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室長の平良肇氏
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↑2014年6月21日『沖縄タイムス』「戦の足音6 愛国と死 刷り込まれる/教科書是正要求重なる国」

↓2014年6月22日NHK Eテレ「日曜美術館 東松照明ー沖縄に恋した写真家の謎を追って」




2014年6月24日『沖縄タイムス』』「戦の足音9 五輪、国威発楊の道具に 2020年大会二の舞危惧ー1936年夏のことだ。受験勉強のために上京していた写真家の山田實さん(95)は、4年後の五輪開催が決まり、沸き返っていた帝都を思い出す・・」/NHkテレビも新聞も沖縄戦の「御霊」に」対し「犠牲者」呼ばわりを繰り返している。カジノ沖縄知事や、安倍首相 (1954年9月生まれ)が棒読みで「負担軽減」とか実際の行動と逆のわけの分からぬ空虚な発言、それと、新聞記者の問いかけにも答えずサッサと会場を後にしたアメリカ白人大使(1957年11月生まれ)らが印象的な「異例の日」だった。参列者は「戦争を知らない政治家が国政を担い、心配だ」。会場入り口で金属探知機を待っている間に正午になってしまった参列者は「きょうくらいはこんなに厳重にしなくてもいいのに。主役は偉い人なのかね」とボヤク。それでも4600人が参列している。

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最近ジュンク堂を覗くと個人や東京の雑誌などでマスコミ批判が目立つ。雑誌などがマスコミ批判を特集すると売れているようだ。そこで特集した雑誌を見る。1984年4月『青い海』<特集・沖縄新聞人のうちあけ話>、1987年12月『新沖縄文学』<特集・病めるマスコミー体質を問う>、2013年12月『沖縄世論』<特集・これでいいのか沖縄の新聞>などが目についた。

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1917年 『沖縄新公論』5月号 末吉麦門冬「画聖自了」

宇宿捷が「画聖城間自了に就いて」(1937年7月『南国史叢』第2輯 薩藩史研究会)で「沖縄教育第64号の偉人伝『画伯自了と殷元良』の下に9人もの子供の名がある」ことを指摘しているが、麦門冬は1917年4月発行の『沖縄新公論』「画聖自了 (中)」で、「この誤説はどこから起こったかと云ふに護得久朝常翁の覚書に自了の子孫たる濱元家の家譜によるとして、世系図を掲出した。その世系図が翁の誤り見られたのに起因するのである。」と既に結論づけている。蛇足だが同誌には「尾類馬印象記」「演芸・多嘉良妙子(上里マツル)」も載っている。

1916年9月に長男・安慶を亡くした影響からか安恭は17年4月の『沖縄新公論』に画聖自了と題し、「ミケランジェロ曰く『予は吾が芸術に妻以上のものを有す』と彼は遂に妻を娶らなかった。(略)是等の人々には祖先もなければ後裔もなし彼等は己ひとりが家系すべてとなるのである。」と達観の境地で書いている。この年に安恭は熊楠も投稿している『日本及日本人』に投稿を始める。「劫の虫より經水」では「南方熊楠先生は襄に經水のことに関し仏典を引き御説明あり」と書き、18年には直接に熊楠と文通を始めている。

安恭は娘3人、息子、妹も病で亡くし弟も事故で亡くした。そのせいもあって墓は身近な存在だ。安恭は婦人の不毛に関連して沖縄の墓の絵葉書を熊楠に送り4月の書簡でも「横山健堂著『薩摩と琉球』の口絵に吉田博氏の写生せし琉球の墓がこれあり候」と記した。6月の書簡に「沖縄図書館にて琉球に関する書類を集めた中に候が、加州金沢の俳人堀田麦水(天明3年63才没)の著書に『琉球属和録』『南島変』『慶長中外伝』とあり。御存知なきや」と記し相変わらず史料収集に余念がない。麦水というのは角川『俳文学大辞典』に俳諧師・稗史実録作者とある。



1934年9月7日『沖縄日報』



後列左から謝花佐和子さん、新城栄徳、粟国恭子さん。前列右が波照間永吉氏、自了の弟の末裔・浜元清満氏

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2014年5月23日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー奈良原繁」
奈良原繁
生年: 天保5.5.23 (1834.6.29) 没年: 大正7.8.13 (1918)
幕末明治期の地方行政官僚,政治家。鹿児島城下高麗町に生まれる。幼名三次,長じて喜八郎,幸五郎。鹿児島閥をバックに活躍し,明治の「琉球王」の異名を持つ。幕末には,薩摩藩士として国事に奔走する。3歳上の兄喜左衛門が生麦(神奈川県)で英国人に斬りつけ(生麦事件),その処理をめぐって薩英戦争が起きた。奈良原は西郷隆盛,大久保利通らの討幕路線に反対したため,戊辰戦争前後は失脚の状態にあった。明治11(1878)年,内務省御用掛,その後,内務権大書記官,農商務大書記官,静岡県令,工部大書記官,日本鉄道会社初代社長,元老院議官,貴族院勅選議員,宮中顧問官,錦鶏間祗候などを歴任。25年7月に沖縄県知事に任命され,以後41年4月まで,15年10カ月にわたり沖縄県政を独占した。松方正義,伊藤博文の支持もあった。奈良原は,あらゆる面で急速に沖縄地方の本土化即ち一体化を推進し,教育(皇民化),土地整理,港湾施設の整備の3大事業を重点施政として,沖縄開発を専制的に推し進めた。新聞の果たす役割も認識し,『琉球新報』の発行にも協力,産業振興のための沖縄県農工銀行設立も支援した。奈良原は土地整理事業によって土地私有制の確立を図り,共同体農村社会を解体にもちこみ,共同体総有の山林(杣山,入会地)を士族救済名目で払い下げたり,農民の利益を無視した県政を強引にすすめた。県庁人事も鹿児島閥を中心として,本土出身者で占められた。このような奈良原県政への最初の批判者となったのが国政参加を主張した謝花昇であった。また,沖縄の地域文化の独自性,固有姓を主張する伊波普猷の「沖縄学」は,奈良原の推進した一体化策によって,沖縄の個性が崩壊していくことへのレジスタンスがこめられていた。
<参考文献>秦蔵吉『南島夜話』(我部政男)





上図単衣は木綿にして奈良原男爵が寺田屋騒動の時着用せられしもの、右肩の白みたる処は血のにじみ付きしものにて五六寸の刀痕あるものなり。/刀ー上段は寺田屋事件の時に用いたもの、下は兄喜左衛門が生麦事件に用いたもの






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豊平良一「安保の変遷と背景ー下田駐米大使の発言を待つまでもなく、日米合作の『極東の安全保障』というのが端的にいって佐藤首相のハラであるとみられている。『沖縄はアジア防衛の要石』といわれて久しい。ベトナム戦争が完全に終結すれば、沖縄基地の存在価値は軽減するものとみる向きもあるが、日米両政府の沖縄基地に対する態度はいささかもゆるぎそうにない。逆に、基地の自由使用、核兵器の存置とい線が堅いとみられている。ー」







1995年11月15日『琉球新報』「在日米軍基地の現状」




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慶良間チージ(シュガーローフ)の攻防戦も皇軍も敗退し本日19日はアメリカ軍が天久台地(今の新都心地区)を占領した日である。



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1951年7月 仲宗根政善『沖縄の悲劇ー姫百合の塔をめぐる人々の手記ー』華頂書房
□ー原子爆弾の偉力をもってしては、地上から戦争をなくすることは到底不可能である。こうした厳粛な事実をもっと深く考えるのでなければ永遠の平和は望むべくもない。
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1972年5月 沖縄の雑誌『青い海』与那原徳男「焦点(鹿山正元兵曹長)踏みにじられた心情とは・・・」

『私の信念はお国の為であった』 (『サンデー毎日』続報「沖縄ソンミ事件」 1972・4・23号)
◇沖縄のソンミ事件とは◇
 久米島は沖縄本島から西へ約百㌔の離島。沖縄戦当時、鹿山正(かやま・ただし)兵曹長(当時32歳)指揮下の日本海軍守備隊四十人近くが駐屯していた。昭和二十年六月二十六日、米軍上陸後、鹿山隊は山岳地帯にたてこもったが、住民が米軍に通じることを恐れ、米軍上陸の翌二十七日、仲里村山城の郵便局員が米軍から投降文書を強制的に持ってこさせられたのをスパイ容疑で銃殺したのを皮切りに、具志川村北原区長ら四家族九人を集めて刺殺焼打ちするなど連続的に民間人を"処刑"。終戦後も朝鮮人の谷川昇さん一家七人や久米島を艦砲射撃から救い戦争犠牲を防止したといわれる仲村渠明勇さん一家三人を殺すなど、二十人を直接殺害、自殺や餓死を含めれば七十人近い民間人を犠牲にした。

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1949年9月5日『沖縄新民報』第106号「姫百合隊の波紋ひろがるー元沖縄師範女子部兼沖縄第一高等女学校長・西岡一義(50)は教え子を特志看護婦に仕立てて軍の鼻息をうかがい(略)自らは安全な地帯に居て生徒職員は最前線に送り全滅させ、捕虜にまじって日本に落ちのびたー」

「卑劣な師範女子部長」 『月刊・潮』1971.11月号「生き残った沖縄県民100人の証言」より □仲里まさえ (当時沖縄師範女子部「ひめゆり部隊」・20 歳、現在主婦)    
 私たち沖縄師範女子部の生徒は、南風原の陸軍野戦病院へ看護婦として従軍するその晩、師範女子部長兼県立一高女の校長である静岡県出身の西岡一義部長の官舎の庭に集まったのをおぼえている。最後に部長は「私はこれから第三十二軍の命によって、軍司令部の参謀室に行くことになった。君たちは、先生方といっしょになって極力軍に協力してもらいたい。自分もいっしょに行きたいが、軍命では仕方がない。日本の国のために、とにかくがんばってもらいたい」という意味のことをいって、私たちひとりひとりと激励のつもりか握手を交わした。一同は感きわまった表情で、訓辞を聞いていたが、その後、事実関係が明らかになると、西岡部長はもっとも安全な首里の軍司令部に避難するために参謀室付けになるウラエ作を必死になってやっていたのである。しかも彼は、当時彼の住宅当番であった師範付属の訓導で、八重山生まれの独身の某女をともなって避難していたということも、その後明らかにされた。 …女生徒たちは、いっさいを知らずに、戦場へ臨む自らの運命にただ涙するばかりであった。






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平山良明氏はポンペイの壁画に触れているが壁画資料は戦前から紹介されている。今ではグーグル画像などで見ることができる。

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加藤悦郎 かとう-えつろう
1899-1959 昭和時代の漫画家。
明治32年12月13日生まれ。小樽新聞にはいって漫画記者となり,大正10年北海タイムス(現北海道新聞)にうつる。プロレタリア美術運動に参加し,「プロレタリア美術」などに風刺漫画を発表。昭和10年サンチョ・クラブに加入。戦後は「アカハタ」などに執筆した。昭和34年6月6日死去。59歳。北海道出身。著作に「新理念―漫画の技法」。→コトバンク
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1981年 沖縄の雑誌『青い海』11月号 107号□宮城明「青い海ギャラリー/エンゼルの声が聴こえる?」
□2010年12月 沖縄県立芸術大学 美術工芸学部・大学院造形芸術研究科 退任記念「宮城明 展ー表皮一体」
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1986年6月『新沖縄文学』68号<特集・軍用地主の素顔ー二十年強制使用の狭間で>


1986年6月『新沖縄文学』68号<特集・軍用地主の素顔ー二十年強制使用の狭間で>
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1906年1月 『琉球新報』「沖縄座 不如帰」

1916年12月



徳富蘆花
生年: 明治1.10.25 (1868.12.8)
没年: 昭和2.9.18 (1927)
明治大正期の小説家。名は健次郎。肥後国(熊本県)葦北郡水俣に,徳富一敬,久子の次男として生まれる。徳富家は代々惣庄屋,代官などを勤めた旧家で,兄蘇峰(猪一郎)は民友社を興し,『国民之友』『国民新聞』を創刊したジャーナリスト。母方の叔父には幕末の開国論者横井小楠,叔母に婦人矯風会創立者で女子学院初代院長の矢島楫子など,近親に知名人が多い。蘆花には賢兄猪一郎に対する「負け犬」意識があり,徳富の富を兄とは異なる「冨」の字で生涯通した。同志社入学,キリスト教受洗,伝道に従事したが,再入学した同志社を失恋により中退。その事情をのちに「黒い眼と茶色の目」(1914)で描いた。明治22(1889)年上京して兄の民友社に入社,翻訳などに従事。同33(1900)年刊行の長編小説『不如帰』の成功により兄から自立。同年『自然と人生』を刊行するとともに「おもひ出の記」(単行本化で『思出の記』に改題)を発表,長く青少年を魅了したこの自伝的長編は150回以上繰り返し読んだ読者もいたという。さらに「黒潮」(1902)で政界を批判して兄と決別。日露戦争後にトルストイ訪問の旅に出て帰国後,東京郊外に半農生活をはじめ,随筆集『みゝずのたはごと』や一青年士官の悲劇と乃木将軍を描いた長編『寄生木』(1909)を刊行。晩年に自伝小説『富士』があり,伊香保で兄と再会して没した。<参考文献>中野好夫『蘆花徳冨健次郎』全3巻 →コトバンク


不如帰【ほととぎす】-徳冨蘆花の長編小説。1898年―1899年《国民新聞》に連載。海軍少尉川島武男と妻浪子の結婚生活が,浪子の肺結核のために破れる悲劇を描く。陸軍大将大山巌の長女をモデルとする家庭小説で,作者の出世作。《金色夜叉》と並んで新派悲劇の代表作となっている。/ヤースナヤ・ポリャーナにおけるトルストイと蘆花 1906年夏

徳富蘆花夫妻 1920年1月 ニューヨークにて撮影



1976年1月 『100周年記念 熊本バンド展』鶴屋百貨店〇徳冨蘆花『竹崎順子』(1923年)「洋学校生で信者仲間の阿蘇の赤峰瀬一郎は、熊本の西なる岡を敷島のバンカア・ヒルとわれは唱へん、と詠みました。バンカア・ヒルは米国独立戦争の火蓋を切った丘であります。東が西を摂取して、一天四海に『日』を輝かす旗挙げの岡として、花岡山は人類の歴史に永久に聳えねばなりません。」
〇熊本バンド(くまもとバンド)は、1876年(明治9年)1月30日に熊本県熊本市の花岡山で、熊本洋学校の生徒34名が、米国人教師L.L.ジェーンズの影響を受けて、自主的に奉教趣意書に署名してプロテスタント・キリスト教に改宗し、これを日本に広めようと盟約を交わした集団のこと。直後に、熊本洋学校は閉校になり、その後新島襄の同志社英学校に移り、卒業後は同志社大学、日本組合基督教会の重鎮になり基礎を築いた。→ウィキ


1977年10月 新派創立九十周年記念公演『不如帰』国立劇場


1993年7月 『歌舞伎座百年史ー本文篇上巻』「不如帰」松竹株式会社/株式会社歌舞伎座


1972年3月~1974年9月 中野好夫『蘆花徳冨健次郎』全3部 筑摩書房

1985年4月『マスコミ市民』第201号<追悼 中野好夫先生>久野収「ある私的追悼の辞」、新崎盛暉「沖縄問題から見た中野先生」
 久野収ー1962年には、有限会社「思想の科学社」の初代社長に就任。
1993年には『週刊金曜日』の創刊にも関わり、死去するまで編集委員を務めた。 大阪府立中央図書館には久野の蔵書約2000冊が遺贈され、2005年2月には「久野収図書収蔵記念展」が催された。


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 2024-1-19産経west  古墳時代、15代応神天皇の招きで百済から日本に渡り、漢字や論語をもたらした-といわれる王仁(わに)博士の有名な歌がある。
《なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな》
この「なにはづ」は万葉仮名では「奈尓波ツ」と書かれていた。その後「難波津」という漢字があてられた。阿部学芸員によれば「古事記には『浪速』、日本書紀には『難波』とあります。そして、もうひとつ大事なのは読み方(音)で、表記は使い勝手のいい漢字をあてたのでしょう」という。



難波駅から梅田を望む





1893(明治26)年ー大阪道頓堀角座で琉球太鼓踊り
□1893年7月『歌舞伎新報』「琉球芝居ー沖縄県琉球には昔より音楽師と称えて一種の歌舞を演奏するもの士族の間に伝えられ居たるところ去る明治22年中いづれも俳優の鑑札を受けて我が役者の如きものとなり其の組5組もあるよしにてこのたび其の一組が大阪角の芝居へ乗り込むことに決定し既に去る2日を以って那覇港を解覧し本日ごろは遅くも到着したる手筈なるがー」

「琉球国演劇」の横断幕があるのが角座。下が角座で配られたもの null
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2014年4月30日 『琉球新報』田崎聡「論壇ー除草剤と云う名の枯葉剤ー持続可能な農業で食守れ」
「・・・折しも、TPPへの日本の参加問題が取り沙汰されているが、問題なのは安い輸入農作物のことだけではなく、GMO(遺伝子組み換え作物)の輸入である。ひとたび、この作物が入ってくればドミノ倒しのように在来種は交配され浸食されてしまう。日本の食、沖縄の食医療制度を守るためにもTPP参加は絶対に行ってはならない。」
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「RBCiラジオ/民謡で今日拝なびら」はネット「動画」で楽しめる。時間の無い人はダウンロードしてゆっくりと楽しめる


2014年5月1日午後4時 パレットくもじ前「RBCiラジオ/民謡で今日拝なびら」
いつもは声だけである上原直彦氏と島袋千恵美さん、八木政男氏が今日は本人たちが出ていた。以前、八木氏とは、娘さんの結婚式で八木氏と上原氏に出会って以来である。


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島袋千恵美さん、上原直彦

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山川まゆみ、

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前川守賢

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八木政男

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編集発行人・野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536

○編集後記ー原爆が投下された8月6日(広島)、8月9日(長崎)には犠牲者を悼み、平和を祈念して平和式典が毎年両県で開催される。この両式典で行われた安倍首相の挨拶が昨年と同じくだりがあったという。広島で被爆者の憤りをかい、追及されたのに関わらず、長崎でも同じ轍を踏んでいる。戦争の準備に突き進む安倍政権であって見れば「平和の祈念」など口先だけであり、ばかばかしいということであろうか。(武蕉)
○(略)個人の忌日を歴史的、社会的事象まで丸め込む俳人の言葉への鈍感さが露呈している。安易に「広島忌・長崎忌・フクシマ忌・沖縄忌」は使うべきではない。何でもかんでも季語化しようとする風潮に異議を唱えたい。自戒を込めて。(延男)

2015年1月 俳句同人誌『天荒』50号





◇渡嘉敷島に行き「集団自決」の現場を視察する機会を得た。慰霊碑の説明文を読むと軍命による「強制集団死」は殉国美談に書き換えられていた。◇知事選に続き、衆議院選において沖縄四選挙区で自公候補が惨敗、辺野古新基地反対を掲げた四候補が全員当選した。渡嘉敷島の票に注目したが、自公候補が多数を占めていた。この島は、いつ、国の罠から自由になるのであろうか。(武蕉)


2014年1月 俳句同人誌『天荒』47号 野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536 定価800円(消費税込)

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