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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02



○1981年4月『オキナワグラフ』「わしゃ91歳のドライバー 100歳まで頑張るヨ 北中城荻堂 安里徳仁さん」

荻道イーヌモーに村有志が建てた安里徳仁琉歌碑「沖縄男児 ひやみかち立てば ならんことねさみ ちばて見しら」

2001年3月 『北中城村史』第3巻(移民・本編) 安里ノブ「安里徳仁とアメリカで暮らした幾年月」
2008年9月15日「人生は日々勉強」92歳の現役女子大生・安里信子さん (比嘉康文)

戦前、沖縄からハワイやアメリカ本土へ移民した人は多い。信子さんの住む荻道の集落も例外ではなく移民の多い地域だ。父母がハワイに移民し、信子さんはハワイで生まれた。祖父の死で一人ぼっちになった祖母が「さびしく暮らしているのは忍びない」「一人でいると、子孫がいないと思われては困る」という理由で、初孫の信子さんは2歳のときに親戚に連れられて帰郷した。尋常高等科を卒業し、産婆養成所を出て看護婦として働いていたが、アメリカ移民として一時帰国した安里徳仁さんと20歳で見合い結婚した。

 「当時、周りから勧められてお見合いをした。アメリカ生まれでないと、結婚してアメリカに住めないと言われて、見合させられた。結局、周りの人たちに騙されたのね」と屈託なく笑う。夫とアメリカに渡り、ニューヨークなど各地で働いて、落ち着いたのがシカゴ。豆腐屋やスーパーを経営して一生懸命に働いてた。それが大家さんに信頼され、大家さんの4階建てビルを購入した。それをきっかけに事業に成功した。戦後、沖縄からの米国留学生や米国から国民指導員として招かれた人たちを自宅で歓待した。

 信子さんは「お客さんが家に大勢来るので、おいしい料理も出さなければならず、料理学校に通った。その時々で必要に迫られて学んできた。アメリカのハイスクールに入学したのは47歳、アメリカで理学療法士の国家試験に合格したのは57歳のときでした」と話している。戦争で強制的に帰国させられたが、戦後再び渡米した。アメリカには38年間いたが、1975年に引揚げてきた。「英会話には不自由しないが、書くことになると困る。ハワイにいる妹からくる手紙のようにきれいな英語を書きたい」と意欲的だ。


 信子さんは現在、放送大学で英文法、英作文を学んでいる。「年だからもの覚えが悪くて……」という信子さんは、テキストの予習・復習に熱心だ。「分からないと、何回でも繰り返してテキストを読む。集中して勉強するので、終わると一度に疲れがでる。でも、知らないことを学ぶというのは充実感があって、楽しいですよ」と話す。放送大学は7年前から在籍し、「分からないことを学ぶのが大好き。ボケ防止にもなるので、有り難い」。これまでに家族論、沖縄文化、郷土芸能、アメリカ史などをの単位を取得している。

2010年3月 『荻道字誌』「人物/安里信子・安里徳仁」

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07/22: 橋本徳寿

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

橋本徳寿 はしもと-とくじゅ
1894-1989 大正-昭和時代の歌人。
明治27年9月10日生まれ。木造船技師をつとめる。大正7年土岐善麿(とき-ぜんまろ)の選で第1歌集「船大工」を刊行。のち古泉千樫(こいずみ-ちかし)に師事,昭和2年歌誌「青垣」の創刊に参加した。平成元年1月15日死去。94歳。神奈川県出身。工学院卒。歌集に「ララン草房」「日本列島」など。→コトバンク
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1881年5月卒業 速成科
田頭景明(那覇)、知志喜榮(那覇)、富永實政(那覇)、永田長恭(那覇)、花城康故(那覇)
1881年7月卒業 速成科
仲里常徳(那覇)
1881年10月卒業 速成科
仲尾次政雅(那覇)
1881年11月卒業 速成科
照屋興仁(那覇)、山口恵知(那覇)
1882年2月卒業 速成科
饒平名知新(那覇)
1882年4月卒業 速成科
糸数昌功(那覇)、島袋全榮(那覇)、下地寛清(宮古)、砂川昌治(宮古)
1882年6月卒業 速成科
安里昌一(島尻)、太田朝敷(首里)、岸本賀昌(那覇)、謝花昇(島尻)、謝花寛煌(那覇)、高江洲春錦(那覇)、富永實文(那覇)、眞榮田岩助(那覇)
1882年7月卒業 速成科
城間恒洪(那覇)
1882年7月卒業 初等師範学科
嘉手川重慶(那覇)、漢那憲昭(那覇)、比嘉平長(那覇)、松本維榮(那覇)
1882年12月卒業 初等師範学科
伊舎堂孫全(八重山)、大見謝恒有(那覇)、喜舎場英正(八重山)、名嘉眞春教(宮古)、譜久村昌匤(宮古)、松田賀烈(那覇)、安元實明(那覇)
1883年10月卒業 初等師範学科
上江洲由恭(八重山)、嘉数詠詩(那覇)、高良睦喜(那覇)、知念蒲戸(中頭)、平安山長保(那覇)、普久原宗丕(那覇)、眞榮田岩助(那覇)
1883年11月卒業 初等師範学科
大野要一(鹿児島)


1884年11月卒業 初等師範学科
大嶺快安(那覇)、神里多一郎(島尻)、喜屋武英守(中頭)、玉城克全(那覇)

1923年3月卒業 本科第一部
安里永慶(中頭)、安里源秀(中頭・台湾)、新垣信用(八重山・東京深川区毛利校)、新垣壮永(中頭)、上江洲智亭(島尻)、内間仁徳(島尻)、榮野川浩(中頭・旧名)盛貴)、島袋松五郎(中頭)、知念俊吉(中頭・台中州豊原郡神岡校)、吉川眞順(島尻・旧姓 渡嘉敷・東京市本郷区元町校)、仲里朝亭(八重山・台南州新豊郡関廟公学校)、羽地恵信(宮古)、平良恵路(宮古・東京市本所区江東学校)、宮島肇(中頭 ・旧姓 宮城)、宮良寛好(八重山・台湾基隆暖々公学校)、山里昌英(島尻・東京市下谷国民学校)、与那原昌茂(宮古・東京市本所外手校)□1959年5月『オキナワグラフ』「師範学校同期生 大正12年卒ー新垣隆蒸(55・東京工芸社長)、葉山靖(55・旧姓 羽地 江戸川区大杉東小学校長)、喜友名正規(56・江戸川区上一色小学校長)、内間仁徳(56・品川区上神明小学校長)、平良恵路(渋谷区松濤中学校長)、山里昌英(千葉県遠山中学校教頭) 」

1925年3月卒業 本科第一部
石垣英完(八重山・死亡)、糸数昌一(那覇・沖縄県学務課)、伊波嘉三(中頭・国頭楚州校長)、上原健明(島尻)、上里総恭(島尻)、大城亀助(国頭)、兼島方源(宮古)、下地恒忠(宮古・台中州)、島袋貞吉(国頭・東京市中野区野方東国民校)、瀬良垣松重(中頭)、知念清一(中頭)、渡嘉敷眞徳(中頭・死亡)、名幸正期(中頭)、名嘉原安利(中頭)、野原幸輝(島尻)、南風原英寛(八重山・死亡)、比嘉幸全(中頭・東京市中野本郷校)、比嘉永賀(中頭・死亡)、前川守皎(島尻)、宮城清宜(国頭)、宮良寛雄(八重山・朝鮮全州地方法院司法官試補)、本村恵康(宮古・台湾)、屋良朝苗(中頭・台湾台南第二中学校)、屋比久孟林(国頭)、与儀三郎(島尻)



1942年3月卒業 本科第一部
瑞慶村智啓(島尻・八重山与那国校)、砂川恵勝(宮古・与那原校)、西平守晴(八重山・恩納校)

西平守晴□このようにしてようやく卒業、新任教師として国頭郡恩納国民学校へと赴任することになるのです。その間いわゆる徴兵検査を受け甲種合格、しかも海軍への入隊がきまったのが5月末でした。愈々来るものがきたと思うと1年後の4月には軍人として出征しなければならないと思うと、1日1日が惜しまれ身の引き締まる思いで毎日教壇に立ったものでした。null
1983年10月11日『沖縄タイムス』「二度と教壇に戻らなかった青年教師ー教え子と40年ぶりに再会」




沖縄県師範学校同窓会資料

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