Archives

You are currently viewing archive for September 2013
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

写真左から仲宗根政善、折口信夫、島袋全幸、藤井春洋、宮城眞治

島袋全幸『昔の那覇と私』「折口信夫先生と沖縄と・折口先生と伊波先生・東恩納寛惇先生・比嘉春潮先生・宮城栄昌さん・獏さんと泉さん・那覇および那覇人・市史こぼればなし・電車の開通・ありしひの那覇・那覇の女・むかし那覇の正月風景」昭和61年2月ー若夏社発行
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

写真ー松田賀哲


○1986年1月 松田賀哲『随筆と歌』


写真1935年頃辻ー後列右からー山里永吉、仲泊良夫 前列中央が松田枕流(賀哲の弟)

» Read More

09/20: 國吉保武

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

2014年8月2日 那覇市民ギャラリー「第44回イーゼル会展」

國吉保武氏と作品「マハナ岬(粟国島)」

» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
宜湾朝保
近世末期琉球の政治家,歌人。唐名は向有恒。明治政府が樹立し,廃藩置県が行われると,維新慶賀副使として上京,琉球藩王を受けて,琉球王国の日本への編入の道を開く。琉球の名門の家に生まれ,父親は幼時に死去したものの,やはり三司官(本土の家老などに相当する首里王府の要職)だった。本人も尚泰15(1862)年から死の前年まで三司官を務める。歌を,香川景樹の高弟で薩摩藩士八田知紀に師事し,『沖縄集』(尚泰23年刊),『沖縄集二編』(同29年刊)を編集刊行するなど大いに歌道を興す。家集に『松風集』がある。
(池宮正治)→コトバンク


宜湾朝保の父ー向延楷・盛島親方朝昆




Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

津波古政正(東国興 1816年8月21日~1877年)

null
2010年8月5日、昼、ジュンク堂那覇店に名城政次郎氏が居られた。那覇市歴史博物館で名城氏の曽祖父(名城政快)の死亡広告を偶々目にしてその話をしたらコピーを依頼された。早速、那覇市歴史博物館でコピーしFAXで送った。私は2003年11月22日『沖縄タイムス』「うちなー書の森 人の網⑪」に名城政快の息子・政成について、名城政成は1893年9月15日午前9時30分、那覇港からの球陽丸で沖縄県尋常師範学校の九州修学旅行に大城彦五郎、名嘉元貞一、親泊朝擢と共に政成も参加している。政成は那覇尋常高等小学校で教鞭を執ったあと台湾に渡り10数年、教育界で奔走。その後に那覇の甲辰小学校校長に就任。政成の長男・政雄は1918年に沖縄県立一中を卒業、同窓に大城俊彦(大城彦五郎長男、医師)、武元朝朗、富川盛蒲(医師)、当間重民らがいる。名城政雄は政成の影響もあって台湾で教師を勤め戦後、那覇区教育委員、那覇尚学塾長の傍ら週刊『新琉球』を発行した。2男の政次郎氏は台湾で生まれた。甲子園で優勝した沖縄尚学高等学校の校長として著名である。

1984年ごろ沖縄の図書館史を調べていた。その過程で那覇市安里の具志堅政冶氏(沖縄タイムス相談役)を知ることになる。具志堅氏は大正9年4月、当山正堅の紹介で沖縄図書館に助手として採用された。この図書館勤務は大正14年の春まで続いた。伊波普猷館長が退職し上京するとき伊波の紹介で当真嗣合の沖縄朝日新聞に入社。具志堅氏には『紙ハブ小のたわ言』(1982年1月)の著書がある。その中の「東姓もんちゅう物語」で尚泰王の国師だった東国興・津波古政正を紹介、また「東姓小宗名城一門系図」に書かれた序文も収録している。2冊目の『続・紙ハブ小のたわ言』(1985年10月)では「東姓の始祖」と題し漢那憲和(海軍少将)も東姓と紹介している。
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
大湾朝功は『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社1983年4月)に金城正篤氏が紹介しているので名前は知られている。


2013年9月15日『琉球新報』仲村顕「人ものがたりー大湾朝功」(イラスト・カカオマスさん)


○1990年2月  渡久山寛三『琉球処分ー探訪人・大湾朝功』新人物往来社

○2011年2月のブログ「海邦小国」にも大湾朝功(向建栄)は報告書の写真付(大湾朝功と久高盛政が警察へ提出した報告書の一部)で紹介されている。「大湾朝功(おおわん・ちょうこう)は琉球併合の際、日本側につき処分官・松田道之のスパイ(探訪(謀)人)となり、琉球人の同行を探る役割を果たした。置県後は生命の危険もあったため、松田が帰任する際に一度沖縄を離れたが、その後戻って県庁に勤めた。事典などでは生没不詳とされているが没年は確認できる。没年は明治40(1907)年4月。長男は朝忠。朝忠も県庁に勤めた。孫は朝義。」また同ブログには他の探訪人、「伊波普猷の叔父・許田普益(小樽金)ー琉球併合時に日本側について、探訪(謀)人(スパイ)となる。スパイとなった許田は生命の危険もあったことから、松田道之が帰任する際、同行して一時東京へ行き身を隠す。東京で滞在中は共慣義塾(英学)で学び、明治15(1882)年4月に沖縄に戻った。しかし、翌年の明治16(1883)年、腸チフスにかかって亡くなった。享年18歳。 久高盛政が日本側の探訪(謀)人として活動したことが確認できるが、ほかに首里士族の「仲吉、松島」も、探訪人となったという。」も紹介されている。

» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
赤嶺正則(☎850-6264)


Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1954年11月14日『沖縄タイムス』「琉球藝術論を脱稿ー胡屋琉大学長と同大名義出版を約すー世に出るか、鎌倉芳太郎教授の著書(本文・千二百頁、図版五百頁)」

1955-8    日本橋高島屋「沖縄展」鎌倉芳太郎、型紙出品
8月ー東京日本橋高島屋で読売新聞主催「沖縄展」
null



1957-12-1 『沖縄タイムス』鎌倉芳太郎「私と沖縄」□交友関係では末吉麦門冬(末吉安久氏の実兄)と意気投合。いろいろ啓発し、されたもの
1958-7-16  『沖縄タイムス』鎌倉芳太郎「沖縄の美しいもの」(1)6-15川崎市沖縄文化同好会第8回沖縄文化講座で講演したもの。~7-26(10)

1960-1    鎌倉芳太郎『古琉球紅型型紙の研究』京都書院

1961年     琉球政府立博物館、鎌倉芳太郎から「円覚寺大雄殿壁画」(鎌倉芳太郎模写)、「大島祝女服装図」(鎌倉芳太郎模写)寄贈。鎌倉芳太郎から「ときさうし」「古代祝女衣裳カカン」「古代芭蕉地カカン」、鎌倉秀雄から「進貢船図」購入

1963-9月  鎌倉芳太郎『琉球の織物』京都書院

1964年     琉球政府立博物館、鎌倉芳太郎から「三平等兼題文言集」「呈禀文集」「寺社由来記」「琉球事件 上」「球陽外巻(遺老説伝)」「萬集」「覚世真経」「廃藩後旧例相変り候事件」「浦添御殿本 『王代記』」「大上感応篇大意の序」を寄贈。鎌倉秀雄から「琉球詩集」「琉球官生詩集」「琉球詩録」「毛世輝詩集」「東子祥先生詩集」「平敷屋朝敏文集」「中山王府相卿伝職年譜」「御書院並南風原御殿御床飾」「御座飾帳」「御書院御物帳」「琉球俗語 巻之一」購入

1966ー10   東京ひめゆり同窓会『戦後二十周年記念誌』(表紙・鎌倉芳太郎)□鎌倉芳太郎「回想記ー廃藩置県時代以前の琉球王国時代の美術研究に従事した。その関係で沖縄タイムス主筆 麦門冬末吉安恭氏と親交を続けた。またその縁戚の南村氏とも顔を合わせる機会が多く、したがって当時の沖縄における共産社会主義の猛者連中の思想運動にもふれた・・・」


1966年10月/1975年10月


1968年2月   鎌倉芳太郎『古琉球紅型』京都書院


1968-4  日本橋東急百貨店「沖縄展」図録 鎌倉芳太郎「琉球造形美術について」→名古屋の徳川美術館でも中日新聞社共催で開催された。     
    4月ー東急百貨店日本橋店7階で「沖縄展ー琉球の自然と文化」
        

1971-1    鎌倉芳太郎『古琉球紅型』上下 京都書院
1971       鎌倉芳太郎『古琉球型紙』京都書院



» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1916年4月18日ー冨田渓仙、来沖、3週間滞在。
null
1917年 冨田渓仙「沖縄三題」□2007年 沖縄県立博物館・美術館『沖縄文化の軌跡1872-2007』所収
null

冨田渓仙 とみた-けいせん
1879-1936 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治12年12月9日生まれ。狩野派,四条派をまなび,のち仙厓義梵(せんがい-ぎぼん),富岡鉄斎に傾倒。横山大観にみとめられ,大正4年日本美術院同人。昭和10年帝国美術院会員。昭和11年7月6日死去。58歳。福岡県出身。本名は鎮五郎(しげごろう)。字(あざな)は隆鎮。別号に雪仙,渓山人など。作品に「御室の桜」「伝書鳩」など。(コトバンク)

2013年11月2日~12月8日 沖縄県立博物館・美術館「京都 清水寺展」に冨田渓仙「伎芸天図」「詞梨帝母図」が展示される。

09/01: 水上泰生

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
『琉文手帖』(1999年5月)「沖縄近代文化年表」の1914年(大正3)の2月5日のところに、画家・水上泰生 平壌丸で来沖とある。

水上泰生 みなかみ-たいせい
1877-1951 大正-昭和時代の日本画家。
明治10年10月24日生まれ。寺崎広業(こうぎょう)に師事。大正3年「琉球の花」,4年「樺太の夏」が文展三等賞をうける。5年上京。昭和2年帝展委員。写実的な花鳥画を得意とした。昭和26年2月21日死去。73歳。福岡県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は泰生(やすお)。⇒コトバンク



大正3年・第八回文展 水上泰生「琉球の花」(六曲一双)

○1999年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』題1号 原田あゆみ「鎌倉芳太郎略年譜」(参考文献に『琉文手帖』「沖縄近代文化年表」もある)
□1914年 鎌倉芳太郎、第8回文展にて水上泰生の『琉球の花』(3等賞)を見る。1918年 鎌倉芳太郎、水上泰生を麻布本村町の邸宅に訪ねる。早速その日から宿泊し、製作の手伝いをすることになる。狩野派の彩色原理は水上泰生から学ぶ。