Archives

You are currently viewing archive for July 2018
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

古美術なるみ堂の翁長良明さんのところで城間恒有発行の書物を見た。一部だけなので奥付が無く発行年が分からない。国会図書館には『工工四』城間恒有 [作] ; 松村真信 [編], 楽声会, [昭和8]があるが同一なものか。

写真ー前列右端が城間恒有、後方に池宮喜輝。城間については池宮喜輝『琉球芸能教範』月刊沖縄社に詳しい。/翁長氏愛蔵の「志堅原比屋の三線」


null
null
null
null
池宮喜輝と東恩納寛惇

□池宮喜輝(73)は琉球音楽と仏教の声明(ショーミョウ。補助楽器を用いない声楽)念仏と琉球古典曲との関係を探求した。高野山大学で中山僧正に琉球古典曲「十七,八節」を歌三味線で紹介したら「これは比叡山の天台声明にちかい」との話で、さっそく同僧正の紹介状をもって比叡山に行き、比叡山音律研究所の教授・中川僧正に会い古典曲「十七、八節」を聞かせたら「この曲は、音律、節回しなど声明と密接な関係がある」といわれた。弘法大師時代にできた声明(浄土声明その他)が袋中上人の時代に琉球の風土に移植され、さらに湛水親方によって、古典曲としての面目があたえられたと、池宮は見ているのである。

1987年1月 池宮喜輝『琉球芸能教範』月刊沖縄社
池宮は15歳の頃に空手を赤畑の安座間の島袋という人物の自宅に通い習った。同門に山城正沢、宮里良栄とか、田頭、渡口といった弟子が6,7名だった。後に西の東恩納先生に弟子入りした。その時の相弟子に宮城長順、許田重発や首里の島袋がいた。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2018年8月3日~9月24日 那覇市歴史博物館「首里・那覇のお菓子たち」
 
 琉球王国時代、中国からの冊封使や薩摩藩の在番奉行をもてなすのに出されたのが、料理であり、菓子でした。王家の祝儀や法事でも特別な料理やお菓子がだされました。当時、料理やお菓子を作る人を包丁人といいますが、包丁人が作る料理やお菓子は接待用であり、儀礼用で、庶民の口には入りませんでした。
1879年の琉球処分(沖縄県設置)以降、中国や薩摩藩への接待はなくなり、包丁人は活躍の場を求めて、首里・那覇に下りていきました。首里・那覇では、自由に商売が始められ、本土から菓子職人や製造技術も入り、お菓子専門店も開店しました。庶民が求めやすいお菓子も作られましたが、通常は行事ごとのお菓子を作るのが普通でした。
今回の企画展では、接待用のお菓子から庶民が口にするものまで、首里・那覇を中心に作られたお菓子の数々を写真パネル等で紹介します。










» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
コメントはメールにお願いします→shinjo8109@gmail.com

2081年6月17日 「中之橋上空」ひより撮影/ひより、「ゆいむい」で撮影

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

新宿 THE GALLERY 1(〒163-1528新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階 ニコンプラザ新宿内) 2018年7月17日(火)~7月30日(月)「生誕100年記念 山田實写真展『きよら生まり島 -おきなわ』 」
トークイベント: ※申込不要・参加費無料
2018年7月17日(火)19:00~20:30
仲嶺絵里奈(写真史家)×鳥原 学(写真評論家)
2018年7月28日(土)19:00~20:30 金子隆一(写真史家)

 山田實(1918~2017年)は、いま世界的にも注目されている沖縄写真の礎を作った写真家である。
 沖縄戦で命も歴史も失われ、真っ白になって始まった「アメリカ世」の沖縄でカメラを持った山田實が見たものは、普通に生きている沖縄の男や女そして子どもたちであった。そのまなざしは、なにものにもとらわれない清々しくまっすぐなものである。そして山田の写真は、社会的な何ごとかを強く訴えるものではなく、表現として強固なスタイルを構築することや目指すものでもなく、あまりにも普通のことを普通に無造作に写し出している。それは山田實というカメラを持った人間が生きてきた沖縄という日常を等価に現しているといえよう。
 今あらためて山田實の写真を見ることは、占領から復帰を経てイメージ化された「美しい南の島・沖縄」に織り込まれ見えなくなった沖縄の日常の襞を掘り起こすだけでなく、山田實という写真家の「きよら」なまなざしを経験することとなるにちがいない。(ディレクター:金子隆一/写真史家)

2017年9月22日『沖縄タイムス』仲嶺絵里奈「展評ー山田實展」/2014年3月ー左から豊里友行氏、山田實さん、金子隆一氏、仲嶺絵里奈さん

山田實(やまだ みのる)氏プロフィール
1918年 兵庫県で生まれる
1920年 家族と沖縄に渡る
1941年 明治大学専門部商科本科卒業。日産土木株式会社入社、満州に赴任
1945年 北満州で終戦、シベリアに抑留
1952年 沖縄へ帰還、「山田實写真機店」開業
1959年 「沖縄ニッコールクラブ」結成(会長就任)
1972年 本土復帰に伴い、「沖縄ニッコールクラブ」は「ニッコールクラブ沖縄支部」に改称(支部長就任)
1978年 沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞
2002年 写真集『子どもたちのオキナワ 1955-1965』刊行、地域文化功労者表彰、沖縄県文化協会功労者賞受賞
2012年 『山田實が見た戦後沖縄』刊行、写真展「人と時の往来 -写真でつづるオキナワ」(沖縄県立博物館・美術館)
2013年 第29回写真の町東川賞 飛騨野数右衛門賞受賞
2017年 逝去
パブリックコレクション 沖縄県立美術館、東京都写真美術館、北海道 東川


2018年7月22日(日)から 8月19日(日)までの夏休み期間、名護市喜瀬の万国津梁館では沖縄の新旧の芸術文化・作品に触れることが できる2つの展覧会、「山田 實(みのる)写真展」並びに「粋な名工展」を開催。


山田實の本

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1929年10月ー土田杏村『草煙心境』第一書房
豚の膀胱
私の前に一つの幻想が浮かぶ。一年のどん詰りだ。内地なら寒くって仕方のない時だが、ここは琉球だから寒さで不自由をする必要はない。お正月の餅を搗く音がどの家からも聞こえて来る、-というと大変都合はよいけれども、琉球では肉を吉事に使い、餅を凶事に使うから、餅搗きの音などはどこからも聞こえはしない。
子供が数人駆けてきた。見ると銘々が同じ恰好の空気袋を持っている。提灯のようにも見えるが、その作りは断じて紙ではない。が、またゴム毬にしては、少しぢぢむさいところのその色を怪しむ。
  「俺いらの家のはこれだよ。
  「俺いらのはこれさ。
  「やい俺いらのが一番でっかいや。
なるほどその子供の持っている袋は、おそらくは乳なしで育ったこの子の不自然にでっかい頭よりも、もっと大きい恰好をしている。そこで子供は余程ご機嫌で、袋の首のところをしっかり握り、刀のような具合に身構えてほかの子供の袋とポンポン打ち合い、更に高く頭の上へそれをさし上げては、「萬歳!」と叫んだのである。ほかの子供は見るからに打ち萎れ、またその空気袋の空気もいつの間にかだいぶ漏れたと見えて、袋は皺だらけになり拳の上へ倒れかけた。
この空気袋は一体なにか。ここまでしゃべってさて話を落とすとしたら余っぽど間が抜ける。標題にちゃんと「豚の膀胱」と書いて置いた。それにしても子供が、豚の膀胱のような詰まらないものを誇り合う心理だけは、文明人の我々にちょっと解せない。が、古琉球では豚を飼養したからとてそれを皆んな食うわけではない。豚は他へ売る商品であって、自家で食う食料ではないのだ。ただ一年に僅か一度の例外、それがこの大晦日の豚屠りだ。屠られた豚の肉の大部分は鹽漬けにされ、その大事な「予算」の中から次年度の体力が小出しに生み出される。大きい豚を惜しげもなく屠る家が富んだ家なのはいうまでもない。


2018年7月『広報あぐに』№126 新城静喜「心に残るしまくとぅば/ウヮー(豚)アーグー(名称は粟国に由来する)」新城村長は末尾に「時代とともに島から豚がいなくなり、『アーグー名称発祥地』だけが残った。アーグーがいつか島で飼育されることを望みます」と記している。/2005年4月 平川宗隆『豚国・おきなわ』那覇出版社「沖縄にしかない、沖縄でしか食べられないという銘柄豚を作出しなければ、生き残りのサバイバルゲームには勝てないと思います。」

平川宗隆『豚国・おきなわ』那覇出版社/2015年3月 比嘉理麻『沖縄の人とブター産業社会における人と動物の民俗誌』京都大学学術出版会


1975年2月 沖縄の雑誌『青い海』40号 「沖縄の食べもの文化考/豚の泣く日」

1980年7月 沖縄の雑誌『青い海』94号 「豚の特集ー豚にまつわるユニークな民俗・文化論の数々」

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

古美術なるみ堂主人の翁長良明氏、厚子さん/司会の大村巌氏、喜納吏一氏、平良大氏、島袋奈美さん

古美術なるみ堂主人の挨拶

福島千枝さん、上間友美さん

喜納吏一氏、平良大氏、島袋奈美さん

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 前は沖縄県立博物館は歩いては行けなかったが、今は歩いて直ぐである。少し前までは沖縄県立図書館も歩いて行ったが、数え70になると東陽バスで行くのが増えた。今年12月には図書館はモノレール旭橋駅と直結するという。私にとって都合は良いが、図書館近くに住んでいる國吉さんは不便になるという。





2000年10月 「沖縄の図書館」編集委員会(代表・伊藤松彦)『沖縄の図書館 戦後55年の軌跡』教育史料出版会

写真右からー大城宗清氏、伊藤松彦氏、新城栄徳/2000年11月5日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評/『沖縄の図書館」」


写真左から大城宗清氏、新城栄徳、漢那憲治氏(梅花女子大学教授)
□大城宗清ー1932年1月生まれ。1958年ー琉球政府立法院事務局図書室。1967年ー琉球政府厚生局医学図書室。1972年ー沖縄県立図書館、73年に同館長。86年ー沖縄県立博物館長~1992年定年退職。昭和51年12月 大城宗清『歌集 古里の土』新星図書




» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2018年8月23日NHK沖縄

 [大弦小弦]子どものころ読んだ絵本というのは、記憶の深いところに… 沖縄タイムス 2018年7月22日
 子どものころ読んだ絵本というのは、記憶の深いところに保存され、簡単には失われない。県立博物館・美術館で開かれている個展「儀間比呂志の世界」で絵本「かえるのつなひき」を見て実感した
▼題名には覚えがないのに、作中のカエル「ちゃすがやー」のせりふや、彼らが1列になって踊る姿に懐かしさを覚えた。絵本の存在は、儀間さんの作品が世代を超えて支持される理由の一つ
▼戦争をテーマにした作品だけでなく、民話風な題材でも、弱い者や民衆に寄り添う確固としたメッセージを込めた。例えば「ふなひき太良」は台風被害で苦しむ島の人々に理不尽な要求をする役人を、主人公の太良が懲らしめる話だ
▼展示会は昨年4月に亡くなった儀間さんの版画を中心に、100号サイズの油彩画やレリーフなど約90点を集めた。大胆な構図が見る者に迫ってくる沖縄戦を描いた版画、鮮やかな色彩が美しい琉球舞踊を描く手彩色の作品
▼大阪で、故郷沖縄の人々や、伝統文化の魅力を表現しようと奮闘し続けたエネルギーが会場中に満ちている。展示作からは版木に押し付けられたバレンの圧までが伝わる
▼「ふなひき太良」の後書きで「いまでも沖縄の人たちは、自分たちのほんとうの生活をかちとるために、たたかい続けています」と書く。力強い作品群は私たちにパワーを与えてくれる。(玉城淳)

2018年7月19日 NHK沖縄放送局 「沖縄 NEWS WEB 版画家儀間比呂志さんの作品」那覇市出身の儀間比呂志さんは、沖縄戦の体験者の話をもとにした作品や、沖縄の風土や歴史に根ざした作品を描き続け、去年、94歳で亡くなりました。展示会は儀間さんを追悼し、多くの人に作品について知ってもらおうと、那覇市の県立博物館・美術館で開かれています。このうちガマの中で旧日本軍の兵士が銃剣で住民を突き刺す瞬間を描いた作品は、「皇軍は勇戦した」というタイトルが付けられていて、旧日本軍への痛烈な皮肉が込められています。
また、絵本作家としても活動した儀間さんの代表作、「ふなひき太良」の原画17点も展示されていて、飢きんに苦しむ村人から年貢をとろうとする薩摩の役人を追い払う様子が生き生きと描かれています。県立博物館・美術館の豊見山愛主任学芸員は、「儀間比呂志の多才で多作な表現に触れて頂ける展覧会なので、多くの人に見てもらいたいです」と話していました。


2018年7月18日 写真左から新城栄徳、儀間にデザインを依頼した皿を持つ早野充氏、豊見山愛さん(撮影・町田恵美さん)/皿の原画(所蔵・ギャラリー象)〇早野氏は沖縄都ホテル総料理長のときペリー料理再現に取り組んだ。経緯は1985年11月『南島』に「ペリー艦隊の招待料理―その再現経過― 桑原守也 早野充 」として記されている。


2018-7-14『沖縄タイムス』「沖縄を彫った版画家 儀間比呂志さん追悼展開幕 写真ー生前の儀間さんと親交のあった山内栄氏」

2018-7-14『琉球新報』

原爆の図 丸木美術館「追悼・儀間比呂志展」

2018年7月13日 RBCニュース「儀間比呂志展始まる」
2018年7月13日 OTV ニュース「儀間比呂志展」(儀間比呂志の生前の動画)

2018年07月13日(金) ~ 2019年01月06日(日) 沖縄県立博物館・美術館 コレクション展「儀間比呂志の世界展 」
儀間比呂志(ぎま ひろし1923-2017)は、沖縄の画家、版画家であり、絵本作家です。郷土を愛する情熱的なメッセージを込めた絵本は、沖縄の民衆に根ざした歴史を伝え、多くの子どもたちの心を虜にしました。人物描写を得意とする儀間作品の特徴は、南方系の女性を太く黒い線で描いた油絵や、沖縄の美しい風土、その美しさを奪った戦争などをテーマにした木版画で、1970年以降は版画に専念します。
本展は、2017年に他界した儀間比呂志による油絵、木版画を中心とした追悼展です。

1995年9月 『島を出た民の戦争体験集』沖縄県人会兵庫本部/2017年5月『榕樹』第426号



山田薫氏、儀間進氏、山田聡氏/謝花聡恵さん、玉那覇英人氏、富原圭子さん

喜友名ひとみさん、新川明氏、儀間進氏/儀間進氏、山田和子さん、渡口彦邦氏

写真左から田名真之氏、儀間進氏、新川明氏、平良京子さん

儀間進氏と田名真之氏/山内栄氏


儀間ファミリーと池原盛浩氏(右)/儀間ファミリーと田名真之氏(左)

儀間進氏、喜久村徳男氏/兄・比呂志の遺影の前で儀間進氏

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 「くろねこの短語」2018年8月18日-(略)「そこにいくと、さすがアメリカのメディアは腐っても鯛。「アメリカの約350の新聞社がメディアを『国民の敵』などと攻撃するトランプ大統領を批判する社説を一斉に掲載」したってね。このキャンペーンを呼びかけたボストン・グローブの「『報道の自由が国家の基礎である』という200年にわたるアメリカの原則が深刻な脅威にさらされている」って言葉こそ、ジャーナリストとしての誇りと矜持というものです。
 鮨友だらけの日本のメディアには、地球がひっくり返ってもこんな言葉は吐けやしませんよ、ったく!
 それにしても、この全米350紙の反乱を、日本の新聞・TVが積極的に取り上げていないってことは、さいがに恥ずかしいからなのかもしれない・・・ていうか、恥じ入ってほしいと切に願う、秋色の風が清々しいの土曜の朝である。

 「くろねこの短語」2018年8月17日-新聞・TVは、捜索ボランティアのおじさんをヒーロー扱いして大騒ぎしている。でも、それだけでいいのか? おじさんに先を越された警察のお役所仕事的捜索方法に問題はなかったのか? なんで、そこを誰も問わないのだろう。お役所仕事と言えば、なんと国交省や総務省といった中央省庁が、障害者雇用率を水増ししていたってね。民間がそんなことしたら違反納付金取られたりするってのに、自分たちは障害者雇用に消極的どころか水増しして誤魔化していたってんだから悪質だ。
 財務省の公文書改竄、防衛省の日報隠蔽、厚労省のデータ改竄とまったく根っこは同じで、ようするに国民舐めてるってことなんだね。もはや行政性善説なんてのは神話にしかすぎないんであって、犯罪者集団と言っても過言ではないだろう。犯罪者集団とくれば、これはもう公文書改竄の財務省の右に出る者はいないんだが、昨日のエントリーで紹介したシュレッダー佐川君に対する偽計業務妨害告発を受けての東京地検特捜部の捜査なんだが、なんとまあ不起訴で終結だとさ。やっぱり、ただのポーズだったってことなんだね。これまた国民舐めてくれたもんです。

 「くろねこの短語」2018年8月16日-(略)「反省」と「不戦の誓い」・・・敗戦の日に語るべき言葉はこれしかない。ああ、それなのに、今年も初老の小学生・アベシは「不戦の誓い」は言葉を濁し、「加害と反省」には触れようともしなかった。「過去を否定する人は、過去を繰り返す危険を冒している」というワインゼッカー元ドイツ大統領の言葉を改めて噛み締める、すっかり秋めいた風の吹く朝である。
 そんな敗戦の夜に、初老の小学生・アベシは、シンキロー森、ご隠居・小泉、ひょっとこ麻生、昼間の幽霊・岸田、さらにはきつね目・茂木、女体盛り・西村、加計学園とズフズブの萩生田といった一族郎党を集めて会食したってね。総裁選後のアレコレについてよからぬことを話し合ったに違いないんだが、ご隠居・小泉ってのはよくもまあこういう席にノコノコ顔出せるもんだ。脱原発の掛け声も、しょせんはポーズなんだろうね。→会食は日本財団の笹川陽平会長の別荘

 「くろねこの短語」2018年8月10日-(略)いやはや、最後の「翁長知事も異は唱えられないと思っています」って、この男は何を言ってやがるんだ。読みようによっちゃ、「普天間基地の危険を取り除く選択肢は辺野古移設であるとの合意」を翁長氏が認めていたってことになるんだね。命がけで戦い道半ばで倒れた翁長氏への冒涜だろう。山口メンバーには、いつか仏罰があたることを願ってやみません。
・公明、山口那津男代表、辺野古移設「翁長知事も異を唱えられないと思う」
 最後に、パンパシフィック水泳で盛り上がっているのはいいけれど、心も熱いが頭も熱い修造が、「大和魂」なんて言葉を中継中に叫んでいたのにはウンザリ。アメフト、ボクシング、チアリーディングと続くスポーツにおける闇ってのは、こういう薄汚れた言葉がいまの時代につい口をついて出ちゃう精神性がそもそもの元凶があるのに違いない。

 「くろねこの短語」2018年8月7日-(略)ペテン総理とみっともない仲間たちにはさぞかし耳の痛い格言だろう。前言を翻すのは朝飯前。それどころか、息を吐くように嘘をつく。「謙虚」「丁寧」なんて言葉はすべて上辺だけ。その場を取り繕うためなら、どんな美辞麗句だって、臆面もなく口にする。でも、そのための具体的な政策は、まったく語らない。「政治家は言葉が命」なんて時代は遠くなりにけりで、「政治家の言葉の空洞化」なんてことが当たり前のように語られる。
 そんな「政治家の言葉の空洞化」の典型を、ペテン総理が昨日の広島平和式典でやらかしてくれた。「核兵器禁止条約の署名・批准」を強く求めた被爆者団体を嘲笑うかのように、核兵器禁止条約を拒否したうえで「核兵器国と非核兵器国への働きかけを行い、国際社会を主導していく」とぬかしたんだね。
 そうかいそうかい、だったら具体的にどんな「働きかけ」をするか、そこを説明するのが政治ってもんじゃないのか。「国際社会を主導」するって、北朝鮮問題でさえ蚊帳の外くせしてよく言うよ、ってなもんです。

 「くろねこの短語」2018年8月2日-(略)ていうか、日本のジャーナリズムの、これが実像なんだろうね。権力の監視機構であるべきなのに、長いものに巻かれろっていうか、見て見ぬ振りというか、御身大切というのが習い性になっちゃってるんだね。つまり、羊の集団ってことだ。日本ボクシング連盟のすっとこどっこいな状況ってのは、日大アメフトもそうだったように、おそらく問題発覚前から関係者の間では周知の事実だったに違いない。それを知っていながら、いまさらのように「噂では聞いてましたけど」ってドヤ顔するコメンテーターってのは恥ずかしくないのかねえ。
 NHKのガースーの番記者なんか、なんの衒いもなくヨイショてんこ盛りの記事書く時代ですからね。この国のすべてのジャンルのジャーナリズムってのは、ゴシップを漁る情報ブローカーみたいなもので、その権化が元祖電波芸者の田原総一朗君だ。政治をワイドショーのレベルに引きずり降ろして、エンターテインメント化したことで一世を風靡したわけだけど、おかげで権力の監視機構としてのジャーナリズムは疲弊しちまったってことだ。

 「くろねこの短語」2018年8月1日-(略)週刊フラッシュのスクープだそうで、この次男というのは二階君が経産相の時に大臣秘書官もやっていたんだとか。お仲間とされる元暴力団幹部は逮捕・起訴されているそうだから、おそらく何らかの犯罪に手を染めていたのは明らかなのだろう。
 こうした事実を突きつけられた土建政治の二階君は「知らねえよ」「別人格だ、息子は」と言い放ったそうだ。う~ん、どこかで聞いたセリフだなあと思ってたら、そう、杉田汚水脈のLGBT差別発言を「人それぞれの人生観」と擁護してたのと同じなんだね。
 昏睡レイプ魔だってペテン総理のお友だちなら逮捕されない政権なんだから、幹事長の息子が何しようと関係ないってことか。それにしても、「知らねえよ」はないだろう。こんなのが政権与党の幹事長ですからね、後は推して知るべし、ってなもんです。ところで、ぼったくりバーのチーママ小池君が豊洲市場の安全宣言をぶち上げてくれた。なんだよ、さんざん気を持たせて最後はこれかい。それにしても、いまだに基準値の100倍超のベンゼンの検出が続いてるってのに、よくもまあヌケヌケと安全宣言なんかできるものだ。
 まるでペテン総理の「アンダーコントロール」と同じ屁理屈なんだね。いまだかつてない豪雨が襲って地下水位上昇して有害物質が流れ出したらどうするんだろう。おそらく、何も考えていないに違いない。しょせんは、経歴詐称するようなただの目立ちたがりですからね。
最後に、フリージャーナリストの安田純平さんの新たな映像が公開された。オレンジの囚人服を着せられていたってことは、かなり危険な状況なのではないだろうか。ああ、それなのに、ペテン総理は休暇中だとさ。「日本人に指一本触れさせない」と息巻いたのはどこのどいつだったけね。

 「くろねこの短語」2018年7月31日-(略)ところで、網タイツの稲田君が、ツイッター始めたとたんに炎上。ツイート削除するハメになりました。そのツイートってってのがこれです。「支部長は大先輩の内野経一郎弁護士。法曹界にありながら憲法教という新興宗教に毒されず安倍総理を応援してくださっていることに感謝!」
 これは、日本会議の東京都中野支部で開催された「安倍総理を勝手に応援する草の根の会」に応援弁士として参加した時のことをツイートしたものなんだが、明らかに現行憲法を否定する意図を持った言い草だ。憲法遵守義務違反だって声が上がるのも当然のことで、「こういう認識の人が防衛大臣をやっていたことに改めて震撼する」って指摘もむべなるかなってことだ。

 「くろねこの短語」2018年7月29日-(略)メディアの粘り強さってのが世論を喚起し、それが野党を後押しするバワーへと繋がっていくものなのだ。ところが、政権批判を装いつつ、最後には野党を貶めるといういまのメディアのやり口がペテン政権を裏で支えているのが現状なんだから、何をかいわんやなのだ。
 ところで、スポーツ庁と文科省が「東京五輪・パラリンピックの期間中にボランティアに参加しやすいように全国の大学と高等専門学校に授業や試験期間を繰り上げるなど柔軟な対応を求める通知を出した」ってね。ボランティアという名目で、国家総動員法の予行演習でもしようってのか。それにまた無批判に乗っかる新聞・TVもどうかしてます。もう駄目かもわからんね、この国は。

 「くろねこの短語」2018年7月28日-(略)そんなことより、シュレッダー佐川君の公文書改竄のお仲間で、厳重注意処分を受けた岡本君とかいうのが財務省事務次官に栄転だそうで。なんとも、舐めたことしくさってくれるものなんだが、この人事を発表する記者会でひょっとこ麻生は記者から「大臣の認識としても今回の人事はベストか」と問われて、こんな答えしとります。「思ったから私が任命した。人事権はあなたでなく俺にある」いやあ、これをTVのニュースで観ていて、一瞬だけど殺意がよぎりましたよ。ペテン総理が政権の座に居座ってからというもの、この国の政治家や官僚から「節度」や「謙虚さ」がどんどん失われていってるんだが、この世襲の政治屋はその最たるものなんだね。
 ぺらんめえ口調が個性だみたいな言い方もあるが、こういうのはただの無礼で無教養な人間のすることで、こういう汚い言葉使いを江戸っ子を自認するオヤジは忌み嫌っとりました。本当の下町言葉は、他人への敬意が込められた美しいものだってね。
 それはともかく、「人事権は俺にある」って言い草が、もはや国民の負託を請けた立場ということを理解していないってことの証なのだ。「政治が家業」の世襲政治屋の成れの果てがこれなんですね。ところで、沖縄県の翁長知事が、辺野古の埋め立て承認を撤回することを表明。おそらく、これが「最後の切り札」なるのだろう。知事の健康状態を考えると命がけの戦いということだ。これを受けた顔も頭も貧相なガースーが記者会見で「我が国は法治国家だから最高裁の決定に粛々と・・・」てなことをのたまっていた。「法治国家」とはどの口が言うか。これにもまた、一瞬の殺意がよぎったのであった。

 「くろねこの短語」2018年7月26日-(略)それにしても、絶妙のタイミングでのスキャンダル。聖子潰しに動いたのは、どこのどいつなんでしょうね。推理小説では、最も得をする人間が犯人ってことになるんだが、てことはアレか・・・!?出戻り聖子君の連れ合いの過去についてはアレコレ詮索する週刊誌も、ペテン総理の反社会勢力との関係はどうして突っ込まないのかねえ。新聞・TVだって、まったくスルーですからね。でも、事は暴力団を使った選挙妨害という極めて悪辣な案件なんだよね。しかも、ペテン総理は報酬をねぎったことから、地元の自宅や事務所に火炎瓶投げ込まれるという、東映ヤクザ映画もかくやの展開。裁判でもペテン総理陣営と暴力団との関与は明らかになってるってのに、なんてこったいなのだ。
 出戻り聖子君のスキャンダルは閉会中審査して真相を解明しろって共産党は言ってるようだが、ついでに森友・加計学園疑獄もお願いしますよ。そうした声がメディアから聞こえてこないのが、なんとも不思議な国ニッポンなのであった。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1974年4月 沖縄の雑誌『青い海』32号 大浜聡(NHK東京)「島影追想」

大濱聡「八重山の旅」
7月10日
■森口 豁氏(フリージャーナリスト)との八重山の旅、台風8号接近のため2日前倒しで帰ってきました(本日搭乗予定の航空機は欠航になったため正解でした)。「しばらく八重山便りが続くかもしれません」と予告しましたが、西日本の大雨被害を見るにつけ、誰かさんのように大雨の最中、且つオウムの死刑執行前夜に賑々しく開かれた宴会の写真を自慢げに投稿するような神経は持ち合わせていないため、旅先からの投稿を自粛していました。
■台風は今後、八重山に接近していくようです。今回は鳩間島、西表島、石垣島の皆さんと身近に接してきただけに、いつも以上に心配です。大きな被害がないよう祈っています。

7月4日

■ここ3週間で、我が石垣島を含む八重山を舞台にした森口 豁氏(フリージャーナリスト)の著書4冊を10-30年ぶりに読み返しました。というのも、明日から石垣、鳩間島の旅をご一緒させていただくことになり、復習のため改めて読み直ししたものです。
氏は沖縄での新聞記者を経て、日本テレビのディレクターとして沖縄をテーマに数々のドキュメンタリーを制作。数多いTV制作者の中で最も沖縄に寄り添い、沖縄を理解し、且つ優れた作品を作り続けた敬愛する大先輩です。
■ご本人は「弥次喜多道中の旅」と言われますが、私としては石垣で合流する地元在のU氏とともに、黄門様に従う助さん、格さんのつもりでいます。3名は30余年前、東京での沖縄関係者の集まり「ゆんたく会」のメンバーでした。
■というわけで、明日からしばらく八重山便りが続くかもしれませんが、悪しからず。

大濱 聡 8月10日
■Media Literacy――安室追悼コメントについては私の中では完結したつもりだったが、FBで「NHKニュース7」では肝心の部分が「抜けて(抜いて)いる」との指摘が投稿され、内田樹氏の「『NHKは政府の広報になったのではないか』という批判にさらされている中でこういうことを敢えてやった以上、現政権と一蓮托生の覚悟を決めたということなんでしょうね」とのコメントが付いていたので、調べてみた。
■「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ――」といういわば核心部分を使わなかったのは「ニュース7」とフジテレビ「プライムニュースイブニング」だけで、他は当然のようにその部分を抽出して紹介していた。授賞式での翁長知事の気遣いも含めて、いちばん丁寧に紹介したのはNHK沖縄のローカルニュースだった。
■同じNHKでも「ニュースウォッチ9」はしっかり伝えていたので、「ニュース7」の扱いは意図的だったのか、単に編集責任者やニュースデスクのニュースセンスの欠如なのか。🤔
※私が確認できた範囲内で(17時台の全国ニュース除く)


» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
19802月15日 儀間比呂志、第14回沖縄タイムス芸術選賞大賞を受賞(城間有さん確認)


1980年8月26日~9月6日 大阪府立現代美術センター「儀間比呂志 版の世界展/」高橋亨・大阪府立現代美術センター館長「その木版画の根の深さ」

1983年8月29日『読売新聞』「青春紀行ー儀間比呂志 南洋の果て・・・沖縄の心」



1983年10月 沖縄物産センター「儀間比呂志 版の世界展」

沖縄物産センター



1984年3月26日~4月14日 みずさわ画廊(渋谷区千駄ヶ谷1-24-12)「儀間比呂志版画展」婦団連会長・櫛田ふき「沖縄の真実を刻む」霜多正次「儀間比呂志と沖縄ー沖縄では個人の家でも、喫茶店や飲屋でも、公共の施設でも、あちこちに儀間比呂志の木版画が飾られていて、彼が沖縄の人びとにひろく親しまれていることがよくわかる。・・・」


霜多正次 しもた-せいじ
1913-2003 昭和後期-平成時代の小説家,評論家。
大正2年9月5日生まれ。第二次大戦後,新日本文学会にはいる。米軍占領下の沖縄をえがいた長編「沖縄島」で昭和32年毎日出版文化賞。新日本文学会をはなれ,40年日本民主主義文学同盟設立につくす。46年「明けもどろ」で多喜二・百合子賞。平成15年4月16日死去。89歳。沖縄県出身。東京帝大卒。旧姓は島袋。評論に「文学と現代」など。(コトバンク)


1985年8月『版画藝術』室伏哲郎「わが胸の沖縄のここには・・・・」

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

  
  
  
  

左から仲里渚善さん、平良昭隆氏、平良知二氏、百恵さん/寛仁くん親子

花城良廣氏「乾杯のあいさつ」






» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

沖縄コンベンションセンター/写真左から新城栄徳、仲松庸次氏(1952年沖縄県那覇市首里生まれ。城西小,首里中,首里高,金沢大卒。現在,沖縄県読谷村で学習塾。大学では心理学を専攻)京子さん(曽根信一の娘さん)


2018年7月6日 末吉安允氏と某団体の灯籠流しに参加した。右が末吉安允氏


1970年8月 『太陽』「今月の人ー曽根家の人たち」左から3人目が曽根信一氏


「ニッコールクラブ写真展」(沖縄三越)ー石垣里公(書道教師)、森幸次郎(沖縄県庁広報)、平良正一郎(ソベ電器)、又吉(医師)、山田實、有銘盛紀(那覇市役所)、曽根信一、ビセ(那覇市役所)小橋川門副(写真館)、上江洲清徳(南映劇場) 、伊元源二(沖縄県庁)

金城安太郎展の情報の紙面展開がタイムスは新報に比べて少ないので、6月8日にタイムス出版部の後田多敦氏を訪ねた。氏は6月16日のタイムス文化欄に「琉球の美を求めてー金城安太郎と沖縄美術」を書いたという。そのうち四方山話になり球陽日本画会のことで謝花雲石の名前が出て、写真家の山田實さん保管の雲石の戦前の作品の話になった。後田多氏、学芸部の友利記者に連絡、3人で話をしているうちに取材に行こうということになった。この場合、取材する側、作品を解説する人と山田さんの都合が合わないと取材は成立しない。電話で都合を確認するとお互いに運悪く(?)都合は良いとのこと。新報との兼ね合いもあるというのに。

私が雲石と出会ったのは中学のころ、見聞きしたことがあるが本格的に興味を持ったのが、1972年2月10日、亀岡の大本本部に奉仕活動に来ていた金城ひろみさんに誘われて那覇での大本「琉球国魂鎮座祭」に参加し大本に関心を持ったときである。雲石は戦前から大本の信者であることが分かり親しみを持った。以来、雲石周辺に居た人たちとも出会った。曽根信一(名刺の字は雲石書)照屋栄一親泊元高山田實らの諸氏とも出会うことになる。それはともかく、タイムスには6月9日に「謝花雲石戦前の書見つかる」として1面に載った。新報は山田氏の明治大学の戦後の後輩、宮城記者が取材し、6月17日に「謝花雲石の戦前作発見」として23面に載った。(2009-6-19記)
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1967年6月4日『潮流ジャーナル』小中陽太郎「<ルポ>沖縄の右翼たち」1967年3月29日、福地曠昭は路上で短刀を持った二人組に襲われた。短刀で刺され、全治2ヶ月の重傷。4月3日に犯人が逮捕された。犯人は「東亜友愛事業協同組合」沖縄支部(宜保俊夫支部長)のメンバー金城義雄(22)と野原林一(21)。「沖縄政治研究会」は東亜友愛事業協同組合のダミー組織.。

null
前島にあった海勢頭豊氏の店で、左から新城栄徳、儀間比呂志氏、福地曠昭氏
〇儀間さんには『沖縄戦 朝鮮人軍夫と従軍慰安婦』1995年、福地さんには『哀号・朝鮮人の沖縄戦』月刊沖縄社1987年がある。

2006年6月 福地曠昭『つりと海ー今昔物語ー』那覇出版社

□福地曠昭 ふくち-ひろあき
1931- 昭和後期-平成時代の労働運動家。
昭和6年2月28日生まれ。昭和31年沖縄教職員会にはいり,祖国復帰運動に参加。43年屋良(やら)朝苗琉球主席の誕生につくす。平和・教育運動に活躍し,47年沖縄革新共闘会議事務局長,平成2年県教組委員長。沖縄県出身。青山学院大中退。著作に「村と戦争」「沖縄の混血児と母」など。→ウィキ

null
福地曠昭の本

null
国場幸太郎氏を囲んで
左から新城栄徳、国場幸太郎氏、後方左から鳥山淳氏、森宣雄氏、福地曠昭氏
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1995年5月 ひめゆり同窓会東京支部『ひめゆり同窓会』ルック


1997年4月 儀間比呂志『マジムン(おばけ)のうた』ルック(東京都豊島区巣鴨1-20-9)


『フライデー』(FRIDAY)は、講談社が発行、1984年(昭和59年)11月9日創刊の毎週金曜日発売(原則)の写真週刊誌。昭和の左は昭和の妖怪と称された岸信介(長女・洋子は安倍晋太郎に嫁す。Tシャツやネットに「嘘つきはアベの始まり」のアベは孫) 。満州侵略を推進してA級戦犯の汚名を持ちながら、首相にまでなり60年安保条約を成立させて日本をアメリカ属国に向かわせた男である。孫のアベ政権が2012年に発足し、大企業と結託した政策で、辺野古新基地、原発、軍需産業等に税金を使い放題、やれオリンピックだ、明治150年だのと国民の目をそらすカモフラージュ作戦で軍事国家を目指している。国会では森友・加計学園疑惑に嘘偽答弁を連発し、我が物顔で国政の私物化をあらわにしてはばからない。→2018沖縄に民主主義はあるか


1911年10月 井上圓了『日本周遊奇談』博文館「琉球の七奇ーハブと豚、薯と泡盛、ユタ墓場、赤き瓦を七奇とぞ知る。」
大正14年7月『週刊朝日』伊東忠太□化けものー故井上円了博士は有名な妖怪学者であったが、博士は化け物の有無については徹底的に断案を下しておらない。伊東には「妖怪研究」という文章もある。






2007年 沖縄県産人形アニメ映画『鉄の子カナヒル』(原作・儀間比呂志)


2018年8月7日~12日ー沖縄県立博物館・美術館 県民ギャラリー2「比嘉ブラザーズの沖縄のマジムンと怪異展」

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1906年5月11日『琉球新報』「童話ー義民伝 前号で終わりましたから今度は暫く少年少女を相手に昔から伝えた本県のお伽話を普通語になおして掲載することにしました。猿のお臀」/5月12日『琉球新報』「童話―外間氏の話」

1906年5月13日『琉球新報』「童話―清雄の立身」/1906年5月15日『琉球新報』「童話―親食ひ不孝」

1906年5月16日『琉球新報』「童話―御師さんと小僧」/1906年5月17日『琉球新報』「童話―國の始め」


1906年5月18日『琉球新報』「童話―モーイ親方の幼時 老父捨ての話」/1906年5月19日『琉球新報』「童話―兄弟不和の戒 平安座バッタラーの話 翡翠と雀の話」


1906年5月22日『琉球新報』「童話―ダヌンナラン胡屋主 悪の報」/1906年5月23日『琉球新報』「童話―田植唄 子守唄」


» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02


 私たちの京都沖縄青年グループ(都沖青)は京都三条河原町にある松田祐作さん経営「琉球料理・守禮」に連絡所を置き、表札や名簿も作ってもらった。近くの三条大橋で鴨川を渡るとエイサーの元祖、袋中上人が開創した檀王法林寺がある。

 1970年12月、私は京都鳴滝にある沖縄学生たち(同志社大・立命館大)の借家のひとつ、山口浤一さんの部屋に居た。沖縄から帰ったばかりの山口さんの婚約者が興奮さめやらぬ口振で語る「コザ騒動」の話を学生たちと聞いていた。沖縄学生たちの機関誌は、1964年、京都在学沖縄県学生榕樹の会『がじゅまる』、65年、同志社大学大学沖縄県人会『珊瑚礁』、67年、関西沖縄県学生会『新沖縄』などがあった。京都丸太町の古書店で『立替え立直し』を買う、梅棹忠夫・上田正昭の対談「出口王仁三郎における変革の思想」が載っていた。上田正昭は何かと大本には縁がある。当時、京都で発行されていた『日本のなかの朝鮮文化』の執筆常連でもあった。沖縄との関わりも深い。私も朝鮮文化社にはよく遊びに行き、編集室奥の部屋で鄭詔文さんのコレクション、李朝の白磁などの陶器を見せてもらったりした。このコレクションが後の高麗美術館とつながる。
 前出の『立替え立直し』の発行は亀岡の大本本部天恩郷で、ちょうどそこには沖縄から金城ひろこが奉仕活動に来ていることを京大付属病院保健課の大城敬人さん(現・名護市会議員)の紹介で訪ねた。都沖青の一環で亀岡の渡文や大本亀岡本部はよく訪ねた。本部から離れたところに王仁三郎の生地瑞泉郷がある。大本本部の大本資料室で王仁三郎の沖縄訪問時の資料、王仁三郎扮する七福神や神々の写真パネルを見た。王仁三郎手製の楽焼の茶碗も見た。本部では茶道、八雲琴の演奏なども聴いた。
null
null
『日本のなかの朝鮮文化』朝鮮文化社(鄭 詔文)

nullnull
1973年3月ー『琉球の文化』第3号□広告に朝鮮文化社がある。
null
上田正昭さんが沖縄に来られたとき写真に収まってもらった。ご本人の著書は1971年末からの付き合いである。
1973年  福木, 詮『沖縄のあしおと―1968-72年』 (岩波書店)儀間比呂志「表紙版画」

1974年4月、司馬遼太郎が沖縄関係資料室に来室、西平守晴と対談  司馬遼太郎『街道をゆく6』朝日新聞社
○大阪の都島本通で、篤志でもって「沖縄関係資料室」をひらいていおられる西平守晴氏にもきいてたしかめることができた。西平氏は、「そうです、そんな話があります」といって、南波照間の「南」を、パイと発音した。ついでながら本土語の南風(はえ)は沖縄でも「南」の意味につかう。本土語の古い発音では、こんにちのH音が古くはF音になり、さらに古くはP音になる。つまり花はパナである。八重山諸島の言葉はP音の古発音を残していて、南(ハエ)が南(パイ)になるらしい。西平氏はこのまぼろしの島を、「パイ・ハテルマ」と、いかにもその島にふさわしい発音で言った。

〇石垣島の石垣という以上、島主だった家なのかと思って、その家の中年婦人(末吉麦門冬の娘・石垣初枝)にきくと、「もとは大浜という姓だったそうです。何代か前に石垣と変えたときいています」ということだった。家の人の説明によると、「このお庭は、文政2(1819)年の作だということです。庭師は首里からきました。方式ですか、日本の枯山水です」ということだった。枯山水というのは池もなく遺水もなしに石組だけで山水を表現する作庭形式だが、滋賀県の園城寺金堂の庭園などを見ると、平安期からこの思想はあったらしい。しかし完成したのはよく知られるように室町期からで、この様式が江戸期に八重山諸島にまで及んでいたということは、不覚にも知らなかった。/ごく最近、古美術好きの私の友人(鄭 詔文)が、沖縄へ行った。かれは在日朝鮮人で、齢は五十すぎの、どういうときでも分別のぶあつさを感じさせる人物である。

null
写真左/1999年5月11日沖縄ハーバービューホテルで神坂次郎氏(作家・熊野の生き字引で司馬遼太郎の文学仲間)、新城栄徳。末吉麦門冬の取材を終えての祝盃。撮影・末吉安允
写真右/1974年4月、司馬遼太郎が沖縄関係資料室に来室、西平守晴と対談。

 2008年10月15日~12月21日まで 大阪人権博物館で「アジア・大阪交流史ー人とモノがつながる街」(10月15日~12月21日)と題し展示会があった。見に行って学芸員の仲間恵子さんから『図録』を入手した。中に上田正昭氏が「アジアのなかの大阪ー東アジアと難波津」を執筆されて、完全な「鎖国」の時代はなかった、と説く。仲間さんはアジア・大阪交流史ー人とモノがつながる街と題して「近現代の大阪についても、生野区のコリアタウンや『リトル沖縄』と称される大正区を訪れることで、人と人との交流が生みだす文化に触れることができる。」と強調している。


○アジア・大阪交流史ー人とモノがつながる街・・・・・仲間恵子
○アジアのなかの大阪ー東アジアと難波津・・・・・・・上田正昭
1 大阪の渡来文化

伝王仁墓 - 大阪府枚方市藤阪東町二丁目に王仁の墓が伝えられている。/王仁大明神 - 大阪府大阪市北区大淀中3丁目(旧大淀区大仁町)にある一本松稲荷大明神(八坂神社)は王仁大明神とも呼ばれ、王仁の墓と伝えられていた。また近辺に1960年代まであった旧地名「大仁(だいに)」は、王仁に由来していると伝えられている。→ウィキ
2 朝鮮、琉球からの使節


3 「東洋のマンチェスター」と海を越えた人びと
4 大阪のなかの多文化

2017年4月3日~7月17日 高麗美術館「上田正昭と高麗美術館」 


» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2000年4月 儀間比呂志『沖縄の鳥人 飛びアンリー』海風社



出版祝賀会案内状/2000年4月13日『琉球新報』新城栄徳「儀間比呂志と沖縄の文化」





真喜志康忠

真喜志勉/2016年 沖縄県立博物館・美術館「Ambivalent TOM MAX」

洲鎌朝夫/2009年 「洲鎌朝夫 一周忌 追悼集」遊びをせんとや生うまれけむ 戯たはぶれせんとや生むまれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動ゆるがるれ

中央、久場とよ、宮良瑛子さん/2016年 沖縄県立博物館・美術館「EIKO MIYARA いのち」

平良次子さん、新城さやか

» Read More