03/24:

Category: 03-所感
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彼岸明けで紙銭<ウチカビ>を焼く(先祖供養)ー古銭収集家の翁長良明さんによれば、ウチカビは鳩目銭50枚で寛永通宝1枚になるという。


2019年4月7日


2013-8-8自宅屋上

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02/12:

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さやか、金城安太郎さん/12月27日ー新城喜一さん、ひより

金城 安太郎(きんじょう やすたろう)は、昭和初期から沖縄で活動した日本画家で、特に米国統治下、琉球政府時代の沖縄における新聞連載小説や雑誌などの挿絵によって知られ、「沖縄最初の挿絵画家」と評された。→ウィキ

新城喜一氏は「世界館」(1950年開館)で看板絵師となり、後に1955年「国映館」として新装開店した時も引き続き看板絵師として腕を振るった。その後、国立劇場おきなわの風景画を作成したり、舞台芸術作成者として活躍した。→那覇まちま~い


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新城喜一 那覇市松尾2-23-19 電話098-863-9564

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世持橋

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東苑から弁ヶ岳を望む

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崇元寺橋
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軽便鉄道の与那原駅

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村のクムイ

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安里川を渡る嘉手納線

5月8日、パレットのギャラリーで新城喜一氏に出会う。野津氏の画集の話をすると、早速リブロで新城氏は画集を購入していた。



□2012年3月 『野津唯市画集ー懐かしい未来 沖縄』球陽出版



1930年代の泊高橋・円覚寺


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08/09:

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2017年8月10日 ひより首里城見物/左の「中山世土」は清朝第4代皇帝康熙帝の扁額(復元)。「中山は代々、琉球国王の国である」と書かれている。


2017年8月8日 沖縄県立博物館・美術館『水族館でも出会えない!海のビックリ生物展』入場者1万人達成

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2016年8月15日 美栄橋駅 右上にジュンク堂書店の看板が見える

2016年8月15日(今日オキナワは旧盆ウンケー。ヤマトは敗戦忌。ヤマトの重大なエポックの日のはずだが休日ではない それにしても戦勝国アメリカ軍基地の今なお増殖活発のオキナワ アメリカ軍基地維持費は何故かヤマトの負担 辺野古新基地には大手ゼネコン) 美栄橋駅


2016-10-28 前島から中の橋方面を望む。手前で工事中

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2010年12月28日ーついでに、嘉手納まで散歩すると「知花たたみ店」(代表者・知花久明 〒904-0203 嘉手納町字嘉手納463-13-新町2号館106号 ☎098-956-2601 携帯090-1870-4104)があった。そこの名刺には漫画で似顔絵が描かれている。妻の末妹の夫の名刺「テシオ学習塾」(塾長・具志堅盛次 〒905-0401 今帰仁村仲宗根177 ☎0980-56-4186)にも漫画の似顔絵があった。

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2015年10月10日『琉球新報』「大綱挽に平和願いー渡口彦邦さん」










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本日の『沖縄タイムス』『琉球新報』は昨日の名護市辺野古での「新基地反対」の県民集会を報じていた。今まで、普天間から基地を「辺野古移設」と矮小化して表示したものが、はっきりと「新基地反対」と明記したのはいいが「反対」というのも矮小化である。日米両政府や仲井真県政は「賛成」で同列に扱っている。ここは自然破壊「地球破壊」に反対するものか、賛成かというふうに表現すべきであろう。


2012年9月 来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』(がじゅまるブックス4) 定価(本体900円+税)榕樹書林☏098-893-4076 FAX098-893-6708

□今日の沖縄の、最大の社会的経済的病根は、基地を維持し、米軍基地容認派を生成する為に、軍用地料を肥大化させてきたことに大きく起因する。ここから派生した社会的不平等の拡大は、今や沖縄特有の社会問題として様々な現象を生み出しているが、これまでこの問題は居酒屋談義で終わっていた。

著者は戦後日本における米軍基地建設から、米軍直接支配下の沖縄での基地建設、そして復帰後の日本政府による「思いやり予算」による米軍基地の維持政策とたどりながら、軍用地料の肥大化の変遷を見据え、それが社会にどの様な影響を与えてきたのかを、経済学的分析をもとに明らかにしていく。沖縄社会の内部から沖縄を変えていこうとする大きな挑戦の本である。


2014年12月 来間泰男『琉球王国の成立ー日本の中世後期と琉球中世前期』上・下 日本経済評論社
上巻
第1章 天皇権力の復活と内乱(14世紀)
第2章 「舜天王統」と「英祖王統」(12~14世紀)
第3章 倭寇の時代(14~15世紀)
第4章 三山の分立と抗争(14世紀)

下巻
第5章 琉球王国の成立(14世紀後半)
7 高良倉吉「画期的な琉球王国」論(1991年)
○高良は「古琉球期になると、王国形成という独自の主体的な息吹を反映して自前の記録を作成するようになり、同時にまた、海外諸国との外交・貿易活動の結果として外国側の文献にその姿が正確に記されるようになる」という。しかしながら、「自前の記録」のそれぞれの初出年代は、『おもろさうし』は1531年、『歴代宝案』は1424年、碑文は1427年、辞令書は1548年であり、これらに対して、「外国側の文献」である『明実録』『高麗史』『李朝実録』は「自前の記録」より先行している。平板に列挙することによって、前後関係を無視しているといえる。『おもろさうし』と辞令書は新しすぎるが、1420年代の、最古の碑文「安国山樹華木記碑」を建てたのは中国人の懐機であり、他方の『歴代宝案』も在沖中国人が記したものである。

○琉球王国なるものは、14世紀半ばに琉球に在住し、または琉球を一つの拠点として内外の交易に従事していた人びと(中国人、朝鮮人、日本人)が、したがってその中には倭寇的な人々も含むが、明の海禁政策に直面して、その対応策として立ち上げたものであった。その主体は、琉球人ではなく明国そのもの、ないしは中国人だと考えられる。そのために、初期の琉球王国の政治は中国人が主要な役割を果たしていたのである。それは、高良のいうような「主体的な息吹」とはほど遠いものであった。

来間泰男『稲作の起源・伝来と”海上の道”』日本経済評論社

本書で著者がいう「この本は、私の心意気としては、沖縄の歴史(通史)執筆の準備作業である」とし「私は、日本と沖縄、日本人と沖縄人という用語法を採用している。もちろん、沖縄は歴史のある時点から『日本国の一員』であり、今もそうであるが、そこに至る歴史はずいぶんと長い間、別々の道を歩んでいた。その一つとしての『沖縄史』を読み解こうというのであるから、沖縄/沖縄人となるのである」とする。

私は本書を観て1970年に出た新里恵二『沖縄史を考える』を思い出した。また1974年に大城立裕・新里恵二編集で出た雑誌『沖縄思潮』も思い出した。来間氏は同雑誌の編集委員でもあった。私も少ない知識を絞って本書を読み解きたいと思っている。


第6章 守護大名の成長(15世紀前半)
補章  沖縄の旧石器時代

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西表



石垣川平




石垣





竹富




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2014年4月12日ー与儀公園
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清明(うしーみー)を終え、沖縄は、夏に向っている。
昨日の5月3日は憲法記念日。久しぶりに与儀公園の憲法九条の碑を訪ねる。
49回を迎えた憲法講演会は、あいかわらずの満員だった。今年は学生たちの朗読劇には特に感動した。、
帰りに気付いたのだが与儀公園の一画で、なんと県花・梯梧が咲いていた。
それも県知事官舎通りの梯梧だけが咲いている。
ここ数年、沖縄の県花の梯梧は咲かないできた。
咲かない梯梧に託して、私は
梯梧花の 咲かずなりしは この島の基地の重さに 怒りしあまり
という歌を詠んだ。

辺野古基地建設は知事に期待して県民は怒りを抑えてきた。
それが昨年末の辺野古基地建設の承認だ。
知事の裏切りに対する県民の怒りは大きい。
県花の梯梧も怒っているのかもしれない

今は知事官舎前の梯梧だけが咲いているが、
これからあちこちの花も咲き始めるのだろうか。
沖縄では梯梧の花が咲くと大きな台風が来るともいう。
今年は沖縄では大きなけーしかじ(吹き返し風)が吹くのだろうか。

抑えきて 怒りは終に 燃えよとぞ 島の梯梧は 咲き始めたり 



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