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会場受付/翁長盛武氏 作品「花火大会」


山田勉氏と松島弘明氏/中山良哲氏 作品「異国情緒」「予約席」



山田實さん遺作


中村浩一氏 作品「渚にて」「ジャンプ!」/辺士名朝吉氏 作品「エイサーおいで!」




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1982年6月 牧港篤三・儀間比呂志『沖縄の悲哭』集英社
〇牧港篤三ー序文 戦争とは、なんと出口のない深い森のようなものであろう。かと思うと、それは多くの人間たちの漂う際限のないむごい死の海のようでもある。漠として捉えどころのない地中から吹きあげる呪咀にみちた叫び、暗い壕内を走る水流の、いずれは火山帯・古生層・第三紀、四紀層など地獄の底をくぐって、大洋に注がれる、潮との合流点で、気泡となって空に昇る危険な空転と繰り返し。-沖縄戦のばあい、時間と場所によって戦争は状況をまったく異にする。
 飢えと血の恐怖、むき出しの憎悪、愛とそねみ、誤った過信、千差万能の地獄図絵である。この一冊にまとめた詩は、そのように沖縄戦の一点でしかなく極微粒の一部分でしかない。読者のために、すこしでも鑑賞の案内となれば幸いである。主題の「水」「火」「空」といった腑分けは、ほんとうはどうでもよく、便宜上そうしたまでである。勿論、各詩篇をつらぬく主調は沖縄戦という国土内で行われた戦争である。
 「沖縄の悲哭」というタイトルは、それを凝縮したものといえる。名付けた人は、ジャーナリストで、沖縄平和をつくる百人委員会の代表豊平良顕氏。-詩画集におさめてある作品は、ほとんどが異常といえる戦場生活のなかで体験したことを時には深層に沈潜し、日常の片々とした襞のようなものを歌ったものである。異様な世界のなかに圧縮された、非日常性の死。・・・・それが詩の狙いといえば狙いでもあった。


儀間比呂志と牧港篤三(右)/牧港篤三(左)と新城喜一氏


儀間比呂志氏、牧港篤三(右)、後右が東江清俊氏、新城栄徳/平良次子さんと儀間比呂志氏

牧港篤三1912-2004 昭和-平成時代の新聞記者,平和運動家。
大正1年9月20日生まれ。昭和15年沖縄朝日新聞入社。戦後の23年「沖縄タイムス」の創刊にくわわり,のち専務。58年アメリカ公文書館所蔵の沖縄戦記録フィルムの買い取り・上映をする「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」(平成16年吉川英治文化賞)の結成につくし,のち代表をつとめる。詩人としても知られた。平成16年4月14日死去。91歳。沖縄県出身。著作に太田良博との共著「鉄の暴風」。ほかに「沖縄精神風景」など。 →コトバンク





『琉球新報』1936年11月1日「榕樹派ポエジイ展」(琉球新報記者・国吉真哲が設けた)牧港篤夫「河」
、愁麗(のちの瀬長亀次郎夫人)「意慾」、イケイ雅「波の音」「茶の花」「怨詞」、知念秀彦「できごと」、玻名城長正「冬の華」、松山聖「ピュウリタンの町の中で」

1980年11月 牧港篤三『沖縄自身との対話・徳田球一伝』沖縄タイムス社/1986年11月 牧港篤三『幻想の街・那覇』新宿書房〇詩人の風景(1)仲村渠、(2)佐藤惣之助、(3)山口芳光・有馬潤 司馬遼太郎「ふかい陰翳」

1985年8月 豊平良顕編『ジャーナリストの証言 昭和の戦争5 悲哭ー沖縄戦』講談社〇牧港篤三「体現的沖縄戦記ー地獄を見た者」

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2004年6月ー牧港篤三『沖縄人物シネマー会った人、すれちがった人』ボーダーインク□沖縄を訪れた偉才たち/駆け抜けていった人々
2005年8月ー『KANA』第11号<特集・牧港篤三追悼>

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2017年7月27日 那覇市民ギャラリー「古堅希亜 写真展 TRADITION 有と無のはざまのこと


2014年7月22日~27日 那覇市民ギャラリー「第50回 写真展  ニッコールクラブ沖縄支部」古堅希亜氏と作品「Peace」
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1973年5月 沖縄の雑誌『青い海』23号 名嘉正八郎「破壊される文化財/」先人との対話を 未来の創造を
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1996年10月 名嘉正八郎『図 沖縄の城』那覇出版社/左ー名嘉正八郎氏、真栄平房昭氏、新城栄徳


2005年3月 伊是名村教育委員会・名嘉正八郎『銘苅正太郎関連資料集』伊是名村教育委員会

 仲田清一郎 2020-2良く存じ上げています。沖映寮で3年ほど一緒でした。浦添のお宅にお邪魔したこともあります。早く亡くなられたのは残念です。「中山世鑑」の研究にも造詣が深かったのではと思っています。正八郎さんの「図説沖縄の城」もいただいています。
 国吉 多美子 わたしも少しお手伝いをしたのですが、名嘉さんがいらっしゃらなかったら、「歴代宝案」は世に出ませんでした。名嘉さんの企画です。その後、名嘉さんにはいろいろお世話になりました。「歴代宝案」の件で一緒に(4名)中国に行ったことも今は懐かしい思い出です。面倒見の良い方でしたね。


2019年7月 真栄平房昭『旅する琉球・沖縄史』ボーダーインク

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1974年12月 沖縄の雑誌『青い海』38号 川田(嘉数)松夫「新作民謡の今と昔」

1953年3月21日『球陽新報』「関西芸能界の一異彩たる川田礼子姉妹は先般の日劇”日本民謡集”で東都にデビューすることになった」



2003年3月28日『沖縄タイムス』

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1974年7月 沖縄の雑誌『青い海』35号 宮城悦二郎「伊江島で戦死したヒューマンな従軍記者 アーニー・パイル」

1982年12月 宮城悦二郎『占領者の眼』那覇出版社

1982年12月 宮城悦二郎『占領者の眼』那覇出版社

写真左から渡口善明氏、新城栄徳、宮城悦二郎氏
□宮城悦二郎氏死去/元琉球大教授 ①宮城悦二郎氏(みやぎ・えつじろう=元琉球大教授、元沖縄県立公文書館館長)2004年6月7日午前10時、肺がんのため那覇市の病院で死去、71歳。沖縄県出身。自宅は那覇市首里汀良町2の25の5。葬儀・告別式は9日午後2時から那覇市首里寒川町1の2、安国寺で。喪主は妻逸子(いつこ)さん。戦後の沖縄で米誌などの記者を務めた後、琉球大で米国の沖縄占領史や米統治下の沖縄マスコミを研究。「沖縄戦記録フィルム1フィート運動」など平和運動にも参加した。

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 古波蔵保好という名前を知ったのは、『青い海』1971年4月号の古波蔵氏の「非常識青春論ーハジの効果について」を読んでからである。それから古本屋などで古波蔵氏の本を見かけると買っていた。国吉真永『沖縄・ヤマト人物往来録』(同時代社1994年)に古波蔵氏は「在京沖縄県人のジャーナリストも少なくない。戦前派で現在も評論家として活躍しているのが古波蔵保好(76)=港区六本木=である。東京外語大2年のとき左翼劇団に入って逮捕され、それが原因で退学させられた。帰郷して、1931年に沖縄日日新聞記者になる。1938年、全国紙の毎日新聞に転じ、名文記者で鳴らした。在職中から、文春など月刊誌や週刊誌、日刊紙に社会評論を寄稿していた。同新聞社を定年退職後も評論家として文筆活動を続け、著書も多い。1982年『沖縄物語』で日本エッセイストクラブ賞を受賞している。古波蔵には『料理沖縄物語』があり、来年は『芸能沖縄物語』の出版を予定している。『これで沖縄物語』三部作が完結するわけで、肩の荷も下ります』と笑顔で話した」と紹介されている。

1940年 東京日日新聞社川崎通信部に勤務。先輩記者の仲吉良光の娘・アサと結婚。


1963年4月ー古波蔵保好『非常識夫婦論』文芸春秋新社/古波蔵保好『私設名画館』(洋酒マメ天国第28巻1968年5月)


1939年5月23日ー『沖縄日報』


1971年5月29日『サンデーおきなわ』




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1972年1月 沖縄の雑誌『青い海』9号 儀間比呂志×岡部伊都子「対談 沖縄のこころ を語る」
〇儀間ーボクは大和の差別を告発する人たちは、自らも過去において先島に対して犯してきた過ちを認めて、被害者であると同時に加害者でもあったふうに考えないといかん、と思うのです。岡部ー本土の内でも世界の各国でも、被差別者が差別者となっていくことが多い。それは差別をつくる仕組みのせいでもありますね。だから「差別をつくるしくみ」と闘わなくては。(略)儀間ー沖縄を愛するんだったら、沖縄に住んで仕事をすべきだ、共に苦しみを味わうべきだという考え方があります。ボクなんかも、大阪という安全地帯にいて沖縄を描いている、だから君は沖縄を売りものにしている半沖縄人だというレッテルを貼るんですね。

 
1988年11月 岡部伊都子『伊都子南島譜』海風社 〇誰がしたのーその日、わたくしは枚方の儀間比呂志展を観ていました(1986-6)/『読売新聞』1995年1月6日 「ふれあいトーク 今月のゲスト 岡部伊都子さん」川崎一朗ー戦争で人間が死ぬことは、人類という生き物が適正な環境で生きていくための必要悪、と考える人もいます。岡部ー過去の世界の歴史実情を見れば、そういう考えも出てくるかと思いますが、もはや自分から地球の生命体を考える時、犠牲者を出していいという気持ちに、私はなれません。他を苦しめ、おとしめるような愛は、本来の愛ではありませんし、戦争を是認するような宗教もまた、本当の宗教ではないと思いますね。

     
1997年4月 岡部伊都子『沖縄の骨』岩波書店
岡部伊都子 おかべ-いつこ
1923-2008 昭和後期-平成時代の随筆家。
大正12年3月6日生まれ。昭和31年「おむすびの味」でみとめられ,日常生活のなかの伝統美をこまやかな感性でとらえた作品で人気をえた。「二十七度線―沖縄に照らされて」など,戦争や差別にするどい視線をむけた著作もある。平成20年4月29日死去。85歳。大阪出身。相愛高女中退。著作に「賀茂川のほとりで」など。→コトバンク
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1975年7月 沖縄の雑誌『青い海』44号 石川真生「”少しの観光 〟の舞台裏ーホテルの労働争議を追ってー」

1991年5月 『石川真生写真集ー沖縄芝居 仲田幸子一行物語』/上原誠勇氏、石川真生さん、新城栄徳

1997年9月 那覇市民会館・名護市民会館『喜劇の女王 仲田幸子 芸歴50周年記念公演』



2017年9月5日~10日 那覇市民ギャラリー「石川真生 大琉球写真絵巻Part1~4」□石川真生ー「鬼畜米英」と叫びアメリカと戦った日本が、戦争に負けたら途端にアメリカのご機嫌取り。家来に成り下がっている。アメリカにすがって生きている国、日本。真の自立を未だにしていない国、日本。戦争の反省なんてどこ吹く風。アメリカの片棒を担いで戦争への道を突き進む日本。まるで日本はアメリカのポチだ。
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 『朝日新聞』7月18日ー「生涯現役」として著作や講演など幅広く活動してきた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明(ひのはら・しげあき)さんが、18日午前6時33分、呼吸不全で死去した。105歳だった。 1911年山口県生まれ。京都帝大医学部卒。41年から聖路加国際病院に勤めた。同病院内科医長、聖路加看護大学長、同病院長などを歴任。02年度朝日社会福祉賞。05年に文化勲章を受章した。専門は内科学。成人病と呼ばれていた脳卒中、心臓病などを「習慣病」と呼んで病気の予防につなげようと1970年代から提唱してきた。旧厚生省は96年になって成人病を生活習慣病と改称し、今では広く受け入れられている。87年からは小学生を対象に「いのちの授業」を続けた。多数の著書があり、90歳で出版した「生きかた上手」がベストセラーになった。

2013年4月30日~5月5日 那覇市民ギャラリー「戸澤裕司写真展ーカジマヤー(風車祝い)~島人をめぐる断章~」□この写真展は2012年10月5日~18日まで新宿エプソンイメージングギャラリーーepSITEでの展覧会、11月3,4日の聖路加看護大学の学園祭でのミニ写真展「カジマヤー(風車祝い)~ある親子の命の物語~」と継続巡回展の第3会場です。沖縄では、数えで九十七歳を子供に生まれ変わる歳として風車を飾って祝う。

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2012年11月3,4日の聖路加看護大学での写真展には、聖路加国際病院理事長 日野原重明先生もご来場。
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仲里正雄氏に送られた日野原重明氏の手紙と色紙

日野原重明 ひのはら-しげあき
1911- 昭和-平成時代の医学者。
明治44年10月4日生まれ。昭和16年東京築地の聖路加(せいろか)国際病院にはいり,内科医長をへて,49年聖路加看護大学長。のちライフ・プランニング・センター理事長,聖路加国際病院理事長,聖路加看護学園理事長。医学・看護学教育につくし,生活習慣病の予防やホスピス医療で知られる。平成11年文化功労者,17年文化勲章。山口県出身。京都帝大卒。著作に「命をみつめて」など。(→コトバンク)○日野原さんは1962年3月に琉球薬品、中外製薬の招きで来沖している。美智子妃の侍医としても知られていた。

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1972年7月 沖縄の雑誌『青い海』15号 多和田真淳「沖縄の貝塚 遺跡発掘に憑かれて」 


多和田真淳 1907-1990 昭和時代の教育者,植物研究家。
明治40年1月7日生まれ。沖縄第一中学をへて,戦後は首里高に勤務したのち,琉球政府林業試験場長などをつとめる。 沖縄の薬草など植物の研究,沖縄考古学の草分けとして知られる。平成2年12月21日死去。83歳。沖縄県出身。沖縄師範卒。著作に「沖縄薬草のききめ」など。→コトバンク
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写真左が山里永作氏






7月15日

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1976年1月 沖縄の雑誌『青い海』49号 井伊文子「新春随想 私の正月」

『琉文手帖』「歌人 山城正忠」
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『琉文手帖』3号の表紙「歌人・山城正忠」の題字は井伊文子さんが書かれたものである。

文子さんは父・尚昌について『はなのうむい佛桑花の念い』(1997年10月)に「若くして逝った父は本当に気の毒ではあったが、関東の大震災も、沖縄のみじめな敗戦も知らず、充ちたりた幸福の絶頂で生を終え、一面からいえば幸いであったかもしれない」と記している。
 □2004年11月ー井伊 文子さん(いい・ふみこ=旧琉球王家の末えい、故・井伊直愛元彦根市長の妻、歌人)22日午前9時45分、急性心不全のため滋賀県彦根市の病院で死去、87歳。東京都出身。自宅は彦根市松原町515。葬儀・告別式は24日午後0時半から彦根市古沢町1100、清凉寺で。喪主は孫の岳夫(たけお)氏。  1930年から歌人の佐佐木信綱に師事。37年、幕末の大老・井伊直弼のひ孫に当たる直愛氏に嫁いだ。52年から新短歌の歌人として活動。歌集に「浄命」「鷺ゆく空」など。72年には沖縄復興に向け社会奉仕団体「佛桑花の会」を結成した。

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資料「井伊文子」

平成5年11月ー井伊文子『四季折々』「蘇鉄ーお浜御殿とよばれているわが家の、今は見るかげもない廻遊式庭園にも、かっては築山に蘇鉄が植えられていた。大名屋敷の庭にはよく植えられたものらしく、復元された彦根城博物館(かつての表御殿)の庭にも元通り植えられたが、わが家の蘇鉄は冬の保護を怠った為にいつしか消滅してしまった。沖縄にはこの植物の自生林があり、私の生命の源流はここにあるという感慨を抱いている。寒さには耐えられない蘇鉄も、暖かい所ならば実に力強い生命力をみせ、赤い実を結び、雄花は天を突く。今になって、庭の蘇鉄を枯らしてしまったことが悔やまれてならない。

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1983年6月 沖縄の雑誌『青い海』124号 伊江隆人「書の空間」 

2015年11月24日~11月30日 リウボウ美術サロン「美術家・伊江隆人・淳 展」


写真右から伊江隆人氏、伊江淳君






伊江 隆人 ●いえ りゅうじん IE Ryujin
1947(昭和22) 沖縄県那覇市生まれ
1971(昭和46) 毎日書道展(都美術館)(~80年まで)
1974(昭和49) 大東文化大学(中国文学科)卒業
1975(昭和50)  第1回個展(パリ)
1982(昭和57)  個展(県民アートギャラリー/那覇市)
1984(昭和59)  ホアン・ミロ国際コンクール展(ホアン・ミロ美術館)入選
1985(昭和60) 個展―墨から版画(画廊沖縄/那覇市)ポーランド文化省主催、平和国際青年美術家展(トールニ市美術館)
1986(昭和61)  黒のパフォーマンス(企画:NHK-TV・大道小学校/那覇市大道小学校運動場)
ファブリケーション展(建築家 真喜志好氏一宅/那覇市)
1987(昭和62)  個展(画廊匠/宜野湾市)
1988(昭和63) 個展(画廊沖縄/那覇市)墨のパフォーマンス(ニューヨーク セントラルパーク) 個展(ニューヨーク)
1989(平成1) 個展(沖縄市文化センター/沖縄市)
1990(平成2) 個展(那覇市民ギャラリー/那覇市)
1992(平成4)  個展(パリ)
1993(平成5) 沖縄タイムス芸術選賞奨励賞
1994(平成6)  個展―扉より(リウボウホール/那覇市)
沖縄・日本・韓国交流美術展(沖縄コンベンションセンター/宜野湾市) 個展―扉より(高知) 個展―扉より(東京

2004年11月23日~29日

2009年1月2日

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1984年7月 沖縄の雑誌『青い海』134号 玉城節子「中城若松と私」 

1941年5月7日ー舞踊家・玉城節子、那覇辻町で生まれる。3ヶ月目に父・友盛の仕事で大阪へ。(1946年、帰沖し石川市に住む)


1977年3月9日 「第1回リサイタル・パンフレット」

1977年3月9日 「第1回リサイタル・パンフレット」山里永吉「リサイタルで更に飛躍を」/山里永吉画 

1977年3月9日 「第1回リサイタル・パンフレット」池宮正治「古典舞踊と創作」/1966年5月『守礼の光』


玉城節子さん、山田正宣氏、山田實さん/山田正宣氏(右)、新城栄徳

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2013年10月12日 「那覇大綱挽」写真左が玉城節子さん
撮影・真栄田静子


1999年7月 玉城節子『翔舞 琉舞に魅せられて』沖縄タイムス社/むんじゅる→撮影・大城弘明



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1982年2月 沖縄の雑誌『青い海』110号 芝憲子「ロンドン記録詩篇」

写真左から宮城義弘氏、芝憲子さん、加勢俊夫氏、新城栄徳/写真左から松下博文氏、新城栄徳、宮城義弘氏、芝憲子さん

資料「芝憲子」


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1981年 沖縄の雑誌『青い海』101号 石川文洋「ふるさと・沖縄への思い」


2015年6月16日~28日 タイムスギャラリー「石川文洋写真展/ベトナム戦争と沖縄の基地」
2015年6月16日 午後2時~3時 「石川文洋ギャラリートーク」
2015年4月 石川文洋『フォト・ストーリー 沖縄の70年』岩波新書
○饅頭の記憶、両親の思い出ー私の「沖縄への想い」は、確実に両親から受け継いだものだ。」沖縄の歴史小説や芝居の脚本を書いていた父・文一(本名・保田)の本籍は旧首里市鳥堀町1ノ18。母・清(旧姓・安里)は首里市儀保町1ノ16。父の実家は現在の咲元酒造前にあった饅頭屋「イシチャーマンジュウ」。赤く「の」と書かれた饅頭が評判で、県立一中や一高女などの入学祝などいろいろな祝い事によく売れた、と父が話していた。・・・・

 空港からいつも沖縄取材を手伝ってくれている中根修さんの自動車で辺野古へ直行した。(略)今、安倍政権は国家権力をもって反対する沖縄の民意を抑え込み、基地建設を強行しようとしている。これは民主主義に反する不正義である。辺野古に座り込む人々、カヌーに乗っている人や基地に反対している人たちは、平和な沖縄を築こうとしている。不正義に勝利はない。沖縄は私の故郷である。私たちは基地建設を許してアジアの同胞に対し加害者になるべきではない。




1981年 沖縄の雑誌『青い海』101号 石川文洋「ふるさと・沖縄への偲い」

1982年2月 沖縄の雑誌『青い海』110号 石川文洋「カメラ日記ー沖縄人気質」

石川文洋 いしかわ-ぶんよう
1938- 昭和後期-平成時代の写真家。
昭和13年3月10日生まれ。香港でスタジオ勤務後,昭和40年からフリーランスでベトナム戦争を,44年からは朝日新聞社所属で戦火のインドシナを取材。46年「写真報告―戦争と民衆」で話題をよぶ。48年日本写真協会年度賞。沖縄県出身。都立両国高卒。写真集はほかに「琉球舞踊」,著作に「戦場カメラマン」など。→コトバンク


2004年3月 石川文洋『戦争はなぜ起こるのかー石川文洋のアフガニスタン』冬青社


2015年6月17日 右が石川文洋氏、新城栄徳


2015年6月20日 左から大城弘明氏、新川 秀清氏、石川文洋氏


大濱 聡 2020-5-15


大濱聡 2019年6月2日

大濱聡 2019年6月


仲松 庸次ー2019-6-8 今日は写真家の石川文洋さんが那覇に到着それを迎えました

松島弘明ー我らが文洋さん、8日午後無事那覇市パレットくもじ前広場に到着した。昨年7月9日に北海道の宗谷岬を出発し、本州を南下しふるさとの沖縄まで約3500㌔を1年近くかけてみごと完歩した。80~81歳の快挙である。ゴールで黒く日焼けした顔をほころばせ、達成感に浸った。徒歩縦断の先々で「基地のない平和の沖縄」を訴えてきた。その道中記は、新聞の連載「石川文洋80歳列島縦断あるき旅」に詳しい。

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1983年8月 沖縄の雑誌『青い海』125号 高良勉「闇の言葉を解き放て」



資料「高良勉」

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1993年5月ーデニス・バンクス 森田ゆり『聖なる魂ー現代アメリカ・インディアン指導者の半生』朝日文庫/1998年ーデニス・バンクスと琉球人2人→【ニューヨーク共同】米先住民運動の指導者で、1973年にサウスダコタ州ウンデッドニー武装占拠を主導したデニス・バンクス氏が29日、米中西部ミネソタ州ロチェスターの病院で肺炎のため死去した。80歳。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が30日、報じた。


2014年5月20日~6月22日 沖縄県立博物館・美術館「麗しき琉球の記憶ー鎌倉芳太郎が発見した美」ー写真左が画家の新垣安雄氏、詩人の高良勉氏/2016年6月19日「米軍属事件に抗議し、被害者を追悼する県民大会」左が詩人の高良勉氏□2016年6月ー高良勉『山之口貘詩集』岩波文庫/中央が画家の新垣安雄氏□2016年7月2日~10日 南風原文化センター(☎098-889-7399)「第2回・遊子の風展ー千葉柏・沖縄交流展」/右端が写真家の大城弘明氏□2016年6月~8月29日ー不屈館(☎098-943-8374)「大城弘明写真展ー地図にない村」

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沖縄の雑誌『青い海』1975年11月号 大田昌秀「戦後沖縄の新聞興亡史」


写真左から大田昌秀氏、平山良明氏、元『青い海』編集発行人の髙江洲義寛氏




1985年6月 沖縄の雑誌『青い海』№142 大田昌秀「講演・沖縄戦を学ぶ基本的な前提」

1984年 雑誌『青い海』№135 平山良明「キジムナーの話」





左から平山良明氏、屋良健一郎氏、波照間永吉氏
2014年3月9日『沖縄タイムス』屋良健一郎「論壇ー表現力に富む伊波瞳第一歌集『サラートの声』ースケール大きくチャレンジも」


西里喜行氏と伊佐眞一氏

佐野眞一氏の顰に倣って、仲井真知事の経歴に触れようと思ったがネットで流す自体が品格(そんなものは持ち合わせてないが)に欠ける。もうひとつの理由は、仲井真知事や自公が悪いんでなく、それを選んだウチナーンチュが一番悪いと気づいたからである。高江洲義寛氏や友人たちがNHKのテンペストに関して批判を展開している。ことに西里喜行氏は八重山地区の教科書問題に通底するものと断定しておられる。八重山は中山義隆石垣パクリ市長を選んだことに起因する。選んだのは石垣市民である。災い(基地攻撃、テロなど)があれば当然に報いは石垣市民が受ける。

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1972年5月『青い海』13号 大城信也「よみがえれ 演歌よー沖縄フォークソング界への提言」


 大濱聡2019年3月11日■まよなかしんやー実は中学の同期生なのだが、在学時代はお互いを知らない(同期生が920人もいた)。ある時の同期会で顔を合わせて初めて認識し合ったのである。2015年に脳梗塞を患い右手足と言葉が不自由になった。かつてのように歌えなくなったが、再び歌うために懸命にリハビリに励んでいる。そういうなかでも、辺野古や各種集会には足を運び、新聞の論壇でも健筆をふるっている。頭が下がる思いだ。チバリヨー!しんや!


写真左が壱岐一郎氏①、二人目が中日関係史の郭承敏氏、3人目ー新城栄徳、4人目―まよなかしんや氏
①1931年9月、東京・雑司ヶ谷生まれ。滋賀に疎開。旧制四高(金沢)修了、東北大・法卒。九州朝日放送・北京放送勤務、東海大福岡短大・沖縄大勤務、元国会、交通記者。『扶桑国は関西にあった』葦書房=図書館協会選定図書、『継体天皇を疑う 東アジアから見た日本古代史の謎』かもがわ出版=図書館協会選定図書。日本記者クラブ会員、メディア総研研究員、日本マス・コミュニケーション学会会員、沖縄大学地域研究所特別研究員
 

1997年10月26日 『琉球新報』新城栄徳「書評/古本屋の来客簿」/郭承敏「書評/マスメディア文化の未来像」

2000年3月 壱岐一郎『映像文化論・沖縄発』編集工房 東洋企画
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仲宗根正順
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1994年8月の『読売新聞』に安黒正流が「アート前線」を書き漫画家の鳥山明の世界展についてふれている。
□それは美術館が漫画と小・中学生のために開放されただけでなく、時代の大きな変化を遅れた中高年に信じさせ、意識の変革を迫るインパクトを持っている。(略)手塚治虫以後の日本の漫画文化の充実によって、しばしば漫画は文学だとか、美術だとかいわれている。一段低い表現媒体とみられていた漫画が、高級な芸術とされる文学や絵画を追い越す勢いを強調する際は、おもしろいかもしれないが、正しくは漫画は漫画であるというべきであろう。(略)
かつて東京国立近代博物館が手塚治虫展を開き、兵庫県立近代美術館が水木しげると日本の妖怪展を開いて、美術館での漫画展示に道を開いた。今回もその流れを受け継いでいるものの、鳥山はまだ30代であり、現在も連載中の漫画を取り上げて新鮮だ。
そして、現代文化の問題として取り組む視点もある。漫画は、雑誌、テレビ、ゲームソフトを舞台に展開するマルチメディア時代の花形。そこに、美術館もメディアの一つとして、遅れながらも加わる形をとっている。
それでも、雑誌やテレビなどのメディアでは、漫画の面白さや美しさが、日常的な娯楽として消費されるだけなのに対し、展覧会はそれを、批判的、総合的に考えることを求める。美術館は情報化社会に流されない場に位置する。だから、美術館が鳥山明のマルチメディアの世界に参加することの意義もある。
メディアとしての展覧会と、表現としての漫画が結びついた時、情報化時代の芸術のジャンルの再編成などの考える手がかりも生まれてくる。

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平敷善憲
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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1971年4月 沖縄の雑誌『青い海』創刊号 大城皓也「藤田嗣治先生の想い出」

1982年9月 沖縄の雑誌『青い海』116号

 2014年5月24日~9月15日 沖縄県立博物館・美術館「コレクション展/『沖縄美術の流れ』」で、藤田嗣治の「辻美人」「海辺の墓地」が展示されている。下記の頃に描いたものだ。

1938年4月ー世界のフジタ、二科会の重鎮・藤田嗣治が加治屋隆二、竹谷富士雄、南風原朝光を伴って浮島丸で来沖。那覇港には比嘉景常、名渡山愛順、大城皓也らが出迎えた。加治屋は東京の小学校での比嘉景常の教え子。南風原と琉球新報記者の國吉眞哲とは同じ泊出身、親友であった。琉球新報は藤田の講演会、座談会を企画し、藤田作品鑑賞会を後援するなど抱え込んだ。

藤田嗣治の来沖の経緯は、国吉真哲さんが「絵かき仲間の加治屋隆二さん、竹谷不二雄さんと南風原朝光君3人で沖縄へ行こうという話になり、その旅費のことなど打ちあわせている所へ、藤田画伯が来て『おもしろそうな話をしているなあ、ボクも行こう』ということになって沖縄を訪れた」と『南風原朝光遺作画集』の中で述べている。

藤田は1910年に東京美術学校を卒業、同級生には岡本一平(岡本太郎の父)、近藤浩一路などがいた。30年、藤田は世界恐慌の最中に北米に旅立つ。そして南米に廻りブラジル、アルゼンチンなどで多くの沖縄人にも出会う。メキシコで『週刊日墨新聞』を創刊した平田忠義もその一人で平田はその出会いを自伝に書いている。それ以来、藤田は沖縄に関心を持ちつづけていたようだ。沖縄県が購入した藤田作「孫」は38年9月の第25回二科会展覧会(東京府美術館)に出品されたものだ。

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山城正忠
藤田が沖縄で描いた作品

1938年5月14日『琉球新報』辻井浩太郎(三重県立上野中学校教諭)「沖縄観光の思ひ出ー有名な辻の女を見、独特の舞踊も見た。彼女らの生活内部も只見るだけは見て、いい話の種にはなった。今度行ったら古典劇をゆっくり見たいと思ふ。・・・」

1938年5月15日『琉球新報』「藤田展覧会」ー辻美人も描いている。


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1938年5月20日『琉球新報』「藤田帰京」
□藤田嗣治「沖縄へ送る讃美」
黒潮に浮ぶ首飾の島々/浪に風に憩いなく洗はれ打たれ/長き黒髪は漂ひ瞳は輝く/憧れのこの島
         ◇
赤く又青く咲き茂る名も知らぬ木草/影は旅人を包み、枝は異鳥を宿す/りゅうぜつらんは月を貫き、墓場は愛の密語を漏さず/懐しのこの島
         ◇
帯もなき薄衣の女子等/乳も脛も銅に染めて、珊瑚礁の花の上を歩む/海山の幸を頭上に飾りて/さらば、この夢の國





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