09/11: 2011年9月11日 「第37回エイサー祭り」大正区千島公園グランド
大正区の「エイサー祭り」に行くため、午前10時に新城あけみと東大阪の自宅を出て地下鉄で難波。南海ナンバのキタムラで「写ルン」を買う。難波バス停から大正区行きのバスに乗る。大正区役所前に着いたのが11時であった。千島公園グランドでは正午から開催だが、すでに大勢の人が参集していた。グランド周辺にはもう大勢の見物人がつめかけ、バザー出店も多くが店開きをしていた。
会場の一角「ところで沖縄広場」は私の息子も展示に関わっている。関西沖縄県人会(県人会リーダー真栄田三益の写真)の歴史や、エイサーの第一回からのパネル、「慰安婦」問題の資料や「国際人権法から見た沖縄基地」、普天間、辺野古の米軍基地などが展示されていた。また沖縄の「なるみ堂」の絵はがき(むかし沖縄)パネルも展示していた。今回エイサーは「東日本大震災復興祈念」と銘打っている。
エイサーの演舞は地元の大正沖縄子どもエイサー団、西成でいごの会、宝塚のレキオ、大阪沖縄かりゆし会、関西やいまー会、京都琉球ゆう遊会、名古屋から愛知琉球エイサー太鼓連、沖縄から名桜エイサー、平敷屋エイサーたもつ会ら多くの団体が参加していた。、会場の周辺には旧友たちも居た。諸見里宗博、芳美夫妻、その息子の太志君もいて伯母さんや玉城利則夫妻のところに案内され再会をした。屋良朝光、金城勇、フジコ、垣花ら諸氏とも久しぶりに会った。
屋良朝光さん
2011年9月11日(日)正午~午後8時ー大正区千島公園グランド「第37回エイサー祭り」(東日本大震災復興祈念)―問合せ・関西沖縄文庫☏FAXー06-6552-6709
2003年5月24日 『沖縄タイムス』新城栄徳「書評・『いくつも日本Ⅴ排除の時空を超えて』岩波書店」
□本巻は「近現代の差別を考え、その克服の道を探る」として赤坂憲雄、川村湊らのよく知られた執筆陣に交じって仲間恵子が「ヤマトゥのなかのウチナーンチュ」、鄭暎惠が「『在日韓国朝鮮人』とは誰か」を発表している。後者は「『在日韓国朝鮮人』を他者化し定義する権限をもつ普遍的な位置などどこにも存在しない」「それでも『在日韓国朝鮮人』と呼ばれるステレオタイプが存在しうるとしたら、その理由は何か」を論じて興味あるが、ここでは触れない。
仲間も同様の趣旨で「ヤマトゥに生きるウチナーンチュを一括りに述べることはできない」「『琉球人』『沖縄人』にどのような意味を与えるのかは、ウチナーンチュ自身が決めることである」と論を簡潔、具体的に展開させている。
評者は旧「沖青友の会」メンバーの大阪ウチナーンチュたちから、沖縄で「沖縄差別を究明しろ」とよく言われるが、沖縄ではヤマトゥンチュは少数派で新聞を見ると「子供がヤマトゥンチュゆえ、小学校でイジメられている」という母親の投書もよく出る。が、何よりウチナーンチュ自身が沖縄差別の象徴の「核基地」にならされている。
ことに大阪では少数派のウチナーンチュの親に生まれた2世、3世はさらに複雑で沖縄のウチナーンチュ(父親はアメリカ人)からも「ウチナーンチュらしくないウチナーンチュ」と無神経に言われる始末である。仲間は関西沖縄文庫を主宰している2世の金城馨と、沖縄関係資料室主宰の故西平守晴を紹介し「ウチナーンチュが築いた資料室が大阪に存在するということは、偶然のことでなく、約百年にわたる在阪ウチナーンチュの歴史になかにおいて必然だったのではないだろうか」「2世の私は、自覚をもって沖縄と向き合うようになってから先人が遺してくれた資料を少しずつ紐解いている途中にある」とし自分探しはこれからも続くとある。
会場の一角「ところで沖縄広場」は私の息子も展示に関わっている。関西沖縄県人会(県人会リーダー真栄田三益の写真)の歴史や、エイサーの第一回からのパネル、「慰安婦」問題の資料や「国際人権法から見た沖縄基地」、普天間、辺野古の米軍基地などが展示されていた。また沖縄の「なるみ堂」の絵はがき(むかし沖縄)パネルも展示していた。今回エイサーは「東日本大震災復興祈念」と銘打っている。
エイサーの演舞は地元の大正沖縄子どもエイサー団、西成でいごの会、宝塚のレキオ、大阪沖縄かりゆし会、関西やいまー会、京都琉球ゆう遊会、名古屋から愛知琉球エイサー太鼓連、沖縄から名桜エイサー、平敷屋エイサーたもつ会ら多くの団体が参加していた。、会場の周辺には旧友たちも居た。諸見里宗博、芳美夫妻、その息子の太志君もいて伯母さんや玉城利則夫妻のところに案内され再会をした。屋良朝光、金城勇、フジコ、垣花ら諸氏とも久しぶりに会った。
屋良朝光さん
2011年9月11日(日)正午~午後8時ー大正区千島公園グランド「第37回エイサー祭り」(東日本大震災復興祈念)―問合せ・関西沖縄文庫☏FAXー06-6552-6709
2003年5月24日 『沖縄タイムス』新城栄徳「書評・『いくつも日本Ⅴ排除の時空を超えて』岩波書店」
□本巻は「近現代の差別を考え、その克服の道を探る」として赤坂憲雄、川村湊らのよく知られた執筆陣に交じって仲間恵子が「ヤマトゥのなかのウチナーンチュ」、鄭暎惠が「『在日韓国朝鮮人』とは誰か」を発表している。後者は「『在日韓国朝鮮人』を他者化し定義する権限をもつ普遍的な位置などどこにも存在しない」「それでも『在日韓国朝鮮人』と呼ばれるステレオタイプが存在しうるとしたら、その理由は何か」を論じて興味あるが、ここでは触れない。
仲間も同様の趣旨で「ヤマトゥに生きるウチナーンチュを一括りに述べることはできない」「『琉球人』『沖縄人』にどのような意味を与えるのかは、ウチナーンチュ自身が決めることである」と論を簡潔、具体的に展開させている。
評者は旧「沖青友の会」メンバーの大阪ウチナーンチュたちから、沖縄で「沖縄差別を究明しろ」とよく言われるが、沖縄ではヤマトゥンチュは少数派で新聞を見ると「子供がヤマトゥンチュゆえ、小学校でイジメられている」という母親の投書もよく出る。が、何よりウチナーンチュ自身が沖縄差別の象徴の「核基地」にならされている。
ことに大阪では少数派のウチナーンチュの親に生まれた2世、3世はさらに複雑で沖縄のウチナーンチュ(父親はアメリカ人)からも「ウチナーンチュらしくないウチナーンチュ」と無神経に言われる始末である。仲間は関西沖縄文庫を主宰している2世の金城馨と、沖縄関係資料室主宰の故西平守晴を紹介し「ウチナーンチュが築いた資料室が大阪に存在するということは、偶然のことでなく、約百年にわたる在阪ウチナーンチュの歴史になかにおいて必然だったのではないだろうか」「2世の私は、自覚をもって沖縄と向き合うようになってから先人が遺してくれた資料を少しずつ紐解いている途中にある」とし自分探しはこれからも続くとある。