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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1986年8月 琉球新報社・編『世界のウチナーンチュ〔2〕』ひるぎ社/小橋川次郎/平良一三/神谷嘉栄/山川はな/中谷夏子

玉栄正一/金城磯吉/比嘉秀男/末吉栄/知念良子/玉那覇勇

山端太佐/山内昌安/上原民子/上江洲智秀/伊波マス/砂辺松敏・千代子(大城)

知花和子/新城友弘/真栄城朝敏/平恒次/比嘉照行/トシコ・タカエス

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トシコ・タカエズ(Toshiko Takaezu、1922年7月17日 - 2011年3月9日)は、アメリカ合衆国の陶芸家。ハワイ州ペペーケオ出身。両親は沖縄県具志川市(現うるま市)出身の移民2世で、彼女が生まれる1922年にハワイへと移住している。ハワイ大学などで学んだ後、1951年よりミシガン州へと渡り、陶芸家マヤ・グローテルの元に師事した。→ウィキペディア
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写真ータカエズ・トシコさんと新城栄徳/タカエズ・トシコさんと大城立裕氏

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1966年5月『オキナワグラフ』

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Posted by: ryubun02
東京の島袋和幸氏から『日本エスペラント運動史』がおくられてきた。島袋氏は豊川善曄も調べていたから、同書の人名索引には豊川の名前も載っている。

ザメンホフ【Lazaro Ludoviko Zamenhof】
1859‐1917
今日もっとも広く使用されている人工語・国際語エスペラントの創始者。ユダヤ系ポーランド人でワルシャワの眼科医。ペンネームを〈ドクトーロ・エスペラントDro Esperanto〉といい,これより人工語の名前がエスペラントと呼ばれるようになった。ザメンホフは生涯をエスペラントの普及に尽くし,旧約聖書,アンデルセンの童話などをはじめ,多くの文学作品をエスペラントに翻訳した。また,国際的に中立な言語のほかに,すべての宗教に共通である道徳原理の総和ともいうべき中立的な宗教を人類が採用すれば,人間間の関係はよくなるに違いないとする〈ホマラニスモ〉という学説も提唱した。(→コトバンク)



1917年12月ー伊波普猷らが主催したエスペラント研究会の記念写真。中央のヒゲをたくわえているのが伊波、その右が比嘉春潮

1918年1月29日ー日本エスペラント協会は四ツ谷見附の三河屋で理事幹事会を開催し、年々の収入不足に対応するための会費値上げの提案をこの年は見送り、会費(年1円20銭)は前金で納入してもらうことに決めた。また、黒板幹事長の提案で理事を評議員と改称して地方からも選ぶこととし、さらに幹事を改選し、幹事長・黒板、幹事・小坂、浅井を選任した。評議員に、伊波普猷(那覇)、速水真曹(横浜)、千布利雄(神戸)、大石和三郎、高橋邦太郎(広島)、高楠順次郎、田川大吉郎、中村精男、黒板勝美、安孫子貞次郎、斯波貞吉、志村保一の12名が選ばれた。

地方支部は、東京(後藤敬三)、横浜(速水真曹)、横須賀(小林茂吉)、金沢(吉川友吉)、大阪(山口末次郎)、堺(坂上佐兵衛)、広島(高橋邦太郎)、沖縄(比嘉春潮)、台湾(蘇壁輝)が活動し、協会の会員数は8月で286名に回復した。広島の高橋邦太郎は10月に静岡に転居し、静岡支部を設立した。

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1996年5月8日 有限会社2020年『シルバーエイジ』編集室で右が糸数和雄氏
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P.8・9に安里三叉路(1970年)に琉映本館や琉映パチンコが見える。20に海洋博のため合同墓地を移動(本部浜元部落1973)、21に石油基地建設のためこわされた墓の内部(平安座1970)、36に毒ガス撤去デモの集まり(具志川1971)には沖縄人民党の瀬長亀次郎、日本共産党の東中光雄(1924年7月23日(88歳) 出生地 奈良県奈良市 出身校 同志社大学 現職 弁護士)らが見える。57には共通語を使いましょう(伊平屋1972)が印象に残る。

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Posted by: ryubun02

左は1963年発行の『芸能マガジン』/1957年4月『芸能タイムス』創刊号/編集発行人・渡嘉敷唯夫



写真左から渡嘉敷唯夫氏、新城栄徳、安里盛昭氏