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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 米軍北部訓練場へのヘリパッド建設で、31日午前9時15分ごろから、土砂を積んだ大型ダンプカーが次々と東村高江のN1ゲート内に進入した。午後1時50分までに延べダンプカー100台、資材を積んだトレーラー2台が入った。建設に反対する市民らによると、これまでで最も多く搬入があった10月10日の66台を大幅に上回っているという。市民らは「どれだけ運ぶのか」の怒りをあらわにし、「ヤンバルの森を守れ」「過積載のダンプが多い」と抗議の声を上げた。[沖縄タイムス 2016年10月31日]○オール沖縄というのは、本業が忙しいのか昼寝しているのか!高江はアベ・アソウによるヤンバル破壊が粛々となされている。

 【名護】世界のウチナーンチュ大会に参加したハワイ在住の県系人ら約30人が31日午前、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れ、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対し、座り込みを続ける市民らを激励した。平和への思いを込めてデザインしたハワイの首飾り「レイ」を市民一人一人に贈った。ハワイ在住の芸能集団「御冠船歌舞団」の金城ノーマンさん、和多エリックさんが歌三線で「懐かしき古里」「艦砲ぬ喰ぇ残さー」を披露し、最後はカチャーシーで団結を確かめた。
 稲嶺進名護市長は在沖米軍基地問題に関し「現実は非常に厳しい。現場を見て交流することで、分かってほしい。帰ったら(周囲に)伝えてほしい」と語った。県系2世のエドワード・クバさん(72)は市民に贈ったレイについて「大浦湾の向こうにあるハワイのウチナーンチュと皆さんはつながっている」と連帯のあいさつをした。【琉球新報】

 『沖縄タイムス』2016年10月30日□那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で30日午後5時すぎ、第6回世界のウチナーンチュ大会(主催・同実行委員会)の閉会式が始まった。翁長雄志知事とアルゼンチン3世の比嘉アンドレスさんとペルー3世の伊佐正アンドレスさんが10月30日を「世界のウチナーンチュの日」と宣言。会場の参加者からは喜びの歓声が上がった。○→来賓としてネット上、スキャンダルで何かと話題になっているアベの走狗・鶴保庸介沖縄担当相も参加していたが「世界の土人(ウチナーンチュ)の皆さん、基地と沖縄振興はリンクしますよ」とヤボなことは言わなかったようだ。

●日刊スポーツ 2016年11月23日★18日の閣議で政府は、沖縄県の米軍施設工事反対派に「土人」と発言した機動隊員の行為を一方的に差別とは断じられないとした沖縄北方担当相・鶴保庸介について「発言を人権問題と捉えるかどうかは、言われた側の感情に主軸を置いて判断すべき」とし、謝罪した国会答弁を撤回、訂正したりする必要はないとする答弁書を決定した。
 ★鶴保が国交副大臣に就任した直後の13年1月のパーティーでは、山梨県のNPO法人副代表が200万円分のパーティー券を購入。するとそのNPOは同年3月に国交省所管である観光庁の補助事業に選ばれ、さらに14年2月にも別の補助事業が決定。NPO副代表は13年10月に100万円、14年3月に150万円とパーティー券を買い続けた。加えてその手口も悪質だ。同副代表は破産手続き中にあったホテル名義と、知人の公認会計士の名義の2つに分けた。1回のパーティー券の販売上限は150万円であるため、政治資金規正法違反に名義偽装も加わる。
 ★パーティー券を買うことで便宜を図っていたとなれば収賄も視野に入れざるを得ないだろう。鶴保が副大臣をやめた後も「関係」を強要し、役所は鶴保に言われるままにそのNPOを扱っていたのなら、それは鶴保の影響力だけではない。鶴保は今年7月に時速40キロの速度超過で略式起訴されている。この時派閥のボスである党幹事長・二階俊博は鶴保をとがめるよりもなぜ発覚したかにこだわったといわれる。二階という後ろ盾を利用してやり放題やっている鶴保を政府はなぜ守らなくてはならないのか。


「世界のウチナーンチュの日」を宣言内容
 我々は今日、世界のウチナーンチュのみなさんに伝えたい。
 我々ウチナーンチュは、持っている。
 我々ウチナーンチュは、未来を創造する力を持っている。
 我々ウチナーンチュは、未来への希望を持っている。
 我々ウチナーンチュは、世界へ飛び立つ勇気を持っている。
 我々ウチナーンチュは、互いを許し合う寛容の心を持っている。
 我々ウチナーンチュは、互いを助け合う相互扶助の心を持っている。
 我々ウチナーンチュは、豊かな伝統文化を持っている。
 我々ウチナーンチュは、困難に打ち勝つ不屈の精神を持っている。
 我々ウチナーンチュは、先祖への感謝の心を持っている。
 我々ウチナーンチュは、家族を愛する心を持っている。
 我々ウチナーンチュは、出会った人を愛する心を持っている。
 我々ウチナーンチュは、郷土を愛する心を持っている。
 我々ウチナーンチュは、平和を愛する心を持っている。
 我々ウチナーンチュは、ウチナーンチュであることに誇りを持っている。
 ウチナーンチュは一つになる。
 5年の時を経て、今日、また、世界中からウチナーンチュが集い、心が一つになった。
 ウチナーンチュがウチナーンチュであることを祝おうではないか。
 ふたたび世界中からウチナーンチュが集まった今日10月30日を祝い、「世界のウチナーンチュの日」としようではないか。
 今日10月30日を「世界のウチナーンチュの日」とし、この誇りを我々ウチナーンチュの魂に刻み込もうではないか。ここに、誇りを持って宣言します。今日は、「世界のウチナーンチュの日」です。今日は、めでたい「世界のウチナーンチュの日」です。おめでとう、世界のウチナーンチュ。いっぺーにふぇーでーびる。サンキュー ベリー マッチ。ムチャス グラシアス。ムイト オブリガード。ちばらなやーさい。頑張ろう。

龍脈/2016年10月30日 国際通り「琉球王朝絵巻行列」

琉球王(龍王)の轎(駕籠)、嫌中のアベの走狗ネトウヨが忌み嫌う龍が柱に巻き付いている。

龍亭、中国皇帝から琉球国王への詔勅が乗せられている。

この行列が東京で行われたらアメリカコンプレックスのアベの走狗ネトウヨがヒスをおこし「中国の侵略だ」とワメキ散らすだろうが、このウランダーは何もんだ。

嫌中のアベの走狗ネトウヨが忌み嫌う龍の旗。


嫌中のアベの走狗ネトウヨが忌み嫌う中国人(唐人)の冊封正使。



嫌中のアベの走狗ネトウヨが忌み嫌う龍の旗。


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 福岡高裁の異常な判決以降、アベ政権は一段と強行姿勢となり、報道記者拘束、違法逮捕などやりたい放題の無法状態、人権?,糞喰らえと無視する一方、自衛隊投入など工事を強行し、県民の命の源のダムのある山原の自然を破壊、その最中、ヤマトでは三笠宮が死去、100歳。昭和天皇とは14歳違いの末の弟で、太平洋戦争中は陸軍の「参謀」として、中国・南京の総司令部にも赴任、自叙伝の中に、当時の陸軍について赤裸々に語り、批判する記述がある、「私は日本軍の残虐行為を知らされました。兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎると聞きました。『聖戦』のかげにじつはこんなことがあったのでした」。戦後は中東などの古代オリエント史の研究者として活躍し、東京女子大学では教壇にも立った。「日本の歴史というものが、粉飾されて教えられてきたわけなので、もっと世界の歴史を知らなくてはいかんと」。おそらくアベ政権はこれらを利用し、アベチャンネルやアベ新聞をフルに使い、益々オキナワや原発を国民の眼から遠ざけるであろう。オキナワの地元2紙も商業紙の限界はあろうと思うが、通信社記事の垂れ流しではなく独自の解説をつけて欲しい。

 『琉球新報』2016年10月27日□「沖縄差別、まっぴら御免」などと記載された通販生活冬号の特集記事ー(前略)冬号には、夏号への読者から寄せられた「政治的記事を載せている」「両論併記をしていない」「通販生活は左翼雑誌になったのか」などの批判の声を掲載した。これに対し「編集部からの答え」を掲載。「左翼雑誌」という批判に対して「戦争、まっぴら御免。原発、まっぴら御免。言論圧力、まっぴら御免。沖縄差別、まっぴら御免。通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな『まっぴら』を左翼だとおっしゃるなら、左翼でけっこうです」とした。○アベ雑誌が幅を利かしているトウキョウにも健全な商業誌があるものだ。


2016年10月27日 沖縄県立博物館・美術館ー本郷清次郎氏/琉球民族独立総合研究学会の友知政樹氏(右、沖国大教授)、新城栄徳〇松島朝義ーそういえば『琉大文学』は琉大から始まっているけど、独立学会は沖国大が根城というイメージがある。中心的な人は琉大にも沖大にもいないしね。新川明ー中心になっている5名くらいはみんな沖縄にはいないね。大学院生ならいるけど。松島泰勝は龍谷大だし。琉大もいないんだよね。沖大は新崎盛暉が仕切っているからいないし。→2017年3月 『あま世へ』法政大学出版局



2016年10月27日 奥武山公園「世界のウチナーンチュ大会」/郵便局、琉球大学、沖縄県立図書館などが出向していた。

□2016年10月26日 国際通り「世界のウチナーンチュ大会前夜祭パレード」/県外の県人会











沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さん

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2016年10月19日『沖縄タイムス』「芥川賞作家の目取眞俊さんに対し『どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が』と発言したのは沖縄県警の要請で大阪府警が派遣した20代の男性機動隊員。18日にインターネットの動画サイトに」/沖縄近現代史家の伊佐眞一氏「沖縄の歴史を知らない若い者でも、長い歴史によって深層にあったものが危機的状況のときに吹き出るものだ。ヤマトと沖縄との断層は限りなく深い!」と、知念ウシさんは「沖縄に対する暴挙表す暴言」とコメント。○目取真さんを怒らして胸倉でも掴んだら公務執行妨害で逮捕して手柄をたてようとしたのだろうが相手が悪かった。山城博治議長のほうは微罪で逮捕できたが。大阪は全国的にもヤクザが多い土地柄じゃけん、大阪府警もそれに染まってガラは当然悪く、また大阪府警は殺人もおこすことでも有名じゃけん、ま、オキナワの土人も口にはしないが機動隊のことを「権力のイヌ」と思っているんでお互いさまや。

 今ネットで飛び交っているのが、宮城県選出の日本のこころを大切にする党・和田政宗が、タチの悪い仲間「オスプレイファンクラブ」と辺野古に乗り込んで、挑発的街宣を行い、車椅子の島袋文子さん(87歳)に対し、本人が「撮るな」と言って嫌がっているのに肖像権を無視したのを怒って静止されたのを軟弱にも「暴力だ」と喚き訴えたことが話題になっている。敬老のこころを微塵も持っていない此の人非人野郎・和田 政宗(42歳)は、日本の政治家。日本のこころ(「日本は単一民族」中山正彬大臣)を大切にする党所属の参議院議員。元NHKアナウンサー。 ウィキペディア。やはりNHKの回し者だった。

 今の沖縄県警本部長○『毎日新聞』2016/04/23 - 警察庁人事(5月10日) 【沖縄県警本部長】 池田克史氏(いけだ・かつし)京大卒。89年警察庁。兵庫県警捜査2課長、鹿児島県警本部長などを経て15年2月から会計課長。50歳。新潟県出身。/2016/08/24 - 鹿児島県警本部長に着任した河野真氏(51)が23日、記者会見を開き「鹿児島の治安維持に全力を尽くしたい」などと抱負を語った。また最近相次いでいる警官の不祥事については「大変由々しき事態。危機感を持って対応したい」/2016年10月20日『毎日新聞』電車内で女性を盗撮したとして、兵庫県警は20日、兵庫県警捜査2課の警部補、小池隆司容疑者(43)=同県姫路市飾磨区清水=を県迷惑防止条例違反(卑わいな行為)の疑いで現行犯逮捕した。小池容疑者は容疑を認め「前にもやった」と供述。

 ①安倍政権はアメリカとの約束=オスプレイ・パッド年内完成を実現するために、この闘いの柱・山城博治さんをねらい撃ちして逮捕してきました。500人以上の機動隊と100人以上の防衛省関係職員を去る7月から本土から投入し、沖縄本島北部・ヤンバルを戒厳状態にしてやりたい放題・不法の限りを尽くし、県民に諦めを強要したが、沖縄県民のねばり強い反撃に遭い安倍政権の思惑は完全に行き詰まってきています。その焦りから、今回、この闘いの中心への弾圧・山城博治の逮捕劇となっています。

2014/09/07 - 警察の裏金 を仙波敏郎氏が具体的に証言。だがその 裏金は400億 以上あるという。 この証言がもし本当だとしたら、底なしの 犯罪組織 が警察となる。 原発利権 や パチンコ利権 に群がる警察という名の 国家暴力団 。

2015/02/04 - 逮捕されたのは大阪府警阿倍野署地域課巡査長の水内貴士容疑者(26)。交際相手で、医療ソーシャルワーカーの白田光さん(23)の首を背後からベルトで絞め、殺害した。 ... 「3つ年下の弟もインターハイ選手で、警官の道に進んだ。

2015/09/15 - 【埼玉・朝霞の男性絞殺】 容疑の警官、不倫相手との交際費捻出のため犯行か ... 中野容疑者の親類らによると、中野容疑者の妻も県警の警察官で5年ほど前に婿入り。

今年7月、埼玉県の秩父署地域課長兼県警山岳救助隊長の男性警部=当時(52)=が自宅で自殺しているのが見つかった問題で、県警が上司だった前秩父署長の50代男性警視=警務部付=によるパワーハラスメントがあったと認定→『埼玉新聞』10月21日

 大阪府警で思い出したので、前に書いたものを紹介する○真新しい大阪府警庁舎(設計・黒川紀章、2007年竣工、建設費617億円)は見るたびに70年代、沖縄青年運動のことを思い出す。村田沖縄県警本部長は沖縄県警本部長の前は大阪府警刑事部長であったが、よくここ大阪府警の売店で警察資料を買った。その一つに霞が関警備研究会『警察用語辞典』(令文社1977年)が今でもある。『警察用語辞典』は沖縄関係の団体について詳細に記している。索引で「お」を見ると、「沖共闘」「沖青委」「沖青同」「沖縄・小笠原返還同盟」「沖縄青年委員会」「沖縄青年同盟」で、何か懐かしい名前が並んでいる。沖青委は沖縄青年同盟の略で、昭和46年10月沖青委(海邦派)を発展的に解消し、結成した。昭和46年10月18日、活動家3名が衆議院本会議場に傍聴人として入った上、爆竹を鳴らしたり、「沖縄返還協定粉砕」のビラをまくという事案を起こした、などと記されている。今思うには「密約」復帰の事実がありながら、爆竹を鳴らしたぐらいで前科が付くのは如何なものか。前科にすべきは日米両政府ではなかろうか。「密約」は今も続いている。

今回、県警に着任したのは加藤達也本部長。加藤本部長は長崎県出身で、これまで宮崎県警の本部長、警察庁の外事課長などを歴任/沖縄県警への入門書として佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 上』(集英社文庫)「歴史に翻弄された沖縄県警」が分かりやすくおすすめだ。

沖縄県警(村田隆本部長)による平和運動(反戦・反核)への妨害を許すな!
10月1日の沖縄タイムス□「封鎖が始まって4日目となる基地北側の通称「野嵩ゲート」でも、午後7時ごろに強制排除が始まった。座り込む市民は約100人おり、つかみ出そうとする機動隊員に抵抗する人も。最前列にいて自らも排除された県選出の糸数慶子参院議員は「県民が切り捨てられていく光景。悲しく、悔しい」と涙を流した。もみ合いの中にいた男性4人が、救急車で搬送された。フェンスの内側では、米海兵隊の憲兵らが笑顔も見せながら眺めていた。」これを見て、沖縄警察も相変わらず「権力の犬」とハッキリ示した。琉球新報には一面に写真「オスプレイ配備反対を訴えてゲート前に座り込み、警察官に腕をつかまれ引き出される市民団体のメンバー」と「沖縄県警、報道陣も制止」と大きく報じている。新報もタイムスもネットで「沖縄の今」を世界に流している。知事も那覇市長も沖縄県警に厳重抗議しないと次の選挙は落選する。

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沖縄県警資料
1990年12月 『沖縄県警察史』第1巻 □浅川章沖縄県警察本部長「発刊のことば」/西銘順治沖縄県知事「発刊を祝す」/高良倉吉浦添市立図書館長「監修のことば」
沖縄の地元紙に「福岡県警が県内のコンビニエンスストアに暴力団を専門的に扱う雑誌や漫画の撤去を要請したことで、憲法が保障する表現の自由を侵害されたとして、作家の宮崎学氏(66)が県に慰謝料など550万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、福岡地裁であった。」とある。村田沖縄県警本部長は福岡の出身。その宮崎学『警察官の犯罪白書』幻冬舎2004-2が那覇市立久茂地図書館にあったので借りてきた。主な内容は、警察はなぜ腐敗したか/総会屋の排除と天下り利権/アウトローに依存する企業/やくざの上前をはねる警察/1999年以降の警察不祥事/警察とメディアのもたれ合い/日本最大の広域暴力団・警察/嘘つきは警察官の始まり/不祥事多発・福岡県警/不祥事の見本市・神奈川県警/ヤラセ捜査とシャブ汚染・北海道警/少女監禁事件と雪見酒接待・新潟県警/奈良佐川急便事件の癒着・奈良県警/桶川ストーカー事件の闇・埼玉県警/てるくはのる事件の失態・京都府警/ゲーム機汚職から武富士問題まで、となっている。宮崎氏は家業が京都のヤクザだから警察は天敵であろうから多少は割り引いて読む必要があるかも知れないが概ね妥当の見解である。


2009年2月 寺澤有『報道されない警察とマスコミの腐敗ー映画『ポチの告発』が暴いたもの』インシデンツ
○山岡俊介ー日本は先進国といっても、戦後、自由や民主主義、人権を輸入しただけで、それらはお題目にすぎない。今でもお上意識が強くて、権力に逆らえば変人扱いされます。だから、こんな社会なんです。国民は自分の生活にしか興味がないし、公権力や大企業の腐敗を嘆く人なんてほとんどいないんだから。いまだに自民党が政権を保っていること自体が、いい実例です。湯水のように税金をムダづかいされていながら、まだ自民党に投票する人がいるんだから、信じられません。国民の成熟度がこの程度だから、政治もマスコミも低レベルなんです。
○清水勉ー新聞やテレビの報道の強みは、一つの記事に複数の人間が関与していることです。そこには多面的な見方が反映される可能性があるし、何重のチェックも働くでしょう。ただし、役所が発表するものを伝えているだけでは、その長所は生かされません。(略)戦後、民主主義を導入する方法がよくなかったと思います。昨日まで「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」と教えていた教師が、今日から「教科書を墨で塗りつぶしなさい」と言うんです。教師だけでなく、裁判官も役人も、戦前、国民を戦争へ駆り立てていた張本人たちが、突然、民主主義の担い手になります。軍人が戦争責任を追及されたのとは大違いです。

『LITERA(リテラ)』 2016年10月26日
 「土人」発言の背景…警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が!ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動(前略)安倍政権が沖縄県高江で強行している米軍ヘリパッド建設をめぐり、大阪府警の機動隊員が反対派市民に「ボケ、土人が」「黙れコラ、シナ人」などと差別発言をした事件で、府警は「軽率で不適切な発言で警察の信用を失墜させた」として発言者2名を懲戒処分にした。しかし、これは2名の機動隊員がたまたま差別思想をもっていたという話ではない。実は、警察組織の中では、こうした沖縄差別、外国人差別は日常化しており、今回の一件はそれがたまたま露呈したにすぎない。全国紙の公安担当記者がこう解説する。→下に続く

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1991年9月 『新ハワイ百科』イースト・ウエスト・ジャーナル社



ハワイ沖縄連合会

ハワイ沖縄連合会





北米沖縄県人会


○サンディエゴはファイタータウンと呼ばれ、映画「トップガン」(TOPGUN)の舞台になったように、基地の街でもある。海軍や海兵隊の基地が数多くあり、アメリカ太平洋艦隊の基地が設置されている。そのせいか、リベラルと言われるカリフォルニア州の中では保守的と言われている。→ウィキ


○サクラメント(Sacramento)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部サクラメント郡の都市。人口は407,018人(2000年国勢調査)。都市圏 (MSA) 人口は1,796,857人で全米27位。広域都市圏 (CSA) 人口は2,069,298人(いずれも2000年国勢調査)である。古くから交易の場として栄え、スイス人のジョン・サッターによってコロニーが建設されたことが、現在の発展の元となる。後に州がゴールドラッシュに湧くと、1854年に州都が置かれ、今に至る。ゴールドラッシュが終焉を迎えると今度は肥沃な農作物、野菜の取引所として発展した。また、今日では政治・行政の中心であるほか、半導体や電子機器など最先端産業の進出も目立っている。→ウィキ



○コロラド州全体の平均標高が全米で一番高い、山岳地帯の州である。州の西部はコロラド高原、東の方はグレートプレーンズ(大平原)西部のハイプレーンズ(英語版)である。面積では50州の中で第8位だが、人口では第22位である。州都および人口最大都市は、ロッキー山脈の東側にあるデンバー市である。州の名前はスペイン人探検家が名付けたコロラド川に因んでおり、「コロラド」という言葉は「赤みをおびた」を意味するスペイン語で、コロラド川が山岳部から運ぶ赤い沈泥を表している。→ウィキ

10月28日ー第6回世界のウチナーンチュ大会「ゆんたく会議」
アメリカロスアンゼルス、ブラジル、ボリビア、日本からの参加者。開会直前、キャロライン米駐日大使も参加。

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沖縄タイムス 2016年10月25日ー沖縄県議会は25日、総務企画委員会(渡久地修委員長)を開き、東村高江で米軍ヘリパッド建設に反対する市民に対し機動隊員が「土人」「シナ人」などと発言したことへの抗議決議・意見書の両案を審議する。与党は当初、決議・意見書両案に機動隊撤退を盛り込む方針だったが、撤退は求めず「侮辱発言」として抗議する内容に絞り全会一致での可決を目指す。□そう、抗議したところで「ガス抜き」でしかない。新聞記者も引き抜く勝手気ままなアベのポチ機動隊、もっと泳がしておいたら県民の怒りを買い、次の選挙で県民はどうするか考えるだろう。

2013/04/28 -アベ 政府は、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」と位置づけ式典を開いた。県民にとって「屈辱の日」とされる4・28に「主権回復」の式典を開くことは「再び沖縄切り捨てを行うものだ」と、県民は怒っているが、仲井眞県政は、その式典に副知事を送り込んだ。○「差別」「植民地」をめぐる沖縄知識人の言説 高良倉吉氏批判)ー副知事だった高良氏は、仲井眞沖縄県知事の名代として式典に参加している。(略)この場の体験は高良氏にとって「差別」を「思い知る場面」ではなかったようだ。氏が歴史家であることを考えれば、これは衝撃的な告白である。/「ミスリード」の仕掛け 森宣雄氏の仲井眞知事擁護論批判(2016年7月 後田多敦『「海邦小国」をめざして「史軸」批評による沖縄「現在史」』出版舎Ⅿugen


1991年4月19日『レキオ』
 

2013年7月 与那原恵『首里城への坂道ー鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』筑摩書房
○あとがきー(略)鎌倉は、末吉麦門冬との出会いが琉球芸術調査のきっかけとなったけれど、私にも琉球史への目を大きくひらかせてくれた恩人がいる。琉球史家の高良倉吉さんで、沖縄に行くたびに泡盛を呑みながら、愉しい「ゆんたく」(おしゃべり)をさせてもらった。

 2016年10月23日『琉球新報』○「大阪沖縄県人連合会 創立70周年記念特集」□本来なら大正区の大正会館で開かれた琉球新報移動編集局フォーラムの参加者(高良倉吉元副知事、嘉手川重義、筋原章博大正区長)に『土人』発言のコメントを取るべきだが、取れないこと(取れない事情あり)を見越して沖縄タイムスが上記のように、「差別発言『許されへん』『土人』大阪府知事対応に関西の声」と大きく社会面で取り上げた、と思われる。兵庫、大阪の県人のコメントが少ない。兵庫は機関紙でやるはずだから、問題は大阪だ。これは新報にも発言させる責任がある。何故なら「沖縄差別は無い」という人物に講演を依頼しているのだから。ま、私も鈍感な性質で差別は感じたことがないが。近日には新報も関西の県人の声を取り上げるかも知らん。県人会は政治的なものには基本的にタッチしないが、ダンマリを決め込むと、関西沖縄文庫の金城馨辺りがどう出るか。

○「これからテレビ局が生き残っていくのは新聞社以上に厳しいのではないか」という論調がネットで飛び交っている。そのせいかは知らないが、かつてのテレビの人気者、橋下徹元大阪府知事・前大阪市長が、「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)に出演するという。現在、アメリカ大統領選でトランプ氏が共和党の指名確実な情勢となっているらしいが、橋下元知事の後継おおさか維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は3月29日、日本の核兵器保有の是非について「(トランプ大統領が同盟見直しを提起したら)日本はどうするのか、政治家が真剣に議論しないといけない。完全な集団的自衛権という方向か、自国で軍隊を備えるか。そういう武力を持つなら、最終兵器が必要になる」と語った。さらに、日本の核保有について「被爆国だからやめた方がいいと思うが、米国の軍事力がなくなったら、夢物語で何とかなるでは済まない」とアベ政権でも触れない核保有を強調。そう夢物語ではないのだ。現実に核貯蔵庫はオオサカというと次の選挙でおおさか維新が全滅しかねないので此処は矢張り核貯蔵庫はオオサカから遠いオキナワかフクイぞな、もし❔。

 今はネット時代である。国家公務員などの経歴は検索すればすぐ分かる。□沖縄県警本部長の村田隆(むらた・たかし)は東大卒。1984年警察庁。警視庁第1方面本部長、警察庁国際テロリズム対策課長などを経て、2009年10月から大阪府警刑事部長。50歳。福岡県出身とある。沖縄県警本部長になったのは警察庁国際テロリズム対策課長の経歴が買われたかも知れない。□松井一郎は、競艇場の照明など電気設備の利権を一手に握っている笹川グループの一員 。競艇利権は、松井知事の父親である元府議会議長の松井良夫元府議から引き継いだもの。 父親の良夫元府議会議長は、知る人ぞ知る故笹川良一の直系の子分だった人物 。父親の良夫元府議会議長は笹川良一払い下げの超豪華なキャデラックを乗りまわしていたぞな、もし。

 2016年10月23日『琉球新報』「『人類館』から連綿と 機動隊差別発言」○(略)関西沖縄文庫の金城馨さんは『発言した個人でなく、日本社会が生み出した意識の問題だ』と指摘。


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Posted by: ryubun02
沖展会員(絵画)の喜久村徳男さんの下で絵を学ぶ13人が創作の成果を発表する「第13回NORI絵画13人展」が15日、那覇市のタイムスギャラリーで始まった。

2017年8月19日 タイムスギャラリー「第13回NORI絵画13人展」/喜久村徳男先生、作曲家の上地昇氏(左)

1971年8月『青い海』4号 「インタビュー 上地昇(作曲家)病める大国 現代音楽と作曲 そして沖縄」


2001年2月 久手堅憲俊・文/喜久村徳男・絵『ジュゴンと太良』あけぼの出版

2016年10月25日~30日 タイムスギャラリー「第12回 NORI絵画16人展」







写真左から喜久村徳男先生、松島弘明氏、安田淳夫氏

安田淳夫氏、作品「陶オブジェ」「花」

2015年8月18日~23日 タイムスギャラリー「第11回 NORI絵画16展」
喜久村徳男先生のもとで絵を楽しんでいる仲間が11回目の作品展を催します。安田淳夫、又吉園子、真志喜幸子、名嘉栄子、玉木義勝、武島しげ子、城間かよ子、呉屋初子、小橋川邦子、小波津健、金城治子、木﨑甲子郎、嘉陽美沙子、伊是名教子、新垣龍子、赤嶺廣明


8月20日ー喜久村徳男先生℡080-1760-9447





8月23日ー宮城護氏、喜久村徳男氏、城間喜宏氏


写真左から新城栄徳、墨絵画家の金城美智子さん、木﨑甲子郎氏


2015年8月

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2014年4月8日~13日 那覇市民ギャラリー「具志弘樹作品展」
具志弘樹氏とその作品


1968年8月『今日の琉球』具志弘樹「糸満の女」


オリオン興業(グランドオリオン)美術課長の頃の作品


2009年11月2日~27日 沖縄銀行西崎支店「具志弘樹個展(元沖展会員)」


2012年3月27日~4月1日 那覇市民ギャラリー「具志弘樹作品展ーいつまでも守り続けたい 沖縄の生き物と自然」






2016年10月24日ー写真左が具志弘樹氏、新城栄徳
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安里進○現代沖縄美術とアジアへの眼差し・本土側の目線/(前略)アジアへの眼差しは、美術素人の私がいうまでもなく、沖縄県が平成9年に策定した県立現代美術館の建設理念の設置目的でも「アジア地域や沖縄発展に貢献する国際時代の一大拠点とする」と謳っている。日本の枠内ではなく、アジアのなかに現代沖縄美術を位置づけ、展望を開こうというのが基本的な認識になっている。(略)沖縄県立美術館には、現代沖縄美術が持っている、日本の枠を超えた普遍的価値を目に見える形で具体的にしていく作業が求められている。
前田比呂也○ノーラ・チッポムラという身体-沖縄滞在制作の記録ー


仲里安広○屋部憲の変遷-屋部の活動と、屋部がとらえた琉球書の独自性、美術村構想について/島筒格○大城皓也のタブロー・エスキース調査 -変遷するモチーフ-


梶原正史○修復作業の一般公開から考察するこれからの保存修復活動~修復コロシアムより~/仲村保○美術館と地域の連携 -博・美地域連携劇ニシムイ 太陽のキャンパス取組報告-


大城さゆり○『島の女』から『紅型の女』へ -ゴーギャンのイメージを基にした大城皓也の女性像に関する一考 -/豊見山愛○シュルレアリスムと山元恵一 -「夢」の彼方に-
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2016年3月 伊佐眞一『沖縄と日本の間でー伊波普猷・帝大卒論への道 上』琉球新報社
2016年3月 『法政大学沖縄文化研究所紀要』43号 伊佐眞一「謝花昇と沖縄倶楽部の結成」

2015年8月『N27』№5 伊佐眞一「歴史の節目に立ってー『日琉同祖』から生じる精神依存症を脱する」でも高良批判を展開、「ついでだから書いておくが、最近新聞で、高良倉吉がロックミュージシャンたちと、ほぼ一面全部を使った座談会をしているのを見た。2015年4月9日付沖縄タイムスがそれで、コザで米兵相手に独自の演奏活動をしてきたそのこと自体は、戦後沖縄の音楽史に特筆されてしかるべきであろうと私も同感する。問題は、そうした座談会に、あの辺野古崎の埋め立て許可をした仲井眞県政の副知事だった高良が、それを覆い隠すかのように、琉球大学名誉教授として厚顔にも何食わぬ顔で出ていることである。(略)この高良という男はこうしてマスコミで徐々に失地回復をしていって、沖縄の永続的基地固定化とその強化をもくろんでいる自民党の恥知らず国会議員などとともに、『オール沖縄』を内部から切り崩すべくまたも刃を向けてくるのであろう。(略)高良を紙面に出しても何ら問題ないと了承した新聞記者のいい加減さ、そして何といっても、素知らぬ顔して今後に備えようとする高良の、じつに沖縄の人間をナメ切った態度をこのまま見過ごしていいものか。同じことはこれも最近文化講座に彼を引っ張り出した国営沖縄記念財団(首里城公園)の職員にも言えるが、知り合いだからまあまあとか、大学での元同僚だ、恩師だからとか、このくらいは大したことはないだろうと笑って済ませると、あとでまたもやどんなひどいしっぺ返しを喰らうかもしれないことを重々肝に銘じておくがいい。」と辛辣である。


伊佐眞一の本
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麻姓家譜伊佐眞一氏は麻氏の末裔
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 大正13年12月 藤田親義『琉球と鹿児島』末吉莫夢「薩摩関係の琉球五異人ー鄭迵謝那利山/薩摩関係の異人として、私は先ず第一に鄭迵謝那親方利山を挙げる。彼は慶長役の時の三司官の一人で、琉球に於いて最も勢力を振い、遂に対薩摩外交を誤り、其身も薩摩に於いて戮された人であるが、琉球の歴史に於いては出色の人物である。」

1611年9月19日 鄭迵・謝名親方利山、斬首

○1983年12月 新里堅進作画(川平朝申解説)『史劇 謝名親方』全教出版
謝名 利山(じゃな りざん、嘉靖28年(1549年/天文18年) - 万暦39年9月19日(1611年10月24日/慶長15年))は、琉球王国の政治家。謝名親方(ウェーカタ)の呼び方で一般に知られる。

 唐名は鄭迵(ていどう)。称号は親方。鄭氏湖城家九世。久米村(現・那覇市久米)出身で久米三十六姓の末裔の一人。父・鄭禄の次男として生まれる。1565年、16歳のとき官生に選ばれて明に留学し、翌年、南京の国子監へ入学する。1572年、帰琉。その後は都通事をへて長史となり、進貢使者として数度渡唐する。1580年、総理唐栄司(久米村総役)となる。 1605年、城間親方盛久を讒言して百姓の身分に貶め、自らは三司官となった。薩摩侵略の際には三重城に陣取り那覇港の防衛を行うも尚寧王の降伏によりともに連行される。その後、薩摩藩から起請文に署名するよう求められるが、ただ一人これを拒否し処刑された。(→ウィキペディア)

2005年12月『うるまネシア』第7号□後田多敦「記憶の風景を訪ねて(1)ー鄭迵謝那親方利山顕彰碑ー」

      
鄭迵・謝名親方利山顕彰碑 と神坂次郎氏○鄭氏の門中(一族)によって1983年3月に建てられた顕彰碑が元の久米村に近い那覇市若狭の旭ヶ丘公園にある。

神坂次郎 こうさか-じろう
1927- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和2年3月2日生まれ。第二次大戦後郷里の和歌山県にすみ,歴史小説をかく。昭和57年「黒潮の岸辺」で日本文芸大賞。59年,18年をかけてまとめた「元禄御畳奉行の日記」がロングセラーになる。62年「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」で大衆文学研究賞。平成15年長谷川伸賞。陸軍飛行学校卒。本名は中西久夫。著作はほかに「熊野御幸(ごこう)」「奇妙(けったい)な侍たち」など。(→コトバンク)
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戦時下の沖縄/仲本政基『新聞人の沖縄戦記ー壕の中で新聞を発行ー』仲本玲子

  右が仲本政基
1943年  仲本政基□私が沖縄新報の記者になったのは、昭和18年の10月であった。当時、沖縄は一県一紙になっており、琉球新報、沖縄朝日新聞、沖縄日報の3社が合併(昭和15年12月)してできたのが沖縄新報である。当時の社長は伊江朝助男爵で、専務が当真嗣合、常務が平尾喜一、総務局長兼編集局長が高嶺朝光、営業局長は親泊政博の各氏であった。工務局長はおらず、阿加嶺のターリーが工場長だったとおぼえている。編集局の陣容は、高嶺朝光氏の下に、外電関係整理が國吉眞哲氏、政経部に上地一史、仲泊良夫、与儀清三、座喜味盛良、勝連勇の諸氏、社会部は福地友珍、大城徳三(現在の牧港篤三)、友寄喜光、大山一夫の各氏が健筆をふるっていた。(略)私が入社した月に、ガダルカナルで奮戦した八重山与那国出身の大舛少尉が、寡兵よく敵にいどんで、壮烈な戦死をとげ、それが上聞に達して大尉に二階級特進したというニュースが入った。(略)沖縄中が大舛熱にとりつかれた。県立一中の小野教諭が「大舛大尉」と題して連載小説を書いた。さしえは画家の大城皓也氏がかいた。劇団も「大舛大尉」を各地で公演して大好評をあびた。私はこの大舛熱の過中にとびこんで、入社早々大舛大尉の記事ばかり書いていた。私の初記事は大舛大尉からはじまったのである。

(略)沖縄の様相は一変した。辻の遊廓も兵隊たちに占領されて、軍靴にふみにじられ、酔っぱらった将校が抜刀して往来にふんぞりかえる光景もみられた。往年の南国情緒ゆたかな辻のおもかげはすでになく、遊女もモンペをはいての接待で、すべてが戦時色にぬりつぶされていった。(略)そこで偶然にも大山一雄記者と会った。彼も末っ子を背負って、妻子をひきつれて郷里の大宜味村喜如嘉に非難するところだった。「仲本君、北部はどこかあてがあるのか」と彼がきいた。私は「ない」と答えた。すると大山記者は「喜如嘉にいっしょに行こう。あそこならなんとか君達家族の世話ができる」といった。私は地獄で仏に会った心地がした。「ぜひお願いします」と彼の温かい好意に感謝した。二日後に喜如嘉について、翌日二人は那覇に向かった。羽地につくと上地一史記者が来ていた。羽地は彼の郷里である。彼は万一の場合、北部で新聞を発行する準備のために来たという。

(略)時たま大政翼賛会の翁長助静や詩人の仲村渠致良がよく新聞社にやってきた。翼賛会は佐敷村に移動したとのことで、佐敷村からわざわざ「戦況はどうなっているか」と二人が2,3度かわるがわるに、あるいは二人いっしょに訪ねて来たりなどした。彼らは一泊して翌早朝佐敷に帰っていったが、来るときはいつも黒砂糖を忘れず、「陣中慰問だ」と全社員に黒砂糖をふるまっていた。弾の中をくぐってもってきた砂糖だけに大変ありがたかった。それに甘いものはこの時だけしか口にしたことはなかった。彼らが来るのが遠ざかると、「翁長さんや渠さんはいつ黒砂糖を持ってくるかなあ」と子どもみたいに大の男たちが黒砂糖を欲しがったりなどした。→1975年9月『那覇市史 戦時記録 資料篇第2巻中の6』

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新城栄徳宛、仲本政基ハガキ「先日はさっそくコピーを送っていただき誠に有難うございます。大変なつかしく拝見いたしました。また記事の中に昭和俳壇の選者比嘉時君洞さんの名前が出ており、これもなつかしく拝見いたしました。(略)」
□1928年9月9日『沖縄昭和新聞』

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昨日夜、蓮舫民進党代表がついに新潟県知事選で米山候補の応援に入りました。蓮舫民進党新執行部の腰の定まらなさに苛立っている一人ですが、これが米山候補勝利へ後押しとなることを願います。さて、北方2島返還とそれを手土産にした解散が、既に定まったかのような報道が圧倒的な中、山崎拓元自民党副総裁は「北方2島返還では解散考えられない」という注目すべき見解を述べています。(T)

▼ IWJ日刊ガイドから 2016/10/14新潟県知事選最終盤で市民が実現させた「野党共闘」!「県連が決定した自主投票は覆さない」と冷ややかだった民進・蓮舫代表がついに新潟入り!「仲間の米山隆一さんを応援したい」

ネットに、任期満了に伴う新潟県知事選は16日投開票され、無所属新人で医師の米山隆一氏(49)=共産、自由、社民推薦=が、前同県長岡市長、森民夫氏(67)=自民、公明推薦▽元団体職員の三村誉一氏(70)▽海事代理士の後藤浩昌氏(55)の3新人を破り、初当選が確実になった。米山氏は現状での東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に反対している。7月の鹿児島県知事選でも九州電力川内(せんだい)原発の一時停止を求める三反園訓(みたぞのさとし)氏が当選しており、政府の原発政策に影響を与える可能性が出てきた。(毎日新聞)とあった。前の知事が腑に落ちない辞め方をしたので白けているのかと思ったら健康的な判断だ。

 与野党の全面対決となった新潟県知事選は、安倍晋三首相(自民党総裁)と二階俊博幹事長が直々のテコ入れを図ったにもかかわらず、与党が手痛い敗北を喫した。共産党も推薦した野党共闘の候補勝利で“成功体験”も与えた形・・・/防衛省が平成28年度第3次補正予算案の編成に向け、北朝鮮の弾道ミサイルを念頭に置いたミサイル防衛(MD)装備などに2千億~3千億円を要求する方向で検討に入ったことが16日、分かった。(サンケイ)

 だが、アベ自公政権が地方自治なんぞ歯牙にもかけねぇこたぁオキナワで証明されている。おそらくはオキナワで今やっている辺野古新基地の反対住民の拘束、少しでも抗議が強いと何だかんだと職務妨害だ違反だと逮捕する。流石に芥川賞作家の目取真俊は拘束されて、釈放したが。沖縄県を裁判ざたにして国に有利な裁判結果を出す。新聞記者も拘束し世間に知らさないようにする。これは目に見えるが、目の届かないところで防衛・外務官僚などが何を企んでいるか知らない。とにかくも国家機関、裁判所や警察、自衛隊などを動員して、原発反対派をねじ伏せることは目に見えている。これ以上、地方の選挙でも、国政でも自公に議席を与えたらどうなるか考えてみる価値はあると思う。オキナワでも自公が与党の自治体があってこれがオキナワ基地問題を見えにくくしている。そしてオキナワ以外の米軍基地も劣化、だから新しく強化するのは目に見えている。カネは?。もち我々の税金よ。🎶知らぬが佛よ!そのためにも消費税は絶対必要や。

 国破れて山河在り、というが今なお、この国土が異民族(鬼畜米英)の軍靴に蹂躙され続けているという現実に靖国の御霊は亡霊となってオキナワをさまよっているに違いない。アベ自公政治の米軍の尻拭いを率先してやる卑屈さは沖縄戦でも残ったヤンバルの寸地まで米軍に差し出して破壊しようとする。「東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事を巡り、アベ政府はN1、G、Hの3地区で計2万4262本の立木(りゅうぼく)の伐採を計画している。伐採範囲は少なくとも3・8ヘクタール以上で、多大な環境負荷だ。米軍北部訓練場を除き、周辺は「やんばる国立公園」に指定されたばかりだ。北部訓練場は自然度の高い場所でありながら、国の管理が及ばない米軍施設だから指定から除外され、自然破壊が続く」。(沖縄タイムス参照)○説明するのもうっとしいのでヒマな人はネットで『沖縄タイムス』『琉球新報』を見よう。

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祖国復帰こそ慰霊の道
 沖縄戦がはじまった頃、軍司令部から県庁に入った情報は、防衛作戦は首里をあくまで最後の拠点として戦うというものであった。島田知事が県庁を首里に移動したり、職員の生命を守る防空壕を司令部の南面にあたる真和志村繁多川に構築させたのも、軍官一体となって連携を密にして沖縄戦を戦い抜く態勢をかためるためであった。それが5月4日敢行された我が軍の総攻撃の失敗で、大本営は 沖縄は日本本土なり、寸地の残る限り後退善闘すべしー  との作戦を司令したと伝えられた。戦線を南部に拡げることで、住民の犠牲がさらに大きくなることに強い不満を軍にぶっつけていた島田知事も、大本営の直接命令とあっては反対のもっていきようもなく、悲憤の涙をのみながら、やむなく自らも南端にさがり、やがて軍の指定した知念、玉城地域へ住民の避難誘導を挺身隊に命じたのであった。(略)

 沖縄戦はこのように避けられる犠牲を避けようとせず、逆に既定計画を変更して住民の犠牲を増大した結果になったが、一体この償いは何をもってなされたであろうか?ー二十七度線で民族を南と北に引き裂いたまま二十年も放っとく 償いどころか、無残にも住民の意思は無視されて、さらにもう一つの十字架を背負わされたのである。沖縄は、4月28日を「屈辱の日」、6月23日を「慰霊の日」と定めて沖縄の悲劇と悲運をかみしめ、そこから民族の悲願である祖国復帰への決意を新たにしている。沖縄に草むす9万の日本軍将兵と10万を越える殉国の英霊は、かつて敵国であった米軍にいまなお支配されている現状に痛恨の涙を流しているであろう。


自民党の勉強会の講師役でアイアムソーリ首相と親しい作家の百田尚樹氏が、アベ政権に批判的な沖縄の地元紙について「沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん」などと発言して話題になったが、地元紙は最近は触れていない。

講師報酬も相当なものだろうが、その場で国会議員がその講師に「文化人がマスコミのスポンサーに圧力をかけろ」ということまで提案し促している。 このそそのかし行為と講師報酬との額はあらためてと問うべきだろう。国会議員の地位利用ではないか。これは明らかな憲法違反、マスコミ産業への業務妨害教唆行為というべきものだからだ。

直接、政権が表だってやれないことを、報酬をもらっている国会議員が報酬を払って影響ある文化人や民間人にいう。これは、安倍首相のいう、言論の自由というものではない。ましてや、安陪応援団、それも側近中の側近たちの国会議員の勉強会だ。その内容を知ったら、直ちに確認しこれをたしなめるのが派閥の長であり、一国の宰相たるものの政治責任ではないか。 臣下の暴走を止めきれない。注意やたしなめもしない。

関係ないというだけでなく、お得意の言論の自由まで持ち出すに至ってはのではむしろこれをあおっているといわれても、当然なことになる。 まさに、自由と民主主義を掲げる、自由民主党のそのものの危機ではないか。今、安倍総裁・首相の、宰相たる器が問われれている。安陪は、いかにも軽い。それだけに危険で幼稚な宰相である。こういうものが現代のファシズムの特徴なのだろう。安保法制が出来たら、一挙に軍事ファシズムとなるのは必定である。自民、公明も一体どうするのか、自由と民主主義のまさに正念場である。

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 戦前の絵葉書を見ると中央に那覇市役所が見える。設計者は武田五一である。京都も空襲はあった。アメリカ軍によって太平洋戦争中の1945年(昭和20年)の1月16日から6月26日かけて5度にわたって行われた無差別爆撃がそれである。そして京都大学には1920年、武田五一が工学部建築学科を創設したので武田五一胸像がある。武田は1904年に金閣寺、鳳凰堂修理工事の監督。17年、那覇区役所及び議事堂設計に関わり、国会議事堂にトラバーチンを使用させたのも武田である。29年『建築と社会』に「沖縄の民家」を執筆。30年に法隆寺金堂壁画保存委員。戦後、武田の設計した京都府立図書館が解体されるとき、当時の知事が「文化財としての価値は少ない」と無知ぶりを発揮したが、外観を残して新築された。

沖縄タイムス 2016年10月14日 社説[那覇市民会館の行方]住民合意の形成丁寧に
 沖縄の歴史を刻み、建築文化としても評価が高い那覇市民会館が13日から無期限の休館に入った。城間幹子市長が会見して明らかにした。市民会館は復帰前の1970年に建設され、老朽化が著しい。国の安全基準に基づく耐震診断で、震度6以上の地震で倒壊や崩壊する危険性が高いとの結果が出たからである。市は総事業費約95億円をかけ「新市民会館」(新文化芸術発信拠点施設)を久茂地小跡に建設することを決め、2021年度の開館を目指している。その間、現市民会館を使用する予定だったが、コンクリートの剥離や落下が相次ぎ、休館を余儀なくされた。安全性を最優先するのは当然である。
 一方で建築は文化であると同時に、歴史の「生き証人」でもある。市民会館は故金城信吉氏らが設計した沖縄現代建築の原点ともいえるものだ。沖縄の原風景の赤瓦、軒を深くとった雨端(あまはじ)の空間、屋敷を囲う石垣など伝統的な建築様式を取り込み、建築界では国際的にも高い評価を受けている。文化施設が貧弱な当時の沖縄で「文化の殿堂」の役割を果たし、1972年の復帰記念式典の会場にもなった。(略)市が方向性を示した後では検討委員会が追認機関となる恐れはないのか。先に住民や有識者に情報開示して意見を聴く場を設け、合意形成を図るのが筋ではないのか。
(略)
 那覇市民会館に限らず、大型公共施設が一斉に建て替え時期を迎えている。那覇市内では、戦後から復帰前の沖縄を色濃く残していた市場が大きく変貌しようとしている。戦後、沖縄本島中南部の食生活を支えてきた市樋川の農連市場は今年4月から再開発事業が始まっている。気になるのは、市の住民合意の在り方が十分でないように見えることだ。市民会館移転先では決定後の住民説明会で交通渋滞などを心配する声が出る。牧志公設市場移転でも市はいったん「にぎわい広場」に決定しながら組合の反発を招き現在地となった。那覇市も遠からず少子高齢化に突入する。税収増を見込むのは困難な中で大規模事業は市の財政に影響を与える。市民と情報を共有しながら、政策決定過程の透明化を徹底し、住民合意に向けた丁寧な手続きが求められる。


2016年10月19日『沖縄タイムス』青山惠昭「論壇ー市民会館の存亡 再考を」/那覇市に多角的議論臨む」


那覇市民会館落成記念で配ったもの/1970年11月『那覇市民会館 落成記念』記念行事の企画を担当したのは最近亡くなられた中山良彦氏/平良良松那覇市長○メッセージー(略)よい都市とは、文化的芸術的香りの高いまちだとされています。ビルが建ちならび、車が洪水のように走っていても都市の態様が殺伐としていたり、人間に精神的安らぎを与える場所、すなわち公園とか図書館とか音楽堂といったものがなければよい都市とはいえません。その意味から那覇市は沖縄の県都としての面目を一新し、文化センターとしての機能と役割りをもつ都市として、輝かしい一歩をふみだしたことになります。ご承知のとおり、この市民会館は本土建築工学の権威者も称賛する郷土色豊かなユニークな建物とされ、規模、施設からみても本土の同種の建物に遜色がなく、戦前戦後をつうじて沖縄にはこのような建物はなかったのであります。(以下略)

今の翁長沖縄県知事の父、歌人・翁長助静は1925年、沖縄県立第一中学校を卒業しているが、一中在学中、高江洲朝和(石野径一郎)、平良良松らとガリ版の同人誌『はるがん』を発行している。つまり平良良松とは文学同人であった。蛇足で付け加えれば、平良那覇市長の秘書の真栄里泰山氏を通じて、私の個人誌『琉文手帖』1号に表紙題字「琉球風俗画六十年 日本画家 金城安太郎」と市長に毛筆で書いてもらった。

具志弘樹氏「作品」

下は10月17日に会館を一周した







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1992年12月ー『新沖縄文学』新城栄徳「来訪者略年表ー1969年7月10日 三島由紀夫、「弓張月」取材のため来沖 」






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ヤフーニュース10月19日○大阪府警機動隊が沖縄県民を愚弄 「土人が!」「黙れシナ人!」

 NHK10月14日ーEU=ヨーロッパ連合からの離脱について住民の反対が根強いスコットランドで、自治政府のスタージョン首相はイギリスからの独立の是非を問う住民投票を行うための法案を来週公表すると述べ、離脱交渉を担うメイ首相への圧力を強める。○イギリスがEU=ヨーロッパ連合からの離脱にともないスコットランドでイギリスからの離脱を試みているという。『オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』の本にロンドンに触れている箇所がある。東京や大阪でもウチナーンチュが多いところがある。何よりも今月「第6回 世界のウチナーンチュ大会」も開催される。(フクバル節の「バンジャイ」を聞きながら)

 アラビアのロンドンーいちおうロンドンについても触れておいたほうがいいかもしれない。前に法的権利擁護委員会のムハンマド・マスアリーがロンドンに逃げたという話を紹介した。なぜ彼らはロンドンに逃げるのか。実はロンドンというのはイスラーム原理主義の組織という点ではある意味、中東以上に重要な場所なのである。ロンドンには文字どおり数え切れないほどのイスラーム系組織が存在している。インド系、パキスタン系、バングラデシュ系といった旧インド帝国領のムスリムおよびそこからの移住者が中心だが、アラブ諸国からも多数の移住者、亡命者を受け入れている。とくに湾岸やエジプト、スーダンなどはかつての宗主国ということもあり、観光客を含め、膨大な人数をイギリスに送り込んでいる。そのためロンドンなどには、アラブ人街とでも呼べるような中東度のきわめて高い地域が出現してきている。

 そうしたところではアラブ料理屋、アラビア語の本屋が建ちならび、不動産屋でもアラビア語の案内が幅を利かす。イギリスではアラビア語の日刊紙だけで少なくとも5紙存在する。それだけアラブ人口が多いということであろう。問題なのはこうした連中がロンドンを中心に反政府活動を展開することであろう。もちろんここでいう反政府とは反イギリスではない。反サウジアラビアであり、反エジプトであり、反バハレーンの反政府活動なのである。幸か不幸かイギリスにおいてはそれぞれの本国ではけっして享受できない自由がある。彼らは欧米的な人権で守られながら、自由に情報を得、自由に情報を流すことができる。

 流される情報のなかにはそれぞれの国の政府を転覆させようという過激な呼びかけも含まれる。2001年9月11日の事件の後、アメリカがアフガニスタンを空爆したときに、なかば冗談でどうせやるならテロリストを匿っているロンドンにも空爆を行うべきだとの声もあがったほどである。これがあながち冗談に聞こえないところに、イギリスとイスラームとの密接で複雑な繋がりがある。


2011年5月 憲法記念日
昨日は憲法記念日、那覇市民会館で徐勝さんの講演会があった。今日の沖縄タイムスに次のように報じられていた。

沖縄人権協会50周年記念の憲法講演会(主催・同協会、県憲法普及協議会、日本科学者会議沖縄支部)は同日、那覇市民会館であり、東アジアにおける人権侵害や平和について研究している立命館大学特任教授の徐勝(ソスン)さん(66)が、東日本大震災の被災者が置かれている状況や米軍基地からの被害に苦しむ沖縄の現状に憲法を照らした上で「憲法には、平和的生存権が国家の義務だとうたわれている。私たちが今できることは、主権者であることを明確に自覚して、行使することだ」と訴えた。

 徐さんは在日朝鮮人として京都に生まれ、1971年のソウル大学校大学院留学中、韓国軍保安司令部によって政治犯として逮捕され、軍事独裁政権の下で過酷な投獄生活を19年も強いられた。講演では、その経験を語った上で「憲法というのは国民に義務を課しているのではなく、政府の側に課している。私たちは主権者としての自覚と責任を持って、困難に立ち向かうべきだ」と強調した。

 また、福島第1原発事故について「パンドラの箱が開けられた」と国の原子力政策を批判。「箱の中には、必要のないエネルギー需要をつくり出した人間の無限の利潤追求という欲望と、人道支援を名目に日米両政府が戦争事態を想定して軍事的に利用しようとする姿があった。私たちは箱の中身をしっかりと見据える必要がある」と指摘した。

 さらに、平和の実現のために「沖縄と朝鮮半島、台湾海峡を結ぶ平和のトライアングルをつくろう」と呼び掛け、「侵略や支配を受けてきた三つの地域が、平和に向かって共同の歩みを進めるとき、世界の平和が現実になる」と訴えた。

今日の琉球新報にも同様の記事が載っている。また琉球新報のビンダディン殺害の記事に、アメリカ閣僚たちはビンダディンのことを「ジェロニモ」と呼んだらしい。黒人大統領は「仕留めた」とつぶやいたそうである。黒人大統領が先住民であるインディアンを動物扱いしてインディアン指導者の名をつける自体、この黒人大統領は母親が白人だから自分を白人と思っているのだろうか。だから沖縄人を相当に動物扱いして恥じない。さすが「テロ国家の親玉」らしい発想ではある。

ウィキメディアによれば、ジェロニモ(Geronimo、本名:Goyathlay、1829年6月16日 - 1909年2月17日)はアメリカインディアン、アパッチ族のシャーマン、対白人抵抗戦である「アパッチ戦争」に身を投じた戦士。なお、部族の酋長と誤解されている例も多いが、酋長ではない。

メキシコ軍に家族が虐殺されたのを機に、アパッチ族の戦士たちとともに対白人のゲリラ戦に従事した。ちなみに戦士集団だったアパッチ族には「酋長に戦士が服従する」という義務も風習もない。戦士は結束はしてもすべて個人行動で動くものであって、戦士たちはジェロニモ個人を慕って抵抗戦をともにしたのである。ジェロニモが軍事的な指導をしたこともない。

社会主義の実験
1920年ーボリショイ劇場前でのレーニン演説の写真、右にトロッキーとカーメネフが居る
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トロッキー○1917年のロシア十月革命における指導者の1人であり、ウラジーミル・レーニンに次ぐ中央委員会の一員であった。赤軍の創設者および指揮官として、ソビエト連邦の初期の頃には外務人民委員(外相)として外交問題を担当。ソ連共産党政治局員の1人でもあった。→ウィキ

カーメネフ○レーニンの死後、ジノヴィエフと組んで1925年秋から「新しい反対派」の指導者となる。第14回党大会では、スターリンの「一国社会主義」に反対し、共産党に「首領(ウォシチ)」はいらないと主張した。→ウィキ

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b>2016年10月11日~16日 那覇市民ギャラリー「第19回 高良憲義個展」
 わん(私)や日本政府が米国にうさぎむん(貢ぎ物)さったぬ慰安婦やいびーん、うったあ(日米)やなまちきてわんにんかいかちしがて恥やねーんどあがやー守礼の邦 1952.4,28~



高良憲義氏

写真右が高良憲義氏、喜久村徳男氏

しらんふーなーするオバマとアベ




うったあ(警察、自衛隊、自公官僚政府、裁判官)や米軍ぬちびなみやーどぅやる(やまとぅぐちにすると放送禁止になる)





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2016-11-29 あけみ、末吉安允氏

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 天気にも恵まれ例年の如く、外人も多い。加えて、中国、台湾も目立つ。混雑している割にはスムーズに歩けて写真が撮れた。米軍北部訓練場の新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事で、米軍提供施設内にあるG地区で7日午前に警察側から市民らの動きを記録していた県警の「採証班」に対し、「全員の顔を記録しろ」と市民側に聞こえる大きな声で指示が出たというが、私も真似をして外人全部を記録しようと思ったが、これは個人では不可能だ。やはり全国から警官を集めないといけない。本日の那覇は人類の坩堝(るつぼ)と化し、これ以上、住基ネットで管理ができない外人参加者が増えたらどうなるだろうかと、つまらぬ心配をする。

本日7時のNHKニュースのトップは米国大統領選・トランプ氏の女性問題を5分近く、次は北朝鮮、3番目が熊本の阿蘇山噴火で住民避難、それもわずかに…。どこの国の放送局だろうか!?(T)○ジャメリカです。











盛鶴常任理事・前上門翁




仲嶺眞永さん

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 福岡高裁の不当判決以後、このところの自民党幹事長一行、政府菅官房長官などの来沖、自民党本部での沖縄観光物産展開催など政府自民党の攻勢がいろいろ憶測を呼んでいます。焦っているのは政府自民党。人権も法律も無視した弾圧それに抗し手不屈に戦う市民県民それを覆い隠そうというのがねらいでしょう。(T)最近は地元2紙の批判も影を潜めたようだ。新聞社も経営上の打算か県民の素朴さに付け込んで、かつての仲井眞県政の副知事を活用しはじめている。また、革新理論家たちの分断も学芸欄で試みている。当事者たちも、人様の路線の揚げ足を取らないで、そいうヒマがあれば自公・官僚路線の批判をするべきだと思う。もう革新の負け癖はどうにもならないネ🎶。

平安名 純代(へいあんな すみよ)沖縄タイムス米国特約記者
沖縄県那覇市出身。1995年渡米。日英両語のロサンゼルス日系紙「羅府新報」でカリフォルニア州議会やロサンゼルス市議会などの担当を経た後に副編集長。2010年12月から現職。米軍普天間飛行場の移設問題をめぐるラムズフェルド元国防長官との単独会見などの一連の取材で12年に第16回新聞労連ジャーナリスト大賞優秀賞を受賞

『沖縄タイムス』2016年10月10日 平安名純代○自分たちが選んだ指導者だからといって、市民が疑問の声を上げず、政治の矛盾を追及するのを控えた時、その先にはどんな社会が待っているのだろう。

 最終盤に達した米大統領選挙を横目に、オバマ大統領誕生後の米国の変化を考える日が増えた。2009年1月に第44代大統領に就任したオバマ氏は「米国は世界の警察官ではない」と述べ、米国民や同盟国が直接的危機に脅かされる場合を除き、単独の軍事力は行使しないとの方針を外交政策に据えた。オバマ氏は、同年4月に「核なき世界」を描いたプラハ演説でノーベル平和賞を受賞したが、時を同じくしてアフガニスタン増派も発表。11年には米英仏中心の多国籍軍でリビアを空爆し、14年にはイラクで過激派組織「イスラム国」への空爆を開始。シリアにも拡大した。

 軍事縮小を唱えていたオバマ氏が変容する前兆は確かにあった。しかし、オバマ氏を支持するリベラル派や反戦団体は、まるで申し合わせたかのようにオバマ氏の行動の矛盾に疑問を投げかけるのを控えたのだ。その結果、オバマ政権は批判されることなく軍事力を重視した政策を推し進めることに成功した。10月11日○熱狂的な「チェンジ」現象が過ぎ去った後に、オバマ氏に投票した有権者らが自覚したのは、指導者に望みを託しただけでは真の変化は訪れないという現実だ。当時を振り返りながら、あの時の熱狂ぶりが今の沖縄に重なっていく。

 翁長雄志知事は8日、菅義偉官房長官から、年内の米軍北部訓練場の部分返還を米側と交渉していると伝えられ、「大変歓迎する」と喜びを表現。会談後の会食では両者とも、高江や辺野古、ハリアーに言及せず、菅氏は「いい雰囲気で会食できた」と評した。副知事らを脇に、菅氏を和やかな笑顔で迎え入れる翁長知事の表情は、かつての政府との対決姿勢は鳴りを潜めたかのようだ。

 翁長知事は14年10月の知事選出馬表明で、「ヘリパッドはオスプレイの配備撤回を求めている中で連動し反対する」と表明している。その公約を変えたのはなぜなのか。「日米間では来年1月までには返還するとの基本合意がある」と話す米政府高官は、「年内返還が実現すれば安倍政権の株も上がるだろう」と笑顔を見せた。票を託した指導者の矛盾を追及し、変化を起こせるかどうかは市民が疑問の声をあげられるか否かにかかっている。

朝日新聞 2016年9月4日(社説)沖縄ヘリ施設 政府の強引さ目に余る
 「やんばる」と呼ばれる沖縄本島北部の広い森の中を、機動隊の大型バスやワゴン車の車列が行き交う。警視庁、大阪府警、千葉、神奈川、愛知、福岡の各県警から、総勢数百人の隊員が集結しているのだ。東村(ひがしそん)高江周辺で、政府が米軍北部訓練場のヘリパッド(ヘリ着陸帯)移設工事を再開して40日が過ぎた。この間ほぼ連日、工事車両を阻止しようと座り込みなどを続ける住民や支援者を、機動隊員が強制的に排除する光景が繰り広げられている。

 手足をつかまれたり、胸を圧迫されたりして、けが人が続出している。地元2紙の記者が取材を妨げられ、一時、身動きできなくなったこともあった。本土から離れた沖縄の、さらに山奥。多くの人の目の届かないところで、政府は権力をむき出しにしている。その姿勢が沖縄の態度をいっそう硬くさせ、基地問題解決の道を遠ざけていることに、なぜ気づかないのか。小さな沖縄を屈服させようと、本土勢がこぞって押し寄せてきている。それが、沖縄側から見た光景だ。強制排除の措置にとどまらない。今回のヘリパッド移設計画では、説明も手続きも無視した政府の強引さが目に余る。新しい着陸帯はオスプレイが使う。森を伐採し、直径75メートルの大きな空間を六つ造る工事だ.那覇。防衛施設局(当時)は環境影響評価に準じる調査をしている。だがそれは、低周波を含む大きな騒音をまき散らすオスプレイを前提としたものではなかった。前提が大きく変わったのだから調査をやり直すのが筋なのに、その声は聞かない。

 夏の参院選の期間は静かに過ごし、自民候補の落選が決まった翌早朝に資材搬入を始めた。県道を半日間封鎖し、管理者である県職員も立ち入らせなかった。座り込みテントを司法手続きを省いて撤去し、森林管理署との事前協議のないまま、国有林の立ち木を切り倒した。当初はさして大きいものではなかった抗議活動が、ここまで続いているのはなぜか。経緯をふり返れば、答えは明らかだ。着陸帯移設と引き換えに、北部訓練場の51%が返還される。政府は沖縄の基地負担の軽減になるというが、米海兵隊の資料によると、返ってくるのは「使用不能な土地」とされる。日米両政府はオスプレイ訓練の県外移転を進めている。ならば高江の着陸帯についても、必要性の有無やその程度を検討し直す余地があるはずだ。力で押しきる手法の先にあるのは、さらなる混迷と不信だけである。

東京新聞 2016年9月4日
4野党共闘なら議席2倍に 次期衆院選小選挙区 本紙試算 
三日に大阪から地方遊説が始まった民進党代表選(十五日投開票)では、次期衆院選での野党連携のあり方が争点になっている。民進、共産、生活、社民の野党四党は参院選で全ての一人区で候補を統一したが、衆院選小選挙区(二九五)でも候補を一本化した場合、どれだけ効果があるのか。二〇一四年の前回衆院選の結果を基に本紙が試算したところ、野党四党側の勝利は前回の四十三選挙区から、二・一倍の九十一選挙区になる。 (山口哲人)

 一四年衆院選小選挙区では、自民党が二百二十二議席、公明党が九議席を獲得し、与党で八割近い議席を占めた。これに対して、それぞれ候補者を擁立した野党四党側は、民主(当時)三十八、共産一、生活二、社民一議席だった。四党が統一候補として擁立した無所属の仲里利信氏(沖縄4区)を加えても、四党側が勝った選挙区は四十三だった。参院選に続き、次期衆院選で野党四党が候補を統一すると仮定し、前回衆院選で四党候補がそれぞれ獲得した得票数を単純に足したところ、九十一選挙区を制する計算になる。自公両党の勝利は計百八十五選挙区。前回衆院選のあとに現職議員が所属政党を移動した例もある。

三月に発足した民進党には維新の党などから江田憲司氏(神奈川8区)、柿沢未途氏(東京15区)ら二十五人の衆院議員が加わった。こうした事情を考慮すれば、野党四党側の獲得議席はさらに増える可能性がある。野党四党がばらばらに戦うより、連携した方が多くの議席を獲得できるといえる。ただ、次期衆院選では候補者が代わる可能性もあるし、その時の政治状況で得票数は変わる。七月の参院選では三十二の一人区のうち野党統一候補が十一勝二十一敗だった。野党四党が共闘しなかった前回一三年は三十一選挙区中、野党が勝ったのは二選挙区のみだった。




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琉球華僑總會「龍神躍動」









ママがおしゃぶりを取ったのでご機嫌ななめ






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1977年9月 吉田朝啓『ハブと人間』麦門冬「飯匙蛇の綱曳き」琉球新報社
2014年4月29日『琉球新報』の論壇に吉田朝啓氏が「都道府県立・沖縄市町村経営『海の家』ー健康リゾート観光推進」を投稿しておられる。末尾に「カジノや基地関連収入よりもはるかに健全で、自然保護と公衆衛生の理念にもかなう健康リゾート観光を進めてほしいと考える。軍事基地撤去を訴えるだけでは、日本国民は動かせない」と、尤もな正論である。沖縄の革新も反戦平和を唱えるだけでは半グレ国民には通用しない、と考えるべきだ。また沖縄の地元紙も日頃のヤマトでも発言しても通用する文化論を少なくし、こう云う建設的な沖縄ならでの提案を論壇で済まさず特集を組むべきだ。


2014年5月4日『沖縄タイムス』吉田朝啓「論壇ー健康長寿センター構想ー沖縄の貴重な経験 観光活用」
2014年12月20日『琉球新報』吉田朝啓「論壇ーたばこ病の弊害ー国・県は強力な禁煙対策を」

「未来の医師は薬を用いないで、人体の骨格構造・栄養・そして病気の原因と予防に注意を払うようになるだろう。」エジソン

『沖縄タイムス』2016年10月7日[大弦小弦]上京時、こんなに沖縄料理店があるのかと…
 上京時、こんなに沖縄料理店があるのかと驚く人も多いだろう。銀座にもあちこちにあり、周辺都市でももれなく見つけられる。沖縄人気の象徴だろう

▼その料理店に県産の酒や野菜、鮮魚を卸している香那ホールセールの宇根良樹さん(40)と会った際に話題になった。もっと沖縄食材を広げる方策はないかと

▼宇根さんは「沖縄のメーカーは過去に成功体験があるので、営業が受け身になっていないか」と懸念を漏らした。人気に乗って商品はそこそこ売れてきた。でも、移り変わるニーズを把握しているか、東京の舌が欲するものとの乖離(かいり)はないか。要は、現場にもっと足を運んで情報収集してもいいとの提案である

▼ビジネスであれ、スポーツ、芸術の世界であれ、ちやほやされるまま努力を怠ると、いつの間にか消えてしまう。沖縄の作り手に限らず、こちらの沖縄料理店にも、宇根さんの提案は当てはまる

▼創意工夫があり、予約が取れない店もあれば、料理と値段を見て「ちょっとねー」とグチが出そうな店も案外ある。あとは市場が淘汰(とうた)する…、いやいや沖縄のイメージさえも損ないかねないから、座視できないであろう

▼沖縄の生産者が料理店に、新たな食材やメニューを提案しながら、販路を広げる手もある。まずは実情把握に、東京との往来を増やしてはいかがだろう。(宮城栄作)

『琉球新報』2016年10月7日<金口木舌>おにぎり捨てますか
 おにぎり1~2個を1年間毎日捨て続けてください。こう言われたら、何をばかなと拒むだろう。しかし残念ながら、計算上は全国民がそれを実行しているのが今の日本だ

▼食べられるのに捨てられてしまう「食品ロス」の国内量は年間約500万~800万トン(2010年農水省統計)。1人当たりに換算すると、おにぎり1~2個に相当する。世界の食料援助量の年間約400万トンを軽く上回る
▼家庭での賞味期限切れや食べ残し、店頭での売れ残りなどによって、食べ物をごみに変えてしまっている。昨年の農水省調査では、宴会で14%、結婚披露宴で12%の食べ残しがあった
▼宴会の食品ロスを減らそうと、長野県松本市は11年から「30・10(さんまる・いちまる)運動」を始めた。宴会開始後30分間と終了前10分間は席に着き、料理を味わおうという呼び掛けだ。食品廃棄が半減した店もあり、効果は上々だ
▼「30・10運動」は全国に広がり今や約20自治体が取り組んでいる。“もったいない”の意識は日本にとどまらない。フランスでは今年2月に大型スーパーの食品廃棄を禁じる法律が成立した
▼国連によると、世界で飢餓に苦しむのは9人に1人。一方で先進国は飽食をむさぼる。食品ロスの半分は家庭から出たものだ。買い過ぎや冷蔵庫の詰め込みなど日常を見直すだけで、地球市民として小さな務めを果たせる。

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2016年10月『広報あぐに』「粟国村教育委員会通信」


2016年9月25日 JA真和志農協ホール「粟国郷友会/第47回 敬老会」
末吉良治粟国村教育長「挨拶」


濱川栄優・粟国小中学校校長「挨拶」

1983年10月 仲里秀雄・玉寄貞夫『粟国島民謡集』



1996年7月 粟国村離島振興総合センター「第一回 活きいき社協まつり」



2000年 伊佐達雄 編「シタリー節」




2016年10月19日 安里三叉路
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近鉄○2015年(平成27年)4月1日に、これまでの(旧)近畿日本鉄道を近鉄グループホールディングスに社名変更した上で、会社分割により鉄軌道事業を近畿日本鉄道分割準備(2014年4月20日設立)に、不動産事業を近鉄不動産に、ホテル・旅館事業を近鉄ホテルシステムズ、流通事業を近鉄リテールサービスにそれぞれ継承させ、持株会社制に移行した。鉄軌道事業を継承した近畿日本鉄道分割準備は(新)近畿日本鉄道に社名変更し、近鉄グループホールディングス傘下の事業会社となった。


1991年12月 季刊『食・№42』桑原守也「近畿文化会と近鉄資料室」


近鉄資料室

○1993年9月、新宮市を訪ね、徐福の墓、神倉神社、熊野速玉大社を参拝。新宮図書館で熊野特修『熊野誌』37号を入手、中瀬さんは「南方熊楠・母すみの日記」を書かれていた。旧知の元沖縄都ホテル社長で熊野人の桑原守也さんが「私の熊野ショックー古道・熊楠・沖縄」と題し「南西諸島の島々に熊野分社が十社もあるのは潮流による文化の交流によるためであろうが、那智からの渡海上人といわれた日秀上人は琉球王朝の帰依をうけ又、京都三条駅前の法林寺の住職となった袋中上人は、有名な琉球神道記を残している。浄土宗の流布がこの地に熊野信仰を広めたものであろう」と書かれている。桑原さんとは私の息子の自宅から二駅先の駅がご自宅なので、大阪に行くと、いつも近鉄資料室、袋中上人のゆかりの地、京都の古書展などに同行している。

沖縄都ホテルで新城栄徳と桑原守也氏



大阪の本・雑誌

龍脈/生駒山・宝山寺

宝山寺と新城あけみ

宝山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。山号は生駒山(いこまさん)。1678年に湛海律師によって開かれた。本尊は不動明王。鎮守神として歓喜天(聖天)を天堂(聖天堂)に祀っている。仏塔古寺十八尊第十五番。(→ウィキペディア)

復帰前、沖縄関係資料室主宰の西平守晴さん一家と同行、生駒聖天に初詣したのが生駒との出会いである。その後、私の家族は生駒に直通する近鉄奈良線の布施駅近くに住むことになる。

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伊波普猷全集』全11巻(1974~76・平凡社)○沖縄学の父〉と言われる著者の、唯一最高の全集。古琉球の政治、琉球戯曲集、をなり神の島、日本文化の南漸、琉球語便覧等を収録。琉球の風が吹くいま、いよいよその価値は高い。加えて 麦門冬・末吉安恭との交流も示される。

第1巻: 古琉球 古琉球の政治  第2巻: 南島史考 : 琉球を中心としたる 孤島苦の琉球史  沖縄歴史物語 : 日本の縮図
第3巻: 校註琉球戯曲集  第4巻: 南島方言史攷 沖縄考  第5巻: をなり神の島 日本文化の南漸
第6巻: 琉球聖典おもろさうし選釈 : オモロに現はれたる古琉球の文化 校訂おもろさうし おもろ覚書 : 琉球古代社会の片影 おもろ論考
第7巻: 琉球人種論 琉球史の趨勢 琉球の五偉人 沖縄女性史 琉球古今記 琉球風俗史考
第8巻: 琉球戯曲辞典 琉球語便覧 言語論考
第9巻: 文学論考 民俗論考
第10巻: 図版(自作おもろ「飛行機」)嗚呼末吉(安恭)君! 眞境名(安興)君の思出 「ぺルリ提督琉球訪問記」序
第11巻: 琉球語大辞典 : 草稿 大辞典 年譜 著作目録 総索引 



南方熊楠(1867~1941)は明治、大正、昭和の3代にわたり、終生、野にあって人文・自然両分野の学の蘊奥をきわめた知的巨人である。和漢洋の古典に博通していた彼は、粘菌研究のかたわら、数百編の論文を発表、草創期の日本民俗学を先導した。本全集は雑誌掲載論文をすべて収録、さらに膨大な書簡、英文著述、未発表手稿など邦文論考約1,000編、英文論考約300編を集大成し、柳田国男が「日本人の可能性の極限」と讃えた巨人の全貌を明らかにする。随筆には 琉球在住の麦門冬・末吉安恭との交流も示される。

南方熊楠全集 全 12 巻 平凡社 1971~1975 年 ○ 第1巻 十二支考[雑誌『太陽』(博文館)1914~1923] 第2巻 南方閑話[坂本書店 1926]南方随筆[岡書院 1926]続南方随筆[岡書院 1926]*南方の著書の うち生前に刊行されたのはこの3冊のみである。 第3巻=雑誌論考Ⅰ[『東洋学芸雑誌』ほか雑誌 20 誌に掲載された論考] 第4巻=雑誌論考Ⅱ[『彗星』ほか雑誌 12 誌に掲載された論考] 第5巻=雑誌論考Ⅲ[『ドルメン』ほか雑誌7誌に掲載された論考] 第6巻=新聞随筆[『牟婁新報』ほか8紙の新聞及び『週刊朝日』に掲載された随筆と、未発表の随筆を収録] 第7巻=書簡Ⅰ[主として明治時代のもの。在米時代・神社合祀問題関係他] 第8巻=書簡Ⅱ[柳田国男、高木敏雄、その他民俗学関係の人々に宛てた書簡] 第9巻=書簡Ⅲ[第7・8巻収録以外の多方面に及ぶ書簡] 第 10 巻=英文論考・英訳方丈記・初期文集他 A Japanese Thoreau of twelfth century(英訳『方 丈記』) [ 『英国王立アジア協会雑誌』(1905)掲載 文末に鴨長明に関する2つの註釈あり。ロンドン大学総 長ディキンズとの共訳] The constellations of the far east(極東の星座) [ 『Nature』 (1893)掲 載] Footprints of Gods(神跡考) [『Notes and Queries』 (1900)掲載]他 別巻1=書簡補遺・論考補遺 The origin of the swallow-stone myth(英文『燕石考』) [草稿 1899? ~1903]他、補遺 別巻2=日記・年譜・著述目録・総索引


平凡社の歴史ー1914 下中弥三郎が自著の小百科事典「や、此は便利だ」の販売のため創立。
1927 「現代大衆文学全集」60巻の刊行開始。円本時代を築く。1928 「大百科事典」全28巻刊行を発表(1934年完結)。名実ともに「事典の平凡社」となる。
1945 戦時中の休業状態から再出発。「大百科事典」復刻、「社会科事典」「家庭科事典」「世界美術全集」「世界歴史事典」「児童百科事典」など刊行。
1954 創業40周年記念として「世界大百科事典」全32巻刊行を発表(1959年完結)。1961 「国民百科事典」刊行開始。空前の百科事典ブーム。1963 日本初の本格的グラフィック月刊誌「太陽」創刊。
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1964年11月ー平凡社『世界大百科事典』明石染人「沖縄ー工芸」(左上ー尚順)
1969 初のオールカラー事典「アポロ百科事典」刊行。1972 「別冊 太陽」創刊。ムックの先駆けとなる。
1973~ 「南方熊楠全集」「中国の歴史」「中国石窟」シリーズ、「日本の野生植物」、新版「大百科事典」「世界大博物図鑑」「動物大百科」、「日本歴史地名大系」(刊行中)、「日本史大事典」など刊行。1993 文庫「平凡社ライブラリー」創刊。1997 デジタル百科「CD-ROM版 マルチメディア・マイペディア」発売。
1998 「CD-ROM版 世界大百科事典プロフェッショナル版」発売。「日本動物大百科」全11巻が完結。1999 「平凡社新書」創刊。
2001 「日本の野生植物」全7巻、「白川静著作集」全12巻が完結。2004 「日本歴史地名大系」本巻48巻が完結。白川静「新訂 字統」刊行。2007 改訂新版 世界大百科事典 刊行。

1928年 世界美術全集 平凡社 全 36冊

1929(昭和4)年
     『世界美術全集』第21巻 平凡社「琉球美術各論」
           □伊東忠太「琉球芸術総論」 鎌倉芳太郎「琉球美術各論」
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2月ー平凡社『世界美術全集』第21巻□鎌倉芳太郎ー(彫)天尊像、(絵)尚円王御後絵、尚貞王御後絵、尚純公御後絵、金剛法会図細部、渡海観音像(自了)、高士逍遥図(自了)、(工)放生池石橋欄羽目、観蓮橋石欄羽目、瑞泉門石獅、歓会門石獅、正殿唐破風前石龍柱、御盃及御酒台並浮彫金箔磨大御菓子盆及小御菓子盆、美花御小飯並浮彫金箔磨大御菓子盆、あしやげこむね橙紅色 子地雲龍鳳文綵繍牡丹雉子文綵繍□伊東忠太ー(建)守礼門・冕ヶ嶽石門、沖宮、天久宮、円覚寺仏殿、円覚寺三門、崇元寺石門、霊御殿(玉陵)
1929-3    『世界美術全集』第22巻 平凡社 

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2011年3月19日ー東北・関東大地震・大津波・原発大事故
 3月18日ーアメリカ政府は福島第一原発から80キロ以内のアメリカ人に対し避難を改めて勧告したという。先日のカン総理」とアメリカ大統領の電話会談は「どうしょうも無い」ということだったのか
3月19日ー『沖縄タイムス』「震災死者6911人ー『阪神』超え戦後最悪」「原発事故レベル5 福島第一 スリーマイル級」、『琉球新報』「犠牲者6911人」「評価『レベル5』スリーマイル同水準」。テレビでは特にNНKが相変わらずネクタイを締め身だしなみを整えたアナウンサーやコメンティタ―が冷静沈着に発言し全く危機感は感じられない。まあ見ていて楽観的になり精神衛生的には良いかもしれない。民放は日常の番組となりコマーシャルも多い。

 テレビ放送は原発大事故は東京消防庁が目立ち自衛隊が印象は薄い。自衛隊員の安全確保優先で救助作業を行っているらしい。しかしこれで核戦争が起こったとき、どう対処するか心配になる。ここはやはり国民の安全を優先にすべきである。国民」は兵器の所持は禁止されているのだから。カン総理はアメリカの黒人大統領と電話で会見したそうだが「思いやり予算」(1995年ー2714億円、・・・2010年ー1881億円)は要らないという話なのか。今も沖縄上空を飛ぶ軍用機の燃料もただちに被災者に回すべきだ。

 3月20日ー那覇は今日も暑く汗ばんでいる。市内は車で溢れかえって、スーパーは商品であふれている。こういう亜熱帯の島に無機的な軍事基地が一等地を占めている沖縄島!。何時まで基地は居るつもりなのか。新聞も評論家もガス抜きばかりせず真摯に取り組んでほしいものだ。東北・関東大震災は地震だけでなく大津波、人災の原発大事故。加えて、無情にも雪が降る。原発の大事故では自衛隊は核戦争では役に立たないのが明確になった。テレビや本で稼いでいる田母神とかいう自衛隊幹部は後輩にどういう教育をしたのか問われる。カン総理が自民党総裁に入閣を要望したが断られたようである。原発は元々は自民党時代から進められたもので自民党総裁も結果責任を取るべきだ。

 3月23日ーテレビは石原軍団やタケシ軍団が覇権を争っている。世はまさに「国難」である。にも関わらず、ネクタイを締めた原発の専門家と称するコメンティタ―が出演料を稼いでいる。そんな暖房の利いたスタジオで喋るヒマがあれば現場に行きアドバイスなりで協力すべきであろう。テレビも節電のため出来るだけ消そうではないか。そして新聞や週刊誌を見よう。

1963年ー岡本太郎「妖怪ー放射線の怖ろしさは誰でも知っている。ましてや日本人は現実的に被害をこうむり、恐怖の実感は身にこたえているはずなのだが、誰でも、いやなことは敬遠し、なるべく忘れてしまおうとする。それに奇妙に宿命論者だ。だから案外のんびりしている。」
1967年
5月ー『スペース・デザイン』岡本太郎□藝術と遊びーわれわれはひたすらに、生きるために生きている。さらに残酷にいえば、すべての生命はその帰結である<死>に向かっている。生きるということ自体、遊びではないか。

1995年2月6日『朝日新聞』「窓ー中国の人々にとっても、今度の地震はひとごとではない。神戸には多くの華僑や留学生らが住んでいる。そのうえ、今から19年前、河北省唐山を襲った大地震の記憶がまだ生々しいからである。唐山地震は午前3時すぎに起こった。石や煉瓦を積んだだけの民家は全滅し、死者24万人、重傷者8万人を出した。・・阪神と唐山。この二つの大地震から、日本も中国も、それぞれに教訓を引き出すことができないだろうか。」

□2003年1月1日『日本経済新聞』「失くしたものはー街は『無』があふれていた。無気力、無反応、無関心、無目的、無作法、無表情、無常識、無責任、無自覚、無自己、無抵抗、無意識、無批判、無能力、無学力、無教養、無節制、無定見、無思想、無プロセス」

2005年1月7日『琉球新報』の社説に「スマトラ沖地震・津波被災は死者15万人以上という未曽有の自然災害となった。負傷者は50万人、被災者は5百万人にも達する。米軍の津波救援は被災国のすきを利用し、軍備強化を狙う。これでは『火事場泥棒』と同じではないか。」とある。今回例のメアもドサクサにまぎれ日本担当に戻ったようだ。
2011年3月18日ー『琉球新報』社説
 効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか。東日本大震災への米軍の災害支援に絡めて、在日米軍が普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える。在沖米総領事館は、沖縄から基地従業員を含む海兵隊所属の約480人や普天間、嘉手納両基地所属ヘリ、第31海兵遠征部隊の兵員2200人が災害支援で被災地へ向け派遣されたと発表した。
 未曽有の大震災に伴う死者や行方不明者の捜索、被災者救援は急務だ。原発事故に伴う放射能への被ばくリスクがある地域で救援に取り組む人々には敬意を払いたい。しかし、災害支援は売名行為ではない。人道上の見地から本来、見返りを期待しない、崇高な精神でなされるべきものだろう。在沖米海兵隊は「普天間基地の位置が、第3海兵遠征軍の災害活動に極めて重要であることが証明された」「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」と普天間飛行場の地理的優位性を強調する。悲しみに打ちひしがれる死者・行方不明者の家族や被災者への配慮はないのか。そもそも近傍の基地ではなく、被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか。地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。

 米軍の説明は、独り善がりで筋が通らない。政治的打算に基づく言動は、県民、国民の米外交に対する信頼回復にとって、かえってマイナスだろう。「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などと差別発言をして更迭された米国務省のケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ。メア氏は発言発覚後も学生が作成した発言録について「正確でも完全でもない」と非を認めず、今もって県民に謝罪をしていない。日本の「和」の文化を「ゆすり」と同一視する差別発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復権など願い下げだ。はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。


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ギャラリー春秋  経歴
1965年  福岡市祇園町にて開業
1969年  福岡市天神町にギャラリー天神 開設
1971年  東京銀座1丁目に支店開設(~1974年)
1974年  有名作家の個展を、玉屋・岩田屋・井筒屋 その他で開催
1979年  大阪府茨木市にギャラリー春秋 開設
1991年  大阪府吹田市に同支店 開設
1995年  阪神淡路大震災により吹田店 閉鎖

1995年 ギャラリー春秋『遊んたく春秋』発行・城谷初治(携帯090-8628-2986)





1995年 ギャラリー春秋『遊んたく春秋』第10号○贋物名人はうどんがお嫌いー30年前に起こった「古伊万里贋物事件」は世界中で話題になる程だった。白洲正子さんの「風姿抄」には、横石順吉一人の成せる業になっているが、実は横石嘉助と息子の順吉(土光)と弟の圭外の一家3人の作業である。この親子が揃って名工で、まず現川焼を再興し、それを嘉助の弟臥牛に譲り、つぎに長崎で三彩窯を興し、その後「古伊万里」に励む。嘉助、順吉が亡くなった後は、圭外が大活躍する。蒼風の花器を作りながら、古唐津焼の研究をし、彼が焼いた唐津焼を古唐津にする名人が居て、圭外作古唐津が量産された。鶏竜山や李朝の写しも見事に作り、幻の長与三彩も再現した。何れも彼が贋物を作ったのではなく、古美術商が古物にしてしまったのである。現在、作家とか先生と呼ばれて御殿に住む陶工の先代までは、どんな名工でも皆貧しかったのである。横石一家とて同じ事で、食べ盛りの頃でもご飯はなく、うどんが主食だったので、圭外は「うどんは見たくもない」といっていた。

2004年  那覇市山下町に移転

2004年2月17日~23日 リウボウ「大陶芸展」


2005年  リウボウにて第2回大陶芸展

2005年2月『沖縄タイムス』広告/「大陶芸展」(北大路魯山人)チラシ



2009年『ゆんたく春秋』○名護博物館にて山田正和織部焼展/新政権にもの申す/沖縄をもっと主張しませう 

魯山人の悲哀/古寺回想ー大阪にいた頃、子供が「動物園に行こう」と云えば、奈良公園に出かけました。春日野で鹿と遊ばすのです。小さい子が煎餅を手にすると鹿は群がってモミクチャです。鹿にもまれて子供が疲れると、私の時間です。日本中のいや、世界の人達が憧れている古寺に簡単に行けるのですから、あの頃のことが夢のようです。仏像は何といっても美しい。美しいものは幾回見ても飽きません。大佛さんの東大寺、阿修羅の興福寺、十二神将の新薬師寺、伎芸天の秋篠寺、十一面観音の法華寺、一寸、足を延ばせば薬師寺、唐招提寺、法隆寺があります。奈良のもう一つの楽しみは博物館です。四季折々の催は、思わぬものに出逢うこともあって嬉しいものです。私が一番嬉しかったのは「ピカソの陶芸展」に遇ったことです。正に予期せぬ出来事です。古寺のとりかこまれた中のピカソ。これは好運でした。古寺をより楽ましてくれるのが会津八一の歌集です。/会津八一自註 鹿鳴集/ブラザハウスグローバルギャラリー「河上知明燭展」/志野と織部

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沖縄烽火考・・・・・・・・・島袋和幸
日本烽火考・・・・・・・・・島袋和幸
近代沖縄を駆け抜けた東北人・福島県人・・・・・・・・・島袋和幸
関東大震災・・・・・・・・・島袋和幸
明治期沖縄の黎明 弁護士・前島清三郎・・・・・・・・・島袋和幸


2015年12月『歴史研究』島袋和幸「わが著書を語る 『鳥人・飛び安里考』<飛び安里・花火師安里>のなぞを追う」


右ーいわき市立いわき総合図書館「企画展 袋中上人ーいわき・沖縄・京都ー」/2015年10月「沖縄の軌跡」第166号<『琉球浄瑠璃』著者・松山傳十郎>
下ー右の顔写真は河原田盛美②

2015年10月「沖縄の軌跡」第167号<『琉球備忘録』著者・河原田盛美>
②河原田盛美 かわらだ-もりはる
1842-1914 明治時代の官吏。天保(てんぽう)13年10月5日生まれ。もと陸奥(むつ)会津藩(福島県)藩士。明治6年大蔵省にはいり,のち農商務省に転じ,水産局で「日本水産製品誌」を編集。24年帰郷し,36年福島県会議員。大正3年8月15日死去。73歳。通称は愛七郎。著作に「日本農学捷径」など。 →コトバンク

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1956年7月
  『基地沖縄』編集発行人・中山盛徳・大阪市大正区北恩加島町108番地 電話泉尾(55)1584。記者に元『南西新報』(1947年)編集発行人だった富本(阿嘉)繁

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1956年8月11日
 『基地沖縄』第3号/社説「残忍な米軍」、「原水爆禁止世界大会(長崎)沖縄代表の報告」、奥里将建「三味線と蛇皮線」、井伊文子「望郷」
1956年8月21日
  『基地沖縄』第4号/社説「日ソ交渉と沖縄問題」、「原水爆禁止大阪大会」、島尾敏雄「奄美大島の闘牛」
  仲吉良光「富盛大主式のソ連海峡航行案を笑う」、「琉大学生を処分」
1956年9月1日
  『基地沖縄』第5号/社説「警戒せよダレス発言」、仲吉良光「沖縄問題も絡む日ソ交渉」、「沖縄土地取上反対ー尼崎市民大会」、奥里将建「四原則運動と廃藩置県」、「沖縄救援へ全国民的組織の確立ー社会党や労組で決定」
1956年9月11日
  『基地沖縄』第6号/社説「感情的な琉大処分」、「沖縄民主党分裂か」、「最後の勝利を信ずー瀬長亀次郎 沖縄人民党書記長」、石野径一郎「沖縄の木(ガジマル)」、「沖縄問題の解決を期し阪南地区大会ー綱引きの旗頭を持って入場」
1956年9月21日
  『基地沖縄』第7号/社説「米国製の土地問題予備会談」、「北友クラブの要求に比嘉主席屈服」、伊波南哲「おとなしい沖縄人」、憂郷塾「郷土の指導者に訴える」「12号台風襲来ー沖縄本島被害甚大」         
 矢野酉雄「『基地沖縄』紙の大乗的使命」、奥里将建「葱花輦上の尚真王の母后」
1956年10月1日
 『基地沖縄』第8号/社説「四原則運動に一大暗影」、「台風被害深刻」、豊川忠進大阪沖縄県人会連合会会長「会員に告ぐー来る10月6日、大手前会館で沖縄日本復帰大阪連絡協議会の結成大会が開かれます。会員多数参加されるよう御通知いたします」、「矢野克子詩集『梯梧』」、「南方同胞援護会長に澁澤敬三氏」、「米軍酔っ払い乗用車、女学生6人を轢殺」
1956年12月21日
 『基地沖縄』第16号/社説「生命は刻々おびやかされているー知念地区の三叉路の女学生轢殺」、「沖縄の良識をかけた那覇市長選ー繁栄か 永久占領か」、「沖縄総局・大山朝常」、「仲宗根源和の『手紙』一括払いの謀略」
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京都円山公園で中山盛徳(写真提供・仲間恵子)/『琉球新報』1954年8月4日

   
1958年3月13日
 『基地沖縄』第21号/ー沖縄を守る会中央機関紙(発行編集人・宮川寛雄)東京都浜松町3の1
 関西支局・大阪市大淀区浪花町2
 「沖縄を守る会発足ー会長・兼島景毅、副会長・上江洲久、同・玉城義三郎、事務局長・永山盛保」
1958年4月3日
 『基地沖縄』第23号ー沖縄を守る会中央機関紙(編集発行・真喜志康守)東京都港区浜松町3の1

 関西支局・大阪市大淀区浪花町2

1962年4月25日
大正区沖縄県人会機関紙『新沖縄』第1号(編集発行・伊豆味正浩)□「中山盛徳氏ー保険業、元大正区沖縄県人会長・中山盛徳氏は4月1日午後10時心臓麻痺で急逝した。氏は屋部村出身、日本復帰運動の熱心な協力者で故伊江朝助、仲吉良光、神山政良諸先輩に常に蔭の協力者として私財を出資し、昭和32年のプライス勧告反撃、四原則貫徹運動には独力で『基地沖縄』を一ヵ年にわたり発行し、県人を感激せしめた。葬儀は4月3日自宅(堺市南三国丘町3ノ110)で行われたが、悪天候にもかかわらず知名人多数参列、盛儀であった。」


沖縄見つめた亡父の新聞 息子ら5人が“再会”
「基地沖縄」 故中山さん創刊
父である中山盛徳さん発行の「基地沖縄」など関連資料を閲覧する、福永淑子さん(左端)ら5人のきょうだい=10日、那覇市・県立図書
 1950年代、大阪市の大正区沖縄県人会長を務め、沖縄問題を扱った新聞「基地沖縄」の編集発行人だった中山盛徳さん(故人)の長男ら5人が来県し、10日に県立図書館を訪れ、所蔵されていた同紙を閲覧した。長男の弘さん(69)らは、父の思いが込もった新聞を手に取り「これだけ残っているとは思わなかった。父を尊敬する気持ちが新たになった」と感慨深げに語った。(友利仁)

 「基地沖縄」は56年、中山さんが私財を投じて創刊された。全国の県関係者に向けて沖縄の復帰運動などを報じた。新聞紙サイズの表裏2ページで月3回の発行を続けたが、翌年には発行元が東京の「沖縄を守る会」に引き継がれている。

 県立図書館には、第3~25号が所蔵されている(うち9~20号が欠落)。第3号には「残忍な米軍」と題した社説を掲げ、長崎で開かれた原水爆禁止世界大会に沖縄代表として出席した瀬長亀次郎さん(元衆院議員)の発言について取り上げたほか、歌人の井伊文子さんや作家の島尾敏雄さんらが寄稿している。中山さんの長女の福永淑子さん(76)=大阪府高槻市=は「(父は)苦しんでいる人を助けなくてはいられない人だった。仕事も財産もこの運動につぎ込んでいた」と振り返り、配達や集金、全国の読者向けの郵便発送など手伝っていたという。

 弘さんは「創刊翌年の春には家を売り払い堺市に引っ越した。家族は苦労したが、父が情熱を傾けた新聞を目の前にすることができてうれしい」と話した。中山さんの手を離れた「基地沖縄」はその後、発行元と紙名を変えていき、最終的には沖縄返還同盟の機関誌「沖縄事情」へとつながる。

 今回、資料の所在を案内した那覇市の収集家、新城栄徳さん(61)は「政治とは無縁の大阪の地で、正義感を持ったウチナーンチュが個人で始めた新聞。中山氏は新聞から離れた後も、『復帰男』と呼ばれた仲吉良光氏と提携し、復帰運動を後押しし続けた。個人がともした火が組織的な運動へとつながりユニークだ」と話した。

 

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会場内の沖縄文庫で沖縄本を販売する新城栄徳。いつも岡本太郎の太陽の塔を見ながら、民博はまだできていない。/このときの陶器コーナーではシーサー造りの名人・島常賀翁と、陶芸家で駆け出しの平良幸春氏とは一緒に陶芸の用具や釉薬などの材料の店、常賀翁のシーサー造りを2カ月以上観てきた。常賀翁の三線模合仲間の宮城美能留(宮城 稔)沖縄歌舞団団長の宿泊先のホテルに、一緒に見舞いに行った。



『青い海』1974年5月号「大沖縄展3/23~6/2」


写真左から新城栄徳、平良幸春(日展会友)氏

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1952年7月21日『球陽新報』「1周年記念祝賀行事ー第三部 島晴美先生」/1974年ーエキスポランド「大沖縄展」案内パンフ(表紙の踊りは島晴美さんの娘)


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1971年 沖縄の雑誌『青い海』12月号 崎原恒新「文学作品にみる沖縄(2)屋良朝陳『巴旗乃曙』ー琉球の独立をめざした人びと」
 
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写真左から、崎原恒新氏、新城栄徳、宮里一美さん(本部)、平良幸子さん(謝名城)、平良次子さんー南風原文化センター


那覇市歴史博物館所蔵「巴旗」/左ー新城栄徳

1946年3月 屋良朝陳『巴旗乃旗』文化琉球人会(奈良市)/1971年9月 『石の声』№8

龍脈/屋良朝陳「文化琉球人会」奈良市
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文化琉球人会の刊行物
文化琉球人会(那覇聾話学校疎開・屋良学園内ー奈良市南城戸町29番地)
1946年3月 屋良朝陳『琉球秘史劇・巴旗の曙』(活版)
1946年6月22日 月刊雑誌『大琉球』6月号□樋川虔淵「國是として文化日本の建設」、「組踊・手水の縁」(朗読用)、屋良朝陳「巴党の動向」
1946年6月 屋良幾久枝『琉球史劇・長虹堤異聞』
1946年9月22日 月刊雑誌『大琉球』第三号□屋良朝陳「琉球民俗史」、樋川虔淵「日本國是として『美・仁・柔』を掲げよ」、平敷屋朝敏「若草物語」
1946年10月 月刊雑誌『大琉球』第四号□「組踊・護佐丸」
1947年7月22日 屋良朝陳・松村克彦『琉球夜話』
1947年7月29日 屋良朝陳・松村克彦『琉球年中儀令』
1947年7月22日 月刊雑誌『大琉球』第五号「組踊・國吉のひや」
1947年8月 月刊雑誌『大琉球』第一号「組踊・手水の縁」『琉球王代記・巻之一』

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 やって来たのは豊見城市名嘉地。ここに読者の皆さんにご紹介したい人物がいます。名前は城谷初治(しろたに・はつじ)さん。現在89歳ですが、活発な口調からは、とてもその年齢には思えません。城谷さんが作るシーサーで一番小さいものは、なんと1センチ・2グラム! 陶芸を始めたきっかけは何だったのでしょうか。「私はもともと、50年ほど前から日本全国の作品を集めて展示する『ギャラリー春秋』を運営していました。人間国宝の金城次郎さんの作品をいち早く県内外に展示販売していましたよ。5年前に閉めて、時間ができたもので、ずっと好きだったシーサーを趣味として作り始めたのがきっかけですね」城谷さんは、長崎県のご出身。仕事の縁でまだ復帰前だった沖縄を訪れた後、ギャラリーの運営などで福岡・大阪での生活を経て12、13年前に沖縄に移住。「ここにいると太陽のおかげか、すこぶる体調が良い!」と話します。→「島ネタCHOSA班」2016年03月17日[No.1612]


写真左から末吉安允氏、城谷陽くん、城谷初治氏

城谷陽くん「絵」

城谷陽くん「作品」城谷初治・書/城谷陽くん「書」

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1999年5月3日 那覇市民会館「99憲法講演会」で、佐高信氏著『タレント文化人100人斬り』(現代教養文庫1998年)にサインしてもらう。


2016年6月 佐高信『メディアの怪人 徳間康快』講談社/1999年1月 高杉良、佐高信『日本企業の表と裏』角川文庫

企業研究/『企業のやくざ化』と『やくざの企業化』
2015年6月2日『沖縄タイムス』「戦後70年 私たちはどこへ 黒幕 表舞台にー児玉の系譜 今も「闇の仕事」政権に協力ー戦後最大の疑獄 ロッキード事件/インタビュー 佐高信□「(略)最近、総会屋が減ったと言うが、『企業のやくざ化』と『やくざの企業化』が進んだだけ。裏社会との癒着は形を変えただけではないのか」

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 創刊1934年(昭和9)1月。創刊以来、古今東西のあらゆる書物や、古書探求にまつわる人々の話題を、研究的にまた読んで楽しい随筆として掲載してまいりました。各地で発行された知られざる特殊文献の紹介、古書即売会などイベントの情報、書物に関した展覧会情報などのコーナーも喜ばれています。→日本古書通信社



□1960年に琉球放送を定年退職した國吉眞哲は琉球学の本の蒐集活動に力をいれた。定期購読をしていた『日本古書通信』(1962年12月)に「二つの『ふるさと』河上博士と伊波氏」と題して、河上肇の自筆影本『ふるさと』を入手した経緯を書いている。1963年3月の『日本古書通信』には「戦前の那覇市は人口6万、書店3軒、古書店1軒、映画館2館という、もの静かな町でしたが、戦後は人口23万、書店70余、古書店2軒、映画館15と膨張しました。現在の沖縄は消費一辺の街として島全体がごったがえしています。東京の立川基地付近とホンコンをくっつけたようなところでしょうか。文化人や芸能人が、ここ2,3年多数来ています」と書いている。

全国の古本屋から国吉翁に送られてきたハガキ

國吉眞哲の琉球放送時代の部下に真栄城勇が居る。真栄城も國吉同様コレクターで切手がメインだが新聞・雑誌からチラシ・ビラ何でも蒐集する。そのコレクションを整理し、2001年に『沖縄がらくた文化ー品々が伝える、あの時、その頃』を沖縄マリン出版から発行した。それが切っ掛けで沖縄コレクター友の会が発足し真栄城は初代会長に就いた。

1963年7月 『日本古書通信』通巻408号 山宮允「詩書蒐集の思い出」/柴田宵曲「雑書雑読の楽しさ」/森銑三「娯息斎詩文集の著者」/「長谷川伸著書目録」/井荻艸房主人「文士雅号の由来(7)」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」/「訃報 伊藤一男 長谷川伸」/1960年7月 『日本古書通信』別冊1号 

1963年8月 『日本古書通信』通巻409号 庄司浅水「わが愛書の記」/小田切進「近代文学館の構想」/沢田伊四郎・森谷均「限定本 豪華本 本づくり30年」/井荻艸房主人「文士雅号の由来(完)」/「近代文学研究書 時価目録」/「訃報 山之口貘」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」

1963年8月 『日本古書通信』通巻409号 庄司浅水「わが愛書の記」/小田切進「近代文学館の構想」/沢田伊四郎・森谷均「限定本 豪華本 本づくり30年」/井荻艸房主人「文士雅号の由来(完)」/「近代文学研究書 時価目録」/「訃報 山之口貘」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」

1963年9月 『日本古書通信』通巻410号 西田長寿「明治新聞雑誌文庫」/市古貞次「国書総目録の編纂に加わって」/津田きよし「大阪古書組合創立40周年を迎えて」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」
 
1963年10月 『日本古書通信』通巻411号 丸山信・樋口秀雄「書物関係展覧会一覧(1)」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」
1963年10月 『日本古書通信』別冊2号
1963年11月 『日本古書通信』通巻412号 丸山信・樋口秀雄「書物関係展覧会一覧(2)」/「訃報 ジャン・コクトー 渋沢敬三」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」

1963年12月 『日本古書通信』通巻413号 大久保利謙「憲政資料室」/渡辺宏「マルコ・ポーロの旅行記」/「今年の古本界」/木村毅「時の人・時の本 サニエル著 日本とフィリピン」/丸山信・樋口秀雄「書物関係展覧会目録一覧(完)琉球と薩摩の文化展覧会目録」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」


1972年5月 太田臨一郎『古書展覚え書』(古通豆本・11)/1988年11月 弥吉光長『チェンバレンの交友』(こつう豆本・82)

1983年5月 『日本古書通信』通巻646号 朝倉治彦「人と日記/イギリス公使館・東禅寺詰日記」/佐藤良雄「『仏蘭西文學研究』第一号のひとびと」/服部清道「少雨叟のこと その他」/中村幹夫「藤村の逸文」/御荘金吾「南米古本屋談義(3)ーブラジルの古本事情」/「木俣修 著書目録」/アン・ヘリング「続・縮緬本雑考(7)」/上村直己「『独逸學協会雑誌』及び『學林』について」/「変貌続ける神保町」/小梛精以知「古本屋人脈記(2)一誠堂の巻(下)」/「専門店と語る/野本孝精氏ー紙クズ、珍品のデパート アベノスタンプコイン社」/深井人詩「最近の書誌圖書関係文献」/「柴田宵曲翁日録 抄(23)」/「訃報ー英美子、近藤真柄、戸川猪佐武、尾崎一雄、平尾幸豊、高垣眸、木俣修、岸本誠二郎、高尾彦四郎」

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2013年12月『愛郷無限ー沖縄に生きる奄美人/創立60周年記念誌』沖縄奄美連合会(奥田末吉)

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1980年11月 『郷友会』琉球新報社□瀬戸内会(古仁屋、西方、鎮西、実久)/沖縄徳洲会/沖永良部/喜界/与論 



1982年12月 沖縄の雑誌『青い海』118号「郷友会社会の沖縄」

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1983年8月23日『琉球新報』「沖縄の中の他府県・県人会/奄美連合会」

あまみ/2016年7月3日 琉球サンロイヤルホテル「沖縄奄美連合会 定期総会/懇親会」②




ワイド節を謡う会長
ワイド節誕生→google「ワイド節 - セントラル楽器」

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