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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
斎藤陽子(Walnut, California)12-22 師走の忙しい週末の朝食と昼食を兼ねたブランチ( brunch)は、テーブルに座ると1分以内には各種料理の乗ったワゴンが客の傍を廻って来るという、世界一早く来るファースト・フードを頂きました。好きな料理を客は取る仕組みの「Dim Sam」私たちは「ヤムチャー・ 飲茶」と呼んでいますが、日本では「点心」でしょうか。

 このヤムチャーお値段も安価で、平日はほとんどの料理が1皿1ドル95セント(200円ぐらい)週末は2ドル50セント(約250円)と、一人1000円分も頂くと、満腹になりお持ち帰りも可能で、大変お安いのですが、朝10時開店と同時に行かないと、昼食時には行列のできる店が大半です。超ファースト・フードの「Dim Sum」ヤムチャー(点心)は、体育館ほどのスペースの、大レストランで提供されます。アメリカのアジア人の中での中国系人口(主に台湾、香港)は3.2%とのこと、それに比べると日系人は0.8%とのことで、いかに中国系が多いかがうかがえます。大半の中国系は、カリフォルニア州に集中して住んでいるため、この様な巨大なレストランでも、経営が成り立つのだろうと思いますが、中国人のその旺盛な食への情熱には感心させられます。ランチ・タイムのレストラン内の客数は壮観なものです。ロスアンゼルスを訪ねたら、ヤムチャ―は絶対的にお勧めです。

斎藤陽子(Walnut, California)12-15日

巷にはクリスマスの花ポンセチアが溢れています。ポンセチアの原産はメキシコといいます。原産国とされるメキシコでは「ノーチェ・ブエナ」と呼ばれ、「クリスマス・イヴ」の意味のようです。真冬に花を咲かせることからアメリカに伝わり、ポンセチアの名が付けられたようです。日本には明治時代に渡来し、和名はショウジョウボク(猩々木)と言い、大酒飲みの赤い顔が特徴の、伝説上の動物である猩々に似ていることから名付けられたと言います。

週末の土曜 日曜のロスアンジェルスは、クリスマス・プレンゼントを買い求める人々と、アメリカの各家庭がほとんどが飾るクリスマス・ツリーを品定めする人々で、どこもごった返しています。週の始まりの月曜日には、朝のロスアンゼルスの通勤時の、高速道路は駐車場状態となります。交通機関は自動車が主流のカリフォルニアですが、米国内でも三大都市の一つに入るロスアンゼルスの師走は、クリスマス商戦もたけなわのこの時期になると、高速道路の片側5車線すべてが駐車場状態です。
しかも最も右側の2レーンはクリスマス商品の運送の、25トン大型トラックが数珠つなぎ状態で、トラックの壁を作っています。左側の黄色車線内は「カープール・レーン」で、この車線は2人乗り以上の車輌のみしか走行できず、一人乗りの車が走って違反すると、巡回監視しているパトカーに摘発され、341 ドル~401ドルの罰金チケットが切られます。車だけに頼っているロスアンゼルスの人々、高速道路はクリスマスが終わるまではラッシュアワーと闘いながらの、通勤生活に耐えねばなりません。

 斎藤陽子(Walnut, California)12-14日ー師走もなかばを迎えた土曜日の朝ですが、考えてみると年内にいろいろなプロジェクトを済まさなければいけないと、気持ちばかりが焦ります。きょうの気温は15℃、夜間は5℃ほどの肌寒い、小雨のロスアンゼルスです。この週末はクリスマス・プレゼントを買い求める人出で、何処も賑わうことでしょう。今年もクリスマス・ホーリデーシーズンに出始めているのが、写真のフルーツ・ケーキ(Traditional Fruitcake)です。

アメリカではクリスマス限定商品で出回りますが、フルーツと言っても生の果実ではなく、ドライ・フルーツやナッツがぎっしり入っていて、クリスマス・カラーの緑と赤の色で染めた乾燥チェリーがクリスマスの雰囲気を醸し、果物とナッツの豊富なワシントン州で作られた、重量は1,58㎏とかなり重く、直径が30センチ程あります。10年ほど価格は変わらず、何時もこのケーキを1500円払って買う時に、中身の豊富な材料と作る手間とでは、格安すぎて申し訳なく思うものです。
1ヶ月ほど日持ちがするので、3時のティータイムには紅茶やコーヒーとで、ホーリデーシーズンを楽しんでいます。
ちなみにこのお菓子ドイツ・ドリスデンで13世紀に初めて作られたと言われ、ドイツではシュトレン(Stollen)やオランダではストル(Stol)にも似てますが、ドライ・フルーツとナッツが全体の80%を占めていますので、フルーツケーキなのでしょう。

 斎藤陽子(Walnut, California)12-12日ー師走の華金は忘年会などでお忙しいことと思いますが、忘年会の無いアメリカでは年末を祝う、平日の昼食会などがささやかに有ります。日本では1985年に男女雇用均等法が制定され、だいぶ時間も経ちますが女性の社会進出は幾らか目立つようにはなりましたが、育児と両立での社会進出は、まだまだ険しいものがあるようですが、アメリカの大手企業幹部への女性進出は目覚しいものがあります。今年もショッピング・モールの5階吹き抜けから2階までに垂れ下げられた、巨大なクリスマスの飾り付けと、毎年野外に飾られる30㍍の巨大なクリスマスツリーはGM社のキャディラックがスポンサー提供でお目見えしています。

このキャデラックを製造しているGM社(General Motors Co,)、1908年に設立されアメリカの自動車の歴史とともに歩んできて、世界最大の自動車メーカーとしてアメリカの自動車文化のリーダーでもありましたが、2009年に連邦破産法11章(俗に言うチャプター・エレブン)を申請し、国有化されました。2013年には返済努力の甲斐あって、それまで米国財務省が保有していたGM株を買い戻し、国有化から脱却した経緯があります。再び新たに出発したGM社は2013年の12月10日に、この会社の最高経営責任者(CEO)に、女性のメアリー・パーラー氏(Mary T. Barra)が、役員全員一致で決まり、CEOに2014年1月15日に就任することになり、米国大手自動車会社の社長に初めて女性に決まったことはアメリカで大きな話題になりました。
メアリー・パーラ氏が最高経営責任者社長になって、話題の輪が大きくなった要因は、なんとGM社に18歳の時に職工として入社し、その間このGM社の教育制度を利用し勉学に励み、社内の多くの管理部門を経験し、33年目にしてCEOの席に就いたという、異色の経歴の持ち主なのが、一層の話題を誘っているようです。同社は、2014年1月に新CEOに就任したメアリー・バーラ氏の基本報酬について、「160万ドル(約1億6700万円)」と公表しています。この160万ドルは基本報酬であり、メアリー・バーラ新CEOには、業績に応じた追加的な報酬も支払われるとのことです。GMによると、その額は最大で280万ドル(約2億9200万円)、基本報酬と合わせて、2014年の年俸は合計で最大440万ドル(約4億5900万円)になるといいます。さらに、メアリー・バーラ新CEOには、長期的な業績を反映した報酬も支払われる予定とのことです。
メアリー・バーラ氏は現在57歳、GMに入社後、生産やエンジニアリング部門などを渡り歩き、商品開発部門のトップを経て、CEOまで登り詰めた生え抜きとして知られています。アメリカ大手企業のペプシコ社、ロッキード・マーティン社、ヒューレット・パッカード社、IBM社など21社の最高経営責任(CEO)は女性が占めていますが、GM社のメアリー・パーラ氏は、米国大手企業の22人目の女性CEOと言われています。さて日本でも男女雇用均等法が施行されて久しいですが、日本の大手企業での、女性のCEO進出は何人いますでしょうか。

 斎藤陽子(Walnut, California)12-10日ー師走の時間の経つのは早いもので、もう10日過ぎてしまいました。雨続きのロスアンゼルスも久しぶりに秋晴れになりましたが、外界の庭などはたっぷりと水を含んで、まだ濡れていて、猫は散歩に出たい様ですが、あいにく猫には外出の靴が無く、室内で恨めしそうに外を眺めています。
 トックリキワタはカリフォルニアの日系人には「南洋桜」とも呼ばれ、9月に咲くこの花の盛りには、桜がわりに眺めてふる里日本を思い出しています。原産は南米ブラジル、パラグワイ、アルゼンチンと言われていますが、温かい南カリフォルニアの気温にも合うようで、こちらでは街路樹によく使われています。カリフォルニアの街路樹のトックリキワタは9月中旬にピンクの花が開花し、12月には15センチほどの大きな実をつけています。1月にはこの実が割れて中から綿様の種をつけた毛が出て、空中を舞い交いますが、この木はパンヤ科の木と言われる通り、実がはじけて実の中から出る毛をパンヤと言っています。今では縫いぐるみやクッションの中身には化学合成綿が使用されていますが、65年ほど前の私が幼い時は合成綿の代わりにトックリキワタの実の中身のパンヤが使用されていたものです。

 トックリキワタと名前が付くように、この木の幹は徳利の様な形をしているからと言われますが、乾燥しているカリフォルニアではこの木は徳利状ではなく、細くスマートな幹をしています。キワタの実の中身をモズが来て盛んについばんでいましたが、食用についばんでいるのか、多分巣作り用についばんでいるか、沢山のモズが飛び交って来ていました。園芸店では別名トボロチ、パラボラッチョとも呼ばれています。

 斎藤陽子(Walnut, California)12-7日ー78年前の12月8日も日曜日だったと言います。きょう12月8日も日曜日を迎えるアメリカ在住の日本人には、今日がまことに居心地の悪い「ユウツな一日」となるのです。案の定、車のラジオやテレビの報道番組では「日本が背後から不意打ちでハワイ・オワフ島のパールハーバー(真珠湾)を1941年の78年前の今日、宣戦布告無しのだまし討ちをした日だ!」と報じています。日本海軍機動部隊の300機を超える航空機が、パールハーバーに停泊していた米国太平洋艦隊を奇襲攻撃し、米国側は死亡者約2400人、負傷者1200人を出し、これが後に泥沼のような様相になる太平洋戦争へと、なだれ込んでいった日なのです。
 日本国内からのニュースを見ていると、太平洋戦争開始の真珠湾攻撃の報道が日本では余り見かけ無い最近の傾向は、どういうことなのか不思議な現象でもありますが、日本人には太平洋戦争の開戦攻撃は、遠い記憶の彼方に忘れ去られたのでしょうか。それとも加害者側は忘れやすく、被害者側は絶対に忘れないという法則も有りますが、日本が犯した過ちには触れない風潮なのでしょうか。反対に長崎、広島の被害者側としての日本は毎年アッピールしていますが、加害者の側の米国では長崎、広島は語られないのと同じ原理なのでしょう。
 この太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃から2週間後の、歴史の渦が巻いている混沌とした時代の、1941年12月24日の開戦時の子として生まれた私ですが、戦争に突入して間もない日に、我が子を産んだ親の気持ちはどんなものだったのかと興味が有り、明治生まれの母に聞いたことがありますが、母からは当時の国策は「産めよ増やせよ」を奨励していたから、愛国の母として喜ばれたものだとの答えが返ってきて、歴史の恐ろしさを感じたものです。
 78年前の今日を境に、沢山の人々は肉親や兄弟、恋人との悲しい別れを体験し、これまでと変わった人生を歩み初めた歴史を思うと、やりきれないものがあります。平和な今日を築いてくれたのも犠牲になった方々のお陰と、祈る気持ちで心を込めめて真珠湾開戦日の今日を迎えますが、最近の日本は「いつかきた道」の傾向を戦時中に生まれた者として感じますが、そういう危惧が本物にならないことだけを祈るのみです。

写真はハワイ真珠湾攻撃時の爆撃写真とハワイ・パールハーバー海上の戦艦アリゾナ記念館の写真です。

 斎藤陽子(Walnut, California)12-6日 今週末の土曜、日曜もLAは雨との予報です。日本では野生動物によって、自分が可愛がっているペットの猫などが、殺されると言うことは余り聞きませんが、カリフォルニアでは良くあることで、これまでわが家の愛猫2匹もがコヨーテの犠牲になっております。このところカリフォルニアではコヨーテが増え、その勢力が拡大し、ハリウッドの住宅地を徘徊したり、サンフランシスコの街中で頻繁に出没しています。コヨーテはイヌ科の動物で、かつて北米大陸の西側3分の2の地域だけに生息していましたが、20世紀に入ってそのエリアを劇的に広がったと言われています。
 現在の生息域は1950年代と比べて40%も拡大しており、北はアラスカ州から、南は中米パナマにまで達しています。北米に生息する肉食動物での中ではコヨーテは最も勢いを強めて増えています。ここまで増えた要因は幾つかあり、コヨーテの天敵であるオオカミが、毛皮の乱獲目的で絶滅寸前まで減っていることもあります。またこれまではコヨーテの毛皮も利用していましたが、コヨーテの毛皮の販売規制が成立し、コヨーテ捕獲ができなくなったことも一因です。またエサが豊富な郊外の住宅地が増えたことで、進化の中で獲得した天性の粘り強さを使い生き延びて、数が増えた要因だと言われています。米国内で1年間に駆除されるコヨーテの数は40万匹以上と言われ、そのうち8万匹は米国連邦政府によって駆除されています。コヨーテは「米国で最も迫害されている野生動物」という見方もできるのですが、それでも実際にコヨーテの個体数は増えているという現実は驚くべきことです。
 コヨーテはイヌとの間に繁殖能力のあり、雑種を作ることが可能で、交雑で生まれたコヨーテはコイドッグ (Coydog) と呼ばれていて、このコイドッグはコヨーテよりも家畜などを襲う習性が強くなり、問題視されています。30年前にカリフォルニア州立大学農学部に勤めていた時に、交通事故に遭って死亡したコヨーテの冷凍死体の寄生虫をリサーチしたことがありますが、その表皮に棲むダニやノミの数に驚いたものですが、これらの寄生虫は狂犬病の媒体の役割りをするので、野生動物が増えることは大きな問題でもあります。月夜の晩はコヨーテの集団が、遠吠えをして眠れない夜もあります。


斎藤陽子(Walnut, California)12-5日 クリスマスの飾り付けと言えば「松ぼっくり」の出番です。
クリスマスの飾り付けを演出してくれる、欠くことのできない「松ボックリ」または「まつかさ」は専門用語では「球果(きゅうか)」と言うようです。
写真のカゴに飾られているのが普通の大きさの松ボックリ、前方の大きなのはジャイアンツ・セコイア・パインコーンと言う名の松ボックリで、普通の物と比べると大きさは30センチ程はあり、松笠の中でも最大級です。


カリフォルニア・セコイヤ松は樹齢2500年の巨大松の木で、「まつかさ」の名はジャイアンツ・セコイア・パインコーンと呼ばれています。セコイヤ松は100メートルは越し、この巨大松は木の根元の幹がくり抜かれて、車が通っている絵葉書などを見たこともあるかと思います。この巨大「松ぼっくり」の俗名はウイドーメーカー(widow maker)とも土地の人には呼ばれていて、この松笠が落下して当たると、ウイドーメーカー「後家作り」「未亡人製造」という言葉が付くほど、危険きわまる物体でもあるようです。
ジャイアンツ・セコイヤ・パインコーンと呼ばれる松かさを作る、カリフォルニア・セコイヤ公園の樹齢2500年のセコイヤ松も有名ですが、もう一つのカラベラス・ビックツリー州立公園にあった、直径10メートルの巨木は1880年代にヨセミテ国立公園の同様の樹木と競合するために、独自のトンネルが設けられ、カリフォルニア北部の最大の観光スポットの一つで有名だった巨大松の木で、根元がくり抜かれたトンネルは車がドライブスルーができました。
最近は歩行者のみが抜けられるという規制がかけられていた巨大松の木でしたが、3年前の正月3日の大雨で、倒壊したとニュースで報じています。
観光客に人気のあった北カリフォルニアの名所がひとつ消えてしまいました。
アメリカには忘年会は有りませんが、日本は師走に入って最初の華金、忘年会も多いことと思いますが、どちら様も素敵な週末をお過ごしください。

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Posted by: ryubun02
 斎藤陽子(Walnut, California)11-25 寒くなると我が家の温州ミカンもいい色に仕上がり、日曜日の今日は半分収穫し、残りは感謝祭前日に収穫します。


 オレンジ王国のカリフォルニアでは、夜と昼の気温の寒暖の差が激しいので温州ミカンも一段と糖度を増し、相性がいい土地柄です。日本でも今ミカンの最盛季節で、和歌山や愛媛の出荷前のミカン生産者は張り切っている時期ですが、ミカンが美味しく仕上がった今頃に、イノシシの出没によるミカン畑の被害が年々多くなり、日本の生産者は悲鳴を上げているようです。
  
 ここカリフォルニアのわが庭のミカンも、綺麗に色づき手でもぎ取り易い大きさになり、そろそろ収穫をしようと思っているところに、子豚ほどの大きさの、夜行性のフクロネズミ(Opossum オポッサム)が出没し、収穫前のミカンを夜中に食べられてしまいます。これまでに、丹精込めて接ぎ木で大きくした日本の桃の木に出来た、食べ頃の水蜜桃を食べられたり、見事な巨峰を食べられたりと、被害で腹を立てたことは数えきれません。この動物は日本にはいない動物で、北米、南米に生息しフクロネズミとネズミの名がついていますが、見た目がネズミに似ているので、このような名が付いたようですが、子豚ほどの大きさでカンガルー類の一種で有袋類です。
 お腹に育児嚢を持っていて12日から14日の妊娠期間で子供を産み、その後このお腹の袋でカンガルーのように子供を育てます。大きさは子豚ほどになり、夜間出没し木に登りミカンや桃等を持ってゆく雑食性の動物で、白亜期から居る動物とも言われています。我が家の車庫にも子豚ほどのオポッサム(フクロネズミ)が入り込み、追い出そうとしたら眠った振りをしていましたが、棒でつついたら歯をむき出して睨まれました。英語圏で「狸寝入りをする」と言う言葉に、「Play Possum」という言葉があるくらいです。農業者が腹を立てる日本のイノシシ同様、カリフォルニアではオポッサムは農業生産者の敵です。オポッサムの被害が少ない内に、ミカンの収穫したいと思います。温州ミカンのサツマ・タンジェリンは今年も美味しく仕上がりました、自然の恵みに感謝です。
〇30年前に大学の農学部に勤めた頃、農学部で植える果樹を手当たり次第私の庭にも植えたら、今では収拾付かない程いろいろできるようになってしまいました。

 〇温州みかんがアメリカに渡った経緯、Satsumaと呼ばれるようになった経緯には諸説あるようですが、明治時代に日本に駐在していたアメリカ高官が九州を訪れた際にこのミカンを食べていたく気に入り、奥さんの実家があるフロリダに苗木を送ったのが始まりという説があります。そこから一気にアラバマ、ルイジアナ、テキサスまで広まり、それまで別の果物を栽培していた地域がSatsumaの栽培を始め、特に栽培に成功した街が地名をSatsumaに変えたんだそうです。→アメリカ駐在in NJ+フィラデルフィア郊外+アトランタ郊外4
 〇世界最大の産地である中国浙江省の寧波市・奉化市・寧海市、他にアラバマ州、スペインやトルコ、クロアチア、韓国の済州島、ペルーなどでも栽培されている。 →ウィキ

斎藤 陽子(Walnut, California)11月26日
 週明けの月曜日は完璧なカリフォルニア晴れですが、夜の気温はだいぶ冷え込んで8℃ほど、日中は20℃の気温です。
今週の木曜日(28日)はアメリカはサンクスギビング・デー Thanksgiving Day(感謝祭)です。(木、金と週末合わせて4日間は嬉しい連休です。)

写真はカリフォルニア州立大学農学部のナツメヤシが、沢山の実をつけて最盛期です。
 ナツメヤシの実は日本でも販売されていると思いますが、デーツ(Date)と呼ばれ、干し柿よりも糖度が有り、中東、北アフリカでは主要食品として、乾燥地帯で栽培されています。ナツメヤシはペルシャ湾沿いが原産地で、ここ南カリフォルニアの気温も乾燥していて、ナツメヤシには相性がいいようで、ロスアンゼルスから東に180キロほど行った、砂漠地帯のインペリアル・バレーの名産でもあります。このナツメヤシの木は100年から200年もの寿命があると言われて、イスラム圏ではラマダン(絶食して祈りを捧げる行事)の期間中の日没後に、最初に食べるのがこのデーツとのことです。デーツは古代エジプト時代から栽培されてたと記録があると言われていて、モロッコでは糖度が多いので、水を加えて発酵させ(マヒアMahia)酒と言う醸造酒が有ると言われています。
 デーツはビタミンCも豊富で繊維成分も多く、アメリカの年寄りには便通にも良いと健康食品として人気があります。デーツの木のナツメヤシは、中東や北アフリカが原産ですが、南カリフォルニアやアリゾナあたりは中東などと似て、暖かく乾燥した気温なので、今ではこのデーツは南カリフォニアやアリゾナがアメリカの主要生産地となり、もちっとした新鮮なものを売っております。

写真左上のデーツ1,5キロ入で700円ほどで売っており、高い木の上からの収穫の苦労を思うと、あまりの安さに感謝して頂いております。

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Posted by: ryubun02

1987年9月 「歴史散歩マップ 首里マーイ」(イラスト・新里堅進)那覇市教育委員会文化課


1989年11月3日「首里城木遣」


1991年7月 日本旅文庫『琵琶湖・若狭湾』昭文社


1992年10月 『月刊建築仕上技術』「首里城再建と沖縄の建築文化」工文社


久能山東照宮- 国宝 拝殿・本殿 〈静岡県静岡市〉 /朝鮮ソテツと鼓楼(ころう) →行って見たい神社とお寺


斎藤 陽子(Walnut, California)2019-11-24 10年物のソテツです、こちらは乾燥しているので水やりが欠かせません。


2016年1月8日 若狭の龍柱
  安田浩一2018-11-3「沖縄の龍柱は、沖縄のものです」若狭の「龍柱」のデザイン日本列島は龍の形をを担当したのは、沖縄美術界の大家として知られる琉球大学名誉教授の西村貞雄さんだ。「私も『中国の手先』などと直接に面罵されたこともあります。一部で龍柱の意味がまったく理解されていないのが本当に残念です」そう言って、西村さんは悔しそうな表情を見せた。「沖縄の龍柱は、沖縄のものですよ。だいたい、中国各地に存在する龍柱とは形状からして違います」たとえば、中国特有の「龍柱」は、那覇市内の中国式庭園「福州園」に足を運べば目にすることができる。(略)中国式「龍柱」は、龍が柱に巻き付いた形状となっているのに対し、沖縄の「龍柱」は、龍の胴体そのものが柱となっている。そう、デザイン的にはまったくの別物なのだ。

福州園は中国福建省福州市(ふっけんしょう・ふくしゅうし)と那覇市の友好都市締結10周年と、那覇市市制70周年を記念して、1992年に完成しました。園内は中国の雄大な自然と福州の名勝をイメージして造られている。
 「私はアジア各国を回って龍柱を見てきましたが、中国の影響を受けつつも、それぞれの国がそれぞれの龍柱を持っている。爪の数にしても同様です。属国の龍柱は5本爪であってはならないというのが通説ですが、私から言わせれば、これも怪しい。モンゴルには3本爪、4本爪、5本爪の三種の龍柱がありましたし、韓国には6本爪の龍柱がありました。私が若狭の龍柱を4本爪にしたのは、単に沖縄の伝統的な龍柱が4本爪だったからにすぎません。歴史どおりに、伝統に基づいてデザインしただけです。そこには中国への忠誠だの、そんな意図が含まれているはずがない。仮に批判を受けいれて5本爪にしたら、それは歴史を無視した、きわめて政治的なデザインとなってしまうではないですか」西村さんによれば、若狭の龍柱には、沖縄の歴史と未来への思いが込められているという。
 「一対の龍は向き合っているのではなく、海の方角を向いています。つまり、尾の部分は首里城までつながっているという想定です」西村さんは、これを「龍脈」と呼んでいる。龍のからだは首里城から国際通りの地中をくぐり、海岸線で地中から垂直に飛び出る、といったイメージだ。首里城は沖縄の源流であり、国際通りは戦後復興の象徴である。そして若狭の港は外に開ける海の玄関だ。つまり、この「龍脈」は沖縄の歴史を意味する展開軸、導線なのだ。「龍の頭が海を向いているのは、その先の未来を見ているからなのです。水平線の先にあるニライカナイ(理想郷)ですよ」「龍脈」は過去と未来を結ぶ。中国とも侵略とも関係ない。龍の目玉はニライカナイの海を望む。



2019年9月 琉球新報編集局『琉球新報が挑んだファクトチェック・フェイク監視』高文研

写真左よりー安田浩一氏、平良肇氏、島袋和幸氏、長嶺福信氏
2017年11月3日13:00 なは市民活動支援センター第三会議室「〔検見川事件を語る会〕学習会」

2017年10月 朝日新聞出版『一冊の本』安田浩一「沖縄の右派と〔プロ市民〕7 人々を虐殺に向かわた回路」
安田 浩一(やすだ こういち、1964年(昭和39年)9月28日 - )は日本のジャーナリスト。日本労働組合総評議会(総評)系の機関誌『労働情報』編集委員。静岡県出身。千葉県在住。慶應義塾大学経済学部卒業。伊豆半島の温泉地帯に生まれた。日本経済新聞など様々な新聞社、出版社の記者を経て『週刊宝石』の記者だった1999年(平成11年)前後に、同誌にて創価学会の批判記事を書いていた。『サンデー毎日』時代は名誉毀損で訴えられ、証言台に立った。→ウィキ2014年9月 佐野眞一『あんぽん 孫正義伝』小学館文庫 解説・安田浩一


御菓子御殿 国際通り松尾店ー私が奥原崇典氏(首里城の瓦を手掛けた。1950年-2014年3月12日)を最後に見たのがこの柱の龍を仕上げているときである。

2014年5月20日~6月22日 沖縄県立博物館・美術館「麗しき琉球の記憶ー鎌倉芳太郎が発見した美」
同時期開催/6月3日~8日 西村貞雄主催「復元のあゆみー琉球王朝造形文化の独自性を求めてー」


石川和男氏、松島弘明氏

1991年4月19日『レキオ』

末吉安允氏(末吉麦門冬の甥)と西村貞雄氏〇11月5日の沖縄タイムス文化欄に、大城立裕さんが焼けた首里城について「当時の持ち主であった首里市は、取り壊しにかかったが、識者の末吉麦門冬の注進で、建築家の伊東忠太が文部省(当時)に掛け合って温存され、2年後に国宝に指定された」と書いておられるが、結果論としては合っているが、具体的な経緯は別にある。

平良昭隆氏、平良知二氏、新城栄徳、宮城篤正氏

2019年11月12日『沖縄タイムス』宮城篤正「視点 焼けた首里城」

2014年6月5日ー左から伊佐眞一氏、西村貞雄氏、亀島靖氏

1991年1月 伊佐眞一『アール・ブール 人と時代』伊佐牧子〇編集後記に下の新聞記事の解説




新城栄徳、西村貞雄さん

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Posted by: ryubun02
 1920年12月、新旧あらゆる傾向の社会主義者30人が発起人となって神田の青年会館で「日本社会主義同盟」の創立大会が開かれた。沖縄でもこれに即応、翌年の21年1月に沖縄支部準備委員として宮城不泣、泉正重、東恩納寛敷、浦崎康華が推された。1月3日、泉宅で伊是名朝義、玻名城長好(後の山里)、辺野喜英長、渡久地政憑、長嶺紀成、上与那原朝敏、浦崎康華①、宮城不泣、城間康昌、東恩納寛敷、泉正重が集まる。糸満グループの城田徳隆・徳明兄弟、座安盛徳、比嘉栄は連絡不十分で欠席、山田有幹は5月の市制準備で忙しく、比嘉春潮は出張で、比嘉良児は参加できなかった。若い福村安謙、国吉真哲、神山宗勲、山田義文、屋良猛、名護良英らはシンパサイザーとして組織外に置いた

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①浦崎康華翁の著作
1977年5月12日ー安里ホテル「第三回放談会」

写真前列右から、國吉眞哲、浦崎康華、宮里栄輝、末吉安久/後列右から外間政彰、山城善光、不詳、島袋哲、不詳
◎浦崎康華は、私の祖父です。祖父の文献を検索したら、久しぶりに祖父と、宅を見て懐かしく涙しました。
我が祖父とはいえ、沖縄を愛する行動と情熱に尊敬します。今、生かされている私たちウチナヮーの若い世代も、アイデンティティーを確認して、沖縄だけではなく、世界平和のために進むべきだと信じます。沖縄は、すばらしい!2011-8-17

1924年、日本帝国では初めての単行本、アプトン・シンクレア『事実物語ー赤黒白』が神山宗勲の抄訳で刊行。神山は1898年、那覇上之蔵生まれ。1914年8月、『文章世界』に詩「夏の月」を発表。1915年上京し美術学校に学ぶ。1919年帰郷し新聞社につとめる。1921年、沖縄最初の社会主義団体「庶民会」にオブザーバとして参加。1922年に再上京。→琉文21「神山宗勲」

アプトン・シンクレア著の日本語版

東京/1924年8月ー神山宗勲 訳アプトン・シンクレア『赤・黒・白』聚芳閣
 本書に「この地球上に一度戦といふものが勃発するや、新聞記者といふ、新聞業者の手下どもは、輿論の大渦巻のうへに、その目をさらすのである。そしてその昔いくら慎重な態度をもつて、公平無私にその実状をみてきたといふ、アメリカの新聞でも、戦争の大波にのみこまれると、もう以前のやうな真実な態度を、こつそりとすててしまふのである。例えば『ニウヨオク・タイムス』のやうにだ」とある。かなり手厳しい表現である。
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神山宗勲作品ー1927年12月『解放』「闘争」/1928年1月『解放』「先ず把握せよ!」

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写真上ー1923年9月 中央・神山宗勲、右・静江、後列左・弟・宗顕、写真下ー1966年。1928年

1930年3月1日 茅原崋山『内観』第120号「三つの問題=琉球教員会に於ける講演の一節=」〇経済的に貧弱なる琉球は、経済的に貧弱なる日本の縮図であるといふ。私が実際に来て見れば、成程その通りである。(略)琉球の問題は、猶日本に於けるが如く、政治問題ではなくして経済問題である。政治の琉球としては、分裂するのが、自然の勢であるが、経済の琉球としては、コオペレーション即ち共同労作が、必然の理である。コオペレーションが沖縄県人の標語であらねばならぬ。(以下略)

□今帰仁の幸地新政は『北米沖縄人史』に「孤島北山の一角に、新理想主義に燃え、読書会を組織し、そして中央の茅原崋山と呼応した十余名の青年グループがあった」と大正初期のヤンバル青年の雰囲気を伝えている。1914年6月の『沖縄毎日新聞』には「萬朝報記者茅原崋山氏は沖縄は未だ普く王化に服せず従って現代沖縄人の革命的思想を懐ける事を述べて朝鮮、台湾の植民地統治の困難(略)」とある。/私は1988年に崋山の孫で工学院大学の茅原健氏に崋山が來沖したときの『内観』のコピーを送ってもらった。それには琉球にて詠めるとして「櫻花咲ける一月の川の邊に蛍飛び居り沖縄の島」の歌がある。

茅原華山 かやはら-かざん
1870-1952 明治-昭和時代の評論家。
明治3年8月3日生まれ。改進党系の「東北日報」記者のあと,自由党系新聞の記者をつとめ,明治37年万朝報(よろずちょうほう)に入社。大正2年石田友治と「第三帝国」を創刊,民本主義をとなえた。9年個人雑誌「内観」を発刊。昭和27年8月4日死去。82歳。東京出身。本名は廉太郎。著作に「動中静観」など。(→コトバンク)

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大里喜誠

1966年12月『今日の琉球』大里喜誠「米国への剣道修業旅行ー盛んな米国の剣道熱」
1975年10月『琉球新報』大里喜誠「『童景集』出版のころ」
1977年3月25日『沖縄タイムス』大里喜誠「ベトナム人の著した幻の『琉球血涙新書』」
1978年4月20日『琉球新報』大里喜誠「『童景集』『羽地仕置』出版の思い出」
1984年4月14日『沖縄タイムス』大里喜誠「富川」盛武の功績」

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左ー新城栄徳宛の大里喜誠氏ハガキ/1991年6月3日『琉球新報』大里喜誠「岡倉天心と沖縄」
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斎藤 陽子 2024-11-27 父との繋がりで、1960年から二ヶ年間、新宿信濃町の大里様の家(お隣が時の総理池田勇人家が有りました)に身を寄せておりました。当時は興南社最後の頃で、出勤前の大里さんは毎朝庭で竹刀を振っていたいらしゃいました。

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1957年10月 米国民政府渉外報道局出版課『今日の琉球』第1巻第1号

1957年12月『今日の琉球』□表紙(狛犬)・・・・山田真山

1958年3月、『今日の琉球』表紙(風景)・・・大嶺政寛/10月6日『琉球新報』『総仕上げ急ぐ守礼門ー四百年前の姿を再現/楼門に彩色をする琉大生」/10月16日『琉球新報』「きのう盛大に落成式!感激に涙する老婆も」(琉大生の一人が宮城篤正沖縄県立芸術大学学長)。
1959年2月 『今日の琉球』□表紙(樹木)・・・山田真山
1965年1月、『今日の琉球』(表紙写真・守礼門と琉装の女性)/9月、『守礼の光』「琉球文化財はかく保護されたー守礼門」
1969年12月 第13巻第12号□表紙(ブッソウゲ)・・・宮城健盛
1970年1月 第14巻第1号□表紙(イヌ年)・・・大嶺政寛
□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『今日の琉球』」
1959年1月 米国高等弁務官府『守礼の光』創刊号

1963年2月、『守礼の光』「琉球の文化財ー守礼門」

1964年10月、『守礼の光』「ナンシーさんの墨絵修行」(金城安太郎)

1967年1月、『守礼の光』(表紙・守礼門)/5月,『守礼の光』川平朝申「琉球の結核予防対策」(予防シール守礼門)/7月、『今日の琉球』(表紙・紅型模様の守礼門)

1968年1月、『守礼の光』川平朝清「全住民に奉仕する沖縄放送協会」

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1972年5月、『守礼の光』「沖縄返還特別号」(表紙・守礼門)「琉球政府立博物館ー1966年当時のポール・W・キャラウェー高等弁務官の個人的関心と援助で設立された琉球政府立博物館がなかったとしたら、これらの多くは失われたかあるいは忘れ去られてしまったであろう。この美しい時代建築(博物館)は、那覇市の我那覇昇氏の設計、キャラウェー高等弁務官がこのためわざわざ招いた米国内務省の博物館設計の専門家による技術援助で建てられた」

1972年4月 第159号/1972年5月 最終号

□1976年3月 那覇市役所企画部市史編集室『沖縄の戦後資料(1945-1972)第1集・逐次刊行物目次集』「『守礼の光』」

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 「くろねこの短語」2019年11月15日ー(前略)さらに、安倍晋三後援会の収支報告書には「前夜祭」の記載がないことも報じたようで、これが事実なら政治資金規正法や公職選挙法に触れる可能性が出てくるから、ペテン総理にとっては万事休す。東京新聞社説は「この件で法令違反に問われるようなら、首相にはその座にとどまる資格があるのか。桜を見る会の中止で幕引きは許されない。疑惑解明の始まりにすぎない」と書いているが、とこまでマスコミが気合を入れて追求する覚悟があるか。けだし見ものではあります。
 ところで、事実上の日米FTAであるところの日米貿易協定承認案が、19日の衆議院本会議で採決されるってね。与野党の国対委員長会談で、日程合意したんだとさ。おいおい、採決の前にどれだけ審議したんだ。ていうか、ペテン総理は予算委員会をさぼりまくって、まともな説明は何もしていないだろうに、なんで野党は採決にゴーサインを出せるんだ。「桜を見る会」問題は、この採決を隠すためのスピンだという噂もネッでは流れている。それはちょいと的外れだと思うけど、これはこれ、それはそれだ。このままだと、日本の農業は壊滅状態になりますよ。食糧はすべてアメリカから買えという戦後スキームが、これで完成するってか・・・くそっ!!
〇時事、COM11月13日ー自民、立憲民主、国民民主3党の国対委員長は13日、国会内で会談し、日米貿易協定承認案を19日の衆院本会議で採決する日程で合意した。与党の賛成多数で可決、参院に送付される。与党は当初、週内の衆院通過を目指したが、円満な国会運営を重視し、野党に一定の配慮を示した。→「愛知ママの会」ーTPPより不利益と囁かれている、日米FTAを19日に衆院で通過させるんだそうです????えーーー?!立憲、国民も採決に合意したの?????/11月15日ー日米FTA交渉が桜を見る会に隠れているという話がありますが、野党がこの審議に応じたら最後は必ず強行採決されます。審議に応じないことが重要で、審議したらいくら抵抗しても無理なのは野党も分かっているはず。桜を見る会の糾弾を徹底して、日米交渉の審議日程合意を破棄すべきだと思います。

 『朝日新聞』11月14日ー東京都千代田区のJR東京駅・丸の内駅前広場で14日夜、大嘗祭(だいじょうさい)に反対する集会があった。主催者の男性はマイクを持ち「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い、巨大な神殿が建てられた」と訴えた。

 【琉球新報電子版】11月14日ー【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で沖縄防衛局は14日午前、海上埋め立て工事を続けた。海上から辺野古崎東側の「K8」護岸に積み上げられた土砂をショベルカーがダンプカーに積み変える作業や、「K4」護岸でクレーン車が砕石を移動させる作業が確認できた。

「くろねこの短語」2019年11月13日ー「語るに落ちる」とはこのことか。土建政治の自民党幹事長・二階君が、「桜を見る会」に初老の小学生・ペテン総理の地元支持者が大量に招待されていることを問われて、こんなコメントしやがりました。「議員が選挙区の皆さんに配慮するのは当然のことだ」「(招待客枠の割り当ては)あったって別にいい。何か問題があるか」税金を使って支持者を「お・も・て・な・し」することの是非が問われているのに開き直りやがって、なんて野郎だ。つまり、「公金による買収」を認めているわけで、単に暴言として済まされる話ではありません。
 で、「桜を見る会」が私物化されているカラクリがどんどん暴露されているんだが、ペテン総理の事務所では、なんと参加募集の案内を出していたってね。そもそも、「桜を見る会」ってのは、「各界の功労者をねぎらう」ためのもので、参加者は招待されこそすれ、募集されるもんじゃない。この1点でアウトだろう。「桜を見る会」では飲食が供されるから、後援会に募集をかけていたってことは、明らかに公職選挙法違反で、内閣総辞職に値する。かつて、ドリル小渕が、観劇ツアーでクビになったけど、公金を使っての供応となれば、それよりも数段悪質だ。「桜を見る会」問題は、ひょっとするとペテン政権崩壊に繋がるアリの一穴になるかも・・・って妄想も楽しい水曜の朝である。


 「ハーバー・ビジネス」11月11日ー2013~16年に「桜を見る会」に招待されたことを投稿する世界戦略総合研究所事務局次長小林幸司氏のFACEBOOK、14年には菅義偉官房長官と記念写真に納まる。

 「くろねこの短語」2019年11月11日ー「桜を見る会」の常軌を逸した“私物化”の実態が、止まるところを知らずに拡散中で、その実態を知れば知しるほど税金を使った支援者への「お・も・て・なし(買収行為)」という観が深まる雨の月曜の朝である。
・安倍首相主催「桜を見る会」で後援会関係者をおもてなし。許されない公金の私物化・「安倍首相 桜を見る会に地元後援会大量招待で大盤振る舞い」ケタ外れの有権者買収 前夜祭 貸切バス17台 無料で樽酒やアルコール、オードブル、お菓子やお土産…ネットに参加者の声多数!
 それにしても、ここまでタガが外れた「桜を見る会」を、マスコミは「功労者」との親睦会というイメージで報道し続けていたんだよね。ここ数年は、やたら吉本の芸人が招待されて、なんか胡散臭いなあと一般大衆労働者諸君は薄々感じていたのに、マスコミは官邸のプロパガンダを垂れ流すだけ。
 初老の小学生・ペテン総理の後援会なんか、ホテルの宴会場を借り切って「前夜祭」なんてのまで開いていたことを、おそらくマスコミは知っていたのだろう。もし知らないとしたら、それは自らの無能さを証明するようなものだ。
 で、この「前夜祭」なんだが、「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」と銘打たれていて、もしペテン総理からその資金が出ていたなら、政治資金収支報告書に記載する義務があるんだよね。もし記載されていないなら、公職選挙法違反ってことになる。ワイドショーにとっては格好のネタのはずなんだが、芸能界の有象無象も大量に招待されているから、おそらくスルーするに違いない。へたに突っつくと自分たちにも火の粉が降りかかりますからね。ここは、野党の体たらくをしょっちゅうdisっている新聞に、久しく耳にしない調査報道というやつを是非とも期待今日この頃なのだ。官邸にキン玉握られた新聞には、できやしないだろけど・・・!

『東京新聞』2019-4-16/自民党の井上信治・衆院議員(東京25区選出)に「桜を見る会」


 「リテラ」11月10日ー本日、天皇の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」がおこなわれ、日の丸の小旗が振られる沿道とともにオープンカーに乗った天皇・皇后の姿をテレビが大々的に生中継。お祝いムード一色に染め上げられた。だが、このパレードが3分の1を過ぎたあたり、落ち着いた公共建築物がつづくコース沿いに、屋上から〈天皇陛下のご即位をお祝い申し上げます〉という垂れ幕をデカデカと吊り下げていた建物があった。ほかでもない、自民党本部だ。今回、あらたにパレードのコースが変更され自民党本部前を通過したのだが、天皇・皇后が通り過ぎる目の前に、安倍自民党はこの巨大なメッセージを掲げたのだ。/「リテラ」11月11日ー安倍首相は天皇・皇后の即位パレードを政権PRの場にしただけではなく、まるで自分も主人公であるかのように、自分の顔を沿道の国民に拝ませてやると言わんばかりに窓を開け、車の中から手を振ったのである。しかも、安倍首相のみならず、白バイのあとをつけた菅義偉官房長官までもが窓を開けていた。つまり、安倍官邸自体が、皇族きどり、いや、もはや“天皇きどり”で即位パレードをおこなったのだ。


ママの会・愛知11月10日ー「安倍晋三後援会 桜を見る会の前夜祭」←嫌味で前夜祭と表現してるかと思いきや、本当に前夜祭でした。そこに呼ばれた歌手の方のブログで様子がよくわかります。安倍首相の後援会御一行、その規模の大きさに驚き????。各界の功労者を呼んでいるという事ですが、安倍さんの地元の後援会には、850人も功労者がいるのですか。山口から来るならせっかくだから前泊でおもてなし?やってる事はこれはまさに個人の後援会行事ですよ。これは国費です。私達の税金です。


2019年11月7日~12月18日 立命館大学国際平和ミュージアム「上野誠版画展」 
2017年11月に立命館大学国際平和ミュージアムで「儀間比呂志版画展ー沖縄への思いー」が開かれたが、その儀間版画に多大な影響を与えたのが反戦・平和の木版画家・上野誠である。
 〇日本版画協会理事上野誠は4月13日午後3時15分肝硬変のため千葉県松戸市の東葛クリニックで死去した。享年70。1909(明治42)年6月7日長野県長野市に生まれ、29年長野中学校を卒業、東京美術学校に入学したが、32年に中退、木版画の制作を始めケーテ・コルヴィッツに私淑した。37年国画会第12回展の「石炭を運ぶ人」をはじめ、戦前は国画会版画部に出品した。→東京文化財研究所


1日~12月25日 那覇市歴史博物館「琉球船と首里・那覇を描いた絵画史料」
〇2019年2月に、 『琉球船と首里・那覇を描いた絵画史料研究』(思文閣出版 京都市左京区田中関田町2番地7)が刊行されました。掲載された史料には王国時代の船や首里・那覇の様子が描かれ、当時の街並みを知ることができます。今回の企画展では、掲載された絵画史料の一部を展示し、戦前の写真史料とともに、往時の首里・那覇の街の様子を紹介。 
〇2019年11月9日『沖縄タイムス』ー沖縄県の那覇市歴史博物館で開催中の「琉球船と首里・那覇を描いた絵画史料」では、首里城を管理する沖縄美ら島財団所蔵の資料を展示している。首里城火災後、入館者が増加。倉成多郎主任学芸員(48)は「難を逃れ、受け継がれている歴史の重みを感じてほしい」と呼び掛けた。12月25日まで。


 T-11-4安倍内閣の背景 


2019年11月『月刊琉球』№71琉球館〒903-0801 那覇市首里末吉町1-154-102 ☎098-943-6945/FAX098-943-6947
 しもじけいこ「宮古IN 大丈夫?この島」/島袋マカト陽子「東京琉球館便り 61」/与那嶺功「沖縄振興ー『明治維新150年』を問う 大東亜・植民政策・ナショナリズム⑭」


2019年11月 平敷武蕉『修羅と豊饒ー沖縄文学の深層を照らす』コールサック社☆沖縄のアイデンティティーのことを「ウチナーのことはウチナーンチュしか分からない」「ウチナーのことはウチナーンチュに任せなさい」、という言い方でなされることもある。日本政府が、沖縄に寄り添うとうそぶきつつ、沖縄をだまし、食い物にし、様々な悪さしかしていない歴史をふまえた言葉であることは分かる。だが、先述したように、本土人の中にも沖縄に寄り添い、痛みをもって「沖縄問題」に取り組んでいる人々は居る。逆にウチナーンチュのなかにも辺野古埋め立てに賛成し、そこに利権を見出そうとする勢力はいる。/〇平敷氏の批評する姿勢は、たとえ大家であっても新人であっても決して手を緩めることなく作品に向きあって、沖縄文学の優れた試みであるか否かを内面に問いながら記述していく、純粋な批評精神に貫かれている。(鈴木比佐雄「解説」より)
関連〇「琉球朝日放送」11月6日ー6日午後4時半過ぎ、外務省を訪れた宜野湾市議たち。9月に可決した辺野古促進を求める意見書を手渡しました。要請では、いろいろ試行錯誤しながら可決した意見書だとした上で、「政府は普天間基地の辺野古移設を積極的に働きかけてほしい」と話したということです。

2019年11月3日

10時半ー「南風原文化センター開館30周年-こんなモノからあの人までー」左から2人目、平良次子さん

11時半ー壺屋やちむん通り祭り/新栄通り

13時ー我が母校・前島小学校の運動会/息子・娘の母校・泊小学校の運動会

14時ー沖縄県立博物館・美術館で旧大聖禅寺鐘をつく。右ー沖縄県立博物館・美術館の外間一先さん

「くろねこの短語」2019年11月7日ー(前略)事の発端は、野党議員が加計学園疑獄における「10/21萩生田副長官ご発言概要」を取上げたことで、この文書には加計学園のポチ・萩生田君の「官邸は絶対やると言っている」という発言が書かれているんだね。萩生田君はこの文書を否定しているんだが、だったら「誰が書いたんだ」と野党議員が追及したら、なんとまあ、ペテン総理が「あなたがつくったんじゃないの」と野次を飛ばしやがりました。(略)もう、壊れちゃってるとしか言い様がありません。こんなのがトップに居座ってちゃ、国会は成立しません。でもって、この場面は、夕方のニュースでは、各局ともカット。あたかもペテン総理がまともに答弁しているかのようなシーンしか流さないんだから、こちらもまた「馬鹿丸出し」なんだね。なんてったって、テレビ朝日なんか、タレントの覚醒剤とアスリートの大麻がトップニュースてすから。
 そんなペテン総理が醜態を晒す中、世界に向けて日本の馬鹿丸出しを発信してくれたのが、オーストリア日本大使館だ。なんと、「政府に批判的な動画」や「東電福島第一原発事故をモチーフにした作品」が含まれているからという理由で、ウィーンで開催中の芸術展への公認を取り消したってね。
 なんでも、自民党の国会議員からも「反日じゃないか」という照会があったそうで、世界から見ればこういうのを検閲と言います。国家権力に批判的な表現をすべて「反日」として排除することが日常的になりつつあることに、一般大衆労働者諸君はもっと敏感にならないと、いつか来た道を再び歩くことになりますよ。

 「くろねこの短語」2019年11月6日ー加計学園のポチ・萩生田君の「身の丈」発言でとりあえずは導入が頓挫した英語民間試験について、立憲のエダノンがこんなコメントをしたってね。「なぜ、こんなおかしな制度を作ることになったのか。私の承知する限りでは、一番の原動力になったのは、(教育再生実行会議のメンバーだった)下村(博文)元文部科学大臣ではないかと思っている。下村元大臣が(英語民間試験を)導入しようとしたいきさつ、これが一番本質的な問題ではないか」この指摘は、まったくもって正しい。
 そもそもが塾経営者という教育ビジネスのドンみたいな存在だった下村君こそが、英語民間試験の元締めであることは自明のことで、この問題の核心に迫るにはこの男の国会招致が絶対に必要なんだね。田崎スシローが、「受験生は約50万人2回やれば100万人分の莫大な金が英検やベネッセ等の6団体に入る。そしてその団体ごとに政治家がいる…最初2団体だったのが6団体に増えたのは、それぞれに政治家が付いてるから」とTV番組で口をすべらせたのは、暗に下村君を名指ししたようなものなのだ。

愛知ー この入試民間試験の件、映画????や小説????もビックリ、、さらに絵に描いたような癒着が見えてきました。加計学園もベネッセも岡山。福武財団の役員名簿にはしっかり両者が名を連ねていました。ちなみに進研ゼミでおなじみ、ベネッセの前身(私達が子どもの頃は)は福武書店ですね。これで萩生田氏が加計学園問題の疑惑のキーマンだったにも関わらず、何故わざわざ文科大臣に任命したのかが見えてくるのでは…。文科省からベネッセ内法人への天下り、そしてベネッセの入試民間試験の独り占め状態を見ると、、色々進めたい人にとっては一番スムーズに阿吽の呼吸で色々突破できる最適な人事だったのではないでしょうか?任命したのはあの方。子どもの教育????が、権力者や大企業の利権の食い物にされるのを見過ごして良いのでしょうか?絶対廃止でしょう。2014年の下村文科大臣の時からこの入試改革の話が持ち上がってることから、そこから人とお金の動きをメディアの方々、しっかり追及お願いします!

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