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2017年5月31日 那覇・大典寺「山田實 告別式」

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2017年」5月28日 山田實さん死去を一面で報じる『琉球新報』(左)『沖縄タイムス』

2017年5月27日ー山田實さんを語る写真仲間たち


2017年5月27日ー主なき部屋



 月刊『CAPA』 2017年4月号「名作誕生とその時代 沖縄の戦後復興を記録 山田實『こどもたちのオキナワ1955-1965』」

2017年4月19日 病室で新聞に目を通す山田實さん

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安藤盛は戦前、来沖した人物で、ジュンク堂那覇店で青木澄夫『放浪の作家ー安藤盛と「からゆきさん」』(風媒社)を入手した。私の知らない安藤の沖縄関連の著作もその目録にあった。本誌に収録されてない琉球新報の1938年6月の記事を紹介する「南洋及び支那通として知られていた著述家安藤盛氏は21日東京の自宅において逝去した。氏は昭和11年、同12年の2回に亘り本県に来遊し週刊朝日其他の雑誌で紀行文を発表、本県紹介に努め県人から親しまれていた。なほ生前本社へ長編小説(琉球新報に連載「紅雀」絵・西銘生一)を寄せたが未発表のうちに急逝し遂に遺稿となった享年41」とある。

関連資料ー2001年9月『けーし風』第32号「特集 旧南洋群島のウチナーンチュ」


2002年2月 『旧南洋群島と沖縄県人ーテニアンー』(沖縄県史ビジュアル版 近代②)沖縄県教育委員会

2017年5月21日 ホテルロイヤルオリオン「三木健『空白の移民史』出版祝賀会」

2017年5月 三木健『空白の移民史 ニューカレドニアと沖縄』シネマ沖縄

座開き舞踊「鷲の鳥節」

稲嶺進名護市長「乾杯音頭」/写真左から我部政男氏、真喜屋美樹名桜大学准教授(リベラルアーツ機構)、宮城晴美さん


写真左から山入端津由(つよし)氏、東江平之氏、我部政男氏/東江平之氏「原稿」
〇「沖縄国際大学」2017年3月19日ー沖縄国際大学総合文化学部人間福祉学科心理カウンセリング専攻、ならびに地域文化研究科人間福祉専攻臨床心理学領域において、長きにわたり研究・教育活動に携わり、前学生部長としても大学を支えてくださった山入端津由教授が来る3月をもって退職されることとなりました。

2017年3月 辻????本昌弘『沖縄、時代を生きた学究 伝 東江平之』沖縄タイムス社
〇『琉球新報』1999年12月22日ー名桜大学の次期学長に、東江平之・国際学部経営情報学科教授(69)が就任することが、21日の理事会で承認された。任期は来年4月1日から3年間。東江教授は、1955年米国・アイオワ大学心理学科卒業、61年エール大学大学院博士課程を修了。55年に琉球大学に採用され、以後法文学部長などを務めた。96年に琉大を退官後、同年4月から名桜大教授。琉大名誉教授でもある。専門は社会心理学。兄の東江康治現学長は、名桜大開学から二期6年間の任期を来年3月に終える。

2014年12月 季刊『多島海』第12号  山入端津由「祖先を祀る位牌や墓の物語ー祖先崇拝は何処へー(11)」

写真左、山口栄鉄氏、新崎盛暉氏/三木健氏


写真左から松島弘明氏(島田叡氏事跡顕彰期成会実行委員長)、島袋数也氏、比嘉良雄氏、大山哲氏/新川明氏

写真左から松島弘明氏、大塚勝久氏、高嶺久枝さん

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1984年4月28日 沖縄タイムスホール 琉舞華の会「第一回高嶺久枝の会 出羽」  /1998年11月15日 那覇市民会館「琉舞かなの会発足記念公演」

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 1972年2月 沖縄の雑誌『青い海』10号 「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」

『キューポラのある街』は、早船ちよの小説で、1962年(昭和37年)4月8日に公開された浦山桐郎監督の日本映画/2018年6月『東京人』<特集・アジアンタウンTokyo>与那原恵「中国・埼玉県西川口 故郷と変わらない暮らし、生活者のためのチャイナタウン」
1964年4月23日午後5時 雨、那覇出港の日本海汽船白雲丸(後の芥川賞作家・東峰夫も乗船)で新城栄徳ら集団就職118人が上京した。途中、暴風で船は和歌山の串本に避難したのが熊野との出会いである。鋳物の街でキューポラ(鉄の溶解炉)が多く見られた埼玉県川口市を舞台とした映画「キューポラのある街」、主演が吉永小百合で1962年に上映された。その西川口工場で半年、あと錦糸町の工場に移る。1972年2月 『青い海』10号に「新進作家 東峰夫氏の生活と意見」が載っているが、この号には大阪の沖縄関係資料室も紹介され私の名前も出ているから、7年ぶりの誌上を通じての再会となる。


西川口がある川口市は近年、全国で最も中国人が増えた自治体だ。市内の中国人は2012年末~17年6月末で6222人増え、1万8898人に達した。市民の3.2%が中国人だ。これらの中国人は横曽根、芝といった地区に特に集住している。そしてその核を成すのが、JR西川口駅を中心とする半径300メートルに形成されているチャイナタウンだ。→2018年2月『週刊東洋経済』

1998年6月『東京人』№129 松田哲夫「『ガロ』の神保町時代」
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宮城一春×松田哲夫「ブックトーク」ジュンク堂那覇店 2月14日

松田哲夫マツダ・テツオ
1947(昭和22)年東京生れ。編集者、書評家。1970年に筑摩書房入社後、浅田彰『逃走論』、赤瀬川原平『老人力』、天童荒太『包帯クラブ』、『ちくま文学の森』など数々のベストセラーを生み出し、〈ちくま文庫〉を創刊する。著書に『印刷に恋して』『「本」に恋して』『縁もたけなわ』などがある。


ちくま文庫

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妹尾河童 せのお-かっぱ
1930- 昭和後期-平成時代の舞台美術家,随筆家。
昭和5年6月23日生まれ。小磯良平に師事。藤原義江歌劇団にはいり,昭和29年「トスカ」の舞台美術を担当し注目される。33年フジテレビに入社,映像美術を担当。55年独立,以後オペラ,バレエ,演劇の舞台美術を手がけた。名はあだ名からの正式な改名。平成9年小説「少年H」(毎日出版文化賞)が大ベストセラー。兵庫県出身。神戸第二中学卒。著作に「河童が覗いたヨーロッパ」など。(→コトバンク


大濱聡■2019年3月ー先月下旬、埼玉の女性と結婚してさいたま市に住む息子を訪ねた折り、大宮駅前で大々的にPRしていたのが映画「翔んで埼玉」だった。予告編では「ここ日本には最も虐げられた県があった」「前代未聞!愛と爆笑の“埼玉ディスり映画”」「邦画史上最大の茶番劇」「どうか寛大な心で劇場へ」と言いたい放題の文言が並ぶ。
■公開初日のTVには主演の二階堂ふみ、GACKTが出演して番宣をしていたが、なぜか二人とも沖縄出身。
このなかで「関東住みたい街ランキング2018」で大宮と浦和が初めてベスト10入りしたことが紹介されていた。今回、浦和駅前のホテルに泊まり、所用のあった大宮に出向いたが、どちらも住みやすそうな街との印象を受けた。
■因みに、「日本で最も虐げられた県」は埼玉のみに非ず、米軍基地の過重な負担に苦しめられている沖縄も然り。その共通項といい、埼玉の方と縁戚関係になったことといい、ますます埼玉との縁が深くなった。近々、映画を観に行こう。

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2017年6月 『「時の眼ー沖縄」批評誌N27』 No.8 伊佐眞一「ぬーんち、伊波普猷 ぬらいが?」

2017年5月 『月刊琉球』伊佐眞一「試金石としての県外移設」/金城馨「県外移設を考える」


2017年5月 『月刊琉球』伊佐眞一「試金石としての県外移設」/金城馨「ヤマトに暮らす沖縄人として『県外移設』を考える」

伊佐眞一〇うぬあたいぬ くとぅん 言ゆーさんでー ウチナーンチョー またん ヤマトゥんかい 使(ちか)らーらってぃ、いん、まやーぬぐとぅしっ 殺(くる)さったるむん やさ。ヤマトゥぬ うとぅるさしぇー わかいしが、なーふぇー 意地ぐゎーぬ ねーんがやー。

 昨今の沖縄産業にふれたのが『月刊琉球』№14の仲村渠克「時評 新『琉球司令官』降臨」である。「名護市・南風原町・うるま市のジャスコは、いずれもサトウキビ畑の広がる農業地に姿を表した。農地転用に厳しい制限があることを考えれば」、よほど地元自治体がバックアップしたことがわかる。大型スーパーを呼び込み、振興を図る手法が沖縄でも蔓延しているが、その町並みは、全国どこにでもあるような景だ。牛丼・ファストフード・カジュアルウエア・スポーツ用品・靴・家電・紳士服。おなじみの看板・ロゴだらけ。南国沖縄の風情もない。(略)『ジャスコ栄えて、街滅ぶ』という言葉が日本各地でささやかれているー。」と沖縄の現状は鎌倉さんの方向の逆をめざしているようだ。


2014年6月15日 『月刊琉球』№14 Ryukyu企画 宜野湾市嘉数4-17-16

2011年10月5日ー10時半、近鉄永和駅から奈良に行く。新大宮駅で手前にイトーヨーカードーが見えてきた。このスパーの関西進出は1986年の堺店が始まりである。当時はイトーヨーカードーの関西進出予定の土地をダイエーが押さえていたという話もあった。堺店は2011年に閉店し阿倍野再開発地域に進出するようである。最近はイオンが目につく。沖縄でも1999年に沖縄ジャスコ(2011年にイオン琉球)として設立され現在は那覇、南風原、具志川に大規模店舗がある。イオンの岡田社長の弟が民主党の岡田克也である。ダイエーも沖縄から撤退し、那覇店の跡はジュンク堂が入っている。

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  「くろねこの短語」2017年5月 10日ー「2020年に新憲法施行」を質されて「東京五輪も予定されている年だ。新しい日本を始めようという機運がみなぎっている」(安倍晋三)。正気か!? 医者を呼べ!!&安倍VS蓮舫の国会質疑文字起こし。ハナモゲラ答弁、笑えます。「読売新聞読め」ってペテン総理がほざいた読売新聞のインタビュー記事なんだが、見出しには「首相インタビュー」って文字が踊ってたってね。共産党のとっちゃん坊や・小池君に、「自民党総裁として言ったと仰ったが、私、読売新聞を熟読しました。『首相インタビュー』って書いてあるじゃないですか。首相のインタビューに対して国会で質問するのは当然。3項をどう書くのか言ってください。読売新聞では縱橫に語っておきながら、国会ではそれを熟読しろとは無責任な話」と突っ込まれてタジタジです。

 「しんぶん赤旗」共産党の小池晃議員は「読売新聞を熟読しましたよ」と発言。そのうえで、記事の見出しが「首相インタビュー」であることに言及し、「9条3項をどう書くのか言ってください」などと真意を問うた。安倍首相の答弁は「熟読されたことに、敬意を表したい。私は自民党総裁として語ったが、タイトルは読売新聞がつけたもの」「自民党の草案とは大きく違うが、どのように書き込むかということは自民党においてオープンに議論してもらいたいと思っている。これ以上、私が踏み込むべきではないが、この1項2項を残すという方針について問いかけていく」(永田町の砂防会館であった改憲勢力の集会/事務局:日本会議)。


「しんぶん赤旗」2017年5月 4日ー憲法が施行されて70年の節目を迎えた3日、「いいね!日本国憲法―平和といのちと人権を!5・3憲法集会」(同実行委員会主催)が、東京・有明の東京臨海広域防災公園で開かれました。

 「くろねこの短語」2017年5月 4日ー2020年、新憲法施行・・・だそうだ。改憲したくてしようがない日本会議関連の会合にビデオレターで、ペテン総理がそう宣言した。宣言といったって、別にペテン総理に改憲のリーダーシップをとる権限なんてないし、そもそも総理大臣なんだから憲法遵守義務があるわけで、ここまで踏み込んだ発言をしたってことはもし日本に憲法裁判所があったら即罷免。そして、逮捕なんじゃないの。
・首相、改憲踏み込むも持論封印 最速シナリオは来夏発議  それはともかく、このビデオレターの中で、9条の1項、2項はそのままに自衛隊の存在を明記する3項を設けることと高等教育の無償化という具体的な改憲項目を口にしている。自衛他の明記ってのは公明党の喜ぶいわゆる加憲ってやつで、高等教育無償化は維新の提案を受け入れることで改憲に手を貸してねってラブコールなんだろう。

 「くろねこの短語」2017年5月 3日ー 憲法施行70年。ネットで特別公開中のジャン・ユンカーマン監督の『映画 日本国憲法』をテキストに、改めて憲法について考えてみたい。憲法施行から70年。まさか、憲法発布のその時に、「みっともない憲法ですよ」と公言して憚らない男が総理大臣の椅子に座るなんて、誰も想像すらしなかったに違いない。でも、それが現実なんだね。(以下略)

 「朝日新聞」2017年5月3日ーこれでいいじゃないか」――。日本国憲法起草のもとになった連合国軍総司令部(GHQ)草案の受け入れをめぐり、1946年2月22日に昭和天皇が幣原(しではら)喜重郎首相(当時)と面談した際の天皇の発言を示すメモが、憲法学者の故宮沢俊義・東大教授のノートに記されていたことがわかった。「安心して、これで行くことに腹をきめた」という幣原氏の心情も記載されている。(以下略)

”憲法9条の提案者は幣原首相だった!”
2016年5月3日は憲法記念日で、21:54 - 23:10 テレビ朝日報道ステーションは”憲法9条の提案者は幣原首相だった!”を放映しました。安倍政権は、今の憲法はGHQに押し付けられたとして、自主憲法を作らねばならないと改憲理由にしています。ところが、9条の発案者は当時の幣原総理であると裏付ける資料が出てきた。木村草太は「密室のことなので確実にこうだと言えるものはなかなか無いが、幣原氏もマッカーサー氏も公式発表においては幣原氏が発案者であったと認めていて、この事実が憲法を解釈する上で非常に重く受け止められている」と述べた。憲法9条は世界を意識した条文で、”日本が非武装を選択できるような国際社会の実現””国際社会が協力して世界平和に向けて努力する”という理念を究極の理想として表現したものでもある。



新しい日本のために――発刊のことば
古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生れかわつた日本には新しい国の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもつて世界の諸国と交りをあつくすること。
新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであつて、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
わが国が生れかわつてよい国となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
新憲法が大たん率直に「われわれはもう戦争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであつて、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない。
新憲法の施行に際し、本会がこの冊子を刊行したのもこの主旨からである。
昭和二十二年五月三日 憲法普及会会長 芦田 均


◇もう戦争はしない
私たち日本国民はもう二度と再び戦争をしないと誓つた。(第九条)
これは新憲法の最も大きな特色であつて、これほどはつきり平和主義を明かにした憲法は世界にもその例がない。
私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束したのである。わが国の歴史をふりかえつてみると、いままでの日本は武力によつて国家の運命をのばそうという誤つた道にふみ迷つてゐた。殊に近年は政治の実権を握つていた者たちが、この目的を達するために国民生活を犠牲にして軍備を大きくし、ついに太平洋戦争のような無謀な戦いをいどんだ。その結果は世界の平和と文化を破壊するのみであつた。しかし太平洋戦争の敗戦は私たちを正しい道へ案内してくれる機会となつたのである。
新憲法ですべての軍備を自らふりすてた日本は今後「もう戦争をしない」と誓うばかりではたりない。進んで芸術や科学や平和産業などによつて、文化国家として世界の一等国になるように努めなければならない。それが私たち国民の持つ大きな義務であり、心からの希望である。
世界のすべての国民は平和を愛し、二度と戦争の起らぬことを望んでいる。私たちは世界にさきがけて「戦争をしない」という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに「戦争のない世界」をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり、私たちの誓いでなければならない。


 2012年5月3日、ジュンク堂那覇店で『大阪春秋』春号を入手。大阪で発行されている雑誌が那覇でも入手できる時代になった。付録が「第五回内国勧業博覧会観覧必携 大阪全図 附録神戸」で、本誌に桃山学院史料室の西口忠氏の解説がある。また「通天閣の100年 鉄塔と街の歴史」も載っていた。関連して、4月末のテレビで東京のスカイツリーでテロなどの避難訓練の模様が放映され参加者が「かなりきつかった」と云うていた。このスカイツリーのテロに比べたら「東京タワー事件」など児戯だ。那覇でもモノレール駅に「テロ厳戒中」と盛んに煽っていた。
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今日は「憲法記念日」で天気も非常に良い。博物館・美術館の「ソテツで遊ぼう!」に行く。近くの陸橋の下で科学教会の金城牧師が布教のパフォーマンスで音楽に合わせて踊っていた。

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