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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

写真前列左から仲尾次政補、山田實、仲尾次、山田豊、山田有登、その前が山田保、山田昭、山田。後列左が山田實姉の貞子、右が山田實母 1929年10月 山田家の庭で

 2015年12月7日、山田写真機店に遊びに行く。山田勉氏に山田さんの親族を尋ねてみた。山田さんの姉は仲尾次家に嫁いだが,娘に片岡道子①さんが居る。→「片岡マンドリン研究所 » 片岡道子の日記」

①片岡 道子 Michiko Kataoka
マンドリンを比留間きぬ子氏に師事し、児童アンサンブルを経て比留間マンドリンアンサンブルの一員として演奏活動を始める。
1968年「第1回日本マンドリン独奏コンクール」で第1位入賞。1970年第1回リサイタルを東京ほか各地で開催し、独奏活動を本格的に始め、放送、室内楽、オペラなど幅広い活動に取り組む。1978年トリオノーボを結成、数多くのリサイタル、サロンコンサートで活躍し、1998年CD「さくら/SAKURA」をリリース。1987年比留間賢八生誕120周年記念演奏会でコンサートマスターをつとめる。アメリカマンドリン講習会(1996,1997)、神戸国際音楽祭(1998、2005)、ヨーロッパ国際撥弦楽器フェスティヴァル(1998)、ドイツ国際撥弦楽器フェスティヴァル(2000)に招待され参加。香川県・瀬戸内国際ギター・マンドリンフェスティヴァル&ゼミナール(1997、1999、2001、2003、2006)、ドイツ・ヴァイカースハイム国際音楽祭&講習会(2005)の各講師をつとめるとともに片岡マンドリンアンサンブルとして、また独奏、二重奏などで演奏し好評を得る。演奏活動とともに数々の演奏会の企画も手掛け、片岡マンドリン研究所その他で後進の指導にも力をそそいでいる。

山田さんの弟・保氏は最近亡くなられたが、歯医者で兄のバトラー歯科医院につとめた。長女に山田美保子②が居る。
②山田 美保子 (1957-)
"山田 美保子"(やまだ みほこ、1957年5月4日 - )は、東京都世田谷区出身の放送作家・芸能コラムニストである。ホリプロに所属していた。 [来歴] *歯科医の家庭に生まれる。青山学院初等部から青山学院中等部・青山学院高等部を経て青山学院大学文学部日本文学科卒業。TBSラジオの「954情報キャスター」を務めた。 *その後は現在にかけて放送作家として活動する一方、テレビ・ラジオのコメンテーターとして出演している。競輪ファン。 *特に日本テレビのワイドショーに出演している芸能レポーターや梨元勝と親交がある。

 2012年7月ー本日の地元紙を見ると、粟国村長選挙で新城静喜氏が309票で再選されている。対抗馬の與那城弘明氏は275票。34票差で健闘していた。『サンデー毎日』7.22号にヤガン折目を取材した「沖縄県 粟国島 女が守る島の祭」(写真・文 裵昭)が載っている。同誌には写真家・山田實氏の姪・山田美保子も「ワイドショーの恋人」を連載。また佐野眞一「新 忘れられた日本人ー村岡伊平治」も連載されている。

1999年7月ー山田美保子『ヘンだと思ってたけど やっぱりヘンだった あのヒトたち』双葉社
2005年『週刊新潮』1/27号□山田美保子「秘密の花園(135回)」/「『尖閣諸島』のオーナーは政界フィクサー『菅原通済』の元秘書だった』」

1963年1月、筑摩書房『世界ノンフィクション全集38』に「人買い伊平治自伝」が「夜の大統領カポネ」と共に収録されている。この自伝は戦前台湾に居た河合譲が自宅で伊平治に確認していたもので、戦後に金関丈夫の世話で再び入手。そして1954年の『文芸春秋』別冊(8月号)に発表。また1959年10月に平凡社『日本残酷物語』第一巻に寄稿している。1964年には菊田一夫脚色で森繁劇団が東宝劇場で公演した。學藝書林『ドキュメント日本人6 アウトロウ』でも伊藤晴雨らと共に取りあげられていた。

1987年に松永伍一が『経済往来』に「交流史の序曲3南洋の金さん村岡伊平治」を発表。神坂次郎氏も講談社文庫から『おれは伊平次』を出しておられる。そのカバーには「村岡伊平次。故郷の島原を逃げ出し、南方で女衒として名を馳せ、女郎屋に賭博場、からゆき貿易で財を築き、3千有余の妓たちを連れ新天地を拓き、あげくは南洋の美姫を妻とし、珊瑚礁の島の国王となった男。幾多の伝説に彩られたその生涯を雄渾に描く。明治の時代に、こんな痛快に行きぬいた日本人がいた!」とある。

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東京ディズニーリゾートから飛び出して来た、ミッキーマウスと仲間たち
10月7日ー市民演芸・民俗伝統芸能パレード

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10-5

山田勉氏、ヒデ/那覇市歴史博物館ーヒデ、嘉数理紗さん

みずほ銀行横/沖縄県立博物館・美術館

沖縄県立博物館・美術館ー左から豊見山愛さん、ヒデ、玉那覇英人氏/ニシムイ

ヒデ、伊佐真一氏/ちらー小で沖縄そば

眞正陶房ー左から安里真尚氏、ヒデ、末吉安允氏/末吉陶房ー末吉安允氏、ヒデ

なるみ堂ーヒデ、翁長良明氏/壺屋

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Posted by: ryubun02

1979年 沖縄の雑誌『青い海』6月号 古堅実吉「沖縄社会大衆党に望む」
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2017年10月19日ーあかみね政賢 選挙対策本部で左が古堅実吉氏/2014年12月24日は私も知人が居たので古堅実吉氏の隣りに座り込んだ。


2017年12月 『平和への道しるべⅡ』ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭実行委員会 古堅実吉「沖縄、ハワイの思い一つに」



2002年8月 古堅實吉『命かじり ー古堅実吉回想録』琉球新報社
〇古堅實吉、1929年7月5日ー国頭村安田で出生(父・宗道、母・カナ)。1944年4月ー沖縄師範学校入学。1945年7月ー金武の屋嘉捕虜収容所からハワイの捕虜収容所に送られる。1951年11月ー従兄弟の古堅宗光宅に同居し、親戚の古堅宗直が社長の上町精版印刷で働く。1952年4月ー関西大学法学部法律学科入学。1953年4月ー印刷会社をやめて、吹田市の沖縄県千里丘学生寮に入寮。

1953年6月 大田昌秀・外間守善編『沖縄健児隊』日本出版協同 古堅実吉「地下の友よ」
1953年11月ー沖縄県関西学生会結成に参加。執行委員。


1996年9月 『自治おきなわ』新城栄徳「関西におけるウチナーンチュの歩み(下)」

1955年3月19日ー米軍の土地強奪に反対する沖縄県関西学生会活動で帰省。立法院土地委員会を傍聴した。沖縄人民党の宮城倉啓、大城文進の世話で、米軍の警戒が厳しかった伊江島へ4月20日に潜入。野蛮な土地強奪を調査。4月13日、那覇の座り込み現場で阿波根昌鴻に会い、伊江島での写真の一部を届け、その日の全島軍用地地主大会に参加。4月17日まで沖縄各地の調査や資料集めに駆けまわり、写真や資料を大阪に持ち帰った。沖縄県学生会総会で米軍の伊江島土地接収の写真展示。その反響で大阪の県出身者、京大新聞、神戸大新聞、東京県学生会などから写真借用の申し込みが相次ぐ。5月1日、大阪の県人たちと一緒に「沖縄諸島日本復帰期成会」の旗を掲げて大阪市馬場町広場のメーデー大阪大会に参加。1955年9月ー吹田市の共産党事務所を訪ね日本共産党に入党。1956年3月ー関西大学法学部法律学科卒業。帰郷。


1956年1月1日『沖縄タイムス』「年賀広告ー3段目に上町精版印刷株式会社」

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