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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1915年3月・第一回卒業ー伊藝豊徳(健康保険所)、波平鎌一(小禄村)、新元亀次郎(那覇石門 商業)、友利恵任(台湾彰化群鹿港街専売局出張所)、小那覇全孝(嘉手納で歯科開業)、川上喜成(那覇税務署)、饒平名紀芳(東京日本橋区通り2-4日本橋ビル)、玉城亀寿(馬山公立高等女学校)、竹山秀一、玉城三郎、高良睦茂、平兵一、楚南元煐(東京高工卒)、楚南元勳(那覇で保険会社)、仲里金英(在今帰仁)、上原昇(大阪東成区中本第一小学校)、山城光進(東京赤城小学校)、福永親昌(那覇市役所)、山城正綱(在東京)、兒玉正作(沖縄県庁)、照喜名重實(台湾壮氏公学校)、安里重善(台湾台南新営海豊麿公学校)、大河内清榮(旧姓惠 大阪四條綴中学校)、志堅原良政(札幌市)、比嘉良瑞(東京市外戸塚町字諏訪2)、比嘉福吉(邊野喜小学校長)、平田重徳(鹿児島市樋之口町152池上方)、比嘉寛清(美里小学校)、比嘉盛義(津波小学校)、瀬名波佐善(沖縄県師範学校附属小学校)

1916年3月・第二回卒業ー川平惠優(鉄道省神田表猿楽町22)、與那覇浩之(安東県安東運送会社)、玉城孫太郎(今帰仁)、嵩原繁(花蓮港高等j與学校)、多嘉良憲吉、高嶺朝昌(在東京)、仲吉朝敏(神田実費診療所)、上江洲敬高、照屋勝雄(高知市江ノ口町中水道1018)、崎山用喬(台湾台北基隆高等女学校)、宜保俊一、嶺井松一、識名朝明(中城小学校)

1917年3月・第三回卒業ー伊礼喜俊、富山嘉積(県立第一中学校教諭)、金城松房、吉元山戸、平良蔵太郎(那覇金城病院)、津止重忠(大阪朝日新聞社)、永田重雄(大阪市西区京町堀33)、仲榮眞武雄、上里良保(嘉手納172)、上地平清、上原健男(東京市外東大久保234)、久場良雄(海軍少尉)、山城正直(羽地尋常高等小学校)、前田實(鹿児島県立志布志中学校教諭)、東風平玄宗(麹町警察署)、幸地新松(豊橋市豊橋病院)、小波津英毅、安慶田一(東京中央職業紹介所)、新垣武久(県立工業学校教諭)、安谷屋熊一、新垣邦二(北谷尋常高等小学校)、有馬宏(龍山満鉄京鐵局)、宜野座衡(久志尋常高等小学校)、島袋山戸、島袋正輝(宮城尋常高等小学校)、比嘉利幸(久志局長)、勢理客宗邦(東京市本所区太平町1ノ14)
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
□笹川良一の父・鶴吉はかねてよりの碁敵川端三八郎(天保12<1841>年4月10日生まれ)を招き、碁盤を挟んで睨み合っていた。三八郎の孫が康成である。(略)ときに川端康成は、第四代日本ペンクラブ会長として国際ペンクラブ大会の招聘などに奔走し、資金調達に大いに腐心していた。そんな折、竹馬の友は進んで資金援助を申し出ている。(2010年10月 工藤美代子『悪名の棺 笹川良一伝』幻冬舎)


1938年2月」19日『沖縄日報』「懐しの歌手 藤山一郎君きのふ思出の那覇へ/川端康成氏来月来訪」

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1938年3月『琉球新報』□東京の比嘉春潮から國吉眞哲に「川端康成が沖縄に行く予定で、折口信夫からは『辻の今昔』、比嘉春潮から『遺老説傳』を寄贈された。川端氏は沖縄を見てから読みたい、との話を知らせてきた。が、何らかの事情で来沖は実現しなかった。

1938年4月2日『琉球新報』南風原リリ「東京の印象」(2)
1938年4月5日『琉球新報』南風原リリ「東京の印象」(4)

1938年4月13日『琉球新報』當間光男「川端康成氏の琉球旅行」(3)
1938年4月14日『琉球新報』當間光男「川端康成氏の琉球旅行」(4)

1938年4月26日『琉球新報』「簪献納運動に悲鳴の金細工達」

b>石川正通□「ふりむん随筆」
「雪国」の作者川端康成は、その姉妹篇として沖縄に取材した南国物を書こうと意図して、在京の沖縄知名人に集まってもらって一夕の会談で沖縄に関する予備知識を得ようと会合を催した。何に怖気づいたのか、新感覚派で売り出した「伊豆の踊り子」のこの作家は沖縄行を思い止まって、現地における「沖縄の踊り子」を見る機会を自ら捨てた。

1958年6月3日『琉球新報』「川端康成氏きのう来島」
1958年6月3日『沖縄タイムス』「川端康成氏きのう来島ー誕生日は沖縄で」
1958年6月4日『沖縄タイムス』「二人の作家は沖縄を見るー川端康成氏、内村直也氏」

1958年6月5日『琉球新報』「川端康成氏ー民芸はすばらしい 身をもって沖縄を吸収」
1958年6月8日『沖縄タイムス』「座談会・川端康成氏を囲んでー川端康成、豊平良顕、宮城」聡、南風原朝光、牧港篤三、大城立裕、池田和、太田良博」(上)
1958年6月9日『沖縄タイムス』「々々」(下)

1958年6月9日 「川端康成氏を囲んで(座談会)川端康成、仲宗根政善、中今信、亀川正東、池宮城秀意、上原記者」→6月20日『琉球新報』

1958年6月10日『沖縄タイムス』「琉舞の粋に感慨 川端、鳥海氏ら迎え鑑賞会」

1958年6月11日『沖縄タイムス』「川端、鳥海、沢田、横山4氏の講演会」


昭和53年9月 千原繁子『随想集 カルテの余白』□1958年6月11日ー前列左から豊平良顕、山里永吉、川端康成、千原繁子、新垣美登子。中列左から具志頭得助、仲本政基、大田良博、牧港篤三。後列左から亀川正東、当真荘平、宮城聡、池宮城秀意、嘉陽安男、船越義彰/写真ー山里永吉案内で糸満の門中墓を見学する川端康成(右)


2004年9月 『新生美術』13号「写真前列左よりー南風原朝光、宮城聰、川端康成、豊平良顕/後列左よりー池田和、太田良博、大城立裕」 

1958年6月12日『琉球新報』「鳩笛ー川端康成氏は今日のノース・ウェスト機で帰京ーきのうはたまたま川端氏の59回目の誕生日で波上”新鶴”(我那覇文・佐久本嗣子)で、沖縄ペンクラブ主催の別パーティを兼ねた誕生祝」

1958年6月13日『沖縄タイムス』「すばらしい沖縄の踊り 川端氏帰る」/『琉球新報』「川端氏"沖縄独自の美しさ"」


1958年8月『オキナワグラフ』「ペンをかついだお客様ー川端康成氏 来島」
○篤之介のペンネームと感覚的な詩で知られる文学頭取、沖相銀具志頭得助氏の数次にわたる交渉の熱意が実を結び、国際ペンクラブ副会長、日本ペンクラブ会長の川端康成氏が6月2日ひる3時40分、那覇空港着のノースウエスト機で来島した。今回の来島は沖縄ペンクラブの招きによるものであったが、「伊豆の踊子」「雪国」などの作者として文壇でも特異な存在にある同氏の来島は今まで期待されながら不可能視されていただけに、沖縄文化人の喜びは大きく、ペンクラブ会員多数が出迎えた。滞在中はペンクラブの山里、亀川氏や具志頭氏に案内されて、沖縄視察を続けられたが、6月11日、はからずも沖縄で誕生日を迎えたペンの賓客は、ペンクラブ会員、具志頭氏、沖相銀、紅房、那覇薬品、沖縄火災の関係者多数に囲まれ、「私はこんなに誕生日を祝ってもらったのは初めてでしてねエ」と島人達の温かい心づくしにその喜びを語っていた。・・・・

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Posted by: ryubun02
1946年  極東国際軍事裁判(東京裁判)翻訳官、通訳官、調査官(キーナン検事と同居)、G・H・Q第八軍教育顧問(教育課長と学校視察)

石川正通□伊波先生は、戦後よく私の家に来れれた。ちょうど先生の東大の同期生の橋本進吉教授が私のすぐ隣で、同じ番地なんです。そして私の家のすぐ真ン前が児玉誉志夫なんだ。これは笹川良一と二人一緒でね。私の家からヤーナラビ(家並び)で、少ししか離れていない。あれがまだ世田谷の等々力に行く前ですね。で、児玉誉志夫と私は一緒に焼け出された。それから児玉の乾分やなんかが新橋駅の角の銀座通りで、テーブルなんか家具を売っていましてね。私は占領軍からいろいろ物が入るもんだから、何も貰わないで融通しておりましたがね。よく私の家に来たものだ。児玉君も、それから乾分たちも。(新城ーこの頃、浦崎永錫のところに、笹川良一が皇族が持っている美術品をバラバラにし売ろうと持ちかけてきた。断ったという)

石川正通□勝てる国敗れし国を裁くてふ/旗十一のたたずまいかな
アイフルバーガー第八軍司令官が日本刀をすべて鋳つぶして廃棄せよに、私は「日本の刀剣は世界に例を見ない美術品である」と身を賭して守り抜く。

1948年  順天堂医科大学教授(予科英語主任) 
1949年  千葉商科大学講師

1954年  10月19日 『琉球新報』石川正通「ふりむん随筆(一)」~12月27日

1958年
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1959年   2月10日 石川正通〇望遠郷ー神様よ!あなたは開店休業ですか あなたの1人子キリストの言葉 「カイザルの物はカイザルに返せ」 あれは公約ではなかったのですか 沖縄人のものは沖縄人に返して下さい 子供の時に歌った讃美歌 「神は愛なり」の余韻の美しさよ 愛の神を信じ神の愛を疑わない 心の清い沖縄人の祈りを御聞き下さい。(I God! Your words of Christ, the Son one of you I leave open "things Caesar returns to Caesar" what human Okinawa hymn was sung at the time of the child should be returned to the people of Okinawa do I was not a pledge is that "God is love," Please listen to us the prayer of Okinawan the pure in heart that does not doubt the love of God I believe in the love of God of the resonating beauty.)

1960年   1月『オキナワグラフ』「新春特話 正通の望遠郷ー東京裁判物語ー」


1960年  ラジオ沖縄で「正通放談」 石川正通〇私と沖縄ー大宅壮一君が琉球大学を八ミリ大学と、せいいっぱい高く評価したそうだが、人間というものは、自分の高さでしか物を計れないものだという生理的実存の自己暴露的放言として誠に興味深いものがある。八ミリ評論家に八ミリ大学と言われたのは、むしろ名誉である。気にすることはない。

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1962年12月26日晩ー「石川正通氏歓迎短歌会」国際通り宮里医院ー前列右より伊波冬子、金城芳子、石川正通・夫人、上里堅蒲、宮里栄輝、松田賀哲/中列右より國吉有慶、比嘉俊成/後右より宮里浩司・夫人、國吉景祉、比嘉晴二郎、泉國夕照、國吉灰雨、石川正秋

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Posted by: ryubun02

3月25日、与儀公園のデイゴが一本の木に一輪づつ花を咲かせていた。沖縄県立図書館で石川正通の「春潮曼荼羅」を見る。
□腕っぷし大佐とかけて、何と解く?
年頃の娘と解く。
心は?
初めて月の物を見た。
和意談で筆を起こした趣旨は、比嘉春潮の名に触れるプロローグに、したかったからである。腕っぷしはアームストロング。アポロで、初めて月に降り立った宇宙飛行士である。比嘉春潮の春潮、新潮社の新潮は、娘が初めて見る初潮と同じく、月経ではないでしょうかと、私が怪問したら、春潮さんは、びっくりして、早速中国人のインテリに、訊き正したそうである。
沖縄で、初めて春潮さんに接したころは、確かに春朝であったように記憶している。図書館で、エスペラント講習会をやられる前の話である。ハクソー嫌いで有名な東恩納寛惇君(彼は君という呼称が好きであった)が、「ハクソーを人間に分類したのは、神の誤りである」と言ったとかで、東京の沖琉群人の間で、ハクソー問題が話題になったとき、春潮さんは、親の代に西原にチジュー(居住)したが、僕は首里の士族であると、家系を明かされた。

沖縄師範を卒業したとき、東京の物理学校(今の東京理科大学)への入学資格を得たが、家が貧乏で、東京に行く金がないので、下級の島袋盛範に権利を譲ったと述懐された。春潮さんが小学校長のとき、部下の教員の使い込みの不始末に、心を痛めて毎晩さまよい歩き、石垣の穴を見つけては、指をつっこんで、ハブに噛まれて、死を選ぼうとした噂があったが、これはあの春風駘蕩たる春潮さんの温かい人柄を示すエピソードで、根も葉も無いフィクションかも知れない。
    深く掘りなどが胸うちぬいじゅん(泉)ゆす(他所)たゆ(頼)て水や汲まぬごとに
伊波普猷先生が四十四歳の春潮さんに送られた歌で、ニーチェの「人間的な余りに人間的な」というニーチェの言葉を、読書家の芥川龍之介は「芸術的な余りに芸術的な」と、文字ったが、私の発想は常に「沖縄的な余りに沖縄的な」でワラビナー(童名)に、薄れ行く沖縄情緒を、次のように偲んでいる。私の家は男女同県だから、沖縄語しか使わない。テレビはカーガーウドイ(影踊)、ラジオはドゥチュイムヌイーサー(独言者)という風に、マカイ(ご飯茶碗)と(湯呑み)茶碗とを区別しない国は野蕃国である。
    ミーニシの吹くころ鷹や渡るらむ東京に居て沖縄に住む
不治のノスタルジアに冒されて、馬齢を加えて行くばかりである。

伊波ぬヤマーウンチュー、漢那ぬモーサーウンチュー、比嘉ぬタルーッチー、当間ぬウシーッチー、瀬長ぬカミーッチー、仲吉ぬカマーターリー、大湾(中村政忠)ぬカナーグヮー、宇久(貞成)ぬマカラー、武元(朝朗)ぬサンデー、山里(永吉)ぬトラー、と呼ばして戴いていた。

伊波普猷=ヤマー
比嘉春潮・金城朝永・親泊政博・宮城邦栄・岸本賀章=タルー
宮里栄輝・比嘉俊成・渡嘉敷唯信・石川正通=ジルー
真玉橋朝起・当間重民・山里永明・比嘉賀成・渡嘉敷唯達・島袋全章・山之口貘(山口重三郎)=サンルー
漢那憲和・東恩納寛惇=モーサー
富名腰義珍・伊礼肇・瀬長良直・長浜真徳・宇良宗亀・親泊興照=カミー
池宮城積宝・山城政行・石川正義・古波鮫唯信(漂雁)=カナー
神山政良・許田重発・備瀬知範=スター
友寄英彦・嘉数詠達・照屋仁栄=ニヨー
高嶺明達・真玉橋朝英・照喜名重照・当間重国・船越義英・尚暢=カマデー
当間重剛・島清(島袋牛)・松岡政保(宜野座政牛)=ウシー
小嶺伸(幸申)・大湾政行・高嶺百才=ハークー
仲吉良光・嘉数昇=カマー
祖慶実徳・渡嘉敷唯義=トラジュー
石川逢篤・石垣孫顕=カミジュー
石川正芳(私の父)・照屋彰義・渡嘉敷唯仁・浦崎永錫・山口保仁・小禄朝器・比嘉賀秀(靜観)・南風原朝光=マチュー
照屋宏・浜松哲雄(比嘉)=マチャー
大浜信泉=マントゥー

伊波先生とは、毎晩のように、会談・快談・怪談に耽ったが、学術語以外は、殆ど沖縄語で終始した。私が、所かまわず、沖縄語を使うので、春潮さんは、「石川君、君の沖縄語は正しいと思うか」と言われた。いくら春潮さんでも、これは愚門だと思った。しかしこの質疑は、春潮さんの頭の中の学庫の秘密を解く重要な鍵である。
言葉は時代時代によって変遷するもので、その世代の仲間の言葉が、その世代では正しいのである。時代は動く。語法も語彙を包んで動く。




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新島政之助は戦前ガリ切の達人で知られていた。
新島政之助が編集した本

1932年1月21日『沖縄朝日新聞』新島政之助「長編敘事詩 季節の処女」
1956年5月2日ー新島政之助宅「真和志市誌出版紀念短歌会」参加者は泉國夕照、原神青酔、上里堅蒲、宮里ひろし、石川正秋、比嘉俊成、國吉灰雨、邦吉之輔。

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沖縄芸能史研究家・崎間麗進(1921年~2013年3月19日)

2010年4月29日 書斎探訪ー崎間麗進氏
崎間麗進氏は琉球新報社の『沖縄人国記』(1999年3月)によれば「崎間麗進(76)は、那覇の庶民生活の伝承者。子供と大人の関係が切り離されている現代を憂える。始祖は、琉球に陶芸の技術を伝えて帰化した朝鮮の陶工・張献功(?~1638)。名前の『麗』の一字がその名残り。芸能にも詳しく、沖縄芸能史研究会会長を務める。沖縄県立博物館長・當間一郎(59)も創立当時からの会員。初代会長で琉大名誉教授・照屋寛善(78)は医業の傍ら古典芸能に新しい解釈を加えた」と沖縄芸能史研究会と共に紹介されている。
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2015年4月15日午後2時ー那覇市・識名園で「崎間麗進先生を偲ぶ会」□実行委員長・當間一郎/実行副委員長・安次嶺律子


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芸歴
1941年6月  東宝俳優学院(国民表技学院)本科卒業

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      7月  大阪戎座入座、大宜見小太郎、宇根伸三郎、仲井眞元楷に師事
1943年 2月  玉城盛義舞踊研究所内弟子
      4月  真楽座入座
1945年3月   玉城盛義師匠とともに軍隊慰問。喜屋武海岸で米兵の捕虜。ハワイ収容所で比嘉良徳、屋比久光英とともにキャンプPW収容所等、沖縄に復員するまで慰問公演。
1946年2月   沖縄民政府指定芸能資格審査に受賞
      5月   新生劇団創立(伊佐眞一、金城幸盛、比嘉良徳)
1953年1月   比嘉清子に古典女踊師事
1955年6月   南米ブラジル国に単身で同胞移民慰問公演
           
1978年6月   南米お別れ公演
     10月   沖縄に帰国
1979年6月   与那原にて舞踊道場開設
1981年4月   第1回発表会「舞踊と沖縄芝居」
1982年5月   第2回発表会「舞踊と沖縄芝居」
1984年5月   第3回発表会「舞踊と沖縄芝居」
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1988年4月   「沖縄芝居風嗣扇会・當間美恵蔵藝道四十五周年記念公演」那覇市民会館  

2003年10月  『脈』第69号 Т・奥山□沖縄芝居の名女形の死をお伝えしなければならない。与那原町の洪済寺(墓は寺の南側)に眠る當間美恵蔵優である。6月28日に82歳で永眠された。

03/07: 勝連敏男

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旗本退屈男 はたもとたいくつおとこ (映画)
市川右太衛門を世に知らしめた時代劇映画。もともとは、佐々木味津三*1の時代もの小説。1930年に映画化。以来、戦後の1963年まで作られ、舞台でも数え切れないぐらい上演した。旗本の早乙女主水之介の「眉間に冴える三日月形、天下御免の向こう傷」の名ゼリフと豪快な太刀裁きで人気を集め、右太衛門の代表的な作品になった。また、右太衛門の息子の北大路欣也もこの役を演じた。(はてなキーワード)
〇粟国島の幼年時代、少年雑誌の旗本退屈男をモデルにした劇画をよく模写した。
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