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Category: 04-書の森
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2017年10月10日~15日 那覇市民ギャラリー「第20回 高良憲義個展 普天間、辺野古、高江、地位協定、地球惑星の花の人(土人)」

 「くろねこの短語」10月 2日ー(前略)猪八戒・枝野君がリベラルをまとめて新党結成となれば、そうはいかない。野党共闘が一定程度の成果をあげることは参議院選挙でわかってますからね。そうなると、自民・公明・希望・維新による改憲翼賛体制の目論見に陰りが出てくることになる。それを阻止するためにも、新聞・TVに放ったペテン総理の草たちがいっせいに活躍し始めることでしょう。
 (略) だからこそ、新党結成は極めて重要な意味がある。こうなると、自由党のオザワンはどういう動きをしてくるだろう。湯上りの口先番長・前原君を小池新党との合流でそそのかしたのはオザワンだという噂があるけど、森ゆう子君のツイートではそれはガセだともされている。願わくば、新党+共産+社民+自由の野党4党がひとつになって、ドカーンと記者会見やって、世間をアッといわせるような華麗なパフォーマンスを披露してほしいのだが・・・。


前田ちひろさん

宮里ノボル氏

左から伊波洋一氏、糸数慶子さん/伊波洋一氏、あかみね政賢、糸数慶子さん


写真左ー国吉真太郎氏(翁長雄志後援会会長)/写真右ー真喜志好一氏、前田ちひろさん

 10月1日ーおもろまちの沖縄県立博物館・美術館近くでの「新基地・オスプレイ・9条改憲・消費税増税・疑惑かくしノー/赤嶺政賢事務所びらき」。大勢の人が参加。無理もない一区の新基地反対は、あかみね政賢だけだから。

 「くろねこの短語」10月 1日ー(前略)どっちに転んでもこの国の将来は暗いものになるだろう。
そうさせないためには、希望の党の踏み絵を蹴っ飛ばす連中がひとつにまとまって、野党共闘の原点に回帰して戦うことだ。「打倒安倍」を目的化するあまり、ペテン政権を倒したのはいいが、「独裁者気取り」の後に「女帝気取り」が権力の座についてしまったら、洒落になりませんからね。「リベラル派は排除する」ってチーママ小池君はほざいてるんだから、売られた喧嘩は買うしかないってことだ。そして、ペテン総理が解散に踏み込むきっかけとなった森友・加計学園疑獄に改めてフォーカスすべきだろう。「政権選択選挙」なんてことがいつのまにかクローズアップされているけど、それは森友・加計学園疑獄隠しの方便になっている気がしてならない今日この頃なのだ。


左ー下地候補のポスター/右ー『しんぶん赤旗』10月21日「新基地建設だんまり自民候補/一族の会社(国場組)が工事受注で巨利」


2017年10月18日~19日『琉球新報』『沖縄タイムス』、テレビなどで、高江の墜落ヘリの片づけも早々に演習再開の報道で、怒りが沸き起こる中で「あかみね政賢候補 街頭演説」。米軍の占領意識は自公の都合などは目に入らないらしい。


写真右ー左から高江洲義一氏、宮里政秋氏、古堅実吉氏

写真右ー嘉陽宗儀氏

2017年10月18日-沖縄県庁県民広場「あかみね政賢候補 街頭演説」

『しんぶん赤旗』10月19日「18日、あかみね政賢候補 街頭演説/志位委員長の街頭演説」


 『しんぶん赤旗』10月17日「総選挙でカジノ問うー自・公、希望、維新は推進で足並み/賭博依存国家反対なら共産党」


『しんぶん赤旗』2017年10月13日「(米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリコプター。オスプレイより事故率が高い)同型機 全国を飛行/事故の危険 広がる」/『しんぶん赤旗』日曜版 2017年10月15日号

 「T」10月12日ー高江の民有地に 着陸?炎上、これ不時着あるいは墜落というのではないか。予定通りの着陸なのか、それであればもっと異常だ。米軍事故になると、言葉が怪しくなるこの国の政府と言葉の管理者 NHK よ沖縄は日本語を知っているよ、沖縄の言葉は通じているか。幸いに米兵の命の被害はないようだが、そうそうに避難移動。民間消防隊も消火で頑張っているが、 ストロンチウム90の放射能汚染については政府も米軍も沈黙している


『しんぶん赤旗』「米軍ヘリ墜落・炎上」10月12日/関連ビラ「米軍ヘリ墜落許せない/北部訓練場は全面撤去を」

『琉球新報』10月12日ー沖縄県東村高江で米海兵隊のCH53大型ヘリコプターが炎上した11日、防衛省の中嶋浩一郎沖縄防衛局長は現場近くに駆け付けていた東村の伊集盛久村長らに謝罪すると共に、把握している情報を伝えた。関連→『沖縄タイムス』2016年7月21日ー東村の伊集盛久村長は20日、村高江周辺のヘリパッド建設について「北部訓練場過半が確実に返還されることで基地の整理・縮小につながる」と容認する姿勢を示し、「ヘリパッド工事は安全確保した上で進めていただきたい」と述べた。東村役場を同日訪ねた県議会与党会派15人に見解を示した。

 「くろねこの短語」10月 12日ー沖縄で米軍ヘリが墜落炎上。「この国を守り抜く」ってんなら、北朝鮮のミサイルなんかより、こっちの方をどうにかしやがれ。ところで、衆議院選挙の公示から2日だというのに、もう世論調査の結果が新聞・TVを賑わせている。それによれば、どの調査でも自公圧勝なんだとさ。へたすりゃ、自民単独で過半数なんてこともある勢いとか。しかしまあ、このタイミングでの世論調査ってのは、いつもそうだけどある種の世論操作だと思うけどねえ。(略)
  ペテン総理の代わりに選挙運動している私人の嫁は、「このまま主人に仕事を続けさせ、この国のために働かせてほしい」と第一声をあげたそうだが、総理大臣の名代のくせして「主人」なんて言葉を口にするとはどこまで常識はずれなんでしょう。こういう場合は、「安倍に・・・」って言うものだ。我が家のバケベソだって、そのくらいの常識はわきまえとりますよ。
 こんなんだから、何も考えずに籠池君に肩入れして、ドシ踏んじまったんだろうね。そのドジを言い繕うとしてペテン総理は、テレビ朝日「報道ステーション」の党首討論で、「詐欺を働く人物の作った学校で妻が名誉校長を引き受けたことはやっぱり問題があった。(籠池氏は)こういう人だから(妻は)騙されてしまったんだろう」ってぬかしたそうだ。だったら、何をどう騙されたのか、400字以内で説明してみろってんだ。こんな理屈にもならないたわ言を平気で口にする総理大臣にこの国をまかせていいのか・・・これを肝に銘じて選挙に行こう!!
2013-7 世相ジャパン
2013年07月06日『毎日JP』橋下徹大阪市長:「沖縄女性、慰安所で頑張った」 参院選遊説 /沖縄
 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は5日、県内から参院選比例代表に立候補している公認候補を支援するため来県した。橋下氏は応援演説で、米施政権下の県内で日本政府による米兵向け慰安所が設置されたとして「レイプを止めるために、沖縄県の女性が一生懸命になってやってくださった。感謝の念を表す」などと発言した。橋下氏は5月の米兵風俗利用発言を撤回し、米側に謝罪の意を示していたが「過去に女性を性の対象に利用していた、とアメリカに言いたい」と述べた。橋下氏は沖縄本島中南部の4カ所を遊説した。沖縄市の胡屋十字路では「米軍の沖縄占領時、日本の政府が真っ先に作ったのは、RAAという特殊慰安所協会だ」などと主張した。「女性の人権を蔑視していると言うが、沖縄の女性が特殊慰安所協会で一生懸命頑張ったことを全部無しにするのか」と持論を展開した。沖縄女性史研究家の宮城晴美氏によると、日本政府が米国占領下の県内で、慰安所を設置した事実は確認されていない。(琉球新報)


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 日頃、「しまくとぅば」について、継承、記録、保存、表現、研究、実践などさまざまな活動をしている人々に集ってもらい、それぞれの好きな「しまくとぅば」で語ってもらいます。メンバーの中心はしまくとぅばプロジェクトに2008年から関わっている人や最近からしまくとぅばを学びはじめたメンバーまで、立場や興味もそれぞれ異なる人々で意見を述べ合います。
なぜ「しまくとぅば」を話し、次世代へと引き継ごうとしているのか、どうして研究しているのかなど、はじめのきっかけ、理由、取り組みの状況、勉強法など、いろいろなことを互いに問いかけたり、一人で語ったりしながら、その想いをぶつけ合います。
また、最後のセッションでは、来場の方々とのクロストークもまじえ、今後の活動のモチベーションへとつなげていければと考えています。「しまくとぅば」について興味を抱いている方、すでに何らかの実践を行っている方、仲間で集って活動している方、若い世代へと継承運動に取り組んでいる方、など、多数の方々の来場をお待ちしております。

【コーディネーター】
仲原穣(沖縄県立芸術大学ほか 非常勤講師)
【対談者(五十音順)】
上原美智子(しまくとぅばプロジェクトメンバー)
小禄隆司(琉球大学学生)
西岡敏(奈良出身 沖縄国際大学 教授)
ハイス・ファン・デル・ルベ(オランダ出身 浦添市立仲西小学校ALT  うちなーぐち習得勉強会)
比嘉豊光(写真家)
真栄里・サマンサ・明美(ハワイ出身 県系4世 琉球大学研究生)
宮里朝光(NPO法人沖縄県沖縄語普及協議会 名誉会長)


写真右ー左からハイス・ファン・デル・ルベ(オランダ出身 浦添市立仲西小学校ALT  うちなーぐち習得勉強会)・西岡敏(奈良出身 沖縄国際大学 教授)仲原穣(沖縄県立芸術大学ほか 非常勤講師)


比嘉豊光(写真家)・宮里朝光(NPO法人沖縄県沖縄語普及協議会 名誉会長)


写真右ー左が上原美智子(しまくとぅばプロジェクトメンバー)・真栄里・サマンサ・明美(ハワイ出身 県系4世 琉球大学研究生)


写真左ー左が小禄隆司(琉球大学学生)・西岡敏(奈良出身 沖縄国際大学 教授)
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2017年9月『広報あぐに』№116「粟国村教育委員会通信 11号」



2017年1月『広報あぐに』№108「粟国村教育委員会通信 4号」

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2011年6月 新川明・儀間比呂志・知念ウシ/翻訳『りゅう子の白い旗ー沖縄いくさものがたり』 出版舎
Muɡen□新川明ーあとがき/(前略)あれから二十六年たって、さきの「集団自決」訴訟と文部科学省のあり方が象徴するように日本の国全体がますますおかしくなっていくのを見るとき、私たちはすでに絶版になっていたこの絵本を復刻再刊したい、と強く思ったのです。さいわい出版舎 Muɡenの上間常道さん(2018年8月死去)が私たちの思いを受けとめてくれて、ここに絵本「沖縄いくさものがたり」を正真の沖縄発の”非戦の思い〟をこめた絵本として再生させることができました。上間さんと英訳の知念ウシさんにあらためて感謝したいと思います。/儀間比呂志ーこの作品を描いてから二十六年の歳月が過ぎました。この間、戦争への危機はなくなるどころか、広大な米軍基地は沖縄に、相変わらず我がもの顔で居座り、戦争への構えをとり続けています。その事実を近隣諸国が黙認し、侵略者の暴挙を容認している国際事情には、何たることかと憤りはつきません。


写真左から儀間比呂志さん、新城征孝氏、新川明氏、新城栄徳、その前が舞台美術家・新城栄徳氏/チニンウシィさん、伊佐眞一氏


1999年1月 儀間比呂志『絵本 沖縄のわらべうた』沖縄タイムス社□儀間比呂志ーあとがき(前略)本書の出版にあたっては、島袋全発氏の『沖縄童謡集』ほか、数々の本を参考にさせていただいた。また、楽譜の提供をいただいた比嘉悦子さん、エッセーをよせてくださった船越義彰さん、翻訳者のR・トンプソンさん、出版元の沖縄タイムス社と編集の上間常道さんに、心から感謝の意を表したい。




1985年8月 新川明(沖縄タイムス東京支社長)・儀間比呂志『りゅう子の白い旗ー沖縄いくさものがたり』築地書館


1971年12月 『新沖縄文学』21号 「儀間比呂志版画集/詞章・新川明」
1974年10月 『新沖縄文学』26号  儀間比呂志「表紙のことばー私が最も好み、数多く描いてきたおなじみの沖縄伝統民俗芸能『七月エイサー』である。」
1975年2月 『新沖縄文学』27号 儀間比呂志「表紙のことばー沖縄民衆は、ワジワジーしている。”日本に復帰すれば、平和がよみがえり豊かな沖縄県が実現する〟ふりまかれた幻想ー。”海洋博は、沖縄経済の起爆剤〟ユクシムニーするな!原爆つきの基地はそのまま 山からは、みどりをうばい 海からは、 魚をおいはらい わったぁからは、生活をうばう。それは、だれなんだ!
1975年11月 『新沖縄文学』30号 儀間比呂志「<随筆>沖縄の女」

平良邦夫氏、不詳、山田親英氏/儀間比呂志氏、佐々木薫さん

海勢頭豊氏、徳田澰さん、/山田親英氏、儀間比呂志氏、佐々木薫さん


2003年2月 多和田真助『沖縄の海図 「復帰」30年のメッセージ』「上間常道」沖縄タイムス社□「上間常道 『沖縄大百科事典』によって、沖縄研究の沖縄研究”道しるべ”ができたことの意味は限りなく大きい。大阪生まれの『沖縄二世』である。在日朝鮮・韓国人、被差別部落出身者、沖縄人ー。複数の差別が重層する社会で誕生、出自の『沖縄人』には敏感すぎるほどの反応を強いられた。」

『沖縄大百科事典』の精神 出版舎Mugen代表 上間 常道
出版編集者とは、ある意味で、時代の組織者・工作者であるべきだ、それも黒子の、と考えていた当時の私にとって、『沖縄大百科事典』の仕事場は願ってもない闘いの場だった。編集事務局は出入りする多種多様の人たちでいつもわさわさとして、活気に満ちていたし、何か沖縄の新しい文化、新しい時代をみずからの手で創り出そうとする意欲にみなぎっていた。その熱気は間違いなく、1972年の「復帰」以降、ようしゃなく押し寄せてくる日本的なるものによって、長い時間をかけて先人たちが築き上げてきた沖縄的なるものがどんどん後景にやられ、あっという間に破壊され、浸食されていく現状への抵抗を反映していたと言える。
 日本的なるものに対抗できる新しい文化を創造するための中核として、『沖縄大百科事典』は位置づけられた。そのことは次のような事情に目をやれば明らかだろう。まず、事典の記述は徹底して沖縄的なまなざしで書くことを、日本にいる執筆者を含めたすべての執筆者に求めた。ほとんどの執筆者もそれを当然のように受け入れてくれた。大百科ができるまでは、沖縄に関する知識を得ようとすれば、おおむね日本の視点から見た沖縄に関する記述をいやおうなく受け入れざるを得なかったのである。第二に、主に21分野にわたる項目委員会の委員などを媒介にして、これまで疎遠であった分野どうしが対話したり、対抗軸を形成したりして、さまざまに刺激し合って、新たな横断線を築くことができたことである。交流が密でないことによって生じる、いわれのない排除や蔑視を克服するうえで、大百科は大きな役割を果したといえよう。
 第三に、「沖縄戦」を独立した一分野として設定することによって、日米両政府に対する対抗軸を設定しようとしたことである。沖縄戦を、日米とは完全に独立した沖縄的観点から記述することによって、今も続く軍事的不条理の根っこの部分を明らかにしようとした。第四に、沖縄(本)島中心主義、とくに首里・那覇中心主義を否定して、奄美―宮古―八重山を貫く「琉球弧の視点」でモノを見ることによって、日本が沖縄を見るときのやや威圧的な上目目線をも否定する方向を打ち出した。
 総じて、日本とは相対的に別箇な沖縄的まなざしを築くうえで、必要不可欠の資料としての役割を担ったといえよう。沖縄のアイデンティティ形成のうえで、沖縄大百科は必要不可欠の素材なのである。1983年以降、かりに『沖縄大百科事典』が存在しなかったら、どうなっていただろうか。日本―沖縄を隔てる境界線はあいまいになり、日本の辺地となり果て、独自の歴史と文化と社会を築き上げてきた、日本とは相対的に別箇な領域としての特性すら失っていただろう――なにか、そんな気がしてならない。

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 泊の我が家から、おもろまちの沖縄県立博物館・美術館は10分ぐらいの所にある。ロビーには全国の博物館・美術館のイベント情報パンフが所狭しと並んでいる。中に立命館大学国際平和ミュージアム「儀間比呂志版画展ー沖縄への思いー」もある。原爆の図丸木美術館学芸員・岡村幸宣の日誌(2010/4/19)に「那覇について最初に訪問したのは、沖縄大学。小図録に寄稿して下さった沖縄大学法経学部の若林千代先生に、ご挨拶に伺いました。ちょうどお昼時だったので屋嘉比収先生の研究室に案内され、そこで若林先生ら数人の方とお弁当を食べることに。そこには沖縄の近現代文化史を精力的に調査されている新城栄徳さんもいらっしゃいました。新城さんはネット上で「琉文21」と題する研究報告をされている民間の沖縄文化研究者。「ワタシは大学の先生の使う言葉(業界用語)はわからんヨ」とニッコリ笑う」と紹介されているように、ワタシは理論より自分の情念に忠実でありたい。
 日本伝統文化の屋台骨・京都は私が沖縄青年運動に目覚めた地でもあり様々な感懐を抱くものである。上記のチラシは京都関連だけでも、京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」や九州国立博物館の「京都妙心寺ー禅の至宝と九州・琉球」「本願寺展ー親鸞と仏教伝来の道」「黄檗ー京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風」などがあり、よく行ったところなのでチラシは部屋の壁に貼って眺めている。

新城栄徳「関西日誌2008-5」
 2008年5月4日 午前9時半、あけみと散歩に出かける。司馬遼太郎記念館をのぞくと、竹富島などの映像が放映されていた。近鉄八戸ノ里駅から乗車し東花園駅で下車。12時半に元長栄氏宅に着く。前からお願いしておいた元長氏の「履歴書」をいただいた。氏は1969年8月、沖縄と本土を結ぶ月刊誌『沖縄ジャーナル』を大阪で創刊している。この雑誌は70年に『沖縄ポスト』と改題、10号で休刊。70年9月には元『沖縄ポスト』編集人の座喜味康夫が京都長岡町で『沖縄群像』を出している。偶然なことだが元長氏宅の近くには『青い海』編集デスクであった小渡照生氏も住んでいる。ちなみに『青い海』社長の山城賢孝氏は元長氏の沖縄教員時代の教え子であった。


2016年5月10日 写真-沖縄県立博物館・美術館ー左が小渡照生氏、田名真之氏/2016年5月10日 写真-沖縄県立博物館・美術館ー小渡照生氏

①小渡有得の二男/2008年9月 小渡有得『小石のつぶやき 或るクニンダンチュ(久米村人)の95年、心の軌跡』琉球新報社○小渡有得略歴ー1913年9月16日、那覇松山町に父邦光、母マカトの3男として生まれる。生家は萬履物小渡商店、道向かいに日秀上人が建てた地蔵堂があったので「ドゥヌメーヌーウドゥグヮー」と呼ばれた。1928年、『日本少年』11月号に「綴方/健ちゃん」を投稿し銀メダル。1931年3月、沖縄県立第一中学校修業。一家をあげて台湾台北千歳町に居住。1937年、基隆市義重町に転居、台湾総督府交通局基隆築港出張所に臨時夜警兼務。1939年、台北市御成町に転居。台湾総督府交通局逓信部工務課・台北電信電話技術官駐在所勤務。6月、臨時招集により台湾第一連隊補充隊に輜重兵二等兵として入隊。(1940年、南寧作戦に参加、欽寧公路警備に就く。1941年、台湾第一連隊補充隊に転属、海南島を経て基隆に帰還。)1943年、台湾総督府交通局逓信部工務課に復職、台中電信電話技術官駐在所勤務、台中市老松町に転居。1943年9月、玉城オトと結婚。1946年11月、具志川村高江洲区に居住。

5月12日 3時ナンバの大阪府立上方演芸資料館に行く。この資料館も大阪のタレント知事のリストラの一つにあげられている。この知事は職員に「一緒に死んでくれ」と相変わらずのパフォーマンスで宮崎県の知事同様テレビにもよくとりあげられその経済効果は十分期待されている。それはさておきこの資料館で私の好きな浪曲「紺屋高尾」を篠田実、富士実、浮世亭雲心坊、東家燕左衛門の節で聞いた。芝居のビデオでは松竹新喜劇の藤山寛美の「紺屋と高尾」を見た。沖縄の歌劇の「染屋の恋唄」も紺屋高尾をアレンジしたものだ。私が沖縄近現代芸能史の源流というノンキなことを調べている最中に中国では大震災が起きていた。

5月14日 ナンバの日本工芸館に行く。沖縄の漆器展が開かれていた。数十年前になるが同館での沖縄展のおり、三宅忠一館長と儀間比呂志さんが会話しているのを間近で聞いたことがある。この時は、儀間さんとは面識はなかった。

5月15日 沖縄が密約復帰をした日で、戦前の1932年のこの日は犬養首相が海軍将校らによって射殺された国家改造クーデターテロ事件が起きている。同日、京都では葵祭がある。葵祭は何回か見ているから二千円札にちなんで宇治を散策。平等院に寄り「鳳翔館」ができていたので観覧、コンピューターグラフィックスによる彩色復元の平等院の映写はコンピュータ技術を駆使したものだ。また売店で絵ハガキを買い求めた際に、お釣りを二千円札でくれと注文したら二千円札は用意して無いとのことだった。鳳凰堂は何回も見ているので丁度修学旅行生とはちあわせしたので周辺(大書院、浄土院、羅漢堂、頼政の墓、不動堂)、宇治市源氏物語ミュージアムを見た。帰途、萬福寺を見学。

2012年5月 コルシカ島生まれのナポレオンは、新聞一紙は5千の兵に匹敵するとし新聞統制を計り活用した。駅逓頭・前島密が指導した『郵便報知新聞』が創刊された1872年、川崎正蔵は大蔵省の命で琉球物産調査に赴き「経済交流で琉球を日本に依存させよ」と主張して前島に認められて日本政府郵便蒸気船会社の副頭取に就任し、琉球との郵便航路を開設。73年には海軍大佐柳楢悦らが測量で来琉した。川崎は後に川崎造船所を興し神戸又新日報社、神戸新聞社にかかわる。郵便報知は後に報知新聞となり読売新聞と合併する。
□1918年9月 山本實彦『川崎正蔵』 
□1928年10月 『目録』(神戸 川崎男爵家蔵品入札目録)
□1936年2月 『神戸 川崎男爵家蔵品入札目録』
「支那宋、元古画の蒐儲に於いて、世界にその名を知られている川崎美術館は、神戸川崎男爵家の先々代・故川崎正蔵翁が明治23年神戸布引の邸内に建設されたもので、一に長春閣と呼ばれている。これは其当時翁と親交のあった伊藤博文公が命名されたのである。→当社(川崎重工業)の創立は1896(明治29)年10月のことですが、造船業の歴史としては、それより18年前から始まっています。創業者の川崎正蔵が1878(明治11)年に東京・築地に川崎築地造船所を開設したのが、当社の起源です。川崎正蔵は1837(天保8)年、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。17歳(嘉永6年)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎に出て貿易商の修行を積み、27歳(文久3年)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を成功させました。この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くようになりました。1878(明治11)年、時の大蔵大輔(現在の次官)であり同郷の先輩でもあった松方正義などの援助があって、東京・築地南飯田町(現在の中央区築地7丁目)の隅田川沿いの官有地を借りて川崎築地造船所を開設、造船業への第一歩を踏み出しました。(→川崎重工業ウェブサイト)

□2005年5月2日ー自宅で去年上六の天地で買った『沖縄アーカイブス写真』(生活情報センター)を見る。関連して、沖縄タイムス出版部が編集し琉球銀行が発行した『あんやたん-沖縄、写真が語る50年』(1995年9月)、『時の謡人の譜・街の紋-山田實写真50年』(2003年1月)を見る。

平凡社の1963年3月の『月刊百科』は「『PR誌』-機能・沿革と現状」、1968年3月の『月刊百科』には勝連哲治「沖縄の経済」が載っている。1970年から日本メール・オーダー社から出はじめた『アルファ大世界百科』と、1972年版の平凡社『世界大百科事典』が手元にある。南方熊楠や末吉麦門冬を単に博覧強記の人として片付ける嫌いがあるが、今はネットの時代である。熊楠や麦門冬が人を喜ばせるために書いた情熱はネット空間でますます輝くであろう。

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沖縄県人会兵庫県本部 機関紙『榕樹』第431号 2017年10月「亡き先人に捧げるー大正区でエイサー祭り」「儀間比呂志版画展~沖縄への思い 立命館大学国際平和ミュージアムで11月1日から」


1970年1月 沖縄県人会兵庫本部『沖縄県人会だより』


1995年9月 『島を出た民の戦争体験集』沖縄県人会兵庫本部/2017年5月『榕樹』第426号


1982年6月 上江洲久『ここに榕樹あり 沖縄県人会兵庫県本部35年史』儀間比呂志「扉及び見返し版画」


那覇港近くのバーで写真左から新城栄徳、永峰眞名さん、当山忠氏(島尻雅彦撮影)


沖縄県人会兵庫本部機関紙『榕樹』〒660-0805 兵庫県尼崎市西長洲町2丁目26-12 中央ビル601 ☎06-6487-0535 FAX06-6482-4048


沖縄県人会兵庫県本部で機関紙『榕樹』担当の永峰眞名さん/沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さん

新城栄徳日記メモー1995年1月1日ー奈良東大寺大仏初詣/1月17日午前5時過ぎに京都で大きな揺れ。東大阪の息子に電話。午後2時23分電車で京阪淀から近鉄経由で布施。/1月24日、尼崎市の兵庫沖縄県人会事務所。沖縄県からのビニールシートが届いていたので配送を手伝う。息子名義で見舞金を贈ったとき宮城幹夫氏も来所し見舞金を贈られた。挨拶をした。1月30日、西宮からバスで三宮。午後8時に帰宅。1月31日、大正区へよって、阪神青木から東灘区へ。

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「阪神大震災」関連資料
1951年7月11日ー宮城久隆『球陽新報』創刊
 沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さんに『球陽新報』の情報を流すと、県人会機関紙『榕樹』で紹介した。次々と関係者が現れた。大阪の県人会長の諸喜田さんは印刷に関わった。久隆の子息で生駒市在住の宮城敬さんからは久隆に関する情報が寄せられた。作家の宮城聡は敬さんの祖父の弟である。1961年4月10日の『沖縄タイムス』に宮城久隆の死亡記事「沖縄タオル社長、琉球大学理事、中央教育委員。10日あさ8時、首里大名町の自宅で死去。58歳、国頭村出身」。
                                 
□→2001年3月ー『史料編集室紀要』第26号□納富香織「在本土沖縄県人紙についてー『大阪球陽新報』『球陽新報』『内報』『自由沖縄』目録ー」  ○2010-5-20記


写真ー宮城久隆・琉大理事





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『オキナワグラフ』/2018-6-27 QAB琉球朝日放送/


2018-6-25 右・思うところあって来訪者名簿を見る渡口彦邦氏



万年筆にネームを入れる彫刻機/実演する渡口彦邦氏



右ー琉球独立論者・渡口彦邦さん、琉球国王に変身!

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2017年9月9日 とまりん地下「島尾敏雄 生誕100年 シンポジウム<ヤポネシア論>を問う」


新川明「主催者あいさつ」写真左から司会の岡本由希子さん、パネリストの仲程昌徳氏、西蔵盛史子さん、仲里効氏、川満信一氏





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 9月3日旧盆、朝お寺さんに行く。沖縄市プラザハウスショッピングセンター3Fにある「ライカムアンソロポロジー」の山田實展を見るため山田勉氏と同行。途次、儀間比呂志の絵がシャッターに描かれている久茂地・抱瓶店を見る。ゆいレール・那覇空港駅には儀間比呂志の「万国津梁の民」(2003年8月)がある。

 〇2012年4月19日昼、沖縄大学に寄って宮城先生紹介で大学図書館に『青い海』創刊号と、沖縄関係資料室が載っている10号を寄贈する。帰途、那覇市歴史博物館に寄って、5時から久茂地・抱瓶の高橋淳子さんのお別れ会に参加。壁には淳子さんの写真が所狭しと貼られていた。アルバムには喜屋武真栄氏や西平守良さん、喜納昌吉、大田昌秀、具志堅用高、新城亘、儀間比呂志、ひさみ夫妻の諸氏らが淳子さんと収まっているのもある。私は1973年頃、高円寺・球陽書房の西平守良さんに近くの「きよ香」に連れて行かれそこで淳子さんを知る。知るといってもそれが最初で最後の出会いであった。会場の抱瓶にはひさみ夫妻らが居られた。1時間半ごろ経って大田昌秀氏、岡留安則氏や沖縄大学のO教授、S氏らが参加し故人が好きだった民謡で追悼した。しばし大田氏、岡留氏と懇談する。岡留氏に東郷健の消息を尋ねた。(4月26日の新報、タイムスに同性愛者の差別撤廃運動で知られた東郷健の死亡記事が顔写真入りで報じられていた。)


昔ープラザハウス/今ープラザハウスショッピングセンター

写真左が山田勉さん、山田實展を企画した波平雄太氏/「山田實展『Eternal lights』」2017年8月15日(火)〜9月24日(日) 11:00〜19:00 入場無料 沖縄・沖縄市「プラザハウスショッピングセンター」3階「ライカムアンソロポロジー」にて開催



山田實さん所蔵の儀間比呂志作品「伊野波節より」


2017年9月22日『沖縄タイムス』仲嶺絵里奈「展評ー山田實展」/2014年3月ー左から豊里友行氏、山田實さん、金子隆一氏、仲嶺絵里奈さん

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2017年8月 同人誌『南溟』3号 『南溟』同人会 〒904-2166 沖縄市古謝津嘉山町8番9号




2017年2月 同人誌『南溟』2号 『南溟』同人会 〒904-2166 沖縄市古謝津嘉山町8番9号