵されたのに実際は人々にとってのテロリストは私たちだったんです。)


 カリフォルニア州、バークレー市。毎年この時期に開かれるベテランズ・フォー・ピースの大会では、世界120を超える支部から元兵士たちが集まり、アメリカ軍の問題や、軍隊によらない平和な社会をつくる方法について議論が続きます。この日、沖縄の辺野古新基地建設に関する講演に、ヘインズさんの姿がありました。ヘインズさん「辺野古新基地はまだ造られていない。今ならまだ止められる」ヘインズさんの思いの原点は、辺野古にありました。去年12月。およそ20年ぶりに帰った沖縄で見た辺野古の新基地建設を止めようと、体を張って座り込む人々の姿でした。

ヘインズさん「I mean, it's obvious. The people do not want these bases here, they want their land back. They want to be in charge of themselves not being over shadowed by some the US empire power, You know, let's stop this base being created in Henoko. Peace! 」(沖縄の人たちは米軍基地はいらないと声を上げています。自分の土地を取り戻したいんです。米国という巨大な国家権力に押し潰されるのではなく、自分のことを自分で決めたい。ただそれだけです。辺野古新基地を止めましょう!平和のために!)さらに、大会では注目を集める大きな動きがありました。

 大矢記者「ベテランズ・フォー・ピースの全国大会では辺野古への新基地建設、そして高江へのヘリパッド建設に反対するふたつの議案が今まさに審議されています。」ベテランズ・フォー・ピースの沖縄県支部から提出されたこれらの議案は、全会一致で可決。沖縄が抱える問題が、世界レベルで協力し、取り組むべき問題として受け入れられた瞬間でした。議案を提出した琉球沖縄国際支部のダグラス・ラミスさん「あんなに情熱的に通されるということは、ちょっとすごいと思いました。」ベトナム戦争帰還兵「私の国が他国にしていることに怒っています。やりたい放題ですよ。」

 大会に参加した女性「Militarization is an issue of colonialism.I'm ready to fight for people, fight for Okinawa, because they deserve it, they need peace. 」(基地を造るということは、植民地化されるということです。沖縄のために私も闘います。だって沖縄の人々には平和に暮らす権利がありますから。)かつて戦争に加担した者として、もう二度と間違いは繰り返さないと立ちあがった元アメリカ兵たち。沖縄にこれ以上、戦争のための基地は造らせないと、声を上げ続けています。ヘインズさん「I wanna get to the police mind and hearts for them to look at themselves in mirror and question what they are doing here. These helipads, only reason to build these helipads is war. 」(警察のみなさん、鏡で自分の姿を見てください。「私はここで何をしているんだろう」と。これは戦争のために造られるヘリパッドなのだから。)

琉球新報 2016年9月14日<金口木舌>不磨の大典
 ワンセグ付きの携帯電話を持っていても、受信料契約の義務はないと判断した先月末のさいたま地裁判決が波紋を広げている。NHKは控訴し、総務省は実態調査を始める。手に収まる携帯電話が受信料の対象だと初めて知った人もいよう

▼ところでラジオ受信料をご存じだろうか。1950年施行の放送法に基づき、NHKがラジオの受信料を徴収した時代があった。米統治下の沖縄では縁の薄い存在だった
▼廃止は68年。テレビの普及が進み、ラジオ単独の受信契約者が減っただめだ。国会では60年代初めからラジオ受信料の存廃を議論している。中でも持ち歩けるトランジスタラジオは悩みの種だったらしい
▼NHKの参考人は60年3月の国会で「トランジスタラジオは払わなくてもいいんだという気持ちが蔓延(まんえん)している」と答弁した。小型ラジオは受信料の対象ではないと考えた人もいたようだ
▼いつの時代でも、既存の法制度と懸け離れた実態を放置すると、無視できない矛盾が生まれる。必要なら制度を見直すべきだが、現実を安易に追認するだけでは矛盾は解消しない。それを誤ってはならぬ
▼主権国家にそぐわない日米地位協定の見直しに尻込みしながら、「時代に合わぬ」とばかり改憲を唱えるのは、いかにもちぐはぐだ。憲法を改め、不平等協定が「不磨の大典」扱いでは済むまい。その害悪は明らかだ。
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 ミニコミやチラシは印刷された情報を伝達する。一般に、大量に印刷し配布(まき散らす)されないと、その効果は薄い。が、今はネットで無限に拡散できる。40年前の私らのミニコミは筆記でも、ガリ版でも、絵でも残っておればネットで再現できるようになった。当時、『朝日ジャーナル』1971年3月26日号<特集・ミニコミ71ー奔流する地下水>を見て全国津々浦々にミニコミが権力への「紙つぶて」として登場したのには興奮したものだ。今、マスコミ・テレビは官製談合ならぬ、アベ政権の広報機関と化し、危険(毒ガス、細菌兵器、化学兵器など)な米軍基地(日本が無料で土地を提供し、思いやり予算まで提供)から国民の目を逸らし、盛んに中国や北朝鮮への危機だけを煽っている。これらの現実は裏返せば、「アメリカの核の傘」と云いながら何ら抑止(ゆくし)力にもなってない。70年代の『毛主席語録』の一節を思い出す、「帝国主義とすべての反動派はハリコの虎である」と。今のアベ政治にはこれがよく似合う。

日本中國友好協会(正統)沖縄県本部の大城さんから頂いた。
1966年ー全世界人民の精神的原子爆弾『毛主席語録』
□帝国主義と結託したすべての軍閥、官僚、買弁階級、大地主階級およびかれらに従属する一部の反動的な知識人は、われわれの敵である。工業プロレタリアートはわれわれの革命の指導力である。あらゆる半プロレタリアート、小ブルジョアジーは、われわれにもっとも近い友である。たえず動揺している中産階級は、その右派がわれわれの敵になるであろうし、その左派はわれわれの友になるであろう。しかし、われわれは、この左派にわれわれの陣営をかきみださせないよう、つねに警戒する必要がある。
□わが国と社会主義諸国は平和を必要としており、世界各国の人民も平和を必要としている。戦争を熱望し、平和を欲しないのは、少数の帝国主義国のなかの、侵略によってぼろもうけするいちぶの独占資本集団だけである。
□帝国主義国についていえば、われわれは、やはり、そこの人民と団結するとともに、それらの国ぐにと平和的に共存し、商売をやり、起こるかもしれない戦争を制止するようにつとめなければならない。しかし、われわれは、けっして、かれらについて実際にそぐわない考えをもつべきではない。

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『朝日ジャーナル』1971年3月26日号<特集・ミニコミ71ー奔流する地下水>

原爆ー1969年11月ー沖青友の会機関誌『石の声』第1号□真栄田義秀「日本国憲法第九条」/「沖縄にあるB52は24メガトンの水爆を積むことができる(広島の1,200倍) もしも沖縄で爆発したらこのようになる。!▲150~570キロ以内の住民半分が即死し、生き残った人も4カ月以内にはほとんど死亡する。▲爆発にともなう地震津波がおしよせてくる。▲水や食物も多量の放射能を浴びて生き残っても奇型児や発育不能な人間が生まれてくる。▲北は奄美大島、鹿児島迄も被害は及ぶ。-沖縄の住民は今日も原爆をかかえて生活をしている。」
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ミニコミ紙『週刊ピーナツ』
 最近の日本政府の対応はかつての田中金権内閣を思い出す。別に悪いとは言っていない。資本主義社会であるから利権を狙うのは仕方がない、ということである。「オスプレイ」「辺野古移設」「原発再稼働」の動きは自民党の「先祖返り」というべきか。かつての田中金権内閣の時代、『週刊ピーナツ』というミニコミ紙があった。1976年5月29日発行には「日韓利権構造」が図示されている。新聞にとって、今の「原発・辺野古再稼働内閣」は分かりやすい構造になっていて記事にしやすいだろう。もっとも「日米利権構造」には地元の企業グループも絡んでいるのはいうまでもない。


1978年9月 日本機関紙協会大阪本部『宣伝研究』/1979年1月 日本機関紙協会大阪本部『宣伝研究』

2013-4「高江の現状」」今年度のヘリパッド工事の業者が決定しました。北部(H24)着陸帯移設工事 契約業者  ㈱丸政工務店  契約金額 1億290万円 工期 2013.3.30~10.31  丸政は金武町の業者です。次点の業者は、国場組、大成建設でしたが丸政に決定されました。


2916年7月 『越境広場』2号□粟国恭子が「琉文21」も引用して「饒平名(永丘)智太郎の『遥かなる南洋』」を書いている。


2016年7月『けーし風』加藤宣子「『大成建設140年史』を読むー辺野古の海を埋立てるゼネコンの徹底的研究」□実際に大成建設に抗議運動を実践している著者の「戦う相手を知らないことには戦いようがない」ということで報告してくれたもの



2016-9-9『新基地建設反対名護共同センターニュ-ス』


戦争をさせない1000人 ... 講演会チラシ

『琉球新報』9-13 【ヘリパッド取材班】東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場での新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設で、沖縄防衛局は13日午前9時すぎから自衛隊のCH47輸送ヘリ2機による重機の輸送を始めた。午前11時現在、3回にわたって4トントラックやキャタピラのついた作業用車両などをG、H地区に運び込む様子が確認された。米軍施設建設のために自衛隊機が出動するのは異例。米軍北部訓練場のヘリパッド建設に絡む工事で自衛隊機による重機が輸送されるのは初めて。
 重機は新たにヘリパッドを建設するN1地区やG、H地区と県道70号を挟んだ場所にあるメインゲート内にあるヘリパッドから、重機などをつった状態で県道の上空を輸送している。県道では車両の通行もあり、安全上の観点から県民の批判が高まるのは必至だ。

 自衛隊機は13日午前6時すぎからN1付近の上空を旋回するのが確認された。その後、メインゲートそばのヘリパッドに着陸。同日午前9時前から重機の輸送準備が始まった。ヘリは陸自木更津駐屯地の中央即応集団第1ヘリコプター団に所属している。建設に反対する市民らはダンプカーによる砂利搬入の阻止行動を取ったが、午前11時30分現在、ダンプカーは確認されていない。

 メインゲートでは建設に反対する市民らが「県道の上空を飛ぶな」「自衛隊機まで使うのか」などと怒りの声を上げた。自衛隊機による重機搬入の様子を確認した沖縄平和運動センターの岸本喬事務局次長は「自衛隊機の使用だけでも考えられないが、県道70号を越えての輸送は許せない。まさに県民の頭越しで超法規的措置だ。これが法治国家と言えるのか」と憤っていた。


9月15日石川和男○先日の朝、2センチ足らずのカマキリの赤ちゃんを見付けた。僕がつかもうとすると、前脚を大きく振り上げ威嚇する・・・少し感動した。 自分に害を及ぼす敵に勇敢に立ち向かう姿に。自分(カマキリ)と人間(僕)とを対等に感じ立ち向かう剽悍さに。 今の『オキナワ』の姿を見た思いがした・・・

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麦門冬・末吉安恭の甥/佐渡山安治著作目録(抄)
1935年  『紫煙』 佐渡山安治「俳諧からみた煙草」
1942年『日本及日本人』3月号 佐渡山生「楓橋夜泊の詩」/『日本及日本人』8月号 莫生「アルコールの原料」「鼓山の禅師」/『日本及日本人』9月号 莫生「生味噌の效」
1943年『日本及日本人』5月号 莫生「琉球馬」
1974年 5月ー『琉球の文化』第5号「辻の話(佐渡山安勇遺稿)」
1975年3月16日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球の棋客」/7月13日ー『沖縄タイムス』「墨俣宿の灯籠」
1976年3月13日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー琉球塚」/7月2日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー程順則の片りん」/7月20日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー唐海賊情報」
1977年/3月15日ー『沖縄タイムス』「『富士山の漢詩』について」/ 6月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー行路難」/8月18日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー雅懐」/12月ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー伊波普猷の憤慨」
1978年1月10日ー『沖縄タイムス』「ブサーばなし」/ 5月25日ー『沖縄タイムス』「『江戸上り』の吟行と萍水奇賞」
1979年5月17日ー『沖縄タイムス』「風禍」
1980年 8月ー『沖縄アルマナック』「江戸上り賛歌」
1982年11月22日ー『沖縄タイムス』「鞆の浦哀歌ー琉球司楽向生碑を訪ねて」/11月27日ー『沖縄タイムス』「茶のみ話ー花売りの縁作者考」

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森銑三①→佐渡山安治宛葉書
森 銑三モリ センゾウ-大正・昭和期の書誌学者,随筆家
生年明治28(1895)年9月11日 没年昭和60(1985)年3月7日
出生地愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)
学歴〔年〕文部省図書館講習所〔大正15年〕卒
主な受賞名〔年〕読売文学賞(第23回・研究翻訳部門)〔昭和46年〕「森銑三著作集」
経歴郷里の刈谷図書館開館に伴い寄贈された国学者・村上忠順の蔵書整理・目録編纂に従事。東京大道社、代用教員、市立名古屋図書館などを経て、東京帝大史料編纂所勤務。この間、三古会、伝記学会などを創立。昭和14年尾張徳川家・蓬左文庫主任。近世の埋もれた人物の発掘、研究に力を注ぎ、在野の歴史家として「平賀源内」「渡辺崋山」「池大雅」ら多くの人物研究、伝記を手がけたが、戦災により一切の研究資料を焼失し人物研究を断念。23年古典籍商である弘文荘に入社。傍ら、25〜40年早稲田大学講師として書誌学を講じたが、その間“西鶴の浮世草子は「好色一代男」だけで他は西鶴自身の著作ではない”と論じて学界に波紋をまき起こした。主著に「近世文芸史研究」「おらんだ正月」「井原西鶴」「明治東京逸聞史」などがあり、「森銑三著作集」(全12巻・別巻1 中央公論社)、「森銑三著作集続編」(全16巻・別巻1)がある。→コトバンク


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大西杏子さん


2016年9月6日~11日 那覇市民ギャラリー「大西忠保写真展 沖縄ー裏街の記憶ー」




彫刻家・金城実
2013年7月 大西忠保写真記録Ⅱ『金城実 100メートル彫刻 「戦争と人間」』PHOTOS舎

大西忠保(1947年3月 東京渋谷生まれー2012年5月25日 永眠)1965年 明治大学商学部入学。同大学カメラクラブへ入部。

写真で見る 迫力の反戦彫刻 明治大駿河台キャンパスで写真展(東京新聞2015-5)
沖縄戦の悲劇が描かれた巨大彫刻「戦争と人間」を題材にした写真展が、千代田区の明治大駿河台キャンパスで開かれている。撮影したのは、写真家の故・大西忠保(ただやす)さん。大西さんの妻で、展示を企画した杏子(きょうこ)さん(67)=渋谷区=は「夫が反戦平和への願いを込めた作品。今も米軍基地問題に揺れる沖縄を応援したい」と話している。「戦争と人間」は、反戦活動を続ける沖縄県在住の彫刻家金城実さんが、十年がかりで完成させた全長百メートルの連作。地上戦が展開された沖縄戦の悲劇や、銃剣とブルドーザーによる米軍の土地接収、抵抗する人々をレリーフや彫像で表現した。
 原爆が投下された広島や沖縄をテーマに撮影を重ねていた大西さんに、金城さんが撮影を依頼。二〇〇七年、大西さんは病を押して長時間の野外撮影に臨み、作品が持つ怒りや悲しみを浮き彫りにした。三年前に六十五歳で亡くなったが、戦後七十年を機に、母校の明治大カメラクラブや友人の協力で、今回の写真展が実現。アカデミーコモン一階の会場に五十点を展示した。福島と沖縄から日本を考える「おらがふるさとを返せ」と題した金城さん制作の木彫も出品されている。二十三日には金城さんも来場し、「自分の手を離れて大西さんの作品になった」と語って才能を惜しんだという。杏子さんは「沖縄の七十年は苦難の歴史だった。沖縄を愛した夫の写真を通じ、思いを寄せてもらえれば」と話している。
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新城栄徳(左)、仲嶺貞夫氏(仲嶺盛竹後継者)
○終戦当時国頭羽地大川のほとり、川上の山宿で始めて仲嶺盛竹氏の琴を聴いた時、何とはなしに熱ひものが頬を伝はるのを覚えた。別に悲しいのではない。さりとて歓びの感激でもない。勿論生延びた喜びはあるが、それのみの為めじやない。又戦禍に斃れし人々のことを考へた時悲痛の思いはするが、それのみののためでもない。亦死に勝る戦争中の飢餓と労苦を考えた時、血がにじみ出るやうな思ひ出はあるが、然し、その追憶のためでもなひ。今私はこの名状すべからざる感激の詮索に隙を假すことを憚り乍ら、筆を持ちなほしていく。(1949年8月『芝居と映画』屋部憲「戦争と藝能」)



「比嘉崋山 画」陶宝堂(携帯090-4353-5933)の金子康一氏

「魏学賢 書」(1842年の楽師/牧志親雲上)陶宝堂

「鄭光瑞 書」(古波蔵親雲上/鄭嘉訓の孫)陶宝堂



「馬文英 書」(1850年の楽童子/金武親方良智)古美術てる屋(携帯090-1945-3125)



「辻資料」


古美術てる屋(携帯090-1945-3125)


根元書房(☎090-1942-1365)

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鄭嘉訓・古波蔵親方爾方

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「鄭元偉 てい・げんい書」(崎間麗進蔵)

鄭元偉 てい・げんい 1792~?19世紀中期の沖縄の代表的な書家の一人。湖城親方。名は長烈。号は善橋。有名な書家鄭嘉訓古波蔵親方の3男として生 れたが、本家大嶺家の養子となる。大嶺里之子から伊計島の地頭になり伊計親雲上、さらに小禄間切湖城村の地頭になり、湖城親方と称される。父嘉訓同様、薩州で藩主の知遇を得て、多くの優れた書を残している。太宰府天満宮に奉納されていた、「徳高」の扁額(県立博物館所蔵)は、そのころ(1852)の作品である。中国への旅は1840年(尚育6)四年一貢を命ぜられた貢期を従来通り二年一貢に戻す為の陳情で北京へ行ったことが知られており、一方江戸へも42年将軍家慶の襲名慶賀使に儀衛正として随行した。のち紫金大夫に昇進し、久米村の長官である総理唐栄司(久米村総役)になったと伝えられている。書では、漢字の楷書にすぐれ、作品は、父嘉訓より少ないが、すぐれた物を残している。□→『沖縄大百科事典』


鄭基昌(鄭嘉訓、鄭元偉を出した家系。父・鄭紹業、祖父・鄭元覲)

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左から東風平汀鳥、麦門冬、國吉朝秀、末吉安慶、名護朝扶、不詳

清盛ー入道は襟かき合しかき合しなるやうにせよと清盛腹で云ひ
正行ー正行は其の時遺言思い出し怨敵の使者に正行禮を述べ
師直(四条畷)ー師直はたった一ど声名乗あげ
舜天王ー尊敦も外へ出づれば琉球語

道鏡ー三度まで目まぜをしたが感通寺


道鏡どうきょう[生]? [没]宝亀3(772).下野
奈良時代末期の法相宗の僧。義淵の弟子。その本貫は河内国志紀郡弓削 (ゆげ) 。そのためか弓削道鏡と呼ばれる。初め葛木山で修業,のち東大寺に入り,天平宝字5 (761) 年保良宮 (ほらのみや) で孝謙上皇の病気を癒やして以来信任され,少僧都となり,同8年恵美押勝 (藤原仲麻呂 ) 失脚後は仏教政治をしき,翌年太政大臣禅師,天平神護2 (766) 年法王となった。 →コトバンク

養老ー孝行な子が酔ざめの水を汲み一杯は息子も呑んで顔赤め
大公望ー文王が来るとあはてて釣る真似し
竹林七賢ー七賢のどの先生と薮医が来
白楽天ー門前の婆も到頭うるさがり


伯夷叔斉ー周の天下采邑の民二人ありしばらくと伯夷叔斉右左り冥途へば譲り合はぬで伴に行き

伯夷・叔斉はくい・しゅくせいBo Yi Shu Qi
中国,殷周交代期 (前 1100頃) に現れた賢人の兄弟。孤竹国 (河北省?) の公子。父が弟の叔斉を世継ぎにしたが,叔斉は兄の伯夷に譲ろうとし,ついに2人とも位を捨て去った。彼らは周の文王を慕って,その地に行ったところ,武王の伐殷の役にあい,これを不仁な行いとして武王に諫言した。 →コトバンク
浦島ー浦島は尻まくりしてヒヨイと乗り

李太白ー出来が悪い詩白ふでふと詠じ
○李白りはくLi Bo
[生]長安1(701) [没]宝応1(762).当塗
中国,盛唐の詩人。字,太白。号,青蓮居士。若い頃は任侠を好み,四川を振出しに,江南,山東,山西を遊歴。 42歳のとき長安に出て賀知章らに推挙されて翰林供奉 (ぐぶ) となったが,高力士に憎まれてまもなく追われ,また放浪生活に入り,その間,杜甫とともに旅をしたこともある。 →コトバンク

頼朝ー頼朝は生まれながらに大頭
俊寛ー泣きやん 俊寛砂に文字を書き
熊谷ー熊谷は涙片手に首抱へ
羽衣ー天人のモデル口では話されず
謙信ー謙信のピカピカやんで夕立し
信玄ー信玄は膏薬張って出陣し
牛若ー牛若は母の乳房に歯形入れ
寒山拾得ー拾得が掃けば寒山尻を据え
竹取の翁ー胞桶に翁は火吹竹を入れ人形が這入って居ると初手思ひ
桃太郎ー黍団子鬼も一つと頂戴し犬猿雉の人員検査三ですみ土産物配られるやうなものもなし


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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 きょうは71年前にアジア・太平洋戦争が終結した日である。いや、8月15日だろうとの指摘もあるかもしれない。日本では8・15がお決まりだが、国際標準では大日本帝国が戦艦ミズーリ号で連合国に降伏調印をした9月2日が終戦の日だ

▼米・仏など旧連合国の対日戦勝記念日(VJデー)は9月2日。旧ソ連や中国は9月3日。例外的に韓国、北朝鮮、英国が8月15日だ
▼なぜ8・15が表に出てきたか。佐藤卓己著「八月十五日の神話」に詳しい。1945年8月10日未明の御前会議でポツダム宣言受諾が決まり、日本放送協会と同盟通信社が海外に伝えた。国際的に重要な正式受諾は14日。15日は天皇が国民向けにラジオ放送した日でしかない
▼戦後数年間は全国紙で「9・2降伏記念日」が報じられていたが、55年ごろから「8・15終戦の日」報道が定着したという
▼8月15日が公式に終戦記念日となったのは、戦後18年たった63年5月、池田内閣での閣議決定だ。この年から毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われるようになった。「降伏」の屈辱から目を背け、記憶の選択と忘却が進んだ。「敗戦」を「終戦」にすり替えた意識とも重なる
▼8・15は国民にとって都合よく後付けでつくられた日と言えようか。自国中心主義から離れて、歴史を冷静に多角的に見直す。それが、いつか来た道を防ぐことにもつながる。

沖縄タイムス 2016年9月2日<米軍ヘリパッド>警察車両で作業員輸送 市民反発
 沖縄県東村高江周辺の米軍北部訓練場ヘリパッド(ヘリ着陸帯)建設工事に関連して2日午前、警察車両が作業員約20人を同基地N1ゲート前まで輸送した。建設工事に反対する複数の市民が確認した。市民は「警察の業務は警備であり、作業員の輸送ではないはずだ」と反発している。市民らによると、警察車両での輸送は初めて。県道70号沿いで東村高江のN1ゲートから北側に4キロほど、国頭村安波の県営農地開発事業整備地入り口周辺で、市民らが道路に車両を止め、作業員の車での移動を阻止。機動隊員に守られながら市民の間を通り抜けた後、乗車したとみられる。

琉球新報 2016年9月2日<社説>辺野古IUCN勧告 日本政府は従うべきだ
 国際自然保護連合(IUCN)が日本自然保護協会など国内の非政府組織6団体が共同提出した辺野古新基地建設に伴う外来生物対策を求める勧告案を賛成多数で採択した。勧告は、辺野古新基地建設が「埋め立て資材に混入して運ばれる外来種に対し経路をつくることになる」と指摘。日本政府に埋め立て土砂に混入する外来種の早期発見方法の確立などを求め、米政府には外来種を防ぐ適切な方法を取ることを要請している。辺野古新基地建設に伴う埋め立てに高いハードルを課すことで、事実上、建設断念を日米両政府に迫ったと言っていい。(略)

 勧告に強制力はないにしても、外務省と環境省がIUCNメンバーに名を連ねる日本政府には勧告に従う義務と責任がある。IUCNが日本政府に対し、過去3度行ったジュゴン保護勧告のように、意に沿わないからといって無視するようでは、国際社会から信用を失うことになる。日本は2010年の生物多様性条約第10回締約国会議で議長国を務め、生物多様性保全に関する国際的な目標「愛知ターゲット」を取りまとめた。20年までに少なくとも陸地の17%、海の10%を保護区にすることや、絶滅危惧種の絶滅がなくなることなどが「愛知ターゲット」には盛り込まれている。政府は本来、保護区となるべき新基地建設予定海域を埋め立てる愚を犯してはならない。環境省は、辺野古沖を含む沖縄本島中北部沿岸を生物多様性の観点から重要度の高い海域に指定している。

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Posted by: ryubun02


コクヨ株式会社は、文房具やオフィス家具、事務機器を製造・販売する会社。ブランドメッセージは「ひらめき はかどり ここちよさ」。またCMなどで「コクヨのヨコク」も用いられる。代表的な商品には、1975年(昭和50年)から2014年(平成26年)の39年間で累計約26億冊を出荷した「Campus(キャンパス)ノート」などがある。IT化の昨今でも広く使われているものに会計帳簿がある。独立系の企業だが、株主として三井住友銀行の資本が入っている。→ウィキ

○地下鉄を利用するときは何時も新深江駅から乗る。その駅に隣接しているのがコクヨ本社である。その隣には「大阪ショ―ルーム」があって、いろんなコクヨ製品が展示してある。

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