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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 福岡高裁の異常な判決以降、アベ政権は一段と強行姿勢となり、報道記者拘束、違法逮捕などやりたい放題の無法状態、人権?,糞喰らえと無視する一方、自衛隊投入など工事を強行し、県民の命の源のダムのある山原の自然を破壊、その最中、ヤマトでは三笠宮が死去、100歳。昭和天皇とは14歳違いの末の弟で、太平洋戦争中は陸軍の「参謀」として、中国・南京の総司令部にも赴任、自叙伝の中に、当時の陸軍について赤裸々に語り、批判する記述がある、「私は日本軍の残虐行為を知らされました。兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎると聞きました。『聖戦』のかげにじつはこんなことがあったのでした」。戦後は中東などの古代オリエント史の研究者として活躍し、東京女子大学では教壇にも立った。「日本の歴史というものが、粉飾されて教えられてきたわけなので、もっと世界の歴史を知らなくてはいかんと」。おそらくアベ政権はこれらを利用し、アベチャンネルやアベ新聞をフルに使い、益々オキナワや原発を国民の眼から遠ざけるであろう。オキナワの地元2紙も商業紙の限界はあろうと思うが、通信社記事の垂れ流しではなく独自の解説をつけて欲しい。

 『琉球新報』2016年10月27日□「沖縄差別、まっぴら御免」などと記載された通販生活冬号の特集記事ー(前略)冬号には、夏号への読者から寄せられた「政治的記事を載せている」「両論併記をしていない」「通販生活は左翼雑誌になったのか」などの批判の声を掲載した。これに対し「編集部からの答え」を掲載。「左翼雑誌」という批判に対して「戦争、まっぴら御免。原発、まっぴら御免。言論圧力、まっぴら御免。沖縄差別、まっぴら御免。通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな『まっぴら』を左翼だとおっしゃるなら、左翼でけっこうです」とした。○アベ雑誌が幅を利かしているトウキョウにも健全な商業誌があるものだ。


2016年10月27日 沖縄県立博物館・美術館ー本郷清次郎氏/琉球民族独立総合研究学会の友知政樹氏(右、沖国大教授)、新城栄徳〇松島朝義ーそういえば『琉大文学』は琉大から始まっているけど、独立学会は沖国大が根城というイメージがある。中心的な人は琉大にも沖大にもいないしね。新川明ー中心になっている5名くらいはみんな沖縄にはいないね。大学院生ならいるけど。松島泰勝は龍谷大だし。琉大もいないんだよね。沖大は新崎盛暉が仕切っているからいないし。→2017年3月 『あま世へ』法政大学出版局



2016年10月27日 奥武山公園「世界のウチナーンチュ大会」/郵便局、琉球大学、沖縄県立図書館などが出向していた。

□2016年10月26日 国際通り「世界のウチナーンチュ大会前夜祭パレード」/県外の県人会











沖縄県人会兵庫県本部の永峰眞名さん

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1991年9月 『新ハワイ百科』イースト・ウエスト・ジャーナル社



ハワイ沖縄連合会

ハワイ沖縄連合会





北米沖縄県人会


○サンディエゴはファイタータウンと呼ばれ、映画「トップガン」(TOPGUN)の舞台になったように、基地の街でもある。海軍や海兵隊の基地が数多くあり、アメリカ太平洋艦隊の基地が設置されている。そのせいか、リベラルと言われるカリフォルニア州の中では保守的と言われている。→ウィキ
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1986年


○コロラド州全体の平均標高が全米で一番高い、山岳地帯の州である。州の西部はコロラド高原、東の方はグレートプレーンズ(大平原)西部のハイプレーンズ(英語版)である。面積では50州の中で第8位だが、人口では第22位である。州都および人口最大都市は、ロッキー山脈の東側にあるデンバー市である。州の名前はスペイン人探検家が名付けたコロラド川に因んでおり、「コロラド」という言葉は「赤みをおびた」を意味するスペイン語で、コロラド川が山岳部から運ぶ赤い沈泥を表している。→ウィキ

10月28日ー第6回世界のウチナーンチュ大会「ゆんたく会議」
アメリカロスアンゼルス、ブラジル、ボリビア、日本からの参加者。開会直前、キャロライン米駐日大使も参加。

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沖展会員(絵画)の喜久村徳男さんの下で絵を学ぶ13人が創作の成果を発表する「第13回NORI絵画13人展」が15日、那覇市のタイムスギャラリーで始まった。

2017年8月19日 タイムスギャラリー「第13回NORI絵画13人展」/喜久村徳男先生、作曲家の上地昇氏(左)

1971年8月『青い海』4号 「インタビュー 上地昇(作曲家)病める大国 現代音楽と作曲 そして沖縄」


2001年2月 久手堅憲俊・文/喜久村徳男・絵『ジュゴンと太良』あけぼの出版


2005年10月 『喜久村徳男 作品集 1961~2005』

2016年10月25日~30日 タイムスギャラリー「第12回 NORI絵画16人展」







写真左から喜久村徳男先生、松島弘明氏、安田淳夫氏

安田淳夫氏、作品「陶オブジェ」「花」

2015年8月18日~23日 タイムスギャラリー「第11回 NORI絵画16展」
喜久村徳男先生のもとで絵を楽しんでいる仲間が11回目の作品展を催します。安田淳夫、又吉園子、真志喜幸子、名嘉栄子、玉木義勝、武島しげ子、城間かよ子、呉屋初子、小橋川邦子、小波津健、金城治子、木﨑甲子郎、嘉陽美沙子、伊是名教子、新垣龍子、赤嶺廣明


8月20日ー喜久村徳男先生℡080-1760-9447





8月23日ー宮城護氏、喜久村徳男氏、城間喜宏氏


写真左から新城栄徳、墨絵画家の金城美智子さん、木﨑甲子郎氏


2015年8月

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2021年12月2日『琉球新報』大城さゆり「展評 照屋勇賢展ー℞ootsー線と色とかたち」

2016年3月 『沖縄県立博物館・美術館 美術館紀要』第6号

安里進○現代沖縄美術とアジアへの眼差し・本土側の目線/(前略)アジアへの眼差しは、美術素人の私がいうまでもなく、沖縄県が平成9年に策定した県立現代美術館の建設理念の設置目的でも「アジア地域や沖縄発展に貢献する国際時代の一大拠点とする」と謳っている。日本の枠内ではなく、アジアのなかに現代沖縄美術を位置づけ、展望を開こうというのが基本的な認識になっている。(略)沖縄県立美術館には、現代沖縄美術が持っている、日本の枠を超えた普遍的価値を目に見える形で具体的にしていく作業が求められている。
前田比呂也○ノーラ・チッポムラという身体-沖縄滞在制作の記録ー


仲里安広○屋部憲の変遷-屋部の活動と、屋部がとらえた琉球書の独自性、美術村構想について/島筒格○大城皓也のタブロー・エスキース調査 -変遷するモチーフ-


梶原正史○修復作業の一般公開から考察するこれからの保存修復活動~修復コロシアムより~/仲村保○美術館と地域の連携 -博・美地域連携劇ニシムイ 太陽のキャンパス取組報告-


大城さゆり○『島の女』から『紅型の女』へ -ゴーギャンのイメージを基にした大城皓也の女性像に関する一考 -/豊見山愛○シュルレアリスムと山元恵一 -「夢」の彼方に-
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2016年3月 伊佐眞一『沖縄と日本の間でー伊波普猷・帝大卒論への道 上』琉球新報社
2016年3月 『法政大学沖縄文化研究所紀要』43号 伊佐眞一「謝花昇と沖縄倶楽部の結成」

2015年8月『N27』№5 伊佐眞一「歴史の節目に立ってー『日琉同祖』から生じる精神依存症を脱する」でも高良批判を展開、「ついでだから書いておくが、最近新聞で、高良倉吉がロックミュージシャンたちと、ほぼ一面全部を使った座談会をしているのを見た。2015年4月9日付沖縄タイムスがそれで、コザで米兵相手に独自の演奏活動をしてきたそのこと自体は、戦後沖縄の音楽史に特筆されてしかるべきであろうと私も同感する。問題は、そうした座談会に、あの辺野古崎の埋め立て許可をした仲井眞県政の副知事だった高良が、それを覆い隠すかのように、琉球大学名誉教授として厚顔にも何食わぬ顔で出ていることである。(略)この高良という男はこうしてマスコミで徐々に失地回復をしていって、沖縄の永続的基地固定化とその強化をもくろんでいる自民党の恥知らず国会議員などとともに、『オール沖縄』を内部から切り崩すべくまたも刃を向けてくるのであろう。(略)高良を紙面に出しても何ら問題ないと了承した新聞記者のいい加減さ、そして何といっても、素知らぬ顔して今後に備えようとする高良の、じつに沖縄の人間をナメ切った態度をこのまま見過ごしていいものか。同じことはこれも最近文化講座に彼を引っ張り出した国営沖縄記念財団(首里城公園)の職員にも言えるが、知り合いだからまあまあとか、大学での元同僚だ、恩師だからとか、このくらいは大したことはないだろうと笑って済ませると、あとでまたもやどんなひどいしっぺ返しを喰らうかもしれないことを重々肝に銘じておくがいい。」と辛辣である。


伊佐眞一の本
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麻姓家譜伊佐眞一氏は麻氏の末裔
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戦時下の沖縄/仲本政基『新聞人の沖縄戦記ー壕の中で新聞を発行ー』仲本玲子

  右が仲本政基
1943年  仲本政基□私が沖縄新報の記者になったのは、昭和18年の10月であった。当時、沖縄は一県一紙になっており、琉球新報、沖縄朝日新聞、沖縄日報の3社が合併(昭和15年12月)してできたのが沖縄新報である。当時の社長は伊江朝助男爵で、専務が当真嗣合、常務が平尾喜一、総務局長兼編集局長が高嶺朝光、営業局長は親泊政博の各氏であった。工務局長はおらず、阿加嶺のターリーが工場長だったとおぼえている。編集局の陣容は、高嶺朝光氏の下に、外電関係整理が國吉眞哲氏、政経部に上地一史、仲泊良夫、与儀清三、座喜味盛良、勝連勇の諸氏、社会部は福地友珍、大城徳三(現在の牧港篤三)、友寄喜光、大山一夫の各氏が健筆をふるっていた。(略)私が入社した月に、ガダルカナルで奮戦した八重山与那国出身の大舛少尉が、寡兵よく敵にいどんで、壮烈な戦死をとげ、それが上聞に達して大尉に二階級特進したというニュースが入った。(略)沖縄中が大舛熱にとりつかれた。県立一中の小野教諭が「大舛大尉」と題して連載小説を書いた。さしえは画家の大城皓也氏がかいた。劇団も「大舛大尉」を各地で公演して大好評をあびた。私はこの大舛熱の過中にとびこんで、入社早々大舛大尉の記事ばかり書いていた。私の初記事は大舛大尉からはじまったのである。

(略)沖縄の様相は一変した。辻の遊廓も兵隊たちに占領されて、軍靴にふみにじられ、酔っぱらった将校が抜刀して往来にふんぞりかえる光景もみられた。往年の南国情緒ゆたかな辻のおもかげはすでになく、遊女もモンペをはいての接待で、すべてが戦時色にぬりつぶされていった。(略)そこで偶然にも大山一雄記者と会った。彼も末っ子を背負って、妻子をひきつれて郷里の大宜味村喜如嘉に非難するところだった。「仲本君、北部はどこかあてがあるのか」と彼がきいた。私は「ない」と答えた。すると大山記者は「喜如嘉にいっしょに行こう。あそこならなんとか君達家族の世話ができる」といった。私は地獄で仏に会った心地がした。「ぜひお願いします」と彼の温かい好意に感謝した。二日後に喜如嘉について、翌日二人は那覇に向かった。羽地につくと上地一史記者が来ていた。羽地は彼の郷里である。彼は万一の場合、北部で新聞を発行する準備のために来たという。

(略)時たま大政翼賛会の翁長助静や詩人の仲村渠致良がよく新聞社にやってきた。翼賛会は佐敷村に移動したとのことで、佐敷村からわざわざ「戦況はどうなっているか」と二人が2,3度かわるがわるに、あるいは二人いっしょに訪ねて来たりなどした。彼らは一泊して翌早朝佐敷に帰っていったが、来るときはいつも黒砂糖を忘れず、「陣中慰問だ」と全社員に黒砂糖をふるまっていた。弾の中をくぐってもってきた砂糖だけに大変ありがたかった。それに甘いものはこの時だけしか口にしたことはなかった。彼らが来るのが遠ざかると、「翁長さんや渠さんはいつ黒砂糖を持ってくるかなあ」と子どもみたいに大の男たちが黒砂糖を欲しがったりなどした。→1975年9月『那覇市史 戦時記録 資料篇第2巻中の6』

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新城栄徳宛、仲本政基ハガキ「先日はさっそくコピーを送っていただき誠に有難うございます。大変なつかしく拝見いたしました。また記事の中に昭和俳壇の選者比嘉時君洞さんの名前が出ており、これもなつかしく拝見いたしました。(略)」
□1928年9月9日『沖縄昭和新聞』

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祖国復帰こそ慰霊の道
 沖縄戦がはじまった頃、軍司令部から県庁に入った情報は、防衛作戦は首里をあくまで最後の拠点として戦うというものであった。島田知事が県庁を首里に移動したり、職員の生命を守る防空壕を司令部の南面にあたる真和志村繁多川に構築させたのも、軍官一体となって連携を密にして沖縄戦を戦い抜く態勢をかためるためであった。それが5月4日敢行された我が軍の総攻撃の失敗で、大本営は 沖縄は日本本土なり、寸地の残る限り後退善闘すべしー  との作戦を司令したと伝えられた。戦線を南部に拡げることで、住民の犠牲がさらに大きくなることに強い不満を軍にぶっつけていた島田知事も、大本営の直接命令とあっては反対のもっていきようもなく、悲憤の涙をのみながら、やむなく自らも南端にさがり、やがて軍の指定した知念、玉城地域へ住民の避難誘導を挺身隊に命じたのであった。(略)

 沖縄戦はこのように避けられる犠牲を避けようとせず、逆に既定計画を変更して住民の犠牲を増大した結果になったが、一体この償いは何をもってなされたであろうか?ー二十七度線で民族を南と北に引き裂いたまま二十年も放っとく 償いどころか、無残にも住民の意思は無視されて、さらにもう一つの十字架を背負わされたのである。沖縄は、4月28日を「屈辱の日」、6月23日を「慰霊の日」と定めて沖縄の悲劇と悲運をかみしめ、そこから民族の悲願である祖国復帰への決意を新たにしている。沖縄に草むす9万の日本軍将兵と10万を越える殉国の英霊は、かつて敵国であった米軍にいまなお支配されている現状に痛恨の涙を流しているであろう。

講師報酬も相当なものだろうが、その場で国会議員がその講師に「文化人がマスコミのスポンサーに圧力をかけろ」ということまで提案し促している。 このそそのかし行為と講師報酬との額はあらためてと問うべきだろう。国会議員の地位利用ではないか。これは明らかな憲法違反、マスコミ産業への業務妨害教唆行為というべきものだからだ。

直接、政権が表だってやれないことを、報酬をもらっている国会議員が報酬を払って影響ある文化人や民間人にいう。これは、安倍首相のいう、言論の自由というものではない。ましてや、安陪応援団、それも側近中の側近たちの国会議員の勉強会だ。その内容を知ったら、直ちに確認しこれをたしなめるのが派閥の長であり、一国の宰相たるものの政治責任ではないか。 臣下の暴走を止めきれない。注意やたしなめもしない。

関係ないというだけでなく、お得意の言論の自由まで持ち出すに至ってはのではむしろこれをあおっているといわれても、当然なことになる。 まさに、自由と民主主義を掲げる、自由民主党のそのものの危機ではないか。今、安倍総裁・首相の、宰相たる器が問われれている。安陪は、いかにも軽い。それだけに危険で幼稚な宰相である。こういうものが現代のファシズムの特徴なのだろう。安保法制が出来たら、一挙に軍事ファシズムとなるのは必定である。自民、公明も一体どうするのか、自由と民主主義のまさに正念場である。

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 戦前の絵葉書を見ると中央に那覇市役所が見える。設計者は武田五一である。京都も空襲はあった。アメリカ軍によって太平洋戦争中の1945年(昭和20年)の1月16日から6月26日かけて5度にわたって行われた無差別爆撃がそれである。そして京都大学には1920年、武田五一が工学部建築学科を創設したので武田五一胸像がある。武田は1904年に金閣寺、鳳凰堂修理工事の監督。17年、那覇区役所及び議事堂設計に関わり、国会議事堂にトラバーチンを使用させたのも武田である。29年『建築と社会』に「沖縄の民家」を執筆。30年に法隆寺金堂壁画保存委員。戦後、武田の設計した京都府立図書館が解体されるとき、当時の知事が「文化財としての価値は少ない」と無知ぶりを発揮したが、外観を残して新築された。

沖縄タイムス 2016年10月14日 社説[那覇市民会館の行方]住民合意の形成丁寧に
 沖縄の歴史を刻み、建築文化としても評価が高い那覇市民会館が13日から無期限の休館に入った。城間幹子市長が会見して明らかにした。市民会館は復帰前の1970年に建設され、老朽化が著しい。国の安全基準に基づく耐震診断で、震度6以上の地震で倒壊や崩壊する危険性が高いとの結果が出たからである。市は総事業費約95億円をかけ「新市民会館」(新文化芸術発信拠点施設)を久茂地小跡に建設することを決め、2021年度の開館を目指している。その間、現市民会館を使用する予定だったが、コンクリートの剥離や落下が相次ぎ、休館を余儀なくされた。安全性を最優先するのは当然である。
 一方で建築は文化であると同時に、歴史の「生き証人」でもある。市民会館は故金城信吉氏らが設計した沖縄現代建築の原点ともいえるものだ。沖縄の原風景の赤瓦、軒を深くとった雨端(あまはじ)の空間、屋敷を囲う石垣など伝統的な建築様式を取り込み、建築界では国際的にも高い評価を受けている。文化施設が貧弱な当時の沖縄で「文化の殿堂」の役割を果たし、1972年の復帰記念式典の会場にもなった。(略)市が方向性を示した後では検討委員会が追認機関となる恐れはないのか。先に住民や有識者に情報開示して意見を聴く場を設け、合意形成を図るのが筋ではないのか。
(略)
 那覇市民会館に限らず、大型公共施設が一斉に建て替え時期を迎えている。那覇市内では、戦後から復帰前の沖縄を色濃く残していた市場が大きく変貌しようとしている。戦後、沖縄本島中南部の食生活を支えてきた市樋川の農連市場は今年4月から再開発事業が始まっている。気になるのは、市の住民合意の在り方が十分でないように見えることだ。市民会館移転先では決定後の住民説明会で交通渋滞などを心配する声が出る。牧志公設市場移転でも市はいったん「にぎわい広場」に決定しながら組合の反発を招き現在地となった。那覇市も遠からず少子高齢化に突入する。税収増を見込むのは困難な中で大規模事業は市の財政に影響を与える。市民と情報を共有しながら、政策決定過程の透明化を徹底し、住民合意に向けた丁寧な手続きが求められる。


2016年10月19日『沖縄タイムス』青山惠昭「論壇ー市民会館の存亡 再考を」/那覇市に多角的議論臨む」


那覇市民会館落成記念で配ったもの/1970年11月『那覇市民会館 落成記念』記念行事の企画を担当したのは最近亡くなられた中山良彦氏/平良良松那覇市長○メッセージー(略)よい都市とは、文化的芸術的香りの高いまちだとされています。ビルが建ちならび、車が洪水のように走っていても都市の態様が殺伐としていたり、人間に精神的安らぎを与える場所、すなわち公園とか図書館とか音楽堂といったものがなければよい都市とはいえません。その意味から那覇市は沖縄の県都としての面目を一新し、文化センターとしての機能と役割りをもつ都市として、輝かしい一歩をふみだしたことになります。ご承知のとおり、この市民会館は本土建築工学の権威者も称賛する郷土色豊かなユニークな建物とされ、規模、施設からみても本土の同種の建物に遜色がなく、戦前戦後をつうじて沖縄にはこのような建物はなかったのであります。(以下略)

今の翁長沖縄県知事の父、歌人・翁長助静は1925年、沖縄県立第一中学校を卒業しているが、一中在学中、高江洲朝和(石野径一郎)、平良良松らとガリ版の同人誌『はるがん』を発行している。つまり平良良松とは文学同人であった。蛇足で付け加えれば、平良那覇市長の秘書の真栄里泰山氏を通じて、私の個人誌『琉文手帖』1号に表紙題字「琉球風俗画六十年 日本画家 金城安太郎」と市長に毛筆で書いてもらった。

具志弘樹氏「作品」

下は10月17日に会館を一周した







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b>2016年10月11日~16日 那覇市民ギャラリー「第19回 高良憲義個展」
 わん(私)や日本政府が米国にうさぎむん(貢ぎ物)さったぬ慰安婦やいびーん、うったあ(日米)やなまちきてわんにんかいかちしがて恥やねーんどあがやー守礼の邦 1952.4,28~



高良憲義氏

写真右が高良憲義氏、喜久村徳男氏

しらんふーなーするオバマとアベ




うったあ(警察、自衛隊、自公官僚政府、裁判官)や米軍ぬちびなみやーどぅやる(やまとぅぐちにすると放送禁止になる)





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 天気にも恵まれ例年の如く、外人も多い。加えて、中国、台湾も目立つ。混雑している割にはスムーズに歩けて写真が撮れた。米軍北部訓練場の新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設工事で、米軍提供施設内にあるG地区で7日午前に警察側から市民らの動きを記録していた県警の「採証班」に対し、「全員の顔を記録しろ」と市民側に聞こえる大きな声で指示が出たというが、私も真似をして外人全部を記録しようと思ったが、これは個人では不可能だ。やはり全国から警官を集めないといけない。本日の那覇は人類の坩堝(るつぼ)と化し、これ以上、住基ネットで管理ができない外人参加者が増えたらどうなるだろうかと、つまらぬ心配をする。

本日7時のNHKニュースのトップは米国大統領選・トランプ氏の女性問題を5分近く、次は北朝鮮、3番目が熊本の阿蘇山噴火で住民避難、それもわずかに…。どこの国の放送局だろうか!?(T)○ジャメリカです。











盛鶴常任理事・前上門翁




仲嶺眞永さん

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琉球華僑總會「龍神躍動」









ママがおしゃぶりを取ったのでご機嫌ななめ






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伊波普猷全集』全11巻(1974~76・平凡社)○沖縄学の父〉と言われる著者の、唯一最高の全集。古琉球の政治、琉球戯曲集、をなり神の島、日本文化の南漸、琉球語便覧等を収録。琉球の風が吹くいま、いよいよその価値は高い。加えて 麦門冬・末吉安恭との交流も示される。

第1巻: 古琉球 古琉球の政治  第2巻: 南島史考 : 琉球を中心としたる 孤島苦の琉球史  沖縄歴史物語 : 日本の縮図
第3巻: 校註琉球戯曲集  第4巻: 南島方言史攷 沖縄考  第5巻: をなり神の島 日本文化の南漸
第6巻: 琉球聖典おもろさうし選釈 : オモロに現はれたる古琉球の文化 校訂おもろさうし おもろ覚書 : 琉球古代社会の片影 おもろ論考
第7巻: 琉球人種論 琉球史の趨勢 琉球の五偉人 沖縄女性史 琉球古今記 琉球風俗史考
第8巻: 琉球戯曲辞典 琉球語便覧 言語論考
第9巻: 文学論考 民俗論考
第10巻: 図版(自作おもろ「飛行機」)嗚呼末吉(安恭)君! 眞境名(安興)君の思出 「ぺルリ提督琉球訪問記」序
第11巻: 琉球語大辞典 : 草稿 大辞典 年譜 著作目録 総索引 


南方熊楠(1867~1941)は明治、大正、昭和の3代にわたり、終生、野にあって人文・自然両分野の学の蘊奥をきわめた知的巨人である。和漢洋の古典に博通していた彼は、粘菌研究のかたわら、数百編の論文を発表、草創期の日本民俗学を先導した。本全集は雑誌掲載論文をすべて収録、さらに膨大な書簡、英文著述、未発表手稿など邦文論考約1,000編、英文論考約300編を集大成し、柳田国男が「日本人の可能性の極限」と讃えた巨人の全貌を明らかにする。随筆には 琉球在住の麦門冬・末吉安恭との交流も示される。

南方熊楠全集 全 12 巻 平凡社 1971~1975 年 ○ 第1巻 十二支考[雑誌『太陽』(博文館)1914~1923] 第2巻 南方閑話[坂本書店 1926]南方随筆[岡書院 1926]続南方随筆[岡書院 1926]*南方の著書の うち生前に刊行されたのはこの3冊のみである。 第3巻=雑誌論考Ⅰ[『東洋学芸雑誌』ほか雑誌 20 誌に掲載された論考] 第4巻=雑誌論考Ⅱ[『彗星』ほか雑誌 12 誌に掲載された論考] 第5巻=雑誌論考Ⅲ[『ドルメン』ほか雑誌7誌に掲載された論考] 第6巻=新聞随筆[『牟婁新報』ほか8紙の新聞及び『週刊朝日』に掲載された随筆と、未発表の随筆を収録] 第7巻=書簡Ⅰ[主として明治時代のもの。在米時代・神社合祀問題関係他] 第8巻=書簡Ⅱ[柳田国男、高木敏雄、その他民俗学関係の人々に宛てた書簡] 第9巻=書簡Ⅲ[第7・8巻収録以外の多方面に及ぶ書簡] 第 10 巻=英文論考・英訳方丈記・初期文集他 A Japanese Thoreau of twelfth century(英訳『方 丈記』) [ 『英国王立アジア協会雑誌』(1905)掲載 文末に鴨長明に関する2つの註釈あり。ロンドン大学総 長ディキンズとの共訳] The constellations of the far east(極東の星座) [ 『Nature』 (1893)掲 載] Footprints of Gods(神跡考) [『Notes and Queries』 (1900)掲載]他 別巻1=書簡補遺・論考補遺 The origin of the swallow-stone myth(英文『燕石考』) [草稿 1899? ~1903]他、補遺 別巻2=日記・年譜・著述目録・総索引

平凡社の歴史ー1914 下中弥三郎が自著の小百科事典「や、此は便利だ」の販売のため創立。
1927 「現代大衆文学全集」60巻の刊行開始。円本時代を築く。1928 「大百科事典」全28巻刊行を発表(1934年完結)。名実ともに「事典の平凡社」となる。
1945 戦時中の休業状態から再出発。「大百科事典」復刻、「社会科事典」「家庭科事典」「世界美術全集」「世界歴史事典」「児童百科事典」など刊行。
1954 創業40周年記念として「世界大百科事典」全32巻刊行を発表(1959年完結)。1961 「国民百科事典」刊行開始。空前の百科事典ブーム。1963 日本初の本格的グラフィック月刊誌「太陽」創刊。
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1964年11月ー平凡社『世界大百科事典』明石染人「沖縄ー工芸」
1969 初のオールカラー事典「アポロ百科事典」刊行。1972 「別冊 太陽」創刊。ムックの先駆けとなる。
1973~ 「南方熊楠全集」「中国の歴史」「中国石窟」シリーズ、「日本の野生植物」、新版「大百科事典」「世界大博物図鑑」「動物大百科」、「日本歴史地名大系」(刊行中)、「日本史大事典」など刊行。1993 文庫「平凡社ライブラリー」創刊。1997 デジタル百科「CD-ROM版 マルチメディア・マイペディア」発売。
1998 「CD-ROM版 世界大百科事典プロフェッショナル版」発売。「日本動物大百科」全11巻が完結。1999 「平凡社新書」創刊。
2001 「日本の野生植物」全7巻、「白川静著作集」全12巻が完結。2004 「日本歴史地名大系」本巻48巻が完結。白川静「新訂 字統」刊行。2007 改訂新版 世界大百科事典 刊行。

1928年 世界美術全集 平凡社 全 36冊

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ギャラリー春秋  経歴
1965年  福岡市祇園町にて開業
1969年  福岡市天神町にギャラリー天神 開設
1971年  東京銀座1丁目に支店開設(~1974年)
1974年  有名作家の個展を、玉屋・岩田屋・井筒屋 その他で開催
1979年  大阪府茨木市にギャラリー春秋 開設
1991年  大阪府吹田市に同支店 開設
1995年  阪神淡路大震災により吹田店 閉鎖

1995年 ギャラリー春秋『遊んたく春秋』発行・城谷初治(携帯090-8628-2986)





1995年 ギャラリー春秋『遊んたく春秋』第10号○贋物名人はうどんがお嫌いー30年前に起こった「古伊万里贋物事件」は世界中で話題になる程だった。白洲正子さんの「風姿抄」には、横石順吉一人の成せる業になっているが、実は横石嘉助と息子の順吉(土光)と弟の圭外の一家3人の作業である。この親子が揃って名工で、まず現川焼を再興し、それを嘉助の弟臥牛に譲り、つぎに長崎で三彩窯を興し、その後「古伊万里」に励む。嘉助、順吉が亡くなった後は、圭外が大活躍する。蒼風の花器を作りながら、古唐津焼の研究をし、彼が焼いた唐津焼を古唐津にする名人が居て、圭外作古唐津が量産された。鶏竜山や李朝の写しも見事に作り、幻の長与三彩も再現した。何れも彼が贋物を作ったのではなく、古美術商が古物にしてしまったのである。現在、作家とか先生と呼ばれて御殿に住む陶工の先代までは、どんな名工でも皆貧しかったのである。横石一家とて同じ事で、食べ盛りの頃でもご飯はなく、うどんが主食だったので、圭外は「うどんは見たくもない」といっていた。

2004年  那覇市山下町に移転

2004年2月17日~23日 リウボウ「大陶芸展」


2005年  リウボウにて第2回大陶芸展

2005年2月『沖縄タイムス』広告/「大陶芸展」(北大路魯山人)チラシ



2009年『ゆんたく春秋』○名護博物館にて山田正和織部焼展/新政権にもの申す/沖縄をもっと主張しませう 

魯山人の悲哀/古寺回想ー大阪にいた頃、子供が「動物園に行こう」と云えば、奈良公園に出かけました。春日野で鹿と遊ばすのです。小さい子が煎餅を手にすると鹿は群がってモミクチャです。鹿にもまれて子供が疲れると、私の時間です。日本中のいや、世界の人達が憧れている古寺に簡単に行けるのですから、あの頃のことが夢のようです。仏像は何といっても美しい。美しいものは幾回見ても飽きません。大佛さんの東大寺、阿修羅の興福寺、十二神将の新薬師寺、伎芸天の秋篠寺、十一面観音の法華寺、一寸、足を延ばせば薬師寺、唐招提寺、法隆寺があります。奈良のもう一つの楽しみは博物館です。四季折々の催は、思わぬものに出逢うこともあって嬉しいものです。私が一番嬉しかったのは「ピカソの陶芸展」に遇ったことです。正に予期せぬ出来事です。古寺のとりかこまれた中のピカソ。これは好運でした。古寺をより楽ましてくれるのが会津八一の歌集です。/会津八一自註 鹿鳴集/ブラザハウスグローバルギャラリー「河上知明燭展」/志野と織部

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Posted by: ryubun02
 やって来たのは豊見城市名嘉地。ここに読者の皆さんにご紹介したい人物がいます。名前は城谷初治(しろたに・はつじ)さん。現在89歳ですが、活発な口調からは、とてもその年齢には思えません。城谷さんが作るシーサーで一番小さいものは、なんと1センチ・2グラム! 陶芸を始めたきっかけは何だったのでしょうか。「私はもともと、50年ほど前から日本全国の作品を集めて展示する『ギャラリー春秋』を運営していました。人間国宝の金城次郎さんの作品をいち早く県内外に展示販売していましたよ。5年前に閉めて、時間ができたもので、ずっと好きだったシーサーを趣味として作り始めたのがきっかけですね」城谷さんは、長崎県のご出身。仕事の縁でまだ復帰前だった沖縄を訪れた後、ギャラリーの運営などで福岡・大阪での生活を経て12、13年前に沖縄に移住。「ここにいると太陽のおかげか、すこぶる体調が良い!」と話します。→「島ネタCHOSA班」2016年03月17日[No.1612]


写真左から末吉安允氏、城谷陽くん、城谷初治氏

城谷陽くん「絵」

城谷陽くん「作品」城谷初治・書/城谷陽くん「書」




城谷陽くん「作品」

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Posted by: ryubun02

 創刊1934年(昭和9)1月。創刊以来、古今東西のあらゆる書物や、古書探求にまつわる人々の話題を、研究的にまた読んで楽しい随筆として掲載してまいりました。各地で発行された知られざる特殊文献の紹介、古書即売会などイベントの情報、書物に関した展覧会情報などのコーナーも喜ばれています。→日本古書通信社
□1960年に琉球放送を定年退職した國吉眞哲は琉球学の本の蒐集活動に力をいれた。定期購読をしていた『日本古書通信』(1962年12月)に「二つの『ふるさと』河上博士と伊波氏」と題して、河上肇の自筆影本『ふるさと』を入手した経緯を書いている。1963年3月の『日本古書通信』には「戦前の那覇市は人口6万、書店3軒、古書店1軒、映画館2館という、もの静かな町でしたが、戦後は人口23万、書店70余、古書店2軒、映画館15と膨張しました。現在の沖縄は消費一辺の街として島全体がごったがえしています。東京の立川基地付近とホンコンをくっつけたようなところでしょうか。文化人や芸能人が、ここ2,3年多数来ています」と書いている。

全国の古本屋から国吉翁に送られてきたハガキ

國吉眞哲の琉球放送時代の部下に真栄城勇が居る。真栄城も國吉同様コレクターで切手がメインだが新聞・雑誌からチラシ・ビラ何でも蒐集する。そのコレクションを整理し、2001年に『沖縄がらくた文化ー品々が伝える、あの時、その頃』を沖縄マリン出版から発行した。それが切っ掛けで沖縄コレクター友の会が発足し真栄城は初代会長に就いた。

1963年7月 『日本古書通信』通巻408号 山宮允「詩書蒐集の思い出」/柴田宵曲「雑書雑読の楽しさ」/森銑三「娯息斎詩文集の著者」/「長谷川伸著書目録」/井荻艸房主人「文士雅号の由来(7)」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」/「訃報 伊藤一男 長谷川伸」/1960年7月 『日本古書通信』別冊1号 

1963年8月 『日本古書通信』通巻409号 庄司浅水「わが愛書の記」/小田切進「近代文学館の構想」/沢田伊四郎・森谷均「限定本 豪華本 本づくり30年」/井荻艸房主人「文士雅号の由来(完)」/「近代文学研究書 時価目録」/「訃報 山之口貘」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」

1963年8月 『日本古書通信』通巻409号 庄司浅水「わが愛書の記」/小田切進「近代文学館の構想」/沢田伊四郎・森谷均「限定本 豪華本 本づくり30年」/井荻艸房主人「文士雅号の由来(完)」/「近代文学研究書 時価目録」/「訃報 山之口貘」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」

1963年9月 『日本古書通信』通巻410号 西田長寿「明治新聞雑誌文庫」/市古貞次「国書総目録の編纂に加わって」/津田きよし「大阪古書組合創立40周年を迎えて」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」
 
1963年10月 『日本古書通信』通巻411号 丸山信・樋口秀雄「書物関係展覧会一覧(1)」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」
1963年10月 『日本古書通信』別冊2号
1963年11月 『日本古書通信』通巻412号 丸山信・樋口秀雄「書物関係展覧会一覧(2)」/「訃報 ジャン・コクトー 渋沢敬三」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」

1963年12月 『日本古書通信』通巻413号 大久保利謙「憲政資料室」/渡辺宏「マルコ・ポーロの旅行記」/「今年の古本界」/木村毅「時の人・時の本 サニエル著 日本とフィリピン」/丸山信・樋口秀雄「書物関係展覧会目録一覧(完)琉球と薩摩の文化展覧会目録」/天野敬太郎「最近の書誌圖書関係文献」

1983年5月 『日本古書通信』通巻646号 朝倉治彦「人と日記/イギリス公使館・東禅寺詰日記」/佐藤良雄「『仏蘭西文學研究』第一号のひとびと」/服部清道「少雨叟のこと その他」/中村幹夫「藤村の逸文」/御荘金吾「南米古本屋談義(3)ーブラジルの古本事情」/「木俣修 著書目録」/アン・ヘリング「続・縮緬本雑考(7)」/上村直己「『独逸學協会雑誌』及び『學林』について」/「変貌続ける神保町」/小梛精以知「古本屋人脈記(2)一誠堂の巻(下)」/「専門店と語る/野本孝精氏ー紙クズ、珍品のデパート アベノスタンプコイン社」/深井人詩「最近の書誌圖書関係文献」/「柴田宵曲翁日録 抄(23)」/「訃報ー英美子、近藤真柄、戸川猪佐武、尾崎一雄、平尾幸豊、高垣眸、木俣修、岸本誠二郎、高尾彦四郎」

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Posted by: ryubun02
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2008年10月 『東京奄美会創立110周年 記念総会・芸能祭』/2012年3月 『関西奄美会 第95回総会並びに芸能大会』

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1980年11月 『郷友会』琉球新報社□瀬戸内会(古仁屋、西方、鎮西、実久)/沖縄徳洲会/沖永良部/喜界/与論 
  
1980年11月 『郷友会』琉球新報社
○郷友会全体に、二世たちの参加状況が極端に悪くこのままの状態が続けば郷友会組織はどうなるのだろう、という危惧がある。(略)現状はどの郷友会も10年先の会の行方を心配している。(略)民俗芸能の継承、会誌、機関紙の発行を通じて郷友会と深く関わっている青年もおり、これら青年の夢を育て、郷友会を育成するのは、現在郷友会を背負っている一世会員の責任かもしれない。




1982年12月 沖縄の雑誌『青い海』118号「郷友会社会の沖縄」
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1983年8月23日『琉球新報』「沖縄の中の他府県・県人会/奄美連合会」

〇以前、国際通りで金城さんの後姿を見た。ベレー帽にショルダーバッグ、版画家の儀間比呂志さんと間違えてしまい声をかけようと、前にまわると金城さんであった。前に仲間恵子さんの結婚式の禄席で私の席の左が儀間さん、一人おいて金城実さん、仲程昌徳琉大教授であった。右が平良次子さんであった。ちなみに新婦友人より祝辞が有川洋美さんであった。

2018年4月22日投票の姶良市議会選挙で当選。→「有川ひろみ at えんぴつハウス」

小川みさ子2014-3右、木内みどり/2016年のベトナム????????の旅→「有川ひろみ at えんぴつハウス」



2013年12月『愛郷無限ー沖縄に生きる奄美人/創立60周年記念誌』沖縄奄美連合会(奥田末吉)

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